高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」

2020.04.01

高知シティFM・20年目の課題

 高知県唯一のコミュニュティFM放送局が誕生したのは2000年4月。開局当時から8年半、私はボランティアスタッフとして番組制作、番組出演、広告スポンサー獲得、番組ホームページ作りを、仕事の合間にやっていました。

 関りは全く偶然。高知青年会議所時代に一緒に活動していた社長が「けんちゃん週1回の社会派番組をやってほしい」との要望がありました。ラジオ番組などしたことがなかったですが、面白そうだから乗りました。

 そしたら1988年の青年会議所主催の野外ロックコンサートで大変お世話になった常務さんから「けんちゃんせっかくだから、ドライバーゾーンで毎日15分、週5回の番組をしてほしい。」と言うことになりました。無茶苦茶なお話でした。
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 それでできた番組が「けんちゃんの吠えるウォチング」(2000年4月から2003年3月まで)でした。FM放送というのは、だいたいが音楽などのコンテンツ主体の番組でした。お堅い社会派番組をしました。
 国政・県政。高知市政。社会問題、県境問題、経済問題、娯楽芸能のテーマで、けんちゃん(私)と局のパーソナリティの女性が掛け合いでトークするという番組でした。

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/hoeru/(けんちゃんの吠えるウォッチング)ホームページ

 番組のテーマを1週間分考えてトークする。週に5回話します。放送後は消えるのがもったいないので、自力でホームページを作成するようになりました。それが最大の成果でしょうか。

 局の都合でパーソナリティが時間帯が移動になりました。立場を変え、私がホスト役になり、高知県内でご活躍されている様々な人たちをゲストでスタジオにお呼びして、お話をしていただく「番組を作成しました。
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 それが「けんちゃんのどこでもコミュニュティ」でした。(2003年4月から2006年3月まで)

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/index.html(けんちゃんのどこでもコミュニュティ)ホームページ

 この番組は、毎週水曜日に1周5回分を収録しました。ゲストにスタジオに来ていただき収録します。それを局の許可を得て収録テープをいただき、1週間分を休日の土日にテープ起こしをして原稿を打ちます。収録風景や写真はそれに挿入し、ホームページに仕上げます。

 テープ起こしに5時間。ホームページ作成に3時間かかりました。それを3年間やり続けました。今思えばクレージーな体験ですね。1銭も報酬なしにやり続けました。ホームページの作り方の勉強にはなりました。それが成果です。

 番組を継続させるためにスポンサーも自分で獲得しました。2006年から番組枠を大西みちるさんと笹岡和泉さんにお譲りし、2008年10月まで週1回番組を続けました。

 父(2018年に99歳で死去)が2008年9月に脳血管障害で倒れ救急搬送。一命は救われましたが、番組制作が出来なくなり、シティFMとは縁がなくなりました。開局当時の2000年から2008年までは「濃い」体験をさせていだきました。

 高知新聞3月28日号に高知シティFM放送に関する記事が掲載されていました。
どうなる高知シティFM放送_NEW
「高知市FM事業甘い計画」

「説明不足を反省」

「5期目岡﨑市政つまずく」とあります。

 記事によりますと烏帽子山にあるあfるテレビ局のテレビ塔に送信アンテナを建てる計画で、市役所が9400万円で市単独予算を計上していたようですが、市側の説明が不十分であり、市議会の同意が得られず採択されなかった経過の記事でした。

 最初から烏帽子山に鉄塔を建てれば良かったのですが、開局当時なぜか局幹部の1部に反対論があり五台山山頂に立てるようになりました。それゆえ高知市西部地域は視聴が難しいエリアになりました。

 私が関わっていた8年間には、高知市側との密な関係ではありませんでした。どちらにしても市議会で納得していただかないといけないでしょう。

 このままこの案件が立ち消えになるのか、また復活折衝されるのかわかりません。なにせ事情がわからないですから。

 今年は高知シティFM放送が誕生して20年目です。8年6か月関わった1人として行く末を心配しますが、今の私にはどうすることもできません。

 経済基盤がしっかりした形での災害時のコミュニュティFM放送局は必要です。生活情報を流す必要があるからです。きちんと誰もが納得できる形で再生していただきたいとは、地域防災をしている立場としては願います。

