反ファシズム運動

2026.08.29

知事はやんちゃでなくちゃ

okinawahaka
 その言葉を聞いたのは、ちょうど20年前に沖縄へ行ったときに、沖縄のジャーナリストである義弟の友人と、友人と親しい経済人から聞きました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/.../2006/06/post_ba08.html
(自立的発展の方程式)

「基地と公共事業と観光では外部的な要因が多く、沖縄へ永久に自立できない。」「基地経済が1500億円。物産関係は1300社の零細企業と、1000億円の関連売り上げがある。まもなく基地経済の規模を上回る事だろう。」
miyagi-hon
「時代を「ナショナルブランドからローカルブランド」の時代が到来したと読み、銀座の1等地に140坪の店舗を1200万円の家賃で沈滞し、まかなえる経営計画や実行力は只者ではありません。「銀座でなければいけなかった。新宿、渋谷、池袋では失敗しただろう。」との信念は一体どこから来たのでしょうか?

 宮城さんを紹介いただいた玉城朋彦さんは「やんちゃでなければ駄目な時代。知事なんかも政府の言いなりでは傀儡でなめられる。政府に楯突いて要求していけばもっと予算も取れるし面白い。宮城さんは物産公社を大黒字にして県庁に追い出された人。橋本知事も最近おとなしいですかどうなっているの?」と聞かれたことでした。
82744cfe
 文化や歴史や伝統にこだわることが価値を生む。それを繰り返し宮城さんも玉城さんも言われていました。これは高知にとっても大事な方程式であると思いました。
 基地移転問題で揺れる沖縄。「基地経済は経済効率が悪い。40%は流出するから」と言い切るご両人に沖縄の逞しさを見ました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/.../09/post-d906c4.html
(知事は”やんちゃ”でなければ)2022年の記事

政府自民党の言いなりの自民党系の知事では、沖縄は常に軽視されます。関心も薄くなりますね。」
「むしろ野党系の知事の方が、政府自民党も沖縄と真剣に対峙するので、いい。本当の意味での対話ができますから。だから知事は”やんちゃ”のほうがいい。

 2006年に沖縄へ行き、義弟の友人で長年放送業界でジャーナリストの玉城朋彦さん(故人)とわしたショップ(沖縄県物産公社)立ち上げた宮城広岩さんの独自の見解でした。

 政党の組み合わせでは対立候補の自民党系が圧勝。ですが、そうなるかどうかはわかりません。
 案外接戦になり、現職が逃げ切るのではないかと思います。でもわかりません。
tamaki

| | コメント (0)

2026.07.23

「はたちの時代 60年代と私」を読んで

s-DSCN7624
 重信房子さんの著作の2冊目は「はたちの時代 60年代と私」(重信房子・著・太田出版・2023年刊)を読みました。1冊目の「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」(重信房子・著・2001年・幻冬舎刊)を読みました。1冊目は重信さんが日本へ30年ぶりに帰国され逮捕され、懲役20年が確定し、当時はパレスティナに置いていた娘さんのメグさんあてに書かれたものでした。

 2冊目の「はたちの時代 60年代と私」は20年の刑期を終えて出版されたものでした。
本の中で重信さんが言われていましたが、最初の10年は裁判の手続きや制度のことに忙しく、後の10年はじっくりと自分の生い立ちから、活動履歴を振り返り、過去を思い出しながら丹念に記述されています。
重信房子がいた時代
 素晴らしいのはかつての重信房子さんの学生時代のお仲間(明治大学2部学生たち)が「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたことですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。素晴らしい人間関係です。

 たぶん「土曜会」の人達の支援があったので、出版が出来たのではないかとおもいました。重信房子さんの家庭環境や生い立ちの個所と、キッコーマンに勤務しながら明治大学2部学生時代に体験された文学研究会、学生集会や、自治会活動、学費値上げ闘争、などが詳細に丁寧に記述されています。

 対話や討論、意見交換を続けながら、可能なら合意形成する地道な努力を当時の重信房子さんは孤軍奮闘してやっておられました。サークルや自治会や、学費値上げ反対闘争などの真摯な重信房子さんを知っている学生時代の仲間が「土曜会」の人達がベースになっているのではないかと想像します。

 1965年に入学し、」67年ごろになると60年安保闘争で解体した全学連の再建が始まり、67年ごろにはセクト(党派)の影響も出てきて。3派全学連(社学同・中核派・社青同解放派)がはびこってきた時代でもありました。

 第3部の実力闘争の時代(P100)から、社学同への加盟(P115)、激動の戦線(P155)は、羽田闘争や三里塚闘争や、神田カルチェラタン闘争など。世界中の学生運動が高揚し、aある意味1番楽し気な時代のように思います。
1be775ba
 1969年を過ぎたあたりから、第二次ブント(共産同)も分裂基調になり、そのなかから、「前段階武装蜂起」を唱える赤軍派が関西方面から現れ、勢力を拡大していったようでした。

「赤軍派は大きな構想を描きつつも、その始まりで、出発の方向性を誤ったのです。今からとらえれば、ブント自身が「党」といいながらも、学生運動の大衆闘争機関の指導部でしかなかったと思います。
 そして中核派など、新左翼党派と競合しながら、それがブント内に反映し、路線も組織論も近視眼的な矛盾に規定され対立にと思います。やり方が違っても、共同する条件と方法はあったと思いますが、当時の未熟さでは、分裂は必然だったとも言えます。

 だとしても、党内に自分たちの要求を通すために暴力をふるうというやり方は、中大グループもそうですが、赤軍派がブントに持ち込んだ誤りであったこと、後のブントの分解の原因となったこと、また「連合赤軍事件」にも影響を与えたことは事実です。
6de25a7b
 7月6日の赤軍派の振る舞いを、使命感で正当化したことは、以降の赤軍派の自身の戦い方の傲慢、未熟な英雄主義を伴う闘いの出発点となってしまったのです。「7・6事件」という事実を直視し、もはや半世紀前近い前の事件ではありますが、まず戦ったかつての友人たちに、当時の赤軍派の一員として謝罪しておきたいと思います。」(P236「過ちからの出発」)

 確かに重信さんが当時の赤軍派の理論というかスローガンが「前段階蜂起」と「国内外根拠地論」もスローガン先行で、モデルにしていたロシアの「革命前夜」の状況名など日本にはまるでなく、赤軍派は小人数の精鋭部隊で混乱を引き起こすとかでしたが、ほとんど未遂に終わり、逮捕者だけが増えていきました。
ajo_r
 特に大菩薩峠の福ちゃん荘での大量逮捕、赤軍派幹部の逮捕は大打撃でした。その残党が「よど号ハイジャック」で北朝鮮へ行った田宮グループ。後の国内残留組は連合赤軍事件をひき起こし同じ活動家仲間の惨殺に向かいました。重信房子さんの少数のグループが1971年にレバノンに向かい、パレスティナの人たちと連携していきました。

 偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。
53c75d8f8a2eeb6b
 当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。

 重信房子さんは、30年間アラブ社会・パレスティナで、日本赤軍のリーダー的な存在となり生活し、子育てされていました。20001年に日本へ帰国し逮捕され、20年間拘留生活を体験されました。20年の刑期を終え社会復帰された後の2023年に振り返られています。

 運動の渦中、渦の真ん中におられた人の社会体験、生活体験だけに貴重な記録です。私は70年代初頭は田舎の高校生でした。毛沢東思想を崇拝し、声をかけてきた人が後の連合赤軍に合流したようです。私は臆病者であり、坂本龍馬のように「脱藩」して参加することなどよう考えませんでした。合流しなくて良かったです。

 結局高校を留年して、翌年大学へ入りました。そこは「内ゲバ戦争」の最中でした。革命思想を唱える党派の構成員が殺し合いをしていました。重信房子さんが体験された1968年の「神田カルチェラタン」のような楽し気な風景などまるでありませんでした。

 連合赤軍事件と内ゲバ殺人現象の「ブラックホール」にお吸い込まれ、日本の社会運動は壊滅してしまいました。その挙句ヘンテコな政治状況になりました。私は50年間の「暗黒」からは脱しましたが、「何をどうしていいのか」はわかりません。18歳の若者は気が付けば72歳の老人になりました。残りの人生で懸命に考え生きていきたいと思います。

 重信房子さんの2冊の著書は、大変参考になりました。

| | コメント (0)

2026.07.03

4冊の社会思想関係本を飛ばし読みしました。

s-DSCN6649
 私は72歳という「リタイヤ世代」ですが、個人商店の主故に仕事は忙しい。とくに3月以降「イラン戦争」のナフサ危機で悩める毎日です。地域防災関係の事業も、3つの事業を抱えて案外多忙。

 

 自分を取り戻す自分なりの方法は、「海の散帆」と「読書」でした。読書も最近は「硬い書籍」を読みたいので、4冊図書館で借りてきました。

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat2367757/index.html (ヨット関係・海の散帆)

 

「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル・著・土方奈美・訳・斎藤幸平・監修)

 

「ゼロからの「資本論」(斎藤幸平・著・)

 

「ぼくはウーバーで捻挫し、山で鹿と闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平・著)

 

「マルクス・リバイバル」(マルチェロ・ムスト・著・斎藤幸平・佐々木隆治・監訳)

 

 いずれもお硬い社会思想の本です。いずれの著作にも絡んでいる斎藤幸平氏は、1987年生まれの49歳。子供世代の学識者。最近はテレビのバラエティでも顔出ししている若手の学識者です。

 

 5月頃読んだ「テクノ封建制」(ヤニス・バルファキス・著斎幸平解説)から、斎藤幸平氏の「人新世の黙示六録」なのを所詮は「ななめ読み」「飛ばし読み」ですが読んでいました。

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-24b16a.html (テクノ封建制)

 

 どうやら現在の資本主義は、末期で、新自由主義で終わり、GAFAMのデジタル空間を支配する少数の領主たちが全世界を支配するおぞましいd社会になっているという指摘には、慄然としました。

 

 また斎藤幸平氏が思索対象としているカール・マルクスは、ロシア・マルクス主義者の解釈する狭い「科学的社会主義者」でもなんでもなく、もともと社会の成り立ちを俯瞰し、考える哲学的な思考をする人でした。

 

 封建社会を解体し、産業革命以降の資本主義経営は、今までの社会制度とは全く異なり、発展性もあったが、権限のない市民から果てしなく悪びれることなく搾取しまくり、自然環境も破壊し、汚染し、環境破壊し今なお突き進んでいる。

 

 問題は全世界の人類の思考や買い物指向のすべての個人情報、企業情報をGAFAMの少数の領主が独占するだけでなくアルゴリズムで個人をコントールしたり、生成AIで社会コミュニュティを壊そうとしたり危険性も指摘されています。

 

 膨大な電力資源をデータセンターが消費するらしく、周りの地域社会と共存することなく増殖し、環境破壊もお構いなしの、得手勝手の「情報化社会」は誰のためにあり、本当に必要なのかを、今一度落ち着いて考えるべきではないか。

 

 そんな気持ちで読みました。

 

「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル・著・斎藤幸平監修・土方奈美訳)
s-DSCN6652
 こちらの著者も1980年生まれの46歳の哲学者。「倫理資本主義」の概念も、50年ぐらい前の学生時代に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー著)を読んだことがありました。確かキリスト教徒の大塚久雄氏が翻訳していたような気がします。

 

 渋沢栄一なども道徳と経済の合一を説いていました。強欲資本主義とは一線を画する。「今日の新自由主義的資本主義は新たな封建制というべき状況を生み出しており、(中略)新自由主義の問題は本質的に「社会的自由であること」つまり他者が存在しなければ実現しない自由であることを見落としている。」(P174 訳者あとがき)

 

「ぼくはウーバーで捻挫し、山で鹿と闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平・著)
s-DSCN6650
 社会と格闘する斎藤哲夫氏の「社会実践・日誌」で面白い。

 

①社会の変化や違和感に向き合う ②気候変動に地球で ③偏見を見直し公正な社会へ

 

 という項目で地域へ出かけ、新種の仕事の体験し、不便と向きあう体験されています。今までも有機農法だとか、化学製品拒否の生活もありました。しかしマニアの閉ざされた社会でしかありませんでした。
 斎藤氏の「実体験」各種は読んでいた笑いが出て面白い。

 

「ゼロからの「資本論」(斎藤幸平・著・)
s-DSCN6651
 通俗的な「社会主義入門書」は、「賃労働と資本」とか「経済学・哲学草稿」や「共産党宣言」になるらしいが、マルクスの思想は広範であり。哲学的な要素が多くあり、南海であるがために、いわゆる「社会主義政党」や支持者たちは「切り捨て」「矮小化」して、つまらないものにしました。

 

「現状への不満や未来への恐怖が排外主義などの反動的欲望に転化しないようにするためには、別のより魅力的な選択肢が存在することを、説得力のある形で示す必要があります。けれどもそれは容易なことではありません。(容易だったら、日本のリベラルもこれほど低迷していないでしょう。)

 

 皆が当たり前だと思っていることを疑い、別に道を考え、行動するのは本当に難しい。それでも誰かが問題提起をする必要性があります。」

 

