書籍・雑誌

2009.12.04

書店は圧倒的に「坂の上の雲」

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  愛媛と香川の大書籍店へ行きますと、目立つ場所にどちらも「坂の上の雲」特設コーナーがどんとあります。物凄いスペースで関連書籍、雑誌が100冊近く並んでいます。かつてない現象。

 四国と言えば、徳島を舞台にした連続テレビ小説「ウエルかめ」と。高知を舞台にした来年の大河ドラマ「龍馬伝」もありますが、坂の上の雲関連書籍が50冊に対して1冊と言う程度。書店の意気込みが違います。おそらく全国の書店でもそうなっているのではないでしょうか。

 司馬遼太郎さんという歴史小説の大家の作品。原作も5巻あるし、文庫本なら7冊になります。またNHKが3年がかりで製作し、3年がかりで放送。役者も人気俳優を3年間も拘束。

 海外ロケも多く、ドラマの製作費用は1本当たり4億円とか。商売上手なNHK関連企業も書籍や雑誌をどんと出しているようです。

 写真は司馬遼太郎さんが小説や評論を連載しご縁のあった文芸春秋社のもの。書店でふっと立ち読みしてそのまま購入しました。
Konokuninikatachishibahon
 最近何度も読み返している「この国のかたち」という評論も、かつて文芸春秋に掲載されていたものでした。とくに日露戦争付近の日本のありかた、その後の軍人の散漫さに司馬氏は怒りをこめて記述している箇所があります。

 生前司馬氏が「坂の上の雲」のドラマ化、映画化を断固拒んでいたのも、安直な国家観、安直な歴史観が国を滅ぼした教訓があればこそでしょう。

 いずれにしろ日本人が真摯に日本の歴史を振り返ることは悪いことではない。

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2009.12.01

まっしろな灰に

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 今日発売の週刊現代12月12日号。漫画「あしたのジョー」の最終回。世界チャンピオンのホセ・メンドーサとジョーとの世界タイトルマッチ。ぼろぼろになりながらも、倒れないジョー。

 ホセは恐怖にかられ打ち続ける。ジョーも倒れているはずなのに倒れない。

 最終ラウンドまで戦い、ジョーは「真っ白な灰になった」ということで終わりました。

 確か大学へ入学した頃に少年マガジンで最終回があったようでした。それから30年以上も経過してから、今の連載はどういう意味があったんでしょうか?時折読んでいましたが意図不明です。わかりません。

 このマンガが連載した頃は自分も若い頃でした。
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2009.11.29

「花神」を読んで

 「花神全4巻を図書館で借りてきて休日に一気に読みました。司馬遼太郎さんが1972年に新潮社から出版された小説です。

 主役は村田蔵六(大村益次郎)。日本史では戊辰戦争の時に、総司令官として登場、日本陸軍の兵制をこしらえた人ですが、明治2年に京都で暗殺されました。

 1977年のNHK大河ドラマで放映されたとのことですが、関西ー東京勤務時代でせわしく見ないで終わったようで全然記憶にありません。

 今日から「坂の上の雲」という同じ司馬遼太郎さんの歴史ドラマが鳴り物入りで始まります。そういう背景もあり、司馬さんの書籍を「この国のかたち」を読んでからやたら読みたくなり図書館で借りてきて読みました。
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 幕末・維新の歴史の大転換期にあって、主人公村田蔵六は異様なキャラクター。血気盛んな志士を軽蔑し、ひたすら蘭学に打ち込み、大秀才といわれていました。しかし百姓身分のせいか、出身の長州でも軽く扱われ、後に宇和島藩や幕府の役人にもなります。しかし「攘夷」の気持ちからか、出身地の長州に請われ、安い給与と待遇ながらそちらへ移籍します。

 村田蔵六の凄いのは、一度も外国へ行かないのに、西洋医学や科学を会得。宇和島藩では書物を頼りに蒸気船をこしらえます。長州では第二次長州征伐の大ピンチに司令官として抜擢され、大勝利を演出します。その後戊辰戦争も想定より短く1年足らずで終わりましたが、それは村田蔵六の功績がとても大きいと思いました。

「攘夷という一大発熱によって日本の体質を変える。ひとびとの需要のために村田蔵六という男は存在している」(1巻P138)

