死生観・終末観

2023.02.07

両親は仲良く納骨されました。

両親は仲良く納骨されました。
西村家・墓標2023年
2023年2月5日に母・春子(97歳没)の49日を行い、納骨をしました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-32ab25.html
(母の49日が終わりました。)


 その折叔母が「昔の写真がうちにありましたので、持参しました。」と言われ、大昔の白黒写真をいただきました。
両親・私・_NEW
 若い両親と子供時代の私が写っています。私が誕生直後には祖父母と母と叔母が一緒に写っています。皆私以外は鬼籍に入りました。
祖父・私・母・叔母・祖母_NEW
 納骨時に墓標には、父100歳没、母98歳没と刻まれていました。なんだか母の強度の在宅介護があり、12月に旅立ちがあり、葬儀や各種手続きで年末年始になり、大雪もあり、値上げラッシュで対応に追われ、通販のHPも価格訂正をしました。

 すべて値段を改定し、お客さ若き両親と私・六甲山_NEWんに見積もりもすべて渡しました。公私ともに多忙から解放されました。
そしたら「気が抜けた」と言うのが、やる気が起こりませんね。遠い昔の写真を眺めています。当時は両親も若かったです。

あらためて家族写真から当時の社会の様子がわかりますね。
母と私・比叡山・1962年_NEW

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2023.02.06

母の49日が終りました

高蓮寺
 昨年12月19日に97歳で旅立った母の49日の法要を高蓮寺にておこないました。母の兄弟姉妹で唯一生存している叔父(81歳)も高齢をおして叔母と息子さんと3人で来てくれました。母方の従兄弟2人と、父方の従兄弟夫婦と従兄弟2人の4人が来てくれました。
高レンジ祭壇
 皆それぞれ忙しいのに来ていただいて良かったです。母も喜んでいるでしょう。僧侶の読経も浄土真宗ですが、比較的わかりやすい。広く大衆に受け入れられた理由がわかるような気がします。


 


 49日の意味を調べてみました。

仏教では、亡くなってから四十九日までの間、七日ごとに七回の法要があります。 一般的には初七日を除く法要は遺族だけで行なわれますが、49日目にあたる日を「満中陰」と呼び、この四十九日の法要をもって忌明けとされます。
読経
法要後は納骨のためにいの町の墓地へ行きました。お寺に来ていただいた親類は皆墓地まで行ってくれました。


 


僧侶の指示で読経前に納骨をしました。5年前に他界した父と仲良く納骨しました。納骨室の石の扉は重い。息子に開けてもらいました。お線香に火をつけた焼香していただきました。
納骨
 兄弟のいない私は親族が少ないので、ありがたいことです。ほのぼのした49日でした。今日は天気も温暖で風がなく寒く無くて何よりでした。墓地も寒くはありませんでした。
納骨参列2
 母に関する行事はとりあえず終わりました。なにか気が抜けたようになりました。戻ってから歩いて買い物に行きました。今日は14171歩でした。
墓標

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2023.01.15

母の同級生の健在ぶりに感激

 昨年12月19日に97歳で旅立った母ですが、母の女学校時代の同級生Mさんが健在であります。2023年1月15日(日曜)ですが、自宅をお訪ねし面談しました。

「おばちゃんはお母さんより1つ年上。高等小学校卒で女学校に入ったので1年遅れでした。お母さんとは娘時代からの友人ですよ。」

 今年98歳とか。3月で満年齢99歳。要介護認定は受けてはいますが、自分の足で歩いてトイレへも行けるし、食事も一般食を自分で食べられる。全く認知症ではなく、記憶も確か。とてもお元気でした。

「あんたのお母さんとは、はりまや橋の100歳体操へも一緒に行ったし、両方の子供が学生時代は、一緒に京都へ行ったり、東京へいったり、熱海へ入ったり遊びまわっていましたね。楽しい思い出です。」

 母に関する情報の「貴重な生き証人」なので、前から母に関して以前聞きたいことがありましたので、お聞きしました。

「母が1年で女学校を中退して、岡山の女学校に転校しています。そのへんの理由を知りませんか?」と聞きました。

「それは何が理由なのか思い出せませんね。」とか。かれこれ83年ぐらい前なので覚えていないか、忘れても当然ですね。

 もう1つ。「母の戸籍を取得したときに22歳の時に現在の南国市へ嫁に行き、1年後離縁して実家に戻っています。そのあたりの事情は知りませんか?」と聞きました。

「その話はおばちゃんも知らんです。初めて知りました。」とか。交流には濃淡があり、特に深い付き合いになったのはお互いの息子が大学へ進学し、それから連れこって旅行に行ったりしていたことからのようです。


