連合赤軍と新自由主義の総括

2019.06.04

天安門事件から30年が経過しました。


天安門1986年
 1979年6月4日。中国北京市の天安門広場に集まっていた学生や青年労働者に対して、人民解放軍が戦車などで発砲し多数の人民大衆が虐殺されました。「人民に銃口を向けない」とされてきた人民解放軍が、あろうことか自国の民主化と政治的自由を求めて天安門広場に集まってきた真摯な人民大衆を「暴徒」と中国共産党指導部は決めつけ、虐殺し歴史を偽造続けています。
新左翼1960年代
 1960年代後半は全世界を若者パワーが席巻していました。フランスの5月革命、日本やアメリカや欧州のベトナム反戦運動。中国の文化大革命。田舎町の中学生も影響を受けていました。当時国交のなかった中国の物産を販売していた日中友好協会(当時)の人たちの多くは毛沢東主義者であり、文化大革命の映画を上映していました。世間知らずの中学生は影響を受け、「造反有理」の理念に共感し、勉強もせず毛主席語録を暗唱していました。会場で購入した毛主席バッチを学生服に着けて高校時代は登校していました。

 70年安保闘争の敗北と社会運動の後退局面で起きた出来事が1972年の連合赤軍事件でした。毛沢東主義を標榜する指導部が多くの仲間をリンチで斬殺した事件でした。勉強もせず学習していた毛沢東主義が崩壊しました。その年には高校を卒業できず、留年し翌年卒業しました。
連合赤軍事件1972年
 大学へ入学した時は既に社会運動は衰退期になり、新左翼党派同士の凄惨な内ゲバ時代になっていました。今にして思えば連合赤軍、当時の新左翼党派各位も、「ささいな違い」を許容せず排除し、対立した人物を殺害するという広がりのない「純化主義」に陥っていたように思います。
時代を振り返る
 時代は下り大学は4年で卒業し、都市部での社会人体験を経て。田舎町にUターンをし、父の創業した零細企業で働きました。、周りの水洗で1985年に高知青年会議所(JC)へ入会。翌年の1986年に日本青年会議所研修委員会へ出向させられました。高校生時代に経験した社会運動と対極にある右派系の青年団体でした。その研修で1986年5月に中国北京で研修があり、現地の共青(共産主義青年団)との食事会が人民大会堂でありました。建物の前が天安門広場であり、かつての毛沢東主義者にとっては憧れの地でしたので、一緒に同行した仲間に写真を撮影してもらいました。

 しかしその3年後に自分が行った天安門広場で、青年・学生を軍が虐殺する天安門事件は起きました。

 その後中国は日本などの経済支援と技術供与を受け、急速に経済発展しました。真摯な学生たちに民主化の想いを押さえつけ、経済発展することでごまかしてきました。最近は「赤い帝国主義国:として散漫な振る舞いが目立ちます。

 香港も中国化してきて、自由な集会が開けなくなってきつつあるようです。中国共産党指導部は、当時の過ちを認め、遺族に謝罪し、政治的な自由、言論の自由のある民主国家になっていただきたい。異論を否定しない多様な考え方を許容する市民社会を中国は目指してほしいと切に思います。

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2019.03.09

無益だった日本の社会運動。負の遺産

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 2019年3月3日の高知新聞11面の特集記事「憲法マイストーリー・生き方から考える価値」は改めて考えさせられる記事でした。

 「個人尊重せず暴力闘争」「学生運動元行動隊員「限界あった」「かみあわず」「面白くない」というキーワードが見出しになっています。
 記事で取り上げられていたのは当時早稲田大学法学部学生で民青(共産党の青年組織)に所属していた宮崎学さん(73歳)。51年前の1968年に宮崎さんは民青の行動隊を率い、東大教育学部にいて、全共闘学生と暴力的な対立を繰り返したそうです。

「60年安保闘争が終わると、民青と反民青の対立が激しくなった。民青は組織的な行動を求め。、個人の多様性を認めなかった。
 反民青の全共闘でも内ゲバ(組織内での暴力闘争)を繰り返し、どこも組織と運動がかみ合わなかった」

「学生運動は社会そのものを動かせなかった。階級闘争に終始し、個人を大事にしなかった。そのあたりに限界があり、もっと考えねばならないことがあった。」

 「階級闘争」ではなく「暴力闘争」「内ゲバ」「仲間殺し」をやっていたにすぎません。その極みが1972年の連合赤軍事件であり、凄惨な党派間の内ゲバ抗争でした。一時的に盛り上がった日本社会の社会運動も一気に衰退し、政治に「しらけ」る世代が蔓延する原因を作り出しました。
 つまりは日共系も反日共系も宮崎学さんが言われるように「個人の多様性を認めず、組織優先の暴力闘争ばかりして内部崩壊した。」ということでしょうね。

