吉本隆明氏・追悼文

2024.10.23

「むなしさの味わい方」を読んで

むなしさの味わい方 表紙 001
 私個人の最近の出来事についていえば、「うまくいかないこと」だらけであり、「面白くない」出来事がとても多い。体調不良も多く、「いつもの」楽天的な私ではない。少々の失敗や落ち込みに対しては、沖縄流の「なんくるないさ」(何とかなるさ)の心持で乗り切ってきましたが、今年はそうはいかない状況でした。

 このまま今年は低迷して終わるだろうなと思いました。うつになって落ち込んでいくばかりではないかという恐怖もありました。そんなときにこの書籍を金高堂書店で購入しました。偶然書店で目に入り購入しました。

 きたやまおさむさんと言えば、学生時代のご活躍と言えばフォーククルセダーズでした。「帰ってきた酔っぱらい」「イムジン河」「あの素晴らしい愛をもう1度」など活動期間は短いものの、メガヒットを出しています。
むなしさの味わい方 その2 001
 その後は九州大学の教授をされていて、何年か前に定年退官され、フォークルを再結成されたという話題もありました。フォークルの解散後にメンバーの才気あふれる加藤和彦さんの自死もありました。

 実際にお会いしたことはありませんが、きたやまおさむさんはまた意外にも身近な存在でもあります。

 ヨットの大先輩であるUさんが、なんと京都府立医科大学時代ヨット部で、先輩であったそうです。1学年下の「きたやまおさむは クルーだった。」とのこと。3年ぐらい前に初めて聞きました。大学ヨット部は2人乗りの470やスナイプという艇に主に乗り琵琶湖で帆走練習をしています。

 Uさんは舵取り(スキッパー)であり、きたやまおさむさんはクルーで2枚帆を調整したり、風下帆走の場合はスピンネーカーという補助セールを出したり、取り入れたりする係をされていたようです。

 「大学時代は学生紛争でロックアウトされ、おまけに5年で卒業にされた。」とのこと。Uさんは今はある自治体の医師会の会長をなさっておられます。

 さて肝心の書籍の感想です。豊かな時代になり、物があふれる時代になりましても人々の悩みは尽きません。また最近の情報通信技術の発達などで、より人々は精神的に追い込まれているのではないかときたやまおさむさんは言われます。

「相手の反応に敏感すぎる時代」(P32)

「意味のない言葉の氾濫」(P33)

「ご期待対応力が評価される」(P37)

 「ご期待対応力」なる言葉は、きたやまおさむさんの独特の表現です。でも今の時代を的確に「切り取る言葉」ではないでしょうか。

 最近もス-パースターと言われるビックアーティストの伝記的な映画がありました。クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラブシティ」(2018年)、エルトンジョンを描いたロケットマン(2019年)がありました。

「こうした映画では、主人公のミュージシャンが、ファンの期待に応えようとしながら、こうありたいとの自己像との間で葛藤し、ドラックやアルコール、セックスなどに溺れ自滅していく姿が必ずといってよいほど描かれています。

 また、ドラックなどではなくても、自分の心に生じた「間」を受け止めきれずに、何かで必死で埋めようとしながらも、うまくいかずに立ち直れなくなってしまう場合も少なくありません。

 ともにフォーク・クルセーダーズを結成したメンバーの1人は、2009年に自ら命を絶ってしまいました。彼のことを考えると、今も私は心が傷みます。」(P43)

 心構えの対策として、きたやまおさむさんは、以下のことをいわれています。

「期待に応えるよりも「マイペース」をえらぶ決断」(P44)

「遊びがあってこそ」(P45)

「私たちは、このむなしさ」に慣れ、飲み込まれないようにする術を身につけなければならないでしょう。」(P49)

「このようにみてくれば、心の発達で、他者との関係性や自分の心の中に「間」が生じ、「むなしさ」という感覚を味わうということは、少なくない人たちにとっては、当然の経験であることがわかるでしょう。だから誰も「むなしさ」から逃れられないし、「むなしさ」を完全に消し去ることはできないのです。」(P77 「間」を生きるという課題)

「急な幻滅に遭遇したとしても、私たちの人生はそれで終わってしまうわけではありません。多くの場合、人生という物語は、急な幻滅悲劇の展開で終わることなく、その後もだらだらとつづいていきます。

 生きている限り明日は必ずやってきます。そして日常という時間w過ごさなければなりません。まして現代は長寿社会と言われ、私たちはかつてよりも長い人生を送ることになっています。

 こうした意味でも、私たちには時間が与えられています。」(P112「幻滅の後も人生は続く-時間をかけることの意味)

「物事を解決したり、何らかの対処をしたりするためには、時間が必要です。」時間をかけるというのは「間」(間)が生じるということです。「間」というのは、本書で何度も登場した「間」(ま)のことです。

 日本語では両方とも同じ漢字で表記します。空間的な広がりとしての「間」であり、、時間的な長さとしての「間」のことです。

 心の病気を治すためにも時間が必要です。すぐに治らないからと絶望してしまえば、病気を治すどころではんくなります。時間をかけて徐々に治っていくという「間」をけいけんしなければなりません。

 中略

 大切な相手との関係性にひびが入ってしまったという場合、早急に相手を見限って、関係性を絶ってしまうのではなく、時間をかければ、予期せぬ結果が生まれるかもしれません。そこが希望と絶望が交替する移行の期間なのです。

 心の問題に関する原則は、時こそ「解き」(とき)であり、時間が解決するということなのです。」(P113 待つことと、「間」に立ち続けること)

 著者によれば「待っている時間を過ごすこと、結論を急がずに、結論に至るまでの「間」に立ち続けることは簡単ではありません。」と言います。

 どっちつかずの境遇でひたすらい結果を期待して待ち続けることは、現代人は得意ではありません。結論を急ぎ、結果をもとめます。また「むなしさ」を回避しようとする仕組みが張り巡らせています。

「二面性を受け入れる」(P115)

「2面性を知ることで深まる認識」(P118)

「吐き出してすっきりしたいが」(P119)

「心をゴミで埋めようとする。」(P122)

「割り切れないもの、消化できないもの、未処理のもの、中途半端で矛盾しているもの、そうしたものを心の、いわば「溜め池」のようなところに、そのまま置いておく。そして時間をかける。そうした心の余裕を持つことが出来るかどうかが、「むなしさ」をうまくこなしていくことにもつながってきます。」
(P123もやもやは心の「ため池」に置いておく)
ため息をついても幸せは逃げない」(P124)

 このあたりの言葉は、精神科医のきたやまおさむさんの治療のなかから出てきた考え方であると思うし。依拠しているフロイトの精神分析をかみ砕いて説明をしていただいているようです。

「相手が自分の思ったとおりのひとでなかったとかいうとき、わたしたちは喪失感や幻滅を覚え、心に「むなしさ」が訪れます。

 中略

 心がすっきりしないとき、この怒りの内向と同様の自虐や自責が起きることがあります。相手が自分の思う通りの人ではなかったのは、実は相手が自分を嫌っているからではないか。自分は嫌われても仕方のない、価値のない人間ではないか。

  中略
 
 日本人は外向きに怒りを感じるのが苦手だとよく言われ、私たちは怒りを内向させがちです。でもそれでは、心に「置いた」ことにはなりません。」
(P126怒りの内向と自虐)

 ある新興宗教団体が、自責の念を利用して「その罪を解消するためには、教団にお金を納めて禊をすませなくてはならない。そのためには教団に帰依し、献金し続けなくてはならない」という大きな問題が社会事件でおきました。日本人の特性を悪用した献金システムでした。

「私たちは生きていくうえで、人に借りをつくり、恩を受けながら生きています。そもそも私たちの人生は親を始め、他人のケアを受けなければ生きていくことができないという未熟な乳幼児期からはじまります。

