沖縄基地問題

2016.06.23

沖縄の終戦記念日


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 6月23日は、「沖縄の終戦記念日です」。1945年3月に沖縄本島に上陸した米軍との、激しい地上戦に非武装の県民も巻き込まれ、日米双方で20万人の犠牲者が出ました。6月23日は日本軍守備隊が組織的な戦闘を停止した日でもあります。
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 これだけの犠牲を払いながらも、1952年のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は日本本土から切り離され米軍軍政が20年沖縄で続きました。その間に米軍基地に強制収容された土地は広大です。日本国土の0・4%の沖縄に74%の米軍基地が集中しています。
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 6月19日には、6万5000人の県民が集い、基地負担軽減、辺野古への基地建設反対を訴えました。
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 今回の参議院選挙でも沖縄の想いを共有しないといけない。沖縄の基地を新たにこしらえようという政党に投票しないでいただきたい。沖縄から国際社会を見る視点を日本国民は獲得すべきでしょう。

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6月23日は沖縄の終戦記念日

 6月23日は、「沖縄の終戦記念日です」。1945年3月に沖縄本島に上陸した米軍と、激しい地上戦に非武装の県民も巻き込まれ、日米双方で20万人の犠牲者が出ました。6月23日は日本軍守備隊が組織的な戦闘を停止した日でもあります。

 これだけの犠牲を払いながらも、1952年のサンフランシスコ講和条約で、日本本土から切り離され米軍軍政が20年沖縄で続きました。その間に米軍基地に強制収容された土地は広大です。日本国土の0・4%の沖縄に74%の米軍基地が集中しています。

 6月19日には、6万5000人の県民が集い、基地負担軽減、辺野古への基地建設反対を訴えました。

 沖縄の想いを共有しないといけない。

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2016.05.15

沖縄返還の日と義母の命日

 昨日のヨットレースから一晩明けますと、全身が筋肉痛。階段生活の自宅では昇降時に痛くてたまらない。情けないことです。

 父(96歳)のゴルフリハビリへは付き添わないといけない。それは行かないといけないです。
 5月15日は、沖縄返還の日と義母の命日です。1972年に沖縄の施政権が返還され44年となりました。義母は1997年に亡くなられたのでもう19年になります。
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 日本の米軍基地の74%が狭い沖縄県に集中、そのうえに安倍内閣は強引に辺野古に米軍基地をこしらえようとしています。
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 義母は「沖縄には基地があるからいつ攻撃されるかもしれない。怖いことです。」と言われていました。軍事基地は安全をもたらさないことを体験的に知っているからでしょう。

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2016.04.28

4・28沖縄デー


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 最近は「4・28沖縄デー」という名称の集会もデモ行進もとんと聞こえなくなりました。4月28日は、日本が2次大戦敗戦後占領政策を終了させつために米国サンフランシスコで講和条約に調印し、国際社会に復帰した記念日と言われています。

 また一方で沖縄はその直後から米軍統治がより苛酷になり、日本本土各地の米軍基地が縮小される一方で、沖縄には広大な米軍基地が建設され、沖縄に米軍基地が集中していきました。

 米軍統治下ですので強引に土地が接収され、米軍基地になりました。今や74%を超える米軍基地が沖縄に1極集中しています。

 「日本が国際社会に復帰した日」は、「沖縄により米軍基地が集中した象徴の日」でもあります。沖縄の人達が特別な想い「沖縄屈辱の日」をもっていることを理解すべきでしょう。

 米軍に強制接収されて米軍基地を建設されてきた沖縄。あろうことか今度は日本政府が強引に名護市辺野古に米軍基地を建設しようとしています。「オール沖縄」で反対するのは当然であると思います。
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2016.01.19

宜野湾市長選挙に注目しています

 沖縄県宜野湾市長選挙が、告示されました。投開票は24日です。米軍普天間基地が宜野湾市の真ん中にあり、軍用機が毎日住宅密集地をかすめて飛んでいきます。
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 2004年8月13日には普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米海兵隊ヘリが墜落炎上したこともありました。
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 民意は「基地のない平和の島へ」です。
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2016.01.11

まやかしの振興策に騙されないように

 沖縄県宜野湾市。普天間基地が市の真ん中に居座り道路も水道も下水道も何から何まで、米軍普天間基地を迂回せざるを得ず、ドーナツ状に市街地が形成されています。

 ホームページで宜野湾市の概要を見ますと「那覇市より北に12Km、沖縄市より南に6Kmの地点にあり、市内をドーナツ状に国道58号、国道330号、県道宜野湾北中城線、県道34号が通り、さらに沖縄自動車道の北中城インターチェンジ、西原インターチェンジへもつなぎが容易な沖縄本島の中部及び北部を結ぶ交通上の重要な地点に位置しています。」人口は9500人とか。