「本書は、「資本論」を使った、一つの問題提起です。だからこの本は入門書だけども、。資本主義批判としてではなく、コミュニュズム論にもなっています。マルクスについての本は膨大な数がるので、コミュニュズムという視点から書かれた入門書がないことが、現在のマルクス主義や左派の低迷をもたらしていると思うからです。」(P235 あとがき)

 

「マルクス・リバイバル」(マルチェロ・ムスト・著・斎藤幸平・佐々木隆治・監訳)
s-DSCN6653
 マルクスの思想や考え方が、最近(2020年以降)見直されてきたようにおmぉいます。それは50年以上前の高校生時代にわたしはマルクスの考え方をこういう言葉で表現していました。

 

「1人の自由な発展が、万人の発展となりうる新しい共同体づくり」です。レーニン主義の(スターリン主義)の「1人は万人のために、万人は1人のために」という矮小化された党幹部独裁主義(民主集中制)という仕組みが全世界で共産主義や社会主義を矮小化させ、堕落させてしまった思います。

 

 日本社会でいえば旧社会党や共産党、それらの既成政党を旧左翼として批判してきた新左翼セクトもやはり組織特性は「独裁的」でした。70年代は「連合赤軍事件」や「凄惨なセクト同士の内ゲバ殺人」を繰り返し信頼を失い消滅しました。

 

「2008年に発生した恐慌以降、マルクスはブームになっている。(中略)実在する社会主義としばしば誤って同一視され、1989年以降無愛想に払いのけられてしまった思想家についての新しい問いを多くの人々が考え始めている。」(序章 P1)

 

「もし共産主義がより高度な社会の形をめざすのであれば、「各人の完全で自由な発展」のための条件を促進させなければならない。
 そのためには共産主義を、多くの「共産主義国家」が、そのプロパガンダにおいて掲げてきた「プロレタリアート独裁」と等置する代わりに、「自由な人間たちのアソーシェーション」というマルクスの言う共産主義社会の定義を再検討する必要がある。」(序章P3)

 

 著者が言うように、丁寧に「共産主義社会の在り方」「自由な人間たちの共同社会」について、より深い、真摯な議論をしないといけないと思いますね。

 

| | コメント (0)

2026.03.01

何年経過しても悔しい思い出 ようやく克服

 3月1日は高知県下の県立高校の卒業式です。わたしは1972年3月1日には卒業できず、翌年の1973年3月1日に卒業できました。つまりは高校を落第し、1年通学してなんとか卒業したという、情けなく苦い思い出です。

 その原因は「7割は私の責任」でありますが、「3割は高校教師側の責任」ではないかと今でも思います。苦い思い出の25年後に上の子供がある県立高校へ入学、31年後に下の子供も県立高校へ入学しましたが、幸いなことに、私の高校生時代に私が悪態をついた教師に遭遇しませんでした。良かったです。(もしいたら悪態をつき、子供たちに迷惑をかけていたと思われます。そうならずに良かったです。)

 もう54年も前の「出来事」ですが、つい昨日のように思い出し、悔しい思い出が蘇ります。

 先日当時高校生時代同級生であったという女性から「担任の先生はお亡くなりになりました。」とか聞きました。54年も前のことですから、当時30歳代であった教師も80歳代半ばを過ぎているはずです、亡くなる人たちもいるのでしょう。
母春子
 その教師は自宅へ来ては「あんたは絶対に卒業できないから自主退学してほしい。男なら大検で大学進学すべきだ。」との賜った教師でした。母は激怒し「この息子を留年させ大学へも行かせます。」と言いましたが、「お母さんそれは絶対に無理です。」と言い2度と現れませんでした。

 留年が確定した1972年の2月は「あさま山荘事件」がありました。当時「信仰」していた毛沢東思想が崩壊しました。(中学高校時代は毛沢東主義者でした過多。馬鹿でした。)
あさま山荘事件1972年
「あさま山荘事件は、1972年2月19日から28日にかけて、連合赤軍のメンバー5人が長野県軽井沢町の山荘に立てこもり人質を取った事件です。」母の支援を受け励まされ、もう1度高校へ行き留年

高校生時代の友人は、一学年下の【留年したので】同学年の女性二人。当時から「おばさん]」のようなたくましい人たちでしたが、今や「本物の」「最強の」おばさんになっています。母とも親しく母を偲んで自宅に来てくれました。
高校時代のガールズ2人
高校の学友2人
「あんたは誰のおかげで卒業できたのかわかっちゅうかね。」と今でも言われてています。彼女たちの精神的なサポートは大きかったです。(母のおかげは絶大でしたが、彼女たちガールズの精神的な支援には救われていました。

 それで1973年3月1日になんとか高校を卒業し、4月に大学に入学しあるサークルに。こちらも「内ゲバ殺人」が激化する時代となり、社会運動どころでなくなり2年ほどでサークルは解散しました。
SUP同窓会
 しかし名残惜しいのか、そのサークル「同窓会」は53年間も継続しています。不思議なのは、日東駒専の3流私大にもかかわらず10人の同窓生のうち3人はいわゆる「富裕層」になってますから。いずれも大企業の社員ではなく、創業者で会社を育て、業種は違えど創業者利益を上げています。
重信房子さんノンフィクション
革マル派のリンチ殺人早稲田
 しかも癌のキャリアでもあり、脳梗塞で麻痺した体になった人もいます。経済力と健康と、家族の愛の3拍子揃った人はいません。私は何時でも貧乏にあえいていますが、とりあえずは健康と家族愛にはめぐまれているので、良しとしましょう。

 高校時代に悪態付いた教師たちも死んだというので、こちらも良しとしましょう。

 最近には「重信房子がいた時代」「彼は早稲田で死んだ」という2冊のノンフェクション作品を読んで、ようやく長年の鬱々した感情を克服することができました。

| | コメント (0)

2025.05.10

自称愛国者の人達は何故「日米地位協定の改定」を主張しないのか?

日米地位協定
 自民党の1部や野党の一部にも声高に「日本国憲法の改定」を主張する人たちがいます。その人たちに申し上げたい。「なぜ日米地域協定の改定」を米国政府に要望しないのか?全く不思議です。

 最近中国が「富国強兵政策」が上手くいきはじめ、造船建造力や、エレクトロニクス、宇宙開発分野でも米国を凌駕し、すぐ後ろに迫るようになりました。台湾を取り囲んで「海上封鎖の演習」もしているようです。

 ごく一部の自称愛国者の人達が「台湾有事は日本の有事」と声高にいいたてています。果たしてそうなのか?第1アメリカのトランプ政権はアジアに関心がない。日本を中国抑止の盾にしようしたいだけでしょう。

 アメリカ軍は日本の地方の飛行場や港湾も勝手に出入りし、やりたい放題をすることができます。敵性国家を勝手に攻撃して、日本の地方の飛行場に逃げ込んだりすると、アメリカの軍事基地とmきなされミサイル攻撃の標的になります。

 日本国憲法で交戦権が禁じられています。憲法9条は自民党のご先祖である幣原重三郎氏がこしらえたものですから。本来は自民党は護憲政党であるべきなんです。
9zixyou

 憲法第9条と象徴天皇制は相互リンクされています。それゆえ昭和天皇は東京裁判に被告人になりませんでした。明治天皇がこしらえた靖国神社。神社側がA級戦犯を合祀したことで、依頼天皇家は靖国神社に行かなくなりました。それは象徴天皇制と憲法9条が相互リンクしているからです。

1zixyouto9zixyou

 昭仁天皇は戦没者を供養し、大災害時に国民を慰労して駆け付けました。現天皇家にもその精神は継承されています。

akihitotennou

 日本は「戦争をしない国」としてこれからも行くべきなんです。

| | コメント (0)

2025.04.24

52年目の覚醒


 1972年から2024年まで、52年間「長くて暗いトンネル内」に1人でいました。53年目の今年は爽やかな毎日を過ごしています。
yanasehon5satumm
 4月からNHK連続テレビ小説「あんぱん」が始まり、やなせたかしさんの「ひっくりかえらない正義」が注目されています。5年間の兵隊生活を中国でされたやなせたかしさん。戦争の大義や正義は、簡単にひっくりかえります。

 しかしお腹が空いた人に一口のパンを差し出すと皆が喜びます。それこそが「本物の正義」だとやなせたかしさんは気が付きました。よく理解できます。

 わたしは高校留年時代の2月に連合赤軍事件で衝撃を受けました。信じていた毛沢東思想が崩壊しました。11月には早稲田大学で革マル派により一般学生の川口大三郎さんがリンチされ殺害された事件がおこりました。
sigenobu
 「正義(革命)を標榜する集団が(セクト)が、些細な意見の違いで、リンチし、殺害するのか?議論での意見交換や論争ではなく、殺傷力のある鉄パイプで暴力を際限なくふるえるのか?」

 私は当時の社会運動の外周の渦に巻き込まれながら、うじうじと1人孤独に悩んでいました。昨年(2024年)2冊の著作本と、出会いがあり、長くて暗いトンネルから脱出することができました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html
(「重信房子がいた時代」を読んで)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a3dfc5.html
(「彼は早稲田で死んだ」を読んで)

 重信房子さんは、ごく普通のお婆さんです。また 「彼は早稲田で死んだ」の著者の樋田毅さんには、昨年映画会でお話し、私同様50年間悩んでいたと言われました。

 同じような人がいたんだという「安堵感」はおおきいですね。当時18歳の少年は、あっという間に70歳のお爺さんになりましたから。
waseda
 でも残りの人生はうじうじはしません。「なぜそうなったのか?」「なぜ間違い人殺し集団になったのか?」を解明したい。

| | コメント (0)

2024.10.23

「むなしさの味わい方」を読んで

むなしさの味わい方 表紙 001
 私個人の最近の出来事についていえば、「うまくいかないこと」だらけであり、「面白くない」出来事がとても多い。体調不良も多く、「いつもの」楽天的な私ではない。少々の失敗や落ち込みに対しては、沖縄流の「なんくるないさ」(何とかなるさ)の心持で乗り切ってきましたが、今年はそうはいかない状況でした。

 このまま今年は低迷して終わるだろうなと思いました。うつになって落ち込んでいくばかりではないかという恐怖もありました。そんなときにこの書籍を金高堂書店で購入しました。偶然書店で目に入り購入しました。

 きたやまおさむさんと言えば、学生時代のご活躍と言えばフォーククルセダーズでした。「帰ってきた酔っぱらい」「イムジン河」「あの素晴らしい愛をもう1度」など活動期間は短いものの、メガヒットを出しています。
むなしさの味わい方 その2 001
 その後は九州大学の教授をされていて、何年か前に定年退官され、フォークルを再結成されたという話題もありました。フォークルの解散後にメンバーの才気あふれる加藤和彦さんの自死もありました。

 実際にお会いしたことはありませんが、きたやまおさむさんはまた意外にも身近な存在でもあります。

 ヨットの大先輩であるUさんが、なんと京都府立医科大学時代ヨット部で、先輩であったそうです。1学年下の「きたやまおさむは クルーだった。」とのこと。3年ぐらい前に初めて聞きました。大学ヨット部は2人乗りの470やスナイプという艇に主に乗り琵琶湖で帆走練習をしています。

 Uさんは舵取り(スキッパー)であり、きたやまおさむさんはクルーで2枚帆を調整したり、風下帆走の場合はスピンネーカーという補助セールを出したり、取り入れたりする係をされていたようです。

 「大学時代は学生紛争でロックアウトされ、おまけに5年で卒業にされた。」とのこと。Uさんは今はある自治体の医師会の会長をなさっておられます。

 さて肝心の書籍の感想です。豊かな時代になり、物があふれる時代になりましても人々の悩みは尽きません。また最近の情報通信技術の発達などで、より人々は精神的に追い込まれているのではないかときたやまおさむさんは言われます。

「相手の反応に敏感すぎる時代」(P32)

「意味のない言葉の氾濫」(P33)

「ご期待対応力が評価される」(P37)

 「ご期待対応力」なる言葉は、きたやまおさむさんの独特の表現です。でも今の時代を的確に「切り取る言葉」ではないでしょうか。

 最近もス-パースターと言われるビックアーティストの伝記的な映画がありました。クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラブシティ」(2018年)、エルトンジョンを描いたロケットマン(2019年)がありました。

「こうした映画では、主人公のミュージシャンが、ファンの期待に応えようとしながら、こうありたいとの自己像との間で葛藤し、ドラックやアルコール、セックスなどに溺れ自滅していく姿が必ずといってよいほど描かれています。

 また、ドラックなどではなくても、自分の心に生じた「間」を受け止めきれずに、何かで必死で埋めようとしながらも、うまくいかずに立ち直れなくなってしまう場合も少なくありません。

 ともにフォーク・クルセーダーズを結成したメンバーの1人は、2009年に自ら命を絶ってしまいました。彼のことを考えると、今も私は心が傷みます。」(P43)

 心構えの対策として、きたやまおさむさんは、以下のことをいわれています。

「期待に応えるよりも「マイペース」をえらぶ決断」(P44)

「遊びがあってこそ」(P45)

「私たちは、このむなしさ」に慣れ、飲み込まれないようにする術を身につけなければならないでしょう。」(P49)