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2019.02.13

母は介護予防通所リハビリに行きました

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 2019年2月12日ですが、母(93歳)は、午後から介護予防通所リハビリへ行きました。毎週火曜と木曜に通所しています。月曜と水曜と土曜は、1日型のディサービスに通所しています。
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 金曜日は午後から、はりまや橋商店街へ行きます。100歳体操と買い物です。母は日曜日以外はどこかへ出かけるようにしています。日曜日も近所のスーパーへ連れていき、店内カートに押して店内周遊をして歩行練習をしています。
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 晩秋に鉢植えしたチューリップが咲いています。調べますとトルコが原産地とか。オスマントルコ時代の16世紀にオランダへ伝わり広まったそうです。日本は富山と新潟が産地になっています。
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2015.07.20

福島高明さんのご逝去を悼む

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 かつて高知青年会議所時代に一緒に活動し、一級建築設計士であり一級造園施工管理技士でもあった福島高明さんが、2015年7月19日にご逝去されました。高知青年会議所からのFAXで19日の夕方知り、20日の高知新聞朝刊の死亡広告で知りました。62歳でした。

 私と同じ1953年生まれですが1月生まれですので、学年は1学年上。知り合った当時は実家の婦人服衣料販売店を経営されていました。建築にも興味があるのか、1987年10月に建てた私の事務所兼自宅を「見学」に来られていました。

 翌年単身アメリカへ行かれ、2年ぐらい遊学されていました。帰国後難関の一級建築士の資格を取得、建築設計士で活躍されていました。わたしは青年会議所時代は、夜須をテーマにした事業(海洋連続セミナー)や、野外ロックコンサート、都市再開発セミナーや浦戸湾花火大会などを企画し、「高知JCの資金を使いまくった」とも言われていました。当時福島高明さんは「けんちゃん面白いことしゆう。頑張りや。」と励ましてくれました。
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 また2004年に当時コミュニティFMで番組を制作していました。ゲストとして福島高明さんに出演いただいたことがあります。ランドスケープ・デザインと市民参加についても造詣が深く感心しました。そのやり取りの一部です。

私「もともと福島さんは服飾関係の店舗を経営していました。人が集まり、楽しく過ごす商いの原点はご存知であると思います。街が荒れないようにする工夫は商店街が元気になることであると思いますが。」

福島「これからは商店街の組織の中でも、デベロッパーをされている方、テナントの方も含めた本当の意味のコミュニティを形成するべきですね。
 組織の付き合いではなくて、テナントも積極的に関わりを持つべきだと思います。
 真剣にそのなかでまちづくりを考えるべきですね。」

私「郊外型大型量販店の発達の一方で、中心市街地が空洞化するという1970年代の米国のような状況の高知市です。しかし一方で少子高齢化が進んでいます。高齢者に大型量販店はなじみません。なにか商店街が元気になる方策はありますか?
 
福島「そうですね。商店主の努力も必要です。プロを養成しまして、ビジュアル・マーチャンダイジングも必要です。まだまだ学ぶ必要があります。
 消費者の観点からも使い分けが大事です。地域を安全にするためには地元の商店街で買い物することも大事です。地元ではこれを買う。食品スーパーではこれを買う、大型量販店ではこれを買う。と言う具合に使い分けをします。

私「障害者や高齢者に配慮したまちづくりはどうあるべきであると考えますか?建築家としてどう関わりを持たれますか?

