死生観・終末観

2025.02.15

「老人力」赤瀬川源平・著を再読

476054069_2093515464429793_4832709530977841091_n
 ずいぶん昔に赤瀬川源平著の「老人力」(筑摩書房)を下知市民図書館で借りて読んだことがありました。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-0ad4.html

 (当時の私の感想文です。個人ブログに書きました。)2010年5月18日
rouzinryokuhon
「老人力という言葉そのものは,路上観察学会の中から発生した。その発生に当たってはその言葉を生み出す場の熟成があったわけで,路上の場での思考や、おこないが,次第に老人力という概念を使わざるを得ないところまで熟しきっていたのだ。」(「老人力の胎動の時期を探る」P94)

 再読しますと次の言葉が気になりました・

「力を抜くには抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける。」(P46)
476165038_2093515544429785_5387459352977606016_n - コピー
 またある精神科の医師(見立病院 副院長 梅野 一男氏)は老人力を読んだ感想をこう書いていました。(病院のホームページより引用します。)

「ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、『あいつもかなり老人力がついてきたな』というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい」というものです。」

「近年の研究で、肯定的な向老意識(老化を前向きに考える姿勢)が、実際に認知機能の低下を抑える(認知症になりにくくする)とする報告が続々と出されています。老化に対して、明るいイメージを持っている人は、そうでない人に比べて認知症を発症する可能性が低くなるのです。また、意識して老化を明るくとらえることで、元々楽観的でない人も認知機能の低下を抑えられるとの報告もあります。さらには、ポジティブな気持ちや生活態度・習慣を維持することで寿命そのものが伸びるとする研究もなされています。

 赤瀬川さんたちが唱えた「老人力」の考え方は、単に老化や認知症に対しての周囲の受け取り方の改善のみでなく、そう考えるその人本人の老化そのものを遅らせ、認知症になりにくくする可能性があるのです。」

 赤瀬川さんも病気がちで、時に暗くなることもあったとは思います。それを明るくする発想で「老人力」という言葉をひねり出したんでしょう。いまから15年前の時代にです。

 わたしも71歳の「立派な」老人になりました。つくづく感じるのは「体力がない」「すぐにつかれrが取れない」と思うことです。人生「生老病死」で必ず人は老いて、必ず死にます。それを嘆き悲しむ時間がもったいない。もっと楽しく「老い」を楽しもうという発想が今にしても凄いです。
476678009_2097117564069583_7149899462685614838_n
 今から27年も前「少子高齢化社会」がいまほどほどやかましく言われていなかった1998年の強さくだけにその「先進性」には驚くばかりです。しかも赤瀬川さんは「老人力」を提唱していた時は61歳ころだというのですから、すごいの一言です。

 私も「年寄りの冷や水」に2月11日に強風の中挑戦しました。僅か10分間の海の上でしたが、得られたものは大きいです。体力が衰えた年寄りなりに出来そうなことを発見しましたからです。次回はきっとうまくいくと思います。

| | コメント (0)

2025.01.05

墓じまいの悲しさと困難さ

nisihira-haka
 沖縄出身の家内と結婚し、那覇市の家内の実家に挨拶に行きました。家内のご両親に家族として迎えられ、食事などしました。
 義父が「一緒に来てくれ。」と言い、私を一族のお墓に連れて行ってくれました。高知では見たこともない、大きな敷地にお墓がありました。

 聞けば、沖縄では普通サイズのお墓と言います。

 義父はこう言いました。「沖縄の男は1人前になると、家をこしらえる前に一族のお墓をつくります。僕はこの墓をつくりました。」と言いました。

 ご先祖様に「うちの娘は大和の男と結婚した。申し訳ない。」とご先祖様に方言で申し開きをしているようにも思いました。その義父は1987年に亡くなり、義母は1997年に亡くなりました。

(義父母が眠るお墓。お墓の敷地は70坪。沖縄では普通サイズであるそうです。)

 15年前の2009年でしたが、義母の13回忌でしたので、今回はなんとしても行く予定でしたが、直前に断念しました。仕事もそれなりにせわしいし、超高齢の両親も心配(当時は健在でした)であるし。家内は実家だし、子供も沖縄にいる(沖縄の大学に在学中)のでうちの代表で法事に出てもらいました。
okinawa-seomei
 朝はお墓に行ってお参り。ちょうど清明の季節でもあります。お菓子とお線香を持って簡単におまいりをしたそうです。普通はお弁当を持っていき、お墓の前で食事をするそうですが、今回は日程が立て込んでいるので簡単にしたとか。
seimei
 家内たちが持ち帰った沖縄の新聞を久しぶりに見ました。1面全面が死亡広告とお墓や法事関連の業者の広告で埋まっています。家計図が描けるくらいに死亡者の一族のお名前が掲載されていますし。このあたりは沖縄独特の風習ではあります。先祖を大事にすることは良いことであると思います。
okinawahouzisinbun
 自分が今あるのはご先祖があってのもの。先祖を粗末にすることは今の自分を粗末にすることであるとつくづく思いました。ご先祖に誓って今を生きようとあらためて強く思いました。

 とはいえ少子高齢化で墓地の維持も沖縄でさえ難しいとか聞きました。
子供たちは娘でいずれも嫁ぎ、実家には健在とはいえ年老いた老夫婦のみの高齢者家庭。お墓の維持が大変で「墓じまい」をする事例が、先祖供養の濃い沖縄でも増加しているとか。

 深刻な時代になりました。午前祖様はどうすれば良いと思っているのでしょうか?
沖縄の墓から言えば、うちの墓はとても小さい。庶民レベルでは精一杯ですね。
DSCN3580

| | コメント (0)

2024.12.21

12月21日は母の葬儀の日でした

母・春子
 12月21日は「冬至」です。暦どうりに2024年は寒い。高知市は氷点下にこそなりませんが、1度か2度が最低気温という日が続いています。そのうち氷点下になりますね。

 2022年12月19日に母・春子は自宅で亡くなりました。享年98歳(満年齢は97歳)でした。当日はいつも早寝する私ですが、サッカーW杯カタール大会の決勝戦でした。アルゼンチン対フランセ戦。一進一退の試合は延長でも決着がつかず、PK戦で未明に決着がつきました。母は午前3時半まで生存していましたが、アルゼンチンが優勝し、勝利インタビューが延々としていて見ていました。7時頃に母の様子を見に行きますと、呼吸がとまっえちました。家内を起こして確認しましたが、貸与されていた脈拍計も酸素濃度計にも反応しなくなっていました。急遽訪問医師宅に連絡。30分ほどで来ていただき確認いただきましたが、亡くなっていました。死亡診断書には「老衰」と書かれていました。

 安らかな最後でした。苦しむ様子もなく自宅で看取ることができました。20日が通夜式でd、21日が葬儀。火葬場で骨を家族と親戚で拾いました。良く22日は大雪でした。郡部在住の息子夫婦は出勤できませんでした。私の車は冬用タイヤでしたので、1人で配送に回りました。

