戦争を知らない子供たちへの映画会」

2009.11.24

映画「山河あり」と「梅原孝司さん講演会」へ参加

  戦争を知らない子ども達に送る映画会(田辺浩三氏主催)の11月上映は、11月23日高知市龍馬が生まれた街記念館でした。

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 今回行ったのが夕方。最初に梅原孝司さん(元教員・社会科)からの講演がありました。主に「教科書」の記述の問題を言われました。日本史の特に昭和史の記述は、時の政権次第で変化する事例を説明いただきました。

「戦前は社会科という科目はありませんでした。最近の流れとしては道徳や愛国心を強調する潮流が強くなり、現場の教員も大変です。教育基本法も改悪され、国家優先型の教育を押し付けられてきているからです。」

「政権交代もありましたが、教育現場を見る限り何も変わらないと思います。文部科学省は成立以来140年間なにも変わらなかったからです。最近ではゆとり教育を提唱。学力低下すると今度は授業時間を増やす。なにも反省することなしで。」

「現在現場の教員は忙しすぎるし、疲れ果てています。ただ教育の力は大きい。9月に講演された大川愛郎さんは小学生時代に職業軍人の話や、廊下で蒋介石の写真を踏みつける教育を受けられたと言われました。少年兵として予科練を志願する気持ちになられたといいます。

 会場からも質問があり、的確に梅原さんは答えていました。
 
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 続いて主催者の田辺浩三さんからの挨拶がありました。今後の「戦争を知らない子供たちのための映画会」は、12月は「カルメン純情す」を6日に上映されるそうです。この映画「カルメン故郷へ帰る」の続編ですが、戦闘風景など出てこない映画ですが、戦後になり再軍備の動きのある時代背景を見てくださいとのこと。

 また来年は愛宕劇場でいくつか映画をやります。とのこと。(詳しくは別の機会に掲載します。)
 映画「山河あり」の解説もありました。苦労してハワイへ移民し、安定した市民生活をしていた家族を日米戦争が引き裂き、悲劇を生んでしまう。どこも上映が困難な映画ゆえ堪能くださいとのことでした。
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 大正7年に日本での困窮した生活を脱出するために決死の覚悟でハワイへ移民しました。しかし待っていたのは農場での過酷な労働の日々でした。
 どうにかこうにか生活は17年後には安定し、2家族は個人商店を都市部で営むようになり、子供たちはハイスクールへ通うアメリカ市民になっていました。

 1世の親たちと2世の子供たちの意識の違いが描かれています。昭和16年に日米開戦が起こり、事態は悲劇的に。特に子供たち2人を戦争で亡くした主役の高峰秀子の嘆きは大きい。ラストシーンで戦没者墓地で泣き崩れる場面は胸を打ちます。

 それにしても映画で描かれた68年前のアメリカ市民生活の豊かさ。日本の地方の貧しさ。生活面での格差を見せ付けられる映画でもありました。

 母と同年輩の女優高峰秀子の演じた時代の重たさを感じました。

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2009.11.10

23日は「山河あり」を上映

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 11月23日(月・祝日)の「戦争を知らない子供たちへ送る映画会」は、「山河あり」(1962年)です。テーマは「ハワイ日系2世の米兵」です。

(日時)  11月23日(月曜・祝日)勤労感謝の日

(場所)  高知市龍馬の生まれたまち記念館

(上映時間) 午前10時・午後12時20分・午後2時40分・午後6時

(講演)   午後5時~ 梅原孝司氏(元中学教頭)元社会教員の立場で日本の歴史教育をお話いただきます。

 主催者の田辺浩三さんによれば、「山河ありは、戦争を知らないシリーズでも最高傑作の映画。是非見ていただきたい。」とのことです。

 わたしも「戦争を知らない子供たちに送る映画会」は欠かさず鑑賞させていただいています。白黒の16ミリフィルムの映画ですが、映画関係者の熱意や意気込みをスクリーンから感じました。映画マニアでは全然ないですが、とてもいつも充足感を鑑賞後感じています。田辺さんありがとうございます。