 司馬遼太郎氏はご自身の惨めな戦争体験を踏まえ日本の近代史を総括してしまっています。
「明治以前までの日本の歴史は虚構をほとんど受け入れることなく進行し、維新後80年間は絶対的天皇制という非日本的な虚構を大がかりにつくりあげたが、ついにキリスト教、インド教のように身に付かず、第二次世界大戦の敗北によって、もとの現実主義的な日本人に戻った。」(第4巻 P15)

 司馬氏によれば村田蔵六は徹底した合理主義者であり、思想や感情が支配されることを嫌う冷徹な現実主義者であったようです。
「ただほんのわずか普通人というか、とくに他の日本人と違っているところは、合理主義の信徒だったということである。この違いはわずかに見えるが、考えようによっては、日本的風土の中では存在しがたいほどに強烈なもので、その強烈さのために蔵六はその風土を代表する政治的狂人のために殺された。(第4巻 あとがき)

 幕末維新の立役者であり、今でも国民的な人気のある西郷隆盛と生涯うまが合わず。その危険性を村田蔵六は予見し、「九州から足利尊氏がやってくる」と彼の死後の8年後の西南戦争を予見、それに備えるために新型の砲台をたくさんつくれと言っていました。それが役立ち、政府軍は薩摩軍を鎮圧できました。

 どんな境遇に置かれても、冷遇されても不平を言わず、学問や文献調査に明け暮れていた村田蔵六。地味なキャラクターですがものすごく魅力的で惹かれました。

 あやかりたいと思いました。

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2009.11.26

司馬遼太郎さんの世界

 遅ればせながら、司馬遼太郎さんの本を図書館で借り、あるいは文庫本はブック・オフで購入し、読んでいます。
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 そのなかで「覇王の家」「この国のかたち」などを読みました。知っている本ばかりではありませんが、読みやすい小説や随筆でした。

 日露戦争で勝利したものの、膨張した海軍力をすみやかに削減し、軍縮し経済や民生の発展にまわすべきだったのです。しかし日本そうしませんでした。

 ポーツマス条約を命がけでまとめてきた小村寿太郎外相に対して、無知なる大衆(情報が公開されていないので、仕方はないところはあるが、当時の新聞なども煽り立てたことも事実)、焼き討ちや暴動を起こしました。

 結局冷静に事態を分析する能力に欠け、無謀な戦争に奔走していくことになりました。司馬さんによれば狂っていたのは昭和10年から20年までの間だったとのことですが、日本だけでなく、近隣アジア諸国に多大な迷惑をかけてしましました。

 その10年間の間違いであったとしても、それ以外の日本の歴史は変化に富面白いと司馬さんは言われています。そうだと思いました。

 この10年間は「狂った10年。悪魔の10年」とでも呼ぶべきでしょう。決して賛美してはいけないと思いました。

 この「狂った10年」をどう克服していくのか。現代日本の政治史の困難な課題をすべて解きほごすものがすべてあるように思います。
Konokuninikatachishibahon

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2009.11.24

「坂の上の雲」のブームが起きそうですが・・・・

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 NHKの大型歴史ドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎。原作)いよいよ11月29日からスタートします。そういうこともあり、近くの図書館で「1冊でわかる 「坂の上の雲」司馬遼太郎が伝えたもの」(矢沢永一・著・PHP)を読みました。

 著者の谷沢氏は司馬遼太郎さんの発言を克明に記録し、書籍にまとめています。司馬さんの歴史観というか、歴史に対する思いはあれこれ言わなくても、この本にまとめられている「見出し」項目でだいたいの事柄は語りつくされている。

1・智恵と勇気と幸運と

2・善玉悪玉論で歴史の大筋が見えるか

3.義務感こそ人間を高貴にする

4.物事を革新する者は、人生の楽しみが生まれる

5.美がわかれば、人生の楽しみが生まれる

6.将師は庇護者としての責任を引き受ける

7.知らしめて悟らしめて人を動かす

8.精神主義と規律主義は無能者の隠れ蓑

9・専門常識はゆらい保守的なものである

10.常勝の驕りが目をくらませる

11・型によって栄え。型とともに滅びる。

12・「卑屈な笑顔」で人の心をとる性向

13・敵失による勝利を美化した悔恨

 など見出しだけ眺めていましても、奇跡的な日清・日露戦争の勝利を生み出した原因と努力を、その後の日本陸軍もマスコミも国民も分析することなく、愚かな世界大戦へ巻きこみ国土を廃墟にしながらも責任をとらない連中に対する深い怒りを司馬さんから感じます。

