
私は72歳という「リタイヤ世代」ですが、個人商店の主故に仕事は忙しい。とくに3月以降「イラン戦争」のナフサ危機で悩める毎日です。地域防災関係の事業も、3つの事業を抱えて案外多忙。
自分を取り戻す自分なりの方法は、「海の散帆」と「読書」でした。読書も最近は「硬い書籍」を読みたいので、4冊図書館で借りてきました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat2367757/index.html (ヨット関係・海の散帆)
「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル・著・土方奈美・訳・斎藤幸平・監修)
「ゼロからの「資本論」(斎藤幸平・著・)
「ぼくはウーバーで捻挫し、山で鹿と闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平・著)
「マルクス・リバイバル」(マルチェロ・ムスト・著・斎藤幸平・佐々木隆治・監訳)
いずれもお硬い社会思想の本です。いずれの著作にも絡んでいる斎藤幸平氏は、1987年生まれの49歳。子供世代の学識者。最近はテレビのバラエティでも顔出ししている若手の学識者です。
5月頃読んだ「テクノ封建制」(ヤニス・バルファキス・著斎幸平解説)から、斎藤幸平氏の「人新世の黙示六録」なのを所詮は「ななめ読み」「飛ばし読み」ですが読んでいました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-24b16a.html (テクノ封建制)
どうやら現在の資本主義は、末期で、新自由主義で終わり、GAFAMのデジタル空間を支配する少数の領主たちが全世界を支配するおぞましいd社会になっているという指摘には、慄然としました。
また斎藤幸平氏が思索対象としているカール・マルクスは、ロシア・マルクス主義者の解釈する狭い「科学的社会主義者」でもなんでもなく、もともと社会の成り立ちを俯瞰し、考える哲学的な思考をする人でした。
封建社会を解体し、産業革命以降の資本主義経営は、今までの社会制度とは全く異なり、発展性もあったが、権限のない市民から果てしなく悪びれることなく搾取しまくり、自然環境も破壊し、汚染し、環境破壊し今なお突き進んでいる。
問題は全世界の人類の思考や買い物指向のすべての個人情報、企業情報をGAFAMの少数の領主が独占するだけでなくアルゴリズムで個人をコントールしたり、生成AIで社会コミュニュティを壊そうとしたり危険性も指摘されています。
膨大な電力資源をデータセンターが消費するらしく、周りの地域社会と共存することなく増殖し、環境破壊もお構いなしの、得手勝手の「情報化社会」は誰のためにあり、本当に必要なのかを、今一度落ち着いて考えるべきではないか。
そんな気持ちで読みました。
「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル・著・斎藤幸平監修・土方奈美訳)

こちらの著者も1980年生まれの46歳の哲学者。「倫理資本主義」の概念も、50年ぐらい前の学生時代に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー著)を読んだことがありました。確かキリスト教徒の大塚久雄氏が翻訳していたような気がします。
渋沢栄一なども道徳と経済の合一を説いていました。強欲資本主義とは一線を画する。「今日の新自由主義的資本主義は新たな封建制というべき状況を生み出しており、(中略)新自由主義の問題は本質的に「社会的自由であること」つまり他者が存在しなければ実現しない自由であることを見落としている。」(P174 訳者あとがき)
「ぼくはウーバーで捻挫し、山で鹿と闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平・著)

社会と格闘する斎藤哲夫氏の「社会実践・日誌」で面白い。
①社会の変化や違和感に向き合う ②気候変動に地球で ③偏見を見直し公正な社会へ
という項目で地域へ出かけ、新種の仕事の体験し、不便と向きあう体験されています。今までも有機農法だとか、化学製品拒否の生活もありました。しかしマニアの閉ざされた社会でしかありませんでした。
斎藤氏の「実体験」各種は読んでいた笑いが出て面白い。
「ゼロからの「資本論」(斎藤幸平・著・)

通俗的な「社会主義入門書」は、「賃労働と資本」とか「経済学・哲学草稿」や「共産党宣言」になるらしいが、マルクスの思想は広範であり。哲学的な要素が多くあり、南海であるがために、いわゆる「社会主義政党」や支持者たちは「切り捨て」「矮小化」して、つまらないものにしました。
「現状への不満や未来への恐怖が排外主義などの反動的欲望に転化しないようにするためには、別のより魅力的な選択肢が存在することを、説得力のある形で示す必要があります。けれどもそれは容易なことではありません。(容易だったら、日本のリベラルもこれほど低迷していないでしょう。)
皆が当たり前だと思っていることを疑い、別に道を考え、行動するのは本当に難しい。それでも誰かが問題提起をする必要性があります。」
「本書は、「資本論」を使った、一つの問題提起です。だからこの本は入門書だけども、。資本主義批判としてではなく、コミュニュズム論にもなっています。マルクスについての本は膨大な数がるので、コミュニュズムという視点から書かれた入門書がないことが、現在のマルクス主義や左派の低迷をもたらしていると思うからです。」(P235 あとがき)
「マルクス・リバイバル」(マルチェロ・ムスト・著・斎藤幸平・佐々木隆治・監訳)

マルクスの思想や考え方が、最近(2020年以降)見直されてきたようにおmぉいます。それは50年以上前の高校生時代にわたしはマルクスの考え方をこういう言葉で表現していました。
「1人の自由な発展が、万人の発展となりうる新しい共同体づくり」です。レーニン主義の(スターリン主義)の「1人は万人のために、万人は1人のために」という矮小化された党幹部独裁主義(民主集中制)という仕組みが全世界で共産主義や社会主義を矮小化させ、堕落させてしまった思います。
日本社会でいえば旧社会党や共産党、それらの既成政党を旧左翼として批判してきた新左翼セクトもやはり組織特性は「独裁的」でした。70年代は「連合赤軍事件」や「凄惨なセクト同士の内ゲバ殺人」を繰り返し信頼を失い消滅しました。
「2008年に発生した恐慌以降、マルクスはブームになっている。(中略)実在する社会主義としばしば誤って同一視され、1989年以降無愛想に払いのけられてしまった思想家についての新しい問いを多くの人々が考え始めている。」(序章 P1)
「もし共産主義がより高度な社会の形をめざすのであれば、「各人の完全で自由な発展」のための条件を促進させなければならない。
そのためには共産主義を、多くの「共産主義国家」が、そのプロパガンダにおいて掲げてきた「プロレタリアート独裁」と等置する代わりに、「自由な人間たちのアソーシェーション」というマルクスの言う共産主義社会の定義を再検討する必要がある。」(序章P3)
著者が言うように、丁寧に「共産主義社会の在り方」「自由な人間たちの共同社会」について、より深い、真摯な議論をしないといけないと思いますね。
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