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2009.10.12

映画あかね雲を鑑賞

10月12日に「戦争を知らない子供たちに送る映画会」(田辺浩三氏主催)の10月映画会は、「あかね雲」(岩下志麻主演・篠田正浩監督・1967年製作)を高知市龍馬の生まれたまち記念館で見ました。
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 往年の白黒映画を16ミリの映写機で見る。イオンなどのシネコンでは絶対に見ることのできない映画ですね。「特にこの映画は、高知ではうちでしか見れないと思う」(田辺浩三氏・談)。

 前日の地元新聞で大きく取り上げられた効果もあってか、今回はなかなかの盛況。あるいは大女優岩下志麻さん効果なのか。客層は年配層が多く、私の家内が「若者」に思われるぐらいだ。観客はなかなかの盛況。大忙しだ。良かったです。
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 ストーリーは父親が病気で輪島の旅館で女中として働くお松(岩下志麻)。あるとき親切にしてくれた缶詰販売会社の外交員小杉(山崎努)。身の上を聞いた小杉は、もっと収入が多い可能性がある山代温泉の仲居に口利きをする。

 あるときお松は父親の入院費用が工面できないかとおかみに借金を申し込むがすげなく断られる。小杉に相談すると、もしかまわなければある男(経営者のおっさんと一夜のとぎをしてくれたら大金は支払うとのこと。

 お松は小杉を信じ、一夜を共にする。翌日真相を知った、先輩格の芸者(小川真由美)に叱責される。でもお松の境遇があまりに哀れなので2人して泣き崩れる。

 やがて小杉は脱走兵ということが判明。憲兵隊長(佐藤慶)に追い詰められ、お松は小杉に漁村宿に会いに行くが当局に尾行されあえなく小杉は逮捕される。悲恋物語。

 あまりに厳しい昭和12年当時の日本社会。温泉宿は木造3階建てか。1967年当時の映画ですがよく日本の旅情が出ていました。

 後に大女優になる岩下志麻さんがけなげな娘役でがんばる姿。先輩役で芸達者な小川真由美さん。これは若いころから貫禄。相手役の山崎努は今や大御所の男優。おくりびとでもベテラン納棺師でしたし。たまにビールかなんかの宣伝で良いおじいさん役をしていましたし。

 「脱走兵」がテーマですが、戦争に向かう日本社会が背景で描かれていました。

 さて次回の「戦争を知らない子供たちへ送る映画会」は、「山河あり」(1962年)です。テーマは「ハワイ日系2世の米兵」です。

(日時)  11月23日(月曜・祝日)勤労感謝の日

(場所)  高知市龍馬の生まれたまち記念館

(上映時間) 午前10時・午後12時20分・午後2時40分・午後6時

(講演)   午後5時~ 梅原孝司氏(元中学教頭)元社会教員の立場で日本の歴史教育をお話いただきます。
Sangaarieiga

*それから余談ですが、田辺浩三さんより、「田母神俊雄講演会」のチラシをいただきました。ご出身の窪川で「軍国日本」を賛美する田母神氏の講演会(しかも無料で)というのはけしからんと怒っておられました。
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 スポンサーの南国製菓といえば、芋菓子を全国展開しているお菓子屋さんですが、極端な考えのかたの講演会を開催するのはいかがなものかと思いますね。疑問を感じました。

 それから知人がかかわっている25日の「岡林信康コンサート」のチケットは完売したそうです。良かったと思います。

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2009.10.10

再投稿 12日は映画「あかね雲」上映会

  10月12日(月)に戦争を知らないこどもたちに送る映画会を、高知市竜馬が生まれたまち記念館で上映します。もう一度関連情報をアップします。

Akanekumo
 戦争を知らないこども達へ送る映画会(主催田辺浩三氏)の第4弾は「あかね雲」(岩下志麻主演・篠田正浩監督)

