社会思想問題

2025.05.10

自称愛国者の人達は何故「日米地位協定の改定」を主張しないのか?

日米地位協定
 自民党の1部や野党の一部にも声高に「日本国憲法の改定」を主張する人たちがいます。その人たちに申し上げたい。「なぜ日米地域協定の改定」を米国政府に要望しないのか?全く不思議です。

 最近中国が「富国強兵政策」が上手くいきはじめ、造船建造力や、エレクトロニクス、宇宙開発分野でも米国を凌駕し、すぐ後ろに迫るようになりました。台湾を取り囲んで「海上封鎖の演習」もしているようです。

 ごく一部の自称愛国者の人達が「台湾有事は日本の有事」と声高にいいたてています。果たしてそうなのか?第1アメリカのトランプ政権はアジアに関心がない。日本を中国抑止の盾にしようしたいだけでしょう。

 アメリカ軍は日本の地方の飛行場や港湾も勝手に出入りし、やりたい放題をすることができます。敵性国家を勝手に攻撃して、日本の地方の飛行場に逃げ込んだりすると、アメリカの軍事基地とmきなされミサイル攻撃の標的になります。

 日本国憲法で交戦権が禁じられています。憲法9条は自民党のご先祖である幣原重三郎氏がこしらえたものですから。本来は自民党は護憲政党であるべきなんです。
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 憲法第9条と象徴天皇制は相互リンクされています。それゆえ昭和天皇は東京裁判に被告人になりませんでした。明治天皇がこしらえた靖国神社。神社側がA級戦犯を合祀したことで、依頼天皇家は靖国神社に行かなくなりました。それは象徴天皇制と憲法9条が相互リンクしているからです。

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 昭仁天皇は戦没者を供養し、大災害時に国民を慰労して駆け付けました。現天皇家にもその精神は継承されています。

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 日本は「戦争をしない国」としてこれからも行くべきなんです。

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2025.05.03

日本国憲法の重要性

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 5月3日の祝日は「憲法記念日」。2025年の5月の連休の後半は3日の憲法記念日から6日までの4連休ですね。お天気も良さそうなので、可能ならもう1回「海の散帆」に行きたいところですが、ブームの金具が外れたので修理が可能かどうかによります。

 さて日本国憲法は、無謀な世界大戦を引き起こし、300万人の日本国民の犠牲と、1000万人とも言われている近隣アジア諸国民の犠牲を2度と繰り返さない理念を元に策定され、今年は公布されて79年目になります。
日米地位協定
 日本国憲法は、改憲する必要性は全くありませんから。むしろ改定すべきは日米地位協定です。これを読むと日本はアメリカの属国であり、植民地ですね。

 声高に「日本国憲法は占領当時アメリカに押し付けられた憲法。自主憲法を制定しないと独立国とは言えない。」というのが改憲論者の言い分。であるならば、日米安保条約が、日本国憲法より上位にあり、「日米地位協定なるものが、いかに屈辱的な内容なのか。自民党や改憲論者の皆さんはただの1度も「日米地域協定」に触れないし、しようともしない。

 日米地位協定の改定なしに、日本国憲法の改憲をしたら(特に憲法第9条の改定)したら、自衛隊は米軍の下請け軍になり、世界各地の派兵されまます。アメリカは中国と対立したガリ「台湾有事」なる虚構で自衛隊を対中国戦争の最前線に送り出そうとしています。とんでもないことです。
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 そもそも「憲法第9条・2項」の戦争放棄の条文は、自民党の先祖の保守政治家幣原重三郎氏の発案です。それを自民党はちゃんと思いだして「護憲政党」になっていただきたいですね。自民党は「護憲政党」を党是として、やり直してほしいと思いますね。

 なにやら一部の左翼政党だけが「憲法9条に固執」している「守旧派」であるとの印象操作が右翼系マスコミや右翼政党からされています。「矮小化」もいいところです。

 私の私見ですが「日本国憲法第9条(戦争放棄)と「第1条の象徴天皇制」和相互リンクしていると思います。相互リンクしていたから、昭和天皇は東京裁判の被告になりませんでした。生涯ぎこくちなく象徴天皇でありました。
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 平成時代の明人天皇は「象徴天皇」を自らの行動で体現されました。国内外の戦地跡を訪問され、災害時には現地へ駆け付け被災者に寄り添う姿勢をとり続けました。