 今年はお寺の都合もあり、家族で3回忌を12月15日にしました。半年間は要介護5の母の在宅介護はそれなりに大変でしたが、いなくなると寂しいものです。母は懸命に生き、私たちを励ましてくれました。いつまでも見守っていただいていると思います。

| | コメント (0)

2024.12.01

介護研修講座 2日目

DSCN1507
 4日間の研修の2日目は、介護ケアの実務研修です。
22年前の当時の「2級ホームヘルパー講座」で体験したことがあります。どの程度やり方が変わったのか、腰痛にならない介助の仕方があるのだろうか。そのあたりに興味があります。


 


 昨日偶然隣になって親しくなった女性(93歳の母親を在宅介護されています)は、今日は来られないとか。なんだか心細い。でも咳が近い者同士でグループが出来、皆と親しくなりました。
DSCN1478
「基本的な介護の方法」と座学と実技研修が今日のテーマでした。座学で印象の残った言葉について記述します。


 


「介護の基本は、人間への理解を深めておこう」です。


 


「残存機能を理解したうえで自立支援するのが、介護も目的です。」


 


「ADLは日常生活活動」「QOLは生活の質」


 


「加齢と老化は異なる」


 


「転倒は自宅内が多い。」


 


「オーロラルケアは口腔ケアの総称」


 


「うつ病は改善する。


 


「フレイル⇒虚弱。ロコモティブシンドローム⇒運動器生涯。サルコペニア⇒筋肉減少」
DSCN1475
 2000年に日本では介護保険制度がスタートした。その前は家政婦や病院での付き添いさんの機能がbホームぺルパートと称していました。介護保険制度は厚生労働省の国の制度として、整備されていきました。介護福祉士や、社会福祉士やケアマネ―ジャーなどの資格が確立し、役割も確定して行きました。


 


 私が2002年に研修した「2級ホームヘルパー」から発展したようです。


 


 しかし私の両親の死去の前に救急で担ぎ込まれた高度医療病院,父は2018年に高知日赤病院、母は2022年に高知医療センターでともに「廃用症候群」になりともに要介護5になりました。父の場合は慢性腎不全の悪化で日赤で緊急透析で、危機を脱しました。そこまでは医療のおかげですが、その後すぐにリハビリ病院に転院できず、70人間ももろくにリハビリもしていただけなかったので、廃用症候群になりました。当時はインフルエンザが蔓延し、その病院も受け入れてくれませんでした。


 


468668097_2043602076087799_6021338889902367869_n
 母の場合はコロナ禍の真最中。父よりは早く転院できましたが、医療センターの一か月で廃用症候群になりました。2人とも入院前までは元気でしたのに、医療的な治療は受けられましたが、長期の入院生活で廃用症候群になるとは。


 


 医療と介護の連携がうまくいかなかった事例であると思います。なかならないものかと介護研修を受けている間に両親の終末期を思いだし、悔しくなりましたね。
DSCN1517468622885_2043602099421130_4053491115087068403_n
 何とかならないかと心底思います。

| | コメント (0)

2024.10.23

「むなしさの味わい方」を読んで

むなしさの味わい方 表紙 001
 私個人の最近の出来事についていえば、「うまくいかないこと」だらけであり、「面白くない」出来事がとても多い。体調不良も多く、「いつもの」楽天的な私ではない。少々の失敗や落ち込みに対しては、沖縄流の「なんくるないさ」(何とかなるさ)の心持で乗り切ってきましたが、今年はそうはいかない状況でした。

 このまま今年は低迷して終わるだろうなと思いました。うつになって落ち込んでいくばかりではないかという恐怖もありました。そんなときにこの書籍を金高堂書店で購入しました。偶然書店で目に入り購入しました。

 きたやまおさむさんと言えば、学生時代のご活躍と言えばフォーククルセダーズでした。「帰ってきた酔っぱらい」「イムジン河」「あの素晴らしい愛をもう1度」など活動期間は短いものの、メガヒットを出しています。
むなしさの味わい方 その2 001
 その後は九州大学の教授をされていて、何年か前に定年退官され、フォークルを再結成されたという話題もありました。フォークルの解散後にメンバーの才気あふれる加藤和彦さんの自死もありました。

 実際にお会いしたことはありませんが、きたやまおさむさんはまた意外にも身近な存在でもあります。

 ヨットの大先輩であるUさんが、なんと京都府立医科大学時代ヨット部で、先輩であったそうです。1学年下の「きたやまおさむは クルーだった。」とのこと。3年ぐらい前に初めて聞きました。大学ヨット部は2人乗りの470やスナイプという艇に主に乗り琵琶湖で帆走練習をしています。

 Uさんは舵取り(スキッパー)であり、きたやまおさむさんはクルーで2枚帆を調整したり、風下帆走の場合はスピンネーカーという補助セールを出したり、取り入れたりする係をされていたようです。

 「大学時代は学生紛争でロックアウトされ、おまけに5年で卒業にされた。」とのこと。Uさんは今はある自治体の医師会の会長をなさっておられます。

 さて肝心の書籍の感想です。豊かな時代になり、物があふれる時代になりましても人々の悩みは尽きません。また最近の情報通信技術の発達などで、より人々は精神的に追い込まれているのではないかときたやまおさむさんは言われます。

「相手の反応に敏感すぎる時代」(P32)

「意味のない言葉の氾濫」(P33)

「ご期待対応力が評価される」(P37)

 「ご期待対応力」なる言葉は、きたやまおさむさんの独特の表現です。でも今の時代を的確に「切り取る言葉」ではないでしょうか。

 最近もス-パースターと言われるビックアーティストの伝記的な映画がありました。クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラブシティ」(2018年)、エルトンジョンを描いたロケットマン(2019年)がありました。

「こうした映画では、主人公のミュージシャンが、ファンの期待に応えようとしながら、こうありたいとの自己像との間で葛藤し、ドラックやアルコール、セックスなどに溺れ自滅していく姿が必ずといってよいほど描かれています。

 また、ドラックなどではなくても、自分の心に生じた「間」を受け止めきれずに、何かで必死で埋めようとしながらも、うまくいかずに立ち直れなくなってしまう場合も少なくありません。

 ともにフォーク・クルセーダーズを結成したメンバーの1人は、2009年に自ら命を絶ってしまいました。彼のことを考えると、今も私は心が傷みます。」(P43)

 心構えの対策として、きたやまおさむさんは、以下のことをいわれています。

「期待に応えるよりも「マイペース」をえらぶ決断」(P44)

「遊びがあってこそ」(P45)

「私たちは、このむなしさ」に慣れ、飲み込まれないようにする術を身につけなければならないでしょう。」(P49)

「このようにみてくれば、心の発達で、他者との関係性や自分の心の中に「間」が生じ、「むなしさ」という感覚を味わうということは、少なくない人たちにとっては、当然の経験であることがわかるでしょう。だから誰も「むなしさ」から逃れられないし、「むなしさ」を完全に消し去ることはできないのです。」(P77 「間」を生きるという課題)