 あらすじはGOO映画参考 「あかね雲」あらすじ

 今回の「戦争を知らないこども達へ送る映画会」のテーマは「脱走兵」です。時代設定は昭和12年頃。世界も日本も大不況のなか戦争経済へ傾斜していく日本。主人公まつのは家計を助けるために商人宿の女中になる。
 より報酬の良い山代温泉行きを決断。それを勧めた外交員と恋仲になるが、かれは軍を脱走した兵士であった。悲恋物語のようです。

 主催者の田辺浩三さんあてに、主演をされた岩下志麻さんからの直筆の便りが来ておりました。田辺さんの許可を得てブログに公開させていただきます。

 映画「あかね雲」は、1967年の作品。岩下志麻さんが書かれているように、篠田正浩さんと結婚され、独立プロ表現社の第1回作品だそうです。俳優も後に大物になる人たちが出演しています。
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キャスト(役名) - あかね雲

岩下志麻 イワシタシマ  (二木まつの)

山崎努 ヤマザキツトム   (小杉稲介)

佐藤慶 サトウケイ     (猪股久八郎)

小川真由美 オガワマユミ (律子)

野々村潔 ノノムラキヨシ (鴨下刑事)

 昔の貴重な日本映画を上映していていたっだく田辺浩三さんには感謝です。また豊富な映画人脈にも驚くばかりです。

 「戦争を知らない子供達に送る映画会」第4弾

     「あかね雲」映画会

(日時)   2009年10月12日(月曜・休日)

(場所)   高知市龍馬が生まれたまち記念館

(上演時間) 午前10時・正午・午後2時・午後6時40分

(講演)   猪野睦氏(高知文学学校講師・1931年生まれ)
       午後5時50分~午後6時40分

(カンパ)  可能な金額でカンパしましょう。貴重な日本映画上映会ですので。


映画「あかね雲」のチラシをPDFにしました。

「akanekumo.pdf」をダウンロード

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2009.09.22

映画「あかね雲」上映会のお知らせ

Akanekumo
 戦争を知らないこども達へ送る映画会(主催田辺浩三氏)の第4弾は「あかね雲」(岩下志麻主演・篠田正浩監督)

 あらすじはGOO映画参考 「あかね雲」あらすじ

 今回の「戦争を知らないこども達へ送る映画会」のテーマは「脱走兵」です。時代設定は昭和12年頃。世界も日本も大不況のなか戦争経済へ傾斜していく日本。主人公まつのは家計を助けるために商人宿の女中になる。
 より報酬の良い山代温泉行きを決断。それを勧めた外交員と恋仲になるが、かれは軍を脱走した兵士であった。悲恋物語のようです。

 主催者の田辺浩三さんあてに、主演をされた岩下志麻さんからの直筆の便りが来ておりました。田辺さんの許可を得てブログに公開させていただきます。

 映画「あかね雲」は、1967年の作品。岩下志麻さんが書かれているように、篠田正浩さんと結婚され、独立プロ表現社の第1回作品だそうです。俳優も後に大物になる人たちが出演しています。
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キャスト(役名) - あかね雲

岩下志麻 イワシタシマ  (二木まつの)

山崎努 ヤマザキツトム   (小杉稲介)

佐藤慶 サトウケイ     (猪股久八郎)

小川真由美 オガワマユミ (律子)

野々村潔 ノノムラキヨシ (鴨下刑事)

 昔の貴重な日本映画を上映していていたっだく田辺浩三さんには感謝です。また豊富な映画人脈にも驚くばかりです。

 「戦争を知らない子供達に送る映画会」第4弾

     「あかね雲」映画会

(日時)   2009年10月12日(月曜・休日)

