社会運動

2017.05.20

共謀罪反対集会に参加しました。


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 2017年5月19日の午後に衆院法務委員会での与党による共謀罪法案の強行採決は許し難い暴挙であると思いました。わたしは政党筋や労組などいわゆるサヨク系組織とは一切無縁なただの市井の市民です。坂本茂雄さんのFBの投稿を見て参加しました。主催は憲法アクション・高知です。

 午後6時からの集会。5時45分頃に中央公園北口に行きました。政党関係者や労組の関係者がおられました。何人かの知り合いの人に会いました。定刻の6時に集会は始まりました。
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 まずは高知大学人文学部准教授の岡田健一郎さん(専門は憲法)から話がありました。

「共謀罪は犯罪を起こす段階からの取締り当局が捜査していくことをより推進する法律です。例えば銀行強盗をするために、預金を降ろし、凶器となる刃物をホームセンターで購入する。その段階から監視し、犯罪抑止の名目で逮捕拘留することができます。」

「ネットでの書き込み、SNSでの呼びかけ、メールでの書き込みなどがすべて捜査・監視の対象になります。金田法務大臣は、悪用される恐れはない。裁判所がちゃんと規制をすると云いましたが、あてにはなりません。乱用の可能性は残ります。」

「また並行して憲法改正の考えを安倍首相は連休の最中に公表。憲法9条に「自衛隊を合法化する」一行を加え2020年の憲法を改正すると言われました。憲法を改正するためには国民投票が必要ですが、それには850億円の費用もかかります。

 そこまでして憲法を改正するにしては、憲法審査会で従来から自民党が主張してきた改憲草案との整合性もないものです。」

 続いて沖縄県の辺野古と高江へ行かれていた憲法アクションの役員の山﨑修一さんから沖縄の闘争の報告がありました。
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「皆さん辺野古の基地建設は、普天間基地の単なる移転先ではありません。普天間基地は米国海兵隊基地であり、ヘリコプター基地です。当初滑走路は1300メートルでしたが、今や2本の1800メートルの滑走路が建設予定になっています。

 更にイージス艦が着岸できる桟橋の建設まで行う予定になっているのです。単なる移転では全くありません。」

「高江のヘリパットも米軍に引き渡していますが、未だに工事中。ヘリパットが傾いていてヘリが着陸ができません。」

「辺野古は海中のボーリング調査では海底に鍾乳洞があることが判明してります。きちんと杭が打てるのかも怪しい。米軍仕様は耐用年数が200年です。基礎杭もろくに打たずして、採石を海に投入しています。高江もそうですが、強引に工事をすることを強行することで、反対している沖縄県民を諦めの境地に追い込むために政府はしています。」

「反対運動のリーダーの山城さんが些細な容疑で逮捕され、5か月間拘留されていました。山城さんの容疑は「工事用の有刺鉄線を切断した。」「機動隊員の腕をつかんだ。」「工事車両を妨害するために道路にブロックを積んだ。」というものです。いわば微罪。それだけで5か月間も拘留したのです。

「共謀罪が制定されますと、今日のような市民集会に参加しただけで、逮捕・拘留されます。沖縄県の辺野古や高江で起きていることが、日本全国に広まります。」

 政党関係者からは

「集会などにも参加しづらくなるし、ネットやホームページやメールなども常に権力側から監視されるようになります。」

「70年間日本の平和は守られてきました。安倍内閣のここ数年で、特定機密法、集団的自衛権の認定、戦争法案、そして今回の共謀罪と平和国家日本の破壊活動をしています。断じて許されません。」
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 続いてデモ行進をしました。仮面をかぶった人と太鼓が先導し、土佐弁でのシュプレキコール。「共謀罪はわやにすな!」「自由なおしゃべりが何故いかん!」「メールやラインの監視をやめや!!」「だまっちょったらいかんぜよ!!」「共謀罪は廃案に!」と言いながら、中央公園北口からアーケード商店街を抜け、丸の内緑地公園までデモ行進をしました。
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 150人の参加者がありました。1人での参加はやや心細い事でしたが、集会に参加し、デモ行進をしますと参加者同士で連帯感が生まれました。
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 今回の参加で私は国家権力の言う「一般市民」から「特定市民」になったようです。でもこんな悪法や、ファシズム国家を阻止するためには各市民は街頭へ出て声を張り上げないといけないと思います。戦いをするのは「今でしょ!!」と思うからです。

