国政問題

2017.02.23

五島正規さんを偲ぶ会へ行きました。


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 昨年11月に77歳でご逝去されました五島正規さん。2017年2月19日にクラウンパレスホテル高知にて、偲ぶ会が開催されました。偶然坂本茂雄さんご夫妻と同じ電車で行きました。1昨年6月1日にいずみの病院防治会理事長室で横田政道さんと一緒にお会いしましたが、その時はとてもお元気でした。未だにご逝去が信じられません。
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 中選挙区時代の1990年に旧社会党から立候補され衆議院議員に当選され、2005年までされておられました。民主党を設立されるメンバーであり、医師としての知見と幅広い知識で国政でご活躍されました。

「護憲と脱原発で新しい政治の動きをつくりたい」と言われていた矢先のご逝去でした。幅広い交流がありましたので、偲ぶ会にも大勢の人達が来られていました。知り合いにも多くお会いしました。
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 幅広い交流関係を表していますように弔辞を読まれた来賓も多種多彩でした。最初は山本有二さん(農林水産大臣・自民党)でした。
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「私と五島先生は1990年の中選挙区時代ともに激戦を勝ちあがり当選しました。7万票を超える得票を取られました。本音は一致、表向きは対立の関係でした。反自民の巨星でした。時に一緒になり戦ったこともありました。10年前の2007年には、高知をなんとかせんといかんということで、尾﨑知事誕生の原動力になっていただきました。」
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「私が子供時代に勤労病院の医師として五島先生に診察を受け励まされたことがありました。五島さんの提唱で、日本1の長寿県構想をまとめさせていただきました。」(尾﨑正直高知県知事)

「介護保険制度や社会保障のエキスパートとしてしばしば助言をいただきました。」(岡﨑誠也高知市長)

 元官僚の人達からは、「介護保険制度をこしらえ実現できたのは五島正規さんがいたからです。官僚と政治家が夜な夜な真摯な議論をし、合意形成して作り上げたのが介護保険制度です。五島さんの医療現場で鍛えられた知見は素晴らしいものがありました」と言われていました。

「私が北海道知事時代から、リバラルの会でともに行動していました。後の民主党の結成になりました。1992年に五島さんが議員立法でアスベスト禁止法案を出しました。しかし建材業界などが自民党に働きかけ廃案にされました。その間1万6千人の人達が苦しみました。2012年にようやく全面禁止になりました。残念です。
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 交通バリヤフリー法や、NPOやNGOの育成とか市民の発意を大事にされた方でした。」(横路孝弘・衆議院議員・民進党最高顧問)
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 「わたしはいつも五島先生の叱られ役でした。社会の不条理を正すのが労働運動だ。非正規雇用を真剣に取り組め。と言われました。五島さんの精神を受け継いだ形で運動を展開しています。」(折田晃一連合高知会長)

 最後に謝辞を奥様の五島保子さんが述べられました。

「2016年4月に高知医療センターで手術し、6月にはいずみの病院へ転院できるほど回復しておりました。しかし8月に再入院。口から食物が食べられなくなり胃瘻をしました。

 食いしん坊の彼が食べられないのは辛かっただろうと思います。それでも面談の人には気丈に話したりしていました。しかし11月14日に治療のかいなく亡くなりました。

 今日はたくさんの皆様においでいただきありがとうございました。主人も喜んでいることでしょう。家族を代表してお礼を申し上げます。」
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 会費の返礼として「五島正規を偲ぶ」というパンフと、「社会保障ー21世紀の課題」(五島正規・著・2011年・年友企画刊)の500Pの著作が同封されていました。
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 会場で春名直章さん(共産党高知県委員会委員長)と佐竹峰雄さん(共産党高知県委員会前委員長)にもお会いしました。大きな会場にたくさんの人が来られていましたので、600人ぐらいはいたと思います。

 五島正規さんの言葉が印象に残りました。

「健康維持と生活の向上。時にこの願いは二律背反する。
 これを止揚するには政治による制度設計と、医療の発展普及にある。」
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 五島正規さんは1979年に防治会をこしらえ、1990年に代議士になられました。そして制度設計として「介護保険制度」をこしらえました。

 1昨年お会いした時に五島正規さんは日本社会を心配していました。

「護憲と脱原発で政治勢力や市民運動はまとまらないといけない。新自由主義と国家主義では日本国は救われない。」と。

 各人それぞれの持ち場で五島正規さんの意思を伝承すべきでしょう。

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2017.01.19

明治憲法の理不尽さを読み解く

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 教本は「日本の思想」(丸山真男・著・岩波新書)です。P29からの記述が面白い。今更ながらの古典社会思想学ですが、明治帝国憲法の意義と目的、思想的な欠陥について簡潔明瞭に分析し、記述しています。

1)近代日本機軸としての「國體」の創出

 江戸幕府時代末期に長らく続けていた鎖国政策を転換し、開国した日本。幕藩体制から明治新政府が成立し、一気に近代化した日本。国会を設立させ、憲法も制定し、近代国家の体裁を整えなければなりませんでした。それは幕末期に締結した不平等条約の改正のためにも必要であったからです。

 明治初期に2年位欧米歴訪をした伊藤博文。明治憲法を制定する場合の意義目的を丸山真男の解説で観察してみます。(ほとんど全文引用です。)

「明治21年6月、枢密院の帝国憲法草案審議が天皇臨御の下に厳か開始された日の冒頭に、議長伊藤博文は憲法制定の根本精神について所信を披瀝し、次のようにのべたー。

「憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ会テ歴史ニ微証スヘキモノナキ所ニシテ,ソレヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス。故二実施ノ後、其結果国家ノ為ニ有益ナル、或ハ反対二出ツル、予メ期スへカラス。

