死生観・終末観

2016.10.16

従兄弟夫婦のルーツ訪問に同行しました

 7月に北海道在住の叔母田村好子が94歳で他界しました。うちの母(90歳)の姉です。キャラクターが全く異なります。母と違い自分の子供時代のルーツを覚えていて、高知へ来れば、丹念にゆかりの人達を訪問していました。

 その叔母の意志を継ぎ従兄弟夫婦が叔母の遺影と家族葬のアルバムを持って訪問しました。わたしは運転手です。母は叔母の実妹(4歳違いの)ですが、子供時代のことなど話をしない人でした。

 「記憶は上書き保存」されてしまうので、昔のことに拘らないあっからかんの性格は母。叔母はとことんこだわる。世界観がまるで異なるので話を聞くだけで面白い。

 叔父夫婦にも久しぶりに会いました。祖父母の仏壇に祈祷しました。
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 帰りにいの町の紙の博物館へ寄りました。従兄弟夫妻の2ショット写真も撮りました。
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2016.10.09

家族葬で叔母を見送りました。

 2016年10月9日は正午からの葬祭会館での告別式。超高齢の両親(父97歳・母90歳)も参列を決めました。早めの食事を軽めに10時半過ぎからとりました。11時過ぎからトイレへ行ったり、喪服に着替える時間です。どうしても手際よく行かないので、出発は11時40分過ぎになりました。遅刻覚悟です。


 昨夜のお通夜は夕方でしたので道路が渋滞。早めに出ましたが時間がかかりました。今日は休日で空いていたので、告別式が始まる前になんとか遅刻せずに到着しました。
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 告別式は無宗教、家族葬ということで、ごく近しい親戚筋だけでした。喪主の意向で勤務先や近所にも告知しないのでこじんまりとしたほのぼのとしたお通夜であり、告別式でした。
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 無宗教葬なので僧侶の読経はありません。その代り叔母の人生のメモリアルDVDが上映され、式場の係りの人がナレーションをされていました。焼香はありました。」
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喪主の山崎義和さんが挨拶されました。

「身近な人たちに見送られ旅立つことが母の望みです。本日は皆様ありがとうございました。」と・
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 出棺時にはお花を棺に入れました。最後の霊柩車の見送りと言う段になり、父(97歳)がトイレに行きたいと言い出しました。一緒に行きました。喪服を着ているので用足しするまでに時間がかかりました。無事に終了。出て見ると霊柩車は既に出発していました。母が見送りましたのでよしとしましょう。
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 週初めは叔母益猪(100歳没)の通夜と告別式。水曜は母の友人のご主人のご逝去。(仕事と重なり式には出れず、香典を事図家ました。)。週末は仲猪叔母(90歳)の通夜と告別式。お見送りをすることは切なく辛いものですね。なんだか疲れました。

 こじんまりした家族葬でも葬儀のコストは一般葬と変わらないでしょう。 なにを言っているのかわからない僧侶のお経を聞かなかったので、「無駄な時間」はなかったように感じました。(ちゃんとお経の意味はあるんでしょうが、不勉強ですので)

 「義理を果たす」ことはエネルギーはいりますね。超高齢の両親も頑張りました。今日のお勤めは終わりです。

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2016.10.08

しみじみとした叔母のお通夜

 今週は3日・4日と100歳で逝去した叔母の田植益猪の通夜式と酷ベル式がありました。週末の今日は叔母の山崎仲猪のお通夜に行きました。ご家族の意向で新聞広告も出さず、いわゆる葬祭会館での「家族葬」でした。

 来ているのは近しい親類一党のみ。うちの超高齢者の両親も連れて来るべきですが、母(90歳)の便失禁が酷く、父(97歳)も無理させてはいけないので欠席させていただきました。

 普段めったに会わない従兄弟連中と話をするのもいいものです。話しこみました。

 叔母仲猪は、父の6つ違いの妹です。大正14年生まれですので、母と同年です。嫁に行って農家の仕事と子育てで大変でした。自分が進学できなかったので、3人の子供たちには教育をつけ立派に育て上げました。

 2年前の本家の叔父(父の6つ下の弟)の初盆の時は、100歳で逝去した叔母も、今日お通夜の叔母(91歳)も皆来ていました。今日のお通夜に来ていたのは、本家の叔母(90歳)だけでした。超高齢者はどうしても義理を欠くようになりますね。
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 叔母の写真も微笑んでいい表情をしています。また従兄弟たちが共同で書いた追悼文もなかなかいいと思いました。自分の言葉できちんとした母親への追悼になってますから。家族葬もいいものですね。

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慌ただしい1週間でした。

 3日の私の誕生日は、100歳で逝去した叔母のお通夜。4日は告別式でした。超高齢者の両親(父97歳・母90歳)の付添で葬儀に参列することは、それはそれで結構大変でした。