 かつて対立した荒岱介さん(早稲田在学中にブント(共産主義者同盟)戦旗派リーダー。2011年死去)をお見舞いに行かれた時に、「どこで間違えたのか」と宮崎さんが聞きますと、「全部間違ったんじゃねえぁ」と荒さんは答えたといいます。

 ドイツやフランスは学生運動から政治のリーダーが生まれ、国の政治にも大きな盈虚力を持ちましたが、日本では全くそうなりませんでした。
 やはりその原因は「個人尊重せず暴力闘争」ばかりして、「組織的な行動を求め。組織優先で個人の多様性を認めなかった。」社会思想の粗雑さ、稚拙さにあったと言えるでしょう。

 50年経過してようやく「身に染みて」理解できるようになりました。
 1968年から1969年と言えば、中学3年生から高校1年生の青年前期の多感な時期。ひたすら社会運動にあこがれていた田舎の学生でしたが、まったく中身のない、こけおどしの粗雑な革命思想であったかと。がっくり来る現実ですね。

 ではその後日本は豊かになり社会問題はなくなったかといますと、さにあらずです。格差社会はより進展し、国民の意識と中央政府の意向がものすごく乖離しています。その現実を埋め、解決できる社会運動の再構築が今こそ望まれていると思います。

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2019.03.01

47年経過しても苦い思い出

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 3月1日は高知県では県立高校の卒業式です。47年前の1972年の3月1日は、わたしは高校を卒業できず、自宅待機をしていました。1単位が足りませんでしたが、追卒業は3月15日にできましたが、それすら学校側が認めてくれませんでした。

 担任の教師(県教祖の活動家)は、自宅へきて執拗に自主退学を進めました。「男なら大検の資格を取得して大学進学をすべきである。」といいました。
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 留年した原因は、当時高校生運動に深く関わっていて、真摯に「革命戦士」を夢見ていましたから。しかし運動体は解体し、同学年の他校の2人は退学処分。別の高校の2人は自主退学し、1人は市役所に就職、1人は大検受けるようでした。
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 同じ高校でも私を含め5人が卒業できませんでしたが、5人で協議した結果、2人が別の私立高へ編入することになり、1人が自衛隊へ行くことに。もう1人は「商売人になる」といい大阪へ丁稚奉公に行きました。同じ高校へ留年(原級留置というそうです)したのは私だけでした。

 1972年当時は。わたしは今思えば阿保でした。毛沢東思想に心酔し、まかり間違えれば、連合赤軍に参加していたかもしれなかったです。事実その党派からのスカウトもありました。
 躊躇しているうちに連合赤軍事件が起こり、浅間山荘事件もありました。留年が確定していたときに自宅で母と2人でテレビを見ていました。勉強せずに信仰していた毛沢東思想が崩れましたから。
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 学校側は春休み中なんの連絡もないので、4月になって登校日に職員室に行くと「何しに来たんだ!」と教師たちはたじろいでいましたね。「留年しに来た」と言うと、30分ほど校長室で待機させられ、臨時職員会議で所属のクラスが決まりました。1学年下の連中と一緒に1年間授業を受けることになりました。

 担任の教師の言うのも一理あり、今でもどうかしりませんが、わずか1単位足りなくても卒業できなければ、全科目やり直し、再履修しないと卒業できません。出席日数も足りないといけないし。
 時代は連合赤軍の悪影響と内ゲバに時代になり、社会運動が急激に下火になり、高校生組織も崩壊しました。

 やることがなくなったので、一応授業には出て、勉強をまじめにして単位をすべて取得、大学受験も合格して卒業できることになりました。

 しかし「けったくそわるくて」1973年の卒業式は行きたくありませんでした。高校の近くの中学時代の恩師の先生夫妻と相談したら説得され、しぶしぶ卒業式へいきました。今度は1単位差で卒業できました。1年間回り道をしました。
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 県教組系の教師(共産党)とも独立高等教組の教師(ファシスト)とも徹底的に対立してましたから、余計な話は一切なしで式が終われば一目散に退散しました。2年連続して「けったくそわるい」思い出です。

 留年して卒業して、大学へ進学しそこで家内と知り合い結婚し、家庭をつくり、零細企業の主になり、両親の在宅介護をし、小市民になりました。

 人間誰でも「疾風怒涛」の時代があります。その時代に、誰かをケガさせたり、自分がケガさせられたりなくてよかったです。「若気の至り」で一生を限定されるのは嫌ですから。