 然リトも二十年前既二封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ル二此レヲ捨テ、他ニ経理ノ良途ナキヲ奈何セン・・・

 欧州ニ於イテハ当世紀ニ及ンデ憲法政治ヲ行ハサルヲモノアラスト、是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ。

 反之我国ニ在テハ機軸ハ何ナリヤト云ッテ事ヲ確定セサルヘカラス。機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ安泰ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家、堕テ廃亡ス。

 抑、欧州ニ於テハ、憲法政治ノ萌芽セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。

 仏教ハ一タヒ興盛ノ勢イヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日ニ至テハ己ニ衰替ニ傾キタリ。神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト、宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力ニ乏シ。」(清水伸「帝国憲法制定会議」88P)

「つまり、伊藤は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「機軸」として作用するような意味の伝統を形成していないと言う現実をはっきりと承認してかかったのである。」

 日本においては儒教は影響力を既に失っていました。「個別的な日常徳目として生き残っていた。」(P90)でした。後に「教育勅語に」形を変えて活用はされますが・・。

 封建体制を明治以降廃棄したものの、西欧列強諸国に対抗する国家機軸を作成しないと、亡国になる危機感を伊藤博文以下明治政府は持っていたんでしょう。

「自由民権運動との陰惨な闘争の歴史がまだ生々しい藩閥政府にとって、「機軸」のない憲法政治の姿は想像をこえたおそるべきものと映ったであろう。」(P30)

 そして明治政府のより、新しい「意味づけ」と「近代化」した明治天皇制が「機軸」として大日本帝国憲法制定にて登場してきます。それは伊藤博文ら明治政府主要閣僚が、新政府成立間もない頃に、2年間も日本を留守にし、欧米諸国を歴訪し、史実を彼らなりに調べ、解釈し、作リ上げたものでした。

「こうして「我国ニ在テ機軸トスベキハ、独リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘタ之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。

 草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、勇エ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是起案ノ大綱トス。」(清水伸「帝国憲法制定会議」89P)

 「先の述べた「開国」の直接的結果として生じた、国家生活の秩序化と、ヨーロッパ思想の「無秩序」な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核主体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった。

 新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざるための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねると言う巨大な使命が託されたわけである。」(P30)

 つまり明治憲法では国家元首は天皇であり、権力の源泉であり、人民には西欧諸国のように分権はしない。同時に西洋諸国に強い影響力を行使してきたローマカトリック教会的な機能も明治以降の天皇制度に担わせました。

 国民は国家への抵抗権も有する西欧的な「市民」ではなく、国の機軸である天皇に無条件に服従する「臣民」として位置付けられました。

 天皇に政治的な権力も、国民の精神的な支柱も担わせました。西洋諸国は数百年の宗教戦争の教訓から「政教分離」を国家理念にしていますが、伊藤博文らは「利便性」だけで「輸入し」、政教分離には無関心だったように思います。

 急いで近代化し、欧米列強に対抗すべく、「尊王攘夷」で担ぎ上げた天皇を政治利用し、国民統制に使いました。戦前の日本社会の不幸が明治憲法制定当時から仕込まれていました。

2)「國體」における臣民の無限責任

  丸山真男氏は、さらにモデルとした西欧社会にはない「危険性」を精神面、社会面から鋭く分析しています。

「「國體」と呼ばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、又その「魔術」にすっぽりはまってそのなかで「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。

 しかしその魔術はけっして「思想問題」という抽象的な名称が日本の朝野を震撼した昭和以後に、いわんや日本ファシズムが狂暴化して以後に、突如として地下から呼び出されたのではなかった。

 日本のリベラリズムあるいは「大正デモクラッシー」の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは「限界状況」において直ちに恐るべき力を露わしたのである。」(P21)

「かつて東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著「日本ヨーロッパ」の中で在日中に見聞していてショックを受けた2つの事件を語っている。

 1つは大正12年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。

 内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当たった警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止得る位置にいなかったことを筆者は強調している)の系列が懲戒免官になっただけではない。

 犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って1歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝いを廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞のの徒をかつて教育した責を負って辞職したのである。」(P32)

「このようなバク(?)として果てしない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。

 もう1つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)。「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのような危険な御真影は学校から遠ざけた方がといという提議が起こった。校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった。」とレーデラーは誌している。

 日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなありかたは到底考えられなかったであろう。

 どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にも決して無縁ではなく、また例外的でないというのである。」(32(

 ずっと丸山真男しの記述をそのまま写しましたが、なんとも「おぞましい」怖さがありますね。物凄い「同調圧力」なんでしょう。西欧人にはまったく想定外の世界であったことでしょう。


3)「國體」の精神内面への浸透性

かくも恐ろしい「同調圧力」をもっていました。それも明治以降短時間にこしらえたものだけに、末恐ろしさを感じます。古代天皇制とも、中世・近世の天皇制とも異なっています。

 そのあたり丸山真男氏は的確に分析されています。

「しかもこれほど臣民の無限責任によって支えられた「國體」はイデオロギー的にはあの「固有信仰」以来の無限定的な抱擁性を継承していた。國體を特定の「学説」や「定義」で論理化することは、ただちにイデオロギー的に限定し、相対化する意味を持つからして、慎重に避けられた。」

「それは否定面においてはーつまりひとたび反國體として断ぜられた内外の敵に対してはーきわめて明確峻烈な権力体として作用するが、積極面は茫洋とした厚い雲層に幾重にも包まれ、容易にその核心を露わさない。

 治安維持法の「國體ヲ変革シ」という著名な第1条の規定においてはじめて國體は法律上の用語として登場し、したがって否応なくその「核心」を規定する必要が生じた。

 大審院の判例は、「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総纜シ給フ」国柄、すなわち帝国憲法第1条第4条の規定をもってこれを「定義」(昭4・521判決)した。しかしいうまでもなく、國體はそうした散文的な規定につきるものではない。」