「急な幻滅に遭遇したとしても、私たちの人生はそれで終わってしまうわけではありません。多くの場合、人生という物語は、急な幻滅悲劇の展開で終わることなく、その後もだらだらとつづいていきます。

 生きている限り明日は必ずやってきます。そして日常という時間w過ごさなければなりません。まして現代は長寿社会と言われ、私たちはかつてよりも長い人生を送ることになっています。

 こうした意味でも、私たちには時間が与えられています。」(P112「幻滅の後も人生は続く-時間をかけることの意味)

「物事を解決したり、何らかの対処をしたりするためには、時間が必要です。」時間をかけるというのは「間」(間)が生じるということです。「間」というのは、本書で何度も登場した「間」(ま)のことです。

 日本語では両方とも同じ漢字で表記します。空間的な広がりとしての「間」であり、、時間的な長さとしての「間」のことです。

 心の病気を治すためにも時間が必要です。すぐに治らないからと絶望してしまえば、病気を治すどころではんくなります。時間をかけて徐々に治っていくという「間」をけいけんしなければなりません。

 中略

 大切な相手との関係性にひびが入ってしまったという場合、早急に相手を見限って、関係性を絶ってしまうのではなく、時間をかければ、予期せぬ結果が生まれるかもしれません。そこが希望と絶望が交替する移行の期間なのです。

 心の問題に関する原則は、時こそ「解き」(とき)であり、時間が解決するということなのです。」(P113 待つことと、「間」に立ち続けること)

 著者によれば「待っている時間を過ごすこと、結論を急がずに、結論に至るまでの「間」に立ち続けることは簡単ではありません。」と言います。

 どっちつかずの境遇でひたすらい結果を期待して待ち続けることは、現代人は得意ではありません。結論を急ぎ、結果をもとめます。また「むなしさ」を回避しようとする仕組みが張り巡らせています。

「二面性を受け入れる」(P115)

「2面性を知ることで深まる認識」(P118)

「吐き出してすっきりしたいが」(P119)

「心をゴミで埋めようとする。」(P122)

「割り切れないもの、消化できないもの、未処理のもの、中途半端で矛盾しているもの、そうしたものを心の、いわば「溜め池」のようなところに、そのまま置いておく。そして時間をかける。そうした心の余裕を持つことが出来るかどうかが、「むなしさ」をうまくこなしていくことにもつながってきます。」
(P123もやもやは心の「ため池」に置いておく)
ため息をついても幸せは逃げない」(P124)

 このあたりの言葉は、精神科医のきたやまおさむさんの治療のなかから出てきた考え方であると思うし。依拠しているフロイトの精神分析をかみ砕いて説明をしていただいているようです。

「相手が自分の思ったとおりのひとでなかったとかいうとき、わたしたちは喪失感や幻滅を覚え、心に「むなしさ」が訪れます。

 中略

 心がすっきりしないとき、この怒りの内向と同様の自虐や自責が起きることがあります。相手が自分の思う通りの人ではなかったのは、実は相手が自分を嫌っているからではないか。自分は嫌われても仕方のない、価値のない人間ではないか。

  中略
 
 日本人は外向きに怒りを感じるのが苦手だとよく言われ、私たちは怒りを内向させがちです。でもそれでは、心に「置いた」ことにはなりません。」
(P126怒りの内向と自虐)

 ある新興宗教団体が、自責の念を利用して「その罪を解消するためには、教団にお金を納めて禊をすませなくてはならない。そのためには教団に帰依し、献金し続けなくてはならない」という大きな問題が社会事件でおきました。日本人の特性を悪用した献金システムでした。

「私たちは生きていくうえで、人に借りをつくり、恩を受けながら生きています。そもそも私たちの人生は親を始め、他人のケアを受けなければ生きていくことができないという未熟な乳幼児期からはじまります。

 そして、自分が大人になった時は、今度は自分が子供をケアする。あるいは他者に貸しをつくったり、恩を与えたりする。要するにお互い様です。

 白黒思考に固まっていると、「すまない」を置いておけず、すまないままではいられなくなるのです。妥協しながら貸し借りをつくりながら、物事はどっともどっちであり、あなたも私もお互い様をかみしめながら生きていくことが大切です。

 この「すまないものを「すまない」ままでとして置いておけるか。」ここでも「間」に立ち続けること、未処理のモノをそのまま置いておくことがもとめられています。」
(P!30「すまない」はおたがいさま)

このあたりはきたやまむさんの独特の表現。ご自身の体験と精神科医としての臨床体験や、研究した文献の逸話や、精神病理医師の先輩の所説などがわかりやすくかかれています。

「心の内奥には沼がある」

「現在私たちが生活している場所は多くがアスファルトやコンクリートによって埋められています。沼などは殆どなくなっています。ドロドロと臭く、経済的な価値を見出せない沼などは、どんどん埋め立てられ、私たちの前から聞けていきました。

 しかし人間は人間臭く、乳は乳臭いものだし、大地は土臭いものです。心の一部も臭いはずですが、私たちが人間である以上,有機の匂いがするものであり、私たちの「心の沼」を都会のように埋めてしまうことはできないのです。」(沼は臭いので蓋を P134)

「心の沼は、澄んではいない。」

 心の沼は、いつもドロドロ、ずぶずぶ、ぐずぐず、ぐちゃぐちゃしているので、ドブ掃除は無理です。 中略

 そこには容易に手を突っ込めない危険性もありますし、また性欲や残虐性もあります。底なし沼という言葉があるように、真っ暗で水中がどうなっているのかなかなか理解できないのです。だから心の中で、いくら酷い事、残虐なことを考えても、そのことは否定されるべきではありません。中略

 心の中でどんな空想をしようと、それは自由です。むしろ、心の中で考えてて置いておけるなら、ひどいこと、残虐なことを行動に移さないことが可能になります。心の中で自由に考えたり、想像したりすることを否定したら、ひとはとても息苦しくなり、むしろ危険なのです。

 私たちは、目の前で起きている現実と、心の中の現実と2つの現実を生きています。その2つの現実を生きていることを自覚し、その2つがバランスよく作用しあっていることが健康的な状態です。

 2つの現実の片方しか認めようとせず、あるいは2つの現実を同一にしようとするのは危険です。心の中で残虐性を実行することはよくあることですが、目の前の綺麗な現実だけを認め、それと乖離する心の現実を閉じたり、あるいは心の現実をそれに無理やり合わせようとすることも危険なことです。きれいごとをいい裏を認めず良い子である表にあわそうとすると、心に無理が生じます。

 ひどい、残虐な想像をしてしまうのも自分であり、他者に対して、良い人のように降る真っいているのも自分なのです。2つの現実と、人の2面性を認めることの大切さは、こうしたところからもりかいできます。

 このように、沼はあくまでにごったものであり、そのまま置いておくしかないのです。」(P136)

