「獄に暮らせば」を読んで

「獄に暮らせば 21年7か月の獄中日記から」(重信房子・著・作品社・2026年刊)を読みました。率直な感想は、「重信房子さんは21年7か月の獄中生活をよくぞ生き抜いた。」と思いました。
2000年11月8日に逮捕され、2022年5月27日に刑期満了で出所するまで21年7か月の獄中生活は、山あり谷ありであったことが読んでいて理解できました。わたしは3つの視点から注目しました。

①獄中生活の詳細が克明に書かれていました。
獄中生活の生活リズムは、特異です。制約だらけであり。拘置所時代と、刑務所時代とでは異なっています。
「獄の一日 2001年9月1日。
平日は7時に起床のチャイムが鳴るが、今日は休日なので、7時30分にチャイム。(中略)
寝床を畳んで、定位置に置き、掃除。平日は洗濯をこの時間に行い、干すものは刑務官補助員を補助する懲役労働の人が受け取りに来るが、休日は職員、職員補助の懲役の人の労働がほぼストップするので、自房に干せる小物を洗濯。(中略)
7時50分に点呼。順番に、自分の房の前に職員が来たら東京拘置所入所の際に決められた番号を答える。名前は存在しない。(中略)
8時の朝食は、マグロのフレークと、焼き海苔、味噌汁。今日の味噌汁は、なすの味が少々。15分後位、食べ終わる頃に残飯を弁当箱に入れて窓口に置いておくと、回収していく。(中略)
9時からラジオ番組が流れ出す。9時45分に室内体操の放送が流れる。部屋の掃除をされている。11時30分ころ昼食。今日の昼の献立は、すき焼き風牛肉入りスープ、辛く煮た肉じゃが風ポテト。コーヒー、ビスケット5枚。
4時過ぎに夕食。献立は、とろみ味あんかけ肉と野菜、コンソメスープ。ザーサイ。
4時40分夕方の点呼。5時からラジオ放送が始まる。
9時チャイムが鳴って減灯。消灯はないが暗くなる。大体11時過ぎに床につく。」(P60)

重信房子さんは淡々と拘置所生活、刑務所生活の日常を記述しています。その間に裁判があり、2010年に最高裁判決が確定し(控訴は棄却)され、2010年8月5日に判決が確定。受刑者となり刑務所に移管されました。拘置所から刑務所に代わっても獄中生活は克明に記述されています。
人権無視の身勝手な刑務所のルールなどを、留置場や刑務所の受刑囚同志団結し、待遇改善を文章化し要求し、待遇改善につなげた事例がいくつも紹介されていました。
重信房子さんが逮捕された時も「私は何も悪いことはしていない。」という信念で顔を上げ、手錠を掲げてサムアップされていたそうです。(サムアップ(Thumbs up)とは、握ったこぶしから親指を上に立てるジェスチャーのことです。英語圏や日本など世界中で「いいね」「賛成」「了解(OK)」という意味の肯定的なサインとして使われています。
警視庁留置所に後から入ってきた中国人が「テレビでサムアップした人だ。」ということで同房者同士が「連携」したようです。街宣車で応援演説していたのは右翼民族派で「重信房子は正義だ!頑張れ重信房子!」と拘置所の外で言っていたとか。
ラジオ体操の時間では、ラジオ体操のふりを知らない中国やベトナム人や日本人もいるので、教えあいながら情報交換をしていました。フレンドリーな姿勢は、21年7か月の獄中生活が無駄ではありませんでした。その後2022年5月28日に刑期満了集会に現れた一人は「昭島の獄で重信さんと友達になりました。重信さんから薬を辞めなさいと言われました。もうわたしは薬を辞めました。今は福祉施設で働いています。重信さん生きて出てこれてよかった。」(P322)」と発言し大きな拍手で皆が称えました。
②癌の手術や闘病生活は凄まじい。よくぞ生き抜いたと思います。
大腸がん(数か所以上)、小腸がん、卵巣がん、子宮がんなどがあり,開腹手術、カテーテル手術も9回以上行われていて、抗がん剤の服薬もあり、手術に家族が付き添うこともかなわず、1人で耐え抜きました。刑務所の中で生き抜いたことは凄いとしか言いようがありま
またコロナの時代も生き抜かれました。癌の手術も過酷な条件で移動が強いられ、命がけであったことも理解できました。2008年に癌が発見され、手術を繰り返し、刑期満了で生きて出所したことは素晴らしいです。
「突如、1月27日。大阪医療刑務所(大阪府堺市堺区泥町8の80)に移されました。2月3日に大腸癌2か所の手術を行うことにました。(中略)
1月26日夕食後、外部との連絡が取れない時刻に突然、「すべての荷物持ち出し」を命じられました。(中略)医務担当係が現れて、以下の4点を通告しました。
第一に、あす他の刑事施設へ移動する。どこか?の質問に答えられない。第二に、手術に関しての一切は行き先で指示する。第三に、すでに東拘で、行った検査も含めて追加の検査を含めて追加の検査も含めて追加の検査を行う必要がある。第四に、感染症を避けるため、一時的に人工肛門をつける可能性がある。(中略)