「このようにみてくれば、心の発達で、他者との関係性や自分の心の中に「間」が生じ、「むなしさ」という感覚を味わうということは、少なくない人たちにとっては、当然の経験であることがわかるでしょう。だから誰も「むなしさ」から逃れられないし、「むなしさ」を完全に消し去ることはできないのです。」(P77 「間」を生きるという課題)

「急な幻滅に遭遇したとしても、私たちの人生はそれで終わってしまうわけではありません。多くの場合、人生という物語は、急な幻滅悲劇の展開で終わることなく、その後もだらだらとつづいていきます。

 生きている限り明日は必ずやってきます。そして日常という時間w過ごさなければなりません。まして現代は長寿社会と言われ、私たちはかつてよりも長い人生を送ることになっています。

 こうした意味でも、私たちには時間が与えられています。」(P112「幻滅の後も人生は続く-時間をかけることの意味)

「物事を解決したり、何らかの対処をしたりするためには、時間が必要です。」時間をかけるというのは「間」(間)が生じるということです。「間」というのは、本書で何度も登場した「間」(ま)のことです。

 日本語では両方とも同じ漢字で表記します。空間的な広がりとしての「間」であり、、時間的な長さとしての「間」のことです。

 心の病気を治すためにも時間が必要です。すぐに治らないからと絶望してしまえば、病気を治すどころではんくなります。時間をかけて徐々に治っていくという「間」をけいけんしなければなりません。

 中略

 大切な相手との関係性にひびが入ってしまったという場合、早急に相手を見限って、関係性を絶ってしまうのではなく、時間をかければ、予期せぬ結果が生まれるかもしれません。そこが希望と絶望が交替する移行の期間なのです。

 心の問題に関する原則は、時こそ「解き」(とき)であり、時間が解決するということなのです。」(P113 待つことと、「間」に立ち続けること)

 著者によれば「待っている時間を過ごすこと、結論を急がずに、結論に至るまでの「間」に立ち続けることは簡単ではありません。」と言います。

 どっちつかずの境遇でひたすらい結果を期待して待ち続けることは、現代人は得意ではありません。結論を急ぎ、結果をもとめます。また「むなしさ」を回避しようとする仕組みが張り巡らせています。

「二面性を受け入れる」(P115)

「2面性を知ることで深まる認識」(P118)

「吐き出してすっきりしたいが」(P119)

「心をゴミで埋めようとする。」(P122)

「割り切れないもの、消化できないもの、未処理のもの、中途半端で矛盾しているもの、そうしたものを心の、いわば「溜め池」のようなところに、そのまま置いておく。そして時間をかける。そうした心の余裕を持つことが出来るかどうかが、「むなしさ」をうまくこなしていくことにもつながってきます。」
(P123もやもやは心の「ため池」に置いておく)
ため息をついても幸せは逃げない」(P124)

 このあたりの言葉は、精神科医のきたやまおさむさんの治療のなかから出てきた考え方であると思うし。依拠しているフロイトの精神分析をかみ砕いて説明をしていただいているようです。

「相手が自分の思ったとおりのひとでなかったとかいうとき、わたしたちは喪失感や幻滅を覚え、心に「むなしさ」が訪れます。

 中略

 心がすっきりしないとき、この怒りの内向と同様の自虐や自責が起きることがあります。相手が自分の思う通りの人ではなかったのは、実は相手が自分を嫌っているからではないか。自分は嫌われても仕方のない、価値のない人間ではないか。

  中略
 
 日本人は外向きに怒りを感じるのが苦手だとよく言われ、私たちは怒りを内向させがちです。でもそれでは、心に「置いた」ことにはなりません。」
(P126怒りの内向と自虐)

 ある新興宗教団体が、自責の念を利用して「その罪を解消するためには、教団にお金を納めて禊をすませなくてはならない。そのためには教団に帰依し、献金し続けなくてはならない」という大きな問題が社会事件でおきました。日本人の特性を悪用した献金システムでした。

「私たちは生きていくうえで、人に借りをつくり、恩を受けながら生きています。そもそも私たちの人生は親を始め、他人のケアを受けなければ生きていくことができないという未熟な乳幼児期からはじまります。

 そして、自分が大人になった時は、今度は自分が子供をケアする。あるいは他者に貸しをつくったり、恩を与えたりする。要するにお互い様です。

 白黒思考に固まっていると、「すまない」を置いておけず、すまないままではいられなくなるのです。妥協しながら貸し借りをつくりながら、物事はどっともどっちであり、あなたも私もお互い様をかみしめながら生きていくことが大切です。

 この「すまないものを「すまない」ままでとして置いておけるか。」ここでも「間」に立ち続けること、未処理のモノをそのまま置いておくことがもとめられています。」
(P!30「すまない」はおたがいさま)

このあたりはきたやまむさんの独特の表現。ご自身の体験と精神科医としての臨床体験や、研究した文献の逸話や、精神病理医師の先輩の所説などがわかりやすくかかれています。

「心の内奥には沼がある」

「現在私たちが生活している場所は多くがアスファルトやコンクリートによって埋められています。沼などは殆どなくなっています。ドロドロと臭く、経済的な価値を見出せない沼などは、どんどん埋め立てられ、私たちの前から聞けていきました。

 しかし人間は人間臭く、乳は乳臭いものだし、大地は土臭いものです。心の一部も臭いはずですが、私たちが人間である以上,有機の匂いがするものであり、私たちの「心の沼」を都会のように埋めてしまうことはできないのです。」(沼は臭いので蓋を P134)

「心の沼は、澄んではいない。」

 心の沼は、いつもドロドロ、ずぶずぶ、ぐずぐず、ぐちゃぐちゃしているので、ドブ掃除は無理です。 中略

 そこには容易に手を突っ込めない危険性もありますし、また性欲や残虐性もあります。底なし沼という言葉があるように、真っ暗で水中がどうなっているのかなかなか理解できないのです。だから心の中で、いくら酷い事、残虐なことを考えても、そのことは否定されるべきではありません。中略

 心の中でどんな空想をしようと、それは自由です。むしろ、心の中で考えてて置いておけるなら、ひどいこと、残虐なことを行動に移さないことが可能になります。心の中で自由に考えたり、想像したりすることを否定したら、ひとはとても息苦しくなり、むしろ危険なのです。

 私たちは、目の前で起きている現実と、心の中の現実と2つの現実を生きています。その2つの現実を生きていることを自覚し、その2つがバランスよく作用しあっていることが健康的な状態です。

 2つの現実の片方しか認めようとせず、あるいは2つの現実を同一にしようとするのは危険です。心の中で残虐性を実行することはよくあることですが、目の前の綺麗な現実だけを認め、それと乖離する心の現実を閉じたり、あるいは心の現実をそれに無理やり合わせようとすることも危険なことです。きれいごとをいい裏を認めず良い子である表にあわそうとすると、心に無理が生じます。

 ひどい、残虐な想像をしてしまうのも自分であり、他者に対して、良い人のように降る真っいているのも自分なのです。2つの現実と、人の2面性を認めることの大切さは、こうしたところからもりかいできます。

 このように、沼はあくまでにごったものであり、そのまま置いておくしかないのです。」(P136)

 長い引用をしました。きたやまおさむさんの言葉の1つ1つに納得しますし、わたしの「鬱々、ドロドロした、自分を卑下し、貶める考え方」から、お陰で解放された気分です。

 でも精神分析の専門分野をかみ砕いて説明してくれていますが、わかったようで、わからないところがたくさんあります。

 この文章を読んでいて思いだしたのは、私の子供時代(1960年から65年頃)小学生時代は、高知市内でも、転校先の大阪府豊中市でも吹田市でも、沼がありました。柵などもなく、「危ない河童に引き込まれるぞ!」とかの看板が立っていました。

 沼は沼で自然界では存在価値があり、水生植物や昆虫、淡水魚類などのビオトープの世界であったし、子供たちの手軽な釣り場でもありました。

 しかし高度成長時代が全国的に始まりますと、沼は埋めたてられ、宅地や工場や商業施設になりました。地面はコンクリートやアスファルトで埋められました。

 今年は猛暑でしたが、沼や小川は埋め立てられ、アスファルトで覆われました。市街地も暑くなります。沼に生息していた、カエルやミツバチや、トンボや、めだかなども身近な場所で見なくなりました。

 便利な社会になりましたが、なんだか皆が余裕のない状態になり、心のバランスを崩すようになりました。私もそうなりかけていました。

 高知でも東京でも皆、暇があればスマホの画面を見て「暇つぶし」をしています。会話もなく、人とのコミュニュケーション力の衰退も心配ですが、心の「むなしさ」や「間」をネットの情報で埋めてしまおうとして、かえって疲労が蓄積されて心にひずみが出来イェイるのではないかと私は心配しています。


「むなしさを味わう」(P157)

 きたやまおさむさんはこう書かれています。

 ここまで見てきたように、私たちの心には「むなしさ」が必ず訪れ、通例そのことから逃れることができないものです。そして「むなしさ」は「すまない」とともにいきていかざるをえません。

 しかし、そのことは、単にそれに耐えるべきものではなく、場合によっては、吐き出したい言葉を生み出し、創造性を育んで、むしろ人間の生に豊かさをもたらせてくれるのではないかと私は考えます。

 「むなしさ」そのものに意味はないかもしれません。でも「むなしさ」をかみしめ、味わうことには、」意味があるかもしれない。(P158) 

 私自身の個人史において自我というものが形成されたのは、中学生時代でありました。早熟な「政治少年」として、政治や社会運動に興味を持ち、当時の情報伝達手段は「ガリ版」(謄写版印刷)でしたので、それで手書きで「新聞」を発行し、社会評論的なことをしていました。

 そのころの作法として「うまくいかないこと。目標が達成できないときの原因を自分の中で追及し、文章化し、高めの達成目標を設定し実行していました。(実力から言えば高めの目標設定故に、殆ど到達できないことばかりでした。)

 しかしながら、自分でコントロールできない課題や、社会運動においては、党派の上級幹部(専従者)の命令などもあり、反論できないまま落ち込んでいき、挙句の果てには運動体自身が解体消滅し、敗北し、放り出されることの繰り返しでした。

 きたやまおさむさんの「沼」という考え方。「空しい」ことにも意味がある。決して無駄なことではない。出来ないときは出来ない。出来なくてもいい。という。まったりした考え方、発想法は新鮮でした。

 自分の気持ちを「文書化」して、目標を整理し、達成に向けて努力しする。それ等はいまでも、地域防災の会合などで、会合参加者の情報共有化の手助けになる手法であります。(深刻な問題以外では有益な方法手段です。)

 しかし万能の処方箋ではありません。きたやまおさむさんの今回の著作を読んで改めて気が付きました。

 今年は正月から手術や入院、療養が続き、その中でも、仕事の合間の「こまめな時間」を活用して、自分なりに「周到な」準備をしていた地域防災の2大大事業(私なりのである「仁淀川町防災キャンプ」が台風で中止になり、地域防災訓練予定日は、思わぬ衆議院の解散総選挙の関係で、延期が余儀なくされ、防災メニューの大幅な見直しが強いられました。

 仕事や地域活動も本調子ではなく、体調も本調子ではない。仕事もうまくいかないことがある。でもそれでも何とか生きて行かなくてはいけない。自分が情けなくて、すべて投げ出したい「マイナス思考の渦の中」で、この著作を読みました。

きたやまおさむさんの先輩格の精神分析医の前田重治さんの心の絵がありました。確かに文字表現で、心象風景を記述されてもわかりにくい。

 フロイトが日本に紹介された時代における精神分析の個々のイメージが描かれています。(P160)
フロイト心の中の世界図 001
 絵は「前田重治 フロイトの精神装置図」(1958年)とありました。

 上部は,外界に向かい知覚のために心は外に開かれています。(中略)

 個の前田先生の絵においても、無意識、あるいはほどんど無意識になっているエス(日本語ではそれを意味するドイツ語)は下部に置かれ、その最下層は身体に根差して「本能欲求取りこみ門が開口しています。」(P162)

「上部の頭脳や理性だけでは人間は生きていけないし頭脳や理性だけが、人間のすべてではありません。理性的な意識よりも、心の下部から湧き上がる、沼の臭い、欲望の臭いとしてのモヤモヤのほうが強くなってしまうこともあります。
現在の自我構造・前田氏 001
 したがって、上部と下部、その両方の領域を備えてこそ、人間の心の全体となるのです。」(P167「無意識と身体」)

この著作を読んで、あらためて、フォーククールセーダーズの」「あの素晴らしい愛をもう一度」の詩を読んでみると、心の深層を感じます。

作詞:北山修/作曲:加藤和彦/歌:フォーククルセイダーズ
「あの素晴らしい愛をもう一度 」

命かけてと

誓った日から
すてきな想い出
残してきたのに
あの時

同じ花を見て
美しいと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

赤トンボの唄を
歌った空は
なんにも変わって
いないけれど
あの時/
ずっと夕焼けを
追いかけて
いった二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい

愛をもう一度

広い荒野に
ぽつんといるよで
涙が知らずに
あふれてくるのさ
あの時

風が流れても
変わらないと
言った二人の
心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい
愛をもう一度
あの素晴らしい
愛をもう一度