 来年1月に宜野湾市長選挙があります。政府は普天間飛行場を名護市辺野古へお移転した跡地にはディズニー・リゾートを誘致しても良いとか戯言を官房長官が言っていますね。馬鹿げています。沖縄県知事選挙の時は政府はUSJを誘致すると言う戯言を言われていました。

http://mainichi.jp/articles/20151209/ddm/005/010/044000c

 確かに広大な土地ですね。随分前に宜野湾市で地元新聞社の博覧会があり行ったことがありました。基地の後には産業集積施設や国連平和大学を誘致すると言う構想を宜野湾市がだされていました。
 ディスニーとかUSJなんかの「まやかし」のテーマパークなんぞより、沖縄の自然や歴史や人情や音楽などの方が遥かに素晴らしく全く必要ではありません。「愚民化政策」は辞めてほしいと思いますね。

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2016.01.07

とても大事な沖縄・宜野湾市長選挙


 沖縄県宜野湾市の真ん中に、米軍普天間基地があります。そのため宜野湾市は道路も水道も、何もかにもが、普天間基地を避けて設置されています。宜野湾市の地図と航空写真を見て驚きました。
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 瀬長美佐雄さんのFBから写真はお借りしました。

 2004年8月13日に普天間基地の米海兵隊ヘリが隣接する沖縄国際大学に墜落炎上しました。幸い夏休み中で学生たちは不在で犠牲者は出ませんでした。米軍は「基地の外」であるのに、墜落現場の沖縄国際大学を一方的に閉鎖し、沖縄県警や消防の現場検証さえさせず、墜落備品一切を持ち帰りました。全く酷い話です。日本には主権がありません。当時の小泉内閣は米国に抗議すらしませんでした。
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 安倍内閣はひたすら中国の脅威を煽り立て、「憲法改正をしないと日本のシーレーンは脅かされます。」とか、「日本国憲法を守って、日本国が滅びます」とかいうキャンペーンをしています。しかし日米地位協定の改正などには全く不熱心。日本国民が米軍に日常生活が脅かされても、抗議の1つもしない。卑屈極まりない米国追従の植民地根性ではないのか。
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 1月24日に宜野湾市長選挙があります。普天間基地無条件返還、辺野古基地建設反対を訴えている候補者が当選すべきでしょう。切にそう思います。
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2015.07.14

「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」を読んで

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 「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(矢部宏治・著・須田新太郎・写真・小学館・2015年7月・刊)を新刊で購入し読みました。週刊ポストに宣伝があったので金高童書店で購入しました。明仁天皇の実像が語られています。写真も効果的に使われています。見入ってしまいました。

 象徴的な写真に明仁天皇の言葉が載せられています。

「普通の日本人であった経験がないので、何になりたいと考えたことは1度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。」と言う言葉は衝撃的でした。確かにそうですが、「当事者」の発言だけに重たいです。

 明仁天皇が生涯をかけて先の大戦の戦没者の慰霊をされている。その強い意志に驚きました。いったい今の安倍内閣は何をしているのだろうと思う。

 明仁天皇の平和への想いを平気で踏みに知る行為をしています。恥ずかしくはないのだろうかと真底思います。
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 11歳の時に日本の敗戦があり、疎開先の日光から東京へ戻って来られた時一面の焼け野原に衝撃があったと思います。15歳の時に職業選択の自由がないことを良く理解されていたのです。

25歳で美智子妃と結婚する直前には、

「ぼくは天皇職業制を何とか実現したい。(略)毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務を執る。(略)そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ」

「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。(略)天皇になっても、ぼくは街の中に住む」(P9)
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その願望は実現しませんでしたが、美智子妃殿下と一緒に、3人の子供たちを自分で育てることは貫徹しました。強い意志を感じます。

 昭和天皇の誕生日の4月29日(1946年)に東京裁判でA級戦犯が起訴され、明仁天皇の誕生日(15歳)の12月23日(1948年)に処刑されたのは偶然ではありません。

「この裁判と処刑が何を意味するのか、天皇とその後継者は、絶対に忘れてはならない。」(P17)の占領軍のメッセージがこめられています。

日本とは何か、敗戦とは何か、占領軍とは、憲法とは、戦争責任とは、新しい時代の天皇制とは・・・・。

 この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする「思索の旅」の根底に、つねにあったのだと思います。

