小さな地域防災会を仕事の合間にしているに過ぎない市井の市民です。今回の桑名市長の副市長の人事案件について書きました。とても長文ですが、12月28日の市議会の採決で決まります。高知市議会議員の皆さんに一読願いたい。わたしは異議を唱えたいからです。
高知新聞2023年12月24日の記事「桑名高知市政 融和アピール」「庁内 しこり解消に気遣い」「具体的変化これから」という桑名新市長の市政展望記事がありました。
市政担当記者も驚く、副市長人事案には、私は驚くと同時に怒りを覚えます。担当記者は以下記述しています。
「12月議会に合わせ,庁内外を脅かせる人事に動いた。14日、2人を予定する副市長の1人に,弘瀬優・農林水産部長を起用する意向を発表。廣瀬氏は年前の西日本豪雨時に、他の幹部と北海道へ競馬観戦旅行に行って、懲戒処分を受けている。」
「競馬旅行は、選挙戦で自ら批判した岡﨑市政の「緩み」を象徴する不祥事。その中心人物の抜てきには、議会や職員の間では「適任とは思えない」「能力は十分だが・・」と賛否が交錯する。
「桑名市長は,弘瀬氏の財務部長や総務部長などの経験を挙げ、「職員をまとめる能力を期待する。過去の反省も生かしてくれる」とする。
副市長議案は28日の議会最終日に採決される。と記事にはありました。読んだ感想は桑名市長の
副市長の人事案件は1市民として到底承服できません。私は市井の市民に過ぎません。海抜0Mの海に隣接する高知市二葉町で居住し仕事しています。ヘドロまみれの浦戸湾の海水を飲み込んで死にたくない一心で、小さな町の自主防災会で2008年より地域防災活動をしてきました。
2023年12月10日には、5年前の西日本豪雨災害で市街地の大半が水没した岡山県倉敷市真備町を23人で訪問。被災当時の話とその後の防災への取り組みを聞きました。倉敷市だけで52人が亡くなり、全壊家屋は4646棟の大災害であることをあらためて再認識しました。
真備町のあちこちには、赤線と青線が高い位置に表示しています。赤線が小田川の堤防の高さを示し、赤線は2018年の西日本豪雨災害の水没地点を表示しています。その高さに参加者一堂驚きました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-98563d.html
(真備合同防災研修会1210)
この1つの事例でも2018年の西日本豪雨の最中に幹部職員でありながら「競馬旅行」に行く非常識さだけで失格です。当時は高知市でも大雨洪水警報が発令され、避難指示も出ていたと思います。
更に記事にありませんでしたが、弘瀬氏は西日本豪雨災害の3年ほど前には、災害対策部副部長兼防災政策課課長もされていました。私は弘瀬氏に副部長時代に2回「煮え湯」を飲まされています。
①下知減災連絡会主催で、県南海トラフ地震対策課課長と市防災政策課に声がけし、避難場所や仮設住宅用地の不足対策を県と高知市に進捗状況を聴講し、意見交換会を下知地区減災連絡会で計画しました。(確か2014年頃かと思います。)
県は南海トラフ地震対策課課長が出席を確約してくれました。高知市側も決済権限のある管理職に出席いただきたいので、私は弘瀬優氏に出席要請しに防災政策課を訪問し依頼しました。そしたら弘瀬災害対策部副部長は、「県が課長が出るからと言って、高知市の管理職が出なければいけないルールなどない筈。私は忙しいので出ません。」というにべもない話でした。結局県は課長が来て説明したのに、高知市防災政策課は若手職員が説明しました。なんともしまらない会合になりました。とても残念でした。
それだけではありません。もっと大きな責任放棄を災害対策部副部長はしでかしました。それは民間企業2社が年間2000万円を上限に、毎年行政側に津波避難用誘導灯(太陽光発電ソーラー街灯)を工事込みで物納する「高知ホタルプロジェクト」を担当者でありながら全く何もしませんでした。
②これも2014年の5月頃でした。今一度高知ホタルプロジェクトの概要を説明します。
「高知ホタルプロジェクトの概要について」
音楽関係者の社会貢献活動は、今や盛んにおこなわれています。
古くはアメリカのウイアーザワールド(1985年)が有名ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
日本では東日本大震災後に、タレントやア-ティスチスト達が、被災地を慰問しコンサートをしたり、各地でチャリティ・コンサートの収益金を被災地に寄贈したりしていました。ユーミンや福山雅治などが積極的にしていました。
より具体的に被災地支援を当時から先行してやっていたのが、浜田省吾でした。
コンサートライブの収益金の1部や、コンサート参加者からの善意のカンパを集め東北被災地に太陽光パネル・ソーラー照明避難誘導灯を設置する活動をしていました。
http://js-foundation.com/message(濱田省吾の外部団体です)
それで2014年頃に、DUKEさんから「DUKEも目に見える社会貢献したい。しかし我々の業界は普段から行政との繋がりが全くない。けんちゃん(西村)が防災の関係でテレビでよく見るので、行政側との取次ぎをお願いしたい。」ということでした。
高知市からDUKEさんはやろうということで、5月頃だと思います。高知災害対策部へ持ち込んでいました。ところが半年近く何の音さたがありません。当時はDUKEと四国舞台テレビ照明あわせて、年間2000万円で、太陽光ソーラー街灯を購入し、建てる工事までおこなうということでした。高知市の事業負担は0円です。しかも1年きりではなく毎年協力しましょうというとてもいい話でした。
