司馬遼太郎氏の帝国主義論

2013.05.29

「昭和という国家」を読んで

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 5月19日に愛媛県松山市にある「坂の上の雲ミュージアム」へ見学に行きました。ひととうり展示物を見て、出口付近の売店で「昭和という国家」(司馬遼太郎・著・第1刷1999年第23刷2012年刊・NHK出版)を購入しました。

 「司馬遼太郎 対談集964-1974」や「この国のかたち」などの司馬遼太郎氏の講演集や発言集は、わたしの最近の愛読書になっています。発言が実に的確で、敗戦体験者としての悔やみと、日本歴史への探訪の想いを感じるからです。過去に司馬遼太郎氏の作品と言えば「竜馬が行く」「坂の上の雲」「飛ぶが如く」「花神」」「覇王の家」などを読んではいました。

 陸軍戦車部隊の将校で北関東で敗戦を迎えた司馬遼太郎氏。当時どうしてこんな「戦争にすらならない。負け戦の連続でしかない」「しょうもない戦争」をなぜ我が国はやってしまったのか。その謎を解明するために司馬遼太郎氏は、日本の歴史を探索し、書籍を集め読み、日本各地に出かけて取材をし続けました。

 江戸時代や幕末、維新や明治中期の時代を描いた作品は躍動感があります。しかし「昭和」をテーマにした作品はありません。それだけ「重く」のしかかっていたのでしょう。

 「魔法の森の時代があった」と司馬遼太郎氏は言い切ります。特に昭和10年から20年までの日本は異質であり、それまでの日本とは全く異なっていると。幕末維新期や明治の時代を語る司馬遼太郎氏は、「昭和」の時代を語ると重苦しい口調になります。

 本のカバーにこう書かれてありました。

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」

 これほど「重たい言葉」を司馬遼太郎氏が述べるとは正直思いませんでした。俗に「司馬史観」の信者は多いのでしょうが、「昭和」についての重々しい言葉を知っているのでしょうか?

 江戸時代は鎖国をしていましたが、全国に300藩あり個性的な多様な社会のようでした。寺小屋が普及し、識字率は高く、武士も教養がありました。それゆえ一度近代化の方向へ向くと一気に突っ走れた。江戸の時代があればこそ、明治の近代化は可能でした。

 ただ近代化するにつれ、明治政府は江戸の良さをことごとく破壊しました。幕末維新の革命期を知る元老たちがいなくなると、日本社会はだんだんつまらなくなり、1945年の惨めな敗戦に転落していきます。

 司馬遼太郎氏はその原因をいくつかこの本のなかで述べています。

1)日露戦争の分析を客観的に全く行わなかった。アメリカの仲裁で辛勝したのに、きちんとした分析をしなかったが故に思い上がった。他国との戦力比較もきちんとされずに戦争ばかりする堕落した国に転落した。

2)大日本帝国憲法は、プロシャの憲法を模倣してつくられた。この憲法にも「統帥権」があり、権力が暴走する歯止めがなく、昭和の時代になって軍部の暴走―破滅につながった。

3)市民の民権に足場を置く中江兆民の登場が遅すぎた。幕末期の思想が貧弱な尊王攘夷論だけであったのが残念。幕末維新期に草莽の人たちが、ルソーの民権論を読んで活動しておれば歴史は異なっていただろう。

4)日本人は「自己解剖の勇気」を持たねばならない。アメリカは第2次世界大戦後、戦史の編纂を民間人に任せ、かまわない資料を軍が渡して徹底的に分析しました。日本人はそういうのが昔から苦手なようですね。

 今の時代では福島第1原子力発電所の事故がどうして起こり、また懸命な関係者の努力にもかかわらずなぜ収束しないのか?その原因究明もいまだに不十分です。にもかかわらず外国に原子力発電施設を売り込むという安倍首相の神経がわかりません。

5)日本のジャーなリズムは昔も今も、日本国を解剖するという視点での報道も記事もなかなか書けないのではないか。

「日露戦争が終わったあと、それほど高度に発達したジャーナリズムではなかったけれども、日露戦争は実際にどうだったのかと、追求する能力があったらですね、太平洋戦争は起こらなかったかも知れません。