 

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2017.04.22

高知県は東洋町の皆様に救われました。


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 2007年4月22日に高知県東洋町で町長選挙がありました。新人候補で高レベル放射性廃棄物最終処分場の立地反対を掲げた沢山保太郎さんが、有効投票の7割を獲得し、立地推進を掲げる現職町長を大差で破り当選した記念すべき日です。
 
 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/bbs3/sawayama/toyo-senkyo.html

 NUMOによる高レベル放射性廃棄物最終処分場立地は白紙撤回されました。もし結果が逆であれば、南海トラフ巨大地震の震源地近くの東洋町に全国の原子力発電所から排出される高レベル放射性廃棄物(半減期になるのに10万年かかる物質が含まれている)が、押し寄せてくることになっていましたから。

 もしそうなっておれば、高知県観光や、高知家や、地産外商などのんびりしたことは一切できなくなっていました。高知県民は東洋町の皆様に感謝しなければなりません。

 当時現職候補者は、「高レベル放射性廃棄物最終処分場を受け入れれば、医療費も教育費も、光熱費もすべて無償になります。」との公約を掲げていました。

「放射能まみれのお金よりも、思い切り深呼吸の出来る東洋町の空気と自然を子々孫々に残したい。」という東洋町の町民の皆さんの想いが結実し、高知県は救われたのです。
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 そのことを忘れてはいけないと思います。

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2017.02.23

五島正規さんを偲ぶ会へ行きました。


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 昨年11月に77歳でご逝去されました五島正規さん。2017年2月19日にクラウンパレスホテル高知にて、偲ぶ会が開催されました。偶然坂本茂雄さんご夫妻と同じ電車で行きました。1昨年6月1日にいずみの病院防治会理事長室で横田政道さんと一緒にお会いしましたが、その時はとてもお元気でした。未だにご逝去が信じられません。
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 中選挙区時代の1990年に旧社会党から立候補され衆議院議員に当選され、2005年までされておられました。民主党を設立されるメンバーであり、医師としての知見と幅広い知識で国政でご活躍されました。

「護憲と脱原発で新しい政治の動きをつくりたい」と言われていた矢先のご逝去でした。幅広い交流がありましたので、偲ぶ会にも大勢の人達が来られていました。知り合いにも多くお会いしました。
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 幅広い交流関係を表していますように弔辞を読まれた来賓も多種多彩でした。最初は山本有二さん(農林水産大臣・自民党)でした。
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「私と五島先生は1990年の中選挙区時代ともに激戦を勝ちあがり当選しました。7万票を超える得票を取られました。本音は一致、表向きは対立の関係でした。反自民の巨星でした。時に一緒になり戦ったこともありました。10年前の2007年には、高知をなんとかせんといかんということで、尾﨑知事誕生の原動力になっていただきました。」
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「私が子供時代に勤労病院の医師として五島先生に診察を受け励まされたことがありました。五島さんの提唱で、日本1の長寿県構想をまとめさせていただきました。」(尾﨑正直高知県知事)

「介護保険制度や社会保障のエキスパートとしてしばしば助言をいただきました。」(岡﨑誠也高知市長)

 元官僚の人達からは、「介護保険制度をこしらえ実現できたのは五島正規さんがいたからです。官僚と政治家が夜な夜な真摯な議論をし、合意形成して作り上げたのが介護保険制度です。五島さんの医療現場で鍛えられた知見は素晴らしいものがありました」と言われていました。

「私が北海道知事時代から、リバラルの会でともに行動していました。後の民主党の結成になりました。1992年に五島さんが議員立法でアスベスト禁止法案を出しました。しかし建材業界などが自民党に働きかけ廃案にされました。その間1万6千人の人達が苦しみました。2012年にようやく全面禁止になりました。残念です。
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 交通バリヤフリー法や、NPOやNGOの育成とか市民の発意を大事にされた方でした。」(横路孝弘・衆議院議員・民進党最高顧問)
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 「わたしはいつも五島先生の叱られ役でした。社会の不条理を正すのが労働運動だ。非正規雇用を真剣に取り組め。と言われました。五島さんの精神を受け継いだ形で運動を展開しています。」(折田晃一連合高知会長)

