沖縄基地問題

2022.05.15

沖縄返還から50年

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 今年は「50年」という節目の意識する出来事が続きますね。2月は「連合赤軍事件」から50年でした。

 5月15日は沖縄返還から50年です。実は家内は沖縄県出身。「知無どんどん」を一緒に見て沖縄について語ります。彼女は沖縄返還の前にパスポートを持参し首都圏の大学へ進学しました。
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 日中国交正常化で50年目です。なにかと「悪者」になっている中国ですが、隣国です。仲良くしたいものです。

 沖縄は中国と対立をことさら煽り立てる人たちは、「前進基地」の様にいう無責任な人たちの言動が気になります。
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 義母が存命中に何時も言われていたのは「沖縄は軍事基地があります。基地があれば攻撃されるので怖いです。」と言われていましたことを覚えています。
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 未だに米軍基地の存在は本島では過大ですね。悩ましい問題です。
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2022.04.28

4・28沖縄デー


 沖縄県の北部のやんばる地域を舞台にしている「ちむどんどん」を毎日家内と一緒に視聴しています。今週から時代は1971年になりました。

 主人公の比嘉暢子は高校3年生です。家内と同じ学年。聞くと1971年当時家内はパスポートを持って東京の大学へ入学していたとか。

 家内は早生まれだからドラマの中で就職に悩む暢子と同学年ですね。1971年の1月から卒業までの3月までの話です。

 私はと言えば1971年の4月は高校3年生でした。今は話題にもなりませんが「4・28沖縄デー」という沖縄闘争があり、高知大学へ集結してヘルメットを被り、デモ行進に参加しました。コースは朝倉の高知大学から高知市役所前―中央公園dぇした。100人ほどの大学生と高校生が参加しました。

 4月28日という日はサンフランシスコ講和条約の調印で、アメリカを中心とする連合軍から日本本土の施政権が変換され、国際社会に日本国に復帰した日と言われています。

 沖縄は日本から切り離され、日本本土にある米軍基地の多くが返還され、その多数が沖縄へ移転してきたことにもなりました。

 沖縄の地方紙である琉球新報には「沖縄屈辱の日」とされています。

「1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効した。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。沖縄が日本復帰するまで米施政権下にあった27年間、本土から沖縄へ基地が移転。日本国憲法が適用されず、人権が蹂躙(じゅうりん)された。過重な基地負担など現在の沖縄差別の源流ともなったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。」

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2022.02.28

激動日本左翼史を読んで

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[激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優・共著・講談社現代新書・2021年12月刊)を読みました。

「いかがわしい」社会評論家と私は池上彰氏と佐藤優氏についてはそう思います。仮に彼らがそうであるとしても今回の著作は、時代考証をキチンとしながら記述されています。

「なぜ、過去の遺物と化した新左翼の思想を今読むのか。それは、自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というものを、現代に生きる読者に反省的に学んでほしいからです。
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 危機の時代には必ず激しい思想が現れます。こういう過去があったということを知るだけで、危険な思想への免疫ができるはうです。」(P43「序章60年代前史」・佐藤優)

 佐藤優氏の言われる「自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というもの」とは一体何かという疑問をわたしは、50年前の高校生時代から考えてきました。

 高校生反戦会議(高1)、高共闘(高2)、高校生評議会(高3)と形と名称を変えながら新左翼に影響された高校生組織づくりに勉強もせずに奔走していました。惨めに敗北し、卒業も出来ず暗澹たる気分でいたところに『連合赤軍事件」が起こりました。信じていた当時の「革命思想」は崩壊しました。

「私たちが学ぶべき左翼の「失敗の本質」が見えてくるでしょう。崇高な理想から始まったのに、次第に暴力に覆われ、分裂を繰り返すうちに暴走して自滅する―。左翼がたどった歴史を反復することがないように、現代の教訓につなげていけたらと思います。」(P43池上彰)

 また歴史小説家と言われていた司馬遼太郎さんも講演集の中でこう言われていました。(引用が長くなります。)

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)

 司馬さん流に言うと、私は中学3年生の事から高校4年間、大学4年間の9年間「極左新左翼イデオロギー」に酔っぱらっていたのでしょう。

 そのあたりは左翼も右翼も関係ないようです。閉ざされた小さな組織や集団では、より過激な意見が優勢になり、状況が見えなくなり、自滅する行動に駆り立てられ破綻していきますね。

