連合赤軍と新自由主義の総括

2023.11.17

母春子の98歳の誕生日

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 11月17日は、母春子の98歳の誕生日です。でも母はこの世にはいません。昨年12月19日に97歳で旅立ちました。12月17日に1周忌を行う予定です。

 1人息子である私は、子供時代は「過保護」と言われながら育ち明日。父吉正は製紙会社の営業職であり、「飲むのが仕事」の時代であり、夜遅く自宅へ戻るため幼少期の父の記憶はありません。
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 電気工事業をしていた祖父母の公務所と自宅裏に、住宅があり、夕食は祖父母宅で父不在で祖父母と母と叔母と私とで食べていました。母の実家にいましたので、母の影響力は大きいものがありました。その後父の転勤や移動で、小学校は5回転校しました。
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 大阪時代も営業職の父は早く帰宅することは少なく、母と一緒に過ごす時間が長かったです。私は顔立ちも母に似ていると言われていましたが、性格も似たようです。

 おせっかいで、言わなくてもいいことを発言したり、少数意見でも堂々と発言するところは、母の影響であります。中学・高校時代になると社会運動に目覚め、通常の進学ルートからはずれてしまい、高校を卒業できなくなり、高校の担任教師から執拗な自主退学勧告wポ受けましたが、母は断固としてはねつけました。

母「健一は留年させて卒業させます。そして大学へも行かせます。」

教師「お母さんそれは絶対にに無理です。男なら健一君は自主退学して大検で大学進学すべきです。」と言い放ち、4月に新学年の登校日迄一切の連絡が高校側からありませんでした。

 投稿して職員室の扉を開けた瞬間に、高校教師たちが「西村お前何しに来た!」とのたまいました。私は「留年しに来たがよ。おまんらあは何のれんらくもいせんき、今日来た。」といいました。教師たちが臨時職員会議を開き、私を受けいれするクラスを決めました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-d51007.html
(50年経っても悔しい思い出)

 1学年下の連中と一緒に授業を受けました。急に真面目に勉強しようとしても、高校2年ぐらいから真面目に授業を受けていなかったので、ついていけないところもありました。そこは「ガールズ」の皆さんが手助けしてくれました。とても助かりました。
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http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/43-35aa.html

 母もバカ息子のために懸命に支援をしてくれました。おかげでなんとか卒業し、大学へも進学できました。進学した大学の入会したサークルで家内と知り合い結婚し、高知へ戻り家庭を作り子育てし、父がこしらえた小さな会社の後継者となり、高齢者となった父を99歳で、母を97歳で在宅介護しながらみおくりすることができました。
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 1年近く経過しましたが「春子ロス」は続いています。家内は「あなたはマザコンで、あなたたち親子にはついていけないところがある。」と言われています。
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 家内が大学時代から50年お付き合いです。「捨てられない」ように努力します。家内は母とは全く性格が違います。母ともうまく付き合ってくれました。ありがたい存在です。大事にしなければいけないと切に思います。

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2023.11.13

三浦光世先生にお会いしました。

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 前回訪問しお会いしたのがいつだったのかわからないほど前です。2023年11月12日に上本宮町の三浦光世先生宅を訪問しました。同行しましたのは黒岩博夫妻です。

 私は1966年に伊野中学に入学しました。三浦光世先生は国語の先生でした・。3年間国語を習いました。またご主人の良一さんは当時郵便局局に勤務しながら労働運動されており、小説も書かれていました。中学を卒業して、高校時代にも何度がお訪ねし、ご夫婦で「人生相談」に乗ぅていただきました。

 黒岩博さん夫妻は、奥さんが三浦先生の姪になります。一時期旧池川町用居地区で隣同士で三浦先生ご夫妻と置くと黒岩さんの奥さんのご両親は住んでおられたとか。


 16年前のご主人がお亡くなりになりましたが、先生の息子さん2人は県外に居られ、葬儀の段取やその後の法人は、黒岩さんご夫妻が主体でなさったそうです。不思議なご縁がありました。

 黒岩さん夫婦で訪問された二で、うちも家内を連れて行ったらよかったと思いました。黒岩さんは奥さんが行くと言ってくれませんでしたにで。またの機会にしましょう。

 4時間ぐらいたわいもないお話しました。
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 帰り際に三浦先生との写真と、上本宮町に最近設置された公衆電話と一緒の写真も撮りました。黒岩さんありがとうございました。