 日本はよくやった。兵士たちは勇敢に死んだ。しかし、あれは危ういところでいろいろ政治的に手を打ったからよかった。決して日本が強かったわけではないんだと。

 海軍の日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、クールに客観視して、自分を絶対視せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思うのです。新聞、雑誌だけでなく、個人の筆者でもいいのですが。

 そういうレベルの議論があれば、太平洋戦争は起こらなかったと思いますね。日本軍は満州事変以降自己を絶対化して国を誤っていくわけです。」(p324[自己解剖の勇気」)

 そして2013年は、日本、韓国、中国の本当に愚かで浅はかな政治家たちが、相手国への思いやりのひとかけらもなく、口汚い聞くに堪えないののしり合いをしています。
 
 現在日本国憲法を改正し、「戦争が出来る国」にしたい人たちは、司馬遼太郎氏の次の言葉をよく反芻すべきでしょう。

「昭和史をもし私が書くとしたら、半分は戦争のことを書かなくてはなりません。戦争というものはですね、やったりやられたり、いわば対等の競り合いで会って、一方的にやられるようなことをなぜ始めたんだという思いがあります。

  中略

 海戦らしい海戦もありません。力不足という言葉も当らないですね。要するに力のかけ離れた相手とやっているわけですから、戦争らしい穴埋めをするのはアクロバットをやる以外に方法はなかった。

 パールハーバーの奇襲は戦争というより、アクロバットであります。ちゃんとしたリングの上の戦いなら、あとに禍根は残りませんが、パールハーバーは今でもいろんな禍根を残しています。

 それから末期の状態になると、特攻隊でした。青年達に下士官の軍服を着せて飛行機の乗せ、未熟な操縦技術ながら敵に体当たりさせた。

 戦争という物理現象のなかの穴埋めを肉体でさせた。そういう非常手段をさせた。戦争はよくないことは大前提です。そして特攻に行った青年はいい男だったと思います。しかしそれを戦術として考えたことは断じておかしい。

 戦争をやるんだと、昭和1ケタから勢い込んできた人たちがいました。ところが彼らにやらせてみれば何のこともなかった。戦争というかたちさえとれなかった。

   中略

 つまりは日露戦争は戦争だといえるのですが、太平洋戦争が戦争だったかと。つまり大変変なものだったのです。」(P227)

 そして司馬遼太郎氏は、こう言っています。

「日本は、国際社会の中で、つまり明治以降、よくここまでやってきたとは思います。太平洋戦争のような大きな失敗があり、アジアの諸国にずいぶん迷惑をかけ、後々まで、ものを考える日本人は少しずつ引け目をもって生きていかなければならなくなった。

 それだけのことをやってしまったわけです。しかし、それもこれも入れて、なんとかやってきたことは言えそうです。

 これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには。まず真心ですね。

 真心とは日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければならない。

 相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかの如くに感じることが大事ですね。

 いろいろな事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものだと、社会の現象も出てくるものだのだと、いろいろな事情を自分の身につまされて感じる神経ですね。そういう神経を持ったひとびとが、たくさん日本人のなかに出てくることによってしか、日本は生きていけないのではないか。」(P328)

 この最後の言葉を、現在の日本政府閣僚や思い上がった挑発的な言動を繰り返している政治家に聞かせてやりたいと思います。

 きちんと日本の歴史、アジアの歴史、世界の歴史をきちんと勉強して、相手国の事情に謙虚に耳を傾むけるリーダーを日本国から輩出させないといけないと強く思いました。

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2013.05.13

司馬遼太郎氏はラジカルな人でしたね

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 「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)をようやく読み終えました。文庫本でしたが、内容が濃く、私にとっては従来の世界観が覆るほどの内容でした。

 あとがきの解説を作家の関川夏央氏がされています。「思想嫌いの思想」と言う文章も秀作でした。この講演集は40代の司馬遼太郎氏の発言集です。その見識と歴史に対する造詣の深さに驚き続けました。

 「大衆歴史小説家」という評価をしていましたが、なかなかどうしてラジカルな人であると思いました。関川氏もこう書いています。

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)

 またその後の司馬遼太郎氏の後半生は、関川氏はこう総括されています。

「日本人は原理や思想を持たぬことを恥じるな、ひたすら現実を見据えてリアリズムで生きよ、ということに尽きた。

 司馬遼太郎の後半生は、大陸とヨーロッパに日本が抱いていた気おくれをとり去り、島国文化の闊達さを再発見させることに費やされといえる。」(P403 「解説「思想嫌い」の思想 関川夏央)

