生活を再建することは減災活動で最重要
10月26日から11月2日までの怒涛の「防災週間が」ようやく終わりました。週末の11月8日は、52年の付き合いになる大学時代のサークル仲間との「同窓会」があるんで、切り替えて旅準備。集合場所が群馬北部の新潟県境近く。寒さや熊が心配。週明けに片付けないといけない用事もたくさんありますね。


26日は地元での総合防災訓練。30日は「反省会」。30日と31日は、名古屋から大学院関係者3人との意見交換。


11月2日は学識者、NPO法人代表者、行政職員、自治体議員との防災ZOOM会議をしました。
多彩な意見交換と、多くの重要な情報を聞くことが出来ました。その間に棒再イベントのまとめや資料作りもしていました。フルタイムで仕事もしt例ましたので、結構きついが濃厚な1週間でした。
最近つくづく思うことは、防災関係者は総じて「命を守る」「命を繋ぐ」(避難所生活-仮設住宅での生活)への言及が大半。 関心ごともそう。「生活を再建する」という観点がとても弱いし、関心すらない人が多い。
確かに日本の減災対策は、いまだに「劣悪な」避難所は多い。「雑魚寝が当たり前だからです。だったら今後の地域の目標は「スフィア基準」の避難所を作ろうと思います。何とかしようということも大事です。
私はそのことにとても違和感を感じます。
14年前の東日本大震災の直後に、二葉町町内会幹部5人に「二葉町は地盤が沈下して当分住めなくなる。交流ができる山間部の地域を捜してくるように」と言われました。二葉町自主防災会は2008年に結成。幹部は町内会と役員を重複していました。1番の若手が私でした。
5人の町内会幹部は皆地元密着型の商人でした。町内会長は酒屋とコメ販売店。副会長の2人は奥さんが美容院。弁当店と仕出し店経営している人。漬物店経営の人もいました。自宅と店舗が二葉町にあり、大地震で店舗が破壊され、水没し、長期浸水した二葉町では、家も店も失われます。
危機感は相当なものがありました。つまり命を守る→命を繋ぐの段階を経て→生活を再建する段階を経るように防災関係者の多くは思い込んでいますが、二葉町は始めから真剣に「生活を再建する」を考えていましたから。


それから14年間かかってようやく「仁淀川町防災キャンプ」が出来ました。これからが本番です。より仁淀川町の各分野の皆様とより親しくなり、地域間交流を盛んにして、「2拠点居住」を実現したい。まだそれは実現していません。どうやって実現すればいいのか。真剣に考えます。

































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