 そして、自分が大人になった時は、今度は自分が子供をケアする。あるいは他者に貸しをつくったり、恩を与えたりする。要するにお互い様です。

 白黒思考に固まっていると、「すまない」を置いておけず、すまないままではいられなくなるのです。妥協しながら貸し借りをつくりながら、物事はどっともどっちであり、あなたも私もお互い様をかみしめながら生きていくことが大切です。

 この「すまないものを「すまない」ままでとして置いておけるか。」ここでも「間」に立ち続けること、未処理のモノをそのまま置いておくことがもとめられています。」
(P!30「すまない」はおたがいさま)

このあたりはきたやまむさんの独特の表現。ご自身の体験と精神科医としての臨床体験や、研究した文献の逸話や、精神病理医師の先輩の所説などがわかりやすくかかれています。

「心の内奥には沼がある」

「現在私たちが生活している場所は多くがアスファルトやコンクリートによって埋められています。沼などは殆どなくなっています。ドロドロと臭く、経済的な価値を見出せない沼などは、どんどん埋め立てられ、私たちの前から聞けていきました。

 しかし人間は人間臭く、乳は乳臭いものだし、大地は土臭いものです。心の一部も臭いはずですが、私たちが人間である以上,有機の匂いがするものであり、私たちの「心の沼」を都会のように埋めてしまうことはできないのです。」(沼は臭いので蓋を P134)

「心の沼は、澄んではいない。」

 心の沼は、いつもドロドロ、ずぶずぶ、ぐずぐず、ぐちゃぐちゃしているので、ドブ掃除は無理です。 中略

 そこには容易に手を突っ込めない危険性もありますし、また性欲や残虐性もあります。底なし沼という言葉があるように、真っ暗で水中がどうなっているのかなかなか理解できないのです。だから心の中で、いくら酷い事、残虐なことを考えても、そのことは否定されるべきではありません。中略

 心の中でどんな空想をしようと、それは自由です。むしろ、心の中で考えてて置いておけるなら、ひどいこと、残虐なことを行動に移さないことが可能になります。心の中で自由に考えたり、想像したりすることを否定したら、ひとはとても息苦しくなり、むしろ危険なのです。

 私たちは、目の前で起きている現実と、心の中の現実と2つの現実を生きています。その2つの現実を生きていることを自覚し、その2つがバランスよく作用しあっていることが健康的な状態です。

 2つの現実の片方しか認めようとせず、あるいは2つの現実を同一にしようとするのは危険です。心の中で残虐性を実行することはよくあることですが、目の前の綺麗な現実だけを認め、それと乖離する心の現実を閉じたり、あるいは心の現実をそれに無理やり合わせようとすることも危険なことです。きれいごとをいい裏を認めず良い子である表にあわそうとすると、心に無理が生じます。

 ひどい、残虐な想像をしてしまうのも自分であり、他者に対して、良い人のように降る真っいているのも自分なのです。2つの現実と、人の2面性を認めることの大切さは、こうしたところからもりかいできます。

 このように、沼はあくまでにごったものであり、そのまま置いておくしかないのです。」(P136)

 長い引用をしました。きたやまおさむさんの言葉の1つ1つに納得しますし、わたしの「鬱々、ドロドロした、自分を卑下し、貶める考え方」から、お陰で解放された気分です。

 でも精神分析の専門分野をかみ砕いて説明してくれていますが、わかったようで、わからないところがたくさんあります。

 この文章を読んでいて思いだしたのは、私の子供時代(1960年から65年頃)小学生時代は、高知市内でも、転校先の大阪府豊中市でも吹田市でも、沼がありました。柵などもなく、「危ない河童に引き込まれるぞ!」とかの看板が立っていました。

 沼は沼で自然界では存在価値があり、水生植物や昆虫、淡水魚類などのビオトープの世界であったし、子供たちの手軽な釣り場でもありました。

 しかし高度成長時代が全国的に始まりますと、沼は埋めたてられ、宅地や工場や商業施設になりました。地面はコンクリートやアスファルトで埋められました。

 今年は猛暑でしたが、沼や小川は埋め立てられ、アスファルトで覆われました。市街地も暑くなります。沼に生息していた、カエルやミツバチや、トンボや、めだかなども身近な場所で見なくなりました。

 便利な社会になりましたが、なんだか皆が余裕のない状態になり、心のバランスを崩すようになりました。私もそうなりかけていました。

 高知でも東京でも皆、暇があればスマホの画面を見て「暇つぶし」をしています。会話もなく、人とのコミュニュケーション力の衰退も心配ですが、心の「むなしさ」や「間」をネットの情報で埋めてしまおうとして、かえって疲労が蓄積されて心にひずみが出来イェイるのではないかと私は心配しています。


「むなしさを味わう」(P157)

 きたやまおさむさんはこう書かれています。

 ここまで見てきたように、私たちの心には「むなしさ」が必ず訪れ、通例そのことから逃れることができないものです。そして「むなしさ」は「すまない」とともにいきていかざるをえません。

 しかし、そのことは、単にそれに耐えるべきものではなく、場合によっては、吐き出したい言葉を生み出し、創造性を育んで、むしろ人間の生に豊かさをもたらせてくれるのではないかと私は考えます。

 「むなしさ」そのものに意味はないかもしれません。でも「むなしさ」をかみしめ、味わうことには、」意味があるかもしれない。(P158) 

 私自身の個人史において自我というものが形成されたのは、中学生時代でありました。早熟な「政治少年」として、政治や社会運動に興味を持ち、当時の情報伝達手段は「ガリ版」(謄写版印刷)でしたので、それで手書きで「新聞」を発行し、社会評論的なことをしていました。

 そのころの作法として「うまくいかないこと。目標が達成できないときの原因を自分の中で追及し、文章化し、高めの達成目標を設定し実行していました。(実力から言えば高めの目標設定故に、殆ど到達できないことばかりでした。)

 しかしながら、自分でコントロールできない課題や、社会運動においては、党派の上級幹部(専従者)の命令などもあり、反論できないまま落ち込んでいき、挙句の果てには運動体自身が解体消滅し、敗北し、放り出されることの繰り返しでした。

 きたやまおさむさんの「沼」という考え方。「空しい」ことにも意味がある。決して無駄なことではない。出来ないときは出来ない。出来なくてもいい。という。まったりした考え方、発想法は新鮮でした。

 自分の気持ちを「文書化」して、目標を整理し、達成に向けて努力しする。それ等はいまでも、地域防災の会合などで、会合参加者の情報共有化の手助けになる手法であります。(深刻な問題以外では有益な方法手段です。)

 しかし万能の処方箋ではありません。きたやまおさむさんの今回の著作を読んで改めて気が付きました。

 今年は正月から手術や入院、療養が続き、その中でも、仕事の合間の「こまめな時間」を活用して、自分なりに「周到な」準備をしていた地域防災の2大大事業(私なりのである「仁淀川町防災キャンプ」が台風で中止になり、地域防災訓練予定日は、思わぬ衆議院の解散総選挙の関係で、延期が余儀なくされ、防災メニューの大幅な見直しが強いられました。

 仕事や地域活動も本調子ではなく、体調も本調子ではない。仕事もうまくいかないことがある。でもそれでも何とか生きて行かなくてはいけない。自分が情けなくて、すべて投げ出したい「マイナス思考の渦の中」で、この著作を読みました。

きたやまおさむさんの先輩格の精神分析医の前田重治さんの心の絵がありました。確かに文字表現で、心象風景を記述されてもわかりにくい。

 フロイトが日本に紹介された時代における精神分析の個々のイメージが描かれています。(P160)
フロイト心の中の世界図 001
 絵は「前田重治 フロイトの精神装置図」(1958年)とありました。

 上部は,外界に向かい知覚のために心は外に開かれています。(中略)

 個の前田先生の絵においても、無意識、あるいはほどんど無意識になっているエス(日本語ではそれを意味するドイツ語)は下部に置かれ、その最下層は身体に根差して「本能欲求取りこみ門が開口しています。」(P162)

