父の墓参りに行きました。
母(96歳)が10月16日はショートスティに行っている間(16時には戻ります。)に父の墓参りに家内と2人で行きました。
3月のお彼岸時期は母が一時退院して自宅介護の最中で行けず、9月は悪天候もあり、本格的な母の在宅介護中でいたので行けずじまいでした。
さすがに広い墓地ですが誰もいませんでした。父も慢性腎不全になりながらも100歳まで生きました。家族皆の健康を祈りました。
母(96歳)が10月16日はショートスティに行っている間(16時には戻ります。)に父の墓参りに家内と2人で行きました。
3月のお彼岸時期は母が一時退院して自宅介護の最中で行けず、9月は悪天候もあり、本格的な母の在宅介護中でいたので行けずじまいでした。
さすがに広い墓地ですが誰もいませんでした。父も慢性腎不全になりながらも100歳まで生きました。家族皆の健康を祈りました。
何もなせず、自慢できることはなにもありません。あっというまに69歳になりました。来年は70歳ですね。114回した献血もあと最大3回で終わりです。献血定年は70歳です。
社会的にはリタイヤ世代です。ですが65歳になり、ようやく「本気でやりたい仕事」が見つかりました。仕事が面白くてたまりません。明日から県西部の山中へ現場立ち合いに行きます。
零細企業者には定年はありません。99歳で4年前他界した父は89歳まで現役でした。農業と電気工事業をしていた祖父たちも80代で他界しましたが、亡くなる直前まで働いていました。貧乏性の家系なんでしょう。
6月から母(96歳・要介護5・認知症)の在宅介護が始まりました。介護サービスがお休みの土曜と日曜は48時間介護です。お休みがなくなりました。
1月14日に母が儀遠征肺炎で緊急搬送されて以来、お酒も飲んでいません。
50年前出来の悪い私は高校を卒業できず、留年しました。担任教師他高校の教示集団はひたすら自主退学を勧めましたが、母の支援もあり卒業出来、大学へも行かせてもらいました。母に救われました。
母に対して「親孝行の真似事」が出来るわたしは幸せです。
在宅介護の関係で、私の趣味の「海の散帆」は9月は1回も行けませんでした。10月もわかりません。父が99歳で他界した時は海の散帆していました。前日に父には断りを入れ、許可をもらっていました。
在宅介護という形で人生の勉強を母にはさせていただいています。得難い体験をさせていただいています。母と家内には感謝です。
特段なにもいいことが起きりうわけではないですが、健康を維持し、90歳までは海の散帆をし、仕事も現役でありたいと思います。そういうことで皆様よろしくお願いします
2022年5月4日ですが、父(2018年5月12日没)の墓参りに家内と2人で行きました。母は入院中で参加できませんでした。連休は道路が混雑しているので墓地公園も心配していましたが、意外にも空いていました。
3月のお彼岸は母(96歳)が、2回目の入院したりしてせわしくいくことが出来ませんでした。お墓周りの落ち葉を拾い、墓石も水洗しました。墓地公園は高台にあるので風が吹いてす涼しいです。
息子夫婦も参加しました。生花を持ってきてくれました。墓参後家内が「高知アイスへ行きたい。」とリクエスト。聞くとその昔「鶴米の番組」で」登場したそうですので。本川や仁淀川町へ行く途中見かけたことはありました。
息子たちに先導していただきお店へ行きましたが、予想どうり満杯。テイクアウトしました。暑かったので美味しく頂きました。渋滞した道路を戻りました。戻って広島VS巨人戦を見ています。家内は元祖カープ女子ですので。
母は96歳ですが、「95歳以上は別世界」のように思います。1月14日は「誤嚥性肺炎で緊急入院」。高知医療センターでHCUで生死の境をさまよいました。医師に言わせれば「96歳にして奇跡的な回復」をして28日に退院し自宅へ戻りました。
2週間の入院生活でしたが、身体機能が入院前の状態に回復しません。とくに下半身、足腰が弱っています。足の筋肉量が少ないので、歩くとすぐに疲れます。「足は第2の心臓」と言われていますが、歩く量がすくなく、足腰の筋肉量が少ないので、足がむくみます。
