書籍・雑誌

2017.05.24

「誰にも書けないアイドル論」を読みました。

_new_r


 いつぞや出張時の県外のホテルのTVで、やたら芸能界のアイドルに詳しく、オネエ言葉で喋る強烈な印象のある人でした。最近ではNHK総合TVの「シブ5時」にも登場しているクリス松村氏です。

 「誰にも書けないアイドル論」(クリス松村・著・小学館・2014年刊を読みました。

 父親は外交官。海外生活が長く、家庭ではクラッシック音楽しか聞くことが許されなかったとか。親に隠れてアイドルの曲をラジオで聞いたり、小遣いでアイドルのレコードやグッズを買いためていましたが、ある時両親にすべて捨てられたのを機会に、絶縁紙独自の人生を歩んで行きました。

「かつてのアイドルは、デビュー当時はまだまだ垢抜けないないイモねえちゃんでした。そんな普通の女の子を、ファンのみんなと磨いていくー。その過程を楽しむのが、アイドルを応援する醍醐味のひとつでした。

 そういう喜びを感じさせるアイドルが、近頃は本当に見当たりません。」(「アイドル時代」概論 P37)

 クリス松村氏は、彼自身の定義するアイドルの原点は、森昌子であると言います。「昔からあった歌謡曲のジャンルのなかに、新たに「アイドル」というジャンルができたのは1971年でした。」(P33)

そしてクリス松村氏好みの「いも姉ちゃん」アイドルと、ファンとの良好な関係が持続したのは1984年までとか。そして昭和が終わる(1989年)でアイドルらしいアイドルは終わってしまった。

 また松田聖子は、アイドル出身のある意味の「スーパー・スター」ですね。

「彼女は、売り上げが安定しないというアイドルの流れや、恋愛ネタや結婚ネタがマスコミで騒がれるとアイドル生命を絶たれると言うジンクスをなくしました。」(P63)

 私にとってのアイドルを意識してみたらどうなっているか思い出してみました。

 岡﨑由紀、岩崎宏美、太田ひろみ、キャンデーズ、アグネスラム、南沙織、あたりになるんでしょうか。学生時代の友人はアグネス・チャンと浅野ゆう子のファンで、実際にコンサートへ行っていましたから。わたしはそれほど熱心ではなく、耳に入っていたと言う程度です。

 2年前に高知市で講演された音楽評論家のピーター・バラカンさん。子供の時から聞いていたことと同じことであると思いました。

「ピーター・バラカンのわが青春のサウンド・トラック」を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-fbf5.html

 クリス松村氏は、ゲイであるそうです。そうでありながら女性アイドルの成り立ちから歴史について記述しているのは、「大河ドラマ」のようでした。「年表」がほしいですね。ほんとにクリス松本氏以外は「誰も書けない」と思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.23

素晴らしいビックコミック・オリジナル

20日発売のビックコミック・オリジナル(6月5日号)。なかなかヘビーな内容ではないか。
_r_14

 登場人物が昭和天皇やアメリカの「赤狩り」の様子や、政治家の裏側を見せるまんがや、太宰治原作の「人間失格」まで盛りだくさんです。
_r_15


_r_16


_r_17


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.12

母を連れてはりまや橋商店街へ


_r

 先週は5月の連休の5日(金曜)は、はりまや橋商店街での「活き活き100歳体操」はお休みでした。2週ぶりに母(91歳)を連れて来ました。
_r_2

 まずは夕飯用のコロッケを購入しました。次に谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。パン屋さんでクッキーを購入しました。
_r_3


_r_4

 谷ひろ子さんのお店でコーヒーを依頼し、母とお茶しました。今日は100歳体操へ参加される人の参集時間が遅いようでした。
_r_5


_r_6

 カメラの調子が悪く、100歳体操の写真が多く撮影できませんでした。
_r_7


_r_8


2017051216280001

 終わりますと事務所へいったん戻り父(97歳)を積んで横田胃腸科内科へ行きました。、待合室で奥内将之さんに会いました。久しぶりでした。
_r_9

 横田哲夫先生の診察は両親とも「医学的な所見はない。」ということでした。血圧は、父が136-60で、母が130-68で良好でした。

 処方された薬を受け取る調剤薬局に母と一緒に行きました。RKCテレビをやっていまして「文旦好きがこうじて」の著者である松田雅子さんがゲスト出演されていました。
Matuda1_r