「上部の頭脳や理性だけでは人間は生きていけないし頭脳や理性だけが、人間のすべてではありません。理性的な意識よりも、心の下部から湧き上がる、沼の臭い、欲望の臭いとしてのモヤモヤのほうが強くなってしまうこともあります。
現在の自我構造・前田氏 001
 したがって、上部と下部、その両方の領域を備えてこそ、人間の心の全体となるのです。」(P167「無意識と身体」)

この著作を読んで、あらためて、フォーククールセーダーズの」「あの素晴らしい愛をもう一度」の詩を読んでみると、心の深層を感じます。

作詞:北山修/作曲:加藤和彦/歌:フォーククルセイダーズ
「あの素晴らしい愛をもう一度 」

命かけてと

誓った日から
すてきな想い出
残してきたのに
あの時

同じ花を見て
美しいと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

赤トンボの唄を
歌った空は
なんにも変わって
いないけれど
あの時/
ずっと夕焼けを
追いかけて
いった二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

広い荒野に
ぽつんといるよで
涙が知らずに
あふれてくるのさ
あの時

風が流れても
変わらないと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい
愛をもう一度

「日常でも、「美しいもの」を共有しながら愛でるのは親子だけでなく、恋人や友人同士でも多いのです。雪見、お花見、花火、お月見、」紅葉狩りと、私たちは昔から同じものを一緒に眺めて心を通わせ、この愛を育んできたのです。
 漱石による訳だという逸話もありますが、「アイラブユー」を「愛している」と見つめあって言うのではなく、肩を並べて、「月が綺麗だね」と言う比較文化論は、私たちの「横並びの愛」の深層心理を鋭く突いていると思うのです。

 だがこの愛が取り返しのない形で崩れ、しこに穴が開き。「つながり」が突然切れるなら、目も当てられない惨状が展開するでしょう。お互いが孤立して、「みんな」からハブられる恐怖や、向い合ってもらえない不安、そして同調圧力が生み出されてしまうのでしょう。

 だから、同じ花を見て美しいといった2人の心が今はもう通わないという悲劇は繰り返されるのだと、歌でも言うのです。(P193「あの素晴らしい愛について」)


 終章にこういう記述がありました。

「探し物はきっと見つからない。もし見つかったと思っても、それはすぐ目の前から消え、失われていきます。なぜなら、心の中で求めている「探し物」と全く同じものは、外の世界には存在しないのです。

 1人の人間のなかには、心の中と外という2つの現実があることを述べました。質の違う2つの現実が、1にの人間の中で共存しているのです。普通はどちらか片方だけが現実でもないし、2つの現実を一致させることも無理です。だから、心の中にある「探し物」は心の外の世界には存在しないのです。P195)

「本書は、蔓延していると感じる「むなしさ」につき、自己分析を踏まえ、日本語、日本文化、現代社会を見据えながら書いた。もちろん最近の私の一般向け書物と同様、フロイト理論や精神分析の対象関係論の考え方を活かしている。しかし「むなしさ」を感じたら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案しているのだから、理論的なことやこのテーマに関わる議論は細かく書き込まなかった。」(P203あとがき」

 わたしにとって2024年は「トラブル」続きの年でした。正月には眼病での両目の手術と入院。療養生活などで長期間仕事が出来ませんでした。メガネ合わせに苦戦し、復帰できたのが5月連休前でした。

 でも手術のおかげで「失明」は免れ、「ド近眼」が「中程度の近視」になり、近くは見えるので老眼が不要になりました。悪いことばかりではありません。6月には右手裂傷、9月には帯状疱疹。10月には蜂に刺されるとかいうトラブルまでありました。

 おまけに周到に地元の皆様と準備してきました「仁淀川町防災キャンプ」も中止、地域の史ウ号防災訓練は、衆議院選の関係で延期(10月27日が12月1日)になる事態になりました。

 懸命に真摯にっ取り組んではいますが、「運も悪い」としかいいようのない事態になり、自分の非力を感じ落ち込んでいました。

 でも一方で18歳から70歳まで52年間うじうじと「孤独に」悩んできた問題も半分ぐらい解消できました。悪いことばかりではありません。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html
(「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-f58837.html
(映画「ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ」)

 18歳の少年(高校生)は長い長い先の見えない暗いトンネルの闇の中にいました。70歳の時ようやく外に出ました。今は71歳になりました。

 今回きたやまおさむさんお著作「むなしさ」の味わい方(岩波新書)を読んで、わたしは52年間も「むなしさ」を味わっていたのであったと思いました。人生そんなものかもしれません。

 仕事も地域活動も社会参加もうまくいかないことばかりです。焦らず「むなしさ」を敵視せず、自分のペースで乗り越えてみます。
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 脳ドックの医師は精神科医ではないでしょうが、「ヨットは脳幹トレーニングにはいい」と言われました。今年はヨットのほかにSUPも習います。「71の手習いです。主たる目的は、今の居住地域(海抜0Mの二葉町)は、南海トラフ地震が起きたら水没します。地域の防災会長としてSUPで住民の安否確認をしますので、基礎からの習いが必要だからです。

 自分の限界、体力と気力の衰えを思い知らされた2024年でした。悪いことではありません。できる範囲内で、やるべきことはやり続けます。

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2021.10.18

武内則男さんが来訪

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2021年10月19日の「二葉町総合防災訓練第3回意見交換会」の提案資料を早朝から孤独に事務所で作成していました。


 


地元高知市下知地区の地域代表(県議)の坂本茂雄さんの声がするので。外へ出てみますと、総選挙にエントリーされている武内則男さんにお会いしました。
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 岡﨑邦子さんにも久しぶりにお会いしました。皆様朝からご苦労様です。
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武内則男さんとは、2015年6月に有志8人で自費で「東北被災地交流ツアー」で同行しました。宮城県石巻市・東松島市。名取市などを訪ね、被災者の皆様や支援市民団代の皆様から生の声を聴きました。とても参考になりました。


 


当時武内則男さんは2013年時の参議院選挙で落選した身の上でしたが、熱心に現地の人達と意見交換されていました。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../07/22-8d88.html

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2016.09.24

「完本・情況への発言」を読んで

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 ようやく5年間かかって読み終えました。分厚くて、知らない人たちを罵倒する文章が多くて、正直しんどい所がありますした。読後感は「今は爽やかな」気分です。


 学生時代に入っていたサークル関係者にご縁が深かった吉本隆明さん。4年前の2012年3月16日にご逝去されました。大正13年生まれですので、うちの母より1つ上で、父より5歳年下の人でした。

当時個人ブログに「追悼文」を書いていました。

「吉本隆明氏の逝去を悼む」(2012年3月16日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8f43.html

 5年前に大枚3240円で「完本 情況への発言 吉本隆明」(洋泉社・2011年・刊)を高知市の本屋(金高堂)で見つけ購入していました。当時は吉本隆明氏の死期が近いと思い購入していました。

 購入したものの700Pもあり、1962年から1997年まで発刊されていた「試行」という雑誌に吉本隆明氏が寄稿したものすべてをまとめてありました。

 読むと、今となってはわたしも知らない論敵を罵倒し、こきおろす文章が大半。もはや古典の世界です。この種の文章はリアルタイムでないとわかりません。吉本隆明さんはずっと存在し続けましたが、吉本さんが当時罵倒した相手の人達は、「消えて」いるからです。
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 そのなかに「切れ切れの観想」(1976年9月)に書かれた文章がありました。
「三上治に依頼されて6月18日に「情況の根源から」と題する講演に出掛けた。  

 中略・・・。

 ところで、事は、三上治の属していた政治党派の内部で、十分な決着がついてなかったらしく、講演会は叛旗派の面々の妨害により中断せざるを得ない混乱に終始した。
 わたしは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、檀上に駆け上がって騒いでいる連中には懇談してもらって、じぶんの喋りたい思って用意してきた情況論は、しゃべることにした。