 また幕末の頃日本国中で流行していた「尊王攘夷」という思想ですが、薄っぺらな思想であり、討幕運動の原動力になっても、新しい国づくりには全く役立たないものでした。

 そのため明治の初めに政府閣僚の主要メンバーが2年間も欧米に滞在し、先進列強の制度を研究し、アレンジして急ごしらえしたのが明治国家でした。尊王攘夷では国づくりが全く出来かったからでしょう。

 老舗左翼の体たらくと新左翼の登場

 日本の左翼運動で1番の老舗は日本共産党。今年結党100年であるとか。西欧型民主主義国で、共産党と名乗って国政や地方議会で議席を獲得しているのは日本共産党ぐらいでしょう。

 しかしその歴史は決して輝かしいものではありませんでした。戦前は特高警察などに弾圧され、最盛期でも党員数は1500人程度でした。しかも非合法。1928年頃には主要な幹部が検挙され党組織は壊滅しました。

 日中戦争や二次大戦など無謀な戦争を阻止できません江した。

 敗戦後は占領軍により刑務所から幹部が一斉に釈放されました。その時当時の共産党の指導者は致命的な間違いをしました。アメリカ主体の占領軍を「ファシズムから日本人民を解放した解放軍規定」をしてしまいました。

 1949年の中国革命の影響からか、山村工作隊などの武将闘争を展開し、さしたる成果を上げることなく壊滅しました。1955年に再建大会を行い武装闘争を廃棄しました。その後も党内で旧ソ連派と中国派が対立、路線が右往左往していました。

 その後宮本顕治氏が党の実権を掌握し、旧ソ連や中国共産党とも対峙し独自路線で党運営をするようになりました。

 旧社会党は、戦前の労働派の流れを源流に敗戦後結党され。共産党の路線争いに嫌気した人たちや、朝鮮戦争前後のえん戦気分の国民を取り込み党勢を拡大していきました。

 旧社会党の平和革命路線の内実は、旧ソ連の軍事力を背景に社会主義革命を成し遂げるということを提唱していました。

 旧ソ連がアメリカと対峙していた頃は。それなりの説得力がありましたが、旧ソ連が崩壊するとほどなく旧社会党も崩壊してしまいました。一時期は国会の衆参両議院あわせて200人を超える時期もあった日本社会党でしたが、その後は見る影なく衰退し、分裂し党名すらなくなりました。

 1959年からの三井三池闘争と1960年の安保闘争などで、新左翼の活動家たちも社会党と共闘したりしていました。共産党は党組織運営に従わない新左翼を徹底的に排除しましたから、旧社会党は一時期は「新左翼の培養器」のような役目をしていたようですね。今回この本を読んで改めて思いました。
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 ブント(共産主義者同盟)の登場は颯爽としていました。

 当時東京大学の学生であった姫岡玲治氏(本名青木昌彦・スタッフォード大学教授)の小論「民主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における改良主義批判(1959年・ブント機関紙共産主義)は突き抜けていました。

 佐藤優氏は、P188で引用しています。出典は日本経済新聞に1か月単位で連載される「私の履歴書 人生越境ゲーム」の中で青木昌彦・著で書かれたものでした。

「論争の相手は主にソ連を盟主とする共産党正統派(日本共産党主流を含む)、(イタリア共産党の影響を受けた)共産党構造改革的改良派、第4インターであったが、私の重要な論点は次のようなことにあった。

①ソ連は官僚の特権的地位を維持する国家に変質したので、革命運動の指導者の立場にもなければ、擁護の対象にもなりえない。

②日本の資本主義は、戦中・戦前から小農などの古い要素を抱えつつも、それを利用しつつ高度の発展を遂げた。

 したがってそれはアメリカ資本主義に益々従属するというような後進性によっては特徴づけられない。

③強力な独占企業体性は国家の援助によって出現したとはいえ、それは資本主義の独自の運動法則の発展の表現である。(国家独占資本主義)。それは政府の政策の結果として生まれたものでなければ、それによって民主化されうるものでもない。」(42~43頁)

 なおそのすぐ後の箇所には、当時この姫岡国独資論に対して、日本共産党構造改革派の代表格である不破哲三が噛みついてきてきたこととその後の顛末も書かれています。

「このような20歳になったばかりの私の書いた一連のいわゆる「姫岡理論」に対して、後に共産党の党首となる不破哲三は氏は、党機関誌「前衛」1959年6月号誌上で「現代トロキズム批判-平和と社会主義に敵対する「世界革命」論を発表して、論理にならない罵詈雑言を浴びせたすえ、「もはや理論的批判の必要はない」「この反革命的反社会主義的本質を徹底的に暴露して、政治思想的に粉砕しつくすことだけが残っている」と締めくくっていた。

