昭和南海地震の記録

2016.12.21

昭和南海地震から70年目です。

 高知県や西日本各地に大きな被害をもたらした昭和南海地震は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分に和歌山県潮岬の沖合い約50キロメートルの海底で発生しました。地震の規模を表わすマグニチュードは8.0でした。
35


36


高知市下知地区は地盤が沈下し、堤防が壊れ海水が地域に流入。長期浸水状況が続きました。

高知県の沿岸には4~6メートルの津波が押し寄せ、大きな揺れと津波により679人が死亡・行方不明、1,836人が負傷したほか、4,846戸の家屋が全壊・流失するなど大きな被害が出ました。
37
 今日は昭和難関地震から70年目。読売新聞に特集記事が掲載されていました。昭和南海地震を下知地区で体験された「生き証人」の岸田康彦さん。昭和小での避難訓練の様子も記事になっています。
_new_r


9_new_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.14

昭和小にて 昭和南海地震体験者の話を傾聴


Kisida_r

 2016年12月12日(月)は、NHK高知放送の依頼で「昭和南海地震を下知地域で実体験された岸田康彦さんの話を傾聴する」エキストラ出演しました。今日は寒くて途中から雨になり大変でした。

 高知新聞に掲載された岸田康彦さんの昭和南海地震体験

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-7f1d.html

 昭和南海地震当時は岸田さんは、昭和小の前に居住。揺れで外に飛び出し、」倒壊した隣の家族の救出を行っていたそうです。屋根を剥ぎ、奥さんを救出。その後ご主人を探しましたが梁の直撃で亡くなられていました。2歳の子供さんをかばって亡くなったとか。、子供を救出後、浸水が始まったので、すぐに昭和小の2階まで逃げたそうです。
Shimozissinsui1946


Shoimozikita19472l

 一時期は500人の避難者で溢れていました。戻れたのは翌年の2月頃であったとか。」

 岸田康彦さんは体験者としてこう言いました。

「水や食料は支援が必ず来ます。わたしは避難後3日ぐらいは飲まず食わず。でも人間は死にやしません。それよ理大事なのは持病のある人は、薬です。それを余分に持っていないといけないです。

 12月18日の下知地区総合防災訓練のポスターは所所に貼られています。まだまだです。しかし回る時間がありません。12月13日は午後から下知コミュニティ・センター内の防災倉庫を案内します。
_r_3


_r_4


_r_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.27

9・5万人が浸水エリアに取り残されますね。


C033fd31ec7ea71bb47e08e772e79bdc


 震度7の地震が高知市の海抜0メートルで軟弱地盤で海に近い高知市を襲う可能性は高い。

 高知新聞の記事は深刻です。

http://www.kochinews.co.jp/article/13694

 家屋の倒壊から命を長らえ、必死の思いでもよりの津波避難ビルに駆け上がり、浸水と津波から免れても、浸水エリアに居住する15万人とも言われる高知市民のうち現在の「机上の計算」でも、9・5万人の市民がドライエリアの避難所へ移動できません。

 常に行政の災害見込は「少な目」に試算したがるので、本当はもっと深刻ではないかと思います。

 二葉町有志が継続している仁淀川町との相互交流や、今治市防災士会との交流など、なかなかすぐには動いてくれない行政に代わって、地域同士の連携がますます必要ではないかと思います。

 熊本地震から内陸型の直下地震の可能性もあります。地域同士の「相互支援協定」は必要です。
Saisin_zisin_hzmap_new_r


Godaisannsantyou


 (昭和南海地震(1946年)では、下知地区と潮江地区は長期間浸水が続きました。「実績」がありますから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.01.20

岸田康彦さんの体験記が掲載されていました。


_new_r

 2016年1月12日の「いのぐ」「高知新聞1面の昭和南海地震の記録⑩」は、現在二葉町在住の岸田康彦さんの体験記が、掲載されています。

 当時15歳の中学生であった岸田康彦さんは、家は傾いたが無事に脱出。隣家の家は倒壊。屋根から隣人を救出し、浸水が始まったので、近くの昭和小学校へ避難したと聞きました。

