2017年10月28日(土曜日)は、下知コミュニティ・センターにて「熊本地震と排除や隔離をしない避難所」というテーマで熊本学園社会福祉学部教授花田昌宜氏の講演が開催されました。主催は下知地区減災連絡会(森宏会長)です。
森会長の歓迎の挨拶、坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長から、台風22号接近での下知地区で予定されていた防災行事の中止の業務連絡がありました。花田さんの講演か始まりました。「排除や隔離をしない避難所」なんて運営がどうして可能であったのか?大変興味深い内容でした。説明が多岐に渡っていたため、聞き取った「断片」を記述しました。
「わたしは元々防災関係を専門にやっていたわけではありません。水俣病の事後対策や、障害者の就労支援、人権関係の事をなんでもやっていました。」
「実は私の自宅も地震で倒壊こそ免れましたが、全壊指定を受け、現在建て替え中で、みなし仮設に住んでいます。熊本地震は4月14日と4月16日に大きな揺れがありました。直接氏死は50人。地震後の震災関連死は192人もいます・。自殺された方も5人程度います。1年半経過しましたが、避難している人数は4万2千人います。」
「実は熊本学園大学は、行政の指定避難所ではありませんでした。でも大災害だったので、周囲の住民の皆さんさん方が次々と避難してきました。4月15日は30人、16日は350人、17日は750人でした。車中泊の人もいましたので、もっといたかも知れません。」
「避難所は大災害時に避難をされてきた人たが、次の居場所を確保する前段階の準備を去れる場所です。命を繋ぐ場所なんです。こちらの都合で閉鎖したり、避難所を追いだしたらしないようにすべきです。」
「近隣の行政側の指定避難所は、地震後開いていなかったり、準備していなかったりでした、また障害者の人達は避難所へ行っても受け入れてくれなかったり、大混雑では入れなかったりしました。入れても障害者への配慮はなく、結局出て行き車中泊されている人医たちもおられたようです。」
「人口の5%はなんらかの障害のある人たちです。身体障害、知的障害、精神障害などです。最近でこそ障害のある人たちを大きな収容所で隔離して収容するのではなく、地域の中で在宅で生活しましょうなんてことが言われています。
しかしこと災害時の避難所では障害者は隔離され、排除されていました。地域で障害者も住民と一緒に暮らしているの位ですから、避難所でも同じですね。私たちはそういう考え方で対処しました。」
「避難所マニュアルはとくに必要ありません。要支援者には「配慮」と理解が必要です。被災障害者支援センターを学内にこしらえ、大学関係者で支援をしました。」
「災害時においては、同じ人間であるのに差別されるということはない。人並みに自然災害は襲ってきます。
ところが、災害による被害に関しては、実質的に格差・被害を受ける人たちが出てくる。障害者、外国人、高齢者など。それにより命の保障が困難になる。」(災害と人権をめぐる考え方・格差と排除)
「地域住民が次々と押し寄せる段階では、避難者名簿を優先して書いてもらいことはしませんでした。とても時間がかかり、人員もそれに割くことはできませんでした。自体が落ち着き、皆が平穏な心で避難所生活をするようになってから、記入していただくようにしました。」
「身体障害者(車椅子)の人達は広い生活スペーズが必要です。車椅子に座りっぱなしで褥瘡が出来そうになっている人もいました。体育館にスペーズをつくり、体育館用マットを出して来て居場所をつくりました。」
「駄目ですよ。これはしてはいけない。という言葉を使用せず、こうしたらどうですが。という発想で対応しました。」
「避難所で無意味なルールはつくりませんでした。火気厳禁というルールがアルト炊き出しなども出来ません。外出許可書とかいう書式など無意味です。ルールをつくれば守らせる要員配置やエネルギーがいります。」
「部屋のなかでペット暮らしている人達もおられます。その人たちへも配慮し、教室をスペーズをつくりました。」