 今安倍政権が、憲法を改正して「天皇を元首にする」なんていうことを主張しておりますが、司馬遼太郎氏によれば、それは極めて不自然であるということになります。

 歴史上で天皇は軍も持たず、無力で神主のような存在。京都御所もお城ではなく、城塞ではありませんでたが、応仁の乱のときにも荒らされず、焼き討ちにも遭いませんでした。

「無防備な、無力であった600年の間に、天皇の本質はほぼ定着したと思うのです。
 天皇の本質とは、繰り返し申し上げますけれども「誰よりも無力である」ということであります。

 つまり皇帝はおろか、王ですらなく、天皇家はずっとその家系が続いてきたことになります。

 ところが明治維新を迎え、天皇の本質が変わっていきます。これはむしろ天皇にとって非常に不幸だったのではないか。このことについてひとつのエピソードがあります。

 大正天皇のご生母で、柳原二位局(やなぎはらにいのつぼね)という方がいらっしゃいまして、この方は実家が公家でした。

 公家ですから、在来の天皇の本質というものを、皮膚感覚で知っておられたのでしょう。

 自分の旦那さんである明治天皇が軍服を着て、サーベルを吊って、白い馬に乗っているのをごらんになり、おっしゃったそうですね。

 「ああいう恰好をしていては天皇家の将来も長くはない」

 明治国家の要請ということがありました。天皇が憲法上の権力を持ったということをこのエピソードは鋭く風刺しています。」(「天皇は再び御門の本質に戻った」)

 「600年にわたって天皇はたんなる御門(みかど)でしかなかったのに、「皇帝(エンペラー)」という、いわば大変に血なまぐさいにおいのする呼称をいったい誰がつけたのか。

 私はずいぶん調べましたが、よくわかりませんでした。おそらく中国皇帝が隣にあって、ドイツ皇帝、フランス皇帝もある。幕末から維新にかけての情勢を考えてみると、この3つの存在が発想の刺激になっただろうと思うのであります。」(P347「天皇は再び御門の本質に戻った)

 幕末維新の功労者である薩摩藩の藩主島津久光は、教養のあるひとでした。特に漢学に優れていました。明治の天皇制についてこう述べたと司馬氏は言います

「皇帝という呼称は、日本の国有の呼称ではない。
 このことは「日本書紀」や「古事記」を読めばすぐわかる。皇帝と言う呼称を考えた人々は、中国的教養や西洋的な素養だけを持っている人である。

 この呼称を法制化したことは非現実的であり、滑稽であり、いまの時代の風潮は憎むべきである。」(P348)

 司馬遼太郎氏は、明治以降1945年の敗戦までの80年間が日本史の中での「異常で特異な時代」であるとも言われています。そして敗戦後日本は本来の姿に立ち返ったと言います。

「日本は太平洋戦争に破れたあと、新しい憲法によって新しい国家が成立したと考えてよいですね。
      中略

 「エンペラー」という言葉については、島津久光ではありませんが、私が今まで見てきたことを考えても、きわめて日本的ではないという感じがしています。

 「天皇とは御門(みかど)である。日本でもっとも無力な存在であることが本質であり、そのために長く続いてきたのだ」(P350「天皇について」)

 司馬遼太郎氏の講演の言葉を長々と引用しましたが、日本の歴史の「本質」をずばり言われています。

 2013年になって、安倍自民党政権は「天皇を元首にする」だの「憲法を改正する」と元気よく言い立てています。司馬遼太郎流に言えば「それは日本の本質ではない。自然体ではない体制であり無理がある。」「体制維持に無理があるから、人々を抑えつけようとする」

 イデオロギーや宗教や思想と無縁な現実主義者が日本人の本質。それを忘れてはいけないなと思いました。

 私の身勝手である考え方「面白いか、面白くないか」の判断基準の中に司馬遼太郎氏のラジカルな考え方を取り入れようと思います。だいたい説明がつきますね。高校生時代にこの本を真剣に読んでいたら、必要以上に過激な社会思想に傾倒しなかっただろうし、高校も留年しなかったと思います。後悔先に立たずではありますが、これから「正しい人生」「正しい歴史観」で生き抜いていきます。

