死生観・終末観

2018.09.16

父の墓参りに行きました


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 来週は彼岸。大混雑も予想されます。息子にも声掛けして1週早く父(吉正)の眠る墓地へ母(92歳)を連れて行きました。
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 直前まで19日の「ロープワーク講座」の準備作業をしていたためか、肝心の線香立てや、母のための経口補水液やおむつや着替えも忘れて来ました。
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 墓地へ着きますと、同様の目的で墓参に来ている家族もちたほらいました。墓地には砂利を敷きつけているのでそれを山積みしそこへ線香を立てました。お花は昨日五台山市民農園の草引きに行く途中にある五台山農協婦人部の朝市で購入していました。
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 日差しがありますとまだまだ9月は暑いです。線香が消えるまで、佇んでいました。お墓の掃除道具も持参しましたが、49日の納骨前に2時間かけて子供たちと掃除をしていましたので、その必要性はありませんでした。
 
 家内が「お正月前後にも来ましょう。」と言いました。その時は掃除道具も持参します。

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2018.09.12

私なりの父の供養


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 父(享年100歳)が、5月に亡くなり、49日も初盆も終わりました。あっという間に日常のせわしさにかまけ、時間が経過するのが早いなと思います。5月12日が父の命日ですから、今日(9月12日)の月命日は4か月目になりますね。

毎日父の遺影を見て、線香を炊いて、夕方には1日の出来事を父に報告しています。

 社会的には葬儀の終了した翌週から役場や年金事務所、法務局、取引銀行を何度も巡回し、「引き継ぎ」作業をしました。一体何10枚の書類に住所と名前を記入し、判子を押印したことでしょう。専門職の人にお金を支払い代行していただいたら簡単でしょうが、社会勉強と思いすべて自分で手続き作業をしました。
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 役場も年金事務所も、法務局も銀行も親切に手続き方法を教えてくれました。細かくややこしい事も少しありました、仕事の合間に、手続きや書類作成を繰り返しました。4か月間はその繰り返しでした。「引き継ぐ」ことは面倒で大変であることを思い知りました。独りよがりな事かも知れませんが、「引き継ぐ」ことが父の供養かと思います。
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 一段落しますと季節は春から梅雨―猛暑―残暑ー初秋となっていました。仏事としての大げさな行事はしません。今度の日曜日は母(92歳)の体調もよさそうなので、一緒に父の眠るお墓へ家族で行こうと思っています。

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2018.08.14

簡素な初盆です

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簡素な初盆です。家が狭いし、子供も月初めに再就職が決まったばかり。帰省も出来ないようです。

28年前にして「盆休み休暇」にしました。自宅の掃除して終わりです。お墓は暑いし、母(92歳)を連れての墓参は無理ですので諦めました。

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2018.07.24

親鸞さんと蓮如さん


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 偶然の産物で父(享年100歳)の葬儀は浄土真宗西本願寺系の僧侶に読経してもらいました。四十九日の法要と納骨も依頼しました。

 仏壇も購入しました。右手に浄土真宗の開祖者である親鸞さん。左手には中興の祖であり大きな組織をこしらえた蓮如さん。仏壇はお寺の出張所だそうです。たしかに四十九日の法要をしたお寺は仏壇を拡大した装飾でした。というかお寺を縮小した様式が仏壇になっているようです。
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 以前親鸞さんと蓮如さんに関しては五木寛之氏の著作で読んだことがありました。個人ブログに読書感想文も書いていました。

 「親鸞」を読んで(2012年3月10日投稿)
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 「親鸞」(五木寛之・著・講談社・2010年刊)を図書館で借りて読みました。 上下2冊の小説でしたが、雨の2月25日に1日で読みました。小説では9歳から32歳までの親鸞や周りの人物が活き活きと描かれ、活劇のような躍動感がありました。五木氏の代表作「青春の門」のような、やんちゃで常に悩ましい親鸞は魅力でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdbf.html

