健康問題

2018.05.25

初夏のはりまや橋サロン


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 2018年5月25日(金)は、母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。お天気でしたので、歩行補助車で母は行きました。

 谷ひろ子さんのお店で自分たちの分と、娘に送る分の焼き菓子を母は買いました。すぐに100歳体操(介護予防体操)の準備をしますので、写真を撮ることを忘れました。
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 今日は100歳体操は12人の参加がありました。日差しがきついのでテントの下に会場を設営しました。元気で体操しました。
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2018.05.22

母は毎朝コーヒーを入れてくれます


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 アルツハイマー型認知症と母(92歳)が認定されて今年で10年目です。にこやかに他人様と会話ができても、誰と会話したのか、何を話したのか全くわかりませんから。

 朝食時のコーヒーを入れてくれるのは母のお役目です。いつもの会話です。
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私「お婆さんコーヒーを入れてもらわんといかんけんど」

母「そんなことしたことないきに、入れん。」

私「毎日コーヒーを入れてくれているので・・、。」

 と言い、お湯を沸かすポットとコーヒーカップを母に渡しますと、「スイッチ」が入ります。コーヒーカップに2杯の水をいれます。ガスの元栓を開け、ポットを置きます。

私「お婆さんフィルター。」と言います。

母はコーヒーフィルターをドリップに被せます。

私「コーヒーをスプーンで2杯入れて」と言いますと母はスプーンで2杯分のコーヒーをフィルターで覆われたドリップの中に入れます。
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私「お婆さん グローブ」を言いますと、鍋つかみを右手に入れます。

 ポットのお湯が沸騰しますと、母は鍋つかみでポットを1度流し台の上に置きます。私が蓋抑えのためのチッシュを渡します。

 母はコーヒーの入ったドリップの上にポットの熱湯を注ぎます。すべて注ぐと役目はお終いです。
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 あくまで母の場合ですが、最初は「コーヒーを入れて」と言いますと、私は入れたことがないと拒否します。そこをやんわりと「お湯を沸かさんといかんきに」とポットとコーヒーカップを差し出しますと母にスイッチが入ります。
 
 コーヒーフィルターを出しますと、複雑に折り、ドリップに綺麗に被せます。

 母の場合の認知症はところどころ忘れています。忘れた箇所をケアしてあげれば、の残存している記憶で動き、コーヒーを入れてくれます。
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 つまり母の認知症は「断片をつなげば、昔どうりの動作は可能」であります。
 
 でも認知症は人それぞれ、個性があります。

 東京五輪の前後に母は叔母の貸店舗を借りて喫茶店を開業していたことがありましたから。それを思い出しているのかもしれないですね。50年ほど前の話です。

 写真は毎朝の光景です。

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2018.05.19

父・吉正を偲ぶ


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 父が亡くなって1週間が経過しました。仏教用語では「初七日」と言うそうです。葬儀の時に僧侶に「初七日の法要」も一緒にお願いしましたが、改めて現在社会ではそうしないと無理であることが、当事者になって初めてわかりました。娘は昨夜帰りました。

 月曜は通夜、火曜は葬儀。水木金は父の「死亡届」をいの町役場町民課へだし、後に年金事務所へ行きました。法務局と税務署の手続きは来週以降です。せわしいし、役場の対応には爆発寸前です。

 従来FBやブログには「父・日赤・ICU]とか「父・いずみの」とかいう入院経過の報告や、在宅介護の様子もその都度記録のために書いていました。「初七日」でもあり、父の略歴や死因なども書いてみたいと思います。

 父の病歴と死因について

 若い時代に結核で長期の療養生活した以外は、よくお酒を飲んでいましたが、病気らしい病気はしませんでした。父は小柄でしたが元気者でした。(結核は戦前の日本では死亡率1位の国民病。亡くなる人が多い中で生きのびました。)

 10年前の2008年9月8日、89歳の時に前日に自分で車を運転して錦山CCにて1ラウンドゴルフをし、翌日昼食時に倒れ近森病院へ緊急搬送されました。脳血管障害が疑われていましたが、血管に損傷はなく原因がしばらくわかりませんでした。

 腎臓に大きな負担を与える造影剤の使用が打診され家族として許可しました。硬膜動静脈ろうという脳の静脈の異常が発見、開頭手術で無事に除去され、身体麻痺もなく無事に退院できました。しかし腎臓に大きな負担がかかり慢性腎不全になりました。

 主治医の横田哲夫先生から、腎臓専門医の植田一穂(いっすい)先生をご紹介され、透析治療することなく在宅療法で頑張っていました。「減タンパク食」、「適度な運動「点滴治療」でした。週に5回介護予防通所リハビリに行き、週に1度はゴルフ練習場へ行き、125発のボールをゆっくり打っていました。(最後に行ったのは昨年の10月28日でした。)
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 今年の1月19日に植田医院へ行きました。利尿剤が利かなくなり植田一穂先生の連絡で高知日赤病院に緊急入院しました。緊急透析を2回行いました。70日間入院して。3月29日にいずみの病院に入院しました。腎臓治療を見守りながらリハビリに力をいれていただきました。