 その平和と国民を慈しむ姿勢は今の天皇にも継承されています。靖国神社にもA級戦犯が祭られて以来、天皇家一族は誰1人靖国神社には参拝しませんでした。立派なことであると思います。

 特にアメリカが「自爆」し、近隣国の中国の存在が大きくなっています。中国とはうまく付き合わないといけないと思います。まことに身勝手でめんどくさい国です。今やアメリカまでそうなりました。
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 混乱している今だからこそ、日本国憲法を国民各位は大事にしなければならないと、私は思います。

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2025.04.24

52年目の覚醒


 1972年から2024年まで、52年間「長くて暗いトンネル内」に1人でいました。53年目の今年は爽やかな毎日を過ごしています。
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 4月からNHK連続テレビ小説「あんぱん」が始まり、やなせたかしさんの「ひっくりかえらない正義」が注目されています。5年間の兵隊生活を中国でされたやなせたかしさん。戦争の大義や正義は、簡単にひっくりかえります。

 しかしお腹が空いた人に一口のパンを差し出すと皆が喜びます。それこそが「本物の正義」だとやなせたかしさんは気が付きました。よく理解できます。

 わたしは高校留年時代の2月に連合赤軍事件で衝撃を受けました。信じていた毛沢東思想が崩壊しました。11月には早稲田大学で革マル派により一般学生の川口大三郎さんがリンチされ殺害された事件がおこりました。
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 「正義(革命)を標榜する集団が(セクト)が、些細な意見の違いで、リンチし、殺害するのか?議論での意見交換や論争ではなく、殺傷力のある鉄パイプで暴力を際限なくふるえるのか?」

 私は当時の社会運動の外周の渦に巻き込まれながら、うじうじと1人孤独に悩んでいました。昨年(2024年)2冊の著作本と、出会いがあり、長くて暗いトンネルから脱出することができました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html
(「重信房子がいた時代」を読んで)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a3dfc5.html
(「彼は早稲田で死んだ」を読んで)

 重信房子さんは、ごく普通のお婆さんです。また 「彼は早稲田で死んだ」の著者の樋田毅さんには、昨年映画会でお話し、私同様50年間悩んでいたと言われました。

 同じような人がいたんだという「安堵感」はおおきいですね。当時18歳の少年は、あっという間に70歳のお爺さんになりましたから。
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 でも残りの人生はうじうじはしません。「なぜそうなったのか?」「なぜ間違い人殺し集団になったのか?」を解明したい。

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2025.02.24

友遠方より来る


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 北海道から大学時代のサークルの先輩が高知へ来られました。家内も同じサークルの出身者なので、3人で懇親を深めました。私たちの結婚式以来来てくれました。46年ぶりです。

「友有り、遠方より来たる、亦楽しからずや」は、中国の思想家である孔子が『論語』で述べた言葉で、志を同じくする仲間がいる楽しみを表しています。」
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 意味を調べますと「遠いところから、志を同じくする友人がわざわざ訪ねて来てくれるのは、なんと楽しいことだろう」とありました。

 わたしがそのサークルに入会したのは1973年でした。事情があり、翌年の秋にサークルは解散しました。しかしその時代にいた仲間たちは、それから50年経過しても、つながりが保っています。それは北海道の先輩のおかげでしょう。

 わたしなどはそのサークルでは「たいした活躍もすることなく」終わりましたが、同じクラスだった仲間が2人いて、同じ年に入学した仲間が1人いて、解散後もマージャンや飲み会をしていましたし、卒業後も懇親はしていました。
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 東京在住の仲間が幹事役になり、かつての仲間に声がけし、時折関東であつまっていたらしく、10数年前から私が年に一度のメーカーの会合が東京であるので、声がけしたら皆が集まり、懇親を深めました。利害損得のない集まりは、「年寄り」になれば、より貴重な存在です。

 それぞれ仕事も地域も違います。雑談するだけで。世の中の多様性がわかります。
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 今回も先輩の社会(同時通訳業界・コンベンション業界)の特殊性やm数珠かしさを解説いただきました。田舎者には到底理解しがたい世界を教えていただきました。

 その先輩の会社です。

https://www.ec-mice.com/

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2024.08.21

映画「ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ」

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 2024年8月18日(日)は高知市自由民権記念館にて、映画「ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ」(代島治彦監督作品・原案者樋田毅氏)を家内と一緒に見に行きました。