 浸水は長期間に及び、籠城は年を超え2月近くまでおられたとか。
Shimozissinsui1946


Shoimozikita19472l


Shimozidenteil

「船で進駐軍が水と食料を運んで来てくれました。」と岸田さんから聞きました。

 当時より高知市下知地区は市街化し、建物が密集しています。一方で行政側の消防や自衛隊の「救援力」は、マンパワーが絶対的に現状では足りません。将来も増加するめどがないのが現実ですね。厳しい現実をあらためて感じました。
Godaisannsantyou


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.12.14

日本が「世界津波の日」を提唱。国連で採択されました

_r


 日本が提唱し国連で全会一致で採択されたという「世界津波の日」です。

。それは安政地震の津波から領民を救うために、稲わらに火をつけ避難誘導を行った浜口梧陵の行動にゆかりがあるそうです。「稲村の火」で有名な話ですね。

 浜口梧陵はそれだけでなく、私財を投入し津波を防ぐ堤防まで建設しました。学校もこしらえています。津波防止堤防は、100年後の昭和南海地震の津波を防ぎました。日本は災害大国です。

 こうした国際貢献は日本はどんどんやるべきでしょう。武器を輸出したり、軍隊を派遣することだけが国際貢献ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.11.20

「天災から日本史を読みなおす」を読んで

_new_r


 「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(磯田道史・著・中央公論新社・2014年・刊)を読みました。10月に0泊2日で出張で大阪へ行った折、梅田の長距離バスターミナル近くの阪急3番街にある紀伊国屋書店で購入した新刊本です。

 筆者の磯田道史氏は、1970年生まれで45歳と若い歴史研究学者の人。「日本の歴史の中で地震、津波、火山噴火、異常気象と天災が歴史に与えてきた影響」を克明に調べています。

 その前書きの中で磯田氏が強い影響を受けたというベネデット・クローチェというイタリアの哲学者であり歴史学者の人の事は、わたしはよく知りません。子供時代に、家族がイスキアでの休暇中、カサミッチョラの地震で家屋が倒壊し家族を失い兄と2人だけ生存し親戚に引き取られたクローチェの世界観に影響を受けたとの事です。

「すべての真の歴史は現代史である」との歴史哲学の言葉ですが、その観点から行きますと韓国や中国の主張する「歴史問題」なるものも「現代史」のなかで考えて行かないといけないですね。決して「過去の問題」ではありません。国際社会で「日本のイメージダウン」を狙う側面もあるので。まさに現代史なんですね。

「震災がおき、天災を目のあたりにして、我々の歴史の見方や価値観も変わりつつある。近代化以前の社会は自然環境の影響を大きく受けた。農業が中心の自然経済だから当然である。震災後の歴史学、いや科学全体は、自然に対する人間の小ささを謙虚に自覚せねばならぬだろう。
_new_r_2

 天災を勘定に入れて、日本史を読みなおす作業が必要とされているのではなかろうか。人間の力を過信せず、自然の力を考えに入れた時、我々の前に新しい視界がひらけてくる。あの震災で我々はあまりにも大きなものを失った。

 喪失はつらい。しかし、失うつらさのいなかから未来の光を生み出さねばと思う。過去から我々が生きるための光をみいだしたい。クローチェのように。」(P4)

 著作の中では,天下人となった豊臣秀吉が天正地震と伏見地震の影響を強く受けたと言います。

 天正地震では、長浜城が崩壊し、山内一豊の娘が死去しました。同時にこの地震は、秀吉が、徳川家康を討伐するための大軍を編成し、まさに出撃しようとした矢先に、前線基地であった大垣城や長浜城や坂本城が地震で壊滅、秀吉は大阪へ撤退しました。」家康は滅亡を免れ、秀吉と和議を結びました。秀吉は10万の大軍を揃え、小牧・長久手の敗戦の汚名をそぐために家康追討を決意していました。一方の家康は3万人ぐらいしか動員できませんでした。

 この当時家康の作戦参謀を長年続けてきた石川和正が秀吉側に寝返ったという事件まで家康にはありました。本当に危機が迫っていたのです。その矢先に伏見で地震が起きました。

 伏見地震では、豪勢な京都の聚楽第が壊滅しました。美女400人も圧死したそうです。当時朝鮮へ遠征軍を派遣し、ようやく講和の兆しが出始めた矢先の地震でした。秀吉は聚楽第の再建を全国の大名に命じ、講和を破棄し朝鮮へ更なる派兵を命じました。