 便乗記事の週刊現代の今週号の記事もまあまあもともです。
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 谷沢氏の著作の記述をなぞりました。
 「日本陸軍は補給というものに観念が体験的欠陥としてはじめから欠落していた。」(P125)

「乃木希典 彼には戦争をどれだけ被害を少なく勝利へ運営していくことについてどこか神経の欠落したところがあった。」(P169)

 司馬遼太郎さんは「無能」な日本陸軍参謀本部に対する憎悪を口にしています。司馬遼太郎さんの歴史小説には一貫して日本のあり方、国の形を問うテーマが流れているのであると思いました。

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2009.11.16

「私の行き方 考え方」を読んで

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 「わが半生の記録 私の行き方 考えかた」(松下幸之助・著・PHP文庫・1986年刊)を読みました。
 今日本経済は元気がありません。未曾有の大不況と言われ1年経過しました。うちの周りを見ても忙しくてたまらない。うはうはだとかいう会社は見当たりません。

 以前どこかで読んで、座右の言葉にしていた文言をこの著書で見つけることができました。

 時代背景は昭和初期。順調に発展していた松下電器。生産拡大のため銀行融資を要請し、認められ新工場を建設し稼動し始めたとたんに大不況。生産は半減。工場は在庫で埋まってしまう。しかも松下幸之助氏は体調を崩し入院。そのときどうしたのか?

「生産は即日半減する。しかし従業員は1人も解雇してはならぬ。その方法として、工場は半日勤務して生産は半減。従業員は日給の全額を支給して減収しないようにする。その代わり店員は休日を廃して全力を挙げてストック品をの販売に努力すること。
 
 かくして持久戦を続けて財界の推移をみよう。さすれば資金の行き詰まりもきたさずに維持が出来る。半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失ではない。松下電器はますます拡張線物と考えている時期に、一時とはいえせっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる」(一般的不況とわが社の発展 P222)

 時代背景は現代とは異なりますが、昨年以来不況ということを口実に、簡単に派遣や季節工を切り捨てた輸出型大企業(キャノン他)の経営者とは器が違うようです。

 当時の社会情勢は、昭和初期で濱口雄幸内閣の緊縮政策のおかげで不況一色でした。各省庁も文明の利器である自動車を廃止または縮小しその緊縮ぶりをもって国民の範とする傾向がありました。松下幸之助さんは、それではますます不況になり、失業者が増えると断罪されています。

 知人の資産家も世の中みんな緊縮ムードで、日々の生活にも事欠く人々が増えてきたから、堂々と家を新築するのははなはだ気が引けるから、当分新築をやめようとの相談を受けたそうです。松下さんは即座にこういいました。

「それはよくない考えかただ。この不景気こそ、君らのような資産家が建築をなすのべきだ。君らのような人が手控えしていては、第一、大工や左官の職を持つ人はなんによって生活するか。
 ただただ不景気をかこち、困窮し、はては世を恨み、いわゆる君らのような金持ちをのろうということになるのだ。
 君はこういう時代の時に家を建てたら世の非難を受けると思うが、それは真にものを理解することのない人たちの批難であるから心配はいらぬ。

 よしまたは多少の批難を受けるとも、真に世を思うならば犠牲的な精神でその批難を享受したらよいではないか。そうすることによって、多くの人に職を与えて人を喜ばし、君自身は非常に安く家を建てられるのみならず、丁重懇切なよい仕事をしてもらえることによって、一挙両得という結果を得るのだと僕は思う。」(P241)

 不況期のお金持ちの心得を松下幸之助さんは説いています。リーマン以後の不況は、なにより、品格あるお金持ちがいなくなったことに原因があるのではないか。自分さえよければ、たとえ餓死者が出ても平気。それが自由主義だという新自由主義がすべてを破壊しました。

 松下電器もパナソニックとかに社名を変え、松下幸之助さんの精神を打ち捨て、従業員を解雇し、「並みの大企業」になりました。

 やはり不況を乗り切るのには、経営者の理念と信念が必要であると強く思います。

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尊皇攘夷は薄っぺらい思想

Konokuninikatachishibahon
 昔のVTRで故司馬遼太郎氏の発言が印象に残りました。
「幕末期に流行した尊王攘夷思想。もともとは中国の宋の時代の思想。たいした思想ではありません。結局宋は南へ追いやられ、最後は元に滅ぼされます。