 最後に謝辞を奥様の五島保子さんが述べられました。

「2016年4月に高知医療センターで手術し、6月にはいずみの病院へ転院できるほど回復しておりました。しかし8月に再入院。口から食物が食べられなくなり胃瘻をしました。

 食いしん坊の彼が食べられないのは辛かっただろうと思います。それでも面談の人には気丈に話したりしていました。しかし11月14日に治療のかいなく亡くなりました。

 今日はたくさんの皆様においでいただきありがとうございました。主人も喜んでいることでしょう。家族を代表してお礼を申し上げます。」
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 会費の返礼として「五島正規を偲ぶ」というパンフと、「社会保障ー21世紀の課題」(五島正規・著・2011年・年友企画刊)の500Pの著作が同封されていました。
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 会場で春名直章さん(共産党高知県委員会委員長)と佐竹峰雄さん(共産党高知県委員会前委員長)にもお会いしました。大きな会場にたくさんの人が来られていましたので、600人ぐらいはいたと思います。

 五島正規さんの言葉が印象に残りました。

「健康維持と生活の向上。時にこの願いは二律背反する。
 これを止揚するには政治による制度設計と、医療の発展普及にある。」
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 五島正規さんは1979年に防治会をこしらえ、1990年に代議士になられました。そして制度設計として「介護保険制度」をこしらえました。

 1昨年お会いした時に五島正規さんは日本社会を心配していました。

「護憲と脱原発で政治勢力や市民運動はまとまらないといけない。新自由主義と国家主義では日本国は救われない。」と。

 各人それぞれの持ち場で五島正規さんの意思を伝承すべきでしょう。

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2016.09.24

「完本・情況への発言」を読んで

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 ようやく5年間かかって読み終えました。分厚くて、知らない人たちを罵倒する文章が多くて、正直しんどい所がありますした。読後感は「今は爽やかな」気分です。


 学生時代に入っていたサークル関係者にご縁が深かった吉本隆明さん。4年前の2012年3月16日にご逝去されました。大正13年生まれですので、うちの母より1つ上で、父より5歳年下の人でした。

当時個人ブログに「追悼文」を書いていました。

「吉本隆明氏の逝去を悼む」(2012年3月16日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8f43.html

 5年前に大枚3240円で「完本 情況への発言 吉本隆明」(洋泉社・2011年・刊)を高知市の本屋(金高堂)で見つけ購入していました。当時は吉本隆明氏の死期が近いと思い購入していました。

 購入したものの700Pもあり、1962年から1997年まで発刊されていた「試行」という雑誌に吉本隆明氏が寄稿したものすべてをまとめてありました。

 読むと、今となってはわたしも知らない論敵を罵倒し、こきおろす文章が大半。もはや古典の世界です。この種の文章はリアルタイムでないとわかりません。吉本隆明さんはずっと存在し続けましたが、吉本さんが当時罵倒した相手の人達は、「消えて」いるからです。
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 そのなかに「切れ切れの観想」(1976年9月)に書かれた文章がありました。
「三上治に依頼されて6月18日に「情況の根源から」と題する講演に出掛けた。  

 中略・・・。

 ところで、事は、三上治の属していた政治党派の内部で、十分な決着がついてなかったらしく、講演会は叛旗派の面々の妨害により中断せざるを得ない混乱に終始した。
 わたしは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、檀上に駆け上がって騒いでいる連中には懇談してもらって、じぶんの喋りたい思って用意してきた情況論は、しゃべることにした。

 なぜならば集会の主人公は、身銭を切って講演を聞きに来た公衆であり、それ以外の何物でもないという原則をもっていたからである。」(P257)
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 私の記憶が正しければ、吉本さんの講演は、1976年6月18日に東京・品川公会堂で行われた共産同叛旗派解体集会でした。三上治と、神津陽の一党が対立し、罵倒しあっていました。吉本さんがなだめたという記憶はありました。私は「いくばくかの参加費を支払い」見学に行っておりました。

 それは40年前の出来事。その後共産同叛旗派は解体し、再興されることもなく40年経過しました。あのことの清新な政治理念はどうなったことだろうか?40年経過して現れないものは、今後も未来永劫現れないでしょう。