Matuda2_r

 だんだんお天気が悪くなりますね。明日は夜須でヨットレースがあります。土日2日間の予定。土曜日だけエントリーしていますが、お天気はどうなることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.03

没後20年司馬遼太郎展へ行きました。


_r_20


_r_21

 2017年5月3日は、午後から父を介護予防通所サービスへ送り出してから家内と2人で徒歩で行きました。憲法記念日なので、「憲法施行70周年県民の集い」へ参加したかったのですが、終了時刻が16時半との事。16時には自宅にいませんと両親をデイサービスから引き取れませんので断念しました。

 それで高知県立文学館で5月25日まで開催中の「没後20年司馬遼太郎展 21世紀”未来の街角”で」を見学しに行きました。こちらは商店街の騒がしさとは無縁で、司馬遼太郎さんの世界を堪能できました。

 義母より1年前の1996年に司馬遼太郎さんはご逝去されています。多くの歴史小説を出筆されておられます。私も何冊か読みました。

 また晩年には「この国のかたち」という随筆や対談集を出されました。ご自身の戦争体験や、歴史から見た現代社会のあり方を鋭く問いかけています。

 個人ブログに「司馬遼太郎氏の帝国主義論」というカテゴリーにまとめて見ました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21875235/index.html

 展示の中にありました「この国のかたち」に印象に残る言葉を残されています。


「統帥権の無限性」

 これは4年前に愛媛県松山市の坂の上の雲ミュージアムの展示室で購入した評論「「昭和という国家」(司馬遼太郎・著・第1刷1999年第23刷2012年刊・NHK出版)を讀んだ感想を書きました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-e9b9.html

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」と書かれていました。

 また「雑貨屋の帝国主義」という表現も鋭く的確です。

”雑貨屋”の帝国主義


 「この国のかたち」にきちんと説明されています。

「「なぜ、日本は、勝利後、にわかにづくりの大海軍を半減して、みずからの防衛に適合した海軍にもどさなかったのか」ということである。

 日露戦争における海軍は、大規模な海軍たらざるをえなかったことは、「坂の上の雲」(文藝春秋刊)を書いた私としては、十分わかっているつもりである。
 ロシアのウラジオストックにおける艦隊を討ち、かつ欧露から回航されてくる大艦隊と戦うためには。やむなく大海軍であることを必要とした。その応急の必要にせまられて、日本は開戦前、7,8年のあいだに、世界有数の大海軍を建設した。

 ロシア海軍はこれによってほぼ壊滅し、再建には半世紀以上かかるだろうといわれた。」(P37)

「大海軍とはいうのは、地球上のさまざまな土地に植民を持つ国にしてはじめて必要なものとなる。

 帝国というのが収奪の機構であるとすれば、16世紀の黄金時代のスペインこそその典型だった。史上最大の海軍が作られ、大艦と巨砲による威圧と収奪、陸兵の輸送と各地からの収奪物の運搬のためにその艦船はあらゆる海に出没した。

 16世紀末、その無敵艦隊をイギリスが破って、スペイン的な世界機構の相続者になり、機構をみがきあげるのである。

 当然、イギリスは大海軍を必要とした。蒸気機関の軍艦になってから世界の各地に石炭集積所を置いたために、港湾維持のための支配や外交がいよいよ精密化した。

 しかし、日露戦争終了の時には、日本は世界中に植民地などもっていないのである。」(P38)

  中略

「 しかしその当時の日本は朝鮮を奪ったところで、この段階の日本の産業界に過剰な商品など存在しないのである。朝鮮に対して売ったのは。タオル(それも英国製)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるのだろうか。」

「また、朝鮮を侵略するについても、そのことがソロバン勘定としてペイすることだったのか、ということをだれも考えなかった。

 その後の、”満州国”(昭和7年・1931年)をつくったときも、ペイの計算はなく、また結果としてペイしたわけでもなかった。」(P43)

「(中略)・・・・・・。

 日本からの商品が満州国に入る場合、無関税だった。この商品がこれ以後、華北に無関税で入るようになった。このため、上海あたりに芽を出していた中国の民族資本は総たおれになり、抗日への大合唱に参加するようになった。翌年、日本は泥沼の日中戦争に行ってします。

 ”満州”が儲かるようになったというのは、密輸の合法化という右のからくりのことをこのモノはいうのである。その商品たるやー昭和10年の段階でもなお人絹と砂糖と雑貨がおもだった。

 このちゃちな”帝国主義”のために国家そのものがほろぶことになる。1人のヒットラーもで出ずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか」(P46)