 水戸の儒学者が取り上げ、幕末の政治思想になりました。でもその政治思想では諸外国の公益や外交に役立たない。明治政府は2年もかけて欧州に滞在し、憲法も議会も、天皇主権制度も、軍隊制度、教育制度もすべて輸入し、付け加えました。

 明治政府首脳は幕末維新の動乱を生き抜き、西欧から学ばざるを得なかった現実を踏まえている。しかし明治末期ごろには元老たちは亡くなり、日清・日露戦争にも勝利し、だんだんと考え方が散漫になった。その元凶のひとつが尊王攘夷思想と言える。

 司馬遼太郎氏は「思想の大事」さ「この国のかたち」を突き詰めていたと思います。日本人の心に根ざした思想の確立もです。それをやり続けたいと思います。それをやりとげないと日本の存続はないと思うからです。

 わたしは「連合赤軍と新自由主義の総括」を思想的なテーマにしてきました。司馬遼太郎さんに教えられました。「昭和10年から20年までの日本は最低」。この時代の思想的総括を克服しないと日本は再び世界から孤立するでしょうから。

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2009.11.14

「この国のかたち」を読んで

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 「この国のかたち」(司馬遼太郎・著・文春文庫・1990年刊)を読みました。作家司馬遼太郎さんが文芸春秋社の編集者に依頼され、雑誌「文芸春秋」の巻頭随筆集だそうです。

 司馬遼太郎さんは敗戦時には、23歳の兵士でした。「当時の彼我の戦争の構造は、対戦というものではなく、敵による一方的な打撃だけで、もし敵の日本本土上陸作戦がはじまると、わたしの部隊は最初の戦闘の1時間以内に全滅することはたしかだった。死はまことに賢愚も美醜もないというのが、戦争の状況がそれを教えてもいた。」(P282)

 敗戦後駐留していた街を歩きまくり、思いをあらたにされたようでした。栃木県佐野にいたそうです。

 少し長くなりますが、司馬遼太郎さんの歴史小説や世界観の本質のように思えますので、引用してみたいと思います。

「わたしは毎日のように町を歩いた。この町(栃木県佐野)は、13世紀から鋳物や大正期の佐野縮(ちじみ)など絹織物による富の蓄積のおかげで町並みには大きな家が多く、戦時中に露地に打ち水などがまされていて、どの家もどの辻も町民による手入れがよくいきとどいていた。

 軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来のために死ぬのなら多少の意味があると思ったりした。
 
 が、ある日そのおろかさに気がついた。このあたりが戦場になれば、まず死ぬよりは、兵士よりもこの子らなのである。
 
 終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。(むかしは、そうではなかったのではないか。)と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころやである。

 やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことも考えた。いくら考えても昭和の軍人たちのように国家そのもののを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとにはおもえなかった。

 ほどなく復員し、戦後の社会のなかで塵にまみれてすごすうち、思い立って三十代で小説を書いた。

 当初は、自分自身のたのしみとして書いたものの、そのうち調べ物を書くようになったのは、右にふれた疑問も自分自身で明かしたかったのである。いわば23歳の自分への書き送るようにして書いた。」(P284)

 旧日本軍の戦車部隊で従軍した折の、あまりの軍の酷さ。戦車を守るために後退し、前線の歩兵を危険にさらされる愚かさ。参謀本部の無能さに司馬遼太郎氏は怒りを向ける。

「ともかくも、昭和10年以後の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺されたといったといい。このときは死んだといっていい。

 わたしは、日本史は世界でも第1級の歴史を光源にして日本史ぜんたいを照射しがちなくせが世間にあるようにおもえてならない。この10年間の非日本的な時代を、もっと厳密に検討してその異質性をえぐりだすべきではないかと思うのである。」(P83)

 司馬さんは「尊王攘夷」で幕末維新期は来たものの、明治政府は開国し、文明開化をなしとげ、当時の先進国にキャッチ・アップしようとした。「尊王攘夷」は、中国の宋時代の思想で「たいしたものではない、」と。結局明治政府は新しい国のかたちをもとめ、政府中枢閣僚が2年間も欧州に滞在し、ドイツなどの社会制度を性急に輸入し、プレハブ工法で社会制度をこしらえました。

 ぎりぎりの国力と必死の外交的努力で日清・日露戦争に勝利したことがあだになり、昭和10年以降に無能な政治指導者や軍幹部が日本で台頭、結果明治国家を滅ぼしてしまった昭和10年から20年までの日本史を断罪されていることがよく理解できました。

