父・いずみの病院

2024.12.01

介護研修講座 2日目

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 4日間の研修の2日目は、介護ケアの実務研修です。
22年前の当時の「2級ホームヘルパー講座」で体験したことがあります。どの程度やり方が変わったのか、腰痛にならない介助の仕方があるのだろうか。そのあたりに興味があります。


 


 昨日偶然隣になって親しくなった女性(93歳の母親を在宅介護されています)は、今日は来られないとか。なんだか心細い。でも咳が近い者同士でグループが出来、皆と親しくなりました。
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「基本的な介護の方法」と座学と実技研修が今日のテーマでした。座学で印象の残った言葉について記述します。


 


「介護の基本は、人間への理解を深めておこう」です。


 


「残存機能を理解したうえで自立支援するのが、介護も目的です。」


 


「ADLは日常生活活動」「QOLは生活の質」


 


「加齢と老化は異なる」


 


「転倒は自宅内が多い。」


 


「オーロラルケアは口腔ケアの総称」


 


「うつ病は改善する。


 


「フレイル⇒虚弱。ロコモティブシンドローム⇒運動器生涯。サルコペニア⇒筋肉減少」
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 2000年に日本では介護保険制度がスタートした。その前は家政婦や病院での付き添いさんの機能がbホームぺルパートと称していました。介護保険制度は厚生労働省の国の制度として、整備されていきました。介護福祉士や、社会福祉士やケアマネ―ジャーなどの資格が確立し、役割も確定して行きました。


 


 私が2002年に研修した「2級ホームヘルパー」から発展したようです。


 


 しかし私の両親の死去の前に救急で担ぎ込まれた高度医療病院,父は2018年に高知日赤病院、母は2022年に高知医療センターでともに「廃用症候群」になりともに要介護5になりました。父の場合は慢性腎不全の悪化で日赤で緊急透析で、危機を脱しました。そこまでは医療のおかげですが、その後すぐにリハビリ病院に転院できず、70人間ももろくにリハビリもしていただけなかったので、廃用症候群になりました。当時はインフルエンザが蔓延し、その病院も受け入れてくれませんでした。


 


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 母の場合はコロナ禍の真最中。父よりは早く転院できましたが、医療センターの一か月で廃用症候群になりました。2人とも入院前までは元気でしたのに、医療的な治療は受けられましたが、長期の入院生活で廃用症候群になるとは。


 


 医療と介護の連携がうまくいかなかった事例であると思います。なかならないものかと介護研修を受けている間に両親の終末期を思いだし、悔しくなりましたね。
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 何とかならないかと心底思います。

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2024.11.25

介護に関する入門的研修カリキュラム

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 2024年11月27日・28日、12月4日・5日の4日間は、朝9時半から午後16時30分までは、「介護の関する入門的研修カリキュラム」を受講することになりました。主催者の公益財団法人介護労働安定センターから講義内容の資料が送付されてきました。

 主に現役世代の人達が、介護業界へ入る場合の初歩口座でもあり、自宅で親の介護に臨む、人達を対象にしているし、定年退職後のセカンドライフに望む若い高齢者(60歳代前半)を対象にしているようです。

 私の場合は、71歳です。両親の在宅介護と看取りを2年前に「卒業」しました。今度は自分自身が正真正銘の「高齢者」になるので、「高齢者の分別・立ち振る舞い」などを研修するつもりで参加しました。
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 「介護の関する入門的研修カリキュラム」とありますが、なかなかどうして「初歩」とか「入門」内容からすれば、とてもレベルが高いように思います。講義も1日6時間もあり、90分授業もあり、なんだか大学時代講義のようですね。

 「錆ついた頭」の71歳のお爺さんが、耐えられるのか。正直自信はありません。

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2024.09.30

要介護は突然に

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 「要介護は突然に」「隊れてからでは迷惑」との日本経済新聞2024年9月23日号の記事には衝撃を受けました。

 記事では「高齢社会白書(2021年版)によると、介護が必要になったしゅね原因は「認知症」(18・1%)「高齢による衰弱」(13.3%「脳血管疾患(脳卒中・15・0%)「骨折・転倒」(13・0%)など突発的なものが目立つ。

 一般論で言われるのは、「健康寿命と平均寿命」です。日本人の場合、男性の健康寿命は71・19歳、平均寿命は80.21歳で要介護は9.02歳です。女性の場合は健康寿命は74・21歳で、平均寿命は86・61歳であり、要介護期間は12・4年です・平均的な数字です。
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 うちの父親の場合は、健康寿命は89歳。亡くなったのは99歳でしたので、よう会議期間は10年でした。母親の場合は認知症になったのが83歳。健康寿命は83歳です。要介護期間は97歳で亡くなりましたので、14年間でした。うち10年間は両親のダブル介護期間でした。