(場所)   高知市龍馬が生まれたまち記念館

(上演時間) 午前10時・正午・午後2時・午後6時40分

(講演)   猪野睦氏(高知文学学校講師・1931年生まれ)
       午後5時50分~午後6時40分

(カンパ)  可能な金額でカンパしましょう。貴重な日本映画上映会ですので。


映画「あかね雲」のチラシをPDFにしました。

「akanekumo.pdf」をダウンロード

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2009.09.21

「キクとイサム」映画会と講演会

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(いつも16ミリ映写機での奮闘ご苦労様です。貴重な古い日本映画が鑑賞できますので。)

 「戦争を知らない子供たちのための映画会」(主催田辺浩三氏)は、「キクとイサム」の日本映画でした。夜須の海から戻り上映会場の龍馬が生まれたまち記念館へ駆けつけたのが午後4時半過ぎでした。

 この映画会は古い日本の戦争映画を上映するだけでなく、映画に関連した話題を提供するゲスト・スピーカーの講演もあります。今回は2人でした。

 まず田辺浩三さんの娘さんである小夏さんのスピーチがありました。
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「わたしの生い立ちを話しますと宗教家の母と、芸術家タイプの父との間に19年前に生まれました。生まれて1年3ヶ月で両親が離婚。父方の祖母と3人で暮らしました。
 私のことで両親が裁判になったりしてもめていました。両親とも情熱的な人で自分の主張を押しとうそうという人で、いつもいがみあいをして辛かったです。それで祖母が母親がわりでした。」

「映画「キクとイサム」と同じように祖母が保護者で、小学校は高知市の私立小学校へ祖母と2人でアパートを借りて住んでいました。
 しかし小学5年生のときに祖母が癌になりました。中学は中村の中学へ行きました。そのときは父と2人で暮らしていました。中学2年のときに祖母が亡くなりました。
 人が亡くなって初めて人のありがたさがわかる気がします。」

 スピーチの後に会場から質問がありました。

「小夏さんは若いときから戦争や平和にについてよく考えられています。同世代の若者たちがあまり考えないのはどうしてであると思いますか?」

「わたしのまわりの同世代の人たちは、パソコンやゲームをしていて、あまり行動的ではありません。やりたいことがすぐにかないます。きらきらしたものがないのです。」と答えられていました。

 次のゲストスピーカーは、はりまや橋金曜サロンでいつもお話する大川愛郎(よしお)さん。昭和4年生まれの80歳の人です。小学生から少年兵士として体験した戦争の時代の話をしていただきました。お元気な人で戦争体験をきちんと話される貴重な人です。
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「小学校のときは勉強が嫌いでした。走るのが速いので、体育と音楽の成績が良かったので、平均点の成績でした。」

「昭和12年か13年でしたか、あるとき中国戦線から凱旋した村の出身者の講演会が小学校の体育館でありました。南京攻略戦で軍功をたてた人でした。
 戦利品として青竜刀を持参されていました。南京へ入城したとき、チャンコロ(当時の中国人を別称で呼んでいました)を殺すのは簡単だった。彼らは死んでもすぐ生き返るという迷信があるので、軍刀の前に首を差し出すからばっさばっさと切り落としました。
 銃剣で殺すときは前から刺したら手で押さえて抜けなくなる。必ず背中から刺すことだ。赤ん坊は空中に放り上げて刺し殺した。と語りました。」

「最近では南京大虐殺はなかったとか言う議論があります。当時村の人たちは南京での話を皆聞いていました。わたしもおじも南京の戦闘に参加していましたので同じ話をしていました。間違いなくあったのです。」

 「当時は義務教育は小学の6年40人のクラスで。旧制中学へ行けるのは家が豊かな6人程度。あとは高等小学校へ2年行く人が多かったです。
 わたしは当時軍国少年になっていましたので、予科練を志望しました。鹿児島まで受験に行きました。足が速かったので採用になりました。」

「配属されたのが大分宇佐の航空隊。そこでグライダーの飛行訓練をしました。全国から50人の訓練生がいました。グライダーは助走をるけて30人ぐらいで引っ張ります。上空で飛行訓練をして、着地しますが、そこでも走ってグライダーを押さえます。足が速いという特典がこういうところに生かされたようです。来ていた訓練生は皆足が速い連中でした。」

