訪問看護

2022.12.31

2022年の重大ニュース

 いつもの年では12月の半ばごろに、今年の行動履歴や個人的な出来事を振り返り、あれこれ事例をだします。2022年に関しましては、それはできないですね。
 何と言いましても今年は「母に始まり、母で終わりました。」という1年でした。
 1月14日に食べ物を詰まらせて具合が悪くなり、高知医療センターへ救急搬送。典型的な誤嚥性肺炎でした。体温が30度しかなく医師も驚愕していました。
 そして3日後の17日に医師からの呼び出し。「容体が重篤で今日が峠です。コロナ禍で面談は駄目ですが特別に許可します。」と言われました。
 担当医師と看護士は「よくご家族もがんばりましたね。96歳まで介護されたのは立派です。」と言われました。特別に集中治療室で母に会いました。いくつもの管に繋がれ、酸素吸入もしていました。
 でも意識はしっかりしていました。わたしは母の手を握り、「死んだらいかん。皆まちゆうきもんてこんといかん!!」と言いました。母はうなづきました。
 帰り際に看護部長さんが「よくご家族は頑張りました。」と慰労してくれました。私は声を上げて泣きました。1月17日は気もそぞろで「1・17のミニ慰霊祭」の準備をしていました。夕方はテレビ放映もありました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-a9a00a.html
 その後は母は奇跡的に回復し退院することになりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-ec6060.html
 2週間の入院でしたが、身体機能は格段に落ちていました。バリアアリー住宅の過酷さを味わいました。
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 在宅介護士ながら通所しているデイサービスを再開しましたが、以前のようにはいきません。自宅で転倒したり、足が立たなくなることが頻発しました。
 また食事もペースト食。小さなスプーンでの食事。1時間以上かかりました。運動不足なのか栄養不良なのか足がむくんできました。
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 そして3月21日に母は通所していたデイサービスで意識を失い再び高知医療センターへ入院しました。難しい病気になりました。
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 その後高知医療センターに1か月、細木病院に転院して2か月、合計3か月入院しました。結果3か月と2週間。1月から6月までの間、101日間入院しました。
 長期の入院生活で母は「要介護5」の全介助になりました。在宅介護の事例は多くはないとのでした。家内が賛成してくれたし、支援もしてくれましたので、あえて挑戦することにしました。
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 うちは1階が会社事務所。2階が母の生活空間です。狭い住宅ですので階段昇降機も取り付けは出来ません。私が母をおんぶらっくという介護器具で背負いデイケアに通所するようにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-8d7cae.html
 ブログ記事の「西村春子・会議日誌」のカテゴリーを参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../cat.../index.html
 母も私たち夫婦も半年間の在宅介護でした。年末年始もやり遂げる覚悟でしたが、12月19日に突然終了になりました。残念です。
 精一杯全力投球で在宅介護したので、全く悔いはありません。
 2番目の出来事は、母も参加した2022年二葉町・若松町総合防災訓練でしょうか。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-c42c94.html
 全く総括できずに2022年もお終いです。家の片付けもなにもしていません。明日は風呂の掃除を言いつけられています。

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2022.12.23

母・春子が旅立ちました

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 2022年12月19日(月曜日)に西村春子(97歳)は旅立ちました。1人息子の私にとりましては、かげがえのない母でした。


 


 12月11日(日曜)の未明の24時過ぎに通所していたショートスティ先から「お母さんが高熱(38・2度)を出し検査したらコロナ陽性との連絡がありました。


 


 翌日の12月12日(月)に私たち夫婦も抗原検査キットで検査しますと2人とも陽性でした。発熱外来を予約し医師の診察と、自宅療養の注意点を言われました。
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 そして12日の夕方に母がショートスティ先から戻りました。母もコロナ陽性、介護する私たち夫婦も陽性です。保健所からの指示で朝夕に3人の体温を測定、酸素濃度も測定し、記録しました。保健所から連絡があり、3人とも平熱で異常がないことを言いました。


 


 母のコロナへの感染報告は、訪問医師の南先生に報告しました。12日帰宅当日の夕方に訪問看護師さんが自宅へ来てくれました。その折母用に、酸素濃度測定器と酸素吸入器を貸与頂きました。