「日常でも、「美しいもの」を共有しながら愛でるのは親子だけでなく、恋人や友人同士でも多いのです。雪見、お花見、花火、お月見、」紅葉狩りと、私たちは昔から同じものを一緒に眺めて心を通わせ、この愛を育んできたのです。
 漱石による訳だという逸話もありますが、「アイラブユー」を「愛している」と見つめあって言うのではなく、肩を並べて、「月が綺麗だね」と言う比較文化論は、私たちの「横並びの愛」の深層心理を鋭く突いていると思うのです。

 だがこの愛が取り返しのない形で崩れ、しこに穴が開き。「つながり」が突然切れるなら、目も当てられない惨状が展開するでしょう。お互いが孤立して、「みんな」からハブられる恐怖や、向い合ってもらえない不安、そして同調圧力が生み出されてしまうのでしょう。

 だから、同じ花を見て美しいといった2人の心が今はもう通わないという悲劇は繰り返されるのだと、歌でも言うのです。(P193「あの素晴らしい愛について」)


 終章にこういう記述がありました。

「探し物はきっと見つからない。もし見つかったと思っても、それはすぐ目の前から消え、失われていきます。なぜなら、心の中で求めている「探し物」と全く同じものは、外の世界には存在しないのです。

 1人の人間のなかには、心の中と外という2つの現実があることを述べました。質の違う2つの現実が、1にの人間の中で共存しているのです。普通はどちらか片方だけが現実でもないし、2つの現実を一致させることも無理です。だから、心の中にある「探し物」は心の外の世界には存在しないのです。P195)

「本書は、蔓延していると感じる「むなしさ」につき、自己分析を踏まえ、日本語、日本文化、現代社会を見据えながら書いた。もちろん最近の私の一般向け書物と同様、フロイト理論や精神分析の対象関係論の考え方を活かしている。しかし「むなしさ」を感じたら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案しているのだから、理論的なことやこのテーマに関わる議論は細かく書き込まなかった。」(P203あとがき」

 わたしにとって2024年は「トラブル」続きの年でした。正月には眼病での両目の手術と入院。療養生活などで長期間仕事が出来ませんでした。メガネ合わせに苦戦し、復帰できたのが5月連休前でした。

 でも手術のおかげで「失明」は免れ、「ド近眼」が「中程度の近視」になり、近くは見えるので老眼が不要になりました。悪いことばかりではありません。6月には右手裂傷、9月には帯状疱疹。10月には蜂に刺されるとかいうトラブルまでありました。

 おまけに周到に地元の皆様と準備してきました「仁淀川町防災キャンプ」も中止、地域の史ウ号防災訓練は、衆議院選の関係で延期(10月27日が12月1日)になる事態になりました。

 懸命に真摯にっ取り組んではいますが、「運も悪い」としかいいようのない事態になり、自分の非力を感じ落ち込んでいました。

 でも一方で18歳から70歳まで52年間うじうじと「孤独に」悩んできた問題も半分ぐらい解消できました。悪いことばかりではありません。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html
(「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-f58837.html
(映画「ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ」)

 18歳の少年(高校生)は長い長い先の見えない暗いトンネルの闇の中にいました。70歳の時ようやく外に出ました。今は71歳になりました。

 今回きたやまおさむさんお著作「むなしさ」の味わい方(岩波新書)を読んで、わたしは52年間も「むなしさ」を味わっていたのであったと思いました。人生そんなものかもしれません。

 仕事も地域活動も社会参加もうまくいかないことばかりです。焦らず「むなしさ」を敵視せず、自分のペースで乗り越えてみます。
yact
 脳ドックの医師は精神科医ではないでしょうが、「ヨットは脳幹トレーニングにはいい」と言われました。今年はヨットのほかにSUPも習います。「71の手習いです。主たる目的は、今の居住地域(海抜0Mの二葉町)は、南海トラフ地震が起きたら水没します。地域の防災会長としてSUPで住民の安否確認をしますので、基礎からの習いが必要だからです。

 自分の限界、体力と気力の衰えを思い知らされた2024年でした。悪いことではありません。できる範囲内で、やるべきことはやり続けます。

| | コメント (0)

2024.06.21

「重信房子がいた時代」を読んで

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。
重信房子がいた時代1_NEW

「集団になると、人は考え方が浅くなって非論理的になってしまう。あさま山荘事件を含む連合赤軍によるリンチ殺人から始まる一連の事件は、その典型だと思うね。

とにかく閉鎖された集団の中で、非常に強い権力性を帯びたリーダーがいて、過度のストレスを全員が持っている。こういう状況で人は判断できなくなる。あとから『なんであんなことをやってしまったのか』と後悔する。
重信房子がいた時代4_NEW
こういうことはたくさんある。日本史にも世界史にもね。そうしたことを端的に示す事件だったと思う」(映画監督・森達也氏談)NHK記事より)

 とにかく私が高校を留年した1971年2月に引き起こされた「連合赤軍・あさま山荘事件」と1972年11月に「早稲田大学構内で革マル派による一般学生川口大三郎さんへのリンチ殺人事件」から連なる際限のない内ゲバ殺人抗争が激化し、日本社会から「社会運動」「政治闘争」が、2つの「ブラックホール」に吸い込まれ消滅しました。

 私個人は「連合赤軍」や「内ゲバセクト」の渦の渦中にいたわけではなく、大きな影響(悪影響)を受けた渦の外周に居ただけの人間です。ですが渦巻は渦の外周ほど高速で回転します。強い悪影響を受けながら、鬱鬱とこだわり続け、貧弱な頭脳で1972年から52年間考え続けてきました。

考えたことは、「なぜ日本の新左翼セクトは仲間殺しをし、セクト同士で連携することなく、殺し合いを際限なくするのだろうか?中国は敵対していた共産党と国民党が連携して抗日軍をこしらえました。その動きのかけらもないのはなぜなのか?」でした。

 個人ブログで「連合赤軍と新自由主義の総括」なるタイトルをつけ、10年以上前から考え続けてきました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

 最近読んだ2つの著作「「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊)と「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。すべて解決したわけでもないですが、2つの著作は私の悩んでいた52年間とリンクしています。長い長いトンネルの出口のかすかな灯のように思いました。

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)の読書感想文です。一読して。重信房子さんは、「普通の生活者感覚のある人」「1960年代後半から1970年代初頭の激動の時代の渦の中にいた人ですし、著者の油井さんは、重信房子さんの生い立ちから家庭環境、学生生活も丹念に描いていますので、人物像がわかりました。

 私は最近はYouTubeで重信房子さんの出演する中東情勢を解説する番組を時折も見るようになりました。

「私たちがパレスティナへいったころは、旧ソ連の支援がパレスティナにあり、パレスティナの青年は旧ソ連で高等教育を受け大学に進学し医師になる人もいました。受け入れてくれる素地はありました。」

「イスラエルがレバノンに侵攻した1982年以降は、中東に居ずらくなりました。また旧ソ連が崩壊した1989年以降は支援も少なくなりました。」

「1995年にイスラエルとパレスチナの共存を国是としたラビン首相が暗殺されました。1996年に台頭したのがパレスチナ国家を認めないネタニエフでした。これ以降は対立と分断が始まります。」

 重信房子さんはYouTubeで明瞭に解説してくれました。なるほど。という感覚でいたところ、偶然友人が「重信房子がいた時代」を貸してくれました。「家内の親戚の人が書いたノンフェクション。手元に1冊しかないのを送る。読んだら返却してほしい。」とのことでした。

 稚拙な読書感想文です。印象に残った言葉を書き出しました。

「ねえ、あなた髪型かわったわね。」

重信房子は、私にそういった。アクリルの窓越しに手と手を合わせたあと、いきなり、

「昔はもっとボーイッシュで、すごく短かったじゃない。その印象が強いの井よ、それから目も変わったわね。ほら昔はもっと細かったじゃない。」

「しわが出来て、ふかくなったんですう」

 そんなことを返しながら、重信房子も、ただの、ふつうの叔母さんじゃん、と思うと笑いがこみあげてきた。

 ほぼ40年ぶりに面と向き合って、言葉を交わす、その話題がこんなとことから始まるとは、さっきまでの気鬱は何だったのか、と力が抜けた。」(40年振りの再会 P11)

「房子がアラブに向けて出国したのは1971年。赤軍派の結成は69年8月23日だが、その前から房子は大学を離れて党派活動に専念するようになっているはずだ。そのときから、私が房子と会う機会はなくなった。

 したがって、この再会葉41年ぶりでもあった。しかも親しくしていた時期は67年から68年にかけてのわずか2年足らずである。一緒に歩いた土地も、駿河台のせいぜい半径2キロぐらいのものだ。

 同志でもない私には、共有する記憶はわずかなものだ。この空白はどう埋めたらいいのか。そもそも埋めることはできるのか。話すこともなく、会話が途切れてお互い気まずい思いをするのではないか。ドラマや小説の再開のシーンを浮かべてなぞらえようとした。

 ところがいきなり髪型の話である。(中略)41年間の空白はあまりにあっけなく消えた。その41年前の事、今のこと、年相応のしみやしわ、白髪のこと。脈路なく話は結んだりほどかれたりして、わずか10分ほどの面会時間は終わった。

 帰りの電車の中で思い出した笑顔は、40年前と変わらなかった。目も口元も、学生時代と何1つ変わらなかった.」

「ねえあなたは誰が好きなの」房子は唐突に話しかけてきた。

  中略


 あのころ、汚い研(文学研究会)のサークル室で、彼女の白い肌はきわだっていた。ピンクの口紅がよく似合っていた。おっとりした問いかけだったが、いい加減な返事を許さない強さがあった。

 文学サークルで「誰が好きなの」と問われれば、あのころは、カフカ、カミュ、吉本隆明、埴谷雄高、・・。そして大江健三郎とたいていの学生は答えた。しばらく前まで高橋和巳が明治の助教授に名を連ねていたこともあり、よく読まれていた。実際に私たちの周りでは、文庫本になったばかり「散華」手に高橋勝巳の名を連呼しているものがいた。

 そんな中で、私が「谷川俊太郎とか富岡多恵子です」と答えたものだから、房子は、一瞬とまどった。私の言った詩人を知らないのだなと私は思った。ところが彼女はすぐに人なつこい笑顔でいった。

「えっほんとに。私も詩を書いているのよ。現代詩を。今度見せてあげる。あなたもみせて。」その時たまたま部屋に行ってきた男子学生を紹介しながら、私と彼の両方にいった。

「ねえNくん。彼女も現代詩ですって。Nくんは鮎川信夫をよくよんでいるのよ。「荒地」の詩人の井戦争体験や詩に惹かれるんですって」P14

 1967年・68年頃のブント系(社学同の影響の強かった明治大学の学生の傾向なのか、当時全共闘世代と言われた多くの学生たちの流行の読書傾向なんでしょう。

 わたしは重信さんより8歳、著者の油井さんより6歳年下です。67年・68年は田舎の中学生でした。1970年の高校2年生の時、高共闘をやっていた追手前高校の連中が吉本隆明がどうしたとか言うていました。私は田舎の高校生でしかも毛沢東主義者でしたので興味はありませんでした。
yosimoto
 1973年に大学へ入学して、入部した文科系サークルがブント系の傾向いうが強く、その時期に吉本隆明、埴谷雄高、高橋和巳、などを読みました。荒地の詩集も読みました。鮎川信夫もです。「自由闊達」という雰囲気でした。
ayukawahaniya
 1973年の夏ごろまでは、ノンセクトの学生たちの運動が、早稲田大学でもセクトである革マル派を凌駕するのではないかという勢いがありました。しかし夏休みが終わり秋になると革マル派は武装集団として「プロ化」し整然とした武装集団に変身していたようです。

「50人を超える革マル派が。背丈より長い鉄パイプを持ち、一斉に地面を叩いていた。最初は。ドン、ドンと間隔を空けてゆっくりしたテンポで次第にその間隔が短くなり、最後はドドドと地響きを立てるかのように連打した後、全員が鉄パイプを水平にして、雄たけびを上げながらスロープを駆け上がってきた。まるで戦国時代の合戦のようだった。あれほどの恐怖を感じたことはなかった。」

「革マル派の活動家達が文学部キャンパスに入ると同時に、リュックから三段~4段階の折りたたみ式の鉄パオプを取り出し、カチャカチャと音を立てながら組み立てていた。」
(P174「牙をむく暴力」彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊より。

 結局組織化してきたセクト(党派)の武装集団に対抗するためには、セクトの武装集団でない対応できない時代となり、口論や論争で対立する相手をやりこめるのではなく、暴力行為で相手セクトの幹部を殺害する行為を繰り返すようになりました。

 思想の左右を問わず、「異論を排除し、時に暴力的に排除し、殺人行為もしでかしてしますことが常態化する。」異常さが52年前の日本の新左翼党派(セクト)にありました。これでは問題意識を持ち、デモや集会に参加しただけの学生一般は、ついていけるはずもなく、必然的に政治闘争、社会運動は日本社会から衰退し、広く支持を得ることが難しくなりました。「政治」に無関心な市民が増大し、「改革」を標榜する自民党清和会政治を容認し、格差社会を拡大することに結果として加担するようになりました。