 自分たちも年寄りになり「老老介護」「ダブル介護」状態でした。幸い私も家内も健康で、家内も在宅介護に協力的でしたので、両親は介護人生を全う出来たと思います。自営業形態であり、職場と自宅が兼用で、かつ家内他家族も協力支援していただいだきましたのでできました。

 私等家族でより深刻な問題は、「経済的な備え」の問題です。全国の有料老人ホームの初期費用は東京では900万円台。兵庫や京都は1000万円だとか。要介護になれば、家賃を含むと1人で月額20万円から35万円程度かかります。零細企業で給与を抑えてきたので、到底年金だけでは賄えません。

 私等夫婦も「老人」になり「老後の生活」の不安に苛まれる年齢になりました。高齢者に優しくない社会に日本社会もなりつつあります。

 近づく南海トラフ地震で自宅も全壊した場合など、どうやって生存していくのかを真剣に考え中れば行けないですね。大変ですね。

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2024.05.11

父吉正の7回忌です。

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 2018年5月12日に父西村吉正は99歳の生涯を閉じました。
高知市の寺院で。私ら夫婦と息子夫婦でささやかな7回忌を行い、父の生涯を偲びます。仕事が多忙で今回も娘は戻れません。息子の嫁は生前の父を知りません。
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 父が亡くなった時は、土曜日で私は夜須の海でセーリングしていました。2018年5月12日のブログで以下のように書いていました。前日に父の病院へ行き「明日は海へ行くので夕方になるから」と言いました。父は「行ってこい」と言いました。

「2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。」
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http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat24146161/index.html(父・吉正を偲ぶ)

 ゴルフ好きの父のために(私はゴルフには全く興味のない人間)私なりに精一杯のケアはしました。介護リハビリは週に5回通所し、打ち放しゴルフ場には週に1度連れていきました。女子プロトーナメント観戦にも連れていきましたから。99歳まで生き抜いてくれました。感謝です。

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2018.05.19

父・吉正を偲ぶ


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 父が亡くなって1週間が経過しました。仏教用語では「初七日」と言うそうです。葬儀の時に僧侶に「初七日の法要」も一緒にお願いしましたが、改めて現在社会ではそうしないと無理であることが、当事者になって初めてわかりました。娘は昨夜帰りました。

 月曜は通夜、火曜は葬儀。水木金は父の「死亡届」をいの町役場町民課へだし、後に年金事務所へ行きました。法務局と税務署の手続きは来週以降です。せわしいし、役場の対応には爆発寸前です。

 従来FBやブログには「父・日赤・ICU]とか「父・いずみの」とかいう入院経過の報告や、在宅介護の様子もその都度記録のために書いていました。「初七日」でもあり、父の略歴や死因なども書いてみたいと思います。

 父の病歴と死因について

 若い時代に結核で長期の療養生活した以外は、よくお酒を飲んでいましたが、病気らしい病気はしませんでした。父は小柄でしたが元気者でした。(結核は戦前の日本では死亡率1位の国民病。亡くなる人が多い中で生きのびました。)

 10年前の2008年9月8日、89歳の時に前日に自分で車を運転して錦山CCにて1ラウンドゴルフをし、翌日昼食時に倒れ近森病院へ緊急搬送されました。脳血管障害が疑われていましたが、血管に損傷はなく原因がしばらくわかりませんでした。

 腎臓に大きな負担を与える造影剤の使用が打診され家族として許可しました。硬膜動静脈ろうという脳の静脈の異常が発見、開頭手術で無事に除去され、身体麻痺もなく無事に退院できました。しかし腎臓に大きな負担がかかり慢性腎不全になりました。

 主治医の横田哲夫先生から、腎臓専門医の植田一穂(いっすい)先生をご紹介され、透析治療することなく在宅療法で頑張っていました。「減タンパク食」、「適度な運動「点滴治療」でした。週に5回介護予防通所リハビリに行き、週に1度はゴルフ練習場へ行き、125発のボールをゆっくり打っていました。(最後に行ったのは昨年の10月28日でした。)
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 今年の1月19日に植田医院へ行きました。利尿剤が利かなくなり植田一穂先生の連絡で高知日赤病院に緊急入院しました。緊急透析を2回行いました。70日間入院して。3月29日にいずみの病院に入院しました。腎臓治療を見守りながらリハビリに力をいれていただきました。