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2012.01.19

日本は「シーレーン防衛」はすべきではないのか

  中国が経済成長を背景に、軍拡を推し進め、ついには空母まで保有する事態になりました。海軍力は海外市場や交易国との「シーレーン」を守る為には必要な軍事力です。

 中国はアジア各地で石油採掘権や天然資源の争奪戦に参加し、強引に自国の影響力を行使しようとしています。最近では経済力を背景に軍拡に走り、「第1列島線」戦略をとり、あきらかな領海侵犯を繰り返しています。

 中国は@確信犯」であり、自国の利益と権益のために軍事力を行使するという「赤い帝国主義国」になりました。
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 これを中国が強引に押し出してきて、日本が「甘い対応」をしていますと、沖縄まで中国領土だといいかねません。また日本の石油資源や輸出品の輸送路である「シーレーンも」中国に生殺を握られることになります。

 今まではアメリカ頼みでよかったんですが、アメリカもかつての勢いがなくなってきました。そうなると日本は海軍力を増強させ、中国の脅威にきちんと対応する必要性があります。

 かつて司馬遼太郎氏は著作「この国のかたち」のなかで、「雑貨屋の帝国主義」を書いています。日露戦争後は、日本海軍の官邸は半減させ、軍縮し、民生への投資をすべきであった。植民地経営は島国根性の日本人は無理だから、アジア諸国を独立させ、そことの交易でいきるべきであったと。当時は海軍力で守るべき市場も交易品もなかったんだと。 ブログでもそのあたりをレポートしました。

 "雑貨屋”の帝国主義

  日本は「守るに値しない:植民地防衛のために、身分不相応の海軍力を保持し、国力を疲弊させた挙句、世界大戦を引き起こしてしまいました。いまは当時より遥かに大きな経済力を有しています。調達品ければいけない産品は世界にあり、輸出立国で生計を立てています。

 身勝手な中国から「シーレーン」を守る為に、日本は海軍力を強化すべきであると私は思います。

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2010.05.12

「歴史を動かす力」を読んで

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「歴史を動かす力 司馬遼太郎対話選集3」(文芸春秋社・2006年刊)を書店で購入して読みました。司馬遼太郎氏の独特の歴史観や戦争体験者ならでの厳しい戦争観なども好感が持てます。

 以前「この国のかたち」を読みました。日本の行く末を心配し、遺言のような随筆でした。

 参考ブログ記事 「この国のかたちを読んで」

 この本に収録されている対談相手は、海音寺潮五郎・志母澤寛・朝尾直弘・江藤淳・奈良本辰也・橋川文三・芳賀徹・大江健三郎(敬称略)。文学者もおれば,歴史学者もいるようです。

 司馬遼太郎氏は、いわゆる左翼的な無機的で単純な歴史観を嫌っています。彼なりの歴史考証や分析で時代を読み取っていくのです。

 海音寺潮五郎氏との対談「天皇制とはなにか」のなかで、司馬氏は「非日本的な明治以後」と言っています。

司馬「マッカーサーが,天皇様に、「わたしは人間である」といってもらったのはきわめて政治的なことで、史的真実から言えば、やはり神です。神であるがために,人民に無害でした。」(P12)

海音寺「天皇家が政治の中心として実際に政治をなすったのは、天智天皇から平安朝の仁明・文徳天皇くらいまでですね。」(P13)

司馬「浮世の実権者として「皇帝」であろうとした後醍醐天皇などがいますが、つまり後醍醐天皇は宋学に影響されて政治の独裁者としての皇帝になろうとした。しかしそういう天皇が出てくると,日本ではかならず乱が起こっている。日本的自然の姿でないからでしょう。

 そこで明治以後の天皇制は,結局,土俗的な天皇神聖観というものの上にプロシア風の皇帝をのっけたもので、きわめて非日本的な,人工的なものです。そうすると日本の天皇さんが皇帝だったのは明治以降八十年間に過ぎないわけで、ながい日本史から見れば一瞬の間です。

 左翼用語でいう天皇制というのは,敵としての幻想や幻影を加味したもので,魔物を魔物らしく仕立てるために,事実性から浮き上がらせてデフォルメしているところが多い。

 そういう多分に作られた「敵像」を通じて日本史を見るという態度は,左翼も捨てたほうがよいと思います。」(P14)