あまり返事がないので確かめますと、あろうことか災害対策部副部長の広瀬優氏が、「高知ホタルプロジェクト」の処理を全くしていませんでした。
DUKEさんはゆくゆくは高知県下全体に広げたい構想がありアしたので、地元県議の坂本茂雄さんにも相談していました。ところがスタートした高知市からつまずきました。
これにはDUKE側も激怒し、私のところへも電話がありました。そして坂本さんに相談しました。坂本さん曰く「副市長の𠮷岡章は、学芸高校時代の同級生。なんとかならんかたのんでみる。」とのことでした。
すると𠮷岡副市長は弘瀬氏広瀬をスルーして、当時下知担当でしたYさん達2人に指示しました。そしたら彼らは「あっという間に70件のリスト」を出し、高知ホタルプロジェクトは稼働し始めました。(一連の当時のブログ記事を参考してください。)
「高知ホタルプロジェクト」と関係者で名付けてスタートしました。
私の稚拙な自作のブログ「二葉町防災新聞」にそのあたりの記録を掲載していますので、ご参考ください。
出来るだけ時系列的に並べますが、前後していたらすみません。
ブログのカテゴリーは「高知HOTARUプロジェクト」です。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-9298.html (高知での蛍プロジェクトが始動しました。2015年4月18日記事)
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-4f3a.html (善意の灯りが高知市へも 2015年8月6日記事)
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-06c0.html (高知蛍プロジェクトの進捗状況 2015年9月 2日 (水)記事)
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-9dfa.html (2016年4月29日 (金))
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-06e0.html (今年も高知ホタル・プロジェクトは継続 2016年8月17日 (水))
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-cf85.html
(高知ホタル・プロジェクトも県東部へ展開 2016年9月 5日 (月))
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-ce26.html (香南市でも高知ホタルプロジェクト・設置予定 2016年9月12日 (月)
◎香南市との関係ですが、私は1985年から(今でもです。下手の横好きで38年目す。夜須の海でセーリング(帆走)しています。)ただそれだけの関係で青年会議所や1ヨット関係者でかかわりがあっただけです。
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/yasuoka/koborebanashi.html (ヤッシーパークのモデルはアメリカ西海岸です。その夢が実現しました。)
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/nakura/s-s-yasu.html (現在のNPO法人YASU海の駅クラブの原型はこの事業からです。当時夜須町教育委員会の若手職員が田内修二さんであり、後の香南市副市長です。高知ホタルプロジェクト」の話を香南市に行ったときに「これは物納ですね。ありがたい話です」と理解いただきました。人の繋がりは大事ですね。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-1954.html
(昭和小の蛍プロジェクトの灯り 2017年12月31日 (日))
コロナ禍で4年間ぐらい中断。今年から再稼働際しました。3つの自治体から設置以来があり、DUKEさんが調整中です。
①と②の事例を表記しましたが、いずれも弘瀬氏が災害対策課副部長兼防災政策課課長時代の出来事です。
高知市議会議員各位は、弘瀬氏が副市長に「ふさわしい」人材なのかをよく調査して判断なさって下さい。地域防災対策に「まったく関心のない人物」であり行動履歴がない人物が副市長にふさわしいと言えるのでしょうか?ありえません。
まして「1割自治」という高知市財政で、民間企業のご協力で、市民の安全対策街路灯が整備できる「高知ホタルプロジェクト」はいい事業なのに。、後に財政部長や総務部長を歴任されたという弘瀬氏は関心がない感覚も信じられません。一体何が「有能である」と桑名市長は言われるのかわかりません。
私見ですが、高知市の防災関係者にとって、弘瀬氏の副市長登用は「暗黒時代」の到来です。さてどうなるのか?弘瀬氏の西日本豪雨災害時の「競馬旅行」はまさに岡﨑前市長時代の「緩み」の象徴。桑名市長は「最初から緩みを公認で市政をスタート」なさるご予定のようですね。いかがなものかきちんと説明なさるのか聴講したい。
高知市議会は12月28日に終わります。そのなかで本会議(午後14時開会)で副市長の人事案件も市長から提起され採決されるようです。ある意味「歴史的」な日なので、私は休暇を取得し高知市議会を傍聴に行く予定です。
どの会派が賛同したのか。反対するのか、見極めに行く予定です。
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