 しかし20年後のソ連崩壊に関して、彼は①に準じたことをいわざるを得なくなったし、②についてはやがて沈黙を守らざるを得なかった。」(43頁)佐藤優)

 池上彰氏は「本来、共産党にとっては取るに足りない弱小勢力の若者の論文に過敏に反応した。それだけ姫岡論文は影響力があったんですね。」(P189)と述べています。

 当時の20歳の大学生姫岡玲治氏の社会的影響力は、現在の将棋界を席巻し五冠を19歳で達成した藤井聡太氏のような存在でしたね。

 その後の「新左翼」の論客は姫岡氏を超えるレベルの人達は出て来ませんでした。’

また革共同革マル派の創業者であり教祖的存在であった黒田寛一氏も独自の理論構築を行い、当時の旧ソ連―日本共産党の理論と対峙できるだけの内容がありました。

「黒田の疎外論の特徴は,今を生きている我々1人1人が疎外された人間であり、真の問題はその自分が疎外されている状況にさえ気づけていないことなのだと指摘したこと。

 そしてその「気づく」ということはすなわち、プロレタリア的な人間になること以外ないと言い切ったことにありました。

 我々はプロレタリア的な人間になり共産主義革命を実現することによって、そこで初めてプロレタリアだの資本家だのといった階級による断絶を受けない、すべての人が手をつなぎ合えるようなような人間のあり方を回復することが出来るだろうという社会観が黒田の思想の根本にはあります。

 黒田のこの疎外論は、ルカーチからの影響を非常に強く受けていると思われますが、マルクスの考えた疎外論をヘーゲルと結び付けて捉えなおしているという点で、本当に考え抜かれたものです。」(佐藤優・174頁 「思想家黒田寛一の凄み」・第3章新左翼の理論家たち)

 革マル派は黒田の理論と旧国鉄の労組員であった松崎明氏との連動で動労という労組に確固とした組織基盤をつくりました。警察側の資料によれば現在も5500人の勢力を持っています。共産党や社会党とも別の運動体になることに成功しています。

 また社青同解放派も一時期ユニークな存在でした。それは新旧左翼を問わず「神格化」されていたロシア革命の象徴であるレーニンを徹底的に批判したことでした。

「解放派の代表的理論家の一人であり第二代議長も務めた滝口弘人(弘人)は、解放派の綱領的文章である「共産主義=革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言(草案)(1961年5月社青同東大班機関紙「解放」NO6掲載 のちの高見出版より刊行)で次のように書いyています。」

「レーニン主義=ボルシェゥビィズムは、プロレタリアートが階級意識=共産主義的意識を生み出すことを否定し、sレと共にこの意識を体現する自分自身の党を生み出すことを否定する。

 プロレタリアートの党は、プロレタリアート自身が生み出すのではなくて、プロレタリアートの外部から与えられる他はないとされている!

 従ってレーニンの”前衛党”は、厳密にはプロレタリア党ではない。それは社会主義的中間層の支配する党、完全に”観念とされたプロレタリア”の党である。この党は、全プロレタリアに完全に超越した党である。

 ・・・社会主義理論を純粋に護持する”理論家”がただちにプロレタリアート解放闘争の実践的「前衛」つまり「党」であであることは正しいのか?

 我々はこれには、はっきりと答えなければならない。それは共産主義=革命的マルクス主義への決定的な背反である。」(199頁 佐藤優「社青同解放派「レーニン批判の論理」

「レーニンを否定した解放派が依拠したのが戦前のドイツ共産党の指導者であり、1919年の「スパルタクス団蜂起」(ドイツ共産党がドイツ・ワイマール共和国に対して武装蜂起しベルリン各地の主要施設を占拠したものの鎮圧された事件)で民兵組織に虐殺された女性革命家ローザ・ルクセンブルグの理論でした。

 ロシア革命以前からレーニンの「前衛党」や「民主集中制」論を批判してあくまで労働者階級が主体となった、言い換えれば民衆の力を信ずる革命を志向したローザの理論に立脚することで、解放派は官僚主義的独裁を排した、より民主的な共産主義革命が実現できると考えたんです。」(201頁)

 佐藤優氏によれば、解放派のルーツは労農派の山川均であると。同じ社会主義協会の向坂逸郎氏がレーニンを賛美していましたが、山川均氏は全くしなかったそうですから。

 また「外部収奪論」は説得力がありました。資本家が労働者から収奪するだけでなく、富裕層が貧困層から、日本がアジア諸国から収奪しているということなどが資本主義の最大の悪と主張し、ブントや中核派等にも影響を与えました。