 司馬さんは「坂の上の雲」を書いたときに、戦争と言えるのは日露戦争ぐらいだろう。アメリカの仲裁があって辛勝した戦。日本海海戦は何故勝利したかの分析も何もない。無残な後日の敗戦は、その頃から準備されていたのですから。

 安倍晋三首相が「2020年に日本国憲法を破棄し、新しい憲法をこしらえる」と記者会見で吹聴しました。一体改憲論者は何を目指すのでしょうか?「雑貨屋の帝国主義」なのか「統帥権の復活」なのか?しかしそれはありえない。今上天皇陛下御自身が「平和国家建設」の強い意志で行動されています。少し考えたらわかることです。

 今回の文学館の展示では、16世紀、19世紀、21世紀と分けられ、作品の背景の解説がされていて、司馬文学の全貌がよくわかる展示になっていました。2時間近く展示を見ましたが、とても見ごたえがあり、感銘しました。
_new_r


2_new_r


_new_r_2

 戻りに販売コーナーで「日本人への遺言」(朝日文庫・1999年刊)を購入しました。亡くなる直前までの対談集で貴重です。ゆっくり読んでみます。
_r_22


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.20

今週号の週刊現代の記事は強烈でした。

Syuukangendai_429


 週刊現代4月29日号の52Pから57Pの特集記事は強烈でした。見出しもおどろおどろしい。

「急増する「死後離婚」義父母は捨てられた!」
 
 「息子が死んだら、嫁が財産持って遁走」

 「もう赤の他人ですから」

 「遺産と年金さえもらえば、ハイ、さよなら。舅姑の面倒なんか見たくな  いから籍を抜く」

 「死後離婚の手続き実はこんなに簡単だから」

 記事にはこう書かれていました。弁護士の話です。

「夫が先に死んだ場合、民法上はその妻を含む三親等の親族までは両親の扶養義務を負う場合があります。

 しかし実際に扶養義務を負うのは家庭裁判所が妻に「両親を扶養せよ」という審判を出した時の話です。それがない場合は、嫁が舅や姑の面倒を見たり、扶養したりする必要はありません。

 同居している嫁には扶養義務があると誤解している親や嫁が多いのも確かです。
1_r_4


2_r_5


3_r

 もし家庭裁判所が妻に扶養義務があると審判を下したとしても、親族関係終了届を出して、死後離婚をしてしまえば、その審判は無効になります。

 ただし、亡くなった夫(仕事中に交通事故で死亡)との間に子が入れば、それは祖父母と親族関係がありますので、子供の方が扶養義務を負うことになります。」(P55)

 記事には実例も紹介してありました。

「弁護士に亡夫の親族と縁を切る相談に行き、息子も説得したうえで、夫の49日の朝役所に書類を提出した。それから集まった親族に、もう親戚ではないし扶養の義務もなくなったことを告げました。

 中略

 「お母さんを見捨てるつもり?」「身勝手すぎる」とハチの巣をつついたような騒ぎになりました。

 それでも、もうこの人たちと一生関わり合いにならなくて済むと思えば、どんな言葉を浴びせられても平気でしたね。

 相続も済んでいましたし、保険金も入った。年金も十分貰えるので不満も不安もありません」

 こうして津田さん(仮名)は、義理の老父母を「見捨て」新しい人生を歩むことになった。(P54)

 この数年で急速にこうした事例が多くなっているとの事です。

 昔,小津安二郎の映画「東京物語」がありました。夫が戦死し、未亡人となった原節子が、夫の両親が広島から上京してきて、かいがいしく面倒をみていました。そんな嫁さんの姿は、現代の日本では「あり得ない」お話のようですね。

http://eiga.com/movie/38069/(東京物語・1953年・小津安二郎監督作品)

 映画の原節子さんのような女性は、日本国では絶滅したのでしょうか。
Original

 うちも超高齢の両親(父97歳・母91歳)の在宅介護ケアをしています。家内の負担が70%、わたしが30%程度になっています。家内は本当によくやっていただいています。感謝しかありません。

 夫婦が生存中でも「介護離婚」が多くなっているように聞いています。家内に「見捨てられない」ように努力しないといけないと思いました。還暦すぎたら男は謙虚にならないといけないと思いました。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.18

「共謀罪」の弊害を指摘している女性誌


_r_2

 2017年4月13日の午前中は絶食状態でした。健診クリニックから解放されたらもうお昼前の時間帯に。お腹がとても好きましたので、ご近所のカフェレスト・すみれへ行きました。お昼の定食を美味しくいただきました。