 長い引用をしました。きたやまおさむさんの言葉の1つ1つに納得しますし、わたしの「鬱々、ドロドロした、自分を卑下し、貶める考え方」から、お陰で解放された気分です。

 でも精神分析の専門分野をかみ砕いて説明してくれていますが、わかったようで、わからないところがたくさんあります。

 この文章を読んでいて思いだしたのは、私の子供時代(1960年から65年頃)小学生時代は、高知市内でも、転校先の大阪府豊中市でも吹田市でも、沼がありました。柵などもなく、「危ない河童に引き込まれるぞ!」とかの看板が立っていました。

 沼は沼で自然界では存在価値があり、水生植物や昆虫、淡水魚類などのビオトープの世界であったし、子供たちの手軽な釣り場でもありました。

 しかし高度成長時代が全国的に始まりますと、沼は埋めたてられ、宅地や工場や商業施設になりました。地面はコンクリートやアスファルトで埋められました。

 今年は猛暑でしたが、沼や小川は埋め立てられ、アスファルトで覆われました。市街地も暑くなります。沼に生息していた、カエルやミツバチや、トンボや、めだかなども身近な場所で見なくなりました。

 便利な社会になりましたが、なんだか皆が余裕のない状態になり、心のバランスを崩すようになりました。私もそうなりかけていました。

 高知でも東京でも皆、暇があればスマホの画面を見て「暇つぶし」をしています。会話もなく、人とのコミュニュケーション力の衰退も心配ですが、心の「むなしさ」や「間」をネットの情報で埋めてしまおうとして、かえって疲労が蓄積されて心にひずみが出来イェイるのではないかと私は心配しています。


「むなしさを味わう」(P157)

 きたやまおさむさんはこう書かれています。

 ここまで見てきたように、私たちの心には「むなしさ」が必ず訪れ、通例そのことから逃れることができないものです。そして「むなしさ」は「すまない」とともにいきていかざるをえません。

 しかし、そのことは、単にそれに耐えるべきものではなく、場合によっては、吐き出したい言葉を生み出し、創造性を育んで、むしろ人間の生に豊かさをもたらせてくれるのではないかと私は考えます。

 「むなしさ」そのものに意味はないかもしれません。でも「むなしさ」をかみしめ、味わうことには、」意味があるかもしれない。(P158) 

 私自身の個人史において自我というものが形成されたのは、中学生時代でありました。早熟な「政治少年」として、政治や社会運動に興味を持ち、当時の情報伝達手段は「ガリ版」(謄写版印刷)でしたので、それで手書きで「新聞」を発行し、社会評論的なことをしていました。

 そのころの作法として「うまくいかないこと。目標が達成できないときの原因を自分の中で追及し、文章化し、高めの達成目標を設定し実行していました。(実力から言えば高めの目標設定故に、殆ど到達できないことばかりでした。)

 しかしながら、自分でコントロールできない課題や、社会運動においては、党派の上級幹部(専従者)の命令などもあり、反論できないまま落ち込んでいき、挙句の果てには運動体自身が解体消滅し、敗北し、放り出されることの繰り返しでした。

 きたやまおさむさんの「沼」という考え方。「空しい」ことにも意味がある。決して無駄なことではない。出来ないときは出来ない。出来なくてもいい。という。まったりした考え方、発想法は新鮮でした。

 自分の気持ちを「文書化」して、目標を整理し、達成に向けて努力しする。それ等はいまでも、地域防災の会合などで、会合参加者の情報共有化の手助けになる手法であります。(深刻な問題以外では有益な方法手段です。)

 しかし万能の処方箋ではありません。きたやまおさむさんの今回の著作を読んで改めて気が付きました。

 今年は正月から手術や入院、療養が続き、その中でも、仕事の合間の「こまめな時間」を活用して、自分なりに「周到な」準備をしていた地域防災の2大大事業(私なりのである「仁淀川町防災キャンプ」が台風で中止になり、地域防災訓練予定日は、思わぬ衆議院の解散総選挙の関係で、延期が余儀なくされ、防災メニューの大幅な見直しが強いられました。

 仕事や地域活動も本調子ではなく、体調も本調子ではない。仕事もうまくいかないことがある。でもそれでも何とか生きて行かなくてはいけない。自分が情けなくて、すべて投げ出したい「マイナス思考の渦の中」で、この著作を読みました。

きたやまおさむさんの先輩格の精神分析医の前田重治さんの心の絵がありました。確かに文字表現で、心象風景を記述されてもわかりにくい。

 フロイトが日本に紹介された時代における精神分析の個々のイメージが描かれています。(P160)
フロイト心の中の世界図 001
 絵は「前田重治 フロイトの精神装置図」(1958年)とありました。

 上部は,外界に向かい知覚のために心は外に開かれています。(中略)

 個の前田先生の絵においても、無意識、あるいはほどんど無意識になっているエス(日本語ではそれを意味するドイツ語)は下部に置かれ、その最下層は身体に根差して「本能欲求取りこみ門が開口しています。」(P162)

「上部の頭脳や理性だけでは人間は生きていけないし頭脳や理性だけが、人間のすべてではありません。理性的な意識よりも、心の下部から湧き上がる、沼の臭い、欲望の臭いとしてのモヤモヤのほうが強くなってしまうこともあります。
現在の自我構造・前田氏 001
 したがって、上部と下部、その両方の領域を備えてこそ、人間の心の全体となるのです。」(P167「無意識と身体」)

この著作を読んで、あらためて、フォーククールセーダーズの」「あの素晴らしい愛をもう一度」の詩を読んでみると、心の深層を感じます。

作詞:北山修/作曲:加藤和彦/歌:フォーククルセイダーズ
「あの素晴らしい愛をもう一度 」

命かけてと

誓った日から
すてきな想い出
残してきたのに
あの時

同じ花を見て
美しいと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

赤トンボの唄を
歌った空は
なんにも変わって
いないけれど
あの時/
ずっと夕焼けを
追いかけて
いった二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

広い荒野に
ぽつんといるよで
涙が知らずに
あふれてくるのさ
あの時

風が流れても
変わらないと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい
愛をもう一度

「日常でも、「美しいもの」を共有しながら愛でるのは親子だけでなく、恋人や友人同士でも多いのです。雪見、お花見、花火、お月見、」紅葉狩りと、私たちは昔から同じものを一緒に眺めて心を通わせ、この愛を育んできたのです。
 漱石による訳だという逸話もありますが、「アイラブユー」を「愛している」と見つめあって言うのではなく、肩を並べて、「月が綺麗だね」と言う比較文化論は、私たちの「横並びの愛」の深層心理を鋭く突いていると思うのです。

 だがこの愛が取り返しのない形で崩れ、しこに穴が開き。「つながり」が突然切れるなら、目も当てられない惨状が展開するでしょう。お互いが孤立して、「みんな」からハブられる恐怖や、向い合ってもらえない不安、そして同調圧力が生み出されてしまうのでしょう。

 だから、同じ花を見て美しいといった2人の心が今はもう通わないという悲劇は繰り返されるのだと、歌でも言うのです。(P193「あの素晴らしい愛について」)


 終章にこういう記述がありました。

「探し物はきっと見つからない。もし見つかったと思っても、それはすぐ目の前から消え、失われていきます。なぜなら、心の中で求めている「探し物」と全く同じものは、外の世界には存在しないのです。