P202には興味深いやりとりがありました。

池上「大阪市立大学准教授の斎藤幸平さんが書いた2020年のベストセラー「人新世の「資本論」(集英社新書)でも外部収奪論は特に強調されている点ですね。

 その点でも解放派の思想は現代に通じる部分もありそうですね。」

佐藤「そのとうりでしょうね。ただ佐藤幸平さんがまさにそうなのですが、彼のようにヨーロッパでマルクス主義を学んでくると、基本的にレーニンは傍流で、ローザが主流なので、自然にそこに注目するようになるんです。

 日本みたいに資本主義国でありながらスターリン主義のマルクス主義が強い国は実はかなり珍しいのです。」(P202)

 連合赤軍などは、外部注入論のレーニン主義を踏襲しているし、党員は党幹部に絶対服従というレーニン主義の民主集中制の権化で暴走し、仲間殺しを行い自壊しました。

 大学時代のサークルの先輩たちが関わっていたブント(共産主義者同盟)叛旗派も「党大衆構造の止揚・変革」などと党幹部を絶対視する党運営とは無縁の様でした。叛旗派と解放派は一時期「仲良し」の時代があり相互影響し合ったかもしれないですね。

 初期のマルクスが提唱していた「疎外論」は、1960年代当時の日本共産党には抜け落ちていて、少数会派に過ぎない指導者たちの知的水準はブントにしろ革マル派にしろ社青同解放派にしろ高かったと思いました。
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 しかし佐藤優氏は、新左翼の弱点も指摘しています。

池上「たしかにあの当時の学生運動のリーダーたちの知的水準は今考えると驚くほど高かったですね。さきほど言ったように60年代末期は大学の大衆化の始まりのじきではありましたが、そうはいっても今とは全然違い、大学生は紛れもなく知的エリートでした。」

佐藤「末端の方は継承できるだけの知力がありませんから次第に殺しの話しかしなくなってしまったかもしれないけれど、それでもやはり運動を始めた人たちは非常に賢かった。ですからなおのこと、これほど多くの知的な人たちが運動を指導した半世紀後の日本がこうなっていることが不思議です。

 もはや社会で交わされる言葉に思想性もなんて欠片もありません。

 だから左翼というのは始まりの時点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこかに内包されていると思います。そしてその仕組みは、リベラルではなく、左翼の思想のどこかにあるはずなのす。」

[私の考えでは、その核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てらっると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけでは割り切ることもできない。

 人間には理屈では割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらをすべて捨象しても社会は構築できると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚出来ないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。」(P209)


 欧米とは異なり政治に何も残せなかった新左翼

 わたしは中学生時代から政治に興味があり、総選挙などでは各政党の選挙事務所を訪問して話を聞いたり、資料をいただいたりしていました。

 人生の多感な時代、1番楽しい時代、いゆゆる青春時代U15からU23までは時代の影響もあり。政治活動や社会運動に打ち込んでいました。しかし成果が出たことは殆どなく、惨めな敗北体験しかありません。

 佐藤優氏は新左翼の政治への影響力については、「まるでなかった。」と突き放しています。

「哲学・思想の面で新左翼に優れたものがあったのは間違いありません。しかし、政治的には全く無意味な運動であったと言わざるを得ないでしょうね。

 革命を成就させられなかっただけでなく、その後の日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけではありませんでした。

 正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれども、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。

 だから彼らと同形態の異議申し立ては今後決して繰り返してはならない、ということに尽きると思います。」

 同時期のフランス5月革命も挫折はしましたが、社会的な成果はたくさんありました。女性の社会参加、男女平等がその後フランス社会では各段に進展したそうですから。

 ドイツなどでも環境保護を唱える「緑の党」などは国政へ進出し今や連立政権で閣僚も輩出しています。かつての英国首相のブレアや米国のクリントン元大統領も学生時代はベトナムは寝ん運動をしていました。日本だけは「なにもない」状況を作り出し、政治に無関心な層を大量に生み出しました。

{日本の新左翼も暴力に走らなければ、あるいは暴力に走ったとしても権力に対する暴力にとどめておれば一定の存在感を残せていた可能性もあったのでしょうが、内部での殺し合いに走ったことが致命的でしたね。
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 あるいは日本の新左翼運動が残したものは、島耕作型のサラリーマンを大量生産したことかもしれません。

 個としての自立にはこだわるけれど、目の前の利益にだけ執着するという生き方です。
島耕作は社内の派閥には属さないけれど仕事はでき、出世のチャンスは逃さないという男でしょう。

 新左翼の連中は信頼していた仲間に裏切られ、党も何も信用できず頼れるのは自分だけ、という局面を程度の差こそあれ経験しているから、運動から身を引いた後にこのタイプのサラリーマンになった人たちは多かったとはずです。