 

 1972年11月8日に早稲田大学構内で、一般学生の川口大三郎さんが、当時早稲田大学を支配していた革マル派の学生たちに対立セクトのスパイ容疑で執拗なリンチを受けて殺害されました。おぞましい事件を元にした深刻な映画でしたが。50人ぐらいの観客が1部には来ていました。

 

 率直な感想は「視聴して良かった。」と思いました。52年前の出来事がリアルに描かれています。「革命」のためと称して人殺しをしてしまう様子が丹念に描かれていました。

 

 川口大三郎さんのリンチ殺害事件後、早稲田大学では革マル派追放運動が盛り上がりましたが、夏休みや冬休みを挟むと関心が下がり、運動は衰退し、盛り返した革マル派に暴力支配されていきました。
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 以後対立セクト同士の内ゲバが盛んになり、場所が大学構内だけでなく、下宿先や路上や、駅構内で公然と内ゲバ殺人が行われ。殺害された人たちは100人を超えました。
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 映画上映後に代島監督と樋田さんのトークイベントがおこなわれました。
原作者の樋田さんは大学構内で革マル派学生たちに鉄パイプで乱打され重傷を負いました。活動を辞め、大学を卒業され大学院も行かれて朝日新聞社に勤務されました。各地を転勤されましたが、学生時代の書かれた文章や当時の資料を段ボール箱3箱を持ち歩いていたとか。50年間の思いを書いたノンフェクションが「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋社・刊)は秀悦でした。

 

 その作品が代島監督を動かし映画になりました。映画の中での壮絶なリンチシーンは早稲田のOBでもある演出家の鴻上尚史氏の関与もあり厚みのある映画になりました。

 

 インタビュー映像では、池上彰氏や佐藤優氏、内田樹氏などの有名人から、川口大三郎さんの同級生たちや樋田さんの運動にかかわりのあった人たちも数多く登場し奥行きを深くしていました。

 

 川口さん殺害の実行犯の5人のうちの1人のS氏と樋田さんは何度か面会し、詳細に当時の様子を聞き出していました。しかしS氏は活字にしないでほしいと
言われていましたので、活字媒体にはできませんでした。
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 警察の供述調書などにも同じ内容のことをしゃべられています。S氏の証言をも世に映画の中でも鴻上氏の演出の参考になったようで、よりリアルな場面になったことがわかりました。

 

 しかし残念ながら革マル派の当事者の登場はありませんでした。

 

 思想の力は殺人行為も正当化してしまう怖さを、人々は気が付かないといけないと思いました。より規模の大きな戦争でも同じです。

 

 日本社会で「連合赤軍の仲間殺し」と「内ゲバ殺人」の蔓延化が、社会運動を衰退させ、政治を劣化させた大きな要因であると思いました。
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 復活させていく手立てをこれから真剣に試していきたいと心底思いました。

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2024.08.16

8月18日は映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を見に行きます。

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 2024年8月18日に高知市自由民権記念館で、映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」と「映画監督代治長彦さんと原作者樋田毅さんのトークイベント」があります。
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 私は中学生時代から「早熟な政治少年」でした。国政選挙があれば田舎町から高知市内の各政党の選挙事務所を訪ね、チラシをもらったり、事務所に人に政治活動の話を聞きました。

 1966年4月から1969年3月迄が、中学生時代。1969年4月から1973年3月迄が4年間の高校時代でした。1973年4月から1977年3月迄が大学生時代でした。この11年間は私らより数歳上の「団塊の世代」が世界的に突出して大学で反戦運動や学園闘争,街頭へ繰り出して警察権力とミニ市街戦を展開していました。

 またビートルズやローリングストーンズらのカウンターカルチャーの時代でもありました。それまでの時代とは変化する節目であり、今風の社会風俗の大半はこの時代に登場し流布していきました。

 わたしは彼らから数年おくれて青少年時代(疾風怒濤の時代)になりますが、ノンセクトの全共闘運動は、私らの高校時代から衰退期になっていて、その代わりにプロ集団(セクト各派)がはびこってきて、社会運動の「おおらかさ」が消え去りました。

 そして社会運動が後退局面に入るや否や、1972年2月に「浅間山荘・連合赤軍事件」がありました。当時毛沢東思想を信仰していた私は、思想的に崩壊してしまいました。なぜ仲間をリンチして殺害するのか。その原理が理解できませんでした。