 今「情況への発言」を読み返しても、「古典」を讀んでいる感じですね。
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 災害列島日本で「何事もなかったかのように」原発を再稼働し、沖縄の声を全く無視し軍事基地づくりを政府は強行しています。

 ヘイトなファシストの声が大きくなるが、きちんとした政治党派は影も形も見えません。やはり40年前に滅んだものは、再興されないまま、風化したんでしょうか?そのことを思いだすたびに、情けない気分になるのはわたしだけでしょうか?
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 巻末に松岡祥男さんが「解説」を書かれています。高校時代の社会運動でご一緒したことがあります。高校生時代の私はアホな毛沢東主義者でしたが。松岡さんは「吉本隆明という人は凄い」とか言われていました。先見性がある人でした。

「試行」という雑誌は、60年安保闘争敗北後の1962年に発刊されています。同人に村上一郎や谷川雁らがいたようです。そのあたりの時代背景を松岡さんは記述されています。

「ブントは分裂し、全学連幹部は日和見と組織エゴに凝り固まった小日共さながらの革共同に屈服転身するものが続出した。
 吉本は、権力の側からも、共産党をはじめとする対立党派やその同伴知識人からも、また行動を共にした転身メンバーからも、標的として集中砲火を浴びることになった。この孤立の中から「試行」は生まれたのだ。」(「試行とはなにか」P688)

 なるほど「孤立無援」ななかで「試行」は創刊されたのですね。だから相手を罵倒する文章が多いわけですね。多くは歴史上消え去った人たちだけに思想的にも社会運動的にも今思えば大したことはないようですが、当時としては幅をきかせていたんでしょう。「事情」は松岡祥男さんの解説で理解できました。

「「情況への発言」は1970年10月(試行第31号)から、論敵たちの言説(批判や攻撃)を引用し、それに反批判を加えるコメント方式をとっている。時代の急激な変容に即応するために、このスタイルが選ばれているといえる。

 吉本隆明は、この時期、「心的現象論」「最後の親鸞」「初期歌謡論」といった体系的な思索と古典に打ち込んでおり、思想的主題の深さに比例して、それは心身の動きを重くする作用が伴うものと思われる。

 吉本にとって、この即興的なスタイルは、寸暇をみつけて身を起こし、その時々の情況に対応しようとするものだ。たとえ、それらが時事的な泡沫で、すぐ時の流れの上に消えてしまうものであったとしても、そのアブクにしか見えない現象の中に、実は永続的な課題が内在していることもありえる。

 生々しい関心の持続、それ自体が思想の生命線の1つなのだ。しかし、このスタイルは、さらなる即時的な反発や憎悪を呼び起こし、荷立たしい様相を呈することも否めない。」(「根源的な志向性」 P691)

 分厚い書籍に中で、論争相手への罵倒と罵詈雑言の類も多くのページに記述されています。当時はワープロなんぞもなく、手書きで原稿を書いていたんでしょう。わたしなどは文章書くことで、相手への怒りは昇華され、案外冷静になりますが、吉本隆明さんの怒りは収まらず、とめどなく記述される理由が判明されましたね。それにしてもしつこいキャラクターですね。

「吉本はこの時期、埴谷雄高らの内ゲバの停止を求める「声明」の呼びかけ人への参加の要請を拒否している。これら知識人や自称オルガナイザーの無原則的な、ろくでもない妥協と密通を否定するとともに、腐敗した新左翼党派の延命に手を貸すことを拒絶したのである。

 これが同時にデマゴギーや匿名攻撃を粉砕する実践的態度であり、「情況への発言」に一貫するリアリティなのだ。」(「根源的な志向性」 P693)

 1973年の大学へ入学した当時は、70年安保闘争敗北後の党派闘争の時代でした。なぜささいな違いで殺し合いまでするのか。その刃は国家権力に向かうことなく対立党派の構成員に向けられていました。