足のむくみがあると運動機能が落ちますし、歩くとすぐに疲れます。息子が「慢性腎不全であったお爺ちゃんも足がむくんていた。よく症状が似ている。」と指摘しました。父が8年間診ていただいていました植田一穂先生に診察していただきました。ところがあろうことか、私の不注意m待合室においてあったファンヒーターの近くに母を座らせていましたので、母の左足すね下3か所が低温火傷になりました。私は全くんじゅ頓着でした。
当日と翌日朝のトイレ介助では全く症状がなく、通所しているディサービスの指摘で気が付きました。3か所水膨れになっていました。デイサービスに引き取りに行き、そのまま皮膚科へ連れて行きました。大きな水膨れが3つありました。皮膚科の医師は注射器で水膨れの水を慎重に向きました。医師曰く「超高齢者は皮膚が極薄です。若い人の半分以下の皮膚の暑さです。火傷はなかなか治りませんよ。」と言われました。
植田先生からは『外傷や火傷には気を付けてください。」と言われていたにもかかわらず。低温火傷とは。落ち込みました。「1歩前進2歩後退」ですね。起きてしまったことは仕方がありません。デイサービスからの指摘があれば、すぐに対処し皮膚科へ行きました。「日が薬」です。腰を据えて母と向かい合います。
今日は父の命日でした。もう3年になります。
今日も母(95歳)は雨の中元気にデイサービスへ行きました。
父が今も生存していたら満102歳(数えでは103歳)でした。慢性腎不全ですので、そこまでの生存は難しかったと思います。昨年から今年にかけてコロナ禍になりました。
コロナ禍では葬式も通常形式で実施することも難しく、関係者のお別れも出来なかったことでしょう。それから言えば、葬儀も父の場合は小規模であっても出来ましたので、今にして思えば良かったかなと思いました。
2021年5月9日(日曜)は梅雨入り前の絶好の晴天になりました。父の命日が5月12日(3年前の)でしたので、家内と母(95歳)と一緒に父のお墓に行きました。
現地で息子夫婦とも合流し一緒に墓参しました。父が他界して早3年。月日の経過は早いです。思いのほか日差しがきつく暑かったです。母のことを配慮し、焼香してすぐに撤収しました。
氏原さんご夫妻にもお会いしました。ご先祖と対話することはいいことですね。私も謙虚になりました。帰りはスーパーへ寄り、買い物と昼ご飯を購入して戻りました。
スーパーでもご近所の人達にお会いしました。今日から大相撲も始まりますね。用事と散歩は早めに済まして、テレビ視聴したいですね。照ノ富士や正代を応援します。
沖縄の義弟から「清明終わりました。」との報告と写真が送信されてきました。家内のご両親が眠るお墓で義弟家族がお弁当を食べたとのことでした。
清明(シーミ―)とは
本来清明祭(シーミー)は墓前で行うお祝い行事とされてきました。ご先祖様とともにお祝いをするのが目的です。そのため、墓前にお供えするジューバク(重箱)料理である御三味(ウサンミ)も、赤かまぼこなどを用いた慶事用を準備します。
娘が沖縄の大学に通学していた4年間は、うちの家族の代表で義弟の家族と一緒に一族のお墓の前でお弁当を食べたとのことでした。
私もそういえば、家内の出身地の沖縄にはご無沙汰しています。2006年以来、かれこれ15年もご無沙汰しています。義母が元気な頃は家族でお盆と正月は沖縄へ行っておりました。
今年は義父が亡くなって34年、義母が亡くなって24年目です。すっかり不義理をしていますので、今年こそ沖縄へ行き、ご両親の墓参りをしたいと思っています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-208b.html
(沖縄の独特の先祖供養)
うちの小さな墓からすれば沖縄の墓は巨大ですね。生前義父はこう言っていました。
「男はまずしないといけないのは、一族の墓をこしらえること。家はその次に建てることだ、」とのことです。うちの墓は2008年にこしらえました。小面積で1・2坪で墓石で納骨堂方式。それでも「◎百万円」かかりました。沖縄の墓は70坪あると聞きました。納骨堂の広さは12畳ぐらいありました。一体いくらかかるのか想像できません。