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2023.05.08

あと最長30年の短い生涯を全力で生きる

 さして根拠のない「強がり」を言います。「最長あと30年の人生。悔いなく元気で全力で生きる!」ことを決意しました。
父は5年前に99歳で。母は昨年97歳で他界しました。わたしも両親の息子なので、運が良ければ最長30年の人生です。今年10月で70歳ですから、最長で100歳超えですね。

 

 しかしいかにも短い。高校を4年で卒業し、大学へ入学してから50年。その大学のサークルで家内と知り合い、交際し、結婚し、家庭をこしらえて50年です。つい昨日のことです。

 

U12からU23まで、政治に関心があり、社会運動や学生運動に参加し、挫折し、いい思い出はあまりない。勉強もせず「人生の1番いい時代」を社会運動や学生運動に関わっていましたが、敗北感と無力感しかありません。渦中にはいませんでしたが、1972年の連合赤軍事件や、新左翼セクト同士の凄惨な内ゲバ(陰惨な殺し合い)の悪影響で、政治活動や社会運動から離脱し、50年が経過しました。

 

 「あれは何だったのか?」が総括できず、あと30年生きたところで総括はたぶんできないことでしょう。但し「苦い経験」から「自分の頭で考える」習慣がつき、また「異論に耳をかた向ける」「人の話を聞く」ようになりました。

 

 小さな事例ではありますが、地域活動では成果もあり、正当なご評価をいただくこともたまにあります。「若いころの間違い」をいつまでもひきづることは「人生の無駄」であることをようやく最近気が付きました。

 

 「それはそれでf大事」ではありますが、「すべて」ではありません。いろいろと「社会のリクエスト」があります。ありがたいことであると思います。高齢者になりつつありますが、へこたれ、くじけることなく元気で残り30年の人生を全うします。

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2023.04.12

”春子ロス”と寿命30年の焦り

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 昨年12月19日に97歳で旅だった母・春子(97歳)。4月19日が月命日ですが、4か月経過するのに、私はまだ立ち直れていません。

 

 生前母が医療センターに緊急入院した昨年1月14日より飲酒していません。というか最近は「飲みたくはありません。」たまに懇親会で知り合いと同席しても、私はお酒は飲みたくないので、もっぱらノンアルコールビールです。

 

 5年前に他界した父の時は、まったくそんな気持ちや、「お酒を飲みたくない」現象はありませんでした。母の存在がいかに大きいか、影響を受けているかを思い知らされています。

 

 49日の供養も終わり、くよくよするなと言われそうですが、やはり「ロス」と思う心は癒えません。ある知人は「母親の死から立ち直るまでに8年かった。」ということを言われました。それぐらいかかるのかもしれません。

 

 父は99歳で他界し、母は97歳でした。「100歳の壁」がある様です。私も健康に注意し、運動もして、事故に遭わない生活を心がけたとしても、最長100歳まででしょうか。そうなると「30年の人生」しかありません。

 

 30年なんて短いものです。今年は4年通学した高校を卒業して50年、大学へ入学して50年。家内と付き合いだして50年です。「あっという間の50年」でした。

 

「些細な違いを認めず殺し合いばかりしていた50年前の社会運動。連合赤軍や内ゲバを総括できず、何もなすことなく気が付けば50年経過しました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html

 

 

 「30年以内に南海トラフ地震と首都圏直下型地震は起きる」とも言われています。その対策も「避難困難地区から脱出」できないので十分にできていません。

 

 「残りの人生30年を無駄にしたくはない。」という気持ちはありますね。ですので焦りもあります。無駄な人生をしたくはない。病気になる暇はない。なすべきことをなさないで人生を終わりたくないのですから。

 

 要介護5の全介助の母の在宅介護が終われば、暇になるだろうと思いきや、余計にせわしくなりました、毎日毎日時間が後ろに飛んでいきますね。

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2023.03.01

50年前の3月1日

 半世紀前のことですが、昨日のことのように覚えています。高校4年間がこの日で終了しました。51年前には1単位不足で追卒業すらさせてくれず、執拗に自主退学処分を迫ってきた当時の高校当局の言動は今思い出しても腹が立ちますね。母が支援してくれました。教師は自主退学を言い立てるだけの屑どもでした。