「過激社会運動取締法案が治安維持法及びその改正を経て、思想犯保護監察法へと「進化」していく過程は、まさに國體が、「思想」問題にたいして外部的行動の規制ー市民的法治国家の法の本質をこえて、精神的「機軸」としての無制限な内面的同質化の機能を露呈してゆく過程でもあった。」(P33)

 なんともおぞましいほどのすさまじい社会的な同調圧力体ではないか。安倍内閣閣僚や復古主義的な政治家が、「理想の国家像」という現実は、国民の基本的人権も言論の自由も、政治活動の自由も何もない「奴隷制国家」ではないのか。

 宗教的な背景は異なりますが、中世のイスラム社会を復元しようと言うイスラム国並みの極端な国家原理主義ではないかと思います。

「それは世界史的にも、国家権力が近代自由主義の前提であった内部と外部、私的自治と国家的機構の二元論をふみこえて、正統的イデオロギー経の「忠誠」を積極的に要請する傾向が露骨になりはじめた時期と一致していた。

 日本の「國體」はもともと徹底的に内なるものでもなければ、徹底的に外面的なものでもなかったので、、こうした「世界的」段階にそのまま適合した。

 日本の「全体主義」は権力的統合の面ではむしろ「抱擁主義」的で[翼賛体制の過程や経済体制を見よ)は、はなはだ非効率であったが、少なくもイデオロギー的同質化にはヒットラーを羨望させただけの「素地」は見えていた。ここでも超近代と前近代は見事に結合したのである。」(P34)

 結局この項目は、すべて丸山真男氏の記述項目をすべて書き写し、引用しました。納得がいくからでした。二次大戦中も降伏するしかありえない状況の中でも支配層の最大の関心事は「國體」の擁護と維持であり、国民の命と財産の保全など全く眼中になく、決断できない間に、全国の都市は空爆で焦土となり、沖縄で凄惨な地上戦が行われ、広島・長崎に原子爆弾が投下されました。

 国民各位に無限に責任を押し付ける「國體」の体制でしたが、支配層は極めて無責任・無能でありました。その原因を丸山真男氏は、西欧諸国の制度や国家と比較して明確に述べています。

4)天皇制における無責任の体系

「近世の認識論の構造と近代国家の政治構造との密接な関連はすでにE・カッシラーやC・シュミットなどによって思想史的に解明されているが、こうした関係は、類似した政治理念がそれぞれの国民によって個性的な組織化の様式をまとう点にも現れている。

 例えばヨーロッパにおいて大陸の合理主義が絶対君主による政治的集中(官僚制の形成)を前提とした法治国家(Rechtsstaat)の形成と相即しているとすれば、イギリスの経験論には地方自治の基盤の上に自主的集団の論理として培養された「法の支配」(rule of law)の伝統が照応している。

 同じ儒教の自然法思想が中国の場合には規範的・契約的性格が比較的つよく現れ、日本ではむしろ権威(恩情)と報恩の契機が表面に出るのも、たんに学者の解釈の差ではなく、封建制あるいは家産的官僚制の内面に浸透してその現実的な作用連関を構成している「精神」なのである。」

「「天下は、天下の天下なり」と言う幕藩制に内在した「民政」観念が幕末尊攘思想において「天下は1人の天下なり」という一君万民理念に転換したことが、維新の絶対王政的集中の思想的準備になったにもかかわらず、こうして出現した明治絶対主義は、当初から中江兆民によって「多頭一身の怪物」と評されたような多元的政治構造に悩まねばならなかった。

 これもむろん直後には維新の革命勢力が、激派公卿と西南雄藩出身の「新官僚」との連立のまま、ついに一元化に組織化されなかった社会的事情の継続であるが、そこにも世界認識を合理的に整除せずに「道」を多元的に併存させる思想的「伝統」との関連を見いだすに難くない。」

 明治政府時代が、岩倉具視らの公卿衆と薩摩・長州の出身者の連立政権でしたが、実に危うい統治形態でした。維新の三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)の死後、かつて吉田松陰に「斡旋屋に向いている」と呼ばれた伊藤博文と、「棒のような男」と言われた山形有朋が「元老」として権勢を振るったことも影響は大きかったと思いますね。

「明治憲法において、「ほとんど他の諸国の憲法には類例をみない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれゆえに、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動形式が作用している。

 つまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体内容を与えることにほかならない。さきに述べた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。」(P39)

 国民各位には無限の国への忠誠心を強いるのに、統治する支配層が分裂し、統治能力が不足していて「無能」であったいうことなんでしょう。次に丸山真男氏は明治憲法体制の問題点を指摘しています。

5)明治憲法体制における最終的判定権の問題

大日本帝国憲法の「設計者」の思惑と狙いを以下の文章で丸山真男氏は的確に述べています。

「政治構造の内部において主体的決断の登場が極力回避される反面、さきの伊藤の言に表されているように、この「一大器械」に外から始動を与える主体を絶対的に明確にし、憲法制定権力について、いささかの紛議の余地を亡くしたのが、天皇制の製作者たちの苦心の存するところであった。

 明治憲法が欽定憲法でなければならぬ所似は、けっして単に憲法制定までの手続きの問題ではなく、君権を機軸とする全国家機構の活動を今後に渡って規定する不動の建前であったのである。

 この「近代」国家において憲法制定権力の所在が誰にあるかという問題は、これ以後もはや学問的にも実際的にも「問われる」余地がなかった。」(P39)

 個人の自由や、市民自治の概念が帝国憲法には殆ど盛り込まれていない。国民は「臣民」として、ひたすら天皇大権に奉仕する存在であるからです。

「しかしながらこの憲法によって、「保護」された良心と思想の自由は,「國體」が自在に内面性に浸透した人民を「保護監察」しうる精神としての側面を持つ限り、容認の範囲の問題であってもついには原理的な保障ではありえないのである。(中略)・・