 


 また飲み薬の抗ウィルス剤が投与されました。薬はすぐに毎食後5日間は飲みました。コロナの療養期間は家内が16日まで、母が18日まで、私が19日まででした。3人とも5回コロナワクチン接種は済ませています。インフルエンザの予防接種もしていました。


 


 療養期間中は3人とも、体温は平熱でした。順調に体調は回復し、家内は16日、母は18日、私は19日に保健所から療養期間終了の連絡がありました。


 


 12月18日は、母は元気そのものでした


 


 療養したこともあり、母の体調もよく起床してすぐにトイレへ連れて行きましたが、介助したらゆっくりとトイレまで行きました。そして普通便の大きな便が出ました。体温も酸素濃度も申し分ありません。


 


 朝食もゆっくりとペースト食を完食しました。昼食も完食しました。昼寝をして16時頃起こし、おやつを食べました。プリンが好きなので、息子の嫁が差し入れしてくれました。全部食べました。


 


 夕食は少し食欲が落ちていました。焦らず時間をかけてゆっくり食べました。お粥半分残しました。わたしは少しでもサッカーW杯の決勝戦を見たいので早寝wしたいと言いました。


 


 吸出しをしました。歯磨き後、母を寝かしつけました。がくっと足が崩れ落ちました。椅子を持って来てもらい。座らせました。5分程度休息し介護ベットへ運びました。


 


 母はベットに腰かけて座れない状態でした。ショートへ行く前は座れてていました。体幹が弱っています。寝かしつけました。それでわたしは寝ました。


 


 家内は母がゼロゼロと言っていたので、夜中に2度吸出ししたそうです。24時と1時半過ぎにしたそうです.効果はなかったとのこと。


 


 午前3時過ぎまでスマホでABEMATVにしてW杯決勝をラジオで聞いていましたが、延長・PK戦になりましたのエ、家内と交代しました。午前3時半に、母を見ました。指に挟むと酸素濃度は95% 脈拍は88でした。


 


 それで安心してPK戦を見て、アルゼンチンの優勝を確認。その後の表彰式までだらだらと見ていました。その間朝食を準備していました。そして食べながらその様子をみていました。


 


 午前7時過ぎになり、確認すると母が冷たい感じでした。家内が起床してから確認しようとさほど気しませんした。午前7時半に母を再測定しました。そしたらずっと酸素吸入しているのに酸素濃度が0%と表示され、脈拍も0になっていました。


 


 さすがにこれはおかしいと思い指の場所を変え、別の指でも添いましたが、結果は同じです。あわてて訪問医師の南先生の病院に電話しました。当直の看護師さんにその様子を伝えました。ほどなく南先生から折り返しの電話がありました。「準備していきますので。30分以内に到着します。」とのことでした。


 


 8時過ぎに来ていただきました。そして診察していただきました。母は既にこと切れていました。先生と話をして死亡時刻は2022年12月19日(月)の午前7時半になりました。
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 死亡診断書の死因は「誤嚥性肺炎」でした。コロナの影響もありとの記述もありました。コロナは療養中は発熱もなく平穏でした。18日には母は保健所からコロナ療養無事に終了と言われていました。


 


 療養はしたものの母は97歳という超高齢者なので、19日からの1週間は自宅療養にして、21日(水曜日)に南先生の診察を受けて、問題がなければ、翌週の26日(月)から各種介護サービスを再開する予定でした。


 


 それなのに母は旅立ちました。とても残念です。でも前日に大好きなプリンも食べました。母が覚えている唱歌の「もしもしカメよ」を一緒に歌いました。苦しんだ様子は様子はみじんもなく、安らかな寝顔です。
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 コロナはやっつけましたが、力尽きたようでした。それが母の寿命なのでしょうか。自宅で看取ることも出来ました。苦しんだ様子は全くありませんでした。私も家内も懸命に母の在宅介護をしました。悔いは全くありません。


 


 でも悲しい。家内は「お母さんはお元気なのであと5年は生きるでしょう。私らの方が先に壊れるね。」とか言っていましたのに。


 