 その折手にした週刊女性。おおむね芸能・ファッション・料理・ダイエット主体かと勝手に思い込んでいましが、きちんと社会問題にも特集を組まれて切り込んでいます。
_r_3


_r_4


_r_5

 今回は安倍内閣が今国会で成立させようとしている「共謀罪」の危険性を具体的に記述されています。「取締側の裁量で、共謀範囲が認定される危険性がある。」「要するに共謀罪はテロは防げないが、国民各位の市民運動や社会運動を根絶する効果は絶大である。」とまで言い切っています。

 思わず「そのとうりだ!」と思いました。女性誌各誌は、原発再稼働問題や、戦争法案の危険性もきちんと指摘されていました。全国紙や全国TV局が「権力の番犬化」している今は、まともな社会意識を持っておられるメディアの1つが女性誌ですね。感心しました。
_r_6


_r_7


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.16

女優さんは年取らない(エージ・レス)ですね。

美容室で母(91歳)のカットするのを待っている時に女性週刊誌を眺めていました。

 グラビアページに浅丘るり子(1940年生まれ)、加賀まり子(1943年生まれ)、五月みどり〈1939年生まれ)の写真が掲載されていて仰天しました。
_r_14

浅丘さんは77歳、加賀さんは74歳、五月さんは78歳ではありませんか・・
 女優は年取らないと言われていますが、どうなっているんでしょう。

_r_15


| | コメント (0) | トラックバック (0)

「歩けなくなる人」その兆候と対策


_r


_r_2


_r_3


_r_4

 今日(2017年4月11日)高知市で発売の週刊現代4月22日号の記事「50歳過ぎたら全員、必読 結局、これが「元気で長生き」の1番の敵です。歩けなくなるひとその兆候と対策」は、超高齢者の(父97歳・母91歳)の在宅介護ケアをしている立場ですので、よく理解できました。

 注意を喚起する見出しや書き出しが連続で続きます。

「2本の足で歩くこと、そんな当たり前のことがある日突然できなくなると、老いは想像を超えたスピードで進む。早い段階でその兆しを見つけて、車椅子生活を避けるためには、どうすればいいのか。」

「すり足で歩く人は危ない」

「薬でふらついて骨折」

「歩けるうちにとにかく歩く」

「知ってましたか?老人ホームに入ったせいで 歩けなくなる人が続出中」

「歩かせない施設がある」

「生活不活発病が怖い」

 見出しのとうりです。高齢者になりますと身体機能が、衰えます。事前い対策をしていませんと、2歩足歩行が出来なくなります。

 うちの両親は父が97歳、母が91歳です。敷地が狭く、階段生活の毎日です。敷地が狭いのでスペースが取れないので、階段の1段の高さは22センチもあります。下知コミュニティ・センターの内階段の倍の高さです。

 それで転落防止対策も兼ねて、金具を取り付け、丈夫なヨット用のナイロン・ロープを使用し、両親が階段の昇降時に使用しています。「バリヤ・アリー」の生活そのものです。
Ltesuri1_r

バリヤ・アリーで介護予防対策

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-cea0.html

 身体機能回復の手立てとして、ケアマネージャーさんのお奨めで、2011年9月から、介護予防通所リハビリ施設へ通所しています。父は週に4回、母は週に2回行っています。」少しだけですが、歩ける距離が伸びたと思います。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post.html

_r_5


_r_6


_r_7


_r_8


_r_9


 運動習慣も大事です。父の場合は無類のゴルフ好き。今でも週に1度は「リハビリ・ゴルフ」と称してゴルフ練習場へ行き125発の球を打っています。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-575b.html

Photo


 母は現在1日デイを3回と、父と一緒に介護予防通所リハビし施設へ行っています。金曜日ははりまや橋商店街へ連れ出して、買いものと、活き活き100歳体操教室へ参加しています。
Baasannekozekyousei004_r


Zisan001_r


http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-dd7f.html

Haha_taisou


 つくづく「転ばぬ先の介護ケア」が必要であると思います。両親が介護認定を受けて6年目。ディサービスや介護予防通所リハビリ施設のご協力で、超高齢者の身体機能の衰えは、防がれているようです。何よりです。

「高齢者の身体機能の維持」は、低地にある下知地区の避難計画を作成する場合もとても大事な要素です。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-575b.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.09