 父が亡くなる前日に昼食前にリハビリをして覚醒した後に、入浴した後にゼリー食を自分でスプーンで食べていました。また明日海の帰りに来ると言って父と別れました。亡くなった当日は上天気でしたので、私は朝から夜須の海でセーリングをしていました。その間に危篤状態になっていたようです。防水仕様の携帯電話は海の上にも持参していましたが、風が案外強く着信音は聞こえませんでした。海から上がって携帯を見るとたくさん着信記録がありました。片付け(1時間程度かかります。)て自宅へ戻り家内と母と駆け付けた時(午後3時には、父は亡くなって冷たくなっていました。死亡時刻は13時25分。死因は老衰でした。

 当日父は私に心配をかけず海で遊ばせてくれたのです。父に感謝しています。今思えば父は10年前に亡くなっていた可能性が大でした。仕事こそできませんでしたが、私たちを毎日見守っていただきました。父には感謝しかありません。

父・西村吉正の略歴

大正8年(1919年)6月24日、現在のいの町大内(おうち)で8人兄弟の2男として生まれる。旧制高知工業土木課を卒業後、朝鮮総督府に鉄道技師として勤務。測量の仕事をしていました。

 程なく徴兵され、朝倉44連隊に入隊。訓練中に結核を発症。除隊し自宅療養しました。結核は当時「不治の病」とされていましたが、父は我慢強く静養し完治しました。
 完治したところで2度目の招集を受けました。運よく幹部候補生試験に合格し、内地で訓練している最中に終戦となりました。(落ちた人たちは沖縄戦に動員され殆どが戦死したと聞いています。)

 終戦後に高知県庁土木部に勤務し、神田川改修工事などを担当していたそうです。ある人の紹介で南国パルプ工業へ入社、製紙会社の営業職として長年勤務しました。その間春子と結婚しました。測量技師と言うキャリアを捨て、製紙会社の営業職として1からキャリアを積んでいきました。

 昭和41年、48歳の時に株式会社エヌシー商会を創業しました。当時は55歳定年の時代ですから思い切った決断でした。それから50年。会社は大きくなりませんでしたが、小さくても維持してきました。

 若い頃は身勝手な私でしたが、2011年9月からの父の在宅介護を7年間したおかげで、他人を思いやる心が自然に芽生え、お困りの高齢者がいたら見知らぬ人でも駆け寄り声がけし、体が自然に動き手助けができるようになりました。介護状態になっても人間の生き方あるべき姿を教えていただいた父に感謝しています。

病人でも介護状態でも、人を導くことができる
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 慢性腎不全で身体機能が衰えて来始めたのは2011年頃。介護認定を受けました。そして最初は週に1度、介護予防通所リハビリ施設へ行くようになりました。やがて2回になり、3回、週に5回通所し、週に1度は父の大好きなゴルフ練習場へ連れて行きました。
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ステージ4でしたが、透析をすることなく在宅療法「減タンパク食」「適度な運動」「水分補給」「点滴治療」で植田医院で8年間治療を行い頑張って来ました。

 元気な父でしたが、昨年11月頃から少し歩くと息切れ状態になり、心不全と言われるようになり、自宅での階段生活がきつそうでした。

 父の歩行介助や、排泄介助、入浴介助もしました。介護体験は貴重です。やることで人としての思いやりが出来るからです。していなかったら「身勝手な人間」で終わっていたでしょう。政治家や高級官僚は、国民の「道徳教育」などと偉そうな事をのたまっていますが、介護体験をしたころがないからアホーな事を言っているのです。

 2011年9月から6年8カ月の父の介護でした。いろんなことを学びました。父に感謝です。医療関係者や介護関係者の皆さんにも感謝以外ありません。

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あっという間の1週間でした

 父(98歳11か月)が死去したのが先週の土曜日。海の散帆の最中でのこと。そのまま病院から葬儀会館へ夫と一緒に移動。土日は同じ部屋で寝ました。子供たちも集合し土日は父を交えての懇談会。これが1番良かったです。

 月曜日はお通夜。火曜日は葬儀。火葬場へ。水曜と木曜は父の死亡届でいの町役場へ行きました。半日がつぶれました。金曜日は予約して年金事務所へ。役所関係は法務局と税務署が残っています。とても面倒です。
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 大騒ぎした「マイナーバー」とやらは役所で使用することはなかった。「死亡届」を役場へ出せば、後は全ての手続きが出来るようにすべきだろうに。AI(人工知能)で役場職員(とくに町民課)などはすべて代行できるのではないか。そうすれば今回のようなミスもいないはず。「日本は遅れている」と中国人に馬鹿にされるはずです。

 昨日の金曜日、母(92歳)を連れて、はりまや橋商店街サロンへ行きました。娘は当日夜行バスで帰ると言うので土産を買うので一緒に行きました。いつも駐車bできるコインパーキングが満杯。はりまや橋地下パーキングへ行きましたが満杯状態。高知橋付近しか空きがない状態でした。