 連合赤軍と新自由主義の総括に関する雑文

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html

 卒業できたのは、1学年下のガールズの皆様の支えがあればこそでした。
「あんたは誰のおかげで卒業できたんか、わかっちゃうがかね。」と46年経過しても、言われています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/43-35aa.html

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2018.11.13

45年目のお付き合い サークルの同窓会

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2018年11月10日ですが、大学時代のあるサークルの同窓会が新宿で開催されました。
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 地方出身者が多い大学らしく、北海道、群馬、日野(島根)、青梅(岩手)、狭山(静岡)、文京区(群馬)、高知でした。45年前に知り合いましたが、皆いい年した爺さん、婆さんですが、話が止まらない。DSCN0654_R

 20歳頃の記憶は鮮明に覚えていて、それを検索するのが楽しい。

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2018.08.15

連合赤軍と新自由主義の総括(その1)

 この数年来、個人的な「こだわり」から、大風呂敷を広げ「連合赤軍と新自由主義の総括」と言う題目で自分なりに精一杯考えていました。私自身はその時代「渦中」にいたわけではありません。田舎居住の小市民にすぎない私は、高校生時代から連合赤軍と新自由主義の影響を常に受け続けて来ました。

 「多様性を圧殺する組織は、右も左も大嫌いです。」

 連合赤軍と新自由主義に共通していますのは、「一元的な価値観ですべてを解釈し、人々を統制下において支配し、多様性を認めない世界観を持っている。」ことです。

 偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。

 いい加減で強権的な自民党安倍政権が長期に継続している大きな要因は、対抗する野党を含めきちんとした社会勢力が現れないし、国民の支持を集められないところにありますね。

 一方の新自由主義は、「自由奔放な経済の発展」を表向けにしていますが、実態は多様性を否定する独占資本主義の擁護に過ぎません。ある意味「社会の多様性」を保証する([棲み分け)を促すための規制が諸悪の根源と攻撃し、「規制緩和」を叫んで、独占資本の闊歩と横暴さを社会に蔓延させるだけの粗悪な経済原理でした。規制緩和でイオンが店舗を展開しますと地域社会に根付いていた地方の商店街は壊滅しましたから。

 
 偏った世界観や価値観を社会全体に強要し、人々の多様性を全否定する考え方とは決別しないと世界は発展しません。右であれ、左であれ、価値観の強要と、独裁主義は大嫌いです。

 「世界的な排外主義・差別許容の風潮を憂う。」

 多様性を否定する自国優位主義、民族優位主義、差別主義の台頭が最近世界各地で目立つ。日本でも「復古主義」で排他的な自民党安倍晋三政権の長期支配が継続している。「偏狭な復古主義的な世界観で、すべてを推し量り支配しようという強引さ」が目立つ。

 偏狭で排他的が故に、結果世界中を敵にまわし、多大な犠牲を自国民にも近隣諸国にも強いて無残に破たんした大日本帝国。その「破綻した国」に戻ろうとして憲法改正を叫ぶ理屈は、理解不可能です。排外主義と独善主義、差別主義が混じっている「復古主義」に政権政党の自民党が支配されていることが怖いです。

 安部晋三政権の政権運営は、「日本人の本来持っている謙虚で真摯で、生真面目で、多様な価値観を許容する伝統を全否定する。」ことばかりしている。先の大戦の戦没者の供養と敵味方なく行っている今上天皇陛下の平和主義、護憲主義を無視した不敬な発言を安倍政権は行い続けています。

 今年は大阪北部地震や、ほどなく起きた西日本豪雨の災害が起きました。従来災害襲来地とされなかった地域での災害。国民は誰も「災害では死にたくない。」と思います。「国民が死なないようにする。」「死なせないことをすることが政治」の本質であると私は思います。しかし現在の日本国の国政は、その理念で行われてはいません。

 偏狭な復古主義的価値観に支配されている安倍政権は、国民の想いからは、遠く離れた場所で、「勝手なことばかり」しているように見えますね。「お友達優遇政治」「身内だけのえこひいき政治」が目立ち、公共性のかけらも感じません。そのくせ、実に排他的、独善的な差別主義が露骨。「1日も早くj多様性を認めない安倍晋三自民党政権を終焉させましょう。