 事実、教科書を譲っていただいた別のサークルの先輩学生が、下宿で対立党派に襲われ頭を鉄パイプでかち割られ亡くなりました。所属サークル主催の学生集会の最中に、あるセクトの人達が血相を変えて向かって来ます。「来たぞ来たぞ!!」と叫びながら。見ると鉄パイプをもった数人が後追いしてこちらへ向かってきます。とっさに横へ逃げました。襲う別のセクトの人達は、ちゃんと対象のセクトの人達の人相がわかっているようでした。真底怖かったですね。誤爆されて殺されたら嫌ですから。

 1970年中期から本格化した陰惨な内ゲバは、1972年の連合赤軍事件ともども一時期盛り上がった新左翼運動の衰退要因でした。埴谷雄高たちが「内ゲバ停止宣言」に、吉本隆明氏が拒絶した理由が、今更ながらに理解できました。

 やはり潰えるものは潰えるということですね。当時新旧左翼一般を吉本隆明は批判しています。少し引用が長くなりますが、松岡祥男さんの記述です。

「吉本はこの末期的な症状にとどめを刺すために、対馬忠行の追悼文を入り口にして「アジア的ということ」の連載を開始している。この「アジア的ということ」は圧倒的な意義をもつものだ。

 吉本は、マルクスの「インドにおけるイギリスの支配」の概念から、<コミューン型国家>や<プロレタリア独裁>の概念を厳密に再措定してゆく。そして、そこからレーニンら(ボルシェビキ)に主導されたロシア革命とその権力がいかにマルクスの思想的原理から乖離したものであっいたか。

 レーニンらは、コミューン型国家即ち国家廃絶の原則を現実的に放棄し、<プロレタリア独裁>の概念を「プロレタリア前衛党の独裁」に、<生産手段の社会化>を「生産手段の国有化」に矮小化したことを明らかにする。

 これはロシア。マルクス主義の限界と転倒を指し示すとともに、国内的にいえば、日本共産党から新左翼にいたる全党派の理論的な支柱を完全に打ち砕くものだ。

 この吉本の根源的な指摘を左翼であろうとする限り、誰も回避することはできないといっていい。」(「根源的な志向性」 P694)

 わたしは、知識人でもなく、田舎町の市井の市民にすぎません。

 吉本隆明さんは「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」(吉本隆明著「カール・マルクス」)と書いています。

 市井の大衆を「おだてて」はくれますが、それによってどうなるものではない。市井の大衆は愚かで刹那的で、物事を深く考えす、今の政権を支持し、原子力発電所の再稼働を支持し、自衛隊を海外へ派兵することにも賛同しています。わたしも愚かな大衆の1人です。

 時折学生時代や若い頃に購入していた「試行」。1962年から1997年まで巻頭に書かれていた「情況への発言」を毒気に当たられながらようやくすべて読むことができました。

 正直吉本隆明氏の著作は、買い揃えてはいますが、難解でわかりにくい。晩年の高齢者になったから病床で書いた文章は同じ「戦中派」である両親のことを思い浮かべるとわかりやすい。それだけです。
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 「老いの幸福論を読んで」

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 亡くなる1年ほど前に出版されていたようでした。

「「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(「老いの幸福論」P178)

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 日本社会を「どうするこうする」の大きな志はありませんが、小さな高知市下知地域の住民として、南海地震が来れば、人生も生活も即終りのような、絶望的な状況をなんとかしたい想いだけは、強烈に持ってはいます。

 零細企業の経営と超高齢の両親の在宅介護の合間に少しできる高知市下知地域の地域防災活動。それは日本社会のあらゆる問題点と矛盾が凝縮しています。そのことを考えることは、例えとしてはおこがましいが、かつて吉田松陰が、安政の大獄後、萩の牢獄から世界を見ていたようなものではないでしょうか。

 案外高知の田舎の市井の1市民が、世界の事を考えていることもありかなと思います。物事を考える「トレーニング資材」として、吉本隆明氏の「情況への発言 完本」(洋泉社・2011年刊)は、役に立ちました。