 もうひとつは「最後に信用できるのは家族だけ」という意識から発する生活保守主義です。政治など社会の問題に対して、自分たちと地続きの問題として真剣に捉えず、多摩に話題にすることがあっても居酒屋論議レベルの無責任な議論しかしない。

 「政治」や「社会」と、自分たちの「生活」だけ大事にし、後は自分のキャリアアップの為だけに頑張る。そういう新自由主義の母体をつくったという意味では新左翼運動の影響は大いにあったと思います。」(P248)

 その後「しらけ世代」や「政治に無関心層を大量に生み出してしまったことも新左翼運動の悪しき影響であると思います。
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 また代議民主主義制度を「戦後民主主義の否定」と当時の新左翼党派は主張していました。私なども影響を受けました。では代議制民主主義、議会制民主主義(間接民主主義)を否定すならば、どのような仕組みで民意を集約し、国政を動かすのかという仕組みの提案も結局新左翼は出来ずじまいでした。

 佐藤優氏が70年代後半に同志社大学である教授から言われた以下の言葉が、とても印象に残りました。長いですが引用します。

「佐藤君、政治には「大人の政治」と「子供の政治」がある。私は、君たち学生が学友会(ブントが握る同志社の学生組織)で活動することも、神学部自治会がアナーキズム運動をやることも全くかまわない。君等は怒るかもしれないがそれは「子供の政治」だからだ。

 その「子供の政治」を経験しながら、様々に試行錯誤していくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。

 政治の世界で起きることはパターンとしては全部同じだから、人をまとめるのがどれほど大変で、どんなところから諍いが起きるか小宇宙での体験を通じて知っておけば、卒業後に大きな政治に遭遇したときに、それが保守系であろうが革新系であろうが、あるいは企業内の政治であろうが過度に戸惑わずに済むからだ。

 ただし民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは「大人の政治」、大人が自分たちの組織的目的のために子供たちを利用する政治だ。

 我々は教育的観点で、そうした「大人の政治」から君たちを守る義務がある。というんです。(P258)

 寛容な管理者が多様な価値観を認め「小宇宙空間」をこしらえているところは羨ましいと思いました。卒業後に「小宇宙」を体験したリーダーたちは、民間企業やアカデミズム、ジャーナリスト,教会、政界などで活躍しています。

池上「閉ざされた空間、人間関係の中で同じ理論集団が議論していれば、より過激なことを言うやつが勝つに決まっている。」


 不毛な議論、不毛な仲間同士の殺し合いを防ぐための処方性の1つは、佐藤優氏は「だら幹(堕落した幹部)を作っておき、その現実主義を認めることであるです。(P261)

 仲間殺し際限のない不毛な内ゲバの負のスパイラルになってしまう大きな原因の1つが「戦前共産党の社民打撃論に由来しているようだ」と佐藤優氏は言います。

「革命を成就させるためには、自分たち「真の革命勢力」の周辺にいる革命を装っている連中を殲滅して革命の隊列を1本化しなばいけないと考えた戦前の日本共産党の理論と体質。

 これを新左翼が断ち切ろうとせず、無自覚に継承しまったことによる過ちです。ですから内ゲバの入り口としての社民打撃論を学び、その上でこれを克服することは、現代でも社会変革を目指す人にとっては非常に重要だと思います。」(P261(過激化する新左翼)

 私個人のテーマである『連合赤軍と新自由主義の総括」ですが、今年も総括はできませんでした。連合赤軍事件から今年は50年目。総括こそ出来ませんでしたが、なんらかの足がかりを得たように思います。

 共産主義運動におけるレーニン主義の悪弊は新旧左翼全般に浸透しています。「外部注入論」:「民主集中制による党運営」、「社民打撃論」による独善主義への転落。

 日本の新左翼運動が大量の白け世代を生み出し、政治への無関心層を生み出してしまいました。

 私個人としては53年前の高校1年生の4月に高知大学へ高知県下の30人を超える高校生たちと集まり高校生反戦会議に参加しました。高校生運動や社会運動に関わり、50年前の1972年3月に県立高校を卒業できなくなりました。

 翌年だだ1人で留年し、やっとこさ卒業し関東の大学へ進学しました。そこで大学闘争(学費値上げ反対闘争)に関わりました。しかしほどなく凄惨な内ゲバの時代になりました。

 私はどの党派にも属しませんでしたが、本来なら仲間である人達が殺し合いをし、現実に知り合いの先輩が対立党派の襲撃で亡くなりました。なんとも悲しくおぞましい出来事でした。