清明の時期になると義父を思い出します。家内と結婚して沖縄へ行ったとき、義父が私をお墓へ連れて行ってくれました。ご先祖に報告しに行ったと思います。お墓がいかにだ大事なのかを教えてくれました。
しかし沖縄でも核家族化が進行し、お墓を維持管理できなくなり「墓じまい」をする事例が多いようだとのことでした。考えさせられますね。
2021年3月7日(日曜)ですが、父(2018年5月13日没)の墓参りに、行きました。家内と母(95歳)と一緒に行きました。
お正月に墓参りに行く予定でしたが、今年は思いのほか寒く断念しました。3月に入り暖かくなり、風もないので、行きました。
歩行補助車を持参して行きました。墓地公園は道幅がそこそこありますので、利用できました。椅子代わりに座れます。とはいえまだまだ肌寒いので、父に祈祷して戻りました。
家族の健康と商売繁盛、地域の安全を父の墓前に誓いました。
2020年9月20日ですが、曇り空でしたので、母(94歳)を連れて、父の墓参りに家内と3人で行きました。
墓地公園の人出は、「密」ではなくぼちぼちというところでした。よその家のお墓も、お花が新しいので、近日来られたのでしょう。
歩行補助車を車から出して、母と一緒に父の墓前に祈りました。早いもので父が亡くなって2年4か月が経過しました。
墓掃除は5月の3回忌前に入念にしていましたので、今回はしなくても構わない状態でした。
父に家族のことや会社のことを報告しました。母も神妙に手を合わせていました。曇り空で暑くはありませんでした。線香がなくなるまで、父の墓前にたたずんでいました。
2020年8月29日(土曜)は叔母の通夜式、30日(日曜日)は昼間は告別式に行きました、通夜式は1人で、告別式は母(94歳)と家内と3人で行きました。
今回の叔母(享年90歳)の死去で、父の8人兄弟姉妹は皆亡くなりました。1番上の叔母(父の姉)が101歳、父が99歳、叔父(父の弟)が92歳、2人の叔母(父の妹)が90歳と、8人兄弟姉妹のうち5人が90歳を超えた死去なので、「長寿一族」なのかもしれませんね。
今回亡くなった叔母は、実家の農家から20歳の時に商業者に嫁ぎ懸命に働いて生きてきました。気難しい創業者の舅ときつい姑に苦労し、慣れない商売を体で覚え得意先を増やしていきました。2人の子供たちは優秀で国立大の医学部を卒業し医者になりました。
叔母が55歳ぐらいの時、ご主人が癌で60歳の若さで他界し、苦労をされました。以後30年間細腕で商売の火を守られていました。日曜祭日も店へ出て働いていました。郊外の家からバスで店へ行かれて働いていました。
店舗で商材に囲まれて接客している叔母は活き活きとしていました。数年前に自宅で転倒し、自力で歩くことができなくなり、子供たちの勧めで、自宅を売却し特養へ入所しました。
「ここはなにもすることがない。泣きたいぐらい退屈だ。早く死にたい。そのことばかり考えている。」
「20歳の時に嫁に来て働いて働いて、私の人生なんだったろうと考えたら泣けてくる。」
と面会に行けば悲観的なことばかり言っていました。
でも2人の子供たちは医師になり、またその子供たちも医師になっています。商売も従業員の人が継承し屋号を引き継がれています。叔母は悲観的な発言ばかりされていましたが、「いうことのない人生」ではないかと思いました。
僧侶のお経の合間の説話で「人生ははかなく短いもの」と言われていましたが、長いようで短い。くよくよ考えていても誰もが寿命が来ます。
ここ8年ぐらいの間に父の兄弟姉妹の5人の葬儀に行きました。やはり「悔いのない人生」でありたいと強く思いました。