 多様性を進める国や組織が成功を収める。そう確信したのは、経済学者の野口悠紀夫氏の著作「世界史を創ったビジネスモデル」を読んだからでいた。

 ローマ帝国は、多様性を認める寛容さで500年間広大な領土を維持できました。

 以前書いた「読書感想文」から引用します。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-c460.html
(世界史をつくったビジネスモデル)を讀んで

 戦前の日本帝国と対照的なやりかたで世界帝国を建設し、しかも500年間存続させた古代ローマ帝国を事例として野口悠紀夫氏独自の視点で分析しています。

「ローマ帝国は成功した。それは、分権化した国家機構、小さな官僚機構、自由な経済活動、平和、強力な軍などの条件による。」

「ナチスドイツが寛容政策を取っていれば、第2次大戦の結末は違うものになっただろう。ソ連が市場経済制度を導入していれば、集権下に伴う問題を回避できただろう。

 野口悠紀夫氏は日本の現実をこう指摘しています。

「今の日本では、分権的な機能が機能しておらず、官僚機構が肥大化している。国全体も地域も企業も、異質のものを排除し同じ仲間だけで集まろうとする。

 古いビジネスモデルに固執して、新しい技術の導入を怠っている。異常な金融緩和政策で財政支出をまかない、企業は国の介入に依存するようになってきている。これらはきわめて深刻な兆候だ。しかも無視ないしは、軽視されている。

 日本は歴史に学ぶことができるのだろうか?」(P443)


「ナチスは人種的偏見のためにユダヤ人科学者を失った。これは、ローマ帝国がその末期に、ローマを守るゲルマン人を人種的偏見から排斥したのとそっくりだ。だから失敗すると予測できる。」

「ソ連の全体主義計画経済は、ディオクレティヌス帝以降のローマ帝国と殆ど同じ構造である。したがって、ローマ帝国のような崩壊の道を辿るだろうと予測できる。」

「中世のイタリアでは、都市国家が発展した。近代のヨーロッパも国家が分立していたからこそ進歩した。ところがEUはそうしたヨーロッパの歴史と異質のものである。

 EUはローマ帝国と同じだと思っている人が多いが全く異質だ。したがって、いずれ失敗すると予測できる。イギリスのEU離脱は、EUが終わりに向かう過程の始まりだろう。」

「ドナルド・トランプ米大統領は、自由な貿易を否定し、伝統的な製造業をアメリカに復活させることによって、失業した労働者に職を与えようとしている。そして移民や外国人労働者に対して非寛容な政策をとろうとしている。

 こうした政策が失敗するのは、火を見るより明らかだ。このような政策がアメリカを強くするなど、決してない。それは確実にアメリカの産業力を弱めるだろう。

 トランプ大統領の政策は、控えめにいっても時代錯誤の復古主義だが、国のビジネスモデルの基本から見ても明らかに誤りだ。

 建国以来のアメリカは、古代ローマの再建を目指し、そのビジネスモデルを意識的に模倣した。その理念は「異質性の尊重と寛容」だ。バラク・オバマ大統領が退任演説で強調したとうりである。」

「IBMがサービス事業に転換し、アップルが水平分業を実現し、グーグルがインターネット時代のビジネスモデルを構築した後の世界において、モノを作ることに固執するのは無意味である。

 シャープが失敗するだろうことは、かなりの確度をもって予測できた。これはビジネスモデル選択の問題であり、よく指摘されているような人事をめぐる内紛の問題ではなかったのだ。」(P447)

「予測の自己実現効果で社会が進歩する。」

 引用箇所が多いですが、この本の「エキス」であると思いますので、そのまま引用します。

「歴史の知識は、勝ち馬に乗ろうとする個人を助けるだけではないことだ。それは社会全体に利益を与える。何故なら多くの人々が歴史法則を知れば、成功すると予測されるビジネスモデルに対する支持が強まり、実際に成功するからである。」

「たとえば、ある会社が、歴史法則から見て成功するだろうと考えられるなら、優秀な人が集まる。そして、会社は実際に成功するだろう。予測は自己実現するのだ。これは「オイディプス効果」とか「マタイ効果」とよばれるものだ。歴史法則も自己実現するのである。」

「成功するだろうと歴史法則によって評価されるビジネスモデルは「正しい」モデルだ。
それが、偶然の些細な条件によって挫折してしまうという事態を避けることができ、本来成功すべきビジネスモデルが実際に成功できれば、社会は進歩する。」

「ナチスのドイツから逃げたユダヤ人の科学者たちは、アメリカが成功すると考えてアメリカに来た。そして、彼らの寄与により、アメリカの科学技術が実際に発展した。

 IT革命も同じだ。これはアメリカ人が実現したと言うよりは、シリコンバレーに来た外国人、とくにインド人や中国人が実現したのである。これらはアメリカのビジネスモデルが成功するだろうと言う予測が自己実現した例だ。」