 2022年になりロシアが兄弟国であるウクライナに対して軍事力で侵攻しています。なにやら日本でも「勇ましい議論」がされています。

 でも頭を冷やしましょう。コロナ感染症対策も満足できない体たらくの日本が戦争へ参加するんぞ出来るはずありません。
天安門1986年
 専制国家中国は短期間で100万人の市民のPCR検査が出来ます。日本は全くできません。すでに国力の差が大きく中国に引き反されています。こと軍事論に関しては「感情的な議論」はすべきではありません。

 今の国政の与野党では、コロナ禍にも、近隣国との適切なお付き合いも難しいと思います。きちんとした活動をしてきちんとした政治を行うためには、国民1人1人が政治に関心を持ち、多様な意見早を言い合い、押し切るのではなく、地道に合意形成を図るべきです。つくづくそう思いました。

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2022.02.22

中野勇人さん後援会だより

中野勇人便り2022年2月1
 先日中野勇人さんより「中野勇人後援会便り」82022年2月1日号)をいただきました。

 中野勇人さんは、北海道留萌市生まれ。旧国鉄に勤務されていましたが、国鉄が分割民営化にともないJRに移管する中で解雇されました。

 高知市と姉妹都市である北見市にも居住されていました。1面の写真は高知市農人町にある北光社移民団の出発地の記念碑のところです。私が毎日リハビリ・ウォーキング堀川浮桟橋に隣接しています。
中野勇人便り2022年2月2
 昨年12月まで高知県平和運動センター事務長を退職なさりました。東日本大震災で破壊されました福島第1原子力発電所近辺や、多数の沖縄県民が反対されている名護市辺野古基地建設現場などを訪問され、日本社会の矛盾や問題点を学ばれてこられました。貴重な体験をなさっておられます。

 バイアスのかかった断片的なマスコミの情報では「真実」がわかりません。中野勇人さんの現地訪問は貴重な地域の財産であると私は思います、
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 隣町の稲荷町にお住いであり、稲荷町自主防災会会長として、昨年11月7日の二葉町総合防災訓練時に共催団体として多大なご協力をいただきました。下知地区減災連絡会役員としてともに下知地区の減災活動に取り組んできました。
中野坂本
 高知市交通安全指導指導員でもあり、昭和校区青少年育成協議会推進協議会指導員です。日頃から地域活動を手を抜くことなく真摯になさっています。


 なにより強健な体力の持ち主であり、100キロマラソンを30回以上完走されています。なかなか出来ることではありません。

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 2019年の高知市議選に挑戦されましたが、364票差で当選出来ませんでした。下知地区の市議会議員は高木妙さんがおられます。下知地区としてはもう1人の地域代表市議が必要であると思います。

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2021.09.12

沖縄に冷淡な高市早苗氏

沖縄に冷淡な高市早苗氏
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 今回自民党総裁選挙に女性議員で立候補された高市早苗氏。意外にも放言や失言(言ってはいけないこと)が多い人物であることが理解できます。


 


 Wikipediaにて高市早苗と検索しますと、確かに問題発言が多い人物。


 


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%82%E6%97%A9%E8%8B%97


 


 わたしは「沖縄についてとても冷淡だった人物」として記憶しています。第1次安倍内閣の内閣府特命大臣(沖縄・北方領土・男女雇用機会うんぬん)だった時に、2008年頃に沖縄問題で発言されていました。
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「沖縄の人達は自分たちの要求ばかりして、国に協力しようとする気持ちがない。」と発言しました。この発言には沖縄の自民党筋の人たちも激怒していました。


 


 戦争中は凄惨な地上戦を体験し、敗戦後は27年間米軍統治下に置かれ、日本本土の米軍基地の多くが沖縄へ移設されました。立場の違いこそあれ、沖縄県の保守層も革新層も米軍基地問題で苦しんで来られました。


 


 2008年頃と言えば保守系の仲井眞知事の時代でした。仲井眞さんも苦しんで、名護市辺野古の埋め立てを承認しました。これに対し翁長雄志さんは元は那覇市長での自民党の支部長も歴任された人でしたが、埋め立てに反対し知事選挙で仲井眞さんを破り当選されました。以後沖縄県と国との対立が続いています。
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 かつては自民党でも橋本龍太郎さん、小渕恵三さん、梶原静六さん、野中広務さんたちは、沖縄への「想い」があった自民党の政治家でした。


 


「日米安保条約は憲法違反ではない。全面撤去は難しい。だとすれば、沖縄が経済的に発展するような手厚い経済支援と政策を履行しないといけない。」ということでした。


 