 同じ年の11月8日に早稲田大学構内で一般学生の川口大三郎さんが、早稲田大学を当時支配し統制していたセクトの革マル派の活動家に執拗にリンチされ殺害されました。ノンセクトの学生が革マル派に対抗して決起し大騒動になりました。しかし早稲田大学の自治会を支配していた革マル派は豊富な資金と武装集団を組織化し、ノンセクトの学生たちを駆逐し、リーダー格の学生にはリンチを加え再支配をしました。
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 翌年1973年4月にわたしは首都圏にある専修大学に入学しました。早稲田大学での騒動は周辺の大学にも波及していました。ですが。すでに党派(セク)同士の対立構造になっていました。

 「セクトに対抗するにはセクトに入るしかない」状態になり、いつしかセクト(党派)の対立が言論ではなく、先鋭化した暴力行為、テロ行為(相手側セクトの幹部の下宿を襲撃し殺害する。)事態になり、「救殺隊」なるプロの殺人集団まであるセクトに現れました。

 相手セクトの幹部のマンションなどの居場所をつきとめ、電話線を切断し、警察に連絡出来ないようにして、屋上から縄梯子とロープで降りてきて窓ガラスをバールでたたき割り侵入し、容赦なく鉄パイプで頭部を乱打し殺害する事件などが多発しました。

 知り合いの同じ大学の先輩はあるセクトの人でしたが、自分のアパートで対立セクトの襲撃に逢い、鉄パイプで頭をかち割られて亡くなったと聞きました・

 銃火器はもってはいませんが、まるで幕末時代の天誅組や新選組のような殺人専門集団を各セクトは作り上げ、対立セクトの構成員を殺害すべく活動をしていました。1回のテロ襲撃で100万円ぐらいコストがかかったようです。

 こうなると本来国家権力中枢部を打倒すべきところが、刃がひたすら「対立セクトに向いて行きます。そうなれば学生集会に参加することも襲われる危険があります。社会運動や学生運動は衰退していきました。何故仲間殺しをしたり、議論ではなくお互い殺人集団を差し向け合い無限ループで内ゲバをやり続けるのか?その答えや解決策を私は見つけることができませんでした。

 アメリカの大学生はエリートです。その彼らがパレスチナの旗を振り、残虐なガザ市民への虐殺を繰り返すイスラエルと支援するアメリカ政府や企業を糾弾して行動をおこしています。アメリカでは日本のような陰惨な内ゲバ殺人は起きなかったんでしょう。だから健全な学生運動や社会運動が残存しています。日本ではほとんど絶滅してしまいました。

 コロンビア大学では50数年前の「イチゴ白書」の時代を見ているようです。現実です。アメリカ社会の健全性を垣間見ました。日本はどうなのか。自民党が驕り高ぶり政治資金疑惑で滅茶苦茶しているのに、街頭で抗議活動される人はごく少数にとどまっています。

 日本に政治運動や社会運動を忌避する風潮はこの50年間ありました。私が52年間うじうじしていましたが、多くの人も声を出しませんでしたが思いは同じでした。
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 「彼は早稲田で死んだ」の著者の樋田毅さんは、当時ノンセクト学生で革マル派と対峙し、リンチを受け重傷を負っています。その後卒業されて新聞記者となり退職後に当時の仲間たちを取材し、また当時対立していた革マル派の元幹部とも意見交換しています。そのレポートに感動しました。

 映画を鑑賞し、トークイベントを傾聴して、私の「暗いうじうじした52年間」の課題を振り返ってみたいと思います。

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2024.08.15

79回目の終戦(敗戦)記念日

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 日本が全世界を相手に世界大戦を引き起こし、無残に敗北し、凄惨な犠牲者を出し終戦した日から79年がたちました。世界を取り巻く情勢からは、ウクライナにしても中東パレスティナ・ガザ地区や東南アジアのミャンマーなども戦火が止む気配はない。