「インターネット時代になって歴史のデータを引き出すのが容易になったので、歴史法則の自己実現効果は強まった。それを巧みに利用できる企業や国家の成長が加速化することになる。」

「ところで、歴史と言う集団記憶を維持できるのは、人類だけである。恐竜は遺伝子を通じて身体の機能や形態を進化させた。そして環境に適応して繁栄し続けた。しかし、集団的な記憶を持っていたのは遺伝子であり、歴史ではなかった。人類だけが歴史を用いて進化することができるのだ。

 ナチスドイツやソ連のような国家は、これからは現れないと思う。ただし、それは人々が歴史を知っている場合の事だ。北朝鮮のように歪められた歴史が教えられている国では、抑止効果は働かない。

 歴史に対する誠実さを欠く社会は、進歩から見放された社会だ。」(P446)

 日本人は多様なものを許容し、共存していくことを得意としているように思います。

 12月にクリスマスをお祝いし、大晦日に除夜の鐘をきいて、元旦に神社へ初詣する。結婚式は牧師や神官を雇い、葬式は仏教式で大半は行います。宗教的には「いい加減」と言われるが、寛容さというべきでしょう。ローマ帝国も数10万の神がいました。キリスト教がローマ帝国の国教になり多様性が失われ、帝国は滅びました。

 卑近な例を言えば「自分の話は聞いてもらいたい。」が「他人の話は聞きたくない」人が以前より多くなったんではないかと思いますね。

 SNSも盛んですが、ネット社会という者は、いつのまにか「自分と似たような境遇、似たような考え方、同世代の人達の偏りのある交流に過ぎないところがあります。「易きに流れますと」交流を広げるためのSNSが、「狭い範囲」での付き合いに終わる事例になってしまいます。

 「連合赤軍」や「新自由主義」のダメなところは、「一元的な価値観で人々を支配しようとする偏狭なコミュニティ社会」であるとことです。異論を認め、多様性を認めた社会をこしらえていくことは、「言うは易し」であり、実現はとても難しい。

 沖縄の辺野古基地反対運動も、原発の反対運動にしても、政権側からどうしても絶対的な少数派に「押し込まれて」しまいます。とても辛い事であると思います。でも「傍観している」多くの人達は、実は支援したい人達が多くいるのかもしれません。

 孤立状態が長く、押し込められている時間が長いと気持ちに余裕がなくなり、手助けしない周りの人達を「なぜ一緒に戦わないのか!!」となじったり、攻撃したりします。左翼一般が総じてそうでした。だから多数派になることが出来なかったのです。

 些細なことで対立し、時には暴力的な抗争までしました。「小異を捨てて大同に付く」ことも時に必要。いつでも「少数派」で、いつも「負けている」ことばかりでは、精神的に冷静さを保つことは難しい。

 難しいけれども、いつか連携することを信じて、異論を聞き、対話をして握手をしましょう。握手するにもとげがある手では出来ませんから。

 

 

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2018.06.04

天安門時間から29年目です

1986年に初めての海外旅行が中国の北京周辺でした。

天安門広場で記念撮影し、人民大会堂で食事会をしました。革命広場を散策しました。(写真です。髪の毛が黒いです。32年前ですね。)

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 3年後多数の市民や学生が集まっている革命広場に、あろうことか人民解放軍が発砲し、戦車が突っ込んでいる映像を見て驚愕しました。

 1972年の連合赤軍事件と1989年の天安門事件によって進行していた毛沢東思想は崩壊しました。

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2018.05.23

ゲバ文字も立て看板も一種の文化遺産?


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 日本経済新聞はユニークな全国紙。経済専門の形態ですが、コラムや特集記事は他の全国紙や地方紙にはない独特の味がありますね。2018年5月20日朝刊の1面のコラム「春秋」は面白い。

「ゲバ字をご存知だろうか。」で文章は始まります。それは「ビラや立て看板に踊っていた独特の書体だ。字形は極端に角張り、闘争を斗争、万歳を万才などと略字で書き、いかにも物々しい雰囲気を伝えていた。中国の文化大革命に登場した「大字報」の影響もあったろう。」とありますね。

当時私はアホな若者であり高校生時代に負け続けていた社会運動に打ち込み卒業できず1年留年して卒業、大学へ入学したのは1973年でした。1968年をピークとする学生運動も衰退局面にありました。学費値上げ反対運動などの集会などがありました。