 1人の人間のなかには、心の中と外という2つの現実があることを述べました。質の違う2つの現実が、1にの人間の中で共存しているのです。普通はどちらか片方だけが現実でもないし、2つの現実を一致させることも無理です。だから、心の中にある「探し物」は心の外の世界には存在しないのです。P195)

「本書は、蔓延していると感じる「むなしさ」につき、自己分析を踏まえ、日本語、日本文化、現代社会を見据えながら書いた。もちろん最近の私の一般向け書物と同様、フロイト理論や精神分析の対象関係論の考え方を活かしている。しかし「むなしさ」を感じたら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案しているのだから、理論的なことやこのテーマに関わる議論は細かく書き込まなかった。」(P203あとがき」

 わたしにとって2024年は「トラブル」続きの年でした。正月には眼病での両目の手術と入院。療養生活などで長期間仕事が出来ませんでした。メガネ合わせに苦戦し、復帰できたのが5月連休前でした。

 でも手術のおかげで「失明」は免れ、「ド近眼」が「中程度の近視」になり、近くは見えるので老眼が不要になりました。悪いことばかりではありません。6月には右手裂傷、9月には帯状疱疹。10月には蜂に刺されるとかいうトラブルまでありました。

 おまけに周到に地元の皆様と準備してきました「仁淀川町防災キャンプ」も中止、地域の史ウ号防災訓練は、衆議院選の関係で延期(10月27日が12月1日)になる事態になりました。

 懸命に真摯にっ取り組んではいますが、「運も悪い」としかいいようのない事態になり、自分の非力を感じ落ち込んでいました。

 でも一方で18歳から70歳まで52年間うじうじと「孤独に」悩んできた問題も半分ぐらい解消できました。悪いことばかりではありません。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html
(「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-f58837.html
(映画「ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ」)

 18歳の少年(高校生)は長い長い先の見えない暗いトンネルの闇の中にいました。70歳の時ようやく外に出ました。今は71歳になりました。

 今回きたやまおさむさんお著作「むなしさ」の味わい方(岩波新書)を読んで、わたしは52年間も「むなしさ」を味わっていたのであったと思いました。人生そんなものかもしれません。

 仕事も地域活動も社会参加もうまくいかないことばかりです。焦らず「むなしさ」を敵視せず、自分のペースで乗り越えてみます。
yact
 脳ドックの医師は精神科医ではないでしょうが、「ヨットは脳幹トレーニングにはいい」と言われました。今年はヨットのほかにSUPも習います。「71の手習いです。主たる目的は、今の居住地域(海抜0Mの二葉町)は、南海トラフ地震が起きたら水没します。地域の防災会長としてSUPで住民の安否確認をしますので、基礎からの習いが必要だからです。

 自分の限界、体力と気力の衰えを思い知らされた2024年でした。悪いことではありません。できる範囲内で、やるべきことはやり続けます。

| | コメント (0)

2024.10.11

ようやく両親お墓参り


462190613_2003256526789021_7605132234047041336_n
 2024年10月6日ですが、ようやく両親の墓参りに行きました。

462158757_2003256446789029_4814078306309850351_n
 10月6日は午前中は爽やかな天気でもあり、5月の父の7回忌以来ご無沙汰していました両親の眠る墓地へ墓参りに家内と行きました。
462308083_2003256453455695_7804567726383729451_n
 お盆やお彼岸あたりは暑さもあり、体調も今一つでした。最近ようやく体調も戻りつつありますので墓参りに行きました。落ち葉を拾い、墓も水洗しました。今日は墓地には誰も来ていませんでした。きっと皆は行楽にいかれたのでしょう。
462292419_2003256513455689_7586557151463730559_n
 次回は12月の母の3回忌に行く予定です。関東から子供も帰省してくる予定です。

| | コメント (0)

2024.08.15

79回目の終戦(敗戦)記念日

hirosima806
 日本が全世界を相手に世界大戦を引き起こし、無残に敗北し、凄惨な犠牲者を出し終戦した日から79年がたちました。世界を取り巻く情勢からは、ウクライナにしても中東パレスティナ・ガザ地区や東南アジアのミャンマーなども戦火が止む気配はない。

 また日本近辺の向こう3軒にあたる隣国の中国、北朝鮮、ロシアはいずれも独裁国家であり、核兵器を所有し、軍備増強に余念のない面倒な隣国です。

 その危険な隣国に対抗すると称して、沖縄の八重山地域に自衛隊のミサイル基地をこしらえ、自衛隊員も駐屯させています。

注意しないといけないのは、「災害対策」を口実に、国に権限を集中させる「緊急事態要項」を盛り込み憲法改悪に持っていこうと自民党などは画策をつねにしています。その理由は「人助けの国際貢献」止め、より自分たちが金儲けができる「人殺しの国際貢献」をしたいがためです。絶対的な間違いです。

 日本は「災害大国です」。「人助けの技術は、官民とも世界1」なんです。日本は。「人を救う国際貢献・世界1」を目指すべきです。

 戦争は人災です。防ぐことが出来ます。戦争をやって金儲けしたい人達を政治の世界から追放すべきです。追放できれば世界は平和になりますから。

| | コメント (0)

2024.07.26

自分の体も心も自然の一部

 先週末の休日にお腹を壊してからというもの、体のバランスが壊れたのか体調がよろしくない。それまで平気であった事務所の気温(31度程度)に耐えられなくなり、朝から1日事務仕事でもエアコンをいれています。

 

 こんな体たらくなことは、しばらくありませんでした。年始からの両目の手術と入院、療養、視力調整、6月の右手薬指の裂傷があり、半年間は仕事も地域活動もできないありさまでした。70歳という正真正銘の高齢者になったということでしょう。

 

 それは仕方がない。ただ大きなプラスの出来事は、18歳の高校生時代から今に至る52年間悩んでいたことが、ほぼ解決したことです。それはとてつもなく大きい。「さあやるぞ!」と意気込んだとたんの体調不良でした。

 

 体調と精神を焦らず整えて、前進しましょう。あとはやりきればいいことばかりですから。やりきりますよ。

| | コメント (0)

2024.07.10

先駆者の逝去に絶句


 先日、前の会社の上司であったMさんが6月に亡くなり7月2日に49日をしましたと言う電話を奥さんから頂きました。

 私が25歳ぐらいの時に東京営業部に配属になった時に、メーカーの営業活動を実践で教えてくれた人でした。当時はバリバリの課長で42歳。小柄な人でしたが、アイビーで頑張る格好いい人でした。

「公私ともに忙しいのは、社会からリクエストが君に来ていることだ。いいことだと考えて慌てず落ち着いてすべて処理するように。」

「お客さんからのクレームは、それだけ真剣に取り組まれている証拠。逃げずに現場へすぐに飛んでいき、言い分を聞いてくるように。クレームはチャンスである。クレーム処理で人間は成長する。」