 ただ多くの民権論者にも、いわんや伊藤にも等しく欠けていたのは、私的=日常的な自由を権力の侵害から防衛するためにこそ全権力体系の正当性を判定する根拠を国民自らの手に確保しなければならないという発想だった。」(P42)
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 例えば、日本国憲法では明確に「基本的人権の保障」を定めています。

第十一条

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」

 大日本帝国憲法は、こうした明確な規定はないと丸山真男氏は言っています。「臣民」の義務ばかりの強調。条文ではあえてしてはいないでしょうが、社会の「雰囲気」や「同調圧力」は現代社会では全く考えられない力があったと思われます。

 権力の源泉が国民ではなく、天皇であるから、1人1人の国民の基本的人権の保障が限定的であり、国が個人の人権を守る形にはなってはいませんね。

6)「権利の上のねむる者」

 国民の基本的人権をきちんと認めた日本国憲法ですが、次の12条には、読むとこう書かれています。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 丸山真男氏は、厳しいことを書かれています。 借金もお金を貸した方が請求しないと「民法では時効」があり、請求権が無効になるという事例を説明しています。その後にこの文章が続いています。

「国民はいまや主権者になった。しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝めざめてみると、もはや主権者ではなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけです。

 これは大げさな威嚇でもなければ教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。」(P155)

 なんとも今の日本の社会風土を分析して言われているようではありませんか。またこうも言われています。

「アメリカの社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することと比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想があるのです。」

「私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」

「その意味では近代社会の自由とか権利とか言うものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたいと言う気性の持主などにとっては、はなはだ持って荷厄介なしろ物だといえましょう。」(P156)

 日本国民は代議民主制度の選挙への投票率がとても低い。若い人にすれば投票率が3割以下と言う場合もあります。まさに「権利の上で惰眠をむさぼぼっています」

 そしてよく考えることもなく国民の基本的人権。個人の自由を保障した日本国憲法を「制定して70年も経過し、時代にあっていないので改憲すべき」という意見に多くの国民が自分で深く検討せずに「なんとなく」賛成してしまう傾向がありますね。

 とても危険です。体制側が憲法改正に反対を主張する人たちを「サヨク」だとか、「変わり者」「少数派」だとの猛烈なキャンパーンを硬軟両方で執拗に毎日していますね。それに「騙される」人も多いと思います。

 ネットの無料配信のニュースの多くは憲法改正論者の産経新聞系ですから。SNSやネットの論調も圧倒的に「憲法改正論者」の主張が目立ちます。きっと莫大なお金を安倍内閣は電通などを使って毎日日にち広報宣伝をしていると思います。良く事情が分かっていない人たちが右派的な主張をネット上で吐いているんでしょう。

 今回丸山真男氏の「日本の思想」をテキストに、読書ノートを作成してみました。日本会議の主張である「日本国憲法を廃止して、大日本帝国憲法を復活させる」という企ては、いかに国民の基本的人権を無視したものであることが良く理解できました。

 日本の歴史の近代化で、西欧1000年の歴史と伝統に「急ごしらえの明治天皇制度」で追いつき、追い越そうとしましたが、所詮は矛盾が出て破綻しました。特に支配階級の無責任さ、無能さには呆れるばかりです。

 臣民(国民)に無限に忠誠と服従を強要するのに、支配階級は無責任極まりない存在でしかなかった現実が大日本帝国の実態でした。今更亡霊のように復活してほしくはありません。

 今一度足元の地域社会から社会全体を俯瞰し、民主主義国家・日本を市井の市民の立場で再生すべきではないかとわたしは思います。

 日本国憲法の改正論が、大震災やテロでの混乱収拾を名目に「緊急事態要項」として政府側から提案されようとしています。日々自宅まわりの地域防災に関わる市井の市民とすれば、「国の役目も重要ではあるが、後方支援として重要なんです。市民と基礎自治体の信頼感と協働で地域防災活動は展開されるべきです。」と私は思います。地域の事は地域住民と基礎自治体の職員が1番わかっているからです。

 「粗雑な緊急事態要項」なるもので、南海トラフ巨大地震の抑止や復興の主体になるものではなく、民意を無視した国家権力の暴走に繋がるのではないかと懸念しています。「民意を無視せず地域住民と一緒になって地区防災計画をつくる」ということで、内閣府は平成215年災害対策基本法を改正し、「地区防災計画」制度をこしらえました。

 国家官僚も事態をきちんと理解されている人がいます。防災対策1つでも国が「上から目線で」地域防災を仕切り、陣頭指揮が出来る筈がありません。地域住民と基礎自治体で、地区防系計画を作り上げ、国が後方支援をきちんとやることこそが大事なことなんです。

 「災害大国日本」では、地域住民と基礎自治体の協働で、各地で地区防災計画が策定され、国はきちんと後方支援することこそが、一番肝要なんです。「国民の命と財産を守る」ことが、政府や基礎自治体の行政の役目です。

 戦前の帝国憲法では、そのあたりの概念が弱く、支配階級の無責任さ、無能さを助長してしましました。ですので、日本国憲法を廃棄し、帝国憲法を復元するというのは」、国民生活のためにはなりません。

日本会議についてもレポート本を読みました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-a851.html

 個人の基本的人権が無視されるようでは、日本国が日本国でなくなりますから。

 

 

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2016.12.23

天皇誕生日の休日に想う


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 今日は明仁天皇陛下の誕生日です。ひたすら戦没者への祈祷を行い、平和な日本を願い続けて来られました。高齢をおしての昨年のパラオの訪問は胸を打たれました。