 また日本近辺の向こう3軒にあたる隣国の中国、北朝鮮、ロシアはいずれも独裁国家であり、核兵器を所有し、軍備増強に余念のない面倒な隣国です。

 その危険な隣国に対抗すると称して、沖縄の八重山地域に自衛隊のミサイル基地をこしらえ、自衛隊員も駐屯させています。

注意しないといけないのは、「災害対策」を口実に、国に権限を集中させる「緊急事態要項」を盛り込み憲法改悪に持っていこうと自民党などは画策をつねにしています。その理由は「人助けの国際貢献」止め、より自分たちが金儲けができる「人殺しの国際貢献」をしたいがためです。絶対的な間違いです。

 日本は「災害大国です」。「人助けの技術は、官民とも世界1」なんです。日本は。「人を救う国際貢献・世界1」を目指すべきです。

 戦争は人災です。防ぐことが出来ます。戦争をやって金儲けしたい人達を政治の世界から追放すべきです。追放できれば世界は平和になりますから。

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2024.07.26

自分の体も心も自然の一部

 先週末の休日にお腹を壊してからというもの、体のバランスが壊れたのか体調がよろしくない。それまで平気であった事務所の気温(31度程度)に耐えられなくなり、朝から1日事務仕事でもエアコンをいれています。

 

 こんな体たらくなことは、しばらくありませんでした。年始からの両目の手術と入院、療養、視力調整、6月の右手薬指の裂傷があり、半年間は仕事も地域活動もできないありさまでした。70歳という正真正銘の高齢者になったということでしょう。

 

 それは仕方がない。ただ大きなプラスの出来事は、18歳の高校生時代から今に至る52年間悩んでいたことが、ほぼ解決したことです。それはとてつもなく大きい。「さあやるぞ!」と意気込んだとたんの体調不良でした。

 

 体調と精神を焦らず整えて、前進しましょう。あとはやりきればいいことばかりですから。やりきりますよ。

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2024.06.02

「彼は早稲田で死んだ」を読んで

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 「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊)を書店で購入し、一気に読みました。その後2回読みかえしました。

 

 私にすれば1972年という年は「人生の岐路」であり、大きな出来事が個人的にも2つありました。高校入学直後からやってきた高校生運動(高校反戦会議(高1)高共闘(高2)、高校生評議会(高3))が敗北し、仲間たちは退学処分や自主退学して各高校から去りました。私だけ1人留年した年でした。

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-d51007.html (50年経過しても悔しい思い出(2022年の個人ブログ記事)

 

 留年が確定した頃(1972年2月頃)に「連合赤軍事件」「浅間山荘時間」ガ起きました。当時私は毛沢東思想に傾倒していました。将来は京浜安保共闘に参加し、革命戦士になると夢見る世間知らずの田舎の高校生でした。

 

 渦の中にいたわけではなく、影響を受けた田舎者にしては、連合赤軍事件は大きなショックでした。

 

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-b209d4.html (連合赤軍50年。2022年個人ブログ記事)

 

「なぜ些細なことで仲間殺しをするのか?」

 

「革命の名目で同志という仲間を簡単に殺害できる理由はどこにあるのか?」という疑問を持ちました。52年経過した今(2024年)でも持ち続けています。

 

 刃が国家権力の中枢ではなく、なぜ仲間に向かうのか?その理由は今でもわかりません。今なお考え続けています。

 

 

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html

 

(個人ブログ 連合赤軍と新自由主義の総括)

 

 総括などできないまま、鬱鬱と52年が経過しました。

 

 また1972年11月には早稲田大学構内で、当時早稲田大学を支配していた革マル派活動家達による集団リンチで早稲田大学2年生の川口大三郎さんが殺害されました。

 

 連合赤軍の仲間殺しと違いますが、早稲田大学の校舎内で、活動家でも対立セクトの学生でもない、一般学生の川口大三郎さんに執拗に暴力を加え続け殺害し、遺体を東京大学に遺棄した異常な殺人事件でした。1972年には詳しく知りませんでしたが、大学入学した1973年に「川口大三郎君殺害事件」として知りました。

 

 「彼は早稲田で死んだ」の著者樋田毅さんは当時早稲田大学の学生。川口大三郎さんのリンチ殺害事件に憤慨し、大学構内から暴力を一掃するために仲間たちと運動をされていました。

 

 著作では50年前の出来事であるのに、リアルで迫ってきます。当時は早稲田大学第1文学部、第2文学部の自治会が革マル派の重要な拠点施設でした。

 

 革マル派が早稲田大学で台頭してきたのは1960年の安保闘争の敗北後でした。早稲田大学の文学部の自治会を組織的に支配し、党派の人材確保と、活動資金の確保、自治会費文学部だけで900万円を確保するためでした。