福島「建築家が集まって考えるだけでなく、障害者や高齢者と交流して、意見交換するようなコミュニティを形成するべきでしょう。個々の障害に応じた対応を考えたらいいのです。」

 大変ノーマルな考え方をされていました。アメリカへ単身行ったり、中年間際で一級建築設計士になったり、一級造園施工管理技士になられたり、キャリアもこしらえました。
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 最近は耐震設計のみならず、耐震施工もされ。ご多忙と聞いていました。

 お通夜でお兄様の明さんに聞きますと、「間質性肺炎という難病で亡くなりました。仕事が忙しく、亡くなる1週間前まで仕事していましました。だれも亡くなるとは思っていませんでした。」とのことです。

 間質性肺炎は難病です。調べますと「その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である(痰は気管支や肺胞の炎症で分泌されるため)。肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることもある。」とのことです。

 喪主の息子さんの挨拶で「父は2月頃から咳ををして、病院へいきましたが、2つの病院でインフルエンザという診断でした。7月8日により体調が悪くなりました。その時間質性肺炎と診断され、治療の甲斐なく19日に亡くなりました。」と言われました。

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 仕事も忙しく、さぞかし無念であったと思います。その想いは設計士で後を継がれる息子さんに継承されていかれることでしょう。

 福島高明さんは同年齢でユニークな人柄だっただけに、心よりご逝去を悼みます

 (写真は2004年当時の写真です。福島高明さんから提供いただいた写真です。)

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2013.12.16

城下秀二さんのご逝去を悼む

 訃報はMLやFBで知りました。奥様から「葬儀は身内だけでやりたいので、どうか12月15日のおびさんマルシェへ出かけてください。」とのメッセージも拝見しました。それで歩いておびさんマルシェへ行きました。

 おびさんマルシェの実行委員長の大西みちるさんに会いました。なにか寄せ書きをと言われました。大石宗さんが書かれた後にわたしも書かせていただきました。
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 9年前の2004年位に、当時私が地元コミュニティFM局でやっていた番組「けんちゃんのどこでもコミュに二ティ」に出演いただきました。

http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/gesuto6/shiroshita.html

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 城下さんは川でのカヌーだけででなく、海でのカヌーもやっていましたので、ちょうど夜須でNPO法人YASU海の駅クラブの立ち上げ期でしたので、接触機会があった頃でした。
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 城下秀二さんは多様な市民活動家でした。環境保護団体の事務局長。仁淀川お宝探偵団の世話役。カヌー体験の案内人。演劇人であり、紙芝居の親父でした。子供さんの中学のPTAの役員も当時されていました。みませ祭りも実施し、みませ干物屋として展開しようとされておられました。
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 寒くなったのでそろそろ干物のシーズンだ。おびさんマルシェへ出てくるかなと思っていました。今回の訃報に関し残念な想いです。

 おびさんマルシェでも多くの人たちが寄せ書きをされていました。心からお悔やみ申し上げます。

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2013.12.15

師走のおびさんマルシェ

 今日はお昼前に父がゴルフの練習後に少し調子悪そうにしていましたので、出掛ける時間帯が遅くなりました。それで大川村から高知市大橋通り商店街で大川村物産品を販売している近藤京子さんところへ行きましたが、時すでに遅しで片付け中でした。

 大川村のサポーターである北村哲郎さんに「朝来ないといけないよ」と言われました。毎月第3週の午前9時過ぎから売り切れるまでだそうなので、次回はなるべく昼前に駆けつけます。

 さて今日は「おびさんマルシェ」です。夜は「星空マルシェ」もありますが、主催者の大西みちるさん他11月に続き大変でございました。今日は出店も多く賑わっておりました。
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 おびさんマルシェは原則オリジナルの手作り作品が多く、今日高知市中央公園でやっていたフリーマーケットとは趣が異なります。
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 大石宗さんに会いました。高知だけJのプロサッカー・チームがないのが寂しいですね。なんとかしたいですね。とお話しました。徳島は盛り上がってますからね。香川もです。
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 大西みちるさんに会いました。
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 おびさんマルシェにも流木工房やみませ干物屋で出店されていた城下秀二さんを市の偲んで寄せ書きをされているので、けんちゃんからもと言われ、わたしも書かせていただきました。
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 仁淀川お宝探偵団や、カヌーの案内人。演劇サークル、紙芝居親父。みませ干物屋。環境保護団体事務局長などと引き出しの多い人でした。10年ほど前に私が当時やっていた地元コミュニティFM番組にゲストで出演いただいたこともありました。