 「グライダーの訓練は飛行訓練の一貫。それが済んだら赤とんぼと言われる複葉機で訓練飛行し、飛行気乗りになります。わたしはグライダー訓練時に墜落して怪我をして除隊しました。それが昭和18年。帰郷し自宅で療養していましたが、19年になり再び召集され、今度は海軍の通信兵になりました。いろいろ配転され昭和20年の終戦は台湾で迎えました。台湾は物資も豊富で1年間捕虜生活でしたが待遇もよく、親日的でしたので、居心地は良かったです。今年も長期間台湾へ旅行していました。」

「また朝鮮人従軍慰安婦なんぞなかったと言う人たちがいます。教科書の記述も変えられたりしました。いました。実際にわたしは見ています。
沖縄での激戦が伝わるころに、われわれもいずれ、参加するので、外出して自由に遊んで来い。と軍の憲兵から許可書をもらいました。
 そして備品もありました。それには従軍慰安婦の出入り許可書と、サック(男性用避妊具がありました。実際に出かけるとそこには朝鮮から強制連行された慰安婦の女性たちがいました。ですので従軍慰安婦はいたのです。」

 「わたしが言いたいのはいかに教育の力は怖いかです。最近田母神敏雄や桜井よしこたちが無責任に北朝鮮の脅威や核武装を言い立てています。でもあの人たちは戦争の怖さを知らない人たち。きちんと人の話を聞ける人なら、あんなことは言いません。」
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(左から田辺浩三さん、小夏さん、大川愛郎さん。質疑応答コーナーでした。)
 会場から質問が大川さんにあり、当時の行動に疑問はなかったか。と。
大川愛郎さんは「疑問もなにも小学生から天皇のために死ぬ。上官の命令は天皇の命令と刷り込まれて来ましたし。早く大人になってチャンコロや英米をやっつけたいと本気で思いましたし。」とのことでした。

 「キクとイサム」の映画は、二次大戦で生まれ落ちた米軍兵士とのうまれた混血児が祖母に育てられ農村で育っていく姿を淡々と描いています。
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 当時の日本の生活様式が知れて興味がありました。道路は舗装されておらず、電気は来ているが、厨房はかまど。炭が燃料。田舎の小学校も子供たちの数が多い。蒸気機関車でテレビはまだない。昭和30年代初めの地方の風景だろうか。

 混血児のキクとイサムは今より強い差別意識の中でたくましく育っていく。イサムは米国人に養子にもらわれていく。キクは残され問題も起こすが、祖母と2人で農業でたくましく生きていくというストーリー。

 つい40年前まではああいう風景が日本であったと思う。食料が満ち溢れ、小夏さんが言う「満ち足りた」暮らしになったのはつい20年ほど前からですね。基盤は危ういものであると思いました。
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 近所付き合いも濃厚な時代ですし。昔の日本人は逞しいと思いました。

 赤字覚悟で「戦争を知らない子供たちのための映画会」を主催上映を続けている田辺浩三さんには感謝です。

 次回上映会は10月12日(月曜・祭日)「あかね雲」テーマは「脱走兵士」です。

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2009.09.09

「キクとイサム」映画会のお知らせ

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 戦争を知らない子供たちに送る映画会第3弾(田辺浩三氏主催)は「キクとイサム」(今井正監督・1959年・大東映画)です。

 会津磐梯山を背景に、黒人混血児の姉弟を叙情的に描き、この問題を社会に訴えようとするもの。主役の二人には何人かの候補者の中から東京荒川の小学六年生と横須賀の小学四年生が選ばれ、今井監督のもとで俳優としての訓練をうけた。水木洋子のオリジナル・シナリオを、「夜の鼓」以来ひさびさの今井正が監督した。撮影も「夜の鼓」のコンビ・中尾駿一郎。(gooの映画解説より全面引用)