 父が亡くなる前日に昼食前にリハビリをして覚醒した後に、入浴した後にゼリー食を自分でスプーンで食べていました。また明日海の帰りに来ると言って父と別れました。亡くなった当日は上天気でしたので、私は朝から夜須の海でセーリングをしていました。その間に危篤状態になっていたようです。防水仕様の携帯電話は海の上にも持参していましたが、風が案外強く着信音は聞こえませんでした。海から上がって携帯を見るとたくさん着信記録がありました。片付け(1時間程度かかります。)て自宅へ戻り家内と母と駆け付けた時(午後3時には、父は亡くなって冷たくなっていました。死亡時刻は13時25分。死因は老衰でした。

 当日父は私に心配をかけず海で遊ばせてくれたのです。父に感謝しています。今思えば父は10年前に亡くなっていた可能性が大でした。仕事こそできませんでしたが、私たちを毎日見守っていただきました。父には感謝しかありません。

父・西村吉正の略歴

大正8年(1919年)6月24日、現在のいの町大内(おうち)で8人兄弟の2男として生まれる。旧制高知工業土木課を卒業後、朝鮮総督府に鉄道技師として勤務。測量の仕事をしていました。

 程なく徴兵され、朝倉44連隊に入隊。訓練中に結核を発症。除隊し自宅療養しました。結核は当時「不治の病」とされていましたが、父は我慢強く静養し完治しました。
 完治したところで2度目の招集を受けました。運よく幹部候補生試験に合格し、内地で訓練している最中に終戦となりました。(落ちた人たちは沖縄戦に動員され殆どが戦死したと聞いています。)

 終戦後に高知県庁土木部に勤務し、神田川改修工事などを担当していたそうです。ある人の紹介で南国パルプ工業へ入社、製紙会社の営業職として長年勤務しました。その間春子と結婚しました。測量技師と言うキャリアを捨て、製紙会社の営業職として1からキャリアを積んでいきました。

 昭和41年、48歳の時に株式会社エヌシー商会を創業しました。当時は55歳定年の時代ですから思い切った決断でした。それから50年。会社は大きくなりませんでしたが、小さくても維持してきました。

 若い頃は身勝手な私でしたが、2011年9月からの父の在宅介護を7年間したおかげで、他人を思いやる心が自然に芽生え、お困りの高齢者がいたら見知らぬ人でも駆け寄り声がけし、体が自然に動き手助けができるようになりました。介護状態になっても人間の生き方あるべき姿を教えていただいた父に感謝しています。

病人でも介護状態でも、人を導くことができる
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 慢性腎不全で身体機能が衰えて来始めたのは2011年頃。介護認定を受けました。そして最初は週に1度、介護予防通所リハビリ施設へ行くようになりました。やがて2回になり、3回、週に5回通所し、週に1度は父の大好きなゴルフ練習場へ連れて行きました。
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ステージ4でしたが、透析をすることなく在宅療法「減タンパク食」「適度な運動」「水分補給」「点滴治療」で植田医院で8年間治療を行い頑張って来ました。

 元気な父でしたが、昨年11月頃から少し歩くと息切れ状態になり、心不全と言われるようになり、自宅での階段生活がきつそうでした。

 父の歩行介助や、排泄介助、入浴介助もしました。介護体験は貴重です。やることで人としての思いやりが出来るからです。していなかったら「身勝手な人間」で終わっていたでしょう。政治家や高級官僚は、国民の「道徳教育」などと偉そうな事をのたまっていますが、介護体験をしたころがないからアホーな事を言っているのです。

 2011年9月から6年8カ月の父の介護でした。いろんなことを学びました。父に感謝です。医療関係者や介護関係者の皆さんにも感謝以外ありません。

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2018.05.12

父・いずみの・521


 2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。

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2018.05.11

父は内臓(食道・胃・十二指腸)は健全でした


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 4月28日以降、腸炎の影響で口から食べ物を食べようとしない父(98歳)でした。ひょっと胃に潰瘍などがあるのかもしれないということで内視鏡検査を5月9日にしていただきました。

 結果は「食道・胃・十二指腸には潰瘍やポリープなどはない」とのことでした。ほぼ内臓は健全と言う事です。

 となりますと口からものを食べないのはその日の気分や体調によることが大きいと思いました。医療スタッフの人にお願いしました。

 朝食時前に、父をベットから起こし車椅子に座らせて手足のリハビリを言願いしました。そして頭を覚醒させた状態で、ゼリー食を食べるようにしてもらいました。可能な限り昼食時に見守りに行きました。そしたら少しずつ自分から食べるようになりました。