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2016.05.02

吉田弘さんが高知へ来られました。

 2016年4月30日に吉田弘先輩が高知へ来られました。4日ほど前に「高知へ行くぞ」とのメッセージがありました。そしたら一昨日に東京から車で出発。途中岐阜で1泊して、今朝淡路―徳島経由で高知へ来られました。
 夕方宿泊されているホテルへお迎えに行き、高知で1番繁忙している居酒屋葉牡丹へ行きました。さすがに連休で超繁忙で10分ぐらい待ちました。
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 2階の部屋で一緒に飲みました。吉田さんは久松さんの先輩。学生時代と東京での会社員時代にお会いした記憶があります。でもそれは40年ほど前です。
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 吉田さんにも言われました。
「たぶん西村とは東京では殆どあったことはなかったと思う。でもFBのせいか違和感はないね。」と言われました。
 SUPのOGである家内にも会っていただきました。(写真はNGなので後ろ姿のみ)。事務所へも来ていただきました。楽しいひと時でした。
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 翌朝はは九州(吉田さんは大牟田の出身)へ渡り、大分―宮崎―鹿児島―福岡の周遊をされるそうです。ほんとうにタフな先輩でした。4月30日はお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。

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2016.04.28

4・28沖縄デー


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 最近は「4・28沖縄デー」という名称の集会もデモ行進もとんと聞こえなくなりました。4月28日は、日本が2次大戦敗戦後占領政策を終了させつために米国サンフランシスコで講和条約に調印し、国際社会に復帰した記念日と言われています。

 また一方で沖縄はその直後から米軍統治がより苛酷になり、日本本土各地の米軍基地が縮小される一方で、沖縄には広大な米軍基地が建設され、沖縄に米軍基地が集中していきました。

 米軍統治下ですので強引に土地が接収され、米軍基地になりました。今や74%を超える米軍基地が沖縄に1極集中しています。

 「日本が国際社会に復帰した日」は、「沖縄により米軍基地が集中した象徴の日」でもあります。沖縄の人達が特別な想い「沖縄屈辱の日」をもっていることを理解すべきでしょう。

 米軍に強制接収されて米軍基地を建設されてきた沖縄。あろうことか今度は日本政府が強引に名護市辺野古に米軍基地を建設しようとしています。「オール沖縄」で反対するのは当然であると思います。
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2016.04.08

社会思想不在の不安な時代

 今の時代は、右翼も左翼も「これだ」という思想がない。裏付けなしに、自分たちは右翼だ、民族主義者だ、国を憂う国士であると自称したり、平和勢力で絶対的に自分たちは正しい。自分たちの勢力だけは進歩勢力で間違いない。という盲信にとらわれています。

 40年前の1976年。日時は忘れましたが、東京の品川公会堂で、共産主義者同盟叛旗派の解体集会が起こなわれていました。自分は構成員でもシンパでもありませんでしたが、関心があったので見学に行きました。

 壇上では幹部であった三上治氏と神津陽氏たちが、何やら言い合いをしていました。「顧問」である評論家の吉本隆明氏もその場にいて、何やら言っていました。激しい言葉の罵り合いでしたが、当時の風物詩のヘルメット姿で鉄パイプで殴り合うこともないようでした。

 党大衆構造の止揚」を唱えていた共産主義者同盟(ブント)叛旗派は解体しました。もうあれから40年も経過してしましました。

 では当時の指導者や構成員やまわりの皆さん方は40年も経過しましたが、どうなっているんでしょうか?吉本隆明さんは、2012年2月にご逝去されました。
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 右も左もきちんとした社会思想がないまま、迷走しているように見えます。不安な時代ですね。

 わたしは市井の市民、無名の大衆、生活者として日々生きています。何もなすこともなく還暦を超え、なんとか生きのびています。

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2015.10.03

いつのまにか62歳になりました


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 本来なら週末は海へ散帆に行く予定でした。上天気ですから。しかし先週ジュニア・ヨットクラブの着艇作業をお手伝いしていた時に、斜路で滑り、右肋骨を亀裂骨折してしましました。それで養生するはめになっています。

 いつのまにか還暦も過ぎ去り、62歳になってしまいました。
本当に何かを「成し遂げた」訳ではなく、経済的にも社会的にも成功はせず、平凡な小市民として生活をしています。

 そんな私を心配しているのか父(96歳)も母(89歳)も介護認定こそ受けてはいますが、持病を持ちながらも健康を維持していただいています。家内もなんとか見放さずに一緒に生活をしていただいています。