「親日派のための弁明」を読んで

_new_r


 「親日派のための弁明」(金 完燮・キムワンソプ・著・荒木和博・荒木信子・翻訳。草思社・2002年刊]を読みました。現在韓国では反日運動が高まり、大使館前や総領事館前の「慰安婦像」は撤去されず、5月実施の大統領選挙でも、野党の反日発言を繰り返す候補者が有力とか。

 かくも執拗に韓国社会は「反日」なのか?大戦前日本が統治した台湾ではむしろ親日的な人が多い。韓国では反日一色。何故なのかが正直わかりませんでした。

 筆者の金 完燮氏自身は、当初は反日観を強く持っていて日本に対して他の韓国人同様に憎悪を持っていたそうです。その対日観に変化を生じたのは、2年間のオーストラリアでの生活でした。同じように開発途上国として出発した韓国とオーストラリア。埋めがたい差は何か?

「オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とうてい先進国になれないという事実を痛感しました。オーストリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。

 私は海外旅行を通して、国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったのだと思います。(P2 日本語版の序文)

 また金 完燮氏は、高校生時代に光州で命がけで武装闘争をした人物です。時の軍事独裁政権と対峙した人です。その後名門ソウル大学へ入学し、幅広い学問をされ、卒業後は雑誌記者を経て、作家、評論家になりました。

 20世紀初頭の日本と朝鮮との関わり、当時の日本の評価を客観的な視点からしています。

 「王と貴族による専制的な階級社会から抜け出し、法が支配する市民社会へと移行することは、朝鮮や日本だけでなく、世界のすべての国家にとってもっとも緊急の課題だった。」

「19世紀末、市民革命の潮流の中で変化を拒否した清国、ロシア、朝鮮の王朝が順に滅亡し、遅まきながら市民革命に成功したドイツと日本が国際社会の主役として堂々と参加できたという事実を見ればそれは容易に証明できる。

 すなわち19世紀末の朝鮮において体制をひっくり返す革命は、選択の問題ではなく生存の問題であった。」

「・・・この時期、朝鮮を経由して大陸に進出しなければならない日本の利害と、市民革命を通じて文明開化を成し遂げなければならない朝鮮の利害はかなりの部分で一致していた。

・・・当時の日本は国運をかけて朝鮮の独立と改革を推進し煽ろうとした。この時期に朝鮮の改革派はこぞって親日路線を選択したが、これは日本だけが唯一朝鮮の改革を後押しする勢力だったからだ。(P145「第2部相生の歴史」

 このあたりの記述は大変韓国では「勇気のある」発言ではないかと思いました。

「一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とういて先進国になれない」という発見が「日本統治がなければ、李氏朝鮮の専制体制のままで、自力で近代化するなど到底できなかったのではないか」という問題意識に発展したのだろう。その一方では、アジアで唯一、近代化に成功した日本があった。

 歳月が流れ、最近「パール・ハーバー」という映画をみながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。60年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。(P19 ショービニズムの狂風のなかで)


「自らが中世いらいの専制政治に依存していた清国やロシアは、決して朝鮮の改革と近代化を望まなかったし、朝鮮の反動勢力を利用して朝鮮半島に対する支配権を維持することに血眼になっていた。」

「これにたいして、朝鮮と似た境遇にあり、すみやかに発展したがゆえに生き残ることができた日本は、朝鮮が一日も早く改革し近代国家へと移行して市場経済体制が定着することを望んだ。だからこそ日本は機会あるごとに、朝鮮の革命勢力を後援したのだった。かれらは自国の利益のためにも旧弊な腐りきった朝鮮王朝と手を結ぼうとはしなかった。これが日本と他の外国勢力との根本的なちがいであった。(P160・第2部相生の歴史)

 まるで日本の「右翼」の記述のようですが、さにあらず、高校生時代に独裁政権と戦った革命戦士の記述ですから。

 自国民を無慈悲に抑圧し、奴隷のような状態に据え置き、自らの権力維持のために清国と手を組み、時にロシアと手をくんで、朝鮮を近代化しようと言う自国民の声を李王朝は全く聞きませんでしたから。愚かでした。

 まるで日本軍が「革命軍」のように描かれています。

 二次大戦後の日本も似たようなところがあり、社会の民主化は、米国占領軍・GHQによるところが大きかったと言えます。農地解放、婦人参政権、労働運動の自由化、日本国憲法の制定による、社会の民主化の推進は、占領軍のおかげです。悪法の治安維持法も廃止しました。