 

 当時の1万円は今の貨幣価値ではいくらなのかわかりませんが、外食で「かつライス」が最初は170円で食べられました。今は800円です。4倍になっています。4倍なら3600万円の活動資金(文学部自治会だけで)を革マル派は早稲田大学当局から徴収していたことになりますね。凄い金額です。
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 1962年頃と言えば、当時早稲田の学生であった北村正志さんが「 大学の2~3年の頃「あれが内ゲバの最初」という乱闘が起こる。

 

「当時、6尺の、すぐ折れる角材やったですよ。東京中から集まってきた500人の学生がそれを持って,革マル相手に5時間も6時間もやっていた。」と北村さんは語ります。

 

http://blog.livedoor.jp/map211/archives/52375943.html
(個人ブログ記事「爽やかな北村正志さん)

 

 革マル派は以後早稲田大学を1大拠点化し、党派の人材をリクルートし、同時に自治会費などを徴収することにより豊富な活動資金も手に入れることが出来ました。早稲田の全学部や早稲田大学祭からも資金を得ていたようですから現在の貨幣価値で言うと億単位で活動資金を確保していたと言えると思います。

 

 また当時の早稲田大学当局は革マル派の自治会を「公認」し、暴力行為を黙認していました。そのことで学内の秩序を維持するために番犬」の役割を期待していたのだろう。」
(P30[暴力を黙認していた文学部当局」)という状況であったことを著作で知りました。

 

 北村正志さん達が、1963年当時革マル派と大学構内で乱闘されたとに記述がありましたが、革マル派はその年から文学部を中心に組織的に大学を支配するために浸透していったようですね。

 

 冷静に考えますとセクト活動の優秀な若い学生もリクルートできますし、資金源も確保できるので、早稲田を支配することは革マル派にはとても旨味があったと思われます。

 

 確たる証拠がないのに文学部2年生の川口大三郎さんを対立セクトの中核派活動家と決めつけ、スパイと決めつけて校舎内に拉致し、暴力行為を加えていたことは異常です。

 

 例えば武装した対立セクト同士が街頭で乱闘し、一方が勝ち、負けたセクトのメンバーが逃げ遅れ、対立セクトの「取り調べ」を受け、その中で暴力行為があるというのであれば、賛同は出来ませんが、理屈はわかります。(それでも戦争中捕虜への暴力行為はジュネーブ条約で禁止されています。)

 

 セクト同士の軍事的な衝突は「内ゲバ」なので、国家間の戦争とは異なり、ルールもなしで無制限に暴力行為はエスカレートしていきますね。

 

 暴力行為を川口大三郎さんに続けていた学生たちは、対立セクトの影に怯え、スパイ容疑をかけて執拗に暴力を繰り返していたのでしょう。
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 川口大三郎さんは革マル派学生たちの執拗な暴力で殺害され、遺体は東大病院前に遺棄されました。殺人事件として警察が動き、報道され、容疑者の革マル派学生が複数逮捕されました。

 

「大学構内の教室の中で起きた事件なのに、大学当局は、必要な措置をとらなかった。革マル派は普段から、反対派の学生や教授への暴力事件を頻繁に起こしていたのに、教室に連れ込まれたまま戻らない学生を救出できなかった。

 

 言うまでもなく教室の施設管理権は、大学当局にある。様子を見に行った2人の教員は川口君の身の危険を十分に察知できたはずであり、施設管理権を行使し、警察に出動要請をしておれば、川口君の命を救うことは出来たのだ。
 半世紀前の出来事であることを承知のうえで、大学当局の責任は免れないと思う。」(P62「第1章大学構内で起きた虐殺事件」)

 

また著者の樋田さんは革マル派の武装集団の様子を克明に描いています。

 

「50人を超える革マル派が。背丈より長い鉄パイプを持ち、一斉に地面を叩いていた。最初は。ドン、ドンと間隔を空けてゆっくりしたテンポで次第にその間隔が短くなり、最後はドドドと地響きを立てるかのように連打した後、全員が鉄パイプを水平にして、雄たけびを上げながらスロープを駆け上がってきた。まるで戦国時代の合戦のようだった。あれほどの恐怖を感じたことはなかった。」

 