 油井りょう子さんは、重信房子さんのご家族(両親や兄弟)や生い立ちなども丹念に記述されています。お父さんは若かりし頃、極右団体血盟団のメンバーでありました。15歳も年が離れた奥さんと結婚し、敗戦後は夫婦で食料品店を世田谷で開業し、懸命に家族力を合わせて生きていました。

 重信家の兄弟姉妹は皆成績優秀で大学進学をしたかったようでしたが、商業高校や工業高校に進学し、卒業し大手企業へ就職しました。重信房子さんも商業高校卒業後は、大手食品メーカーのキッコーマン醤油に就職しています。

 高校時代に文芸部に入部しました。自作の小説を書くだけでなく行動力もあったようです。

「高校時代には、武者小路実篤の「友情」を読み、その作家に会いに行った。そこで、作家に向かって「ヒロインの杉子は民主的ではない」などと面と向かって批判した。

 大作家は、台所でお茶の用意をいしている妻に聞こえるように、笑いながら大きな声で言った。「おい、杉子は民主的ではない、とここにいるお嬢さんがいっているよ」
 杉子という女性は、その頃の作家の妻がモデルだったからだ。批判したお嬢さん、房子のために大作家は色紙まで書いてサービスまでしてくれたという。」(文豪に会いに行く P41)

 単なる文学少女だけでなく、物おじしない行動力も備えていたようですね。感心しました。

 また重信房子さんの兄弟姉妹は地域社会の現実と真摯に向かい合っていました。

「先にもふれたが、房子の家の近所に朝鮮人の部落があった。近所の大人は,子供たちにそこへは「近づくな」とあからさまにいった。1950年6月から53年7月迄の朝鮮戦争の影響もあった。
重信房子がいた時代2_NEW
 しかし、房子の長兄が自転車に乗っていてチンピラに因縁をつけられたとき、一家を守ってくれたのは、この集落の人々であった。好奇心旺盛な房子達きょうだいは、関心を持って集落の人々の暮らしや、自分たちと違う風習を見つめた。

 春、桜の季節になると、集落の人々が、馬事公苑に繰り出すのです。そして、太鼓を鳴らし、手拍子をとって」にぎやかに歌い、踊っていました。華やかな服装とにぎやかな踊りと、ふだんの暗くくすんだような暮らしとの差が、あまりに大きいので、毎年、驚いてみていました。と房子は振り返る。」(P44「戦後民主主義の申し子」)

 わたしも小学校低学年時代に大阪にいました。経済格差がある地域でした。上流の家庭は、母親は女子大卒で専業主婦。子供にが大学生の家庭教師をつける環境。そのお母さんたちが「あそこへは行かれん」と言っていたのは地域内の朝鮮人集落でした。私は転校生でしたので両方の地域で友人がいました。

 朝鮮人集落のご両親は共働き家庭。母親は在宅せず、アパートの鍵を子供に持たせていました。「かぎっ子」という言葉を初めて知りました。うちの母も土地らの地域の子供も差別せず、おやつを出していました。重信家も健全な過程であったと思いますね。

子云う高3年生の時は「小さな親切運動」を夏休み返上で懸命にボランティアをしているところを新聞に取材され、記事になっていたそうです。

「このころの房子の活動は、あくまでもけなげな正義感からホームルームでリーダーシップをとるという範囲でしかなかった。外へ向かって行動し、発言しても、だれひとり傷つけるわけでもなく、自分も傷つかず、大人たちからも好意を持たれ、優等生のお嬢さんが、勉強と両立できる健全な活動の範囲だった。

 こんな生徒はどのクラスにもひとりはいたはずだ。こうしたかつどうがのちの「国際テロリスト」の萌芽と見ることは誰にもできないだろう。むしろ、戦後の民主教育が理想とした、貧しさに負けず、いわれなき差別に挑み、真っすぐ明るく頑張る女学生の姿そのものではないだろうか。」(P47[戦後民主主義の申し子」

 重信房子さんは1964年の高校を卒業し、キッコーマン醤油に入社されました。そして翌年「教師になりたい」夢をかなえる目的で1965年明治大学2部(夜間)文学部に入学されました。

 昼間は会社勤務。夕方は夜間の大学生。いろんな職種の学生がいて刺激になったようです。その後1960年代後半のうねりのような社会運動が世界的に先進国で起きましたが、サークル活動や自治会活動、社会運動の大波が到達してきて重信房子さんも影響を受けて、思想信条も変化して行きました。
重信房子がいた時代3_NEW
 1965年の日韓闘争、学費値上げ反対闘争、1966年の各大学での全共闘運動やベトナム反戦闘争、1967年、1968年頃には、社学同(ブント系)の運動に影響されていきました。

「集会やデモに房子は参加していた。しかし房子は表には立たず、つねに「救対」であった。応急処置をする包帯や赤チンの入った救急箱を手にして、セクトを超えて救援に(救護)対策にはしりまわっていたのである。デモの後ろにいて、傷ついた学生や労働者を手当てする。それは明治の学内や関係者に限らなかった。」(「救対の重信」P86)

 また闘争は思い付きで始まる。「1968年6月21日で社学同の委員長のMがパリのカルチェラタンのようなものだ。やれるのはやはり明治だろう。中央では社学同集会やって呼応させるから」

 明治大学の学館から長い机を運び出し、御茶ノ水駅から駿河台へ通じる明大と売りに並べてバリケードを築こうというのだ。車の往来の激しいそのとうりの真ん中に机を置くのだ。

 中略

 またたく間に開放空間が出来上がりました。早速「解放区」「反安保・反戦の砦。神田カルチェラタン解放中」などの立看板を御茶ノ水近くの道真ん中に立てました。」(神田カルチェラタン P104)

 記述されている文字をなぞっていても楽しい。ほんのわずかな時間でも「解放区」が出来たことが楽しいです。社会運動や闘争は明るく他の良くないといけない。

油井さんはこう記述しています。「房子が熱い思いで振り返った神田カルチェラタン闘争。社学同が掲げ、現思研がリードし、市民を巻き込んだ、この戦いの熱気はいったいなんだったろうか。あの時代の闘争の1つだったのだろうか、それともまぼろしだったのか。あの時代に、あのキャンパスにいた一人として、私は、遠い日の物語であり,やはりまぼろしだったのだとしか思えない。」(P104)

 幻であれ何であれ、「解放区」を日本で大学構内ではなく、神田の路上で体験したことは羨ましいです。そういう体験を私はしたかったです。後にも先にもそういう「解放区」は日本史ではなかったと思います。

また重信房子さんの父親の重信末夫さんは、青年時代血盟団の筋金入りの右翼青年でした。1967年の羽田闘争の顛末を家族に熱く語る房子さんに末夫さんはこう言われたとか。

「房子本気で革命をやるなら、あのようにやってはいかん」

 中略

「本気で革命をやるなら、まず民心を重んじなければならぬ。民族の心を知らぬ者が世界革命を唱えても、それはコスモポリタンにすぎぬ。
 井上日召は1人1殺主義と言われているが、そうではなく、1殺多生は1人ではできぬ。」(「父よ娘の革命」P113)

「革命とは死ぬことを見つけたり」と思っているんだ。革命の途中で死ぬのはやむをえない。同志の死は革命の捨て石ですよ。捨て石がなければ革命なんかできないのいだから。
 
一般市民の死、負傷はやむをえないことである。革命をやる以上犠牲者はでるのはしかたがない。

 ただし、内ゲバをやるような下衆な根性では革命が出来るのか。出来や市内四・そんなもの」と吐き捨てている。」(PO1269

 やはり本物の革命戦士には、内ゲバは堕落であり、排すべきものであるという真摯な心意気があります。本物ですね。

 大学では1969年は全共闘運動が退潮し、学生運動が変質し始めた時期だったようです。油井さんによりますと重信房子さんは、キッコーマンは1年半ぐらいで活動と両立は難しいということで退社されましたが、サークルに活動、学生運動、アルバイトの多忙な日々でありながら大学は4年で卒業、しかも教職課程も取得していました。更に政経学部3年に学士入学しています。それは専従のプロのセクトの活動家ではないと大学当局が判断したからでしょうと油井さんは記述しています。

 教師になりたかった重信房子さんですが、取り巻く状況はそれを許さないようになっていったようです。1969年に全共闘運動の衰退もあり、ブントのなかで「武装闘争」を主張する関西派が台頭し赤軍派を結成します。

 1969年11月に武装訓練をすると大菩薩峠の福ちゃん荘に集結していた赤軍派主力部隊50数名が全員逮捕されました。

 1970年3月に田宮など9人の赤軍派がよど号をハイジャックし北朝鮮に飛びました。本当の目的はキューバでしたが北朝鮮は寄り道でした。「俺たちは明日のジョーになる」という漫画的な事件でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-647d.html
(個人ブログ「われわれは明日のジョーである」2009年5月4日)

 1971年2月に赤軍派の1部と毛沢東主義者の京浜安保共闘が合体した連合赤軍があさま山荘事件を引き起こし、無残な仲間殺しが露呈されました。重信房子さんと明大二部文学部で親友だった遠山美枝子さんは惨殺されました。

 重信房子さんは1971年3月に中東のベイルートに到着されていました。


WIKIPEDIAで検索しますと「日本赤軍」の活動履歴が出てきます。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%8D%E6%84%9F%E3%81%A8%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E5%85%88%E7%B4%B0%E3%82%8A

 記述は不確かな部分もありますが、「活動年表」的なものがないと、なにせ50年から40年前の出来事なので、こちらも記憶が定かではないので、事実誤認は避けたいので、検索してみました。

 1969年頃からノンセクトの広範な社会運動(全共闘運動)が退潮傾向になり、70年安保闘争はセクト主導になりつつありました、革共同中核派、革マル派、社青同解放派、ブント(共産主義者同盟)は分裂し、戦旗派、叛旗派、ML派、赤軍派などに分れつしていきました。

 記憶が正しければ赤軍派は「前段階武装論」とか「国際根拠地論」にもとづいた武装闘争優先の党派でした。ですが主力部隊と幹部の大半が1969年の大菩薩峠のふくちゃん荘の合宿所で逮捕されました。

 1970年の「残党の」田宮ら9人がよど号をハイジャックして北朝鮮経由でキューバへ行く予定でした。「国際根拠地論」に戻付いて行動であったgと思います。

 国内に残された赤軍派の中堅幹部の森恒夫は、思想信条の全く異なる毛沢東主義者集団の京浜安保共闘と結託し、連合赤軍を結成し、「国内山岳アジト」で、日本国内での武装闘争を仕掛けようといしていました。

 最高幹部絶対主義と些細な主張の違いを許さず「総括」と称して、仲間にリンチを加え殺害する行為を繰り返していきました。「神田カルチェラタン」のおおらかさなどみじんもない、息苦しい閉ざされた閉鎖組織になってしましました。重信房子さんの明大時代同じサークルで親友だった遠山美枝子さんはそのなかで惨殺されました。

 1971年3月に重信房子さんたちは「国際根拠地」を求めて少数の仲間たちと中東ベイルートに居ました。1970年代は、ハイジャックや武装闘争など「日本赤軍」は活動を激化させた時代がありました。

 何故アラブなのかは油井さんも含め文研や明治大学の仲間たちもさっぱりわかりませんでした。その理由を油井さんはこう書かれていました。

「なぜが、少しずつわかるようになったのは、04年の房子の公判を通じてだ。房子は、1月27日の第40回公判で述べている。

「(よど号事件に関連して)逮捕されて出てきた後、実際には、もう自分にやれることは余りないな、やめようかなということで、迷惑ばかりかけて力になれないから、もう1回学校へ戻ろうかと思ったんですけど、もっとひどいというか、誰もいなくなってる状態でだったんで、ぜひ国際部を引き受けてほしいと、国際部のキャップに言われまして、それを手伝うという形で協力しましyた。」(P147「国際根拠地づくり」)

 中略

「そしてなぜアラブだったのかと弁護人に重ねて問われて、房子はベトナムと比較して答える。ベトナムは陣地もあり。国家という後ろ盾もある戦いであり、義勇兵として参加を希望したものに対しては、自国の帝国主義と闘ってくださいという立場をとっていて、それは1国の革命解放で完結していく戦いであった。

 しかしパレスティナ問題というのは知れば知るほどい、世界革命なしでは解決できない。で、世界党、世界赤軍、世界革命戦線というように主張してきた赤軍としては、まさにパレスティナの戦場を戦いの根拠として、世界は新しくうまれかわるんではないかと、そういう非常に大きなインパクトを持ったイメージに受け止めました。」(P149)

 結果的に赤軍派の「国際根拠地論」を「まがりなりにも」「見える化」できたのは、重信房子さんが国際部をしぶしぶ引き受けたからであったと思います。

 「あとがき」で重信房子さんはこう述べています。

「読みながら思いました。面会でもそうだけど、40年の断絶を経て会う旧友たちとは一瞬にして時間を飛び越えてしまいます。何10年経っても人と人との関係の在り方は変わらないな、と。