 5日は台風18号の影響で竜巻が発生しました。警報を信じ、植木鉢などもすべて倉庫に入れていたので幸い被害はありませんでした。6日・7日はメーカーの人が来社。2日に渡り懇談し、同行訪問しました。その後両親を主治医である横田胃腸科内科へ連れて行き診察していただきました。
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 父の血圧は134-72、母は124-62でした。2人とも「医学的所見はない・」とのことでした。最近父の物忘れや言動がおかしいと感じることがあるので、横田哲夫先生と相談し、近くに近森病院で認知症の判定をしていただくことにしました。

 やれやれと言うところですが、10月7日の夕方は下知地区減災連絡会の役員会があります。地域の活動は公共性があるので、気が抜けません。週末は海の上でのんびりしたいところですが、悪天候の予報になっています。

 父の妹の叔母が亡くなったとの連絡が従兄弟からありました。母と同じ年の91歳でした。

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2016.10.04

ほのぼのとした100歳叔母の告別式


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 昨日と同じ会場のいの町波川の葬儀所で、100歳で逝去した叔母田植益猪の告別式が行われました。午前11時半からの式ですが、うちの超高齢者の両親(父97歳・母90歳)は午前10時前からトイレへ行ったり、喪服に着替えたり準備をしていました。
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 それで10時半過ぎに出発しました。高速経由で行きました。告別式には、うちら親戚筋だけでなく、田植光男・慧子夫妻の交流関係者やご近所の人達も参列されていました。

 土佐市の浄土真宗西本願寺系の僧侶の読経。梵語に振り仮名をふっているお経を朗々たる美声で読んでいますが聞く方は何のことわからない。僅かに最後のほうで日本語での解説文の朗読はわかりました。
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 続いて喪主と親戚筋の焼香。僧侶によれば浄土真宗は、御香は一度だけ鉢にくべるだけとか。後は念仏らしい。喪主の田植光男が一般参列者の焼香時に横に座ってお礼を言っていました。
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 叔母は100歳まで生き、天授を全うしたので、葬儀自体もほのぼのとしていました。出棺時にが生花を葬儀会社の人がちぎり、参列者に渡しました。みるみる棺は花で埋まり埋まりました。
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 出棺前に喪主の田植光男が挨拶しました。
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「母は若い頃は働きづめでした。7年ぐらい父の仕事で関西にいました。戻ってからは農作業に紙すきにと働いていました。年取ってからはゲートボールや旅行へいって人生を楽しんでいました。

 私たちが実家へ戻ってきて今年で10年目になります。母は晩年介護が必要となっても手がそれほどかかりませんでした。お仕事へ行くと言って喜んでディ・サービスへ行っていました。2年ほど前に完全看護の今の施設へ入所してからも、にこにことしていました。

 9月2日に満100歳になり、内閣総理大臣安倍晋三から表彰状と銀杯をいただきました。23日に見せますと、銀杯よりお金をくれたらいいのにと軽口を母は行っていました。
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 30日も午後4時半まで一緒にいましたが、元気でした。午後6時半頃巡回の看護士さんが母が息をしていないことに気付き、救命措置をしましたが、午後7時58分位に亡くなりました。老衰であるとの事でした。苦しんだ様子はありませんでした。

 2年前に私の2人の兄たちが相次いで亡くなりました。田植の家は私と慧子で守っていきます。皆さま末永くよろしくお願いします。」と淡々と話しました。

 出棺時にまず親戚筋の男として担ぎ、ご近所の男衆に引き渡し、霊きゅう車に入れてくれました。出棺をお見送りし、叔母の告別式は終わりました。
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 やはり超高齢者の両親には告別式出席は心労であったようでした。通夜と同じく告別式前に、トイレへ行きたいと叫ぶので連れて行きました。無事に小水をすましました。指揮が終わり高速経由で30分ほどで事務所へ帰り着きましたが、父は今度は便意がありトイレに間に合いませんでした。礼服はセーフでしたが、下着は便まみれに。

 服を脱がして浴室へ誘導。温水シャワーで流し石鹸で体を洗い、頭も洗いました。シャワーすると父もすっきりし落ち着いたようです。今日は月に1度の老師の整体の日。昼食で体をほぐしていただきました。なんだかんだと1日が終わりました。

 

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2016.10.03

100歳の叔母のお通夜に行きました。

 2016年10月3日は、叔母である田植益猪(享年100歳)のお通夜にいの町波川にある葬儀所へ両親と一緒に行きました。父(97歳は)介護予防通所リハビリへ行っておりました。母(90歳)は1日ディ・サービスの日。2人とも午後4時過ぎに戻り、おやつを食べて一服。ほどなく喪服に着替えることに。