 太田県政時代の1998年頃沖縄には「全島フリーゾーン構想」があり、中国に返還された香港(1997年)の金融資本を沖縄に誘致しよう。カジノも認めようという構想でした。小渕さんは沖縄にサミット(G7)を誘致しました。当時のクリントン米国大統領は平和の礎に献花しました。


 


 しかし小渕さんは病に倒れ逝去されました。
 後継した2000年以降の自民党「清和会」系の政治家は、皆沖縄に無関心で冷淡でありました。高市早苗さんは特に冷淡であった1人です。


 


 保守的な考え方の義母も生前は常に「沖縄には基地がたくさんあるので、いつ攻撃されるのかわからない。怖いです。」と言われていました。


 


 かつては沖縄経済の3割程度が基地経済でしたが、今では数%の経済規模です。その分基地面積が大幅に減少したわけではなく今でも沖縄本土の多くの地域が米軍基地になっています。
日米地位協定
 自民党の政治家の皆さんは、ことあるごとに日本国憲法の改正を言い立てます。しかし憲法の上位にあるのが日米安保条約であり、日米地位協定です。そのことをスルーしていることがおかしいとは思いますね。


 

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2021.06.24

76年目の沖縄慰霊の日

平和の礎
2021年6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 76年前の1945年6月23日に旧日本軍の組織的な戦闘行為が終結した日を「沖縄慰霊の日」としています。沖縄出身の家内が言うには復帰(1972年)前から、学校は休日であったそうです。
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 凄惨な地上戦で24万人の沖縄県民と日米両軍兵士が亡くなりました。

 生前沖縄の義母はこう言われていました。「沖縄は基地があるので、いつ敵から攻撃されるのかわからない。怖いです。」と。軍事基地が県民を守るのではなく、基地があるために敵勢力からの攻撃対象になり、戦争に巻き込まれた実体験があるので,そのように思われるのでしょう。
okinawa 本島米軍基地日米地位協定
 地盤の脆弱な名護市辺野古海上に1兆円近くの埋め立て費用と整備費をかけて「米軍だけのために」軍事基地をこしらえています。

その費用の1部を高知市の低地の市街地(海抜0Mから」2M以下)の埋め立て工事、かさ上げ工事に費やせていただいたら、13万人の高知市民が「安心・安全な」暮らしが出来ます。遥かに公共性の高い工事となります。
高知市浸水想定市街地
 沖縄での戦闘で犠牲になられて皆様の供養をするために合掌します。

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2021.05.17

沖縄の施政権返還から49年目

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  2021年5月15日は沖縄が米軍統治から施政権が日本に返還されて49年目になりました。
 「米軍基地があるので、攻撃される可能性が高い。怖いです。」と生前沖縄県那覇市にお住いの義母は言われていました。今日は義母の命日。亡くなられて24年になります。父の葬儀も3年前の今日でした。月日の経つのは早い。
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 施政権が日本に返還されても沖縄に米軍基地は多大な面積を占有して居座り続けています。しかも「日米地位協定」という不平等条約のお陰で、米軍は日本で「やりたい放題」の有様。航空管制権は米軍だし、米軍兵士が犯罪を犯しても米軍基地へ逃げ込めば、日本の警察は捜査も逮捕も出来ません。
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 一部に執拗に「日本国憲法の改正(改悪)」を主張する人たちがいますが、不思議にこの「日米地位協定の改定」をきちんと主張する人はいません。日米地域協定の改定なしに、仮に憲法改正(主に9条の廃止)をすれば、自衛隊は米軍に従属し、米軍の都合で世界中に派兵されるようになるでしょう。米軍基地が集中する沖縄の現実は変わりません。
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 専制国家中国の領土・領海拡張政策や、人権無視の政策には目に余るものがあります。本当に「迷惑極まりない」隣国です。ですが経済的には相互依存はしています。難しい問題です。
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2019.06.23

映画「沖縄スパイ戦史」を鑑賞しました。


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 6月23日は「沖縄慰霊の日」。二次大戦末期凄惨な地上戦が行われた沖縄では20万人を超える沖縄県民や日米両軍兵士が亡くなりました。旧日本軍牛島満司司令官が自決し。4月1日から始まった沖縄本島での沖縄戦は終結しました。しかしそれは「表の戦争」でしかありません。
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 今まで知られていなかった沖縄での戦争を映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵監督・大矢英代監督)を沖縄出身の家内と一緒に高知市自由民権記念館へ2019年6月22日(土曜日)午前9時半の上映時間に行きました。朝1番の上映故好いているだろうとの勝手な思惑は外れ、席は満席でした。お堅く深刻そうなテーマのドキュメンタリー映画ですが、女性の観客が多く半数を占めていました。ごとごとシネマの主催でした。
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 「絶望的な戦況の中で戦闘し続けた少年兵士の話」と「軍による西表島への強制移住の話(マラリア地獄)」「今日の八重山諸島への自衛隊配備と辺野古への米軍基地建設」の問題もまた、つながり連動していくことが映画を見てよく理解することが出来ました。74年前の悲劇を、2人の女性監督の丹念な取材と証言者の発言や、背景取材によって事態の深刻さを想い知らされました。