「年長者の構想と対立する場合は、きちんと多くの実例を示して、丁寧に説明するように。文章は誤字や脱字がないように推敲するように。」

 わたしは多くの総務系の上司に「否定的な言動」が多くされて×社員の烙印を押されていました。Mさんは全くそうではありませんでした。

「字は丁寧に書け。会社のルールを守ってから発言しろ。」と言われました。
Mさんは「慣習」にとらわれず、わたしの「やる気」を引きだしてくれました。私は意気に感じて朝6時から夕方21時ごろまで働くことが多かったです。面白かったです。

 でもMさんも『やり手」ゆえに挫折もあり、10年間は干されていました。50歳代のバリバリ時代がその時期でした。その苦難を乗り越え、新しい境地を開拓していきました。

 朝ドラでも主役の佐田寅子が恩師の穂高重親先生との別れがありました。

 Mさんが上司であった時代は「やりたいことはやらしてくれて、成果が出れば更にやらしてくれた。」良き時代でした。

 Mさんの奥さんは「苦痛なく寝ているときに逝きました。人は必ず終末が来ます。時節柄家族葬で済ませました。あなただけにはお知らせしました。」とのこと。

 心よりお悔やみ申し上げます。合掌。

| | コメント (0)

2024.05.11

父吉正の7回忌です。

67102200

 2018年5月12日に父西村吉正は99歳の生涯を閉じました。
高知市の寺院で。私ら夫婦と息子夫婦でささやかな7回忌を行い、父の生涯を偲びます。仕事が多忙で今回も娘は戻れません。息子の嫁は生前の父を知りません。
39af05a8
 父が亡くなった時は、土曜日で私は夜須の海でセーリングしていました。2018年5月12日のブログで以下のように書いていました。前日に父の病院へ行き「明日は海へ行くので夕方になるから」と言いました。父は「行ってこい」と言いました。

「2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。」
0e15b06292db880c4098177e


http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat24146161/index.html(父・吉正を偲ぶ)

 ゴルフ好きの父のために(私はゴルフには全く興味のない人間)私なりに精一杯のケアはしました。介護リハビリは週に5回通所し、打ち放しゴルフ場には週に1度連れていきました。女子プロトーナメント観戦にも連れていきましたから。99歳まで生き抜いてくれました。感謝です。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