 適切な分析と指摘であると思います。「寄生地主制の天皇制」であるとか、「天皇制ファシズム」という新旧左翼の規定では,日本歴史の正しい姿は見えてきませんでした。

司馬「・・中略。一君万民思想でございますね。結局土佐あたりの侍,郷士ですが、これは百姓か侍か判らないような階級ですが、ここから出てきた人達が彼らを抑圧している階級社会を打ち破るには、天皇をかつぐしかないわけです。

 天皇の元では,将軍,大名といえども民の一人ですから,平等という論理がみごとに出来上がる。天皇を中心にすれば,デモクラッシーでも可能であるというところが、きわめて他の国の歴史における皇帝・王家と違うところです。

 1君万民思想というのは,幕末にあって非常に強いエネルギーをもってきておりますですね。」P32)

海音寺「そうですよ。百姓,町民の中からまで志士がでてというのは、主として一君万民に対する魅力でしょう。
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(高知市桂浜に立つ坂本龍馬像。市井の人民の1人でありました。日本を大きく動かした人物の1人です。その行動力にひかれ、昭和の初期に土佐の青年たちはたちあがりこの龍馬像をこしらえました。

 参考ブログ記事「忘れえぬ人々」を読んで

 維新運動の大効果は2つですね。1つは日本が統一国家になったということ。ヨーロッパはではずっと前に封建制度を脱却して統一国家になったのだが、日本は鎖国のために大分遅れた。それが維新運動の第1目標である日本強化を追及している間に,廃藩置県にたどりつき,統一国家になった。

 もうひとつは、廃藩置県によって,日本人の社会は市民社会になったこと。一君万民という形でね。ヨーロッパはそういう条件のつかない市民社会ですが。

 ともあれ統一国家となり、市民社会となって,日本は初めて世界歴史の本流と合致したのですね。」(P33)

 2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝での志士たちの社会的背景が述べられています。坂本龍馬も武市半平太も,岡田以蔵もみな志士になる社会的根拠があったのです。

 また司馬遼太郎氏原作の「坂の上の雲」の登場人物達の意識も、幕末ー維新期の激動期を経て統一国家日本の先頭に立ち,各分野で頑張り業績を上げる姿を描いています。

 また今日の日本につながる問題も幕末期に出てきています。そのあたりも注目すべきです。

司馬「(中略)その非常なる危機意識と言うのは,日本人の癖ですね。(笑)。

 これはとにかく中国という大国を控え、沿海州を通じてロシアを控え,海の向こうにアメリカをひかえて、そんなにいくつもの大国に挟まれた国というのは、どうしても緊張が強いですね。」

海音寺「寛政期の松平定信の執政時代から,延々と危機意識が続くんですからね。それは敏感なわけですよ。そしてまた、あの頃悪いことをするんですからね。北辺にくるロシアなぞわね。」

司馬「ドイツ人も危機意識の強い国民ですが,東にロシアあり,西にフランスありですからね。

 しかしドイツの場合は,国境に要塞をつくると物理的に問題は解決するんですね。ところが日本は,物理的解決ができないワケでしょう。四界海で茫漠として。」

海音寺「沿海に長城を築くわけにもいかんしね。」

司馬「すると危機意識が悲壮感まで高められて、そこからエネルギーが生まれてくる民族になってしまったんですね。だから明治維新ということは、やはり危機意識で極まったわけですね。

 将軍も、その危機意識というすでに時代の公理にまで高められてしまったものの前に屈服し、自己否定し,自らその地位を棄てると言う,歴史では珍しいことをやった。

 徳川慶喜の偉さと言うよりも、それをやらざるをえないところに日本人と明治維新の特異性がある。」

海音寺「そうです。危機意識です。その危機意識を,最近の歴史学者は余り重要視しませんね。

 封建制度の矛盾とか,鎖国経済の行き詰まりとか,百姓一揆とか,打ち壊しとか、そんなことばかり言い立てるんですが、それだけでは革命にはなりませんよ。

 もっと直接的な,強力な,物理的な力ですね。それがないと革命の火はつかんと思いますね。」(P45)