 そのあたりの記憶はわたしも断片的な事しか覚えていませんでしたが、それをお話ししますと、思い出したと言われていました。その頭脳明晰ぶりには感心しました。


 Mさんは、ご主人や最愛の息子さんにも先立たれ、現在は気丈にも1人暮らしされています。

 またおばさまは、「つい最近」まで車の運転をしていました。車で県内のあちこちに趣味の民謡の指導などに行っていました。三味線なども指導者になっていたとか。旋律を覚えないといけないし、車の運転もしていたので、認知症の予防になったいたのではと推論します。

「週に3回介護の人が自宅へ扱いてくれて、お風呂に入れてくれたり、買い物してくれる。1人暮らしだからなるべく自分でできることはやるようにしている。」とか。

 「あんたは息子のようなものだから、時々遊びに来てください。」と言われました。わたしも母親に会った気分です。母の亡くなる直前の状況や、最後の様子も報告しました。他人とは思えない近しさを感じました。喜んでくれました。

 また訪ねてきますと言いました。なんだか心強く感じました。Mさん100歳超え迄健康で長生きしてください。と心底思います。

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2022.12.26

母・春子が逝去して1週間目

 父が4年前に亡くなった時に、葬儀屋さんの紹介で檀家になりました朝倉の浄土真宗本願寺派高蓮寺 。母の通夜式と葬儀には住職さんに葬儀所へ来ていただきました。

 その時に「初七日の法要を一緒にせず、可能なら午前6時に高蓮寺に来てください。」と言われました。私は新人深い門徒でもなんでもない人減ですが。早起きなので、行くようにしています・(行くことがあれば報告します。)

 母は師走のせわしい時にコロナになり、1週間で治ったものの体力を使い果たし19日の朝に永眠しました。寒い時期故死亡者も多く、葬儀社も火葬場との調整に苦労されていました。

 またコロナ禍でもあり、母の身内にだけに連絡して「家族葬」形態でこじんまりと21日に通夜、22日に葬儀をしました。また22日は葬儀後に火葬場へも行き、母の骨を自宅にに持ち帰りました。


 葬儀の翌日の23日は高知市は記録的な大雪になりました。なんと15cm積もりました。泊り町の息子は大雪で会社に来れませんでした。私の乗用車はスタッドレスにしているので走行出来るので、配送に出ていました。


 慌ただしい1週間でした。今週は役場に母の死亡届を出し、年金事務所と法務局へも行かないといけないです。銀行へ行く用事もあり、あいさつ回りものこっていてせわしい。実質3日で今年も終わりですから。

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2022.10.18

父の墓参りに行きました。

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母(96歳)が10月16日はショートスティに行っている間(16時には戻ります。)に父の墓参りに家内と2人で行きました。
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3月のお彼岸時期は母が一時退院して自宅介護の最中で行けず、9月は悪天候もあり、本格的な母の在宅介護中でいたので行けずじまいでした。
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さすがに広い墓地ですが誰もいませんでした。父も慢性腎不全になりながらも100歳まで生きました。家族皆の健康を祈りました。
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2022.09.22

エリザベス女王国葬 

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2022年9月19日ですが、NHK総合テレビは、英国王室のエリザベス女王の国葬を夕方の19時から生中継していました。

 エリザベスさんは70年も元首として堂々とされていました。立憲民主制ですので「君臨すれども統治せず」を貫きました。1926年生まれですので、うちの母より1学年下ですね。
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 日本の皇室のお手本でした。英国国民の多数が弔問に訪れ、街頭に繰り出しました。
格式と伝統の力でしょうか、荘厳。大英帝国の名残なのでしょうか。
写真撮るとどの場面も見栄えします。さすがです。
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9月27日に1政治家の「国葬儀」が日本武道館で行われる。なにかと比較されますね。国葬に反対する世論は6割を超えました。さてどうなるのでしょうか?
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2022.06.17

母がデイサービスから戻りました。


 要介護5の母(96歳)3日目です。午前10時前に老健施設会い甥の送迎車が来ました。母は車いすごと送迎者に乗り込みました。後部にリフトがついている送迎車です。

 15日に細木病院を退院。そのあと介護担当者会議。昨日は南先生(みなみ在宅クリニック)の診察を受けました。101日の入院生活とは対照的にせわしい毎日に、母も驚いて老いることでしょう。