 サークルの案内や各グループの自己主張は、立て看板に日経新聞の言う「ゲバ文字」で書かれていました。アートな書体なんでしょう。書いていた先輩が「最近の新入りは立て看の字も書けない。デモ指揮も出来ない連中が多い。昭和30年代以降の連中はダメだね。」とか言われていました。「今は昔」のお話です。「伝統」は滅びてしまいました。

 5月には1968年のフランス5月革命がありました。日本でも大学での闘争がありました。アメリカではベトナム反戦運動が展開され、中国では文化大革命。チェコでは「プラハの春」がありました。「かつての若者」であった私も少しだけ現場の雰囲気を味わいましたが、1972年の連合赤軍事件と陰惨な内ゲバが繰り返され、新左翼の社会運動は壊滅しました。
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 京都大学の立て看板も風物の1つ。市当局が景観条例をたてに取り締まる方がおかしい。日経も「京都らしい場所ではないか」と嘆いています。

 価値観は多様であり、多様性を認めることが社会の活力であると思います。全体主義がはびこりますと社会の活力が衰退します。

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2018.03.01

46年前の出来事ですが未だに悔しい

 3月1日は高知県では県立高校の卒業式です。46年前の1972年にわたしは高校を卒業できませんでした。成績不良であり出席日数も足りませんでしたので当然です。わたしの責任です。

 当時の担任教師は自宅へやって来ては執拗に自主退学を勧めました。当時5人卒業できませんでした。話し合いをするとうち2人は転校しました。1人は自衛隊へ入隊。もう1人は「俺は松下幸之助になる」といって退学しました。

 私だけが1人留年し、1学年下の連中と1年間3年生をすることになりました。当時の高校は(今はどうだか知りませんが)、僅か1単位足りなくても「原級留置」と言い、全部の教科を再履修しなければなりませんでした。

 担任教師が、出席日数もクリアし、テストでも落第点を取らず卒業するのは無理であると思ったのは職業から当然でしょう。あまり執拗に自主退学を勧めるので、最期は母も激怒し、「息子を留年させ、卒業させ、大学進学させます。」と言いました。

 担任教師は「それは絶対に無理です。私が保障します。」と言い放ちました。そして春休みの間高校側からは留年するとの意思を担任教師に言っているにも関わらず何も連絡はありませんでした。

 4月の登校日。職員室へ行くと「お前は何しに来た!」と教師たちが言うから「留年しに来たんだ。何の連絡もないから。」と言いました。臨時職員会議をするから校長室で待ちよれと言われました。

 ようやくクラスが決まり1学年下の連中と一緒に授業を今度は真面目に受けました。教科書も制服も体操服も変更になっていました。教科書だけはないと困るので購入しましたが、体操服や制服は購入しませんでした。連絡しない学校側が悪いのですから。それで1年間通しました。

 10月頃になって母の友人の息子さんがある国立大学の医大生でしたが、なぜか高知に居ました。その人に英語の勉強の仕方を教わりました。

「お前はとにかく英語はダメだ。時間がない英作文は丸暗記しろ。英文読解は配点が大きいからきちんとした文章を書くように」とつけ刃的なご指導を受けました。にわか勉強をしました。そしたら15点しか模試で取れなかった英語が、50点ぐらいとれるようになりました。

 2月になりいくつか私立大学の文系学部を受験し、大学へ合格しました。高校教師は「奇跡だ」とか言っていました。大学は合格したものの高校の単位を取るのに苦労しました。前年と逆に1単位差で卒業することができました。

 けったくそ悪いので1973年3月1日の卒業式には行かないでおこうと思い中学時代の恩師の先生宅へ行って相談していました。ご主人が「そういわずに卒業式は行けよ」と言われ自転車で高校まで送ってくれました。行くだけ行って式が終わればすぐに帰りました。

 456年経過しても未だに「けったくそ悪い」苦い思い出です。

 よく高校時代の同窓会なんかやっている人達がおられます。わたしにはそれはありませんし、拒否しています。2人の子供たちも県立高校を卒業しました。わたしの高校時代に関わりの合った教師はその高校へ赴任してきませんでした。良かったです。

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2018.02.23

現代日本社会の病理・自称「意識髙い系」の人々

 週刊現代の先週号(2月10日号)の佐藤優氏のコラム「名著。再び」の書評は、うなずくことが多い文章でした。佐藤優氏が論じた著作は「意識髙い系」の研究」(古谷経衡・著・文春新書・2017年刊)でした。