 姉からみたらわたしはいつも妹であり、大学時代の仲間からすれば、私は世話好きの女学生の枠を出ていません。上級生から見れば、ひたむきなあぶなっかしい下級生であり、下級生だった旧友かられば、楽しくくっついて行ったら、とんでもない目に遭わせた先輩です。

 「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」などといって、「土曜会」をつくって、この10年、わたしを支えてくれています。未来やこれからを語るときは一緒に並んでいるのイに、過去も今も関係性は、そのままです。それが居心地がよくて超えられないし、また超えるきもないのですけれど。」(あとがき P234)

 1974年に主パンした本の前書きで重信房子さんはこう書かれていました。
「普通に生きている女の子が、妥協しないで自分に忠実に正しいと思ったことを追いかけてきたらここ(アラブ)に来た。
 自分に忠実である事であることが”青春”なら、”青春”とは権力者に言わせれば”犯罪”のことになったしまう。

 死ぬまで”青春”を堅持する私は、だから”犯罪者”だ。死ぬまで”革命”を堅持する私の意思は、”犯罪”なのだ。」

 読後感は「爽やか」でした。世話好きな女の子が、精一杯奮闘しているうちに、国際根拠地づくりでアラブの地へ行っていたという実話ですね。活動家時代も殆どが裏方であり「救対の重信」でした。セクトの上層部や幹部が誰もいなくなり、自分が引き受けてセクトの「国際根拠地」づくりを実際にアラブの地で「見える化」しました。

 実際にはテロ行為やハイジャックなどの罪を問われ、懲役20年の実刑を受け、2022年5月28日に出所されています。

 素晴らしいのはかつての学生時代のお仲間たちが「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたこいですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。


 本を貸していただき送付までしていただきました梅原孝司さんに御礼を申し上げます。高校生時代から52年間鬱鬱グズグズ考えてきた「連合赤軍と内ゲバの克服する処方箋」が、ようやく「見つかった」きがします。ありがとうございました。

 また筆者の油井りょう子さんにもお礼を申し上げます。わたしは外周にいた渦の外側で悪影響を受けた1人ですが52年間悩んできました。「土曜会」の皆さんのように明るく、言いたいことを言えるような仲間が大事である。家族も地域社会も大事であると思います。

| | コメント (0)

2024.05.03

77年目の憲法記念日

afc1044b

 5月3日は「憲法記念日」です。「1946年11月3日に公布された日本国憲法が1947年5月3日に施行されたことを記念して、1948年に公布・施行された祝日法によって制定された。」 ウィキペディアより。

 最近ごく一部の政治勢力が「憲法改正」「「憲法9条改正」を言い立てています。今すぐにすべきことなんでしょうか?政権政党の自民党の1部に改憲論者が存在すること自体がおかしいことではないのか。
9zixyou_2kou
 そもそも日本国憲法第9条は、自民党のご先祖の保守政治家幣原喜重郎氏の発案です。日本国統治の最高権力者のマッカーサー元帥は「腰を抜かした。」と言われています。第九条は長年、GHQから押しつけられたものという「俗説」が広まってきました。しかし、憲法九条を提案したのは日本政府の最重要人物でした。その名は、時の首相・幣原喜重郎――。幣原が九条の提案者でありました。

 左翼政党の共産党や旧社会党が「考案」したものではありません。日本国憲法公布当時の共産党は、9条に反対してましたから。今では「護憲勢力」と標榜していますから変化するものです。

 憲法9条のおかげもあって「自衛隊は1人の外国人兵士を殺害せず、1人の自衛官も戦闘で命を落としませんでした。それは「恥ずべきものではなく、世界に誇るべきことです。」日本の自衛隊は「人助けをする組織」であり、「人殺しの国際活動」はしませんでした。素晴らしいことです。
9be8a86f
 また私見ですが「憲法9条」と「憲法第1条の天皇」とは相互リンクしています。戦前は天皇は陸海軍を統率する存在でした。ドイツ帝国を真似たもので、本来鵜の天皇の姿ではありませんでした。日本国憲法では「国民の象徴」となり、明仁天皇は災害地の国民の慰問と、戦没者の慰霊を国内外で行ってきました。象徴天皇のあるべき姿を体現されました。それは現在の天皇家にも継承されています。真摯に被災地を訪問され、国民と真摯に向かい合う姿は、多数の国民に支持されています。
sensousionaihon26de677f
 自民党の軽薄としか言えない改憲論には辟易する。大規模災害が起きると「緊急事態法の制定で憲法改正」と言い立てる。1月1日の能登半島地震から4か月経過するのに未だに市街地の倒壊した家屋の解体は進展していない。国民の命と生活を守れない連中が改憲論などおかしい。

 ロシアとウクライナは戦争していますが、欧州はイタリア以外は地震も噴火も津波もない。戦争や内乱、クーデターが「災害」ですから。日本は世界の災害大国。世界の大地震の20%が日本で起きている。世界の活火山410のうち110は日本にあります。地震津波、噴火があり、台風や大雨災害は毎年あります。「戦争」などやっている暇はない。政権政党ならそのあたりはわかるはず。
日米地位協定
 アメリカ追随の軍拡など辞めるべき。災害対策で積み重ねてノウハウで「人助けの国際貢献」をすべきです。国連でも平和外交を主張してほしい。自民党が本気でないのなら、政権交代しかあるまりまん。kenchan - コピー

| | コメント (0)

2022.08.29

統一教会と自民党清和会

自民党と統一教会の関係性_NEW
 ざっくり言うと「統一教会の」原理は以下のようになりますね。


 


 統一教会教典「韓半島(韓国)は男で言えば生殖器」「島国(日本)は女性の陰部」「日本は夫である韓国に捧げなければならない」


 


 統一教会教義「日本は「サタンの国」である」「贖罪として「金のなる木」の役割を担い、韓国に全てを捧げるべき」「日本を韓国の植民地にする」「天皇を文鮮明にひれ伏させる」


 


 統一教会、日本から韓国への送金額は年間550億~600億 元牧師「韓国は『父の国』日本は『母の国』、母の国の日本が全世界を養っていかなければならない」


 


 統一教会は韓国の反日団体。しかも日本人信徒から収奪し、その資金を韓国の本部へ送金している。


 


「天皇を土下座させる」などと公言しています。


 


 愛国者を標榜し、「自虐歴史観からの脱却」「戦後レジームからの脱却」「憲法改正して普通の国になれ」と主張している自称愛国主義の人達は、統一教会の教理や教えをちゃんと知っているのでしょうか?


 


 


 愛国者を標榜し、嫌韓反中国の人達であると思っていましたが、自民党清和会と反日団体である統一協会の連携は正直訳が分からない。統一教会の思想原理はネットで調べるとすぐにわかります。


 


 
 天皇陛下を侮蔑している反日団体と何故自民党清和会が親しいのか、清和会はきちんと説明していただきたい。福田達男前総務会長は「何が問題なのか全然わからない。何を騒いでいるのかわからない。」と言われていました。


 


 日本経済新聞には問題のある団体 自民関係断絶へ」と記事にありますが、今までの自民党議員の発言(特に清和会所属の議員の発言)を聞く限り、それは不可能ではないだろうか?


 


 


 私の「一般常識」では、右翼は「反米愛国」と思っていましたが、いまや「親米愛国」らしい。しかも「反日団体・統一教会」と連携していることで、訳が分からないです。
右翼雑誌の広告_NEW
 右翼系雑誌の広告記事でも「反日団体の統一教会」との関係についてはまるで発言していません。


 


 


 国政政党自民党は、統一教会と「縁切り」ができるのでしょうか?