07高知県知事選挙 08syugin_ 2008年衆議院選挙関連 2009年衆議院選挙関係 2012年衆議院選挙関係 2012年車椅子で行く高知の観光施設 2013年参議院選挙関係 2014年東京都知事選挙 2015年雨漏り修繕工事 2015雨漏り・外壁補修工事 2016年参議院選挙 2016年首都圏遠征 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会議員選挙 2022年沖縄県知事選挙 blogによる自由民権運動 blogの伝道師・blogの鬼 bousai_ Eコマース・スキルアップ講座 koutikengikaigin NPO法人高知減災ネットワーク会議 SOSカード W杯カタール大会2022 おんぶらっく おんぶらっく大人用 お花見遊覧船 けんちゃんの今すぐ実行まちづくり けんちゃん1人weblog はりまや橋サロン まちづくり まちづくり条例見守り委員会 アニメ・コミック イラク派兵問題 ウェブログ・ココログ関連 エアーボート 救命艇 カタールW杯2022年 カラー・ユニバーサルデザイン コロナ感染症療養体験 ゴーヤ栽培日誌 サッカー スポーツ スポーツのありかた スマホへの依存は危険 スマホ活用防災講座 スマホDEリレー スマホSOSシステム タウンモビリティ・ステーションふくねこ チベット問題 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス バリヤアリー住宅 バリヤフリー パソコン・インターネット ピースウィンズ・ジャパン ホームページによる交流 メディアリテラシー ヤッシー西開口口テトラ投入問題 ヨット関係 リハビリ・ウォーキング ロシアのウクライナ軍事侵攻問題 ロープワーク 三好市との交流事業 下知コミュニティセンター防災部会 下知中小零細企業BCP研究会 下知交番だより 下知交番との地域での協働 下知地区減災連絡会 下知地区防災計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域内連携協議会 下知町内会連合会 下知防災紙芝居 両下肢蜂巣炎 中国四川大地震 中土佐町との交流事業 事前復興まちづくり計画 事前減災対策としてのインフラ整備 事業継続力強化計画 二葉町ゆかりの巨匠 二葉町町内会の動き 二葉町総合防災訓練2020年 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町総合防災訓練2021年 二葉町総合防災訓練2022年 二葉町自主防災会 二葉町防災世帯調査 五台山・市民農園 井原勝介さん講演会 交通事故防止対策 人繋がりネットワーク 仁淀川町と二葉町との交流 今治市防災士会・連合自治防災部会との交流会 今野清喜さん講演会 仙波敏郎さん講演会 伊野町問題 低温火傷 体成分測定 健康・体の問題 健康問題 傷害のある方との協働 入野敏郎さんみかん園 公共交通問題 公共社会インフラの維持管理 公共財のありかた 共謀罪反対運動 内閣府地区防災フォーラム2016年仙台 内閣府地区防災計画 前田康博さん講演会 南海地震対策 南海地震特別税 危機意識・リスクマネジメント 原子力政策 原発と核のゴミ処理場アンケート 原発災害 反ファシズム運動 叔母・車椅子来高・2014・10・18 受援力」(支援を受ける力) 口腔ケア 台風・大雨対策 台風・大雨情報 台風対策 司馬遼太郎氏の帝国主義論 吉本隆明氏・追悼文 名古屋大学室井研二准教授 品川正治さん講演会関係 嚥下障害改善食 国政問題 国際問題 土佐電鉄ーごめん・なはり線 在宅介護と仕事 地区防災計画学会・高知大会2018年 地方の公共交通 地震保険 坂本龍馬像建立運動 報道関係 夜須沖からの津波避難 夜須町関係 大学問題 大阪北部地震2018 天木直人さん講演会関係 宇田川知人さん出演番組 安田純平さんを高知へ招く会関係 少子化問題 岡村眞先生講演会 岡林信康コンサート 岩手日報の震災特集記事 島本茂雄さん・中平崇士さん出演 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 市民参加のありかた 平和・反核・護憲の社会運動 平和問題 平成天皇を称えます 平成28年度下知地区防災計画 広域地域間交流 建築物 徳島県美波町との交流 感染症対策 憲法問題 戦争を知らない子供たちへの映画会」 戦争法案反対運動 戦争災害 手結福島・南地区自主防災会 排泄ケア(排尿・排便)の重要性 携帯・デジカメ 政治のありかた 政治評論 救命船南風 教育問題 新しいメディアの創出 新型インフルエンザ対策 新型コロナウィルス対策 新堀川市民大学 新堀川生態系保護問題 