 戦争の落とし子である混血児がテーマ。差別の残る農村で祖母と暮らす姉弟の暮らしは大変であったと思われます。

 しかしこの問題は過去の話ではまもなくなくなると思います。日本は少子高齢化が急速に進んでいます。今後は移民を年間20万人程度受け入れる社会になるでしょうし。その場合に残る差別意識をどう克服するのか。近未来の問題でもあるようです。

 またこの映画の合間に2人のスピーカーが講演します。大戦中少年兵であった大川愛郎(よしお)さん。戦争体験をしっかり語れる数少ない人。軍隊生活の異様さ、当時の軍国主義教育についてお話をしていただきます。お元気な高齢者代表です。

 大川愛郎さんに関するブログ記事です。

 田辺浩三さんの娘さんである小夏さんも「戦争を知らないこどもたち」の代表としてお話をしていただく予定だそうです。


「キクとイサム」映画会

(日時)  9月20日(日曜日)

(上映時間)  AM10時 PM0時15分  PN2時半 PM6時

 田辺小夏さんと大川愛郎さんの講演4時15分~

(場所)高知市龍馬が生まれたまち記念館

(会費) カンパです。(なるべく1000円以上しましょう。)
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2009.08.25

樺太1945年夏氷雪の門・手紙

 64年前の8月23日に樺太の真岡(まおか)の惨劇があった日に、高知市龍馬が生まれたまち記念館にて「樺太1945年夏 氷雪の門」(1974年・作)の美術監督をされた木村威雄氏から、映画会主催者の田辺浩三さんにお手紙が寄せられています。

 達筆でなかなか判読できませんが、撮影の道具探しの苦労が書かれています。真岡郵便局の電話交換機も偶然見つけてこられたとか。

 田辺さんの許可を得ましてコピーをさせていただきました。画像化してみました。じっくり読まれてご確認ください。(クリックすると少しは拡大します。)
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2009.08.24

映画「樺太1945年夏氷雪の門」を見ました。

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 8月23日に高知市の龍馬が生まれた街記念館で、田辺浩三さん{戦争を知らない子供たちのための映画会主催者)が上映する映画「樺太1945年氷雪の門」{1974年製作)を鑑賞しました。「戦争を知らない子供たちのための映画会ー第2弾」でした。

 なんと重く悲しい映画でしょうか。無抵抗の樺太島民を無慈悲に虐殺するソ連軍。映画の中で日本軍との交渉シーンがあり、「日本軍は武装解除に応じる。それでも進行し攻撃をやめないのは国際法違反だ。」と日本軍将校は言います。「負けた者には国際法は適用されない。」とソ連側将校は言い放ちます。

 日本本土と異なり空襲もなくのどかな樺太。真岡(まおか)は北洋漁業の基地と王子製紙の工場があり、2万数千人の日本人が居住していました。8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、樺太の人たちは、これで平和になった。戦争は終わったと喜んでいました。

 その矢先に8月17日頃に北緯50度の国境線をソ連軍は超え、日本領に軍事侵攻しました。街も何もかにもが砲撃で破壊され、非戦闘員の住民もソ連兵士に虐殺されます。

 真岡も23日にソ連軍の艦砲射撃が始まり、上陸が開始され街は焼き払われ軍人、住民の区別なくソ連兵に殺害されます。3万人の日本人が樺太で殺害されたと言います。

 映画ではひたすら逃げ惑う日本人住民をソ連軍の飛行機が機銃掃射し殺害する。街へ進行したソ連兵が無抵抗の住民を機関銃で殺害するシーンの連続でした。

 住民が戦闘に巻き込まれ殺害される場面は沖縄戦を描いた日本映画には多い。集団自決しようとした住民を救助する米軍兵士も描かれている。

 一方こちらは日本は無条件降伏し軍幹部から停戦停止命令を受けた軍の代表が、白旗を掲げ住民を守ろうとして停戦交渉を出かけたのに。ソ連軍に全員射殺されてしまいましたし。まさに極悪非道のソ連軍であります。でもそれは紛れもない歴史的事実でありました。