 刺激のない101日の入院生活で寝てばかりでしたので、慌ただしい毎日に早く慣れてほしい。刺激があると体も元気になると思いますから。

 16時過ぎに戻りました。「とまどいながらも元気でおられました。」との報告がありました。何よりです。

 まだ3日目ですが、なんとかなるでしょう。沖縄の言葉では「なんくるないさ」です。

 生老病死は人間誰もがたどる道です。母が身近にいるだけで、嬉しいと思いました。昨日抱えるタイミングを間違い腰痛になりかけました。堀川浮桟橋を1周歩くと治りました。


 在宅介護生活でも早朝の腰痛改善リハビリ・ウォーキングは継続します。

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2022.06.15

要介護5の母(96歳)の在宅介護がスタートします。

 2022年6月15日(水曜)ですが、午後13時半に54日間お世話になった細木病院を母は退院し自宅に戻ります。介護タクシーで帰ります。

 思えば「誤嚥性肺炎」で1月14日に高知医療センターに緊急入院して、2度にわたる高知医療センターへの入院と細木病院の転院で、101日間の入院生活でした。

 1月から6月15日まで166日ですが、入院した日は、高知医療センターと細木病院で101日間でした。今年に入り60%は入院していたことになります。身体機能も「寝たきり」では低下するのは当たり前ですね。

 今日は午前10時半過ぎに病院へ行き、先に入院費用を支払います。11時に母の入院室に来るように言われています。早めの昼食であるペースト食の食事介助のレクチャーをしてくれるようです。

 食事が終われば、母が飲み込めない食べかすの「吸引」の作業手順を習います。私は不器用なので1度や2度操作しただけでは上手くいきません。15秒以内とか言われました。

 荷物をまとめます。介護タクシーが13時半に病室まで車椅子で迎えに来ていただくので、一緒に付き添い退院し、自宅へ戻ります。

 要介護5の母の在宅介護が今日から始まります。

 FBの友人である村山和彦さんは人生の大先輩。村山さんは、介護保険のない時代にご両親の介護をなさり看取られました。

「親を送り出してから1人前」と言われました。その言葉が今は身に沁みます。

 今回も特養や療養型病院、老健施設などへの入居の申し込みはしています。今日の退院と即転院とはなりませんでした。

 何より大きいのは家内が母の在宅介護に賛成していただいたことです。母の生活空間は2階です。1階は会社の事務所です。私も家内も現役で働いています。2階まではわたしがおんぶラックで母を背負い階段昇降します。

 仕事の方では取扱品目の値上の交渉や、品切れの対応に追われています。4年前から始めた新規事業も軌道に乗りつつあり、手を抜くことは出来ません。

「在宅介護しながらテレワークで仕事する。」ことになります。テレワークも在宅介護も慣れていないので苦労はするでしょう。

「要介護5の母親の在宅介護」は事例が少なく珍しいかもしれません。可能な限り、報告します。へばる可能性もありますから。

 個人ブログなどにも掲載していきます。

 仕事と在宅介護に費やす時間が増加します。そうなると地域防災活動の時間が減少します。夕方以降の会合は今のところ出席できませんから。

 地域防災活動は代役がいくらでもいますが、母の在宅介護は家族しかできませんから。もちろん訪問医師や看護師、」言語聴覚士、理学療法士らの専門家のお知恵やサポートも受けながら紀子入れたらいいなと思います。

 6月14日までに仕事関係と地域活動は6月分は済ませました。6月末までは、在宅介護についてのレクチャーを真摯に受講し、自分のペースをつかみます。

 

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2022.04.17

96歳の母は前途多難

 2月21日に今年2回目の緊急入院した96歳の母です。
超高齢者になりますと皮膚が「極薄」になるようです。
 入院の直接的な原因は両足が低温火傷(左足)と擦り傷(右足)の患部が化膿し、壊死を一部起こしていたようでした。
 入院時の診断は「両下肢蜂巣炎・横紋筋融解・廃用症候群・誤嚥性肺炎」でした。いずれもほぼ完治したようです。急性期高度医療病院は、そうなると退院をせかされます。
 家族としては原則自宅介護を望んではいますが、1か月も入院生活で身体機能はリハビリを少ししたとはいえ、格段に落ちていると思います。それゆえリハビリと治療をしていただく病院に転院して、自宅へ戻りたいことが希望でした。
 コロナ禍でもあり、病院や療養施設に入居しっぱなしで、家族ですら面談することもかなわず、昨年90歳の叔母が2人亡くなりました。葬式すらできませんでした。
 母を在宅介護して、可能なら看取りまでしてみたい。そう思いました。しかし現実は甘くはなく、とてつもなく家族の負担は重くなるそうです。それはそうだと思います。
 転院先病院が見つからないようです。理由は母が老い先短い超高齢者であること。リハビリは改善の見込みがある人優先のようです。超高齢者で改善の見込みが薄い母は敬遠されました。
 更に病院側が受け入れれを拒むのは「最初は家族の意向で在宅で頑張ります。」と言ってもあとから「やはりそうれは無理だ。」と言ってくる事例がとても多いそうで、そうなると病院側も受け入れざるをいえなくなり、退院してくれとはいえないので困るということですね。
 その理由もわかります。療養型施設も常時キャンセル待ち状態。入居者が亡くならないと入所出来ない状態とか。要するに超高齢者は「行き場がない」というのが現実のようです。
 「最悪はうちの病院(高度医療機関)から自宅へ直行になります。受けいれ体制だけは整えておいてくださいね。」と言われました。
 いよいよ来るべき時が来ましたね。週末は掃除して部屋をかたずけます。