 変化を嫌う頑迷な連中が政府を支配すると国民が塗炭の苦しみを味わうことは戦前15年戦争を繰り返した日本帝国と、20世紀初頭の朝鮮国も同じでした。外圧と外国の軍隊が、民主化と近代化を促進したことは共通しています。

 また筆者は世界史的な観点から、朝鮮の近代化は当時は自力では到底ないせなかったと説明しています。

「封建社会の伝統をもつヨーロッパと日本は順調に資本主義社会に移行し、産業革命と急速な生産力の発展を経験した。この過程で新しい生産構造にあう政治社会構造が導入され、近代社会が誕生することになった。

 しかし奴隷社会から封建社会へ発展することさえできなかったその他の世界では、自主的な資本主義が育たず、資本主義帝国の植民地に編入され、さまざまな形態のひずんだ社会発展を経験した。

 マルクスはこのような第3世界の停滞性を「アジア的生産様式」という概念を用いて説明しようとしたが、その原因を明確に説明することはできていない。じっさいマルクスの時代には、第3世界の停滞性という概念さえ存在しなかったのだから、問題意識も生まれないのだ。

 封建社会を経験できなかった台湾と朝鮮もその他の世界に属していたが、これらの地域は日本の統治によって市民革命をなしとげて近代資本主義社会に発展できた。

 日本の知識人は早くから朝鮮と日本は発展段階において大きな格差があることを認識し、みずから朝鮮の文明開化を先導する産婆役を買って出たのだ。」(P85 夜明けのアジア)

 まさしく「朝鮮の近代化は日韓併合から始まった。」のであります。中国の近代化はアヘン戦争からと同じく、外国の影響がありました。日本統治を筆者は客観的に見据えています。

 日本統治には「良い面もあった」という論の前提には、日韓併合を悪とする考え方があるが、金完燮氏はそもそも合邦自体が悪とは全く考えていません。むしろ「よりましな(ロシアや清国の支配下になるより)選択をしたと言いきっています。                                                           (中略)

 朝鮮人にとって、併合と総督府統治はおおむね広範囲な支持を受けたと考えられる。ポツリポツリと抵抗運動が発生したり、海外で独立運動する人びともいることはいたが、彼らが朝鮮社会の主流とはいえない。当時の朝鮮人は自らのアイデンティティーを、大日本帝国の臣民と規定して満足な生活を営んだと思われる。(P286 )

 司馬遼太郎氏がかつて言われたように、日本の朝鮮と台湾の植民地統治は、欧米諸国のように資源を奪い去り、自国の市場にするだけで、近代化投資はまるでしない収奪だけではなく、逆に地籍調査を行い、農地改革をし、学校を建設し、社会資本を整備し、両国の近代化の基礎をつくりました。

 今の韓国人の多くがヒステリックに叫んでいるように、「日本帝国が植民地支配で韓国から資源を収奪し尽した。」と言う訳ではありません。それは大正時代に経済雄評論家の石橋湛山氏が「朝鮮、台湾の植民地経営の収支は赤字。投資に見合う見返りは乏しい。独立させるべきだ。両国民に感謝されて、交流と交易で経済を発展させるべき。」と「小日本主義」で書いています。

 韓国は朴・クネ前大統領が逮捕・拘留され、来月にも次期大統領が決定します。有力候補は、誤った歴史観を有し、反日をわめきたてる野党の大統領候補が当選しそうです。

 それは日韓両国民には、良い事ではありません。

 2002年に「親日家のための弁明」は、韓国でも発刊されましたが、事実上発禁処分を受け、筆者は様々な妨害や脅迫を受け続けています。しかし筆者が海外体験を経て、独自の世界観を確立し、日韓の歴史を考察し、著作したのが本書です。

 自説を曲げずに堂々としている精神は、高校生時代に軍事政権に対抗し、全羅南道庁舎に立てこもった骨太の精神の持主であると思います。

 朝鮮の植民地支配が全面的に良かったとは私は思いません。父(97歳)も旧制の工業高校を卒業し、朝鮮総督府の鉄道技師としてソウルに勤務していたとか。

 待遇は良く、一軒家が社宅としてあてがわれ、朝鮮人の給仕もいたそうです。普段はかしづいていましたが、父が体調不良になりますと、呼んでも出てこなかったそうです。やはり日本人への反感はあったんでしょう。当時も。

 石橋湛山が主張するように、独立国を促し、友好国として経済発展していただいた方が、両国にとって良かったと思います。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-4775.html

(石橋湛山評論集を読んで(その1)

