ようやく被災地の現実を相対化
2025年3月3日の高知新聞の読者投稿コーナーである「声・ひろば」欄に、投書が掲載されました。題目は「被災地の現実に驚愕」とあります。
2025年1月16日と17日の2日間は西田政雄さん(防災寺小屋塾頭)と一緒に、神戸市長田区鷹取東地区の「阪神淡路大震災30年の集い」と「30年慰霊祭」(長田ポケットパーク)に駆け付けました。
二葉町自主防災会は2007年に発足しましたが、結成時から顧問と助言者であった西田政雄さんが2008年に橋渡し役として長田区鷹取東地区を紹介してくれました。その時有志で現地を訪れれました。もう17年前になります。
http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/cat31916625/index.html
(神戸市長田区鷹取東との交流)
その後も二葉町は交流があり、10年前の「震災20年の集いと慰霊祭」も西田政雄さんと一緒に長田へ行きました。また鷹取東からも2013年にリーダーの石井弘利さん(2015年のご逝去)とチョ・ホンリさんが下知地区へ来られ、チョさんは2015年にも来てくれました。
投書にも書きましたが、長田区鷹取東地区の皆様の凄いのは、自分たちも被災者でありながら、阪神大震災の後で起きた大地震の被災地へ、自腹で支援に行き、助言をなさっていることです。
阪神大震災の9年後に起きた新潟中越地震。大きな被害を受けた山古志村へ支援に行かれ、神戸の苦い経験をお話されたようです。そのため山古志村は「地域コミュニュティごとに固まって避難所生活、仮設住宅生活をされ、全村避難から3年後に全村帰村が出来ました。
市役所の都合で地域コミュニティーが寸断され、また長田地区の復興まちづくり計画も「住民不在」で長田の復興事業の多くはされて来ましたから。神戸市が肝入りで建設した多目的ビルで、活用されているのは駐車場だけで、店舗入居者はほとんどなく、大都市部でもシャッター通りになっていました。
地元の人に聞きますと、「テナント料が月に20万円。共益費も20万円。それにエレベーターのメンテ費用もテナント負担分がある。おそらく皆今は言っている人たちも出ていくようですよ。」とか。
長田は建物は綺麗に復興され,地震や火事の痕跡はありませんが、再開発ビルに入居者がいない現実が、再開発事業の失敗事例として今後も伝承されることでしょう。当時の有識者や専門家、行政の責任者は何をしていたんでしょう。
鷹取東地区のリーダーのチョ・ホンリさんが支援に行かれたのは新潟県山古志村だけでなく、福島県双葉町や石川県穴水町であり、町のリーダーが16日17日と長田に来ておりました。「30年の集い」のパネリストとしての発言と、その後慰霊祭での意見交換などで、災害後の深刻な現実を聞かされました。
双葉町の現実、穴内町の現実には身がつまされます。過疎高齢化が一段と進んだ山古志村(合併して長岡市山古志地区)は、地域の特産品の錦鯉の販売が絶好調らしく、遠く欧州の人たちが山古志迄来られ、購入するそうです。
地域の突き抜けた「特産品」の存在は心強いものがありますね。
最近のコメント