 それがなかなか難航。母の方が家内がサポートして着替えました。父は私がしましたが、ズボンがややきつめ。最近はスーツなども着用しないので、黒のネクタイを結ぶことも忘れています。なんとかかんとか着替えさせました。
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 午後6時からが通夜式なので、5時過ぎに事務所を出ましたが生憎の渋滞。遠回りですが高速道路経由でいのインターから西バイパスを走行し、なんとか時間前に着きました。

 田植家は喪主の田植光男さんの兄2人が2年前に相次いで亡くなり親戚が少ない。叔母の兄弟姉妹は父を含め3人生存していますが、2人は入院中で出て来れないとか。90歳代の参列はうちの両親だけでした。

 これから僧侶の読経が始まる直前に、父が会場に響き渡る大声で「トイレへ行きたい!!」と叫びました。父をともないトイレへ。それが意外に遠い。なんとかもらさずに間に合いました。

 僧侶の読経が20分ほど続きました。浄土真宗西本願寺のお経だそうですが、何を言われているのかは不明。やがて焼香の時間です。父も足元がふら付くので一緒に昇降しました。母は何故か「焼香をしたくない」とごねるので強引にひっぱり焼香させました。

 通夜式の終わりは田植光男さんが挨拶しました。
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「母は大正5年生まれです。今年の9月2日に100歳になりました。15日付で内閣総理大臣安倍晋三名の表彰状と銀杯を23日に頂き喜んでいました。30日にも午後4時まで一緒に病室で話していました。また明日ということで別れ、それから眠りにつき、午後8時に永眠しました。苦しむ様子もなく眠るような最後でした。

 若い頃は苦労し、父の仕事で大阪へ行ったりしていました。戻って来てからも農業仕事以外に紙漉きへ行ったりしていました。ゲートボールに打ち込んだりもしていました。みなさんにお世話になり100歳まで生きることが出来ました。母の人生はいろいろあったんでしょうが幸せであったと思います。」


 父の兄弟姉妹は8人で、叔母は2番目で父は3番目です。
 叔母の嫁ぎ先は、戦前ブラジルへ渡り、うまくいかなくて引き揚げ借金だらけでした。叔父と叔母は懸命に働きすべて返済し、田畑もすべてとりかえしたそうです。

 叔母には3人の男の子がいましたが、1人は兵庫県の教員、1人は県庁職員、1人は東京で福祉事業所に勤務していました。元気な人でご近所のゲートボールチームで活躍していました。叔父が亡くなった頃から弱っていました。

 でも末っ子夫婦である従兄弟の田植光男・慧子さんたちが戻ってきて、各段に元気になりました。光男さんご夫婦は東京時代のマンションを売却し、実家の田植えの古家を大改造してバリヤフリー住宅にして叔母の介護をしておられました。

 慧子さんが在宅介護の無理もあり、叔母は2年前から通所していた施設へ入所していました。超高齢者ですが認知もなく元気な人でした。ただ最近は口から食べれなくなり弱っていたと聞いていました。
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 叔母は柔らかな表情で写真に写っています。100歳の表彰状と銀杯も撮影しました。
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光男さんの奥さんの慧子さんとうちの両親の3ショット写真を撮りました。
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 明日も葬儀に連れてこようかなと思います。やはり元気とは言え超高齢者2人のケアはしんどいものです。今日はわたしの誕生日でしたが、100歳の叔母がお祝いしていただきました。苦労していても苦労していることを表情に表さないタフなおばでした。
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2016.09.30

叔母が100歳で亡くなりました。

さきほど従兄弟からの連絡がありました。

「母が午後8時に息を引き取った。まだ暖かい。苦しまず眠っている中で逝ったようだ。午後6時に元気でにこにこと挨拶していた。」

「2日に100歳の誕生会を一族で行った。23日に町から銀杯と表彰状をもらったばかり。ほっとしたこともあっただろう。」

 まさに大往生と言えますね。月曜あたりが通夜式で、告別式は火曜だろうか?台風18号が心配です。

 3歳下が父(97歳)です。人はいつかは亡くなります。北海道の叔母も先月亡くなりました。94歳でした。うちは父(97歳)と母(90歳)が元気でいるだけで感謝しないといけないと思う。合掌です。

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2016.07.09

閖上復興だより39号が送られてきました。


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 宮城県名取市の沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区。仙台空港にほど近い場所の住宅地でしたが、2011年の東日本大震災で大きな被害を受けました。現在地域の復興工事が急ピッチで進行しています。

 閖上復興だより39号(編集長・格井直光さん)においても、復興工事の進展や、復興住宅入居情報などが掲載されています。素晴らしいのは閖上地区の皆様は甚大な被害を受けられ、未だ復興の最中ですが、2016年4月に発生した熊本地震の支援活動や応援支援活動も積極的にされておられます。
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 実際に現地で20日間の支援活動をされておられた方の現地レポートも掲載されています。貴重な情報です。「熊本地震応援メッセージ」も大きく掲載されています。