 今週はいろんなことがありました。時に対応ができないこともありました。

 結論は「なるようになる。それしかない。」ということです。

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母・はりまや511


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 2018年5月11日は爽やかな晴天でした。母(92歳)ははりまや橋サロンへいきました。お天気なので歩行補助車で行きました。
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 コロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買いました。露店のパン屋さんでクッキーを買いました。
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 今日の活き活き100歳体操には12人の参加者がありました。皆さん元気そうに体操をしていました。多分最高齢者の母も頑張っていました。
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父・いずみの・511

 2018年5月11日(金)ですが、父(98歳)の面談は
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お昼前の11時過ぎに行きました。ちょうどオムツを替えているところでした。それから共用スペースへリハビリに行きました。車椅子へ座り手足の曲げ伸ばしなどをしました。少し動けるようになりました。

 今日はシャワーの日。担当の介護士が迎えに来ました。
寝たきりでストレッチャーへ乗せられ浴室へ行きました。20分ぐらいして戻って来ました。
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 昼食は車椅子で共用スペーズへ行きそちらでゼリー食を食べました。おかゆに、かぼちゃ、イチゴ味のゼリーをスプーンへすくって少しづつ食べました。父の回復は遅々としています。共用スペーズの写真は撮影禁止なのでありません。

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2018.05.10

父・いずみの・510


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 2018年5月10日ですが、昨日に引き続き日程調整をして午前11時20分過ぎにいずみの病院へ行きました。丁度理学療法士が来ていました。ベットの上で手足のリハビリをして共用スペーズまで車椅子で移動します。

 共用スペースでは手を伸ばすリハビリを主にしました。起床して運動したので頭はも体も覚醒したようです。ゼリー食が運ばれてきました。
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 父(98歳)は自分の手でスプーンでゼリー食をなんとか食べていました。今日は6割ぐらいは食べました。咽ることはありませんでした。口から食事ができれば身体機能も回復して来ることでしょう。

 共用スペースでの撮影は出来ません。食事後の精も根も尽き果てた表情の父の写真しかありません。
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 車で往復しましたが、ほとんどの車が窓を閉め切りエアコンをかけています。今は「暑さに体を慣らす時期」であると思います。冬仕様の体を夏仕様にします。エアコンをかけたらそれが出来なくなり、代謝異常で風邪をひいたりします。

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2018.05.09

父・いずみの・509

 2018年5月9日ですが、今日は父(98歳)が昼食を口から食べるトライをするので早めに見舞いに行きました。到着すると共用スペースで車椅子に理学療法士とリハビリをしていました。輪投げのループを手を伸ばしてとると言う動作を続けたいました。

 午前11時40分過ぎから共用スペーズのテーブル席で朝食タイムです。患者たちが介護師や理学療法士、言語聴覚士に付き添われ集まりました。1人1人が食事内容が異なっています。

 父の場合はゼリー状の食事でした。おかゆとおかずがゼリー状になった入ました。スプーンですくって父は口に入れ食べ始めました。今日は嫌がらずに食べていました。途中で咽こむことはありませんでした。

 言語聴覚士とも話しました。今日の場合は、ベットで食事するのではなく、起き上がり、事前にリハビリをして体が覚醒したこともあり、きちんと食事が取れました。「いつもより倍は食べてくれました。」と言いました。
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 主治医は「今朝胃と食道の内視鏡検査をしました。潰瘍やポリープはありません。胆汁が逆流したりして1部胃壁が荒れているとこともあります。身体的な障害は食事に関してはありません。」とのことです。
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 明日も午前11時半を目標に病院へ駆けつけ、父の昼食を見守ります。写真は相変わらずベットの上です。寝ている写真ばかりです。共用スペーズは原則撮影禁止なので、文面でお伝えします。

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高齢者は一律で括れない。多様性があります

 あくまで我が家での個人的な体験から来る見解に過ぎませんが持論を述べたいと思います。世間一般では「65歳以上」が「高齢者」「リタイヤ世代」と言われています。「65歳から74歳までが「前期高齢者」と言われます。75歳以上は「後期高齢者」と言われています。

 それでは「75歳~」で高齢者一般は括れるんでしょうか?わたしは違うと思いますね。

 親戚や周りを観察しますと、癌を発症した人たちは70歳代半ばで逝去されています。叔父たちも、従兄弟たちもそうでした。

 80歳代になりますと脳血管障害や心臓障害で逝去される人達が多い。祖父たちがそうでした。90歳をうちの両親は超えています。また違う症状が出て来ています。

 老衰などがそうでしょうか?90歳代には90歳代なりの問題がありますね。つくづくそれを感じています。

避難訓練などで「要支援者訓練」がありますが、一律に70歳代の比較的元気な高齢者を動員して実施しても、参考にはならないと思いますね。

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