 今日のおびさんマルシェはキャンドル・ナイトや音楽演奏、映画会もあるようです。寒い中頑張っています。
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 おびさんマルシェの行われているおびさんロード沿いの堀詰に叔母の店である水谷龍文堂があります。画材やオリジナル額縁の専門店。叔母は嫁いで60年。ベテラン店員さんは勤続40年。画材はネットなんかで購入せず、ベテランのいるお店で購入しましょう。
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2013.04.24

 文栄玉さんのご冥福をお祈りします。

 今朝西やん(西田政雄さん)から電話がありました。
「黄英信さんの奥様が急逝されました。ご葬儀は風水晶で午前11時からです。」とのことでした。驚きました。

 黄英信さんは、朝鮮総聯合会高知県本部委員長で、以前高知シティFMで「けんちゃんのどこでもコミュニティ」をやっていた時に出演いただきました。日本と朝鮮とのかかわり、高知県とのかかわりなどをお話いただいたことがありました。2004年10月のことでした。 もう9年前のことです。

 自宅がご近所ですので、奥様手作りのキムチをいただいたこともありました。奥様はお元気な様子でしたが、脳血管障害で急逝されたと葬儀に参列した知人に聞きました。

 最近黄英信さんは体調を崩され入院されていると西やんから聞いていました。葬儀場入口付近におりますと、タクシーで車椅子で来られました。ご挨拶をしました。1月に近所のスーパーでお会いした時はお元気でしたが。

 葬儀は地元新聞に死亡広告を出していませんでしたが、大勢の人たちが参列されていました。葬儀形式は仏式でした。真言宗の僧侶が読経していました。生花は朝鮮総聯関係や朝鮮学校や企業や労組関係者が多かったようでした。参列者も組織の関係者が大半。私や西田政雄さんような黄英信さんの個人的な知り合いでの参列者は珍しかったと思います。

 僧侶の読経とハングルでの弔電披露、日本語での弔電披露が行われました。参列者の焼香後ご長男の黄萬秀さんがご挨拶されました。日本語とハングルでのスピーチでした。国際的なご葬儀でした。 

 現在日本と北朝鮮は国交がなく、また拉致問題やミサイル発射問題で難しい関係になっています。でも葬儀を眺めていまして、高知の地域社会に深く根を下ろし交流を深められておられると思いました。在日の皆様が「架け橋」となり、今すぐは無理でしょうが、日本と朝鮮半島の両国が近い将来に善隣友好関係になれば良いとは思いました。

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2012.06.22

清藤真司さんは香南市長になる?

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 1ヶ月ほど前にご自身の選挙資金の使途不明金が表面化した仙頭前香南市長が突然辞職され、香南市議会もそれを承認しました。前市長も潔いといえばそうですが、一切の釈明も行わず、市長を辞めてしまいました。

 それで7月8日公示、15日投票で,香南市長選挙が行われるようです。現在のところ2人が立候補されるとのことです。

 清藤真司さんは、香南市選挙区選出の前県会議員。町村合併前は夜須町長もされています。その前は国家議員の公設秘書も8年間歴任しており、政治的経歴は豊富ですね。

 高知県知事の尾﨑正直氏も、清藤真司さんを全面的に信頼しているようです。知事の選挙の折は事務局長を清藤氏は勤め、県政・地域の水先案内人を自認されておりました。

 チラシにあるように「住民自治」を本気で実行するのであれば、それは大変結構なことであるとは思います。

 以前高知シティFMで自分の番組をしていたときに夜須町長時代の清藤真司さんに出演いただいたことがありました。

 自分の言葉で、地域(当時は夜須町)のまちづくりについて淡々と話してくれました。

http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/gesuto6/kiyotou.html

 2003年12月のことでしたから、もう9年も前のことです。

 NPO法人YASU海の駅クラブで副理事長をされておられます。私も理事なので、理事会ではご一緒しています。発言その他では自然体の人です。

 香南市は人口3万4千人の市。活力のある都市です。また南海地震では大津波の被害を市の南部では受けるだろうと想定されています。

 市街地の高台移転を推進するために「立体換地」の研究もされ、2月定例県議会でも独自の見解を公表されていました。

 清藤真司さんの動向は気になります。私には投票権はありません。27年前から毎週休日たびに香南市夜須でセーリングをしに行っていますので、なんだか他人事とは思えません。かれこれ1350回も夜須へ行っていますからね。