日本の裁判官 日誌風の感想 映画「六ヶ所村ラプソディー」 映画・テレビ 昭和南海地震の記録 昭和小学校・防災じゅぎう 昭和小学校防災学習 書籍・雑誌 有機農業の支援 朝鮮半島問題 木質バイオマス地域循環システム 村上肇さんWEBセミナー 村上肇氏BtoBセミナー 東京五輪・パラリンピック2021 東京五輪・パラ五輪の在り方 東京近辺見聞録2013年 東京近辺見聞録2014年(1) 東京近辺見聞録2015年 東京近郊見聞録2010 東京近郊見聞録2011年 東京近郊見聞録2012年 東北被災地ツアー2015年 東北被災地交流ツアー2005 東日本大震災の被災者の皆様との交流事業 東洋町サポーターズクラブ 横紋筋融解症 橋本大二郎さん出演番組 橋本県政16年の検証 橋本県政16年の総括 歩いて見る高知市 歴史の宝庫新堀川 歴史問題 死生観・終末観 母ショートスティ 母・デイケア 母・春子の供養 母・春子の健康情報 母・春子の在宅介護日誌 母・毛山病院入院2017 母・西村春子介護日誌 母入院・細木病院 母入院2022年 母春子の供養 母春子の逝去 母春子を支援いただいた皆様へのお礼状 気象庁情報の正確な伝達 水道管凍結防止対策 沖縄ー高知の交流 沖縄基地問題 沖縄返還50年 沢山保太郎東洋町長出演 河瀬聡一郎さん講演会 津波避難施設について 浦戸湾三重防護整備 海からの高台への津波避難 海での防災対策 浸水地区に救命艇 浸水対策備品 漫画文化 災害大国日本 父・いずみの病院 父・日赤・ICU 献血時血液検査表 環境問題 田辺浩三さん映画会(小夏の映画会) 真備町関係者との交流 社会問題一般 社会思想問題 社会運動 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地域との交流 福井照 福井照さん出演番組 福祉の問題 私の腰痛 空のあんちくしょう 窓ガラス飛散防止講習会 経済・政治・国際 経済問題 統一教会問題 耐震偽装問題 聴覚障害者との情報共有 脱水症対策 臨時情報 自然エネルギーの活用 自然地形の高台 自然災害と経営責任 自衛隊の救助訓練 芸能・アイドル 芸術・文化 若者支援事業 蓄光塗料 西村吉正・春子服薬・食事情報 西村吉正・死去後の動き 西村吉正1周忌・3回忌 要支援者用食材 観天望気・日常観察からの天気予報 訪問看護 認知症症候群について 認知症重度化予防実践塾 誤嚥性肺炎対策 講演会・研修会 講演会・講習会 超高齢者の事前減災対策 趣味 路上詩人はまじさん 連合赤軍と新自由主義の総括 遠地津波 都市再開発 都市論 錆を防ぐさびのある話 閖上だより 阪神大震災20年慰霊と交流 防災備品整理棚 防災問題 防災対策 防災紙芝居 防災紙芝居プロジェクト 防衛問題 雛人形の展示 雪道対策 非常備蓄用ミキサー粥 靴底消毒 音楽 飲料水の備蓄 高レベル廃棄物問題 高知の根源・由来を考える 高知の観光 高知シティFM 高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」 高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ 高知シティFM最終収録 高知大学防災すけっと隊 高知学研究所 高知市地域コミュニティ推進課 高知市政問題 高知市社会福祉協議会 高知市長との意見交換会・資料2015年 高知市長期浸水救出計画020年 高知減災ネットワーク会議 高知県政ぷらっとこうち問題 高知県政問題 高知県民マニュフェスト大会 高知県物産公社構想 高知県議会立候補者への公開質問状 高知蛍プロジェクト 高知警察署下知交番 鵜の目鷹の目 2006年白バイ・スクールバス衝突事件 2010年参議院選挙 2014年東京・横浜出張 2014年衆議院選挙関連 2015年叔母北海道より車椅子の旅・高知 2015年県議選・市議選 2016年熊本地震 2017年衆議院選挙 2018年沖縄県知事選挙 2021年衆議院議員選挙 2021年衆議院選挙 2022年参議院選挙 2023年県議選 2023年高知市議選 3・11ミニ慰霊祭 A型RHマイナス血液型
最近のコメント