 大学と異なり高校は落とした単位だけ再履修ではなく、すべての教科の単位と出席日数が足りなければ卒業させてくれません。しんどい限りでしたがなんとか克服出来ました。全てが解放されました。人生の転機でもありました。

 何とか大学へも合格し、翌日から母と下宿探しに行きました。
 卒業式には出席などしたくなく、中学の恩師宅でごねていましたが、ご主人に説得され嫌々ながら行きました。

 終わると脱兎のごとく式場を去り帰宅しました。バカ息子を全面支援してくれた母に報告しました。母とは下宿探しに行きました。すでに条件のいいところはなく、駅から徒歩25分の民家がありました。そこに決め家主に母とあいさつに行きました。

 1972年(留年した年)は連合赤軍事件が起きました。なにより「仲間殺しの凄惨さに衝撃を受けました。1973年に大学へ入学したものの新左翼セクト間の内ゲバ(殺し合い)が激しくなり、社会運動や市民運動、政治活動をその後一切辞めました。それから50年経過しました。

 あと寿命が最長30年として、総括できるのだろうか?たぶんできないまま墓場へ行くようになるでしょう。でも考えてみたいと無謀にも思いました。

 浦島太郎さんのような気分です。

 

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2022.06.19

私には高校の「母校」などはない

 先日「母校」からのお知らせです。と表記された文章が送りつけられてきました。それは1972年の卒業出来す、1973年に卒業した県立高校の校友会とやらでした。
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 なんでも来年から別の高校と統合し、校名もなくなるらしい。同封されているのは「校友会名簿」の購入依頼と、名簿作成賛助金のお願い(一口10000円)表示された紙きれでした。

 

 即ゴミ箱に捨てました。今更「母校」でもあるまい。その高校には「苦い」思い出しかない。屈辱的な思いです。

 

 丁度50年前に1単位差で追卒業もさせてくれず、執拗に自主退学を迫った担任教師は県教祖(共産党系の教員組合)の活動家でした。生徒指導の教員はファシスト教員組合の連中であり、常時厄介者扱いをされていました。

 

 わたしもファシストと共産党系の教員には常に悪態をつき「お前たちは学校の犬だ。」と言うてましたから。とにかくその高校には人生相談するような教員は1人としていませんでした。

 

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-d51007.html (50年経過しても悔しい思い出)

 

 

 当時の教員は80歳前後になっております。ですが50年経過しても、彼らに受けた屈辱は忘れてはいませんから。もし万が1同席するようなことがあれば、こちらも70歳前のお爺さんがスイッチが入り、元教員に暴言を吐き、発言次第によっては蹴とばしたりすると思います。

 

 ですのでその高校など「消えてしまえば」いいんです。高校時代のサークルの後輩たちとは今でも交流があり、「あんたはだれのおかげで卒業できたのかわかっちゅうかね。」などと執拗に今でもいわれてますから。それで十分です。

 

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e58f.html (3月1日は何年経過しても悔しい思い出があります。)

 

 どうでもいい高校と許しがたい当時の教師集団などどうでもいいことです。

 

 その当時懸命に「バカ息子」を支援いただいた母(現在96歳)には恩義があります。
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 要介護5になって101日間の入院生活から戻りました。母の在宅介護の方はわたしには遥かに大事なことですから。

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2022.06.09

天安門事件からはや33年


 天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)は、1989年6月4日(日曜日)に中華人民共和国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した事件である。

 もう33年も経過しましたか。民族解放闘争の旗手として、欧米の植民地主義と対決するアジアの雄として中国共産党はそれなりの信望を集めていました。しかし1989年6月4日は、民主化を求めた天安門広場で集会を開いていた学生や市民労働者に、あろうことか武装した人民解放軍が武力鎮圧に回りました。水平射撃で多数の青年学生が命を奪われました。

 今年も6月4日は北京市天安門広場は警察によって閉鎖され、天安門事件は「なかったこと」に中国共産党はしています。今や経済大国になった中国はその経済力を世界平和や環境保全に費やすことなく、軍事的威嚇や侵略的挑発を繰り返しています。専制独裁主義の脅威を周辺諸国は感じています。