 日本国憲法で象徴天皇が第1条で制定されています。そして戦争放棄を高らかに提唱した第9条と見事にリンクされています。明仁天皇陛下は護憲・平和を貫いて戦没者の慰霊の旅を国内外で続けられました。
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 この明仁天皇の誕生日である1948年(昭和23年)12月23日に、東条英機以下7人のA級戦犯が戦争犯罪人として東京裁判で裁かれ処刑されました。GHQはわざわざ明仁天皇の誕生日に処刑したのです。これにはどういう意味があるのか私にはわかりません。

 その翌日の12月24日にA級戦犯であった岸信介は何故か無罪放免・釈放されています。安倍晋三現首相の祖父です。アメリカ従属外交を後に首相になって強く推し進めた人物です。


「普通の日本人であった経験がないので、何になりたいと考えたことは1度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。」と言う言葉は衝撃的でした。確かにそうですが、「当事者」の発言だけに重たいです。

 11歳の時に日本の敗戦があり、疎開先の日光から東京へ戻って来られた時一面の焼け野原に衝撃があったと思います。15歳の時に職業選択の自由がないことを良く理解されていたのです。

「25歳で美智子妃と結婚する直前には、
「ぼくは天皇職業制を何とか実現したい。(略)毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務を執る。(略)そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ」

「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。(略)天皇になっても、ぼくは街の中に住む」(P9)

その願望は実現しませんでしたが、美智子妃殿下と一緒に、3人の子供たちを自分で育てることは貫徹しました。強い意志を感じます。

 昭和天皇の誕生日の4月29日(1946年)に東京裁判でA級戦犯が起訴され、明仁天皇の誕生日(15歳)の12月23日(1948年)に処刑されたのは偶然ではありません。

「この裁判と処刑が何を意味するのか、天皇とその後継者は、絶対に忘れてはならない。」との占領軍のメッセージがこめられています。

「日本とは何か、敗戦とは何か、占領軍とは、憲法とは、戦争責任とは、新しい時代の天皇制とは・・・・。

 この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする「思索の旅」の根底に、つねにあったのだと思います。

 そしてその思索にはもちろん、父である昭和天皇の戦争責任についての検証と、そうした問題を自分はいかにして克服し、過ちを繰り返さないようにするべきかと言う、大きな心の葛藤も含まれていたことでしょう。

 その心の旅が長い手探りの時代を終え、ひとつの形を取り始めるきっかけとなったのは、東京からはるか遠く離れた島、沖縄との衝撃的な出会いだったのです。皇太子時代のひめゆりの塔の慰霊の時に、火炎瓶を潜んでいた男に投げつけられたことがありました。明仁天皇(当時は皇太子)はひるまず対処され、その後も沖縄慰霊の旅をされておられます。

 サイパンの慰霊にも出掛けられています。硫黄島にも行かれました。

 そして2015年は、80歳を超えてパラオ諸島へも巡礼の旅に行かれました。

 中国に対する想いと謝罪もされています。

 韓国に対する想いと謝罪もされています。

 象徴天皇制という制約だらけの立場の中で、巡礼の旅を続けられています。国内では大災害の被災者に常に寄り添い、福島第1原子力発電所からの避難生活を続かられている人々への想いを常にされておられます。

 終戦から70年の年(2015年)に、明仁天皇は平和への決意を一層、巡礼と言う形で表現されておられるように感じました。

 安保法制と言う粗雑な「戦争法案」を安倍内閣は「数の力」で国会で採択しました。2013年の参議院選挙でも、2014年の衆議院選挙でもこのような「戦争法案」の話は安倍首相は国民に対して一切していません。国民の進路を決める重大事項こそ、正面から議論し、慎重に粘り強く国民各位の合意形成する努力が必要です。安倍内閣には胆力がありません。

 国政選挙の時はひたすらご当地ネタか、アベノミクスという経済政策を誇らしげに語っていただけでした。選挙で戦争法案は信任されたわけではありません。そこを現在の自民党の幹部は理解していません。
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 明仁天皇が生涯をかけて先の大戦の戦没者の慰霊をされている。その強い意志に驚きました。いったい今の安倍内閣は何をしているのだろうと思う。明仁天皇の平和への想いを平気で踏みじる行為をしています。恥ずかしくはないのだろうかと真底思います。

 あらためて明仁天皇の「平和への強い願望」を感じました
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 きちんと敗戦後の日本の歴史を冷静に検証すべきであると思いました。

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2016.12.03

「日本会議の研究」を読んで


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 「日本会議の研究」(菅野完・著・扶養桑社・2016年刊)を読みました。安倍内閣の政治姿勢に大きな影響力を発揮していると言う「日本会議」。その実態は不明であり正直不気味な存在であると感じていました。

 日本会議 ウィキペディア

 菅野完氏と言う1974年生まれの42歳の若い執筆者の真摯な調査活動により、実態が判明いたしました。「日本会議」は政府・自民党に強い影響力を今や持っており、著者は「市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、そして極めて民主的な市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」によって、日本の民主主義は殺されるだろう」と記述しています。

 筆者は1年間「日本会議」を調査するために毎日図書館に通い。古書を漁り、人に会い続け調査ノートを作成し、資料を集め取材を続けてこられました。2015年に作業を続けておられたそうですが。「安保法制の国会審議」を横目に見ながらの作業でしたが、何故メディア各社や学者が、今や日本社会に大きな影響力を有している「日本会議」を研究しないのか、調査しないのか常に憤りを持っていたそうです。

「速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また学問の範疇でもないだろう。学問の対象とするには生々しすぎる。

 テレビ・報道がカバーをするには歴史が長すぎ、学問の対象とするには歴史が短すぎる。そういう間(はざま)に「日本会議」は存在している。(P296)