 そしてその思索にはもちろん、父である昭和天皇の戦争責任についての検証と、そうした問題を自分はいかにして克服し、過ちを繰り返さないようにするべきかと言う、大きな心の葛藤も含まれていたことでしょう。
 

 その心の旅が長い手探りの時代を終え、ひとつの形を取り始めるきっかけとなったのは、東京からはるか遠く離れた島、沖縄との衝撃的な出会いだったのです。
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 サイパンの慰霊にも出掛けられています。
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 そして今年(2015年)は、80歳を超えてパラオ諸島へも巡礼の旅に行かれました。
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 中国に対する想いと謝罪もされています。
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 韓国に対する想いと謝罪もされています。
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 象徴天皇制という制約だらけの立場の中で、巡礼の旅を続けられています。国内では大災害の被災者に常に寄り添い、福島第1原子力発電所からの避難生活を続かられている人々への想いを常にされておられます。
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 終戦から70年の年に、明仁天皇は平和への決意を一層、巡礼と言う形で表現されておられるようにこの著作から感じました。写真も効果的です。
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 安保法制と言う粗雑な「戦争法案」を安倍内閣は「数の力」で国会で採択しようと画策しています。2013年の参議院選挙でも、2014年の衆議院選挙でもこのような「戦争法案」の話は安倍首相は国民に対して一切していません。

 ひたすらご当地ネタか、アベノミクスという経済政策を誇らしげに語っていただけでした。選挙で戦争法案は信任されたわけではありません。そこを現在の自民党の幹部は理解していません。
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 あらためて明仁天皇の「平和への強い願望」を感じました。皆さんへも一読をお薦めします。

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2015.06.23

6月23日は沖縄の終戦記念日です。

1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、圧倒的な陸海空の兵力と物量を投入しました。日本軍守備隊は満足な武器も兵力もなく、戦闘経験のない沖縄県民を巻き込み、時に盾しながら、本土進攻への「時間稼ぎ」の戦いをしました。生活領域を巻き込んだ戦闘になったがために、米軍も無差別攻撃に近い戦闘行為になり、多数の沖縄県民が巻き込まれ死亡しました。

なかには壕の中で「集団自決」をする痛ましい事例も多く見られました。


 6月23日に日本軍守備隊長の牛島中将が自決し、ようやく沖縄での地上戦が終わりました。糸満市の平和の礎(いしじ)には、日米両軍兵士の戦没者と沖縄県民、民間人、朝鮮。台湾の人達の死亡者の名前も刻まれています。
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 軍隊が国民を守る存在ではなかった。ことは沖縄での戦闘が示しています。

 いま日本政府は歴史の痛ましい教訓をきちんと総括せようとせず、安全保障法制と言う「戦争法案」の制定を急いでいます。一体どの国が日本を軍事的に侵略しようとしているのか?国会審議では全く見えません。

 「世界の警察」を自称する米軍の手先として、自衛隊を海外へ派兵して日本国の平和が維持され、守られるのでしょうか?

 もし日本の安全保障が脅かされる兆候があれば、まずは外交的な努力で災いを取り除くことが第1です。それが上手くいかないときは、「専守防衛です」。決して海外に自衛隊を米軍の手先で派兵することが、日本の安全保障につながるとは到底思えません。

 馬鹿げた議論よりも日本列島は、現在地震と火山の活動領域に入りました。災害に対する危機管理を疎かにして、米軍のために自衛隊を海外へ派兵するなどとんでもないことです。 日本国民は沖縄戦の現実を見つめ、戦争の愚かさと、軍隊は決して国民を守らないことを銘記すべきです。

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2015.05.27

「沖縄の70年」を読んで

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 2015年は、敗戦から70年目。また日本本土で凄惨な地上戦が行われた沖縄戦から70年の節目の年です。施政権返還で沖縄が本土復帰して43年目です。

 5月17日には、那覇市セルラー・スタジアムにて沖縄県民大会が開催され、翁長沖縄県知事以下3万5000人の人達が集まり、辺野古への米軍基地建設反対を叫びました。

 「フォト・ストーリー沖縄の70年」(石川文洋・著・岩波新書・2015年4月刊)を新書で高知市金高堂書店で購入し、読みました。5月17日の大集会の様子をテレビや動画サイト、フェイスブックや、高知から駆けつけた人たちから見聞しただけに、一気に読みました。