 当日母の死去が確定したところに息子夫婦が出勤してきました。嫁の実家が葬祭会社をしているとか。そこへ依頼していただきました。


 


 19日は葬儀の段取りや、日程調整しました。時節柄ノーマルな葬儀は無理ということです、家族葬形態にして、事前の新聞広告や得意先への連絡はしない。親戚と地域のごく限られた人にお伝えしました。少人数で母を見送ります。東京の娘も帰ってくることになりました。


 


 21日に通夜、22日の朝に告別式を家族葬形態でします。そして23日に地元紙に葬儀のご報告の告知広告を出します。そのあとにWEBでも情報伝達します。
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 19日に逝去してから自宅に母はいました。いつものように介護ベットに寝ています。19日の午後に訪問看護師さんが2人で来られ、母を奇麗に身体を拭いていただき、お気に入りの服に着かえていただきました。ありがたかったです。


 


 19日、20日と母は家にいました。21日に葬儀屋さんが寝台車で母を2階から下ろし葬儀場へ連れて行きました。21日は雨の中での通夜式でした。20人ほどが参列していただきほのぼのとした通夜式でした。


 


 


 22日は朝10時からの告別式。高知市斎場の都合です。冬になり亡くなる人が激増中とか。その時間帯になりました。ごく内輪の親類を中心にしたコンパクトな葬儀でした。それもいいですね。親戚とは久しぶりに話が弾みました。


 


 母は社交的な人でしたので、いろんな人たちにお見送りをしていただきたかったのですが、コロナ禍第8波の最中です、無理は出来ません。爽やかに母は旅立ちました。きっと極楽浄土へ行くことでしょう。合掌。


 


 FBでも母に関して暖かいコメントをいただき感謝しています。私たちは懸命に母の在宅介護をしました。コロナになっても手を抜かずしました。予想より早く母は旅立ちましたが、悔いはありません。


 


 お通夜も葬儀もごく少人数で執り行いました。連絡したくても出来ない人が多く申し訳ないと思いました。コロナ禍ですので御容赦下さい・


 


 高知斎場で母の骨を拾いました。頭蓋骨や大腿骨、骨盤や歯型などがしっかり残っていました。骨太の母でした。母の息子であったことを誇りに思います。

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2022.12.15

コロナ感染者の自宅待機の期間


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 母(97歳)がショートスティ先で11日(日曜日)の夜中の12時に施設からの電話があり母がコロナに感染していることがわかりました。「施設では対応できない煮で引き取ってほしい」とのことでした。

 母は要介護5であり、車いす対応の車でないと対応できません。施設側が「対応できないの1点張りでした。ショートスティへ送り出したのは9日(金曜)でした。体温測定では平熱。施設での感染は明らかでした。

 もしやと思い12日(月曜日)に薬局で抗原検査キッドを購入し、測定したところm何t家内も私もコロナ陽性の判定となりました。そこで発熱外来に電話しまくり、近くの図南病院が診察してくれました。問診後、保健所へ届けるとのころでした。私m家内も母も感染者数に入れられました。13日に保健所から電話があり、いろいろと聞かれましたので、13日のコロナ感染者になりました。

 医師に渡された「陽性で療養する方の発症日と療養解除予定日」を渡されました。それによると、私の場合は発症日は132月12日なので、復帰可能なのは8日目の20日ということになります。最低8日間の自宅療養ということです。

 鼻水やのどが痛い、時折咳が出るという「症状がある」ので、8日間の自宅りょうようであるとのこと。その後は医療機関は関与しないようですね。

 体調悪化時の連絡先は、電話連絡があった保健所と夜間休日はファーストドクターの電話番号に連絡します。

 母(97歳)の場合は、訪問医師のコントールの元、こまめに相談に乗っていただけますので助かったいます。母には抗ウイルス薬も処方され、酸素供給機もレンタルしていただきました。

 やはり風邪の症状が出ていて、しんどいです。

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2022.12.08

15日て在宅介護半年

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12月15日で要介護5で、認知症の母(97歳)を在宅介護しはじめて半年になります。