 現実の日本社会に大きな影響力を与えているにも関わらず、正確な実態がそういった事情でわからず不気味でしたが、菅野氏の渾身のレポートでその正体がようやくわかりました。

 日本会議が目指ものは、6項目あるようです。

1・美しい伝統の国柄を明日の日本へ

2・新しい時代にふさわしい新憲法を

3・国の名誉と国民の命を守る政治を

4・日本の感性をはぐくむ教育の創造を

5・国の安全を高め世界への平和貢献を

6・共生共栄の心でむすぶ世界との友好を

 という美辞麗句で,記述されておりよくわかりません。筆者の「解説」は下記にありますが、読んでも曖昧であり、めざすべき彼らの言う「あるべき日本の姿」は今1つわかりません。

「(1)皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが、(2)昭和憲法がその阻害要因になっているために改憲したうえで昭和憲法の副産物である行き過ぎた家族観や権利の主張を抑え、(3)靖国神社参拝等で、国家の名誉を最優先とする政治を遂行し、(4)国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し、(5)国防力を高めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い、(6)もって各国との共存共栄をはかる」(P23)です。

「キーワード的には「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」といったものでしかなく、「日本会議が目指すもの」に示された内容の思想性や政治性に目新しいさは一切ない。」(P24)が実態のようです。

 内容が陳腐で新規性のないものであったとしても「いまや日本会議は、閣僚の8割以上を支える一大勢力である。現実に、彼等は「なんら新奇性のない古臭い主張を」確実に政策化し、実現化している。」(P24)

 わたしは戦前の思想家大川周明に注目していました。かれは米英諸国の「片手に民主主義」「片手に帝国主義」のダブル・スタンダードを厳しく批判し、英米帝国主義からアジア人民を解放するために日本帝国の役目はある。と主張し、現実に語学学校をこしらえ、塾生を東南アジア各国に派遣(フィリピン・ビルマ・インドネシア・マレーシア・ベトナムなど)し、現地の民族解放運動を担う指導者層に食い込んでいました。

「大川周明 アジア独立への夢」を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-892d.html

 日本会議に大川周明のような、大きな思想はありません。ありませんが何故時の政治権力者に影響力を与えることができたのでしょうか?その検証にこの著作は役だっています。

 「思想による影響力」というよりも、活動方法は「手順を踏んだ民主的な地道な市民運動の手法を執拗に全国展開でやり続行けている」ことではないでしょうか。

「日本会議の特徴は、個別目標の相応した分科会的な別働団体を多数擁している点にある。
 例えば改憲と言う目標。この目標を達成するため、日本会議では冒頭で紹介した「美しい日本の憲法をつくる国民の会](通称1000万人ネットワーク)をはじめとし、「新憲法研究会」や「21世紀の日本と憲法有識者懇談会](通称・民間憲法臨調)など複数の別働団体を擁している。
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 これら各種別働団体は、特段、日本会議であることは名乗らないものの、日本会議系団体であることを隠しもしない。あくまで別働部隊として、個別にシンポジウムを開催したり署名活動を行ったり、街頭演説を行ったりと実に様々なチャンネルで自分たちの主張を繰り返している。」

「また、活発な地方活動も特徴の1つだ。日本会議自体が「日本会議地方議員連盟」なる組織を擁しているのみならず、個別別働団体が、それぞれの地方組織を持っており、それら地方組織が地方議員を支え各自治体の議会での影響力を行使している。」
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 中略

「中央に置いて、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通じ、1000万人の改憲賛成署名を集めることを目標として活動する一方、地方の活動にも抜かりはない。

 日本会議はその地方支部を通じ、あるいは別働団体の地方支部や地方協力団体を通じ、地方議会の議員に働きかけ、次々と早期実現を求める地方議会決議」を行った地方議会は、25府県議会・39市区町村議会にのぼる。」(P26)

 2014年2月の石川県議会で最初に採択されその後、熊本、千葉、愛媛と採択された居ます。高知県議会でも採択されていました。最初の事例となった石川県議会の意見書は、日本会議の案文しのまま。自民党本部から各都道府県支部に、石川県議会に続けと言う通達がされ、2014年から15年かけて意見書採択の動きが広まったようです。

 教科書採択運動やや男女共同参画反対運動などの活発な市民運動を繰り返し、民主主義的な手法を屈指し、改憲運動を全国展開しています。

 地方議会への請願は、地域防災の観点からしたことはあります。各会派を巡回し、主旨を説明し、委員会審議にかけて採決していただくもの。書類の作成や各会派訪問など手間暇のかかることです。

 日本会議は全国規模で、地方議会への請願という民主主義的な地道な方法で執拗に継続し、改憲運動を「草の根」で展開していることがよくわかりました。

 また筆者によれば、その運動のルーツは1969年の長崎大学での民族派学生によるバリケード封鎖解除、学園正常化闘争に起因しているとか。学生自治会も支配し、成功体験をこしらえたとのこと。それ以後47年間地道な民主的な手法で、改憲運動をやり続けてきたようです。

 多くの新左翼党派や運動が1969年をピークに解体し、分裂し、内ゲバで抗争し続け消滅、今や市民層に何らの影響力を持たない体たらくとは対照的に長崎大学のたった1つの成功体験を保持し、半世紀にわたり地道に改憲運動を執拗に民主的なやりかたで継続している日本会議のやりかたに驚きました。

 安藤巌氏と言う表に出ない優秀な組織工作者の存在が大きいのでしょう。

 「むすびにかえて」で菅野完氏はこう述べています。

「事実を積み重ねて行けば、自ずと、日本会議の小ささ、弱さが目に付くようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもないほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」

  中略

「しかしながら、その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。本書で振り返った、70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった「一群の人々」はあの時代から休むことなく運動を続け、様々な挫折や失敗を乗り越えて、今安倍政権をささえながら、悲願達成に王手をかけた。