 なぜならば集会の主人公は、身銭を切って講演を聞きに来た公衆であり、それ以外の何物でもないという原則をもっていたからである。」(P257)
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 私の記憶が正しければ、吉本さんの講演は、1976年6月18日に東京・品川公会堂で行われた共産同叛旗派解体集会でした。三上治と、神津陽の一党が対立し、罵倒しあっていました。吉本さんがなだめたという記憶はありました。私は「いくばくかの参加費を支払い」見学に行っておりました。

 それは40年前の出来事。その後共産同叛旗派は解体し、再興されることもなく40年経過しました。あのことの清新な政治理念はどうなったことだろうか?40年経過して現れないものは、今後も未来永劫現れないでしょう。

 今「情況への発言」を読み返しても、「古典」を讀んでいる感じですね。
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 災害列島日本で「何事もなかったかのように」原発を再稼働し、沖縄の声を全く無視し軍事基地づくりを政府は強行しています。

 ヘイトなファシストの声が大きくなるが、きちんとした政治党派は影も形も見えません。やはり40年前に滅んだものは、再興されないまま、風化したんでしょうか?そのことを思いだすたびに、情けない気分になるのはわたしだけでしょうか?
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 巻末に松岡祥男さんが「解説」を書かれています。高校時代の社会運動でご一緒したことがあります。高校生時代の私はアホな毛沢東主義者でしたが。松岡さんは「吉本隆明という人は凄い」とか言われていました。先見性がある人でした。

「試行」という雑誌は、60年安保闘争敗北後の1962年に発刊されています。同人に村上一郎や谷川雁らがいたようです。そのあたりの時代背景を松岡さんは記述されています。

「ブントは分裂し、全学連幹部は日和見と組織エゴに凝り固まった小日共さながらの革共同に屈服転身するものが続出した。
 吉本は、権力の側からも、共産党をはじめとする対立党派やその同伴知識人からも、また行動を共にした転身メンバーからも、標的として集中砲火を浴びることになった。この孤立の中から「試行」は生まれたのだ。」(「試行とはなにか」P688)

 なるほど「孤立無援」ななかで「試行」は創刊されたのですね。だから相手を罵倒する文章が多いわけですね。多くは歴史上消え去った人たちだけに思想的にも社会運動的にも今思えば大したことはないようですが、当時としては幅をきかせていたんでしょう。「事情」は松岡祥男さんの解説で理解できました。

「「情況への発言」は1970年10月(試行第31号)から、論敵たちの言説(批判や攻撃)を引用し、それに反批判を加えるコメント方式をとっている。時代の急激な変容に即応するために、このスタイルが選ばれているといえる。

 吉本隆明は、この時期、「心的現象論」「最後の親鸞」「初期歌謡論」といった体系的な思索と古典に打ち込んでおり、思想的主題の深さに比例して、それは心身の動きを重くする作用が伴うものと思われる。

 吉本にとって、この即興的なスタイルは、寸暇をみつけて身を起こし、その時々の情況に対応しようとするものだ。たとえ、それらが時事的な泡沫で、すぐ時の流れの上に消えてしまうものであったとしても、そのアブクにしか見えない現象の中に、実は永続的な課題が内在していることもありえる。

 生々しい関心の持続、それ自体が思想の生命線の1つなのだ。しかし、このスタイルは、さらなる即時的な反発や憎悪を呼び起こし、荷立たしい様相を呈することも否めない。」(「根源的な志向性」 P691)

 分厚い書籍に中で、論争相手への罵倒と罵詈雑言の類も多くのページに記述されています。当時はワープロなんぞもなく、手書きで原稿を書いていたんでしょう。わたしなどは文章書くことで、相手への怒りは昇華され、案外冷静になりますが、吉本隆明さんの怒りは収まらず、とめどなく記述される理由が判明されましたね。それにしてもしつこいキャラクターですね。

「吉本はこの時期、埴谷雄高らの内ゲバの停止を求める「声明」の呼びかけ人への参加の要請を拒否している。これら知識人や自称オルガナイザーの無原則的な、ろくでもない妥協と密通を否定するとともに、腐敗した新左翼党派の延命に手を貸すことを拒絶したのである。

 これが同時にデマゴギーや匿名攻撃を粉砕する実践的態度であり、「情況への発言」に一貫するリアリティなのだ。」(「根源的な志向性」 P693)

 1973年の大学へ入学した当時は、70年安保闘争敗北後の党派闘争の時代でした。なぜささいな違いで殺し合いまでするのか。その刃は国家権力に向かうことなく対立党派の構成員に向けられていました。

 事実、教科書を譲っていただいた別のサークルの先輩学生が、下宿で対立党派に襲われ頭を鉄パイプでかち割られ亡くなりました。所属サークル主催の学生集会の最中に、あるセクトの人達が血相を変えて向かって来ます。「来たぞ来たぞ!!」と叫びながら。見ると鉄パイプをもった数人が後追いしてこちらへ向かってきます。とっさに横へ逃げました。襲う別のセクトの人達は、ちゃんと対象のセクトの人達の人相がわかっているようでした。真底怖かったですね。誤爆されて殺されたら嫌ですから。

 1970年中期から本格化した陰惨な内ゲバは、1972年の連合赤軍事件ともども一時期盛り上がった新左翼運動の衰退要因でした。埴谷雄高たちが「内ゲバ停止宣言」に、吉本隆明氏が拒絶した理由が、今更ながらに理解できました。

 やはり潰えるものは潰えるということですね。当時新旧左翼一般を吉本隆明は批判しています。少し引用が長くなりますが、松岡祥男さんの記述です。

「吉本はこの末期的な症状にとどめを刺すために、対馬忠行の追悼文を入り口にして「アジア的ということ」の連載を開始している。この「アジア的ということ」は圧倒的な意義をもつものだ。

 吉本は、マルクスの「インドにおけるイギリスの支配」の概念から、<コミューン型国家>や<プロレタリア独裁>の概念を厳密に再措定してゆく。そして、そこからレーニンら(ボルシェビキ)に主導されたロシア革命とその権力がいかにマルクスの思想的原理から乖離したものであっいたか。

 レーニンらは、コミューン型国家即ち国家廃絶の原則を現実的に放棄し、<プロレタリア独裁>の概念を「プロレタリア前衛党の独裁」に、<生産手段の社会化>を「生産手段の国有化」に矮小化したことを明らかにする。

 これはロシア。マルクス主義の限界と転倒を指し示すとともに、国内的にいえば、日本共産党から新左翼にいたる全党派の理論的な支柱を完全に打ち砕くものだ。

 この吉本の根源的な指摘を左翼であろうとする限り、誰も回避することはできないといっていい。」(「根源的な志向性」 P694)

 わたしは、知識人でもなく、田舎町の市井の市民にすぎません。

 吉本隆明さんは「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」(吉本隆明著「カール・マルクス」)と書いています。

 市井の大衆を「おだてて」はくれますが、それによってどうなるものではない。市井の大衆は愚かで刹那的で、物事を深く考えす、今の政権を支持し、原子力発電所の再稼働を支持し、自衛隊を海外へ派兵することにも賛同しています。わたしも愚かな大衆の1人です。

 時折学生時代や若い頃に購入していた「試行」。1962年から1997年まで巻頭に書かれていた「情況への発言」を毒気に当たられながらようやくすべて読むことができました。

 正直吉本隆明氏の著作は、買い揃えてはいますが、難解でわかりにくい。晩年の高齢者になったから病床で書いた文章は同じ「戦中派」である両親のことを思い浮かべるとわかりやすい。それだけです。
Oinikoufukuronyoshimotohon

 「老いの幸福論を読んで」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8bfc.html

 亡くなる1年ほど前に出版されていたようでした。

「「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(「老いの幸福論」P178)

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 日本社会を「どうするこうする」の大きな志はありませんが、小さな高知市下知地域の住民として、南海地震が来れば、人生も生活も即終りのような、絶望的な状況をなんとかしたい想いだけは、強烈に持ってはいます。

 零細企業の経営と超高齢の両親の在宅介護の合間に少しできる高知市下知地域の地域防災活動。それは日本社会のあらゆる問題点と矛盾が凝縮しています。そのことを考えることは、例えとしてはおこがましいが、かつて吉田松陰が、安政の大獄後、萩の牢獄から世界を見ていたようなものではないでしょうか。

 案外高知の田舎の市井の1市民が、世界の事を考えていることもありかなと思います。物事を考える「トレーニング資材」として、吉本隆明氏の「情況への発言 完本」(洋泉社・2011年刊)は、役に立ちました。

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2013.04.22

日本の左翼は何故大同団結ができないのだろうか?