 しかも方向を間違え反対方向へ歩きました、ようやく気が付いて歩きましたら、母(92歳)がへばってしまいました。はりまや橋商店街へ到着したら母はへばっていましたので100歳体操はしないことに。
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 谷ひろ子さんのお店でコーヒーとチョコケーキを食べました。ひと休みして帰ることにしました。駐車場まで行かず、小谷陶器店前で娘と2人で待ってもらうことにしました。思えば初めからそうすれば母は100歳体操ができました。

 役所関係の届け出の煩雑さといい加減さで、冷静さにかけた私の責任です。母は元気です。娘は昨夜はりまや橋バス停から夜行バスで帰りました。
 
  自宅へもどりいの町役場町民課の応対のいい加減さを思いだし「瞬間湯沸かし器」状態に。いつまでも自爆し続けるので家内が呆れ、さっさと寝てしまい放置されていました。」
 
 一晩寝て落ち着きました。今朝は朝8時過ぎに事務所の気温は25度を超え、湿度は61%。風が強い。寒冷前線が通過し、「西高東低」型の気圧配置なので風が強いでしょう。「海の散帆:へ行きたいところですが、雑務がたくさんあり、仕事もたまっていますので今週末はおとなしくしています。

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2018.05.15

ほのぼのとしたお通夜でした

今日は義母の命日

 今朝の事務所の気温は21度。湿度は62%です。お天気は快晴。天気図でもダブルの高気圧に覆われ腫れが続きます。[夏日」になりそうです。

 今日は父(98歳11月で死去)の葬儀です。義母(享年70歳)の命日でもありました。沖縄が日本に施政権が返還された日でもありました。

 義母の葬儀は5月17日頃でしたが、前日ろうそくの火を絶やさないとのことで、義母と一緒に同じ部屋で夜を明かしました。

 朝葬儀社が来てそのまま火葬場へ。骨を骨壺に納め告別式をしました。終了後識名にある一族のお墓に納骨しました。

 沖縄は5月はもう夏なのですぐに火葬にしました。22年前のことですが覚えています。当時高校生だった息子と小学生だった娘に聞きましたが、覚えていないとのことでした。

 昨夜の父のお通夜にご多忙の中参列していただきました皆様には御礼申し上げます。父は満年齢は98歳と11月ですが(6月が来れば99歳)、表記は100歳でした。

 ほのぼのとしたお通夜でした。病院で管に繋がれ苦しみぬいた最期ではなく、普段どうり眠りについての安楽な父の最後のようでした。顔も実に安らかでした。

 今日は葬儀ですが、ほのぼのと実施できるいように努力します。人世に区切りをつける意味では最高の終末を父は迎えることができました。それは良かったと思われます。

 父も家族も悔いは全くないと思いました。

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2018.05.12

父・いずみの・521


 2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。

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2018.05.11

父は内臓(食道・胃・十二指腸)は健全でした


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 4月28日以降、腸炎の影響で口から食べ物を食べようとしない父(98歳)でした。ひょっと胃に潰瘍などがあるのかもしれないということで内視鏡検査を5月9日にしていただきました。

 結果は「食道・胃・十二指腸には潰瘍やポリープなどはない」とのことでした。ほぼ内臓は健全と言う事です。

 となりますと口からものを食べないのはその日の気分や体調によることが大きいと思いました。医療スタッフの人にお願いしました。

 朝食時前に、父をベットから起こし車椅子に座らせて手足のリハビリを言願いしました。そして頭を覚醒させた状態で、ゼリー食を食べるようにしてもらいました。可能な限り昼食時に見守りに行きました。そしたら少しずつ自分から食べるようになりました。

 今週はいろんなことがありました。時に対応ができないこともありました。

 結論は「なるようになる。それしかない。」ということです。

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父・いずみの・511

 2018年5月11日(金)ですが、父(98歳)の面談は
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お昼前の11時過ぎに行きました。ちょうどオムツを替えているところでした。それから共用スペースへリハビリに行きました。車椅子へ座り手足の曲げ伸ばしなどをしました。少し動けるようになりました。

 今日はシャワーの日。担当の介護士が迎えに来ました。
寝たきりでストレッチャーへ乗せられ浴室へ行きました。20分ぐらいして戻って来ました。
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 昼食は車椅子で共用スペーズへ行きそちらでゼリー食を食べました。おかゆに、かぼちゃ、イチゴ味のゼリーをスプーンへすくって少しづつ食べました。父の回復は遅々としています。共用スペーズの写真は撮影禁止なのでありません。

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