2021年7月1日は、中国共産党創立100周年であるとか。中国の首都北京では、7万人の市民が動員され、盛大な祝賀式典が行われた。
中国共産党の独裁者習金平氏は、1時間に及ぶ長演説をして、「中国共産党なしでは、今日の豊かさ、強さはなしとげられなかった。」と自画自賛した。テレビのニュースでその様子を見ましたが、まるで「巨大な独裁国家北朝鮮」を見ているようでした。
早朝の散歩時に全国紙の朝日新聞と読売新聞を購入。自宅で購入している高知新聞と日本経済新聞でも関連記事を読みました。おおむね巨大化する強権国家。唯我独尊国家中国への批判とご忠告の記事ばかりでした。
朝日新聞の社説では「中国共産党 誰のための統治なのか」と論説委員は書いています。チベットや新疆ウィグル、香港での強権的な人権弾圧、宗教弾圧は一体何のために、だれのためにしているのか?何故多様性を認めようとしないのか?
「平和的な権力移行の仕組みを崩し、香港や新疆で弾圧し。ことさら外国の脅威をあおる。その遠景には列強から屈辱を受けた近代史があるとはいえ、今ほど強大化した中国が内向きな強権政治に走るのは危うい。」「もはや共産党にとっては政権維持が統治の目的ではないか。」とまで言い切っています。」正しいと思います。
読売新聞の同日の中国特集記事の中で「柔軟さ失った中国 危うさ」との記事も的をえています。一党独裁の硬直した政治体制は、旧ソ連や東欧諸国同様に中国も崩壊すると言われてきましたが、しませんでした。
それは鄧小平時代からの改革開放政策、社会主義を標榜しながら市場経済を導入した柔軟さが、高度成長をなしとげました。それは共産党の党組織にも及んでいました。
「入党資格も緩和し、結党時は敵だった資本家の入党も認めた。労働者、農民の党はエリートの党へと様変わりした。」
「共産党という看板以外は融通無碍で、イデオロギーを押し付けることもない。党を批判しなければ、日々豊かになっていく生活を享受できる国民側も、政策の存続を受け入れてきた。」
ただ1989年の天安門事件は青年たちの民主化運動を残忍に弾圧した鄧小平でしたが、体制に異議を言わなければ、共産党は柔軟に融通向けに対処してきたことがわかります。「黒猫・白猫理論」なんでしょう。しかし今日の習金平中国は異なります。
「一方的な主張を威圧的に発信する。「戦狼(せんろう)外交」の影響もあって、中国と国際社会との確執は深まっている。中国メディアが伝えた外国からの祝賀は、ベネズエラやロシアなどの強権体質を同じくする国や、経済的に中国に依存する途上国が大半だった。」そうであると思います。今の中国には「同盟国」がいません。
孤立しても14億人の人口と経済力で、世界中を敵にしてもへこたれない中華民族と独裁者習金平氏は天安門で動員した7万人の市民の前で演説しました。
日本はかつてのアジアの最初の帝国主義国。ロシアと大清帝国の衰退の間隙をついて軍事大国になり、アジア近隣諸国を侵略し、植民地化しました。世界を相手に無謀な世界大戦を仕掛け、一時的に版図を拡大しましたが、民族や宗教の多様性を認めない偏狭な占領政策にアジアの大半の占領地国民は抗日ゲリラ闘争を展開、米英軍と結託し、旧日本軍は敗退しました。
同じことを中国共産党はしでかしています。「かつて敗北したアジアの帝国主義国日本」は、教訓として中国に対して「民族。宗教の多様性を認め、共産党の一党独裁をやめて、台湾を見習い民主化すべきである。」というべきでしょう。きちんと隣国の独裁者に忠告すべきです。
多数の核兵器や軍備を所有する「迷惑な」隣国に中国はなりました。戦争災害をかつての旧日本帝国のようにおこすことなく、台湾のように民主化中国になっていただきたいと願います。
中国は近しい国です。1日前の中国の天気は、今日の日本の天気です。習近平氏も「きばらん」とよく世界を観察して、世界に貢献する国になるように努力していただきたい。
かつて人生の1番楽しく輝かしい青年前期の中学・高校時代に毛沢東思想に感化された田舎の少年でした。化け物のような赤い帝国主義国・中国の今の姿には幻滅しています。あらためて自分の愚かさを噛みしめています。
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