 昨年の総選挙で民主党は歴史的な惨敗し、自民党が圧勝。単独過半数を占めました。またわかのわからないファシスト政党の日本維新の会も躍進し、憲法の改正では自民党と協働するとまで言っています。みんなの党も憲法改正には賛同しています。

 政党支持率も自民党が圧倒的に1位であり、1ケタの支持率で民主党と」日本維新の会が争う体たらくです。このままの状態で参議院選挙が行われば、1人区で自民党が完勝し、参議院の過半数も制する可能性があります。

 一方「護憲勢力」と称する左翼政党と言えば、老舗は社民党と共産党ですが、1ケタの議員しかおらず今や「泡沫政党」ですね。さまざまな運動体で過去主導権争いばかりをし、自分の非を認めず、相手方を批判するばかりで統一戦線を張ったことはほとんど最近はありませんね。また仮に張ったところで社会的な影響力はありません。

 そにほか反原発を唱える少数政党もありますが、選挙協力をして統一行動をするとか、成熟した動きはまるでなさそうです。

 いくら国会前での抗議行動で盛り上がっても、肝心の選挙で候補者が当選できなければ政治を動かすことは到底できません。運動と政治とのかい離。護憲勢力のばらばら加減にはうんざりしますね。

 相手をののしったり、過去のことを批判するのは日本の左翼は得意ですが、大同団結してことにあたる、相手との異を認める器の大きさは皆無ですね。これでは自民党には絶対に勝てません。自民党はおおらかな国民政党的要素が色濃くいまだに残っていますから。

 ようするに日本の左翼には「おおらかさ」がない。「面白くない」「とんがりすぎている」です。お互いとげの生えた手では握手すらできません。

 左翼という概念で護憲運動や反原発運動はしないほうが良いと思います。また違うプラットフォームをつくらないと駄目でしょう。そう思います。

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2013.04.13

吉本隆明という「共同幻想」を読んで

Yoshimotogohon
 吉本隆明という「共同幻想」(呉智英・著・筑摩書房)を珍しく新刊本で購入して読みました。筆者の呉智英氏も、学生時代に当時の「流行もの」の吉本隆明氏の著作をを買い込み読み漁ったそうです。

 でも意味不明な表現や、意外に乱暴な言葉、論理の飛躍を感じ、共感することなく当時の読書は終わったとか。昨年3月に吉本隆明氏が87歳で逝去され、改めて著作を読み返し、今回の著作になったようです。

 呉氏は吉本隆明氏の表現の難解さ、というか、「いい加減さ」を批判しています。

「大衆の原型というものを想定しますと(略)たとえば魚屋さならば魚を明日どうやって売ろうかというような問題しかかかんがえないわけです。(略)

 つまり生活のくりかえしのなかでおこってくる問題のみをかんがえるというようなものを、大衆の原像、ユニットというふうに考えていきますと、そのユニットというものが、そのユニットを保ちながら現在どういうふうに変化しているかということ、そういう問題を知識人が知的な上昇の地点からたえずじぶんの思考の問題としてくりこむというような課題を、意識的な過程として知識人はもっているわけです。(略)いかに大衆のもっている原イメージというものをじぶんの知識的な課題としてくりこむことができるのかというような、そういう課題を、「知識人は」、たえずもつことを意味します。」(講演「自立の思想的拠点」、単行本「情況への発言」河出書房新社。1968)

 たしかにわかりにくい。呉氏はこう言っています。

「冗長にぐだぐだしゃべっているなかに唐突に生硬な言葉が出てきてわかりにくい。「ユニット」とは「社会の構成単位」という意味である。

 「知識人の知的な上昇の地点」とは何のことだろう。「大衆から知的に上昇した知識人の位置」ぐらいの意味だろうか。「知識的な課題」という言葉も普通は使わない。単に「知的な課題」である。

 おかしな造語とわかりにくい構文は吉本隆明の講演のみならず文章にも見られる特徴だが、それはともかく、町の魚屋のような日常生活をそのまま生きている大衆を、社会の構成単位として知的な課題に繰り込むという言葉は、印象に残った。

 大衆の具体例として魚屋を挙げるのは吉本の得意技らしく「擬制の終焉」などにもしばしばこの表現は出てくる。これは確かに実感的なうまい表現である。

 問題はどう「織り込む:かだが、これについて私は吉本に本質的な異論がある。」(P15「吉本隆明ってそんなに偉いんですか?」

 呉氏は共産党や社会党などの旧左翼や安保全学連からの新左翼も どうみても魚屋を織り込んでいるとは思えなかったと言っています。それはそうだが、わかりにくいし、なんだろうなというのが呉氏の全体を通じた感想なんですね。

 難解なもの、わかりにくいものは案外人気がありますね。仏教でも道元の「正法眼蔵 正法眼蔵随聞記」を読もうとした時期がありましたが、現代語訳で読んでも難解でわかりませんでした。吉本隆明氏は、大衆原像だとか言っていましたが、いまだによくわからない思想家です。

 呉氏が晩年の吉本隆明氏は、老醜であると批判していましたが、超高齢者で母と同年代であるだけに年寄りの文章にはむしろ親近感があります。

 「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」「吉本隆明「老いの幸福論」(あとがき)

 「老いの幸福論を読んで」

 吉本隆明氏は、入院中に感じたことを淡々と書いていて面白い。

 解釈はいろいろあっていいと思いますね。呉智英氏は批判的に書いていますが、それもいいんではないですか。私なんぞは吉本氏の言う「大衆そのもの」であり、300M四方の町内が「すべて」の人間にすぎません。

 販売する品物に価格決定権はなく、毎日お右往左往しています。納税はしていますが、役所のやることには地域の減災対策は皆無に近く、到底納得できる、ものではありません。県庁や市役所の理屈と時に対立することもあります。

 私の立ち位置はあくまで、「300M四方の二葉町」です。そこから出れない脱出できない立場から世界を見ています。

 まあまあ面白おかしい著作でした。

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2012.06.03

「真贋」を読んで

Yoshimotoshinganhon

 「真贋」(吉本隆明・著・講談社・2006年刊)を読みました。高知市の書籍店金高堂が吉本隆明氏コーナーを店頭にこしらえていましたので、購入しました。

 まず善悪二元論の限界を吉本氏は言います。「本を読むことに利と毒があると同じように、あらゆるものに利と毒があります。たとえばお金儲けをすることにも利と毒があります。」(P33)

このところ3月16日に吉本隆明氏がご逝去されてから、両親と同世代ということもあり、著作を読み出しました。確かに吉本さんの「文章」にも「毒がありますね」

 「試行」誌に連載されていた巻頭の「状況への発言」なんかも、なかなか扇情的な文章であり、当時学生運動や社会運動を担っていた若者層は吉本隆明氏の著作を無さ振り読んでいたと言いますが、これは「中毒」になっていたんでしょう。わたしは毛沢東主義者でしたから、吉本中毒には、当時はなりませんでした。

 物事には両面があり、YESかNOかの2元論では処理できない事柄が世の中たくさんありよ。と吉本氏は述べていますね。

「たとえば、前思春期に貧しい生活を送った人が、その反動で、将来お金持ちになりたいと思うのは、与えられた運命に逆らっていないことになります。

 もしその人が本当にお金持ちになって、うまく成功したら。それは非常に立派なことであるという考え方を、僕はもっています。」(P43)