07高知県知事選挙 08syugin_ 1票の格差是正で地方は消滅 2008年衆議院選挙関連 2009年衆議院選挙関係 2012年衆議院選挙関係 2012年車椅子で行く高知の観光施設 2013年参議院選挙関係 2014年東京都知事選挙 2015年雨漏り修繕工事 2015雨漏り・外壁補修工事 2016サッカーW杯アジア最終予選 2016年参議院選挙 2016年首都圏遠征 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会議員選挙 2022年沖縄県知事選挙 2023年二葉町総合防災訓練 2023年東京見聞録 2023年高知市長選挙 2024二葉町自主防災会事業計画 2024健康診断 2024年の総括 2024年は猛暑? 2024年アメリカ大統領選挙 2024年二葉町総合防災訓練 2024年東京都知事選挙の話 2024年米国大統領選挙 2024年総合防災訓練 2024年防災キャンプの中止 2024総合防災訓練 2024能登半島災害 2024自民党総裁選挙 2024衆議院選挙の予想 2024防災訓練参加者分析 2024韓国の戒厳令 2025下知文化展 2025大阪万博 2025年スタート 3・11ミニ慰霊祭 50年続くサークル同窓会 70sai AIが作る未来 AI失業の現実 blogによる自由民権運動 blogの伝道師・blogの鬼 BMI22 bousai_ EV自動車 EV車は環境に負荷 Eコマース・スキルアップ講座 JICA下知地区研修 koutikengikaigin monnbasu2024 NHK南海地震対策特集番組 NPO法人高知減災ネットワーク会議 SNS禁止法案 SOSカード SUP体験日誌 U23優勝2024年 USAIDの閉鎖の暴挙 W杯カタール大会2022 おくだけトイレ おんぶらっく おんぶらっく大人用 お花見遊覧船 けんちゃんの今すぐ実行まちづくり けんちゃん1人weblog つまらない大阪梅田再開発 なでしこジャパン はりまや橋サロン まちづくり まちづくり条例見守り委員会 むなしさの味わい方 よさこい祭り アナフィラキシーショック アニメ・コミック アマノ製無人駐車場精算機の故障 イスラエルによるガザ侵略 イラク派兵問題 インド映画 ウェブログ・ココログ関連 エアーボート 救命艇 オアシス再結成 カタールW杯2022年 カップヌードル。ミュージアム カップヌードルを完全食品に カップヌードルミュージアム カツオ不足の影響 カラー・ユニバーサルデザイン キャタピラ台車 ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ コロナ感染症療養体験 ゴミの不法投棄対策 ゴーヤ栽培日誌 サイエンスカフェ サイバー攻撃対策 サッカー サッカー観戦日誌 サポート詐欺 シニア世代の労働力 スフィア基準 スポーツ スポーツのありかた スマホのビジネス活用 スマホへの依存は危険 スマホ活用防災講座 スマホ防災講座2024 スマホDEリレー スマホSOSシステム タウンモビリティ・ステーションふくねこ タモリステーション南海トラフ地震 ダブルスタンダード チベット問題 チョ・ホンリさんの被災地支援 デジタル全体主義 トラック物流問題 ドン・キホーテ出店問題 ドン・キホーテ高知店の開店 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス バリヤアリー住宅 バリヤフリー パソコンの臨終とコピー作業 パソコン・インターネット パリ五輪2024 ヒューマンネットワーク ピアフロート(浮力体) ピースウィンズ・ジャパン ファクトチェック フードバンク プレゼンの方法 ホームページによる交流 ボブディランの社会性 マンション自主防災会の訓練 メガネのテスト走行 メディアリテラシー モバイルバッテリー ヤッシー西開口口テトラ投入問題 ヨットと人生 ヨット関係 ヨット40年目 ヨット40年目の感想 リハビリ・ウォーキング レトルト玄米長期保存食 ロシアのウクライナ軍事侵攻問題 ロック音楽の元祖 ロープワーク 三好市との交流事業 下知CCでの市の避難所開設訓練 下知コミュニティセンター防災部会 下知中小零細企業BCP研究会 下知交番だより 下知交番との地域での協働 下知地区減災連絡会 下知地区防災計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域の交流事業 下知地域内連携協議会 下知文化展・コンサート 下知減災・弥右衛門部会 下知減災弥右衛門部会 下知町内会連合会 下知防災紙芝居 不当要求防止責任者講習 不燃物・資源仕分けステーション 両下肢蜂巣炎 両親の供養 中国四川大地震 中土佐町との交流事業 中宝永町防災キャンプ 事前復興まちづくり計画 事前復興・防災講演会 事前減災対策としてのインフラ整備 事前災害対策ランキング 事業継続力強化計画 事業継続力強化計画支援セミナー 事業継続力強化計画策定支援セミナー 二葉町ゆかりの巨匠 二葉町ゴミ問題 二葉町不燃物・資源ステーション 二葉町町内会の動き 二葉町町内会全世帯配布 二葉町町内会防虫・清掃活動 二葉町総合防災訓練2020年 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町総合防災訓練2021年 二葉町総合防災訓練2022年 二葉町総合防災訓練2023年 二葉町自主防災会 二葉町防災世帯調査 五台山・市民農園 井原勝介さん講演会 交通事故防止対策 人助けの国際貢献 人助けの国際貢献を! 人繋がりネットワーク 人間の体は不思議です。 仁淀川整備計画変更説明会 仁淀川町と二葉町との交流 仁淀川町への広域避難訓練 仁淀川町への疎開(広域避難訓練)が全国放映に 仁淀川町防災キャンプ 今治市防災士会・連合自治防災部会との交流会 今野清喜さん講演会 今風WEB環境 介護に関する入門講座 介護研修講座2024 仙波敏郎さん講演会 令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式 企業BCP 企業の社会貢献 企業版ふるさと納税 企業BCPの策定 伊野町問題 伝える力の大切さ 低温火傷 体力ドックはよい仕組み」 体成分測定 価値観の違いを道める多様性の必要 個人ブログの意義目的 偉大な日本人・中村哲さんお映画 健康・体の問題 健康問題 傷害のある方との協働 先祖供養の重要さと困難さ 先駆者の逝去 入野敏郎さんみかん園 公共交通問題 公共社会インフラの維持管理 公共財のありかた 公共避難所の食料備蓄 共謀罪反対運動 内臓脂肪レベルの低下は目標 内閣府地区防災フォーラム2016年仙台 内閣府地区防災計画 分譲マンション建て替え問題 前田康博さん講演会 加山雄三さんは凄い 南海トラフ地震特集番組」 南海トラフ地震臨時情報 南海トラフ巨大地震注意 南海トラフ巨大地震臨時情報・注意 南海地震対策 南海地震特別税 危機意識・リスクマネジメント 原子力政策 原爆慰霊の日 原発と核のゴミ処理場アンケート 原発の廃炉問題 原発災害 厳しい自治体の現状 反ファシズム運動 叔母・車椅子来高・2014・10・18 受援力」(支援を受ける力) 口腔ケア 台湾は防災対策の先進国 台風・大雨対策 台風・大雨情報 台風対策 右手薬指の裂傷 右手薬指の裂傷の完治 司馬遼太郎氏の帝国主義論 吉本隆明氏・追悼文 吉正の7回忌 名取市閖上地区との交流 名古屋大学室井研二准教授 向こう3軒・両隣 品川正治さん講演会関係 嚥下障害改善食 国政問題 国語力・読解力の向上 国際問題 土佐電鉄ーごめん・なはり線 在宅介護と仕事 在日外国人との共生 地区防災計画学会・高知大会2018年 地域警察との連携 地方の公共交通 地方紙の衰退を憂う 地震保険 坂本茂雄さん県政かわら版 坂本茂雄・県政かわら版 坂本龍馬像建立運動 堀川浮桟橋の修繕を 堀川浮桟橋の滑り止め対策 報道関係 変わるアジアのサッカー勢力図 夜須沖からの津波避難 夜須町関係 大の字泳法 大学問題 大都市部の不思議な慣習 大阪万博問題 大阪北部地震2018 天安門事件から35年 天木直人さん講演会関係 女性部会の必要性 学生運動・社会運動の特典 宇田川知人さん出演番組 安田純平さんを高知へ招く会関係 家庭用放射線測定器 富裕層向けのホテル 少子化問題 岡村眞先生講演会 岡林信康コンサート 岩手日報の震災特集記事 岸田文雄首相の退陣宣言2024 島本茂雄さん・中平崇士さん出演 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 市民参加のありかた 帯状疱疹 平和・反核・護憲の社会運動 平和問題 平成天皇を称えます 平成28年度下知地区防災計画 年寄りは成り行きは駄目 年末年始のごみ対策 年賀状終いについて 広域地域間交流 広域避難訓練 広報下知減災 建築物 弥右衛門公園は防災機能公園? 