「努力する覚悟も能力もない それでも承認はされたい!「現代病」の実態」と今回の佐藤優氏のコラムの題名です。冒頭から引用します。

「大学生や20~30代の青年で、承認要求が肥大化しているが、実力が伴わない人がときどきいる。こういう人に勉強法を指南しても、継続的な努力が出来ないために、成果を全くあげることができない。

 自分の力は標準に達していないのにかかわらず、他人を見下す傾向がある。また、こういう人は
ノマド(遊牧民)、シンギョラティ(特異点)などのカタカナ用語をあちこちに千ラバめるが、その意味を正確に理解しているとは思えない。

 こんな生き方をしても滑稽で、誰からもまともに相手にされなってしまうことくらいわかる筈なのに、立ち居振る舞いを矯正することができない。本書を読んで、こういう人たちは「意識髙い系」というカテゴリーに括られ、独自の内在的論理をもっていることがわかった。」(週刊現代2月10日号 P116)

 なるほど、そういわれてみると該当する様な人物が過去にも何人かいました。私自身も大学時代に「その種」の傾向があったと自省します。「高校時代は浅薄な革命思想に被れていたので、大学では経済学などを真面目に勉強しよう」と思ったものの、勉強は3か月も続きませんでしたから。

 佐藤優氏の指摘は鋭い。「意識髙い系」の人達の願望は持論が公共性を獲得し、社会から認められたいという欲望がことさら強い「厄介な」存在であると。
  また1昔前と異なり最近ではインターネットの発達で、手軽にSNS(フェイスブック、ツイッター、インスタグラム等)で、「意識髙い系」は、加速度的に「可視化」されるようになっているそうです。

「(うざい、痛々しい、不愉快、とだけ形容される「意識髙い系」は漠然とした忌避や嘲笑の対象としてネット空間のみならず、いまやドラマなどのテレビ番組の中でも使われるほど単語として市民権を得た)古谷氏は指摘する。」(P117)

 自己顕示欲のせいであるとは思えませんが、日本社会で「護憲運動」や「反原発運動」が市民各位に広がりがないのも、運動体に意識、無意識に「意識髙い系」と見える振る舞いや言動が感じられるからではないかと思います。

 「自分たちは正しい事をやっている。」「自分たちは間違っていない。間違っているのは安倍政権」「安倍政権を無批判に支持するB層の政治的無関心な市民が悪いのだ。」と言い続けている限りは、広がりはないと思いますね。

 最後に佐藤氏はこう言います。

「学生時代と社会に出た初期に、自分を評価してくれるまともな大人との出会いがないと「意識髙い系」になりやすいのだと思う。」(P117)

 わたしの場合は、社会人2年間に森雅弘さんと言う許容量の大きな上司に恵まれました。営業のスーパースターでありましたが、持論を押し付けることもなく、生意気な若造の主張を根気よく傾聴していただき、「そこまで言うならやってみろ」と背中を押していただました。今でも交流を続けている人生の師匠です。
 
 また担当していた得意先のオーナーの荻野正吾さん、正宏さん、賢二さんとの出会いがあり、ご指導いただいたことが、社会人のスタートとしてはとても幸運でした。仕事の意義。営業のやりかた、商売人の心得を叩きこまれました。

 せっかくのご指南をほぼ40年近く活用できませんでした。わたしは無能でした。昨年からそのことを思いだし、真摯に努力しますと少し結果が出ました。「遅れてきた青年」は初期高齢者となりましたが、「人生125年」の老師の教えに従い「人生まだまだこれからだ」と奮闘してみようと決意しているこの頃です。
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2017.06.27

「ドラゴン桜」の設計思想


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 今日は週刊モーニング(講談社)の発売日(毎週木曜)です。近くのコンビニへゴミ拾いしながら早朝行きました。GIANT KILLINGとかグラゼニ、クッキングパパとかジパングとか老舗作家の作品も満載ですが、新人作家の登竜門でもあるようです。知らない作者の作品が多い。

 今週号(30号)で「面白い」と思ったのは、「モーニングを作った漫画たち」(コージイ城倉)です。「ドラゴン桜」(三田紀房・作・2003年~2007年迄)でした。10年前に連載は終了していますが、関連本も出版されドラマ化もされました。