 左翼の人たちは、それはけしからんとか、言うけれども、それは違うだろうと吉本氏は言い切っていますね。それが面白い。

「マルクス流の理屈からすると、自然に対して何か働きかけたら、利潤というか剰余価値が必ず出てきます。剰余価値を生むために働きかけるのですが、その剰余価値は何らかの形でその人に帰するわけです。

 その剰余価値を悪く使わないのなら、何も文句を言われることはない、という理屈になります。

 しかしスターリン以降の左翼の人は、なかなかそのことを納得してくれません。けしからん、癪にさわると言うのです。そこには個人的感情とか、嫉妬とか、いろいろなものが入ってきてしまうわけです。

 中略

 でもお金持ちになったからと言って、どこかに寄付をしなければならないとか。施しをしなければならないとかというと、それは違います。お金持ちになったら心の向くままに贅沢をしたり、うまいものを食ったり、旅行に金をつかうのは、別に悪いことでも何でもなく、あくまで自然だと思うのです。」(P45)

 2006年ですから6年前に81歳の吉本隆明氏は、日本が一次リーグで惨敗した試合(オーストラリアに1-3で逆転負け)についても、的確な分析をされていました。

「日本の状況が最低に近いと言う兆候はいろいろなところで出ています。

 少し前に行われたワールドカップのサッカーの試合も例外ではありません。

 世界的なレベルの相手と試合をして負けたとき、その負け方は単にスポーツの試合をして負けたと言うよりmチームが壊れたというような負け方でした。

 残り10分とか5分になってから何点もとられる形で負けて、みんながっくりしてしまう。これは負けたというより、まさに崩壊したという表現がぴったり来ると,僕はワールドカップを観ていてそう思いました。」

「専門家はいろいろな批評をしていましたが、それはいい加減な批評だと思います。

 僕らの文学から敷衍した考え方からいけば、元気で身体がよく動く若い選手と、体の動きはちょっと衰えても技術ははるかに上で、状況判断に優れたベテラン選手の間の、認識上の分裂と、心の構造の分裂の2つが著しいことにより、崩壊状態になったのだと思います。

 スポーツの問題ではなく、これは精神の問題だと思ったわけです。

  中略

「たとえば中田英寿が、「自分がこう蹴れば、その先で誰かが受けてくれるはずだ」と思って蹴っても反応してくれない。そこには技術の問題もあるし、練習で連係がうまくできていないということもあるのでしょう。

 結局のところチーム内がまとまっていないということで、ああいう結果になりました。勝った、負けたではなくてチームの崩壊だと見ると、現在の日本の社会構造と類似しています。象徴的に、世の中がああいうふうになっているという類似点があります。」

「それではどうすればいいかというと、そこのところが問題です。1つはサッカーで言えば、一緒に練習したり、連係プレーができるような練習時間をたっぷりとってやること、それは、日本社会にあてはめてみれば、道徳、あるいは武士道を回復すれば世の中がよくなるということと同じことだと思います。

 要するに、チームワークがよくなるように、とりあえずはチーム全体で練習しておけば、それなりの力は発揮できるだろうというわけです。

 たしかに、社会的現場で武士道や男気が大切にされれば、道徳は回復するだろうというのは、もっともな意見だと思います。しかしそんなことが、簡単に出来るくらいなら苦労しません。日本の社会は、すでによくなっているはずです。

 それができないのはなぜかと言えば、時代の発達のスピードが速すぎて、もはや、武士道や男気で何とかするというやり方では間に合わないほど、現状が進んでしまったからです。

 世界全体のサッカーの技術が進んでいれば、それをまず取り入れることをしなければ、いくらチーム全体で練習をしても、あまりいみがないことと同じです。

 つまり道徳を復活させるというのは、単なる復古的な考え方にすぎなくて、それでは到底間に合いません。

 その前に、いまの状況をどうとらえるのか、ここだったら全体的に超えられるということを考えて見つけてやる以外ではないのです。」(P248)

 吉本隆明さんは遺言めいたことも言われていました。

「あれほど未来性をもったマルクスのような人でさえ、人類がこのような時代に直面するとは予期していませんでした。世界の現状や個々人の考え方や生き方がこうまで問題の多いものになるとは思っていなかったと思います。

 中略・・・・。

「よさそうでかつ害のなさそうなことやる。小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代に対処する方法はないように思います。

 これは科学的に社会のことを考えてきた人も想像していなかったろうと思います。そこが現在の1番の問題かもしれません。

 何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは確かなのです。人間というのは善も悪もやり尽くさない限り新しい価値観を生むことができないのかもしれません。

 いまいくつくところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要性があるのではないかと思うのです。」(P251「今の見方、未来の見方」

 吉本隆明氏と同世代の両親と同居し、懸命に介護予防の手助けをしながら、毎日懸命に小さな企業をやりくりし、地域(高知市二葉町)の自主防災会活動をやっている。300メートル四方の世界からしか物事を考えることができない私です。

 案外していることが「的を得ているのではないか」と読んでいて思いました。

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2012.04.29

悪人正機を読んで

Akuninshoukihon

 「悪人正機」(吉本隆明・糸井重里・著・新潮社・2004年刊)を読みました。2012年の3月16日に吉本隆明氏は逝去されました。その後高知市の金高堂書店にて購入しました。

 吉本氏と糸井氏との共著となっていますが、糸井氏が聞き手になり、吉本氏が話し手になっています。多くの設問を糸井氏がされ、まずテーマごとの解説をされ吉本氏が丁寧に答えていく体裁になっています。

 おもしろいなと思ったことを書き留めてみます。

「僕なんかでも銀行からお金を借りて、ローンで返すっていういことがあるわけだけど、それを15年近くもやっていて、つくづく感じたことは、結局、こういうふうに月々いくら返すんだとか,返すのがきついなあとか、そういうふうにお金っていうのを考えている限りは、絶対に金持ちになれねえんだってことですね。

 金持ちになれねえんだって言うと、ちょっと語弊があるのかもしれないけど、つくづく感じたんですね。借金してても何だか気持ちが悪くて仕方がないから、」できりだけ早く払いたいとかいう発想をしていたら,全然ダメなんです。

 金というものをわかっちゃいない。でも雇われ経営者じゃなくて、本当にお金を出してる資本家っていうのを考えてみれば分かるんだけど、お金は全部借りられるって、彼らは思ってるでしょう。で、借りた金も全部自分の財産というか、そういう発想が出来なきゃ、お金は集まらないし、本当の資本家にはなれないんですよ。

 そもそも、返すとか借りていることが気になっているようじゃ、お金についての才能がないと思ったほうがいいでしょうね。

 本当にお金の才能がある人は、赤字でもちゃんと生活してるし、会社が赤字でも、そんなことはどうでもいんだって言うか、会社なんて赤字でやるもんだと思っている。やっぱり赤字はできるだけ減らさなきゃと思って、ムダな電気は消せとか、水道は出しっぱなしにするなとか、そういうことを言っているような経営者は落第ですよ。

 だから、借金の返済を脅かされてるみたいに催促されて、それでほとほと困って、で、まあ、いちばん極端なのは、にっちもさっちもいかなくなって自殺しちゃうとかね。そういうのはお金についてよくわからなかった人ですね。

 そんなことはなんでもないないんだみたいに平然として、脅されたら、どうにでもしてくださいみたいな感じで対応できるようにならない限りは、本当のお金持ちというか、制度的なお金のチャンピオンになれないんだという気がしますね。
 
  脅かしに来るということもまた、自分に関係を求めてくるんだって、そういうふうに思わなければダメだっていうか、典型的な資本家というのは、それが出来た人だと思うんですね。」(P302 「お金」ってなんだ?)