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

07高知県知事選挙 08syugin_ 1票の格差是正で地方は消滅 2008年衆議院選挙関連 2009年衆議院選挙関係 2012年衆議院選挙関係 2012年車椅子で行く高知の観光施設 2013年参議院選挙関係 2014年東京都知事選挙 2015年雨漏り修繕工事 2015雨漏り・外壁補修工事 2016サッカーW杯アジア最終予選 2016年参議院選挙 2016年首都圏遠征 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会議員選挙 2022年沖縄県知事選挙 2023年二葉町総合防災訓練 2023年東京見聞録 2023年高知市長選挙 2024二葉町自主防災会事業計画 2024健康診断 2024年の総括 2024年は猛暑? 2024年アメリカ大統領選挙 2024年二葉町総合防災訓練 2024年東京都知事選挙の話 2024年米国大統領選挙 2024年総合防災訓練 2024年防災キャンプの中止 2024種議員選挙 2024総合防災訓練 2024能登半島災害 2024自民党総裁選挙 2024衆議院選挙の予想 2024防災訓練参加者分析 2024韓国の戒厳令 2025下知文化展 2025仁淀川町防災キャンプ 2025参議院選挙 2025大阪万博 2025年スタート 2025自民党総裁選挙 2026仁淀川町防災キャンプ 3・11ミニ慰霊祭 50年続くサークル同窓会 70sai 70歳代の大人の遠足・同窓会 80年目の沖縄終戦記念日 81年目の沖縄終戦記念日 AIが作る未来 AI作成の迷惑メール? AI失業の現実 AI立地も攻撃対象 AI覇権は電力確保次第 AU BEC詐欺 blogによる自由民権運動 blogの伝道師・blogの鬼 BMI22 bousai_ DMATの役割の変化 DUKE50年記念コンサート EV自動車 EV車の普及 EV車の未来は? EV車は普及しない EV車は環境に負荷 Eコマース・スキルアップ講座 G2の時代 JICA下知地区研修 koutikengikaigin monnbasu2024 NHKラジオ深夜便 NHK南海地震対策特集番組 NHK高知放送局 NPO法人高知減災ネットワーク会議 SNS禁止法案 SOSカード SUP体験日誌 U23優勝2024年 USAIDの閉鎖の暴挙 W杯カタール大会2022 W杯優勝の壁は厚い W杯日本VSオランダ W杯日本VSチェニジア W杯日本VSブラジル W杯2026 W杯2026年はスペインが優勝 W杯2026開幕式典・開幕戦 W杯3位決定戦 W11の不都合 あんぱんのロケ地 あんぱん-戦争編の重苦しさ いの町水害・土砂ハザードマップ おかしな台風進路 おくだけトイレ おんぶらっく おんぶらっく大人用 お花見遊覧船 お菓子の国際化 けんちゃんの今すぐ実行まちづくり けんちゃん1人weblog たわいもない爺さんの会話 つまらない大阪梅田再開発 なでしこジャパン はりまや橋サロン ふるさと住民登録制度 まちづくり まちづくり条例見守り委員会 むなしさの味わい方 やなせさんの功績 やなせたかしさんの功績大 やなせたかしさんの文学的影響力 やなせたかしさん・著作 やなせたかしさん高知での実績z よさこい祭り アナフィラキシーショック アニメ・コミック アマノ製無人駐車場精算機の故障 アメリカの世紀の終焉 アメリカ帝国の没落 アメリカ経済の破綻と大不況 アリーナの乱立 アンパンマンミュージアムと詩とメルヘン館 イスラエルVSイラン戦争 イスラエルによるガザ侵略 イラク派兵問題 イランの歴史・社会を正しく知ろう イラン戦争の悪影響 インドネシアのアニメ産業の発展 インド映画 ウェブログ・ココログ関連 エアーバック式担架 エアーボート 救命艇 エチレンの供給不安 エチレンの重要性 エンタメ産業の育成強化策 オアシス再結成 オランダの水上住宅 オールドサッカーファン オール沖縄の強み カオスになった日本の政治 カタールW杯2022年 カップヌードル。ミュージアム カップヌードルを完全食品に カップヌードルミュージアム カツオ不足の影響 カラー・ユニバーサルデザイン カンボジアはIT先進国 キャタピラ台車 キング・オブ・ポップのマイケル クラウドとAIの弊害 グダグダ政治のG7国 ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ コミュニュケーション能力 コロナ感染症療養体験 ゴミの不法投棄対策 ゴーヤ栽培日誌 サイエンスカフェ サイバー対策で取引先選別 サイバー攻撃対策 サッカー サッカーW杯 サッカーW杯2026 サッカー日本の躍進 サッカー観戦日誌 サッチャー2世の運命 サポート詐欺 サンリオピューロランド サーチャージ制の導入 シニア・ヨットクラブ シニア世代の労働力 シネマネコ スターリンク スフィアの現実化 スフィア基準 スポーツ スポーツのありかた スマホのビジネス活用 スマホの機種変更 スマホへの依存は危険 スマホ活用防災講座 スマホ活用防災講座2025 スマホ防災講座2024 スマホDEリレー スマホSOSシステム スランプ タウンモビリティ・ステーションふくねこ タモリステーション南海トラフ地震 ダイエット宣言 ダブルスタンダード チベット問題 チョ・ホンリさんの被災地支援 テクノ封建制 デジタル全体主義 データセンターは攻撃対象に トカラ列島群発地震 トラック物流問題 トランプ・リスク トランプ・高市大不況 トランプ関税 トランプ関税の弊害 トランプ関税への各国の対応 トンボ自然公園 ドン・キホーテ出店問題 ドン・キホーテ高知店の開店 ナフサ不足 ナフサ不足による経済危機 ナフサ不足の不安 ナフサ不足危機への対応 ナフサ危機下の企業経営 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス バランス感覚 バリヤアリー住宅 バリヤフリー パソコンの臨終とコピー作業 パソコン・インターネット パリ五輪2024 ヒューマンネットワーク ビートルズ世代 ピアフロート(浮力体) ピースウィンズ・ジャパン ファクトチェック フードバンク ブレイディ・みかこ著作 プレゼンの方法 ホームページによる交流 ボブディランの社会性 マイナーな減災・防災活動から見えるもの マルクス・リバイバル マルクス・リバイバル2 マンション自主防災会の訓練 メガネのテスト走行 メディアリテラシー モバイルバッテリー ヤッシー西開口口テトラ投入問題 ヨットと人生 ヨットは脳幹トレーニングに最適 ヨット関係 ヨット40年目 ヨット40年目の感想 リハビリ・ウォーキング レッド・ツェッペリン レトルト玄米長期保存食 ロシアのウクライナ軍事侵攻問題 ロック音楽の元祖 ロック音楽の大御所 ロボット100億台の時代 ロープワーク ロープワーク2025 三好市との交流事業 下知CCでの市の避難所開設訓練 下知コミュニティセンター防災部会 下知コミュニュティセンター総会・懇親会 下知中小零細企業BCP研究会 下知交番だより 下知交番との地域での協働 下知地区事前復興まちづくり計画研究会 下知地区減災連絡会 下知地区防災計画 下知地区防災計画は事前復興まちづくり計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域の交流事業 下知地域内連携協議会 下知文化展・コンサート 下知法人会 下知減災・弥右衛門部会 下知減災女性部会 下知減災弥右衛門部会 下知町内会連合会 下知防災紙芝居 不当要求防止責任者講習 不燃物・資源仕分けステーション 世代の分類 世界1のBCP 世界1の自動車大国・中国 両下肢蜂巣炎 両親の供養 両親の墓参り 両親の逝去とW杯 中国はデフレ経済 中国四川大地震 中国製造業の躍進 中土佐町との交流事業 中央アジア5か国の旅 中宝永町防災キャンプ 中宝永町防災キャンプ2025 中道の意味を調べる 中道改革連合 事前復興まちづくり計画 事前復興まちづくり計画2026 事前復興・防災講演会 事前減災対策としてのインフラ整備 事前災害対策ランキング 事業所部会 事業継続力強化計画 事業継続力強化計画支援セミナー 事業継続力強化計画策定支援セミナー 二拠点居住 二葉町ゆかりの巨匠 二葉町ゴミ問題 二葉町不燃物・資源ステーション 二葉町町内会お花見慰安会 二葉町町内会の動き 二葉町町内会・防虫噴霧 二葉町町内会全世帯配布 二葉町町内会防虫・清掃日 二葉町町内会防虫・清掃活動 二葉町総合防災訓練2020年 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町総合防災訓練2021年 二葉町総合防災訓練2022年 二葉町総合防災訓練2023年 二葉町自主防災会 二葉町防災マップ 二葉町防災世帯調査 二葉町防災新聞3月号 二葉町防虫・ごみ拾い 二葉町2025年活動報告 五台山・市民農園 井原勝介さん講演会 交通事故防止対策 人助けの国際貢献 人助けの国際貢献を! 人口ピラミッド 人口減社会 人新世の黙示禄 人殺し兵器の輸出 人繋がりネットワーク 人間の体は不思議です。 仁淀川整備計画変更説明会 仁淀川町と二葉町との交流 仁淀川町への広域避難訓練 仁淀川町への疎開(広域避難訓練)が全国放映に 仁淀川町防災キャンプ 仁淀川町防災キャンプの報道 仁淀川町防災キャンプ2025 今治市防災士会・連合自治防災部会との交流会 今野清喜さん講演会 今風WEB環境 介護に関する入門講座 介護研修講座2024 仙波敏郎さん講演会 令和熊本地震 令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式 企業BCP 企業の社会貢献 企業版ふるさと納税 企業BCPの策定 伊野町問題 伝える力の大切さ 低レベルの日本のIT産業 低温火傷 住宅着工戸数・空き家の戸数 体力ドックはよい仕組み」 体成分測定 体調不良の原因 何でも言える同窓会は宝物 価値観の違いを道める多様性の必要 保護貿易時代の経済 個人ブログの意義目的 偉大な日本人・中村哲さんお映画 健康・体の問題 健康問題 健康寿命の伸長 健康寿命を延ばす 健康維持には散歩が1番 傷害のある方との協働 優良運転者50年 先の読めない石油危機 先祖供養 先祖供養の重要さと困難さ 先端的な北朝鮮WEB工作員 先駆者の逝去 入野敏郎さんみかん園 公共交通問題 公共社会インフラの維持管理 公共財のありかた 公共避難所の食料備蓄 公明党の連立離脱 共感経済の概念 共謀罪反対運動 兵庫県立大学青田良介先生 内弁慶無能な内閣 内臓脂肪レベルの低下は目標 内閣府地区防災フォーラム2016年仙台 内閣府地区防災計画 分譲マンション建て替え問題 前田康博さん講演会 加山雄三さんは凄い 半身社会のすすめ 南海トラフ地震新想定2025 南海トラフ地震特集番組」 南海トラフ地震臨時情報 南海トラフ巨大地震新想定 南海トラフ巨大地震注意 南海トラフ巨大地震臨時情報・注意 南海地震対策 南海地震特別税 危機意識・リスクマネジメント 危険な大型雑貨店 原子力政策 原爆慰霊の日 原発と核のゴミ処理場アンケート 原発の廃炉問題 原発の新設 原発災害 厳しい自治体の現状 参政党躍進の原因分析 友人の必要性とつくりかた 双極性障害 双極性障害について 双極症 双極症について 反ファシズム運動 反米から親米への転換策 叔母・車椅子来高・2014・10・18 受援力」(支援を受ける力) 口腔ケア 古家の解体 台湾と中国の関係性 台湾は防災対策の先進国 台湾問題 台湾有事 台湾気象庁の来訪 台風・大雨対策 台風・大雨情報 台風対策 右手薬指の裂傷 右手薬指の裂傷の完治 司馬遼太郎氏の帝国主義論 各種免許の更新 吉本隆明氏・追悼文 吉正の7回忌 名取市閖上地区との交流 名古屋大学室井研二准教授 名物店イトエの消滅は悲しい 向こう3軒・両隣 品川正治さん講演会関係 嚥下障害改善食 四国巡回 国家情報局とは? 国政問題 国民政党自民党の終焉 国語力・読解力の向上 国際問題 土佐電鉄ーごめん・なはり線 土葬・火葬の共存 在宅介護と仕事 在日外国人との共生 地区防災計画学会・高知大会2018年 地域のレジェンドを偲ぶ会 地域コミュニュティの再生 地域コミュニュティの力 地域コミュニュティの重要性 地域コミュニュティ紙閖上だより 地域警察との連携 地方の公共交通 地方紙の衰退を憂う 地震保険 坂本竜馬像88年目 坂本茂雄さん県政かわら版 坂本茂雄さん県政瓦版 坂本茂雄・県政かわら版 坂本茂雄県議県政かわら版 坂本龍馬像建立運動 城東中吹奏楽部演奏会 基礎杭の破壊による倒壊現象 堀川浮桟橋の修繕を 堀川浮桟橋の滑り止め対策 報道関係 変わるアジアのサッカー勢力図 夏休みラジオ体操 外国人との共生社会の実現 外国人との明るい共生社会 外国人の活用策 夜須沖からの津波避難 夜須町関係 大の字泳法 大天才・藤子不二雄Fさん 大学問題 大成功2025仁淀川町防災キャンプ 大相撲の魅力 大都市部の不思議な慣習 大阪万博問題 大阪北部地震2018 天安門事件から35年 天才手塚治虫の人生 天木直人さん講演会関係 天皇制を考える 天皇家と靖国神社 天皇皇后両陛下のモンゴル訪問2025 失われた30年の原因 女性リーダーの在り方 女性部会の必要性 好調なイタリア経済 好調な東アジア経済圏 子どもにはスマホ禁止 学生運動・社会運動の特典 宇田川知人さん出演番組 安田純平さんを高知へ招く会関係 安芸市合同防災研修会 安芸市防災連合会との合同 安野光雅の世界 安青錦の活躍は励みです 室井研二さん著作本 宮沢和史コンサート 家庭用放射線測定器 富裕層向けのホテル 対立しない合意形成とは? 対面高速道の恐怖 少子化問題 岡本正さん著作集 岡本正弁護士著作物 岡村正弁護士講演会 岡村眞先生・講演会 岡村眞先生講演会 岡村眞先生講演会・江ノ口 岡村眞先生講演会・2025 岡林信康コンサート 岩手日報の震災特集記事 岸田文雄首相の退陣宣言2024 島本茂雄さん・中平崇士さん出演 左派リベラル票の行方 左翼の衰退はなぜ? 左翼政党の衰退 左翼政党の退潮 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 差し込み型移転 差別をなくす方法手段は? 市民参加のありかた 市職員による避難訓練 帯状疱疹 平和を堅持する天皇家 平和・反核・護憲の社会運動 平和問題 平和大使としての天皇家 平成天皇を称えます 平成28年度下知地区防災計画 年に1度の健康診断 年寄りは成り行きは駄目 年末年始のごみ対策 年総合防災訓練 年賀状終いについて 広域地域間交流 広域疎開場所確保への執念 広域避難マニュアル 広域避難訓練 広域避難関連記事 広域避難(疎開)の意味 広報下知交番 広報下知減災 広報下知減災36号 広島への原爆投下から80年 広島平和記念式典 廃校後の活用法 建築物 弥右衛門公園は防災機能公園? 