 「日本憎し」の感情だけで、慰安婦像を日本大使館や領事館前に建てたり、外国でも立てたり、やることなすことが理解できません。彼等は「植民地支配を謝罪しろ」と言いたてていますが、朝鮮近代化の産婆は日本であるという歴史の真実を見ようとしない愚か者たちです。

 慰安婦像の前で騒いでいる韓国の青少年たちは、金 完燮氏の著作「親日派のための弁明」を落ち着いて精読されることをお薦めします。

 なかなか韓国にもしっかりした骨太の社会思想家がおられることは、よろこばしいことと思いました。一読をお薦めします。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.07

母とはりまや橋商店街サロンへ行きました。


_r_5

 2017年4月7日ですが午後1時20分過ぎにはりまや橋商店街へ行きました。商店街近くのコインパーキングですが、雨であることと、3カ所ありますが1か所が工事中で閉鎖中。それではりまや橋地下駐車場へ車を駐車しました。久しぶりに行きました。
_r_6

 いつものコロッケ屋さんで夕飯用に肉じゃがコロッケを買いました。谷ひろ子さん所のお店で焼き菓子とチョコケーキを買いました。うっかり写真撮影をしませんでした。

 パン屋さんでも母はクッキーを買いました。
_r_7

 松田雅子さんが、「文旦好きがこうじて」(アトリエよくばりリス・2012年4月刊)を出版されました。販売もなさっていましたので、1冊購入させていただきました。
_new_r


_new_r_2


_r_8


_r_9

 谷ひろこさんが「文旦DEシュー」をこしらえていました。書籍購入者には頂けると言う事でした。美味しくいただきました。

 今日の活き活き100歳体操は、雨にもかかわらず15人の参加者がいました。
_r_10


_r_12

 戻ってから父(97歳)と合流し、横田胃腸科内科へいきました。横田哲夫先生の問診を受けましたが、特に医学的な所見はないということです。調剤薬局で薬をいただいて帰りました。

「文旦好きがこうじて」の書籍を購入しました。

 雨の中母とはりまや橋商店街へ行きました。松田雅子さんにお会いしました。文旦の皮むきを時折されておられます。無類の文旦好きがこうじて、このたび出版されました。

 土佐文旦の栽培の事、販売の事、料理やスイーツなどを取材され、写真入りで紹介されておられます。なかなかユニークな書籍でしたので1冊購入しました。

 そしたら谷ひろ子さんのお店で「文旦DEシュー」というお菓子をいただきました。美味しくいただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