 確かに現代の日本もアメリカ,ロシア,中国という核大国と国境を接している。沖縄問題が悩ましいのは、沖縄に日本人が130万人すんでいるところに巨大でアジア最大の米軍基地があることです。そのことは幕末・維新期よりもっと大変で深刻です。(米国提督のペリーは幕府が開国しない場合は,琉球を軍事占領するつもりでした。ペリーは2ヶ月間琉球に滞在。その間に沖縄本島すべての湾岸を調査し海図をこしらえていたそうです。
 後日二次大戦時に米軍が沖縄へ上陸した際も活用された可能性はあります。)

 沖縄以外の日本人は、米軍基地の脅威と,騒音と,犯罪性を「抑止力」「国益」ですべて沖縄に押し付けて来ました。

 「沖縄から米軍基地をなくそう」という運動が波及してきますと、今まで沖縄の人たちの犠牲で覆い隠されていた日本の危機的な状況が一気に現実味を帯びるのです。
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 日本人全体の問題で,沖縄普天間米軍基地の問題を考えなければならないのは、そういう軍事大国に挟まれた日本の特性です。宿命といってもいい。

 司馬遼太郎氏の歴史観をなぞっていきますと、現代日本が置かれている危機的な状況もよりわかるというものです。

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2010.02.06

"雑貨屋”の帝国主義

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 作家司馬遼太郎氏は、「坂の上の雲」を10年がかりで執筆されたそうです。随筆「この国のかたち」は、今や私にとって、高校生時代の「毛主席語録」と同じで、文庫本(高知駅前BOOK-OFF 105円で購入)を持ち歩いております。

参考ブログ記事「毛沢東思想を信仰していた者として自己批判します

 そのなかで「雑貨屋の帝国主義」(P34)があります。司馬遼太郎氏が強調し、本当に言いたいことが詰められていると思いました。また現代日本はアメリカと中国という大国の間でふらふらしています。

 私が大事な箇所と思っている箇所を引用しました。相当長い引用になります。読書ノートです。一度テキストファイルに打ち出しましたが、パソコンの不調ですべてパーに。気をとり出してもう一度書き出してみました。

 「日本は、日露戦争の勝利後、形相を一変させた。
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(日本海海戦。日本はロシア艦隊を撃破しました。)

「なぜ、日本は、勝利後、にわかにづくりの大海軍を半減して、みずからの防衛に適合した海軍にもどさなかったのか」ということである。

 日露戦争における海軍は、大規模な海軍たらざるをえなかったことは、「坂の上の雲」(文藝春秋刊)を書いた私としては、十分わかっているつもりである。
 ロシアのウラジオストックにおける艦隊を討ち、かつ欧露から回航されてくる大艦隊と戦うためには。やむなく大海軍であることを必要とした。その応急の必要にせまられて、日本は開戦前、7,8年のあいだに、世界有数の大海軍を建設した。

 ロシア海軍はこれによってほぼ壊滅し、再建には半世紀以上かかるだろうといわれた。」(P37)

「大海軍とはいうのは、地球上のさまざまな土地に植民を持つ国にしてはじめて必要なものとなる。

 帝国というのが収奪の機構であるとすれば、16世紀の黄金時代のスペインこそその典型だった。史上最大の海軍が作られ、大艦と巨砲による威圧と収奪、陸兵の輸送と各地からの収奪物の運搬のためにその艦船はあらゆる海に出没した

 16世紀末、その無敵艦隊をイギリスが破って、スペイン的な世界機構の相続者になり、機構をみがきあげるのである。

 当然、イギリスは大海軍を必要とした。蒸気機関の軍艦になってから世界の各地に石炭集積所を置いたために、港湾維持のための支配や外交がいよいよ精密化した。

 しかし、日露戦争終了の時には、日本は世界中に植民地などもっていないのである。」(P38)

「20世紀なかばまで、諸家によって帝国主義の規定やら論争やらが行われたが、初歩的にいえば、商品と資本が過剰になったある時期からの英国社会をモデルとして考えるのが常識的である。過剰になった商品と、カネの捌け口を他を得るべくーつまり企業の私的動機からー公的な政府や軍隊を使う、と言うやり方が、日本の近隣においては、英国はこのやり方をc中国に対しておこなった。