コロナ禍は3年目になりました。医療機関や介護施設では入所者と家族の面会も原則出来ません。

それではあまりに切ないので、家内と相談し、賛同を得ましたので、ケアマネジャーさんに「在宅介護プラン」を作成いただきました。

週一回の訪問看護と、訪問リハビリ(ST訪問指導の口腔ケアリハビリ)
と、月に2回の訪問医師の診察です。写真は訪問医師の南先生と母の2ショットです。母は目を閉じています。
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火曜日と木曜日と金曜日はデイケアに行っています。自宅では全介助の母を入浴させることが出来ないからです。
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訪問歯科医師の高木先生にもにも月に一度来ていただいています。口腔ケアは大事ですから。誤嚥性肺炎の予防にもなります。
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12月2日はコロナワクチン接種5回目に連れて行きました。息子に付き添ってもらい行きました。無事に終了しました。

周りの人達がほとんど経験したことのない要介護5の在宅介護です。数少ない経験者を探してアドバイスを受けながら毎日が勉強しています。
得難い貴重な体験です。体験談はSNSやブログに今後も可能な限り掲載していきます。

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2022.11.18

母が97歳になりました。

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 1925年(大正14年)11月17日今れの母・春子です。97歳になりました。昨年は通所していたデイサービスで誕生会をしてくれました。今年は要介護5で、しかも誤嚥性肺炎の後遺症で摂食障害を起こしているので、ペースト食しか食べれません。
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 でも元気にデイケアに行きました。元気が1番です。STさんに聞きますと「お菓子ならシュークリームの中身やショートケーキを少量、プリンやゼリーは大丈夫とか。家内に任せてお菓子屋で買って来てもらhaha3い、ささやかな誕生会をしてあげたいです。

写真は言語聴覚士(ST)の筒井佳代さんとの2ショット写真。デイケアへ行く前の母の写真です。今朝も快食快便でお元気です。
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 デイケアで世話になっている松村さんとの2ショット写真もあります。デイケアには元気で行きました。

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2022.11.08

母はショートスティへ行きました。

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 いつもは土日を挟み、金曜から月曜の間でショートスティ(お泊り介護)お願いしていますが、家内が上京する用事が今週ありますのでそのために11月7日(月曜日)から10日(木曜日)までお願いしました。
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2022年11月7日は母(96歳)は目覚めもよく、起床後直ぐにトイレへ連れて行きました。大きな普通便が出ました。朝食のペースト食も補助食品も全部食べました。薬も飲ませ、着替えておんぶラックで下へ下ろし待機しています。
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生憎の雨になりましたが、母は元気に行きました。その合間に溜まっていた業 務を片付けます。土日の休みは48時間在宅介護なので殆どなにもできませんでしたので。
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 4つのうち2つ片付けました。あとの2つはすぐにやります。ただ母の在宅介護に気持ちと体が慣れているので、急に母がいなくなると、どっと疲れが出てかえって能率が上がらないですね。どうやら気持ちの切り替えが私は下手なようです。
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2022.11.05

知的生産性が低下しました

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 加齢と母(96歳)の在宅介護に手間暇に追われるせいで、「知的生産性」が低下して様に思います。「知的体力」というのでしょうか、最近低下を感じています。どういうことかと言いますと、仕事して在宅介護して、地域防災活動して、それに加え取材対応する。より報道関係者によりこちらの情報を提供することを行いたいのですが、その作業への「気力」が萎えてしまいできていません。それが悔しい。
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 パソコンで文字をうちましても「変換ミス」がやたら多い。それも自分では1度見直しているが、見落とし、ブログなどに投稿し公開されてから気付くことが多くなりました。老眼の進行もあるが、注意力も低下していますね。」「老化」なんでしょうか?