07高知県知事選挙 | 2008年衆議院選挙関連 | 2009年衆議院選挙関係 | 2012年衆議院選挙関係 | 2012年車椅子で行く高知の観光施設 | 2013年参議院選挙関係 | 2014年東京都知事選挙 | 2015年雨漏り修繕工事 | 2015雨漏り・外壁補修工事 | 2016年参議院選挙 | 2016年首都圏遠征 | blogによる自由民権運動 | blogの伝道師・blogの鬼 | bousai_ | Eコマース・スキルアップ講座 | koutikengikaigin | NPO法人高知減災ネットワーク会議 | お花見遊覧船 | けんちゃんの今すぐ実行まちづくり | けんちゃん1人weblog | はりまや橋サロン | まちづくり | まちづくり条例見守り委員会 | アニメ・コミック | イラク派兵問題 | ウェブログ・ココログ関連 | エアーボート 救命艇 | ゴーヤ栽培日誌 | サッカー | スポーツ | スポーツのありかた | タウンモビリティ・ステーションふくねこ | チベット問題 | ニュース | バリヤフリー | パソコン・インターネット | ホームページによる交流 | メディアリテラシー | ヨット関係 | 三好市との交流事業 | 下知地区防災計画・ブロック会 | 下知地域内連携協議会 | 中国四川大地震 | 二葉町町内会の動き | 二葉町自主防災会 | 五台山・市民農園 | 井原勝介さん講演会 | 交通事故防止対策 | 人繋がりネットワーク | 仁淀川町と二葉町との交流 | 今治市防災士会・連合自治防災部会との交流会 | 今野清喜さん講演会 | 仙波敏郎さん講演会 | 伊野町問題 | 健康・体の問題 | 健康問題 | 入野敏郎さんみかん園 | 公共交通問題 | 公共財のありかた | 内閣府地区防災フォーラム2016年仙台 | 内閣府地区防災計画 | 前田康博さん講演会 | 南海地震対策 | 南海地震特別税 | 危機意識・リスクマネジメント | 原子力政策 | 原発と核のゴミ処理場アンケート | 原発災害 | 叔母・車椅子来高・2014・10・18 | 台風対策 | 司馬遼太郎氏の帝国主義論 | 吉本隆明氏・追悼文 | 品川正治さん講演会関係 | 国政問題 | 国際問題 | 土佐電鉄ーごめん・なはり線 | 地方の公共交通 | 地震保険 | 坂本龍馬像建立運動 | 報道関係 | 夜須町関係 | 大学問題 | 天木直人さん講演会関係 | 宇田川知人さん出演番組 | 安田純平さんを高知へ招く会関係 | 少子化問題 | 岡林信康コンサート | 島本茂雄さん・中平崇士さん出演 | 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 | 市民参加のありかた | 平和・反核・護憲の社会運動 | 平和問題 | 平成28年度下知地区防災計画 | 建築物 | 感染症対策 | 憲法問題 | 戦争を知らない子供たちへの映画会」 | 戦争法案反対運動 | 排泄ケア(排尿・排便)の重要性 | 携帯・デジカメ | 政治のありかた | 政治評論 | 教育問題 | 新しいメディアの創出 | 新型インフルエンザ対策 | 新堀川市民大学 | 新堀川生態系保護問題 | 日誌風の感想 | 映画「六ヶ所村ラプソディー」 | 映画・テレビ | 昭和南海地震の記録 | 昭和小学校・防災じゅぎう | 昭和小学校防災学習 | 書籍・雑誌 | 有機農業の支援 | 朝鮮半島問題 | 木質バイオマス地域循環システム | 村上肇さんWEBセミナー | 村上肇氏BtoBセミナー | 東京近辺見聞録2013年 | 東京近辺見聞録2014年(1) | 東京近辺見聞録2015年 | 東京近郊見聞録2010 | 東京近郊見聞録2011年 | 東京近郊見聞録2012年 | 東北被災地ツアー2015年 | 東北被災地交流ツアー2005 | 東日本大震災の被災者の皆様との交流事業 | 東洋町サポーターズクラブ | 橋本大二郎さん出演番組 | 橋本県政16年の検証 | 橋本県政16年の総括 | 歩いて見る高知市 | 歴史の宝庫新堀川 | 歴史問題 | 死生観・終末観 | 沖縄ー高知の交流 | 沖縄基地問題 | 沢山保太郎東洋町長出演 | 河瀬聡一郎さん講演会 | 津波避難施設について | 漫画文化 | 環境問題 | 田辺浩三さん映画会(小夏の映画会) | 社会問題一般 | 社会思想問題 | 社会運動 | 神戸市長田区鷹取との交流 | 神戸市長田区鷹取東地域との交流 | 福井照 | 福井照さん出演番組 | 福祉の問題 | 空のあんちくしょう | 経済・政治・国際 | 経済問題 | 耐震偽装問題 | 脱水症対策 | 自然エネルギーの活用 | 自衛隊の救助訓練 | 芸能・アイドル | 芸術・文化 | 若者支援事業 | 蓄光塗料 | 西村吉正・春子服薬・食事情報 | 認知症症候群について | 認知症重度化予防実践塾 | 講演会・研修会 | 超高齢者の事前減災対策 | 趣味 | 路上詩人はまじさん | 連合赤軍と新自由主義の総括 | 都市再開発 | 都市論 | 錆を防ぐさびのある話 | 阪神大震災20年慰霊と交流 | 防災問題 | 防災対策 | 防衛問題 | 音楽 | 高レベル廃棄物問題 | 高知の根源・由来を考える | 高知の観光 | 高知シティFM | 高知シティFM「けんちゃんのどこでもコミュニティ」 | 高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ | 高知シティFM最終収録 | 高知大学防災すけっと隊 | 高知学研究所 | 高知市地域コミュニティ推進課 | 高知市政問題 | 高知市長との意見交換会・資料2015年 | 高知県政ぷらっとこうち問題 | 高知県政問題 | 高知県民マニュフェスト大会 | 高知県物産公社構想 | 高知県議会立候補者への公開質問状 | 高知蛍プロジェクト | 鵜の目鷹の目 | 2006年白バイ・スクールバス衝突事件 | 2010年参議院選挙 | 2014年東京・横浜出張 | 2014年衆議院選挙関連 | 2015年叔母北海道より車椅子の旅・高知 | 2015年県議選・市議選 | 2016年熊本地震