 丁度娘が高校時代に担任教師が「ドラゴン桜」の愛読者だったらしく、授業中に「古典の源氏物語は「あさきゆめみし」(大和和紀の漫画)を読め」と言ったそうです。

 「先生それは今週号の「ドラゴン桜で桜木が言ってました。」とネタバレ発言をしたそうです。現職教員[特に受験指導担当)に隠れた愛読者が多かったようですね。

 P259は龍山高校3年生。特進クラスの生徒の水野直美にたいして桜木建二(弁護士で、私立龍山高等学校の運営問題を請け負人)が言い放つ場面が特集されています。

「社会のルールっていうやつは、すべて頭のいい奴が作っている。」

「それは つまりどういうことか。そのルールは頭のいい奴に都合のいいように作られてるんだ。」

「つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさってると、一生だまされて高い金払わされるんだ。」

「・・だまされたくなかったら、損して負けたくなかったら、自分でルール作る側にまわれ。勉強しろ」

「お前らガキは社会について何も知らないからだ」

「知らないと言うより大人は教えないんだ そのかわり 未知の無限の可能性なんて何の根拠もない無責任な妄想を植え付けるんだ」

「そんなもんに踊らされて 個性生かして人と違う人生遅れると思ったら大間違いだ!社会はそういうシステムになってない。 それを知らずに放り出される。」

「そこに待っているのは不満と後悔が渦巻く現実だ。」と。

 高校時代にこうした「現実」を思い知らせてくれる教師との出会いは残念なことにありませんでした。「社会革命」が本当に起きるかもしれないと信じていた幼稚な高校生でしたから。

 卒業できずただ1人留年して、2度目の3年生をしていました。運動体も壊滅し、高知から出て行きたいと思っていました。幸い父の家業も順調で学力さえ伴えば進学は可能でした。でも英語が全然ダメでした。

 9月になって担任教師が執拗に旺文社の実力テストを受けろと言いました。いやいやながら受けました。そしたら英語が15点、社会が95点、国語が90点でした。[英語さえ点数がとれたら私大文化系学部へは進学できる」ことがわかりました。

 そしたら母の女学校時代の友人の息子さんがある国立大学の医学部学生(土佐高校卒)で何故かぶらぶらしているとの事。その人に母が英語の家庭教師を10月に依頼しました。

 その人曰く「お前ら県立高校はな全然英語が駄目。ましてお前はまだ駄目。時間がない。赤尾の馬鹿たんを丸暗記しろ。英文読解と英作文だけやれ。授業が終わったら英語だけ勉強しろ。」とか言われ、1日8時間ぐらい受験英語の勉強をしました。

 「国語と社会は100点取れ。取りこぼしをするな。英語が50点取れればどっかの私大へは入れるから。」と言われました。11月の実力テストで英語が50点取れるようになりました。

 しかし基礎のない「付け焼刃」なので、50点から上がることはありませんでした。翌年2月に立命館・文と日大・法は不合格、専修・経済へ合格しました。進学先はどこでも良かったので、留年して「現役」で大学へ進学できました。

 結局10月から4か月半の猛勉強に過ぎませんでした。結果論ですが1年前から猛勉強していたら英語が80点は取れるようになれば、もっと偏差値の高い私大へ進学できたのでしょうが、所詮は「たらねば」の世界です。

「そこに待っているのは不満と後悔が渦巻く現実だ。」というには全くそのとうりでした。中学―高校と信じていた社会運動全般が破たんし、理想がすべて幻滅に変りました。「連合赤軍と新自由主義の総括」を試みていますが、未だにきちんと自分の中で出来ていません。現実の社会の変化が早く、アナログ人間の私はついていけないのですから。

 「ドラゴン桜」の桜木の言葉は真実です。

「社会のルールっていうやつは、すべて頭のいい奴が作っている。」

「それは つまりどういうことか。そのルールは頭のいい奴に都合のいいように作られてるんだ。」

「つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさってると、一生だまされて高い金払わされるんだ。」

 森友学園事件、加計学園事件などまさに「頭のいい奴が都合のよいように社会にしくみを作り替え、やりたい放題をやっている」ことにつきますね。

 福島原発の後始末も未だに出来ないのに、地震列島、災害大国日本で原発を再稼働させるのも、「頭の良い人達の自己都合」なんでしょう。

 馬鹿で還暦過ぎたおっさんが今更受験勉強して東京大学を目指すことができません。でもやれることは真摯に出来る範囲で地域活動をして、「社会のしくみ」を勉強して、避難困難地区で1人の犠牲者を出さない下知地区防災計画をこしらえることでしょうか。

 偏差値の低い市井の市民でも「やるときはやる」ことを人生掛けて証明したいと思います。「負け戦」の連続の人生ではありますが、そこから学ぶことも多いし、へこたれ中ればたまに「勝つ」こともあるでしょうから。

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