彼は早稲田で死んだ 徳島県総合防災訓練2024 徳島県美波町との交流 性加害問題 怪人渡辺恒雄氏の逝去 恵比寿堂は3つの神様が同居 悪路走行可能な台車 感染症対策 憲法問題 戦争を知らない子供たちへの映画会」 戦争法案反対運動 戦争災害 手結福島・南地区自主防災会 排泄ケア(排尿・排便)の重要性 揺れ対策 損保会社の対応 携帯・デジカメ 摂食嚥下障害 政治と金の問題 政治のありかた 政治評論 政治資金の裏表 政治資金問題 故井内市長との意見交換2023年 救命船南風 教育問題 散歩の効用 文藝春秋6月号 新しいメディアの創出 新しい生活習慣(その2) 新下知ポンプ場 新型インフルエンザ対策 新型コロナウィルス対策 新堀川市民大学 新堀川生態系保護問題 新帝国主義の時代到来? 日本の裁判官 日本国憲法の再評価 日本国憲法の重要性 日本1の防災先進地・黒潮町 日清食品・完全メシ 日米地位協定の改定 日米地位協定の改定が必要 日誌風の感想 日銀・新紙幣発行の意義目的は? 映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」 映画「六ヶ所村ラプソディー」 映画「戦雲(いくさふむ)」 映画スープとイデオロギー 映画ボレロ永遠の旋律 映画・テレビ 映画・福田村事件 春子ロス 昭和南海地震の記録 昭和小学校・防災じゅぎう 昭和小学校防災学習 昭和小津波避難ビル巡り 昭和小防災オープンディ 暴力追放運動 書籍・雑誌 有機農業の支援 朝鮮半島問題 木質バイオマス地域循環システム 村上肇さんWEBセミナー 村上肇氏BtoBセミナー 東京五輪・パラリンピック2021 東京五輪・パラ五輪の在り方 東京近辺見聞録2013年 東京近辺見聞録2014年(1) 東京近辺見聞録2015年 東京近郊見聞録2010 東京近郊見聞録2011年 東京近郊見聞録2012年 東北被災地ツアー2015年 東北被災地交流ツアー2005 東日本大震災の被災者の皆様との交流事業 東洋町サポーターズクラブ 核融合発電 格安テレビの購入 桜の開花はエポキシ塗料の硬化剤の見極めに季節 横紋筋融解症 橋本大二郎さん出演番組 橋本県政16年の検証 橋本県政16年の総括 橋本笙子さん講演会 歩いて見る高知市 歯の健康維持 歴史の宝庫新堀川 歴史問題 死生観・終末観 母ショートスティ 母・デイケア 母・春子の供養 母・春子の健康情報 母・春子の在宅介護日誌 母・春子3回忌 母・毛山病院入院2017 母・西村春子介護日誌 母入院・細木病院 母入院2022年 母春子の供養 母春子の逝去 母春子の1周忌 母春子を支援いただいた皆様へのお礼状 毛様体筋 気象庁情報の正確な伝達 気骨の自民党議員・村上誠一郎さん 水道管凍結防止対策 沖縄・ガザ連帯集会 沖縄ー高知の交流 沖縄基地問題 沖縄返還50年 沖縄返還52年目 沢山保太郎東洋町長出演 河瀬聡一郎さん講演会 治す介護の推進 津波浸水仮想救助訓練 津波避難ビル巡り2023 津波避難施設について 浦戸湾三重防護整備 海からの高台への津波避難 海での防災対策 海の散帆の効用 海上都市構想 浸水地区に救命艇 浸水対策備品 滑る堀川浮桟橋問題 漫画文化 災害ボランティアセンター 災害大国日本 災害対策予算の削減 災害後の自宅の再建 災害時の食糧支援 災害用伝言板・災害用伝言ダイヤル 無人精算機の故障の改善 無責任企業アマノの無人駐車場精算機の騒音で大迷惑 父・いずみの病院 父・吉正の7回忌 父・日赤・ICU 爽やかな経営者 牧野富太郎さんの偉大さ 牧野富太郎と植物 犠牲者0を目指す黒潮町の地震・津波対策 猛暑とクーリングシェルター 献血定年 献血時血液検査表 環境問題 生活を再建する活動 産経新聞の印象操作記事 田辺浩三さん映画会(小夏の映画会) 町内会と街路灯 町内会資源・不燃物仕分けステーション 略奪文化財の返還問題 発泡スチロール板 白内障と眼病の治療 目の治療とメンテナンス 目指せYA体 県内大学防災サークル 県地産・地消課 県教育委員会学校安全対策課 県東部巡回 県立大学地域学概論 県西部地域の巡回 真備町関係者との交流 眼鏡がいらない生活? 眼鏡による視力矯正 眼鏡の調整は難しい 石破VSトランプ対談 硝子体切除術 社会問題一般 社会思想問題 社会運動 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地域との交流 福井照 福井照さん出演番組 福祉の問題 福祉事業所との防災連携 福祉防災に学ぶ 私の腰痛 空のあんちくしょう 窓ガラス飛散防止講習会 立憲民主党代表選挙2014 米国政治の異常さを嘆く 精神分析の作法 紙媒体二葉町防災新聞 終活セミナー2024 経済・政治・国際 経済問題 統一教会問題 美波町自主防災会連合会 老人力 老木は危険 老舗飲食店の閉店は寂しい 耐震偽装問題 聴覚障害者との情報共有 脂質異常症 脱水症対策 脳が疲れる。追われている 脳ドックと脳トレ 脳幹トレにヨットは最適 脳幹トレーニング 臨時情報 自民党裏金問題 自然エネルギーの活用 自然地形の高台 自然災害と経営責任 自衛隊の救助訓練 芸能・アイドル 芸術・文化 芸術鑑賞 若いアーティストの台頭 若者支援事業 葬儀で感じたこと 蓄光塗料 藻谷浩介氏著作 蜂に刺された 西日本豪雨災害・真備 西日本豪雨災害・真備町 西村吉正・春子服薬・食事情報 西村吉正・死去後の動き 西村吉正1周忌・3回忌 要介護は突然に 要支援者用食材 観天望気・日常観察からの天気予報 訪問看護 認知症の早期発見 認知症の早期発見・早期治療 認知症機能検査 認知症症候群について 認知症重度化予防実践塾 誤嚥性肺炎対策 講演会・研修会 講演会・講習会 警察広報 豊後水道地震 象徴天皇制 起震車体験 超高齢化社会の厳しい現実 超高齢者の事前減災対策 趣味 路上詩人はまじさん 軍拡は誰のため 転ばぬ先の介護 近江商人の先見性 連合赤軍と新自由主義の総括 進化する学校防災教育 過脂肪体質 過脂肪症 遠地津波 避難人形の展示 避難所の改善 避難所の食事の問題 都市再開発 都市論 都知事の学歴詐称事件 重信房子がいた時代 錆を防ぐさびのある話 長者キャンドルナイト 閖上だより 関東大震災から100年 関東大震災での外国人虐殺 関東大震災後の朝鮮人虐殺事件 阪神大震災20年慰霊と交流 阪神大震災30年につどい 阪神大震災30年の集い 阪神大震災30年の集い・慰霊祭 防災サロン10月 防災備品整理棚 防災先進地黒潮町 防災問題 防災対策 防災対策先進地黒潮町 防災専門職員の配置 防災省構想 防災紙芝居 防災紙芝居プロジェクト 防衛問題 防錆管理士の視点 阿部晃成さん講演会 陸上自衛隊手漕ぎボート 雛人形の展示 雪道対策 非常備蓄用ミキサー粥 靴底消毒 音楽 音楽文化 飲料水の備蓄 養老猛司・藻谷浩介対談集 首筋の激痛対策 首筋治療用簡易ベット 高レベル廃棄物問題 高松市1万人アリーナ開所 高校生漫画甲子園 高知でも冬用タイヤ 高知の根源・由来を考える 高知の結婚披露宴 高知の観光 高知の観光資源? 高知シティFM 高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」 高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ 高知シティFM最終収録 高知初の疎開訓練(広域避難訓練) 高知大学防災すけっと隊 高知学研究所 高知市みどり課 高知市副市長人事案件2023年 高知市地域コミュニティ推進課 高知市政問題 高知市津波SOSアプリ 高知市社会福祉協議会 高知市総合防災訓練 高知市長との意見交換会・資料2015年 高知市長期浸水救出計画020年 高知新聞・声ひろば投稿文 高知減災ネットワーク会議 高知県政ぷらっとこうち問題 高知県政問題 高知県民マニュフェスト大会 高知県物産公社構想 高知県立大学との協働 高知県議会立候補者への公開質問状 高知県高校生津波サミット 高知県高校生津波サミット学習会 高知県高校生津波サミット2023 高知県高校生防災サミット 高知蛍プロジェクト 高知警察署下知交番 高知青年会議所70周年 魔の合同研修会1210 鵜の目鷹の目 黒潮町の事前復興まちづくり計画 黒潮町合同研修会2025 黒潮町3町合同研修 120%の体力 2拠点居住 2006年白バイ・スクールバス衝突事件 2010年参議院選挙 2014年東京・横浜出張 2014年衆議院選挙関連 2015年叔母北海道より車椅子の旅・高知 2015年県議選・市議選 2016年熊本地震 2017年衆議院選挙 2018年沖縄県知事選挙 2021年衆議院議員選挙 2021年衆議院選挙 2022年参議院選挙 2023年参議院補欠選挙 2023年徳島・高知合区参議院補欠選挙 2023年県議選 2023年高知市議選 2023自民党政治資金疑惑 2024兵庫県知事選挙 2024年二葉町総合防災訓練 2024年東京都知事選挙 2024年総合防災訓練 2024年衆議院選挙 2024能登半島地震 2024衆議院選挙 3・11ミニ慰霊祭 70歳のスタート 79回目の原爆慰霊の日 A型RHマイナス血液型 SUP同窓会2023年