 伏見地震で秀吉の天下に陰りが見え、人心が離れて行ったのです。この時、僅かな部下で、小屋に逃げ込んでいた秀吉を討つべしとの意見も敵対していた家康の部下から出ていました。しかしそれをすれば「明智光秀の二の舞になる」と家康は進言を退け、秀吉の和解案に乗り、力を蓄える作戦に切り替え、滅亡をまたしても免れました。そして家康は健康には自信があったこともあり、秀吉の死を待って、行動を起こし、天下を取りました。その分岐点がまさに伏見地震であったと磯田氏は言います。なるほどと思いました。
Kyodaisizinsingeneria

 そして江戸時代初期に大きな地震が日本を襲いました。宝永地震(1707年)は、巨大地震でした。東海地方から中部、関西(大阪)、紀伊半島、四国まで広域に被害に遭いました。

 高知に関する記述も著作にあります。当時種崎に住んでいた下級武士が9歳の時宝永地震に一家が遭遇。海の近くの家屋から津波に追われ脱出した体験の話もありました。そこには貴重な教訓もつづられています。

宝永地震の語り部となった柏井貞明は9歳の時に、高知市種崎で地震と大津波に遭遇しかろうじて一命をとりとめています。当時自宅は種崎の南の端にあり、門の外はすぐ海であったようです。現在の種崎の貴船神社付近らしい。家から一家がようやく脱出。茫然自失状態だっららしい。

「だかその時、この一家の運命を決める幸運な情報が耳に飛び込んできた。東の海辺の町の方から、こう呼ばわる声が聞こえてきた・「大浪が市中に入るぞ。みな、山に入れ」。その声で一家は津波の危険に気付いた。山へ向かって、逃げることにしたのである。」

「これは大切な歴史的教訓である。津波から逃げる時、率先避難者が大声で「津波が来るぞ、高台へ避難」と呼ばわると、その声で周囲も我に返り逃げ始める。声を出して逃げることで、地域の生存率が高くなる。

 津波から逃げるときは、勇気をふるって声を出しながら逃げるようにしたいものである。」(P63「山に入れの声で高台へ避難」)

 下知地域でも、防災教育を受けている小学生たちに是非とも「率先避難」を呼びかけたい。
「津波が来るぞ!ビルへ駆け上がれ!」と大声で叫びながら、最寄りの津波避難ビルや地区防災会指定の地区避難ビルへ逃げ込んでもらいたい。

 子供たちは体が小さいので、大人を背負って助けるなんてことはできません。でも元気がよく大声で「津波が来るぞ!早くビルへ逃げろ!」と走って駆け上がることで、率先避難の実行と呼びかけで、多くの地域の人を救うことが出来ます。

 また筆者の母親が徳島県牟岐町の出身で、昭和南海地震で津波からの避難を実体験されていました。当時満州からの引き揚げ者で知人を頼り牟岐町に滞在していた後に俳優になった森繁久彌は、隣町の海陽町で津波に遭遇し避難した体験をされていたそうです。

「津波は押し寄せてくる波よりも、引き波の方が遥かに恐ろしい。」と森繁久彌は証言されています。

「津浪というのは、最初2メートルほどの波が襲ってきて、あっという間に入口から窓から侵入する。そして畳や箪笥を浮かし,みるみるうちに鴨居近くまで上がってくる!

 かと思うや、それより早い勢いですーっと引いて行くのである。この力が、来るときの何倍かで、四方の壁をついでに引っさらっていく。」(P176「ある満州帰りの男の被災」)

 つくづく防災の歴史を先人に学ばないといけないと思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.20

五台山からの眺望と若松町の耐震護岸工事

 2015年10月11日は、宮城県石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんと、坂本茂雄下知減災連絡会事務局長と、横田政道若松町自主防災会会長とで、南国市大湊地区の津波避難タワーを視察後、五台山へ行きました。

 五台山は横田政道さんが、「1・5次避難場所」と定義し、週に1回か2回山中を散策しています。湧水や四季折々の樹木や草木があり、秋は栗が落ちています。春はぜんまいやわらび、初夏はたけのこなど。
Pa110011_r


