昭和小津波避難ビル巡り2023
2023年11月30日(木)ですが、昭和小の学童を対象に下校時に最寄りの地域の津波避難ビルの中へ入り、あるいは場所を確認し下知地域をまち歩きをしました。
昭和校区を6つの地域に分け、下知地区減災連絡会の西村、国見、坂本、大﨑、中岡と市役所の下知担当の井戸田、浅野が担当し、案内しました。 私が担当しましたのは宝永町や日の出町、二葉町や稲荷町などの生徒たち16人でした。付き添いの先生と、野村さんご夫妻がサポートに来てくれました。
まずは小学校近くの日の出町の四国開発本社ビルに上がりました。生徒たちはランドセルを背負っていますので解散昇降はかなりきつい。6階まで上がっておるるのですから、手ぶらの私でもしんどいですよ。
次に知寄町歩道橋へ上がりました。こちらも津波避難ビルです。とお話ししました。東日本大震災でも歩道橋へ登り、津波から逃れた人たちがたくさんいました。歩道橋は橋梁メーカーが建設したりします。基礎もしっかり打ち込んでいますので、なかなか倒れないし、高さもビルの3階相当はありあす。津波でながされることもありません。
現実に静岡県吉田町では「津波避難タワー型歩道橋」があり、その場所に1200人が退避することができます。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-03c9.html
(静岡県吉田町の津波避難ビル型耐震歩道橋)
それから南宝永町のラウンドワンビルの立体駐車場が津波避難ビルであることを設明しました。そのあと、今回この津波避難ビル巡りでは初めて訪問する南宝永町のべスプライスホテルへ行きました。こちらは外付け非常階段を登り、4階まで行きました。
ホテルの人の説明では「普段は外階段から防犯のためホテルには入れません。災害事には、は入れます。隣のときわ保育所の避難ビルになっていますので。大丈夫です。」とのことでした。
二葉町歩道橋を渡り、鏡川大橋へ行きました。鏡川大橋も津波避難ビルの1つです。橋の中央部は4階相当の高さがあり、歩道部は斜路で自転車や乳母車、車いすでも登れます。
堀川水門から二葉町まち歩きをして、以下に下知が海に近いのか。を説明し枚s多。
最後に下知コミュニュティ・センターへ来て説明しました。3つの事をいいました。
「①昭和小h学校の周りの地域は、海抜0Mの島です、東は国分川、西は新堀川、南は堀川、北は江ノ口川に囲まれています。」
「②揺れが1分以上続いたらそれは南海トラフ地震です。必ず最寄りに津波避難ビルへ駆け上がってください駆け上がってください。東鵜日本大震災では津波で2万人が亡くなりました。でも近くのビルへ駆け上がって助かった人も2万にいます。とにかく空いているビルがあれば駆け込んでください。」
「③携帯用に水分補給にOS1ゼリーやカロリーメイトゼリーをカバンなどに入れておいてください。命をつなぐことが出来ますので。薬局に売っていますので。津波が治まるのは10時間以上かかります。待機中で水分補給、栄養補給は大事ですので。」
生徒たちからも質問や意見が出ました。そのうちの一つ。
「僕はマンションに住んでいます。マンションには救助隊は来ますか?また水や食料は来ますか?」
私はこう答えました「マンションには救助隊は来ないでしょう。救援物資も来ないと思います。お父さんやお母さんに言うて、坂本茂雄さんところのマンション(サーパス知寄町1)のようにマンション自主防災会をこしらえ、市役所に届けていたら、ひょっとしたら救援に来るかもしれません。でも基本は自宅で10日間の水と食料は美徳してください。救援は宛てになりません。」と言いました。
其の他いくつか質問があり、私の知識の範囲で答えました。とても刺激になりました。こちらも勉強になりました。なかなか昭和小の子供たちも意欲的で前向きです。白髪のお爺さんは感動しました。将来は頼もしいですね。
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