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2022.04.13

自宅を終の住処にする方法

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 「施設に入らず 「自宅」を終の住処にする方法」(田中聡・著・詩想社新書・2021年刊)を久しぶりに図書館で借りて読みました。

 まさに96歳の母の老老介護(現在は母は医療センターに3月21日より入院中)に追われる私にすれば、「教本」になるやもしれないと思い、オーテピアで予約申し込みを3月初めにしていました。3週間後の3月30日に下知図書館から連絡があり、ようやく借りることが出来ました。

 筆者の田中聡氏は建築設計士であり、介護施設の施設長もされておられました。その知識と経験からの表題のような提案をしています。

 ただし一読して見て、自宅での在宅介護は、比較的介護度の低い場合のお話が主体であり、うちの母のように96歳という超高齢者で、要介護3(4が出る可能性があります)の場合は、てきようしないのではないかと思いました。

 記述の中で身につまされた箇所がありました。(長文引用します。)

「介護のために家族が仕事を辞めることは絶対に避ける。あくまでも仕事を続けながら、できる範囲での介護を行う。足りない部分は介護保険サービスなどをうければよいのだ。」(P77)

「介護生活において絶対に100点満点を目指してはいけないということだ。介護するほうもされる側も、ほどよい距離を保ちながら60点ぐらいを目標とし、樹歳は30点ぐらいでもお互いに我慢が出来れば成功とかんがえてもよいくらいでいいのだ。」(P78)

 記述は「一般論」としてさらりと書いてありますが、1番身に染みた言葉でした。

 介護は撤退戦と割り切ろうと筆者は述べています。なるほど。

「仕事が出来る人ほど「介護敗戦」に突き進む。

中略 介護に対して、真面目に前向きに、まさに仕事と同じように取り組んでしまい。仕事が出来る人ほど、これまでの成功体験を介護でも適用しようとしてしまう傾向があるという。

 しかし仕事に向かうように介護に取り組んでしまうと、それは「配線」への直行ルートである。」

「その理由は、仕事に対しては目標を設定し、綿密なスケジュールを立て、自ら汗をかいて実行する。その目標は、ほとんどの場合は成功や成長という結果にリンクしているはずだが、介護は貢献が報われることのない撤退戦だ。」

「前進の期待があるからモチベーションを維持できるが、介護ではむしろ諦めなければならないことが多々起きる。昨日よりは明日の成長を目指す仕事のメソッドとは違う方法論が必要だ。」(P80)

「じりじりと悪化する状況を前提においたとき、最も必要なのは、その戦線を受け持つあなたが最後の瞬間まで戦い抜く精神力を維持することだ。」

「そのために必要なことは、一人で何もかにもやろうとせず、組織や社会の力を借りる。人に相談して悩みをわかってもらい、支援をうけることだ。ただ、肉親が相手だと冷静に判断実行するのは非常に難しいことになる。」

「介護にあたって必要な心構えは「現場の働き者」になるのではなく、プロジェクトマネージャーとしての「マネジメント」を常に意識することだ。

 マネジメントの最大の目的は、いわば顧客であるお父さん、お母さんの幸せの達成だ。そのために必要なのは、介護プロジェクトのマネージャーであるあなたの心と体の健全さと収入をお維持することだ。」

「ケアマネやヘルパーさんらの介護のプロは、あなたのプロジェクトに参加してくれるプロフェッショナルのスタッフだ。

 介護が必要な人に対して、なんでもやってあげるのではなく、その人がまだ持っている力を引き出しながらの関りが重要で自分で出来ることは自分でやってもらう。

 その見極めが出来れば、身体の衰えの進行が遅くなることが期待できるし、介護の作業量の伸びも緩やかになる。」

「そうしたプロの力も借りながら、介護プロジェクトを動かすマネージャーとしてある程度安定した介護体制をつくることを目指すべきである。

 そして安定した介護体制をつくることが、仕事と介護の両立には最も重要なことである・」(P81「老親を施設に入れず、自宅で介護するための心得」)

 年明けからの母の緊急入院2回と、急激な身体機能の衰えは、「ショック」でした。懸命に介護しても報われない現実に何度も打ちのめされました。

 それはどこかで「100%回復しろよ!」を叫んでいた自分がいたのでしょう。ケアマネさんは「60%も回復でよしとしましょう。」と常付根言われていました。

 なるほど介護は「撤退戦」であると。「結果は出ない」「身体機能は落ちる」ことを前提に、気持ちよく母が終末を迎えることができるお手伝いを考えた方がいいということらしい。

 なんだか気が楽になりましたね。立ち直れそうな気がします。

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