 またこの「閖上復興だより」は、「地域企業の広告掲載料や、個人・企業のサポーターからの寄付で発行費用はまかなわれている」ことです。
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 下知地区防災計画=事前復興計画=下知が幸せになる物語を目指していますが、私たちも閖上復興便りのいような、地域コミュニティ誌を発行したいと思います。

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2016.06.05

人生の終末を考えてみました

 雨の続く梅雨の季節。今朝はぎりぎりの状態で、町内の防虫消毒噴霧とゴミ拾いが実施できました。自宅へ戻り。シャワーをしても服に着替え、Sさんの告別式へ行きました。

 実は28年前に一緒に野外リックコンサート開催・運営に汗を流したOさんから週末にSさんが逝去されたことを聞き驚きました。その時もSさんにはお世話になりました。クレーバーで元気な人でした。欧州から雑貨を輸入して販売されておられました。沖縄フリーゾーン構想があった時に、一緒に沖縄へ行ったことがありました。

「シンガポールや香港は自由貿易ゾーンです。しかし法律が異なるので非関税障壁になる場合がある。沖縄は日本。日本の法律が適合するのでトラブルはない。」というお話も聞きました。ローカルのちまちました商人に過ぎない私には貿易など雲の上の話でした。

 内臓の癌が判明した時は末期状態であったとか。自宅へ戻り3日後に急逝されたとか。まだ65歳でした。これからの人だけに惜しまれます。

 葬儀の最中に東京の学生時代のサークルで同級生のA君から電話が着信していました。同じサークルであり、同じクラスの同級生のI君がひょっとしてある内臓癌で第4ステージ(末期)でしたので、「もしや」と思いました。そうではなく元気そうで抗がん剤で頭が禿になったが声は元気だとの報告でした。10月に東京へ行くのでなんとか会うようにします。
 
 Sさんの出棺まで見送り、今度はUさんの葬儀に行きました。享年90歳で母と同じ年。高知の老舗企業の創業者。後継は息子さんたちが立派に継承され社業もご発展されています。大往生と言えると思います。ご逝去の要因は内臓の癌との事でしたが、高齢であるために進行が遅く、発見から3年間生存されました。

 大変な参列者であり、経済界の重鎮の人達も最後までおられました。
葬儀の時間も長かったのは、参列者のご焼香の時間に配慮したのでしょう。

 今日は「人生の終末」について2つの告別式に参加して考えました。誰にも人生の終末が来ます。ご納得して旅立つ人は少ないと思います。長寿と言われた人でもこの世に未練はあると思います。

 数年前に高校時代にともに活動した友人を見舞いに行くことがかなわず,急逝したことはショックでした。この秋には上京するので、なんとか時間を工面して学生時代の同級生と対面したいと思います。
 
 私にも必ず人生の終末が来ます。納得して旅立てないとは思います。未練たらしくやり残したことも多く旅立つことでしょう。

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2015.12.01

水木しげるさんのご冥福をお祈りします


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 妖怪漫画家の水木しげるさんが昨日93歳で他界されました。とても存在感のある漫画家であっただけにご逝去は残念ですね。作品から不気味な印象もあった水木しげるさんですが、2010年の「ゲゲゲの女房」で取り上げられたこともあり、再ブレークしましたね。

 アンパンマンの作者のやなせたかしさん同様に、兵士として戦地へ行かされ、生きのびた人だけに、作風の中に、骨があり平和を嘆願する気持ちの強さが自然体で描かれています。

 今年の8月にビックコミック・オリジナル「戦後70年特別号」にも水木しべげるさんは「人間玉」という濃厚な作品を寄稿されていました。

「「人間玉」という作品は、水木自身の戦争体験に基づき描かれています。輸送船の船底に詰め込まれた兵士たちが南方戦線に送り込まれる様子が克明に描かれています。

 旧日本軍は兵站を軽視したがために、輸送船は米軍の攻撃で大半が沈没しましたS。戦地の日本軍兵士には食料や武器の供給もなく、多くは栄養不良で亡くなりました。

 戦争の馬鹿馬鹿しさ、愚かさを水木しげるさんは多く描かれていました。ご自身も爆撃で片腕を失っています。片腕1本で漫画家でのし上がりました。1つの世界をこしらえた人ですね。

 戦後70年に愚かな戦争を熟知していた水木さんが亡くなりました。再び日本を戦争に巻き込もうと言う輩の者たちの声が大きいようですが、「とんでもない」お話であることは、水木さんの作品を一読すれば理解することが出来る筈です。

 心よりご冥福を申し上げます。

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