Pa110014_r


Pa110012_r

 横田さんに解説いただきながら頂上の展望台へ行きました。こちらからは高知市街地が一望でき、下知や潮江の市街地がいかに海に近く低地であることを今野清喜さんに説明しました。

「わたしは30年ほど前に高知市へ来たことがあります。その頃はこれほど高いマンションは建っていませんでした。驚きました。確かに下知地区には高台はなく、こうした高層マンションを津波避難ビルにして逃げ込まないといけないですね。」と言われました。

 車中で坂本茂雄さんが「昭和南海地震時の下知地区の浸水状況の写真と現在の市街地を対比した写真」を今野清喜さんに見せておられました。
Godaisannsantyou

 五台山から青柳橋を渡り、若松町の耐震護岸工事現場を見ました。1期工事は終わったとの事です。1・3Mの直径の鋼管を油圧で23M地中に埋め込み、そのうえに堤防を建設し、地震や津波で引き倒されない堤防づくりです。
Pa110016_r

 今野清喜さんは元宮城県庁の土木技師。河川や港湾や道路の部署におられたそうです。専門家の観点で見ていただきました。

 高知市下知地域では、河川の堤防道路が1番海抜が高く(1・5Mから2M前後)、市街地は下がっている事。電車通りの国道32号線は海抜0メートルであることを説明しました。

 ホテルにチェックインされ、車で下知地域を巡回し、講演会場の下知コミュニティ・センターへ向かいました。そちらで有光センター長に施設の説明(防災倉庫・LPガスユニット・貯水タンクなど)をしていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.18

昭和南海地震の記録映像動画

  昭和21年の昭和南海地震の記録映像があります。

動画:昭和南海地震の記録

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.02.03

昭和南海地震の記録映画

  二葉町自主防災会の設立(2006年12月)以来顧問をしていただいている西田政雄さん(防災寺小屋主宰)から、昭和南海地震(1946年12月21日)の動画(記録映画)のご紹介がありました。その教訓を1人でも多く、情報を共有化し、先人の教訓を糧にし、地震に備えましょう。


 当時も今も「長期浸水対策」や、多くの罹災者を収容できない問題があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

