先駆者の逝去に絶句
先日、前の会社の上司であったMさんが6月に亡くなり7月2日に49日をしましたと言う電話を奥さんから頂きました。
私が25歳ぐらいの時に東京営業部に配属になった時に、メーカーの営業活動を実践で教えてくれた人でした。当時はバリバリの課長で42歳。小柄な人でしたが、アイビーで頑張る格好いい人でした。
「公私ともに忙しいのは、社会からリクエストが君に来ていることだ。いいことだと考えて慌てず落ち着いてすべて処理するように。」
「お客さんからのクレームは、それだけ真剣に取り組まれている証拠。逃げずに現場へすぐに飛んでいき、言い分を聞いてくるように。クレームはチャンスである。クレーム処理で人間は成長する。」
「年長者の構想と対立する場合は、きちんと多くの実例を示して、丁寧に説明するように。文章は誤字や脱字がないように推敲するように。」
わたしは多くの総務系の上司に「否定的な言動」が多くされて×社員の烙印を押されていました。Mさんは全くそうではありませんでした。
「字は丁寧に書け。会社のルールを守ってから発言しろ。」と言われました。
Mさんは「慣習」にとらわれず、わたしの「やる気」を引きだしてくれました。私は意気に感じて朝6時から夕方21時ごろまで働くことが多かったです。面白かったです。
でもMさんも『やり手」ゆえに挫折もあり、10年間は干されていました。50歳代のバリバリ時代がその時期でした。その苦難を乗り越え、新しい境地を開拓していきました。
朝ドラでも主役の佐田寅子が恩師の穂高重親先生との別れがありました。
Mさんが上司であった時代は「やりたいことはやらしてくれて、成果が出れば更にやらしてくれた。」良き時代でした。
Mさんの奥さんは「苦痛なく寝ているときに逝きました。人は必ず終末が来ます。時節柄家族葬で済ませました。あなただけにはお知らせしました。」とのこと。
心よりお悔やみ申し上げます。合掌。
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