 吉本隆明山から、お金に関してこのような話が出るとは意外でした。そうかも知れませんね。昔の人は「金は天下のまわりもの」って。言っていましたから。その境地ですね。
 
  わたしも借金ばかりで、最近は「どうでもせい」「いよいよとなったら銀行は取立てのプロだから彼らが考えてくれるだろう。そんなことより面白い仕事をいくつか想像し、社会に貢献して評価(利益)を得ようと今必死で考え行動しています。よく意味は最近わかります。金持ちになるのが近づいたのかもしれませんね。

 ネット社会についても吉本隆明さんは卓見を述べています。

 ようするにデジタル、マルティメディア、インターネットやITがいくら発達したところで、人間の精神の発達にはなんの関係のないことであると言い切っていますね。

「人間の一番重要な精神の問題っていうのは、情報科学の発達で届くようなことではないということですね。感覚の発達というのは、大いに」あるんだろうし、それはいいことなんだ、というのが僕の立場です。」(P247「ネット社会」ってなんだ)

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2012.04.24

「老いの幸福論」を読んで

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「老いの幸福論」(吉本隆明・青春新書・2011年刊)を高知市金高堂書店で購入し読みました。

 吉本隆明さんは1924年生まれですので、母(86歳)より1歳上であり、父(92歳)より5歳年下の戦中派の人でした。
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 介護度1の両親(父92歳・母86歳)と同居しています。「戦後思想の巨人」と言われた吉本隆明さんの晩年の「老いの生活」はどんなものなのかが気になりました。

 死ぬのは誰でも怖いもの。でも避けられない。西洋人は孤独だから若い時代か徹底的に考えるようだ。サルトルとボーボワールも同居はしていたが、死ぬときは孤独だった。その点日本は臨終の場合は身内が集まる習性があるようなので、まだましかなということもいわれていました。

「だから、先のことが心配で心配で仕方がなくなっても、心配するだけ損なんだから、それよりもいま起こっていることに注目するほうがいい。

 それが幸せでも不幸せでもです。

 そうして時間の刻み方を細かくすることでしか、人は生死の不安の重圧から逃れられないと思います。逃れるといっても、それは逃避とは違う。よく言えば、それこそ今を生きているということなんじゃないでしょうか。

 なげやりでもなく、なるようにしかならないということを自覚すること。これが案外重要じゃないでしょうか。なげやりに、勝手にしやがれみたいだけれど、それは単なる無責任だけど、一種の悟りの境地のようなところにもっていければすばらしいですね。」(P43「こきざみの幸福に気づく」)

 それから勉強すること学問への幻想をもたないようにしようと言うことも。

「必要なのは叡智がまわることで、これは生活経験があれば身につきます。」(P55)

 いいなと思ったところは、「情報を拒否せず、おどらされず」(P58)のところでした。

「その点、文学をやっているような人は、パソコン、インターネットなどの情報機器が発達しようがしまいが、オレが書いているものに文句はあるまい。というふうになっちゃうから、えてしてそういう機器を拒否しがちなんですね。」

「逆に、情報科学が専門の学者さんのような人はそれ1本やりですね。それ1本やりというのは何が問題かというと、彼らは大脳が第一義的に支配する感覚の発達イコール精神の発達だと思い込んでいるいるんです。

 中略

「どうしてかというと、そこが肝腎なことになるわけでしょうけど、人間の精神的内容の中には、感覚の発達とともに煩雑にかわってしまう、という社会の状態が変わる鋭敏に変化する部分と、恋愛感情のように、ギリシャ時代、万葉時代以来あんまり変わらないんじゃないかという部分と両方あるんですよ。

 そうすると片方が専門の人は片方がお留守になるし、逆も同じで、とんでもない話になっちゃうぞというのが僕の実感です。」(P60「知識より叡智が大事」)

 また吉本氏は源氏物語などは、現代訳で十分だ。部分的に古文を読めればいいんだろうが、執着する必要性はまるでないよ。とも言われていますね。専門家の言うように「原文を読まないといけない」というのは嘘だし、時間の無駄だろうとも言われているとことが面白い。

 わたしなどはそれすらせず漫画の「あさきゆめみし」を市民図書館で借りて読むのが精一杯でしたから。

 学者を買いかぶるのはやめようとも言っています。吉本隆明氏は、日本の教育制度は小学校から大学まで文部省が牛耳っているが、他の先進諸国には事例がなく、日本だけの現象ではないかと言っていますね。なかなか面白い提案をしていました。

「僕が日本の教育で一番変えたらいいと思うのは、大学の教授で定年退職になった人を中学の先生にする。というものです。必ずではなくても、教えるのが好きな人は給料を大学教授の2倍か3倍にして、中学の生徒に授業する。

 これは自分の実感として、中学生のときに出会う先生で、その後の人生はずいぶん変わると、思ったからです。

 いまから思うと中学校にこういう人がいたらなあ、こういうことを教えてくれたら自分の進む道がそれで決まっただろうなと、思うことがあるんです。

 残念なことにやりたいと思った時は、ぜんぶ遅かった。そう考えると。大学の教授のような専門の先生が、中学生にわかるレベルで専門的な学問の視点を教えてくれたら、その時点で自分は何をやりたい、何をしようということが決められると思うんですよ。

      中略

「子供の側にしても、小学校の6年生から中学2年生までがいちばん勉強の視野が開ける時期だし、いまそこが問題のある年齢でしょう。急にいろいろ面倒なことを考え込んだりする。それから、グレるというのもるんでしょうね。」

      中略

「テレビをみていて)NHK教育テレビだったと思います)、ジャズ。シンガーの綾戸智絵さんが中学生に音楽を教えているところと、東北大学の光通信の大家が中学生に教えているところを偶然みました。

 両方とも素晴らしい授業でした。聞いていた男女の中学生のうち何人かは、きっとこの授業を聞いただけで、生涯のコースを定めたと思います。」(P85「人生を変える「知」との出会いを」)

 村上龍の「13歳のハローワーク」のようなことも言われていますね。

 私の場合も中学生の時代に国語の教師で三浦光世先生に指導を受けました。そしてご主人の三浦良一さんは当時公務員をしながら小説を書いている人でした。2人から「文章をどんどん書きなさい。日記も他人が読んでもおかしくない内容で書きなさい」と励まされました。

 文章を毎日書き散らし、仕事でも個人でもホームパージをこしらえ、そしてお客様ともメールでやり取りをしているのも、文章を書くことがいわば「仕事」になっているからです。文章を書くことは「自己表現」ですが、それをずっと続けて行こうと思いましたのは、中学の時代以降のことです。その年代での影響は大きいですね。

 超高齢者となった吉本隆明さん。こんなことも言われています。

「僕はこのごろ少しわかるようになりましたが、老人問題というのは、前は肉体問題でした。つまり、だんだん手足がうまく動かなくあんるというような肉体的問題だと思ってきたのが、この数年間の僕の実感的な体験から言いますと、老人問題というのは、病気でいえば、心身症ですね。

 心の問題がいらない老人問題ってないんです。身体が少し不自由になったというのもみんな心身問題です。」(P165「老人はみな心身症であると心得よ」)

 吉本隆明さんのこの本は亡くなる1年前に書かれています。口述筆記かも知れませんが、超高齢者(86歳)の心境を淡々と述べていますね。

 スポーツの効用も言われています。プロのように無理に身体をいじめていると高齢者になってろくなことはない。そうではなく少しスポーツをたしなむ。すこしだけ運動をするということが、高齢者になったときに身体が麻痺が出たときの回復の度合いが違うねと言っています。

「だから身体のことを考えるのなら、好きだからやる、ストレス解消、運動不足解消のためにやるという程度にしておいたほうがいい。

 あるいは、日常作業までいつでも使う身のことではないことを、なにか少し意図的にやってたほうがいいですよ。ということはなんとなく言えそうで、しかも極めて重要な気がします。」(P169「余分に、動く、無駄に動く、その効用」)

 なんだか「養生訓」のようですが、。その考えは間違いではないですね。わたしも趣味でヨットは休日にのんびりとしています。これはスポーツというよりストレス解消です。」精神的な効用が大きい。
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 左手でご飯を食べることや、徒歩で歩くときに、安全な場所で後ろ歩きをしたり、信号では片足たちをするのも、身体に刺激を与えています。