 「蓮如ー聖俗具有の人間像」を読んで(2012年5月22日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-9994.html

 「蓮如ー聖俗具有の人間像」(五木寛之・著・岩波新書・1994年刊)を読みました。親鸞が開祖した浄土真宗も、時代が下ると、衰退し、分派がいくつもあり、混乱していました。また蓮如が生まれた時代は、室町末期で、応仁の乱が勃発し、地方も都も秩序が乱れていました。
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 読んでいて驚いたのは、蓮如は若い時から布教活動を精力的にしていたわけではなく、貧しい寺を継承する43歳までは雌伏の時代であったと言うことでした。

  五木寛之氏は親鸞と蓮如を対比させ、こう書いています。

「親鸞は「貴種流裡」の聖人でした。どんなに「とく」を自称し、野のひじりとして貧しく生きても、その身辺にはおのずと精神の貴族性がオーラのように漂います。彼は貴族の子として生まれた、いわば「乞食王子」なのです。

 蓮如は、さびれはてた寺に、「いやしき女」の子として生まれました。いわば「卑種栄達」の俗人です。こういう人が成金めいた振る舞いをするのは、ある種の切なさがあって、わたしは嫌いではありません。

 蓮如の同胞意識は、彼の思想の結果ではありません。おのずと人と差別なく接する体質だったと思います。彼が親鸞思想の本質を正しく理解しえていたかどうかは、論議のわかれるところです。

 しかし、私は蓮如が親鸞の教えの中に自己を救われる何かを発見し、親鸞を「たのんだ」と思います。そしてそれを同じ立場の人に伝えたいと、真剣に心から願ったと感ずるのです。」

 親鸞さんは「弟子などはいらん」と言い続けた創業者。理念は素晴らしかったですが、宗教組織とし体裁がないまま衰退していきました。蓮如さんは「時代の申し子」として中高年甥なってから突然輝き出し、強固な宗教組織をつくりだしました。

 織田信長は終生一向宗との対立抗争を繰り返し、天下人の豊臣秀吉は懐柔し、徳川家康は、本願寺を東と西に分割しました。

 小さな父の仏壇を眺めながら6年ほど前に読書した「親鸞」と「蓮如」について考えてみました。

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2018.06.25

心機一転、頑張ります。


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 昨日父(享年100歳)の49日の法要と納骨が終わりました。5月12日の死去以来、なにかとせわしい日々でしたが、とりあえずは一段落。親類筋にも挨拶しけじめをつけることが出来ました。
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http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/49-ac5f.html

 今朝は午前7時35分発の便で子供が東京へ帰るので6時過ぎに出発し空港へ。搭乗手続き中に武内則男さん(衆議員議員)にお会いしました。「国会の集中審議がありますから。」「防災はこれで大丈夫とは行政側が線引きした対応をとったらいけないね。」とも。そういえば武内則男さんとは、3年前の6月に「東北被災地交流ツアー」でご一緒しましたから。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-f0e7.html

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昨日は納骨式が終わった後、自宅へ戻り遅い昼食(防災会長のお店の折詰)を食べると疲れが出て昼寝していました。「西郷どん」の直前に起床。軽い夕食を食べながら視聴し、番組終了後仮眠しました。そしてW杯の日本VSセネガル戦を視聴しました。

 GK川島の1戦目(コロンビア戦)に続くミスキャッチでの失点に起こりTVに向かってわめいていました。試合は乾と本田のゴールで追いつき2-2のドロー。実力差から言えば「勝ちに等しい引き分け」でした。3戦目のポーランドは不調でリーグ戦敗退が決まりましたが、気が楽になったので怖い相手です。引き分けができれば自力突破が可能ですがどうでしょうか。

 今朝は日本VSセネガル戦に続いて、コロンビアVSポーランド戦まで視聴し、そのまま朝食を食べ、子供を空港へ送りました。それで少し眠いです。でも週初めですので仕事に専任します。