07高知県知事選挙 | 2008年衆議院選挙関連 | 2009年衆議院選挙関係 | 2012年衆議院選挙関係 | 2012年車椅子で行く高知の観光施設 | 2013年参議院選挙関係 | 2014年東京都知事選挙 | 2015年雨漏り修繕工事 | 2015雨漏り・外壁補修工事 | 2016年参議院選挙 | 2016年首都圏遠征 | blogによる自由民権運動 | blogの伝道師・blogの鬼 | bousai_ | Eコマース・スキルアップ講座 | koutikengikaigin | NPO法人高知減災ネットワーク会議 | お花見遊覧船 | けんちゃんの今すぐ実行まちづくり | けんちゃん1人weblog | はりまや橋サロン | まちづくり | まちづくり条例見守り委員会 | アニメ・コミック | イラク派兵問題 | ウェブログ・ココログ関連 | エアーボート 救命艇 | ゴーヤ栽培日誌 | サッカー | スポーツ | スポーツのありかた | タウンモビリティ・ステーションふくねこ | チベット問題 | ニュース | バリヤフリー | パソコン・インターネット | ホームページによる交流 | メディアリテラシー | ヨット関係 | 三好市との交流事業 | 下知地区防災計画・ブロック会 | 下知地域内連携協議会 | 中国四川大地震 | 二葉町町内会の動き | 二葉町自主防災会 | 五台山・市民農園 | 井原勝介さん講演会 | 交通事故防止対策 | 人繋がりネットワーク | 仁淀川町と二葉町との交流 | 今治市防災士会・連合自治防災部会との交流会 | 今野清喜さん講演会 | 仙波敏郎さん講演会 | 伊野町問題 | 健康・体の問題 | 健康問題 | 入野敏郎さんみかん園 | 公共交通問題 | 公共財のありかた | 内閣府地区防災フォーラム2016年仙台 | 内閣府地区防災計画 | 前田康博さん講演会 | 南海地震対策 | 南海地震特別税 | 原子力政策 | 原発と核のゴミ処理場アンケート | 原発災害 | 叔母・車椅子来高・2014・10・18 | 台風対策 | 司馬遼太郎氏の帝国主義論 | 吉本隆明氏・追悼文 | 品川正治さん講演会関係 | 国政問題 | 国際問題 | 土佐電鉄ーごめん・なはり線 | 地方の公共交通 | 地震保険 | 坂本龍馬像建立運動 | 報道関係 | 夜須町関係 | 大学問題 | 天木直人さん講演会関係 | 宇田川知人さん出演番組 | 安田純平さんを高知へ招く会関係 | 少子化問題 | 岡林信康コンサート | 島本茂雄さん・中平崇士さん出演 | 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 | 市民参加のありかた | 平和・反核・護憲の社会運動 | 平和問題 | 平成28年度下知地区防災計画 | 建築物 | 感染症対策 | 憲法問題 | 戦争を知らない子供たちへの映画会」 | 戦争法案反対運動 | 排泄ケア(排尿・排便)の重要性 | 携帯・デジカメ | 政治のありかた | 政治評論 | 教育問題 | 新しいメディアの創出 | 新型インフルエンザ対策 | 新堀川市民大学 | 新堀川生態系保護問題 | 日誌風の感想 | 映画「六ヶ所村ラプソディー」 | 映画・テレビ | 昭和南海地震の記録 | 昭和小学校・防災じゅぎう | 昭和小学校防災学習 | 書籍・雑誌 | 有機農業の支援 | 朝鮮半島問題 | 木質バイオマス地域循環システム | 村上肇さんWEBセミナー | 村上肇氏BtoBセミナー | 東京近辺見聞録2013年 | 東京近辺見聞録2014年(1) | 東京近辺見聞録2015年 | 東京近郊見聞録2010 | 東京近郊見聞録2011年 | 東京近郊見聞録2012年 | 東北被災地ツアー2015年 | 東北被災地交流ツアー2005 | 東日本大震災の被災者の皆様との交流事業 | 東洋町サポーターズクラブ | 橋本大二郎さん出演番組 | 橋本県政16年の検証 | 橋本県政16年の総括 | 歩いて見る高知市 | 歴史の宝庫新堀川 | 歴史問題 | 死生観・終末観 | 沖縄ー高知の交流 | 沖縄基地問題 | 沢山保太郎東洋町長出演 | 河瀬聡一郎さん講演会 | 津波避難施設について | 漫画文化 | 環境問題 | 田辺浩三さん映画会(小夏の映画会) | 社会問題一般 | 社会思想問題 | 社会運動 | 神戸市長田区鷹取との交流 | 神戸市長田区鷹取東地域との交流 | 福井照 | 福井照さん出演番組 | 福祉の問題 | 空のあんちくしょう | 経済・政治・国際 | 経済問題 | 耐震偽装問題 | 脱水症対策 | 自然エネルギーの活用 | 自衛隊の救助訓練 | 芸能・アイドル | 芸術・文化 | 若者支援事業 | 蓄光塗料 | 西村吉正・春子服薬・食事情報 | 認知症症候群について | 認知症重度化予防実践塾 | 講演会・研修会 | 超高齢者の事前減災対策 | 趣味 | 路上詩人はまじさん | 連合赤軍と新自由主義の総括 | 都市再開発 | 都市論 | 錆を防ぐさびのある話 | 阪神大震災20年慰霊と交流 | 防災問題 | 防災対策 | 防衛問題 | 音楽 | 高レベル廃棄物問題 | 高知の根源・由来を考える | 高知の観光 | 高知シティFM | 高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」 | 高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ | 高知シティFM最終収録 | 高知大学防災すけっと隊 | 高知学研究所 | 高知市地域コミュニティ推進課 | 高知市政問題 | 高知市長との意見交換会・資料2015年 | 高知県政ぷらっとこうち問題 | 高知県政問題 | 高知県民マニュフェスト大会 | 高知県物産公社構想 | 高知県議会立候補者への公開質問状 | 高知蛍プロジェクト | 鵜の目鷹の目 | 2006年白バイ・スクールバス衝突事件 | 2010年参議院選挙 | 2014年東京・横浜出張 | 2014年衆議院選挙関連 | 2015年叔母北海道より車椅子の旅・高知 | 2015年県議選・市議選 | 2016年熊本地震