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2012.01.24

安岡正博さんの志は永遠に伝承されます

 毎週金曜日にわたしは母(86歳)と一緒にはりまや橋商店街へ行っております。はりまや橋金曜露店市とともに、活き活き100歳体操(介護予防体操)が、広場で開催されるからです。もう5年は通っています。
 
 先週布工房めろでぃのオーナーである桑名真紀さんから、はりまや橋商店街近辺のフリー・ペーパー誌「はりまやSTORY 」(製作発行・アトリエよくばりリス)をいただきました。

 その紙面の2面に昨年11月17日に、はりまや橋商店街で開催しました「安岡正博さんを偲ぶ会・ポーラさんを励ます会」の様子が掲載されていました。編集発行人である松田雅子さんの許可を得ましたので、画像を転載させていただきます。

 参考ブログ記事「安岡正博さんを励ます会。ポーラさんを励ます会が開催されました。」

 「安岡正博さんのご逝去を悼む

 はりまやSTORYでは、11月17日の偲ぶ会の様子が詳しく掲載されています。本当に懐かしいメンバーが集まっていただきました。当日は懇親会場である「大衆食堂 よし乃」でしました。参加者の思いは熱く、話しは尽きることなく続きました。お店のビールサーバーも空になり、焼酎もなくなったところでお開きになったのです。
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 また「はりまやSTORY]には、その1週間後の11月24日に同じよし乃にて、17日のスタッフ慰労会も行なわれました。画像にあるように美味しい手料理をいただきました。

 このはりまやSTORYを見て、安岡正博さんの熱い想いが蘇ります。わたしたちの手で高知を面白く熱いまちにしなければならないと思います。

 安岡正博さんの奥様のポーラさんからお礼状をいただきました。
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 2004年2月に当時わたしがやっていた番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」に安岡正博さんがゲスト出演していただきました。安岡さんの熱い想いと「おまんらしっかりせんといかん」という叱責を思い出します。

 ゲストは 安岡正博さんです 

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2011.07.31

松尾徹人さんのご冥福をお祈りします

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 前高知市長であった松尾徹人さんが、ご逝去されました。64歳でした。まだまだこれからの人生であると思っていましたが、病に倒れ、帰らぬ人となりました。

 松尾徹人さんは、元自治省(現総務省)のキャリア官僚であり、2度にわたり高知県庁に出向され、高知を気に入られ、転勤の際もご家族を高知へ残して単身赴任するという人した。

 1994年に県内の有志からお声がかかり、高知市長選挙に挑戦されました。私は当時高知青年会議所時代の事業(都市再開発セミナー・市政徹底討論会)で大変お世話になりました鍋島康夫さん(元高知新聞社論説委員)と懇意になっていました。

 鍋島康夫さんが高知新聞社を退職され、高知市長選挙に挑戦するにおよび、私は高知JC卒業の直後1年間余り鍋島さんの陣営で活動していました。結果は鍋島さんは敗れ。松尾徹人さんが当選されました。チームが異なり当時から松尾さんを観察していましたが、松尾さんは真摯な人柄で、謙虚であり心底高知が好きな人であり、市長時代は「龍馬市長」になりきっていました。

 一度高知駅前から、高知市神田の和霊神社まで、一緒に歩いて話をしたことがありました。それは坂本龍馬に関するイベントでした、。松尾徹人さんは、坂本龍馬の格好をし、着物を着て歩きました。
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 坂本龍馬への思いについて

 また高知シティFMで「けんちゃんのどこでもコミュニティ」という番組をやっていた頃に、ゲスト出演していただきました。「政治の話以外でお話をしたい」ということで、気さくに、真摯に話していただきました。
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 ゲストは松尾徹人さん 