 


もっともわたしは 文章を書くことは嫌いではありません。毎日仕事で書いています。またブログとして「今日の出来事」を原則今日中に書いています。レポート文書や提案文章、質問に対する回答文も書いています。
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 土日は会社は休日ではありますが、介護施設はお休みですので、48時間かかの在宅介護です。休みがなくなりました。在宅介護がはじまxちうたのが6月15日。4か月半が過ぎました。15日で5か月目です。17日は母の97歳の誕生日です。
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「在宅介護をしたくても出来ない」人たちが大多数です。出来るだけでも幸福です。確かに大変はタイへンではありますが、得難い喜びもあります。高齢の母に寄り添える喜びをかんじています。

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2022.10.27

西川きよし氏の壮絶な介護体験

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 2022年10月の日本経済新聞のコラム「私の履歴書」は漫才師で元参議院議員の西川きよし氏です。22回目は「介護疲れ、家出繰り返す」「市の福祉課で涙とまらず」という見出しであり、壮絶な介護体験がつづられていました。

「母と2人きりで育った妻ヘレンは、一転して3人の子、3人の親と同居するという大家族の理想がかない、幸せそうに嫁・妻・母の三役を務めてくれた。」

「時がたつにつれ同居の親たちに老化の進行が目立ち始めた。

 中略

 「年を取るにつれ、介護の手間は増し、労苦もかさむ。かけがえのない肉親が、別世界の住民のような言動をしてこちらを途方に暮れrさせる。睡眠も奪われ、身も心も疲労困ぱいして、妻は一時期家出を繰り返すようになった。」

 介護保険制度の整備を1日も早くと西川氏は自らの家庭の壮絶な介護体験から強く決意したと言います。気持ちは120%わかります。

 たった1人の母親の在宅介護でも私はてこずっているのに、3人も介護するなど到底できそうもありません。読んでいて身につまされました。

 西川きよし氏も自分が介護体験をいして奥さんの苦労を思い知ったようです。男は介護体験をすべきですね。「見てなかったものが」見えるようになります。

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2022.10.14

母は元気にデイケアに行きました。

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 2022年10月13日(木)ですが、母(96歳。要介護5・認知症)は元気にデイケアに行きました。デイケアは週に3回(火曜日・木曜日・金曜日)に通所しています。

 母は自力歩行が現在できません。生活空間は2階なので、1階事務所まではわたしが、おんぶラックで母を背負い下ろしてきます。そして車椅子にし割らせます。デイケアの送迎者が車で事務所で待機します。
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 今日は朝から体調が良く、話しかけてもとても反応が良かったです。送迎車に元気に乗り込んでいきました。16時半ごろ戻りました。
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 14日はデイケアではなく、3日間のショートスティに母は行きます。10月は上旬の4日から6日までは、私が四万十市の現場立ち合いの為、母にショートスティに行っていただきました。2回目です。10月はなかなか予約が取れず苦労しました。
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2022.10.13

時間があまりにも足りません


 質問されてこられる人は皆真摯で真剣。「こんなに錆で困っている。」「どうすれば解決できますか?」「どのような防錆塗装で解決できそうですか?」という質問が毎日来ます。

 私は「複数ある質問の」1つ1つに簡潔に丁寧に、言葉もわかりやすく業界用語(慣例語)を全く使用せすに回答します。そうするとあっというまに1時間、2時間とかかります。すぐに「タイムアウト」になります。

 一方母の在宅介護も超高齢者の母の身体介護なので,細心の注意が必要。食事介助は主に私がしています。ペースト食の食事は小さじにペースト食を入れ、少しずつ母の口に入れます。飲み込んだことを確認してから、次のペースト食を口に入れます。時にすべて食べ終わるまでに1時間かかることもあります。

 食べると今度はトイレ介助。母は満足に自分の足であるけません、家内と2人で介助して少しづつ歩かせます。1時間2時間はすぐに経過します。仕事も介護も大事。どちらも真剣にやります。でも苦しいのは全然別次元の業務です。交わることがない。お互いが競合して時間を使い切ります。

 どうしたらいいのかわかりません。まわりに相談できる人もいません。慣れるしかありません。今週の15日でようやく4か月です。どうしても地域防災の方が「時間切れ」になります。こちらも真剣に取り組んでいますが、いつも時間切れです。

 なるようになるしかありません。変換ミスも多い情けない文章になっています。推敲する余裕がないのはやばいです。

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