 「坂之上の雲」や「龍馬伝」など、司馬遼太郎さんが取り上げた、英雄がTVドラマ化されます。愛媛県も高知県も観光客呼び込みに必死。来るでしょう例年の倍近くは。しかし再来年は落ち込むでしょう。

 英雄に習うべきはその精神であり、思想です。それぞれの県民の「資質」が厳しく問われることは言うまでもない。

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2009.11.12

「覇王の家」を読んで

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 図書館で「覇王の家」(司馬遼太郎・著・新潮社・1997年刊)を読みました。司馬作品で知っている作品ではありませんでした。きっかけは家内が昔に録画していたNHKの番組に司馬遼太郎さんが出演し話をされていたからです。

 その番組で司馬氏は「幕末維新期に日本では尊王攘夷主義という粗雑な思想で国づくりをしようとしたが、開国し諸外国と交易した場合の思想的な基盤にはなりえず、明治政府は大変苦労した。結局欧州の制度や思想の張りあわせで明治政府を作るざるを得なかった。」という。
 
 それでも明治の元老は幕末・維新期の動乱期を身をもって体験しているので、謙虚さはあったが、日清・日露戦争に勝利した後の軍部の連中ときたらどうしようもない連中ばかりだった。結果国を滅ぼしてしまった。

 「覇王」は、徳川家康を描いています。不遇で過酷な人質時代と、出身の三河岡崎の風土と人間の気質が、日本の覇者となった江戸時代にも継続され国の体制を規制し形にたとのことです。

 「日本歴史では中国や、ヨーロッパの概念でいう英雄を1人も生んでいない。そのような,神が生んだとしか言いようのない天才的自己肥大の精神や行動を許容して社会を感応し作動する条件が日本の地理的・社会的風土のなかにはすくないたんめであるかもしれない。」(P535)

「彼(家康)の生涯は独創というものがほとんどなかった。自分の才能をかれほど信じることをおそれた人物はめずらしい。しかもそのことが成功につながってしまったという例も、稀有である。(中略)

 室町末期に日本を洗った大航海時代の潮流から日本をとざし、さらにキリスト教を禁圧するにいたる徳川期というのは、日本に特殊な文化を生ませる条件も作ったが同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった。」(P536)

 司馬遼太郎さんは思想的基盤や背景をきちんと描くし、研究されている人であると思いました。

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2009.11.06

「老いの超え方」を読んで

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 「老いの超え方」(吉本隆明・著・朝日文庫)を友人に借りて読みました。わたしは超高齢者(90歳・84歳)の両親と同居していることもあり、日頃から「老人力」に振り回されている生活をしているるので、この本に書かれていることはよく理解できました。

 学生時代から関連著作本は買い揃えているものの、難解でよくわからない吉本隆明さんですが、ご自身が高齢者になり、入院され、介護される体験のなかで、語られる問題意識は鋭いなと思い感心しています。

 関連ブログ記事「吉本隆明語る 思想を生きる

「老齢者は身体の運動性が鈍くなってくると若い人はおもっていて、それは一見常識的のように見えるが、大いなる誤解である。老齢者は意思氏、身体の行動を起こすことの間の「背離」が大きくなっているのだ。言い換えるのにこの意味はでは老齢者は「超人間」なのだ。これを洞察できないと老齢者と若者との差異はひどくなるばかりだ。」

「老齢者は若者を人間というものを外側しか見られない愚か者だとおもい、若者は老齢者をよぼよぼの老衰者だとおもってあなどる。両者とも大いなる誤解である。一般社会の常識はそれですませているが、精神の「有事」となると取り返しのつかない相互不信となる。」

「感性が鈍化するのではなく、あまりに意志力と身体の運動性との乖離が大きくなるので、他人に告げるのも億劫になり、そのくせ身体の運動性との乖離が大きくなるので、想像力、空想力、妄想、思い入れなどは一層活発になる。これが老齢の大きな特徴である。」

「このように基本的に掴まえていれば、大きな誤解は生じない。老齢者がときどきやるボケを老齢の本質のようにみている新聞やテレビ、あるいはそこに出てくる医師、介護士、ボランティアなどの言うことを真に受けると、とんでもない思い違いをして、老齢者を本当のボケに追いやることがありえる。身体の運動性だけを考えれば動物のように考えと反射的行動を直結するのがいいに決まっている。」