 今朝の事務所の気温は26度、湿度は62%です。真夏日(30度)の予報が出ています。沖縄地方は梅雨明けしました。四国はこれからが梅雨本番。今日は梅雨の晴れ間です。天気図でも梅雨前線は、南へ押し下げられていますね。

 「新規事業」のほうも約1カ月作業が遅れてしまいました。7月に集中的に作業を行い遅れを取り戻します。仕事のほうも販路拡大に奔走中ですので今が正念場。ゆっくりすることは出来ません。

 同年代の連中は、ほとんどがリタイヤして「孫の面倒を見ている」とか「病気が見つかった。」とかの話題が多い。うちの子供たちは伴侶が見つからないし、新たな家族が形成される気配はない。でも今回は父の供養は徹底的に家族として頑張ってくれました。家族はありがたいものです。

 昨日の夕食後、家内と子供たちで父の仏壇を飾りつけていました。「仏壇はお寺の出張所」ということらしいです。昨日訪問し、49日の法要したお寺の本堂の「縮小版」であることが良くわかりました。

 「一段落」しましたので、心身の調子を整え、W杯の試合も観戦して、心機一転頑張ります。

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2018.06.24

父吉正の49日が無事に終了しました。

 2018年6月24日(日曜)ですが、朝からせわしい1日でした。仏式の法要や習慣については何の知識もありませんでしたので、専門の皆さんのお力や親戚の力もお借りして父の49日の法要を行うことが出来ました。
 
  寺院と墓地で使用するお花は知り合いの生花店に依頼しました。仏式の諸色で様式で束ねて配達していただきました。法要に出席いただく親類には、町内の仕出し店である防災会会長のお店で2段重ね折詰を調理いただき、保冷剤と保冷箱に入れていただき取りに行きました。

 そうこうしている間に時間が迫り、喪服に着替えている間にデジカメを忘れてしまいました。操作が今一つわからないスマホで撮影しました。
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 家族と親戚は寺院に集合し、住職に49日の法要を行っていただきました。椅子席にんっていました。超高齢者の母(92歳)も楽そうでした。今の時代なのか照明もろうそくなどではなくLEDの照明のようです。
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 法要後は墓地へ移動。今日は日差しがきつかったので、墓石屋さんにお借りしたテントを広げ納骨の法要をいたしました。最初に父の遺骨をお墓に納骨。僧侶が読経していただきました。テントのお蔭で日陰で行うことが出来ました。
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 納骨の儀の終了後、親族には2段重ね折詰とお菓子を駐車場でお渡しし、無事に父の49日は終了いたしました。長丁場でしたが、超高齢者の母も頑張り無事に終わりました。
 
  今日は夜中にW杯の日本VSセネガル戦があり、娘が朝1番の飛行機でもどっるのでm式の終了後は仮眠をしていました。

 とりあえずは一段落しました。

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2018.06.23

墓掃除に行きました。


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 2018年6月23日(土曜)ですが、明日父(享年100歳)の49日と納骨がありますので、墓掃除に行きました。墓地は高台にあり見晴らしがいいですね。来たのは2008年8月以来。10年ぶりです。
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 沖縄の家内の実家のお墓は70坪の敷地ですが、僅か1・5坪の墓。10年間1度も来たことがありませんでした。それは中に入る家族がいなかったからです。
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 10年の歳月はコケやら汚れなどが墓石や敷石にこびりついています。子どもたちと3人で墓石や敷石の水洗いをしました。幸い午前中に降っていた雨は降り止んで日差しもなく涼しい環境で作業が出来ましたDSCN0431_R

 なんとか綺麗になりました。字の所はペンキが剥げました。塗ればなとかなりますが、明日には間に合いません。ぽろぽろ雨が来たので1時間半ぐらい作業して止めました。
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 子供にお墓の前で写真を撮ってもらいました、目をつぶっています。明日は納骨に来ます。
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2018.06.21

