西村 今月のけんちゃんの今すぐ実行まちづくりのテーマは「高知の根源・由来を考える」ことです。よく使用される「高知らしさ」について何を持って高知と言えるのか。徹底的に検証しようと企画してみました。
ゲストは島本茂男さん。以前の番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」に出演いただきました。毎週金曜日にはりまや橋商店街に占い師として登場されています。宗教や歴史分野に詳しい人です。
もう1人のゲストは中平貴士さん。東京在住ですが全文が土佐弁で筆記されているブログ「土佐ローカルりズムちや」の作者。土佐人にあくまでこだわり古代史まで遡って検証されています。お仕事はクリスタルを媒介にしたセルフヘルプにもとづく癒しの仕事をされています。今回の収録は帰省されている時期に行われました。
さて今回のテーマは「 何をもって高知らしさ 土佐らしさと言うのか?」です。
高知県内にいますと「高知人」を無意識に感じ、「県外人」という表現もしたりします。では高知県人とはどういう特色があるのかというと意外に答えられません。
沖縄では「ウチナンチュー」と言えば全てが表現されているのですが・・沖縄ではリアリティを感じます。わたしは家内が沖縄なので特にそう思います。そのあたりの理油はなんであるとみなさんは思われますか?
島本 高知県民。自分達の意識は強い。「県外人」という表現があるように、排他性も感じます。では高知県人は一致団結してことに当たるのかと言いますとそうではないですね。ばらばらですね。特色に十分答えられないのはそのあたりに理由があると思います。
中平 私の場合は(まず)四国のレベルで言いますと、高知以外の3県(愛媛・香川・徳島)は豪快さが足りない、という風に感じます。思想的でもない。変人度が低いとも言えます。
枠にはまってなにが楽しいのかとも思います。でもそれでも高知県人もそういう傾向の人達が増えて来ています。危惧しています。
全国的でいきますと「革命的でない」「大きいものを信仰する」傾向があります。
無条件に東京が行うことは善である。と言う風に思い込んでいます。それはアメリカがやることは無条件に善であると思い込んでいますことと同じことです。
こういうことに「違和感を感じること」が高知県人ではないかと思います。それを「いごっそう」とか「はちきん」とか言うと思います。
いわば反骨ですね。大きいものにはまかれないということですね。
西村 いま高知県は観光に力を入れているようです。しかし昨年は観光客が減少しました。今年も期待できません。「花・ひと・出会い博」とか称し、高知出身のお笑いタレント間寛平を起用しキャンペーンをしています。しかし効果があるようには到底思えません。
その理由は「歴史を大事にしているようで、全然大事にしない高知県や高知市」になるのではないかと思います。
例を挙げれば幕末・維新・明治初期に活躍した郷土の偉人達(儒学者岡本寧穂、武市半平太、中江兆民ら)のゆかりのある新堀川を埋め立て破壊し、自動車道路をこしらえる公共事業を平気でしているからです。そのあたりはみなさんはどう思われますか?
島本 歴史より公共事業による経済活性化を優先しているからそうなるのです。歴史を軽視することは自分達の命を軽視することにつながります。そういう意識を変えていくことが、これから高知では必要ではないかと思います。
歴史を大切にしていく経済活性化だってこれから考えられます。もちろん歴史の価値を見出していかなければなりませんし。それから一言付け加えますと、現在の公共工事は中央のゼネコンに吸い上げられて地元にはご利益があまりない。こういうこともどんどんあらためないといけないですね。
中平 私の場合は、”掛ける言葉もないくらい高知県や高知市の政策は無残なものではないか”と思います。「歴史を大事にすると言いながら、新堀川に蓋をする」ことなどを見るといかに「言行不一致」であるかということです。
現在の状況から考えますと”むしろ行政(高知県・高知市)が消滅したほうが歴史が守られるのではないか?”。そう思います。どれだけ行政はお金(税金)を使って余計なことをしているのですね。
そのことは継続的、組織的に行われていますので、明らかに犯罪といえます。こういうことを高知県民は深く認識すべきではないでしょうか。
島本 なるほど今行政(高知県・高知市)がやっていることは文化的ジェノサイド(虐殺)と言っているわけですね。
中平 そうです。
西村 島本さんの言われる高知らしさ、土佐らしさはなんですか?
島本 前に香美市在住の漫画家くさか里樹さんがテレビ番組で「高知の人には原始人の逞しさが生きちゅう。」と言われていました。
梅原猛さんの説も「高知の人は縄文文化の風土を色濃く残している。」ということなんです。それは一方で野蛮で感情が爆発して、そこら辺を暴れまわるイメージもあります。強い自我とか意志を持っていて、それから本質をぐっと掴んで時代を切り開いていくイメージもある。
土佐人は潜在的な革命家ではないのか。思うわけです。原始的な強さ。それが高知らしさ、土佐らしさと言えるのではないでしょうか。
西村 中平さんの言われる高知らしさ、土佐らしさはなんですか?
中平 自分の場合は簡単に言いますと、そういうメンタリティは土佐弁に殆ど集約されているいのではないですしょうか。そうい風に思っています。
今から土佐弁を喋りますが、一つ目は「回りくどいことをすな」という土佐弁があります。2つ目は「白黒はっきりせえ」という土佐弁も聞きます。
後は「年寄りは大事にせんといかん」「今日喧嘩しても明日は忘れる」というメンタリティもありますね。
「そんなに言うちゃるなや」(それほど言わなくても)
こういう土佐弁の表現のなかに高知らしさ、土佐らしさがほとんど詰め込まれていると思いますね。
西村 新しい定義で「高知らしさ、土佐らしさ」のコピーやキャッチフレーズをこしらえるとすればなにがふさわしいと思いますか?アイデアがあればご披露下さい。
島本 いろいろ考えてみました。原始的な力ということをを出して行きたい。時代を切り開いていくのだというで、土佐人の時代を切り開いていく力が人類の未来をつくるのではないか。
人類の未来は土佐でつくるぞ。そんなことをこめまして。
「時代を切り開く原始人。人類の未来は土佐にまかせろ!」とこういうのはいかがでしょうか。
西村 中平さんはいかがでしょうか?
中平 そうですね。東京に高知県人は洗脳されちゅうわけですね。土佐弁でいきますと、「洗脳されたちいかんぞ。自分の頭で考えて自分の足でたたんといかんぞ」となりますね。
西村 日本経済も破綻しかけているようですし、手本としようとしたアメリカ経済が破綻寸前ですのでモデルなき社会の危うさを感じますね。
人口も少ない。経済力もない。東京的スタンダードで行くと高知は全く絶望的な未しかないのかとしか思えません。
そうではないと中平さんは思われておられますね。東京から高知を見られてどう思いますか?
中平 今広まっている市場原理主義ー新自由主義に対抗する思想なり、ドグマをこしらえないことには市場原理主義の力を弱めることはできません。そう思いますね。
西村 そのあたりのパワーを高知はもっている。市場原理主義を弱めるパワーを高知は持っていると島本さんは考えているのでしょうか?
島本 土佐人にはそのパワーがあります。「古きを訪ねて、あたらしきを知る。」
土佐の古代を訪ねていくことで、きっとそれは見つかると思います。
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