 息子は別世帯ですし、娘もお絵かき職人で出稼ぎ中です。世間的には「適齢期」ですが、結婚しそうもありませんね。

 こうしたありきたりの生活が繰り返されている日常こそ、「常民」であり、「生活者」であり、「大衆」そのものであると思います。何かの組織で活動しているとか、給与をいただいている存在では全くありません。

 わたしの経歴や生い立ちから、サヨクではないかと思われる人もいるでしょう。わたしはサヨクでも右翼でもありません。政治には関心はあります。昔からそうでした特定の政党やセクトに属したことはありませんし、今もそうです。

今上天皇を強い平和の祈願の心とずっと戦争慰霊と被災地訪問を継続されておられる真摯さに、敬服しています。
 
 先日「戦争法案」が強引に国会で採択されました。安倍内閣は私のような平凡な国民大衆から全く遊離した政策ばかり熱心に実行しています。戦争法案と原発の再稼働です。

 わたしは小さな会社の経営と超高齢の両親の介護ケアの傍ら、300M四方の地域の防災活動をやっているのにすぎない人間です。

 災害対策知ればしるほど、日本は世界有数の「災害大国」であることがわかりました。地震・噴火・台風・大雨・大雪災害は毎年どこかで日本は起きています。掲載活動や社会活動を維持しながら、災害に遭遇し克服してきたのが日本人の歴史です。

 「戦争法案」と「原発再稼働」は、災害大国日本に、更なる「災害」を引き起こすものです。日本にふさわしいものではありません。ただちにやめるべきであると思います。

 ここ4年ぐらいのテーマである「連合赤軍と新自由主義の総括」につきましても、そろそろできそうな気がしてきました。

 体制側があまりに国民大衆に冷淡であり、強権的に抑え込む(沖縄県に対して行っている)体質が露骨になりました。では打倒するために何をどう行動すればいいのかは、わかりませんが、このまま無関心と言う訳にはいけないでしょう。

 たいしたことは今後も出来ないでしょうが、政府の動きには「異論」を言いつつづけていきたいと思います。

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2015.08.30

戦争法案反対集会に行きました。


 朝から雨気味の高知市。午前11時から高知市丸の内緑地で戦争法案反対集会が、あり参加することにしました。朝1番は父(96歳)を連れてゴルフリハビリに。打席のボール供給器が2度もトラブルに。余計に時間がかかりました。
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 その間に手際よく家内が両親の昼食をこしらえてくれました。それで10時半過ぎに自宅を出て路面電車で丸の内緑地へ行きました。開始前に到着しましたが、前回よりたくさんの人たちが雨模様にも関わらず参集しています。
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 11時に集会は始まりました。最初のスピーチは呼びかけ人の1人の松尾美絵さん。特定秘密法案廃止を訴える市民の会の代表。「安倍さんや中谷防衛大臣は、国民がいくら反対しても、意味不明な国会答弁を繰り返し、戦争法案を採択しようとしています。国民は全国一斉100万人行動で阻止しましょう。」と言われました。
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 続いて戦争法案に反対するママの会・高知の代表の中村美代さんが登壇されました。「わたしは看護師で3人の子供を持つ母親です。今日はやむにやまれる気持ちで、仲間と子供たちと一緒に来ました。ママの会は3か月前に1人のママさんがネットで呼びかけました。今は高知も含め30の都道府県で出来ています。
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 誰の子供も殺させない!! を合言葉に行動しましょう。と言われました。

 続いて学生や若者たちのグループであるピース・パイオニアの代表が「戦争法案をこしらえている安倍さんや中谷さんは戦地へいくはずはない。行くのは私たち国民です。本気で戦争法案に反対しましょう。」と訴えました。
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 今回の集会は主催者側の発表では1500人と言います。前回より大幅に増えました。集会の後はデモ行進になりました。県庁前から自民党高知県連前を通過し、県庁前から電車通りの車道をデモ行進し、中央公園まで行きました。
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 元自民党県議の川田雅敏さんと参議院議員広田一さん(民主党)が真剣に話していました。
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 武内則男さん(元参議院議員)ともデモ行進ですれ違いました。坂本茂雄さんの選挙事務所の事務局長さんにも会いました。
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 長靴履いて家内と2人で駆けつけましたが、集会やデモの時は雨が降らず良かったです。今日は全国各地で戦争法案反対集会が開催されていることでしょう。
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 ランチをファーストへ食べに行きました。途中とてもレトロなバイクを見かけました。
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 いつものファシスト安倍晋三さんと、安倍政治を許さないのカードを持参しました。
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2015.07.20