 この間、かれらはどんな左翼・リベラル勢力よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名活動をしてきた。かれらこそ市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに愚直に市民運動の王道を歩んできた人々だ。

 その地道な市民活動が、今「改憲」と言う結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは。「緊急事態条項」しかり、「家族保護条項」しかり、おおよそ近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく民主的だ。」

「私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食わされているように見える。
やったって意味がない。そんなの子供のやることだ。学生じゃあるまいし・・・。と日本の社会が寄ってたかってさんざん馬鹿にし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ、陳情、署名、抗議集会、勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。

 そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力になった。このままいけば「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか。」

 筆者はにもかかわらず希望をすてないようにしようと言っています。

「だがもし、民主主義を殺すものがが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主主義の市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすほかはない。賢明な市民が連帯し、かれらの運動に習い、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」(P298)

 とても複雑な気持ちになりました。1969年というわたしとほぼ同時代に社会活動をはじめた人たちが、その後も執拗に自分たちの運動を継続し、国政に影響力まで持つようになりました。

 わたしといえば1976年以来社会運動はしていません。「連合赤軍と新自由主義の総括」がここ数年来の私のテーマでした、日本会議の連中は「明治憲法の復活」という懐古思想で彼らなりの回答を社会に主張していました。

 ほぼその思想はかつての生長の家の考え方の踏襲であると思います。中学時代に生長の家の幹部の人に冊子を送っていただき読んでいましたからよくわかります。精読はしましたが、共感することは全くありませんした。

 復古調の荒唐無稽な考え方が。日本国政に大きな影響力をもっていることに危機感を覚えます。かといって今の制約だらけのわたしには何もなす事ができません。それがとてももどかしい。

 推薦図書の1つです。

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2016.09.06

平成の「治安維持法」が準備されています。


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 「共謀罪」は廃案になりましたが、安倍内閣は「テロ準備罪法」なる「平成の・治安維持法」を9月の臨時国会に提出するとの記事が、朝日新聞2016年8月26日号1面に掲載されていました。

 あんまり猛暑が続くので、当日あたりは見出しを見過ごしていました。朝日新聞の1面に掲載されていたのに。

 戦前の治安維持法は、言論・結社の自由を極端に制約しました。特高警察と言う政治思想を専門に取り締まり、拷問する秘密警察もつくられました。日本国を無謀な世界大戦に巻き込み、国民を塗炭の苦しみに導いた悪法でした。

 テロ対策を名目に、また平成の治安維持法である「テロ等準備罪」が登場しようとしています。国民を分断し、暗黒日本国をつくらせることには反対します。

 現行法ではなにが不足しているのか。何ゆえに国民生活を束縛する法律を政府は性急につくろうとするのか。災害対策や地元での地域防災活動を全く無視する「緊急事態法」といい、日本国は民主主義国を放棄し、全体主義国家になりつつあります。

 全体主義国家に日本国が変質すれば、災害にも緊急事態にも全く対応できない危機管理の崩壊した国に成り下がることでしょう。

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2016.09.04

南国道路の工事が本格化

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高速道路の高知インターチェンジから、高知市高須ー五台山を経由し、高知空港ー香南市ー安芸市へ抜ける高規格道路(通行量は無料の自動車専用道路)である南国道路が、ようやく本格的に工事が始まっています。

 上の写真は高知市布師田付近の高架工事です。高知インターから布師田ー高須までの道路は幅広で、中央に幅広の分離帯がありました。そこを掘り返し、順次高架道路の橋げたを工事しています。

 それこそ20年ほど前の1997年。当時の建設省(現在の国土交通省)の「南国道路景観検討委員会」に民間委員として呼ばれたことがありまた。ほかの民間委員は高須の高知県立美術館の当時の館長と、五台山竹林寺の和尚でした。彼らは博識があり、景観にも一言ある「有識者」でしょう。

 建設省の人にわたしはなぜ選ばれたの?と聞きますと「まあドライバーの立場で気軽に発言して下さい。」とのことでした。阪神大震災直後で、高速道路の高架橋は強い揺れでへし折れ、倒壊するという事態がありました。

「美術館や五台山の景観に配慮しながらも、安全・安心な南国道路にする。」というのが当時の建設省の説明。地盤の悪い高須地区などは、硬い岩盤のある100M掘るそうです。」とのことでした。

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 下の写真はその南国道路の夜須インターを降りて見上げた高架道路です。高須付近の高架道路は景観に配慮されていることでしょう。

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2016.08.15

敗戦記念日におもうこと

  1945年8月15日に、日本はポツダム宣言を受諾。連合国に無条件降伏をしました。敗戦記念日から71年目の夏を迎えました。全世界相手の世界大戦に参戦し、300万人の国民が亡くなり、国土は焦土となりました。

 戦争もまた大きな災害の1つです。猛威を振るいますが、自然災害と異なることは、人間同士の対立が引き起こすものであり、抑止することは可能です。頭に血が上り、勇ましい言辞を吐いて戦争することは愚かなことです。得られる満足感の何10倍もの悲しみが覆い尽くすからです。

 先の大戦中の1944年に三河地震と東南海地震がありました。戦争中ゆえ政府は公表や報道を禁止しました。研究や調査もさせませんでした。2000人の犠牲者があったにもかかわらずです。報道管制をして国民には知らせませんでしたが、連合国側は偵察機などにより地震の概要を知っていました。

 戦争中の2つの地震は国民には伏せられました。その2年後の1946年に昭和南海地震が起こりました。2つの地震の調査・研究が出来なかったゆえ、昭和南海地震に対しても「無防備」で対処せざるを得ませんでした。