けれど高齢者は動物と最も遠い「超人間」であることを忘れないで欲しい。生涯を送るということは、人間をもっと人間にして何かを次世代に受け継ぐことだ。
 それがよりよい人間になるかどうかは「個人としての個人」には判断できない。自分のなかの「社会集団としての個人」の部分が実感として知ることができるといえる」(「語彙集 その1身体編・P140-141)
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 さすがは「ただの高齢者」ではありません。吉本隆明さんは。高齢者の「代弁者」になっています。身体能力が落ちたことを父は嘆いていますし、想像力は母は豊かで振り回されています。その要因を吉本さんは見事に解き明かしていただいています。「超人間」というのは、そのとうりであると思う。

 聞き手の佐藤信也氏(ライフサポート社・代表)の話の引き出し方、問題提起も的確。医療・介護・福祉の現場を熟知し、相対化できる能力があればこその現実性と説得力があるはずです。

 わたしも介護施設で研修をしたことがあります。そのときに高齢者の人格と尊厳を無視した一律の仕事のやりかたには疑問を持ちました。症状の程度にかかわらず、入所者全員が紙おむつをさせられており、20人の入所者に対しホームヘルパーは3人程度。とてもケアは出来ない。話相手すらなれない介護施設の現場の現実。認知症の人たちの部屋に研修で配属されました。大変でした。でも今も思い出すと切ないのです。

 2人の対談のなかで、いろんなアイデアが出てきていました。介護を熟知した聞き手と、介護状態真っ只中の思想界の巨人の対談ですので、とても面白いのです。

「老人施設と保育園を隣接してこしらえて、相互交流する。」

「老人の知恵を活用する会社をつくることはできないか。」

「1番理想的なのは老齢年金が十分であることだ。十分な老齢年金があるとして、炊事や買い物に行く人の手当てを十分に支払う。そういうひとを雇うことができるのは理想。」

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 わたしは今でもワーキング・プア状態ですが、将来の年金支給額が極めて低く(安月給だからしかたがないとはいえ)貧困高齢者になることはこのままでは間違いありません。


 参考ブログ記事「年金定期便が来ました」

 佐藤氏がP126で富山県で3人の看護士がはじめたケア施設「このゆびとーまれ」という施設を紹介していました。最初はどこの援助も受けずに友人たちのカンパで立ち上げたとか。

 このゆびとまれの活動内容

 子供だろうが、重症患者だろうが、高齢者だろうが、預かる、受け入れる施設をこしらえました。ベットに寝てチューブをつないで人工呼吸器をつけている人がいる。そのベットの下でちょっと知的障害のある子供が動き回っている。

 自閉症の中学生、高校生もいる。30人ぐらい。赤ん坊、幼児、青年、女性、高齢者が思い思いすごしています。
 3人の優れもののナース(元日赤の看護士3人の退職金を出して設立されたといいます)がいるので、1つの事故も起こらないという素晴らしいしくみです。

 また佐藤氏はスウェーデンの実例からこんなことを言われていました。吉本氏との掛け合いが面白い。

人間の生活の基本は食べることと排泄することと、眠ることで、そこが自立できないと、精神のリハビリにかなり影響するという考え方がしっかりと踏まえられている。
 そのため、人と物と金をケアにたくさんかけています。それが人間の自立というか、尊厳というものの根本にあるという思想が制度的に保証されています。
 日本はその側面にまだ人と物と金を潤沢にかけていませんね。」(P93)

吉本「それは日本では今のところ無理ですね。お医者さんからリハビリ専門の人,看護士さんまでそんなことは教育されていないでしょうし。全然できていません。
 まだそこまで行っていないのが現状ではないでしょうか。でも、そこまで行ったらたいしたものだと僕はおもいます。
 そうなったら、若い人の税金が多くなるとか。そんなことは問題ではありません。」(笑い)(P93)

 宇賀恵子さんたちが頑張ってこしらえたオープン・ハートさんたちの人たちの寄り合い所も同じ趣旨にあるように思いました。
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 参考ブログ記事「オープン・ハート交流施設お披露目会」
(オープン・ハートさんたちの交流施設も開設されています。地球33番地のほとりです)


 面白くて引用が長くなりましたが、福祉や介護問題でも」考えさせられました。

 「食事」「排泄」「睡眠」が人間の「自立と尊厳」に深い関わりがあるということは大変大事なキーワードです。都市問題でも防災問題でも常にその3つの尊厳をいかに保つかが大事であり、中心軸であることが理解することが出来ました。

 読み応えのある書籍です。一読されることをお奨めします。

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