 2003年と2004年の当時の高知県知事であった橋本大二郎さんと県知事選挙を戦い、2度とも破れてしまいました。その後は三翠園という高知の老舗ホテルの社長をされておられました。病に倒れ64歳という若さでご逝去されました。
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 本当に高知が好きだった松尾徹人さん。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 歴史にもしもはありませんが、松尾徹人さんが橋本大二郎さんが知事選挙を争わず、橋本さんが県知事を松尾さんに「禅譲され」、松尾さんの支援も得て国政に転進し衆議院議員になっていれば、高知の歴史も変わっていたでしょうに。

 今にして思えば、橋本VS松尾の「総力戦」の意味はなんであったのかわかりません。松尾さんはご逝去され、橋本さんは総選挙に敗北後、さっさと高知を去りました。今や橋本さんの痕跡もなにも高知にはありません。

 高知県民は、橋本大二郎さんも松尾徹人さんを三顧の例で迎えました。人生の大きな選択を強いて、高知県に誘致しました。しかしながら御両人とも1人は志半ばでご逝去され、1人は高知県を去りました。県民としてとても残念であります。


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2010.03.11

高知シティFM開局から10年目

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 このブログのタイトルの一部にもなっている「けんちゃんの吠えるウォッチング」が高知シティFMの朝の番組(月曜から金曜午前8時15分から30分)で始まったのが、10年前の2000年の4月2日からでした。

 今頃の3月は、番組の打ち合わせや、事前収録をしていました。こちらは駄文は書くことには苦痛はなくても、しゃべるのは苦手。「吠えるウォッチング」の最初のお相手は池玲香さん。前月までNHKのパーソナリティをされていた人。アナウンス教育を受けてきた人ですのでプロでした。

 「けんちゃん話し方が悪い。声が小さいのでやり直し。」と厳しい指導が。このまま指導を受けていれば、放送用の話し言葉は向上していたかもしれません。しかし池さんは激務がたたったか(番組の持ち時間が朝の7時半から9時半まで。取材や編集をいれれば働き詰め)1ヶ月で降板、退社されました。

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 1ヶ月で番組打ち切りかと思いきや、5月からお相手が、同年3月に高知女子大学を卒業されたばかりの細井春菜さんでした。うちの子供と年が変わらない若い人。親子の会話となりました。いろんな社会ネタを考えて対話する番組にしました。社会現象やアートのことや音楽情報は当然こちらがわからないので、細井さんに解説していただき、中高年親父と、若い女性の「ミスマッチ」番組として、2003年3月末まで継続しました。

 番組裏話参考

 その後「けんちゃんのどこでもコミュニティ」が2003年4月から2006年3月まで継続。2006年4月からは、流行のブログの可能性をとらえた番組「けんちゃんのどこでもブログ」を2006年4月から2008年3月までやりました。2008年4月から、新しくまちづくりを実践されているひとをゲストに招いてお話を聞く番組「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」をしました。しかし高知シティFMの事情で2008年11月で番組は打ち切りになりました。
 2000年3月から関わりがありましたから、8年と11ヶ月、ほぼ9年間関わりがありました。

  どこでもコミュニティのゲスト一覧です。

 現在は全く関わりがなくなりました。今頃になるともう10年かと懐かしく思います。

 番組出演者交流会は正真正銘の異業種交流会でありました。

 わたしは自己主張が強く、若い頃は他人の話しを聞くのが苦手でした。でも番組をやらせていただくことで、立場や考え方の異なるひとの話しを聞くことが多くなり、それがとても面白く、高知は田舎でダメだダメだと言われていアm菅、「人材の宝庫」であると確信を持つようになりました。

 また話しぱなしではもったいない。という気持ちが強くなり、番組内容を放送終了後にホームページとして残そうと「無謀な計画」の実行もしました。いろんな各層の立場のひと達の主張を理解することが出来ると思います。

 これは私の私見は質問だけにとどめ、対談相手が話した内容を収録テープから起こして、忠実に再現してホームページに記録しています。一部はネットラジオにもしてあります。
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 今は懐かしい高知シティFMです。

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