 しかしその当時の日本は朝鮮を奪ったところで、この段階の日本の産業界に過剰な商品など存在しないのである。朝鮮に対して売ったのは。タオル(それも英国製)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるのだろうか。
 要するに日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせたこととしか思えない。
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 なにしろ、調子狂いはすでに日露戦争の末期、ポーツマスで日露両代表が講和については強気だった。日本に戦争継続の能力が尽きようとしているのを知っていたし、内部に”革命”という最大の敵をかかえているものの、物質の面では戦争を長期化させて日本軍を自滅させることも、不可能ではなかった。弱点は日本側にあったが、代表の小村寿太郎はそれを見せず、ぎりぎりの条件で講和を結んだ。」(P43)
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  ロシア革命勢力の指導者レーニン。日露戦争当時、日本政府は明石大佐を通じ多額の「工作資金」をロシア内の革命勢力に渡していた。きちんと謀略活動もされていたようです。
「ここに大群衆が登場する。

 江戸期に、一揆はあったが、しかし政府批判という、いわば観念をかかげて任意にあつまった大群衆としては、講和条約反対の国民大会が日本史上最初の現象ではなかっただろうか。

 調子狂いは、ここからはじまった。大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎると言うものであった。講和条約を破棄せよ、戦争を継続せよ、と叫んだ。
「国民新聞」をのぞく各新聞はこぞってこの気分を煽りたてた。ついには日比谷公園でひらかれた全国大会は、参集する者三万といわれた。彼らは暴徒化し、警察署2、交番219、教会13、民家53を焼き、一時は無政府状態におちいった。政府はついに戒厳令を布かざるえなくなったほどであった。
Hibiyayakiuchi

 私は、この大会と暴動こそ、むこう40年の魔の季節への出発点ではなかったかと考えている。この大群衆の熱気が多量にーたとえば参謀本部にー蓄電されて、以後の国家的妄動のエネルギーになったように思えてならない。

 むろん。戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある。また煽るのみで、真実を知ろうとしなかった新聞にも責任はあった。当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい。」(P43)

「また、朝鮮を侵略するについても、そのことがソロバン勘定としてペイすることだったのか、ということをだれも考えなかった。

 その後の、”満州国”(昭和7年・1931年)をつくったときも、ペイの計算はなく、また結果としてペイしたわけでもなかった。」(P43)

「(中略)・・・・・・。

 日本からの商品が満州国に入る場合、無関税だった。この商品がこれ以後、華北に無関税で入るようになった。このため、上海あたりに芽を出していた中国の民族資本は総たおれになり、抗日への大合唱に参加するようになった。翌年、日本は泥沼の日中戦争に行ってします。

 ”満州”が儲かるようになったというのは、密輸の合法化という右のからくりのことをこのモノはいうのである。その商品たるやー昭和10年の段階でもなお人絹と砂糖と雑貨がおもだった。

 このちゃちな”帝国主義”のために国家そのものがほろぶことになる。1人のヒットラーもで出ずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか」(P46)

 文中引用のなかで「太字」の箇所は、わたしが特に印象に残った言葉を強調するために引きました。とてもわかりやすい表現であり、日本型「帝国主義」の本質を的確に現していると思いました。

 まさに司馬遼太郎氏の「帝国主義論」であると思います。それも「日本帝国の特色」を鋭くえぐり出し、「雑貨屋の帝国主義」と一言でその本質を言い当てています。歴史を振り返ればまさにそのとおりでした。

 左翼的な日本帝国主義論よりも遥かに的確。「目から鱗」の感覚でありました。

 司馬遼太郎氏の言う、日本の植民地経営が「ペイ」するかどうかを当時冷静に分析し、「ペイしない」と言い切っていたのは石橋湛山氏のみでした。

 参考ブログ「いでよ平成の石橋湛山」

 石橋湛山は「台湾と朝鮮と樺太の植民地経営に費やす費用(維持管理費)が過大であり、上がる収入を遥かに上回っている。世界的潮流の民族独立の機運を日本は助け、日本はその旗手になり、独立国相手の交易で経済を交流すべきである。植民地を放棄すれば、余計な軍備は縮小できるし、他の民生分野に再投資ができる。」

 大正8年に石橋湛山は主張していました。そのような先達者がいながら、日本は「軍拡日本」に奔走、1945年の破滅に向かい突き進みました。
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