 旧日本軍は、本土決戦に備えるために、陸軍中野学校で訓練を受けた青年将校を全国に教員などの体裁で派遣し、現地の少年(13歳から17歳前後)を少年兵士に仕立て上げ、主に後方かく乱戦に動員するつもりでした。その先駆けが沖縄での少年兵士(護郷隊)だったのです。

 沖縄戦の真実は「軍隊は自国民を守るどころか、利用し、疑い、スパイ容疑で殺害しました。住民を分断統治し、住民同士監視させ、密告させ、地域コミュニティも破壊しました。すべて軍優先の考えで地域社会を支配しました。
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 この事実がなかなか表に出なかった事情は、よくわかりました。「米軍兵士に殺害されたということなら見舞金など補償金が遺族に支払われますが、旧日本軍に殺害されたということになれば一銭の補償金も支払いはないそうです。

 マラリアが蔓延する西表島への強制移住で移住した住民の3分の1が死亡したり、旧日本軍に集団自決を強要されたこともいまだに政府も認め、遺族に謝罪し、補償金を払うこともどうやらしていない様ですね。

 沖縄の義母が健在であった頃いつもこう言われていました。「沖縄には軍事基地がたくさんあるから怖い。いつ敵から攻撃されるかもしれないから。」と言われていました。家内の実家のご両親は、企業経営者であり、保守的な考え方の人たちでしたが、ご自身の戦争体験から自然に「基地のあることの怖さ」を話してくれました。

 2時間のドキュメンタリー映画は、戦争の悲惨さ、不条理を、当時を知る人達の証言を繋いで語り継いでくれました。6月23日の「沖縄慰霊の日」を前に、考えさせられました。
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(沖縄スパイ戦史公式プログラムも参考にさせていただきました。画像は公式プログラムの4Pから6Pまでです。重たい証言の数々です。)

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2019.06.22

映画「沖縄スパイ戦史」


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 6月23日は「沖縄慰霊の日」。二次大戦末期凄惨な地上戦が行われた沖縄では20万人を超える沖縄県民や日米両軍兵士が亡くなりました。旧日本軍牛島満司司令官が自決し。4月1日から始まった沖縄戦は終結しました。

 しかし北部の山岳地帯では、ゲリラ戦が展開されていました。その内実は知らされていませんでしたが、実は日本陸軍のスパイ養成施設であった陸軍中野学校の出身者が1944年に密かに沖縄へ渡り、学校の教員として赴任、現地の意少年をゲリラ戦士として育成し、米軍との戦闘に動員していた驚く事実が判明しました。
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 珍しく沖縄出身の家内のお誘いがあり、明日は一緒に映画鑑賞に行く予定です。

 沖縄スパイ戦史高知上映会の予定 2019年6月22日(土曜日)自由民権記念館

 上映時間 9時30分 12時  14時30分  です。

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2019.05.15

5月15日は義母の命日と沖縄返還の日


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 22年前に義母は亡くなりました。難病の膠原病でした。15日の早朝に沖縄の病院へ駆けつけていた家内から逝去の連絡を受け、上の子供は高校へ、下の子供は小学校へ祖母の死去ということで忌引き届を出しました。翌日大阪経由で駆け付けました。

 デパートで下の子供のシャツを見に行きましたが高すぎ、牧志の平和通り商店街にて調達しました。適正価格でした。その晩は蝋燭の人絶やさないでとのことで義母と一緒の部屋で過ごしました。翌朝葬儀社が義母を運び出し火葬場へ行きました。2時間後に義母の骨を骨壺にいれ、葬儀会場へ行きました。葬儀が終わると、一族の墓地へ行き納骨しました。沖縄は真夏でとても暑かったです。
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 1972年5月15日に施政権が日本に返還されました。日本国沖縄県になりました。「基地のない沖縄」の願いは実現されないばかりか、安倍内閣はあろうことか、多額の国費で名護市辺野古の貴重な海を埋め立てて米軍基地を建設しています。ひどい話です。

沖縄の民意は日本国民の民意です。
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