バスに乗る寸前に「高等検察庁の命令によって、大阪医療刑務所に移動する」ことになりました。手術は成功し大腸癌の2か所の摘出と、小腸の癌の摘出をしました。
その後8回も癌の手術しています。重信さんの身体にも大変な負担でありました。著作を読むと医療刑務所の医師たちは皆優秀で腕利きでした。重信さんの身体も癌に負けず元気で獄中の22年を耐えました。
③活動履歴の総括と反省、再出発について
重信房子さんの存在は、日本の学生運動の高揚と限界、新左翼要は運動の高揚と限界、崩壊の歴史をご自身の身をもって体験されています。

学生運動の体験者の多くは「若き日の良き思い出」として語られる繰り言が大半ですが、重信房子さんは、社学同から第2ブント(共産主義者同盟)の勃興と分裂、赤軍派の結成への参加と分裂と対立。連合赤軍への違和感の表明。「昔の思い出話」ではなく、常に「今の日本社会をどうするのか」「私たちは何を獲得し、何を失い。何を間違ったのか」を率直に今なお語られていることに注目していました。
今回の著作では逮捕後の獄中生活22年の詳細な記録と、獄中にいた2008年からの壮絶な癌との闘病の記録も読みごたえがありました。社会運動への言及も記述は少ないものの、きちんと書かれていました。
「獄中記では、日本の60年代の学生運動のうねりの中から、その1人として等身大の姿の日々を記しています。」(P12 逮捕から裁判へ)
「70年代の私たち「日本赤軍」の戦いによって、不本意ながら巻き添えにし、被害を与えてしまったすべての方々に、深くお詫びします。
70年代当時は、武装闘争が盛んに闘われてきました。当時アラブに結集し始めた私たち、のちの日本赤軍は、パレスティナに連帯し、解放運動の一翼を担っていました。武装闘争をもって、連帯することが、最高の連帯と考えていました。当時の条件の中で、パレスティナの解放の戦いに連帯したことを、今も誇りとしています。

しかし同時に、自らの能力や力量不足を補う方法として、「人質作戦」などの形態をとって戦いました。こうしたありかたは、直接当事者ではない人々を戦いに巻き込み、精神的、肉体的苦痛を与えてしまいました。
この最終意見陳述の機会に、再びお詫び申し上げます。」(P51被告人の意見陳述)
「当時は、国内の武装闘争(今から考えれば、とても武装闘争と言えるものではなく、大菩薩峠闘争とか、逮捕されて当然の稚拙な在り方でした)の行き詰まりから、やはり武装闘争を国際的に成功させているパレスティナの戦いに幻想をもっていました。そうした「青い鳥」を探すような主体状況で、パレスティナ解放運動の生死を問われる戦争の中にさんかしました。
時代の勢いもあり、私がアラブに渡った当時は、日本も連合赤軍事件前で、まだ左翼運動は負けつつも闘い続けていました。ベトナム解放の戦いも勝利的に前進していました。そうの戦いに貢献できることは、ボランティアとして何でもしようという思いからすたーとしました。
その中に、政治も軍事もありました。パレスティナ解放の戦いをともにし、かつパレスティナで受け入れられた力をバネに、日本の変革も関わっているつもりで、後先を考えず(戦略的に考えず)闘ったと言えます。その結果としてイスラエル史観を土台とする西洋の警察・メディアからはテロリストと言われています。(中略)

わたしたちは、国内の連合赤軍事件に悲しみ、怒りつつ、しかし鉛のような敗北感のある日本社会ではなく闘いの中で解放される海外の世界にいました。
その分、私はPFLPやパレスティナ革命の正義性に身を寄せて、日本の国内の戦い方をだめだなあと、外在的にしか見ていなかった。またなすすべがなかったと言えると思います。」(P65 誰がテロリストなのか)
「ぼんやりと69年の7月6日事件(当時ブント内フラクションだった赤軍派がブント指導部を暴力攻撃して赤軍派誕生のきっかけになった事件)(中略)
なんであんな戦い方しかできなかったのか?社会運動や変革の可能性を摘み取ってしまったような、私たちの戦いの稚拙さをあれこれ思い巡っていました。」(P147)
私の記憶が正しいければ当時のブントの議長はさらぎ氏でした。明治大学泉校舎で赤軍派が一方的に暴行した事件であったと思います。党内議論せず暴力で反対派を排除したレーニンの真似をしたと思われます。
刑務所の待遇改善や、賃金の安さでは出所後の生活がなりたたない。また健康保険の対象ではないこともおかしいと指摘されています。
とぎれとぎれでしたが読み切りました。引用し、紹介した文章はごく一部でしたが感動しました。この50年間の私個人のテーマであった「連合赤軍と新自由主義の総括」もなんとかできそうに思えるようになりました。重信房子さんに感謝です。


























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