 隣国との緊張を煽り立て、扇動する1部の人達がいます。「災害大国・日本」「地震大国・日本」に、新たに戦争を背負いこむ余裕はありません。

 敗戦記念日に、考えてみました。

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2016.08.10

そびえたつ海抜5M表示ポールー高知市二葉町


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 国土交通省は、国道の何キロ間隔かで、海岸線の道路に、海抜を表示しています。海抜シールと言うらしいですね。
 
 海抜シール  http://www.mlit.go.jp/common/000212278.pdf

 国道56号線の起点となる高知市二葉町。二葉町内の佐竹理容店前の道路標示ポールに、海抜5Mを表示する表示がされています。また川やダムにある水位計のような表示まで描かれています。

 見上げるほど5M表示の位置が高い。2階建てでは駄目で、3階建でないといけないことになりますね。いかに二葉町が海抜が低い(全地域が海抜0メートル地域です)。

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2016.08.06

71年目の原爆投下の日


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 2016年8月6日は、広島に原爆が投下された日です。今年は71年目となります。加害者の米国の大統領が初めて広島の原爆慰霊碑と、資料館を訪れ、献花し、スピーチをしました。

 核兵器廃絶の想いは全世界で強いのですが、核保有国は増加し、執拗に核実験を行う国もいます。

 核兵器も原子力発電所も同じ原理です。「核の平和利用」なんぞありません。福島第1原子力発電所のメルトダウンがどれほど福島県の住民各位に脅威を与えているのかを考察すればわかることです。
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 願わくは核兵器と原子力発電所がすべてなくなることを願います。

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2016.07.24

日本国は「新たな災害」(戦争・原発)に耐えられる力はない

 日本史を振り返りますと、日本国は有史(たかだか文字の歴史は3000年程度)ですが、天変地異が多いことが理解できます。最近の地質調査では、南海トラフ巨大地震は6000年間で25回起きているとか。L1想定(M8・3。宝永地震程度)は100年位1度。L2(M9.0・東日本大震災程度)は240年位に1度は来ているとか。
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 奈良の大仏と東大寺、国分寺は何故できたのか?当時も、貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇山噴火・・・。相次ぐ自然の災厄地震・噴火に疫病と大変な時代でした。更に朝廷の1部には朝鮮半島の新羅との対外戦争を推進する勢力も強力に存在していたそうです。

 聖武天皇はは対新羅戦争計画には消極的でありました。。聖武天皇の重視した華厳の思想は平和思想という側面を持っており、戦争計画に賛同しなかったのは十分な理由があったのであります。

しかも大仏造営は国家の大事業であって、対新羅戦争を同時に遂行することは、財政負担の上でも到底無理な話でした。。対外戦争推進派の貴族たちを討伐し、当時の日本国は戦争の道を選ぶことなく、仏教事業を推進し、日本を1種の仏教国家もました。その功績は大きいうとと思います。後々の国制にまで根本的な影響をあたえたのでした。

 奈良の大仏も聖武天皇が国家の安定のための1大国家プロジェクトとして建立したといいます。聖武天皇は、奈良の大仏を建立し、全国各地に国分寺を建て、その元締めが東大寺であったようです。それは天変地異の大災害を自分の政治の力が劣っているからと反省し、自己責任を自覚していたからでしょう。今の政治家よりも遥かに潔い指導者でした。

また「かぐや姫は火山の女神であり、竹取物語は、より古い時代の火山神話を物語風に書き直したものだはないか。」と言う説もあります。それだけ当時の日本国は災害に溢れていました。

 白鳳南海地震(684年)は南海トラフ全域が動いた海溝型の大地震であったようです。文章は歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇」(保立道久・著・岩波新書・2012年刊)から引用します。

「大潮高く騰がりて、海水ただよう」日本史において初めて津波を描いた文章である。当時の土佐(高知)も大変な被害が出たと言われています。

 「今村明恒によれば、これは江戸時代1704年(宝永地震、1854年(安政地震)の2つの津波で高知市の東方平地(現在の高知市下知・高須など)が津波に襲われた時の様子に良く似ており、震源となった海底断層の位置も、陸側の沈降して海となった地域もほぼ同じであったと言う。」(P13)

 つまり貞観地震は東北の大地震ですが、その痕跡や記録をたどり現代において地震・津波対策をきちんとしておれば、少なくとも福島第1原発の被害は回避できた可能性は大きい。しかし当時の原子力関係者は、一部の地震関係者の提言を無視し続け、全く津波対策をしませんでした。その結果が大事故に繋がりました。

 日本国民は 平成の今の時代は、奈良時代と同様に地震と火山の活動期にはいったと思わないといけないでしょう。目の前の巨大地震や津波対策、耐震化工事や噴火対策を全力で今こそすべきです。原子力発電が建設された1970年代から30年ぐらいは、巨大地震はたまたま平穏時期でなかっただけでした。 

 災害に備えなければいけないのです。それに加え台風は毎年襲来します。大雨災害も全国どこかで起きています。日本は「災害大国」です。政治の仕事は「国民の命と財産を守る」ことだけです。「経済は国民が努力して良くするものです。」国に依存することはおかしい。
Fukusimagenoatuhigai

 災害大国日本です。新たな災害である「戦争」と「原子力発電」を稼働すべきではありません。リスクを低減化するのが政治の仕事です。戦争も原発も「国策」で決まります。戦争や原発を国策で推進するリーダーを選んではもういけないのです。それは日本国の亡国に繋がるからです。いくら勇ましい事や景気のいいことを言っても駄目です。日本国は災害の活動期に入りましたので。

 私は日々小さな商いと、超高齢の両親(97歳・90歳)の在宅介護をしながら、海抜0メートルの低地の市街地の島で暮らす1市民です。小さな地域社会から日本国の行く末を心配しています。

 

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