映画「生きてるうちが花ななのよ 死んだらそれまで与党宣言」(森崎東監督.・キノシタ映画)を家内と2人で高知市あたご劇場へ見に行きました。
午後1時からの上映でしたが,今日の高知市の暑いこと。しつこい猛暑には辟易ですね。でも全国的には高知は涼しい方だから驚く。
1984年の映画だといいます。それだけに26年経過していますが、「古ぼけた印象」は全くありません。「時代がようやく映画に追いついてきた」ということなのでしょう。
主人公のバーバラ(倍賞美津子)は旅回りのストリッパー。宮里(原田芳雄)は「原発ジプシー」と言われる日本各地の原子力発電所で仕事する労務者。粗末な装備で危険な労務に従事しています。
沖縄のコザ暴動後に日本に2人は密航。住民票のない人間を雇用する職場は、風俗営業か、原子力発電所の下請け労務しかなかったのでしょう。
原子力発電所が遠くに見える海岸での映画の1場面
「死んだらおしまい。なんの保証もない」生活を毎日,日にちしているのです。舞台は名古屋の下町の風景やら、福井県美浜の「原発村」の風景が頻繁に出てきて,登場人物が交錯します。
原発の危険な労働で放射能を浴びて死亡した労務者はドラム缶に入れられ,ヘリコプターでどこかへ運ばれるという不気味なシーンが頻繁に出てきます。
最底辺の労働者。風俗営業の女性達。フィリピンから来日した女性たち。それに絡む暴力団と癒着した警察。「見たこともない世界」ではありますが、妙に現実味があります。
高知県でももし窪川町に原子力発電所が立地し、東洋町に高レベル放射性廃棄物最終処分場ができるようになっていたら、映画の世界が現実になっていたことでしょう。
1時間45分の映画でしたが、いろいろ考えさせられました。
続いて壇上ではシンポジウムがありました。司会をジャーナリストの中本貴之氏が行い、写真家の樋口健二氏、映画監督の森崎東氏、窪川原発反対運動を展開された農業者の島岡幹夫氏が発言されました。
映画の合間にシンポジウムがありました。いずれも行動力がある「濃い」人達ばかり。田辺浩三さん曰く「ポチの告白の監督や関係者も凄かったけれど,今回も負けちゃあせん」と言うぐらいのド迫力がありました。
写真家の樋口氏は「世の中原発の危険性、被爆にはあまりにも無関心。僕は原発労働者の悲惨な現実を写真で表現してきた。森崎監督は動く画面で、全体で表現されているので凄い。映画のことはすべて現実なのです。」
「原発で本当に人が被爆し死んでいる。またその事実をマスコミは報道しようとしない。出来ない。原子力発電所建設には日本の財閥である三菱.三井、日立,住友がからんでいる。新聞もテレビも適正な報道が出来ない。」
「民主党政権になってまもともなるかとおもいきやさにあらず。企業の手先になって海外へ原発を政府が売り込もうというのだから。」
森崎監督は「映画を上映した当時は全く受けなかった.時代が浮かれていた。窪川町だけは真剣に町民のみなさんが見てくれていました。26年経過してまた高知市で真剣にみていただく観客がいることが、わたしの励みです」
「わたしは83歳で病気がちです。今日は高知のみなさんに元気をもらいました。」
島岡氏は「窪川では原発推進・反対に関わらず当時この映画を観たと思います。10数年にわたり反対運動を展開してきました。原発に反対するだけでなく、有機農業の里づくりを推進してきました。そして今実を結んでいます。」
「日本各地へ講演にもいきました。韓国の反原発のグループにも招聘され行ったこともあります。太陽光や風力の自然エネルギーの推進、山林の間伐等を今でもうやっています。」と元気に話されました。
帰り際樋口健二氏の「環境破壊の衝撃 1966-2007」(2007年・新風舎刊)を購入しました。
サインをし握手をしていただきました。73歳ということですが、なかなか熱い人でした。書籍はじっくり読んでみようと思います。
日本全国の開発による環境破壊のレポートです。バブルにより環境・自然の破壊の実例。公害列島日本の惨状。労災の悲惨な現実などを克明にレポートし撮影されています。
なかでも原子力発電所のある地域のレポートは克明です。「東海村JOCの臨界事故 放射線災害¥「被爆労働者の存在 原発下請け労働者」「ウラン濃縮工場と漁民 原発用核燃料実験」「巨大原子力半島。下北巨大な核燃料サイクル基地六ケ所村」などがレポートされています。
写真は東海村JOC臨界事故の時の周辺住民の様子です。
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