建立して10年ぶりに墓へ行きました


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 2008年8月にいの町の南墓地公園内に、お墓を建立しました。うちは分家であり、家族がみんな元気なうちにお墓をこしらえました。生前にお墓をつくるといいことがあると言われていましたので。建立の3年前から計画し、いの町の墓地公園に応募し、墓地を購入し、お墓を建てました。僅か1・5坪の小さな墓です。

 沖縄の義父は、家内と結婚して最初に沖縄へ行ったときに、私を家のお墓へ連れて行ってくれました。なんで私をお墓へ連れて行くのだろうと当初は戸惑いました

 おそらくご先祖にも紹介していただいたことでしょう。
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「沖縄では家をつくる前にお墓をつくる。」と義父は言われていました。70坪の敷地に建立するお墓の大きさには驚きましたが、それでも沖縄ではどれほど大きくないそうですし。

 さて10年間お墓は野ざらしになっていました。父(享年100歳)が5月に亡くなり、49日の納骨もするので、墓石屋さんに父の名前と死亡年月日と年齢を刻んでいただきました。納骨のやりかたも教えていただきjました。納骨室は2段になっているので、父の骨は1番右手に置くように言われました。
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 10年間全く来ることがなかったので墓石も汚れていました、納骨前の土曜日に現地へ行き、墓石の汚れ落としをします。また当日雨だとつらいので、墓石屋さんが組み立て式の小型テントを貸していただきました。
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 なにかと用事がたくさんあるようです。家内から前日は「サッカーW杯観戦を控えるように」との沙汰が出ております。

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2018.06.19

父から教えられました


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 父が亡くなって1カ月以上が経過しました。いろいろと手続きや届け出などが煩雑にあり落ち着かない日々を過ごしています。

 6月17日は珍しく高知新聞の「声・広場」欄に投稿文が掲載されていました。最近は私の投書はまずは掲載されることはありませんから。「父の日特集」と言うことで。父親に関する投書が特集されていました。徳久衛さんの投書も掲載されていました。

 「他人を思いやる心が自然に芽生え」などと書いているが、家族にとっては「あんたは感情的にわめいていることも多く、ありえない。」と辛らつに批判されています。常に身内の評価はシビアなものです。

 寝たきりになっても、介護状態になっても、父は「人間の尊厳」を保っていました。それは最後まで私は感じていました。前日「明日は海へ行ってくる。夕方になるけれど寄るから」、「行って来い」と言ってくれました。「海の散帆」へ行かしてくれた父には感謝しています。

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2018.05.15

ほのぼのとしたお通夜でした

今日は義母の命日

 今朝の事務所の気温は21度。湿度は62%です。お天気は快晴。天気図でもダブルの高気圧に覆われ腫れが続きます。[夏日」になりそうです。

 今日は父(98歳11月で死去)の葬儀です。義母(享年70歳)の命日でもありました。沖縄が日本に施政権が返還された日でもありました。

 義母の葬儀は5月17日頃でしたが、前日ろうそくの火を絶やさないとのことで、義母と一緒に同じ部屋で夜を明かしました。

 朝葬儀社が来てそのまま火葬場へ。骨を骨壺に納め告別式をしました。終了後識名にある一族のお墓に納骨しました。

 沖縄は5月はもう夏なのですぐに火葬にしました。22年前のことですが覚えています。当時高校生だった息子と小学生だった娘に聞きましたが、覚えていないとのことでした。

 昨夜の父のお通夜にご多忙の中参列していただきました皆様には御礼申し上げます。父は満年齢は98歳と11月ですが(6月が来れば99歳)、表記は100歳でした。

 ほのぼのとしたお通夜でした。病院で管に繋がれ苦しみぬいた最期ではなく、普段どうり眠りについての安楽な父の最後のようでした。顔も実に安らかでした。

 今日は葬儀ですが、ほのぼのと実施できるいように努力します。人世に区切りをつける意味では最高の終末を父は迎えることができました。それは良かったと思われます。

 父も家族も悔いは全くないと思いました。

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