弥右衛門公園防災フェア2025 彼は早稲田で死んだ 従業員下安全と健康が第1 復旧・復興の困難さ 復興まちづくり訓練 徳島県総合防災訓練2024 徳島県美波町との交流 心の整理はつかない 心の病について 心身のリラックス 心身の体調の維持 快適な避難所生活 性加害問題 怪人渡辺恒雄氏の逝去 恵比寿堂は3つの神様が同居 悩ましい台湾問題 悪路走行可能な台車 情報戦の重要性 感染症対策 憲法問題 憲法記念日 戦争を知らない子供たちへの映画会」 戦争法案反対運動 戦争災害 戦後80年談話 戦没者追悼式 戸籍年齢・身体年齢・精神年齢 手結福島・南地区自主防災会 折りたたみ式ベット 折りたたみ式ベットとエアーベット 折りたたみ式ベットの効用 折りたたみ式ベット7台設置 排泄ケア(排尿・排便)の重要性 揺れ対策 損保会社の対応 損保保険を災害対策に活用 携帯・デジカメ 摂食嚥下障害 政府のやってる感の演出 政治と金の問題 政治のありかた 政治も三流、経済も3流 政治評論 政治資金の裏表 政治資金問題 故井内市長との意見交換2023年 救命船南風 救命艇南風の存続問題 敗戦80年を思う 教え子を戦場に送るな!! 教育問題 散歩の効果絶大 散歩の効用 文藝春秋6月号 新しいメディアの創出 新しい生活習慣(その2) 新たな地域コミュニュティの形 新アメリカ帝国主義 新下知ポンプ場 新下知ポンプ場見学会 新型インフルエンザ対策 新型コロナウィルス対策 新堀川市民大学 新堀川生態系保護問題 新左翼・過激派全書 新帝国主義の時代到来? 施設管理者の災害対応 日中関係の修復が第1 日本VSスウェーデン戦 日本の大企業の凋落 日本の政治は面白くない 日本の政治もカオスに 日本の裁判官 日本は交易国家 日本共産党 日本国憲法の再評価 日本国憲法の重要性 日本版GPS活用で道路補修 日本経済新聞の経済批評 日本経済新聞・コラム 日本経済30年停滞の原因 日本1の防災先進地・黒潮町 日清食品・完全メシ 日米地位協定の改定 日米地位協定の改定が必要 日誌風の感想 日銀・新紙幣発行の意義目的は? 日韓友好の碑 日韓親善 映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」 映画「マイケル」の凄さ 映画「六ヶ所村ラプソディー」 映画「宝島」のパワー 映画「戦雲(いくさふむ)」 映画スープとイデオロギー 映画ボレロ永遠の旋律 映画・テレビ 映画・福田村事件 映画館復活と街づくり 春子ロス 昭和南海地震80年目 昭和南海地震の記録 昭和南海地震79年目 昭和小学校・防災じゅぎう 昭和小学校防災学習 昭和小津波避難ビル巡り 昭和小津波避難ビル巡り2025 昭和小運動会 昭和小防災オープンディ 昭和小防災学習 昭和小5年生のプレゼン 昭和防災フェア 暑熱順化 暑熱順化2025 暴力追放運動 書籍・雑誌 有償ボランティアの効用 有機農業の支援 朝鮮半島問題 木製歩道のメンテ 木質バイオマス地域循環システム 村上肇さんWEBセミナー 村上肇氏BtoBセミナー 東京五輪・パラリンピック2021 東京五輪・パラ五輪の在り方 東京練馬区の先進性 東京近辺見聞録2013年 東京近辺見聞録2014年(1) 東京近辺見聞録2015年 東京近郊見聞録2010 東京近郊見聞録2011年 東京近郊見聞録2012年 東北被災地ツアー2015年 東北被災地交流ツアー2005 東日本大震災の被災者の皆様との交流事業 東洋町サポーターズクラブ 核融合発電 格安テレビの購入 桜の開花はエポキシ塗料の硬化剤の見極めに季節 極右政権のおぞましさ 極右政権はNG 横浜市の風景 横紋筋融解症 橋本大二郎さん出演番組 橋本県政16年の検証 橋本県政16年の総括 橋本笙子さん講演会 正院町の実践に学ぶ 歩いて見る高知市 歯のメンテナンス 歯の健康維持 歴史の宝庫新堀川 歴史問題 死生観・終末観 母ショートスティ 母・デイケア 母・春子の供養 母・春子の健康情報 母・春子の在宅介護日誌 母・春子3回忌 母・毛山病院入院2017 母・西村春子介護日誌 母入院・細木病院 母入院2022年 母春子の供養 母春子の逝去 母春子の1周忌 母春子を支援いただいた皆様へのお礼状 毛様体筋 気象の異常の拡大 気象の移譲には追随できない 気象庁情報の正確な伝達 気骨の自民党議員・村上誠一郎さん 水上温泉は雪景色 水上温泉冬景色 水泳の効用 水道管凍結防止対策 水難救助訓練 江戸時代の日本社会の識字率 沖縄・ガザ連帯集会 沖縄ー高知の交流 沖縄基地問題 沖縄政治の独自性 沖縄県知事選2026 沖縄返還50年 沖縄返還52年目 沖縄返還53年 沢山保太郎東洋町長出演 河瀬聡一郎さん講演会 治す介護の推進 津波浸水仮想救助訓練 津波避難ビル巡り2023 津波避難施設について 浦戸湾三重防護整備 海からの高台への津波避難 海での防災対策 海の散帆 海の散帆の効用 海上都市構想 浸水地区に救命艇 浸水地区の県指定災害拠点病院 浸水対策備品 消火器の取り換え 液状化の深刻さ 深層地熱発電 温井恵美子さん講演会 温暖化と異常気象 滑る堀川浮桟橋問題 漫画文化 災害ケースマネジメント 災害ボランティアセンター 災害大国日本 災害大国日本の教訓 災害対策予算の削減 災害対策士 災害後の自宅の再建 災害時の食糧支援 災害用伝言板・災害用伝言ダイヤル 無人精算機の故障の改善 無能な高市内閣 無責任企業アマノの無人駐車場精算機の騒音で大迷惑 熱中症に気を付けて 父・いずみの病院 父・吉正の7回忌 父・日赤・ICU 父吉正の命日 爽やかな経営者 牧野富太郎さんの偉大さ 牧野富太郎と植物 犠牲者0を目指す黒潮町の地震・津波対策 猛暑とクーリングシェルター 猛暑に兆し 猛暑の中のセーリング 猛暑の中の帆走 猛暑の中の海の散帆 献血定年 献血時血液検査表 獄に暮らせばを読んで 環境問題 生活の再建 生活を再建する活動 生活習慣病予防健康診断 生活習慣病健康診断 生活習慣病健康診断2026 生涯現役の先人 産経新聞の印象操作記事 田辺浩三さん映画会(小夏の映画会) 町内会と街路灯 町内会全戸配布 町内会資源・不燃物仕分けステーション 略奪文化財の返還問題 発泡スチロール板 白内障と眼病の治療 白物家電の凋落 白紙委任はナチスの全権委任と同じだ 皇室典範の改正(改悪) 目の治療とメンテナンス 目指せYA体 県内大学防災サークル 県地産・地消課 県教職員友の会作品展 県教育委員会学校安全対策課 県東部巡回 県私立幼稚園連合会 県立大学地域学概論 県西部地域の巡回 県議会報告 真備町関係者との交流 眼鏡がいらない生活? 眼鏡による視力矯正 眼鏡の調整は難しい 石像と石碑 石油製品(包装資材・工業薬品・塗料などは爆上がり 石破VSトランプ対談 硝子体切除術 社会問題一般 社会思想問題 社会性を持たせてしゃべる 社会運動 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地域との交流 福井照 福井照さん出演番組 福祉の問題 福祉事業所との防災連携 福祉防災に学ぶ 私の腰痛 空き地が増える二葉町 空のあんちくしょう 窓ガラス飛散防止講習会 立憲君主法は合理的 立憲民主党代表選挙2014 第2回仁淀川町防災キャンプ 第2回下知地区事前復興まちづくり計画 第2回仁淀川町防災キャンプ 米中首脳会談 米国政治の異常さを嘆く 精神分析の作法 紙媒体二葉町防災新聞 紙媒体二葉町防災新聞の必要性 紙媒体二葉町防災新聞10月号 終わらないナフサ危機 終活セミナー2024 終活セミナー2025 経済・政治・国際 経済問題 経済学者の提言 統一教会問題 総合防災訓練2025 美波町自主防災会連合会 美貌と人生 老人力 老木は危険 老舗飲食店の閉店は寂しい 耐震偽装問題 耳垢栓塞の恐怖 聴覚障害者との情報共有 脂質異常症 脱水症対策 脳が疲れる。追われている 脳ドックと脳トレ 脳幹トレにヨットは最適 脳幹トレーニング 臨時情報 自民党の常識・社会の非常識 自民党の常識・社会の非常識2025 自民党の自壊現象 自民党支持者の困惑 自民党裏金問題 自然エネルギーの活用 自然地形の高台 自然災害と経営責任 自衛隊の救助訓練 至誠天に通ず 芸能・アイドル 芸術・文化 芸術鑑賞 若いアーティストの台頭 若者支援事業 苫小牧市の24時間不燃物・資源仕分けステーション 苫小牧市24時間不燃・資源ステーション 英国社会の現実 葬儀で感じたこと 蓄光塗料 藻谷浩介さん講演会 藻谷浩介氏著作 蜂に刺された 衛星ビジネス 被災者支援ソーシャルワーク研修 西山謹吾氏講演会 西日本豪雨災害・真備 西日本豪雨災害・真備町 西村吉正・春子服薬・食事情報 西村吉正・死去後の動き 西村吉正1周忌・3回忌 西森酒店閉店2025 要介護は突然に 要支援者用食材 観天望気・日常観察からの天気予報 言論の自由 訪問看護 認知症の早期発見 認知症の早期発見・早期治療 認知症啓発セミナー 認知症機能検査 認知症症候群について 認知症重度化予防実践塾 誤嚥性肺炎対策 読売新聞西日本版 読書について 読書の重要性 誰でも防災 誰も排除しない防災 講演会・研修会 講演会・講習会 警察広報 警察広報下知 豊後水道地震 象徴天皇制 貸本文化 起震車体験 超高齢化社会の厳しい現実 超高齢者の事前減災対策 趣味 路上詩人はまじさん 軍拡は誰のため 転ばぬ先の介護 輪島朝市再興とゆりあげ朝市 近江商人の先見性 通信制限の経済損失 連合赤軍と新自由主義の総括 連合赤軍と新自由主義の総括はできそう 連合赤軍と新自由主義の総括2 連立政権時代の到来 進化する学校防災教育 過脂肪体質 過脂肪症 道の駅やすのギャラリーで雛人形展 道路の段差問題 遠地津波 遠地津波への対応 適正体重の維持 避難人形の展示 避難所の改善 避難所の食事の問題 避難所運営のノウハウ 都市再開発 都市論 都知事の学歴詐称事件 酷い物忘れ 里見和彦・著「定年のデザイン」 重信房子がいた時代 重信房子さん著作本 重信房子・著作集 重信房子(週刊読書人) 野草が防災食に 量販店の防災フェア 鉄道の必要性 錆を防ぐさびのある話 鍵屋一先生下知講演会 鍵谷一先生防災講演会 長嶋茂雄さんのご逝去 長者キャンドルナイト 長者キャンドルナイト2025 長距離寝台バス 閖上だより 閖上だより21号 閖上だより22号 関係人口 関東大震災から100年 関東大震災での外国人虐殺 関東大震災後の朝鮮人虐殺事件 阪神大震災20年慰霊と交流 阪神大震災30年につどい 阪神大震災30年の集い 阪神大震災30年の集い・慰霊祭 防災の基本は生活の再建 防災キャンプの報道 防災キャンプの意義目的 防災サロン10月 防災スマホ活用講座 防災備品整理棚 防災先進地黒潮町 防災問題 防災対策 防災対策先進地黒潮町 防災専門職員の配置 防災庁の設置は必然 防災炊き出し体験訓練 防災省の設置 防災省構想 防災紙芝居 防災紙芝居プロジェクト 防災訓練の課題と希望 防虫・清掃作業 防衛問題 防錆管理士の視点 阿部晃成さん講演会 陸上自衛隊手漕ぎボート 雛人形の展示 雨合羽とリハビリウォーキング 雪道対策 零細企業の集まりが経済発展につながる 電話応対できない若者 青年団体に長寿を祝う会 靖国神社について考える 非常備蓄用ミキサー粥 面白い日経新聞のコラム 靴底消毒 韓国大統領の弾劾罷免 音楽 音楽フェスの拡大 音楽文化 音楽文化の殿堂 風邪は難病 飲料水の備蓄 養老猛司・藻谷浩介対談集 首筋の激痛対策 首筋治療用簡易ベット 高レベル廃棄物問題 高学歴のインドネシアの若者 高市内閣の経済的弊害 高市政権の危うさ 高市発言での経済損失 高市発言の波紋について 高松市1万人アリーナ開所 高校生漫画甲子園 高知でも冬用タイヤ 高知の中山間部 高知の根源・由来を考える 高知の結婚披露宴 高知の自治体の広域避難の現状 高知の製パン事情 高知の観光 高知の観光資源? 高知シティFM 高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」 高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ 高知シティFM最終収録 高知初の疎開訓練(広域避難訓練) 高知地震新聞 高知大学防災すけっと隊 高知学研究所 高知市の事前復興まちづくり計画 高知市みどり課 高知市副市長人事案件2023年 高知市地域コミュニティ推進課 高知市政問題 高知市津波SOSアプリ 高知市社会福祉協議会 高知市総合防災訓練 高知市花火大会2026 高知市長との意見交換会・資料2015年 高知市長期浸水救出計画020年 高知市防災士会連絡協議会 高知新聞・声ひろば投稿文 高知減災ネットワーク会議 高知県政ぷらっとこうち問題 高知県政問題 高知県民マニュフェスト大会 高知県物産公社構想 高知県立大学 高知県立大学との共同 高知県立大学との協働 高知県議会立候補者への公開質問状 高知県高校生津波サミット 高知県高校生津波サミット学習会 高知県高校生津波サミット2023 高知県高校生防災サミット 高知蛍プロジェクト 高知警察署下知交番 高知青年会議所70周年 高齢化加速の町内会 高齢者と運転免許 高齢者運転免許講習会 魔の合同研修会1210 鵜の目鷹の目 黒潮町の事前復興まちづくり計画 黒潮町合同研修会2025 黒潮町3町合同研修 1・17ミニ慰霊祭 120%の体力 2地域居住の推進の手引き 2拠点居住 2006年白バイ・スクールバス衝突事件 2010年参議院選挙 2014年東京・横浜出張 2014年衆議院選挙関連 2015年叔母北海道より車椅子の旅・高知 2015年県議選・市議選 2016年の決意表明 2016年熊本地震 2017年衆議院選挙 2018年沖縄県知事選挙 2021年衆議院議員選挙 2021年衆議院選挙 2022年参議院選挙 2023年参議院補欠選挙 2023年徳島・高知合区参議院補欠選挙 2023年県議選 2023年高知市議選 2023自民党政治資金疑惑 2024兵庫県知事選挙 2024年二葉町総合防災訓練 2024年東京都知事選挙 2024年総合防災訓練 2024年衆議院選挙 2024能登半島地震 2024衆議院選挙 2025仁淀川町防災キャンプ 2025南海トラフ巨大地震新想定 2025参議院選挙 2025年サッカーW杯アジア最終予選 2025年自民党総裁選挙 2025総合防災訓練 2025自民党総裁選の意義目的は? 2025重大な出来事 2026W杯はスペイン優勝 2026・3・11ミニ慰霊祭 2026下知減災連絡会総会 2026仁淀川町防災キャンプ 2026安芸市合同研修 2026年猛暑の悪影響 2026年総選挙への疑問 2026年衆議院議員選挙 2026年8・15 2026決勝トーナメント 2026浦戸湾1周ウォーキング 2026衆議院選挙 3・11ミニ慰霊祭 3丁目の夕日の世界観 30年以内起きる事故や災害 4・28沖縄デートは? 50年来の友人との会話 52年目の覚醒 53年間の悩みの克服 70歳のスタート 70歳代の人生観 79回目の原爆慰霊の日 8・15敗戦記念日 8大会連続のW杯出場 84年前の日米開戦 9・11から25年 A型RHマイナス血液型 GAFAM SUP同窓会2023年