 吉本隆明さんは若いときから、選手になるように入れ込んでスポーツ訓練はしなかった(湯外無益だから)。そのかわりスキーや水泳もなんでもスポーツはやったそうです。

「そうすると年をとってから、どういう身のこなしをするといいとか、脳梗塞とか脳溢血とか、そういうふうになったときにどうしたらいいかということが、なんとなくわかる気がするのです。

 やはり、若いときにスポーツをやっていたひとや、スポーツは嫌いじゃないから適当な程度に面白半分にやってたよという人と、そういうことをやったことがない人では、身体のこなし、身体の動かし方のセンスが違ってきますね。」(P170)

 吉本隆明さんは実例をあげて説明されていました。知り合いに第1級の学問を独学で極めたインテリがいたそうです。その人が脳梗塞になりました。しかし若い頃から、まったくスポーツなど無駄だと言ってしなかった人だけに、リハビリがまったく進展しなかったそうです。

 リハビリの人が少し離れたところにいて、ここまで歩いてきてくださいとか。ベットの上の枕をわざと離れたところにおいて「手を伸ばして取ってください」と作業療法士が言いましてもまったくしようとしない。

 あるときは吉本さんの娘さんがテニスボールをお見舞いに持って行かれて、「暇なときにこれでリハビリしてください」と言っても飾っているだけで一向に実行しない。この人は亡くなる今でベットから車椅子に降りることができませんでした。

「身体と精神というのは、普通の医者が考えているよりずっと密接ですよ。特に老人の身体や精神の障害はすべて心身症と、切り離すことはできません。

 僕も糖尿性の神経障害です、こんなのは直らないですよ大学病院の内科の医者に言われて、たしかにそう言われれば、いくら頑張っても親指に神経がいかないんです。親指を動かそうとしても動かない。

 その神経がどこかで途絶えているんです。僕のリハビリはこれはどうしたら動くようになるのかな、と思うところから始まったんですが、自分は若い頃少し身体を余分に動かして遊んだことがあるから、それをやってやるかといういおとになる。
 医師の言うとうりにしていたらこのままで同じだな、と思って試してみるわけです。

 その人は身体を余分に動かすという経験がぜんぜんないものですから、駄目なんです。亡くなるまでベットから」車椅子に移れなかった。移るとき、はじめは紐をベットに結んでおいて、利くほうの手でもちながら身体をずらして車椅子に乗ることを自分でやらないといけない。またやるほうがいいのですが、それもできないままでした。

 だから、そういう身のこなしということから言うと、スポーツというか、余分に身体を動かすことを,遊び程度で結構ですから,若いときからやっておいたほうがいいですよ、ということは第1番にあげます。

 老人になって、まだ身体が動く人たちにいちばん言いたいことがこれです。」(P17「創意工夫で病後を楽しむ」)

 自分で病気を体験し,リハビリもしたことがあるので、入院中も、リハビリ中も頭はしっかりしていたので吉本さんは考え続けていたのでしょう。

 また「自分の身体の主治医は自分」という項目では実体験をベースになかなか辛らつなことも書かれていますね。

「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(P178)

 このあたりは母がそういう「傾向」があるのでよく理解できますね。自分で病気を探し出す傾向があるからです。

 大学病院のような先進的な病院の医者が考えている精神と身体の関係は大間違い。非常にうすっぺらだと批判します。

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

 偉いとおぼしき医者も「適当に身体を動かしたらいい」というだけ。なるほど不親切だから民間療法が衰えないはずだとも言いますね。

 こうも言い切っています。「結局、自分の身体を一番知っているのは自分ですから、自分がいいと思うことを自分でやる以外どうしようもないじゃないかと思います。」

 死についても吉本隆明さんは、「葬式というのは身内のためのものでどうでもいい、」「親鸞さんだってわからないんだから、誰もわかたない。それでいいんだとも言われています。

 「死を迎える心の準備なんてない」といわれていました。

 吉本隆明さんはあとがきでこう書かれていました。

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 この本の出版後の1年後の2012年3月16日に吉本隆明氏は逝去されました。超高齢者となった吉本隆明さんの「つぶやき」と「本音」は、同年代の両親と同居している私にも大変参考になりました。

 

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2012.04.14

「我々にとって吉本隆明とはなにか」を視聴して

 BSフジのプライムニュースという番組。月曜から金曜までの午後8時から10時までの2時間枠の報道解説番組です。フリーアナウンサーの八木亜希子と報道番組解説者の反町班のコンビで、硬軟とりまぜた話題をゲストを交えたトーク番組です。
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 4月13日は「追悼 我々にとって吉本隆明とはなにか」でした。ゲストは文藝評論家の三浦雅士氏と芹沢俊介氏でした。三浦氏は詩の雑誌ユリイカの関係者。芹沢氏は吉本隆明氏の逝去される前日に見舞いに行ったとか。いわば弟子のようなご両人でした。
 
 それだけに思い入れが深いので、よく言われているような「吉本隆明氏は60年代、70年代の学生運動、全共闘運動、新左翼運動の教祖的な存在」という通俗的な解説は一切しませんでした。面白かったのはフジテレビ側の解説委員の人が「通俗的」な印象操作をしようとしても、ご両人は全くその質問や会話を無視していたことですね。

 例えば北朝鮮の弾道ミサイル問題で、三浦雅士氏が「日本は決断が遅いとわいわい言われていますが、決断がはやいのは独裁国家のほう。はたしてそのことが良いことなのか・」という観点で吉本隆明さんがお元気ならコメントをされたことでしょう。」と。

 「世界思想の潮流に対応し、独自の世界観で壮大な思想を構築しているのに、うまく解説できる人や翻訳できる人がいないので、あまり今の人たちには知られていないのが残念ですね。」とも。

 日本の巨大な思想家の1人といえば柳田国男もそうですが、独特の表現と記述されている内容が難解であるので、翻訳され外国人にまで親しまれていません。明治期初期のアーネスト・サトウや小泉八雲のような「翻訳者」は、吉本隆明さんにも必要であると思いますね。

 番組のなかでよかったのは八木亜希子アナウンサーによる吉本隆明詩集の朗読。「転移のための10篇」の一節の朗読が良かったです。さすがにプロのアナウンサーですね、上手い。

 三浦氏が早口で」「対幻想(親子関係・男女関係)が元にあって、自己幻想が生まれ、そのさきに国家や党などの共同幻想がある。1番大事なのは対幻想。他者を媒介した自己表現。

 決して他者を排除しない存在倫理をもっていたひとだ。混迷を深めている現代の社会こそ吉本隆明さんの考え方は必要とされていますね。」

 芹沢氏も「吉本隆明さんは現代の親鸞のような人。逝去されてあらためて価値が評価され、それがきっかけとなって新たな吉本さんとの出会いがあると思います。」

 吉本隆明さんの解説者としては、糸井重里氏が適役の1人でしょう。この10年ぐらいの間に2人は仲良しになっていました。何冊か対談集もだしていますし、糸井氏編集の講演集CDも出版されているからです。

 NHKで紹介された3年前の講演も糸井重里氏の段取りもあったことでしょう。

 糸井重里氏の編集本です。その感想文です。

 「吉本隆明の声と言葉」を読んで
 
 まあ吉本隆明さんは流行の人ではないので、廃れないでしょう。でも気軽に今後もTV番組で取り上げられることはないでしょう。

 それだけに「バラエティ番組のフジTV」が民放で初めて製作した番組だけに価値があります。今後も恐らく民放地上波では企画されることはないでしょうから。
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2012.04.13

積読状態の吉本隆明さんの著作本ですが・・

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 自宅の書棚にある吉本隆明さんの著作集。写真に写っているだけで22冊はありますね。あと読みかけの著作が手元に2冊ありますから24冊。

 いのの実家へも何冊か置いているので(多分全集)、50冊近くはあるのかもしれません・

 殆どが「積読」で読んでいませんから。今後はじっくりと読んで行こうと思います。「連合赤軍と新自由主義の総括」もそろそろまとめたいので、毒気の強い吉本さんの著作はよい触媒になりそうなので・・。

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