戦争法案反対集会に参加しました。


 今日は夜須でのマリンフェスティバルYASUが悪天候で順延。サポート予定のカヤック無料体験もなくなりました。主に家の用事をしました。風呂の掃除をし、昼過ぎは母を連れ大型量販店での買い物。散歩が目的です。そして午後3時半位は歩いて自宅をはないと一緒に出ました。

 手作りのプラカードをつくりました。「安倍政治を許さない」と娘が描いた「ファシスト安倍」です。
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 30分ほどで会場の丸の内緑地へ到着。知り合いのUさんに会いました。手作りの「安倍政治を許さない」プラカードを首から掛けていました。主催は「戦争させない!戦争に行かない!憲法アクション inこうち!!」です。超党派でこしらえられた団体のようです。
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 参加者が持参している桃太郎旗を見ますと、民主党系、社民党系、新社会党系、共産党系などがあり、労組の旗も多く見られました。わたしらのようにどこの組織にも属さない無党派市民も結構いました。若い学生たちの姿も見られました。

 最初に平和運動センター議長で自治労高知委員長の山崎秀一氏が演説されました。
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「安全法制関連法案は、戦争法案です。アメリカ軍につき従い地球の裏側まで行って戦争する法案です。234人の憲法学者と元内閣法制局職員が発言しているとうり、集団的自衛権は明白な憲法違反です。

 危険な戦争法案を廃案にするために、辺野古基地反対でオール沖縄で頑張っている行沖縄のように、安倍内閣を打倒し廃案にしましょう。」

 続いて弁護士の中西法貴氏が登壇されました。
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「みなさん戦争法案の中身の精査と、憲法の許容範囲内のものかどうか考えてください。」この法案は明らかに「違憲法案」です。

 このような憲法を破壊する法案や国会審議を許した責任は国民にあります。経済政策を支持した、投票に行かなかった。行為で与党に3分の2の議席を与えたことが原因です。

 本当に主権者であれば、今すぐ行動に移しましょう。」

 特定機密法案に反対する会の玉置さん。
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「私は中国で生まれました。先の大戦で日本は多くのアジアの人達を殺害し、日本人も多く亡くなりました。痛切な反省から憲法を作り、70年間戦争をしない国でした。

 尖閣や南シナ海での中国の脅威が安倍内閣は叫んでいますが、一方で日中事務レベル協議を頻繁に現在行っていまして、対立しないように両国はしています。戦争の脅威などありません。」

 9条を守る会事務局長の谷脇和仁さん(弁護士)は、
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「安倍内閣がやっていることは、憲法壊しのクーデターそのものです。ここで国民が声を大にして反対しなければ、国民生活は破壊されます。」

 学生グループを代表して、グループペダルの横川和音代表は。
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「学生の立場で戦争法案に反対します。政府は人文科学系の学部を国立大学で廃止しようともしています。わたしたち若者は声を大にして戦争法案に反対します。国家権力の横暴を認めることはできません。」

 中国残留孤児の麻田勇さんはこう言われました。
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「わたしは先の大戦の末期に西土佐村から中国吉林省へ開拓農民として入植しました。敗戦後3歳でわたしは残留孤児になりました。1989年に日本へ帰国が出来ました。子や孫に恵まれました。

 70年前の悲劇が繰り返されようとしています。日中両国国民に再び苦しみを与えることは歴史に背く大罪です。」

 主催者側発表で600人の参加とか。シュピレキコールは、大西正裕さんが歯切れ良いラップ調で行いました。
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「戦争法案絶対反対!」「9条守れ戦争反対」「安倍内閣は退陣しろ」「平和が大事、戦争はいらない」「自衛隊員の命を守れ!」。続いてデモ行進になりました。中央公園までデモし、夕食準備のためそこで隊列を離れ、帰路につきました。
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 途中タウンモビリティ・ステーションふくねこでは、高知大学生の研修が行われていたそうです。笹岡和泉さんを始めスタッフの皆さんはせわしかったと思います。
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