 真岡郵便局の電話交換手の9人の若い女性たちは戦闘の混乱のなかで、懸命に電話に応対し、真摯に職務をまっとうしました。そして服毒自殺をされました。
 北海道稚内市の公園内に樺太を望む場所に女性像が立っていると映画の最後で説明がありました。それが「氷雪の門」です。
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 田辺浩三さんは解説の中で「この映画あまりに日本がやられぱなしの映画なので公表当時は評価が低いものでした。また当時のソ連が莫大な予算で東宝から映画の興行権を買い取り,映画館で上映できない措置をしていました。

 ソ連邦が崩壊し、30年間の期限も切れたためようやくこの映画日の目を見ました。最初に上映された場所は靖国神社でした。なんか右翼反戦映画という色合いがありました。

 でも反戦映画には右翼も左翼もありません。戦争を知らない世代の私たちはこの映画が描いた歴史の真実と向き合う義務があります。」と言われたました。そのとうりです。

 また樺太出身者で全樺太連盟顧問の山本親男さん(84歳。)の講演がありました。「樺太関係資料」に簡潔にまとめられています。
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「日本は樺太に関心を示し出したのは江戸時代に探検家間宮林蔵が調査をしてから。ロシアの極東進出を幕府は脅威と感じ松前藩に明示,樺太領有を主張した。
 明治維新後薩長政権は実力者黒田清隆が「樺太無用論」を唱え、ロシアとの間で「千島ー樺太交換条約」を締結するなど領有権を放棄する有様でした。

 明治政府閣僚で唯一樺太に関心があったのは高知出身の谷千城でした。やがてその主張は日露戦争で日本の勝利により樺太の北緯50度以南を日本領とした。面積は九州の90%。北方漁業と石炭、製紙会社の進出で昭和20年当時に日本人は40万程度居住していました。」
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「ソ連というかロシアは他の国と全然異なります。常識は通用しません。映画で樺太島民が「緊急避難」という言葉を使用して懸命に山に逃げていました。それは前例があるからです。

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 中国黒竜江沿いに進行してきたソ連軍は日本人住民を残虐なやりかたで700人を虐殺した情報が伝達されていたからです。降伏して無抵抗の日本人を虐殺した事実は広く伝わっていました。」

 全然知らない事実を映画と山本親男さんに知らされました。日露関係の見直し、関係のありかたも考えさせられました。「北方領土」問題も右翼の皆さん方の専売特許ではなく、国民的課題として考えなければならないと思いました。

 田辺浩三さんほか関係者の皆さん上映ありがとうございました。
Karafutotizu

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2009.08.17

少年兵大川愛郎(よしお)さん

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 毎週はりまや橋商店街金曜市での占い師の島本茂男さんところで、大川愛郎(よしお)さんに時折お会いします。お話を伺いますと、少年兵士として徴用されていたそうです。

 田辺浩三さん主催の「戦争を知らない子供たちの映画会」での、講演「戦争体験者としての講話」していただく予定と聞きました。当時の戦争体験者は高齢者になっており、元気で聴衆にお話できるお元気なひとは殆どいません。9月頃の映画会にて話をしていただきます。

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 大川さんに伺いますと少年兵として兵隊にいたのは3年足らずだったそうです。そのため軍人の恩給はつかないそうです。それを日本政府は不憫に思うようで、総理大臣が変わるたびに「記念品」を贈ってくれるようです。

 貴重な戦争体験を話してくれる大川さん。9月の映画会の話しは聞きませんと。以下の写真は政府からいただいた「記念品」を撮影した写真をお借りしました。

 大川さんは直接戦場へ行くことはなかったようです。本土防衛のための訓練を朱に受けていたようです。戦地に行かれていた親戚の人や知人からリアルな戦地の話しは聞かれていて、昨日のことのように覚えておられるとか。
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9月20日の上映会「キクとイサム」のなかで大川さんは戦争体験の話をされました。

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