 著者の石川文洋氏は1938年に沖縄県那覇市に生まれましたが、幼児の頃に両親と本土に移住しました。写真の勉強をされカメラマンになり、香港で仕事し、やがてベトナム従軍カメラマンとなり、戦場で活動されていました。生まれ故郷の沖縄にもベトナム戦争に深くかかわる沖縄というということで取材もされています。

 また「南洋群島の沖縄人 海の向こうの戦争体験」は、移民として苦労して生活が安定したところへの戦争。サイパン、テニヤン、グアムにも多数の沖縄の人達が移住され、その地で戦争に巻き込まれました。そちらの取材もされています。
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 凄惨な沖縄戦の記録は後日筆者が沖縄を訪ね歩き、聞き取り調査されています。戦闘に動員された沖縄の人達は、満足な食料も武器も供与されず、戦闘に巻き込まれ多くの人達が亡くなりました。

 また戦前の皇民化教育と「捕虜になれば男は八つ裂きにされ,女は凌辱され殺される」と日本軍はデマを流布し、多くの沖縄の人達は絶望的な戦況のなか集団自決して行きました。

 沖縄のお墓はコンクリート製で大きく堅牢に出来ています。そこへ家族で戦闘を避け避難しているのに、日本軍に追い立てられ、戦場に放り出され亡くなった沖縄の人達も大勢いたことを石川氏は記録されています。
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「アジア太平洋戦争では日本を含めアジアの民間人、そして様々な国の多数の兵士が犠牲になった。2015年は戦争が終結して70年。戦争を体験した人も少なくなり、戦争の記憶も遠くなっている。

 私はベトナムなどの戦争を撮影して「生命」がどれほど大切なものなのかを身をもって体験している。沖縄で言う「命どう宝(命こそ宝)」である。その大切な命を奪うのが戦争である。」
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「日本が加害者となった中国などでも多くの戦争被害が生じたが、日本国内でも悲劇は起こった。とくに地上戦となった沖縄戦は悲惨なものだった。

 私はベトナムなど戦争を取材したが、沖縄戦で起こったいわゆる「集団自決(強制集団死)のようなことがあったという事実は聞いたことがない。沖縄の「自決」と、アフガニスタン、イラクなどのイスラム圏で起こっている「自爆」とでは意味が全く異なる。

 イスラム圏の「自爆」は聖戦という宗教的な意味合いにもとづいている。沖縄の「手段自決」は、捕虜になるよりいざぎよく自決せよという日本軍の戦陣訓を民間人に強制したことが原因である。また米軍の捕虜になると残酷な方法で殺されるという噂があったためである。

 沖縄に配備された62、24師団の主力は中国からの転属であった。日本軍は、自分たちが中国で行った民間人殺害、婦女子暴行を米軍も行うと考えたのであろう。
 「集団自決」と言っても肉親の手による「殺人」である。親が子を殺し、夫が妻を殺す。集団で手りゅう弾を爆発させる・・・・・。

 そのような悲惨なことが起こったと言う事実を多くの人が知るべきだ、絶対に忘れてはならないと痛感する。それが戦争の悲劇を想像する力となる。」(P19「沖縄戦の記憶」)

 筆者はベトナムでの従軍カメラマンとしての取材や、故郷の沖縄での詳細な聞き取り調査でこう結論づけします。
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「沖縄戦で軍隊は住民を守るものではないことが証明されたが、このことは、ベトナム戦争の従軍取材中にもつくづく感じさせられた。もし沖縄が今後どこからか攻撃を受けるとすれば、それは米軍の基地、自衛隊の基地があるためであり、その時米軍も自衛隊も沖縄の民衆を守ることはできないだろう。」(P20「沖縄戦の記憶」)」

 義母がご健在の時、「沖縄は基地があるのでいつ攻撃されるかもわからないので怖いですよ。」としみじみ言われていたことを思い出しました。那覇の自宅で言われていました。那覇では米軍を意識しませんが、車を少し北へ走らせますと、すぐにフェンスで囲まれた広大な米軍基地に沖縄では遭遇しますね。

 翁長沖縄県知事は、5月27日に米国訪問に出発されます。辺野古基金を活用した訪米ではないかと思われます。今のところ米国政府の反応は冷淡であるそうですが、「民主主義の祖国」と自負するアメリカ本国へ乗り込み、正々堂々と辺野古基地建設反対を選挙で選ばれた県知事が発言する意味は決して小さくはないと思います。
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