「情報の提供にも気を使いました。学内のLANを開放し、スマホやタブレットで情報が得られえるようにしました。充電コーナーもつくりました。」
「授業を再開しても体育館では避難所運営を継続しました。5月28日に最後の1人が移動したので、避難所を閉じました。」
「障害者スポーツセンターは、障害者の避難を受け入れませんでした。
こちらでは、メニューをこしらえ障害のある人もない人も役割をつくり、実施しました。ソージが出来ます。片付けが出来ますとか。」
「発達障害の子供たちもいました。親が必要以上に気を使い委縮されていました。気持ちをほぐしていくことが大事であることに気付きました。」
「大学関係者(職員・学生)の安否確認に4日ぐらいかかりました。避難所運営は、駆け付けた人がリーダーにしました。避難所は24時間運営。トイレの掃除は1日4回します。ただ行動障害のある人に対しては当時は対応が出来ませんでした。
1人いたいして1人を配置する余力がなかったからです。」
「傾向としては市民側がルールを求め事が多い。リーダーの人選が大事です。」
「障害者であれ要支援者であれ、地震が起きる前まで地域に暮らしていた人達であり、施設入居者ではありません。
だから障害者・高齢者を福祉品所へと言う考え方はしません。」
「本震翌日の4月17日には、学生たちが構内で炊き出しを開始しました。下記使用禁止の避難所なら700人分の食事は提供できません。」
「健康保持、衛生環境の保持は最低限。母子への対応。水と食料の確保は大事。絶えず避難所にはひとがいること。運営者、専門職、学生(すべてボランティア)は、弊社尾まで24時間体制の維持と稼動が必要です。
「管理はしない、配慮する原則について
厳密な役割分担を求めませんでした。そこにいる人がその場で対応する。責任体制は、花田を中心に、2~3人が全体を統括していました。
清掃、物資調達、医療、健康、介助体制など。外部対応は(メディア・訪問者・ボランティアに対してです。」
「避難所マニュアルについて。ルール。規則は作らない。事態は常に動いている。規則を作ると、守るためにエネルギーと時間が必要になります。」
「入所者名簿は作成しなかった。意味がない。人数把握だけで十分。出入りも自由。規制をすれば受付に人が複数必要になる。ペットの規制もしなかった。飲酒規制もしなかった。」
「熊本では福祉避難所は機能しませんでした。行政による振り分けはされたが、福祉品所自身の機能不全があった。一般の避難所で受け入れる体制づくりをすべき。
障害者の行き場、居場所がなかった現実がありました。地域で暮らす、脱施設化の流れがあるのに、なぜ災害時に福祉避難所へ行かそうとするのか。
障害者差別解消法を持ち出すまでもなく、ともにいきる社会づくりが必要。」
花田昌宣さんは、今後に生かすべき教訓をいくつか言われました。
①震災前の在り方が問われる
バリヤフリーの大学、トイレ、スリープ、教職員の意識。地域の障害者や高齢者との日常的な交流は必要です。
②地域に共生社会を根付かせよう
学校・公共施設に障害者・高齢者などが見えなければ配慮はされない。
③緊急時の柔軟な組織運営が必要。手続きとマニュアル志向では事態に対応できません。」
災害避難所の熊本学園モデル 4つの原則
1)障害者を受け入れたインクルーシブ(包括的)な避難所
2)運営の原則 管理はしない 配慮する
3)避難所は次のステップへの移行の場
4)災害以前に問われる日常、人と環境の条件
講演会の聴講には、地域住民だけでなく、社会福祉関係者、行政関係者、遠く県外から来られた人など50人近い参加者がありました。講演終了後も活発な意見交換が行われました。
下知コミュニティ・センターも避難収容所機能があります。その運営の仕組みを、運営委員会防災部長として提案しなければいけない立場です。
花田先生の講演と意見交換で「半分程度」は見えてきたと思いました。雨の中熱心に参加いただきました参加者の皆さんに敬意を払います。熊本から来ていただきました花田昌宣さんに感謝です。
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