 近隣国を脅かすよりまずは、民主化し、天安門事件を当局者が反省し、検証すべきでしょう。

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2022.05.15

沖縄返還から50年

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 今年は「50年」という節目の意識する出来事が続きますね。2月は「連合赤軍事件」から50年でした。

 5月15日は沖縄返還から50年です。実は家内は沖縄県出身。「知無どんどん」を一緒に見て沖縄について語ります。彼女は沖縄返還の前にパスポートを持参し首都圏の大学へ進学しました。
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 日中国交正常化で50年目です。なにかと「悪者」になっている中国ですが、隣国です。仲良くしたいものです。

 沖縄は中国と対立をことさら煽り立てる人たちは、「前進基地」の様にいう無責任な人たちの言動が気になります。
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 義母が存命中に何時も言われていたのは「沖縄は軍事基地があります。基地があれば攻撃されるので怖いです。」と言われていましたことを覚えています。
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 未だに米軍基地の存在は本島では過大ですね。悩ましい問題です。
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2022.04.14

現実のスピードと変化に追いつけません

 今年は私個人の「総括」は、2月の『連合赤軍事件から50年」ということで、「人は思想で仲間殺しが簡単にできるのか」「人を解放するための革命思想が何故仲間殺しに収斂したのか?」をしっくりと考えていくつもりでした。


 


 ところがロシア軍が2月24日に隣国ウクライナに正規軍25万人が軍事侵攻しました。ロシアの軍事攻撃はウクライナ軍の軍用施設にとどまらず、一般市民の住宅や学校や病院、教会や保育園、鉄道駅など無差別攻撃を行い、占領した地域ではウクライナ市民を拘束し、拷問の上多数殺害した戦争犯罪を繰り返しているようです。


 


 情報化の時代ですから、市民がスマホで撮影した動画か世界に流れる時代。毎日日にちロシア軍の悪逆非道ぶりが映像で見ることが出来ます。


 


 さらに生物化学兵器や核兵器まで使用される可能性がある屋に言われています。21世紀の時代に、前時代的な戦争が起きていることに、ついていくことが出来ません。映像で毎日見ているウクライナの惨状は現実であり、現在進行形なのです。


 


 過酷な現実に「何もできず放心」している情けない自分がいます。専門家筋も政治家も皆混乱していると思いますね。


 


 ウクライナ戦争は侵略者のロシアの勝利はありえず、ウクライナ解放軍がロシア軍を東部で撃退して勝利する以外に戦争は終結しませんね。案外近い将来ではないかと思います。

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2022.03.02

連合赤軍50年

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 2022年2月28日は、「連合赤軍事件から50年」の日です。軽井沢のあさま山荘に人質を取って銃器で武装した5人が、警官隊の突入で全員逮捕され、人質も無事でした。


 


 警察官2人が殉職しました。民間人1人も亡くなりました。


 


 1972年2月28日は、私は高校を卒業できなくなり、この事件を自宅で母と2人で見ていました。当時「信仰」していた毛沢東思想がこの事件で崩れされました。
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 偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。


 


 当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。


 


 「世界的な排外主義・差別許容の風潮を憂う。」


 


 多様性を否定する自国優位主義、民族優位主義、差別主義の台頭が最近世界各地で目立つ。日本でも「復古主義」で排他的な自民党の長期支配が継続している。「偏狭な復古主義的な世界観で、すべてを推し量り支配しようという強引さ」が目立つ。最近では「野党」の維新までが憲法改正を言い立てていますね。


 偏狭で排他的が故に、結果世界中を敵にまわし、多大な犠牲を自国民にも近隣諸国にも強いて無残に破たんした大日本帝国。その「破綻した国」に戻ろうとして憲法改正を叫ぶ理屈は、理解不可能です。排外主義と独善主義、差別主義が混じっている「復古主義」に政権政党の自民党が支配されていることが怖いです。

 本来なら社会運動が興隆して、偏狭な排外主義や差別主義を退治しないといけない筈。連合赤軍事件とその後の市左翼セクトの精細な内ゲバの蔓延で日本の社会運動は見る影もなく衰退しました。残念なことですね。

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