「革マル派の活動家達が文学部キャンパスに入ると同時に、リュックから三段~4段階の折りたたみ式の鉄パオプを取り出し、カチャカチャと音を立てながら組み立てていた。」
(P174「牙をむく暴力」

 

 この記述を読みますと、革マル派の武装集団は、にわか仕立ての「武闘派」ではないですね。どこかで武装訓練を集団でやっているプロ集団と言えますね。鉄パイプの効果的な使用と活用の仕方を熟知しています。
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 樋田さんは革マル派活動家に大学構内で鉄パイプでめったうちにされています。

 

「突然、物陰から10人前後の見知らぬ男たちが現れた。その中で見覚えのある学生風の男が私を指さし。「こいつが樋田だ」と叫んだ。

 

 彼らはすごい形相で私を睨めつけ、明らかに殺気立っていた。上着のポケットに隠し持っていた短い鉄パオプを取り出すのを目にして、これはまずいと直感した。いつは襲われるとという予感はあったが、突然、その日が訪れたのだ。

 

 用心してはいたつもりだったが、まさか、一般の学生が往来する構内のこんなに目立つ場所で襲撃さっるとは思ってもみなかった。どこかに油断があったのだろう。

 

・・・すぐに「足を狙え」という声と共に、足首.膝、すねに一斉に鉄パイプが振り下ろされた。

 

 致命的なダメージを一瞬にして与える刃物や銃などの武器と違い、鉄パイプは殺傷効果では劣るが、それだけに何度振り下ろされることで、激痛とともに、その恐怖で心身が冒されていく。まさにあらゆる意欲が削がれていくのだ。

 

 腕と頭部にも鉄パイプで叩かれたそうです。十分な打撃を与えと考えたのか、その場から去って行った。」
(P160[鉄パイプで滅多打ちにされる恐怖」)

 

 実際に樋田さんは鉄パイプで滅多打ちにされた経験があるのでリアルです。

 

 私が通学していた大学でもセクト同士の抗争があり、私はノンセクトであり「鋭い活動家」なんでもなく、セクトの両方のメンバーと知り合いでしたので、対立を2回ぐらい止めたことがありました。

 

 「おかしなことをする奴はマグロにするぞ!」とかあるセクトの人が言いました。」私は、意味が分からず「マグロにするって何ですか?」と質問しました。

 

 そしたらセクトのリーダーは「魚市場にマグロが横たわっているよな。○○セクトに逆らえばまぐろになって地面に転がるんだよ」と説明してくれました。彼らはブレザーに短い鉄パイプを隠し持ち数人で取り囲まれたこともありました。恐怖を感じました。

 

 幸い私はセクトでの活動歴がなかったので「釈放」されました。「また革命運動を共にやろう」とか言われて別れました。

 

 後日談では、そのセクトのリーダーは対立セクトの活動家に下宿で襲われ、頭を勝ち割られて亡くなられたと聞きました。ご冥福を祈るしかありません。おぞましいことです。

 

 そして著作の後半に、筆者は「半世紀を経ての対話」を書いています。「暴力支配を象徴した人物の転身」をかかれています。

 

 その人は当時早稲田大学の革マル派のリーダー(1文自治会副委員長)の1人であった大岩啓之助さんでした。

 

 その人が「100万人のキャンドルナイト運動の創始者となり、革マル派から離脱し、大学で教鞭もとられていました。2021年にほぼ50年振りに再会し語り合われています。大岩さんの言葉を記述します。

 

「僕は人生を何かに向かって組み立てていく感じはなくて、先のことを深くj考えずかなり、行き当たりばったりで生きてきた。それは子供の時からそうだった。」

 

 大岩さんは都立戸山高校で反戦高連という革マル派の高校生運動をやっていて、2浪して早稲田へ入学されました。最初いから「幹部候補生」扱いだったらしい。「表のリーダー」として要請され学外活動もしておられ、川口大三郎さんの事件の時は早稲田大学にはいなかったそうです。

 

 ですが大岩さんは当時は「誰にも気を許してはいけないという緊張感で活動」をしていたようです。

 

大岩「一般学生を装っていろんな党派が全国から結集していると聞かされていましたから。そういう先入観があったんでしょうね。当時の早稲田は政治運動の拠点で、外部からあらゆる活動家が集まってきた。だから常に警戒していた。」

 

 後日に仲間たちとマンションで集まって会合していた時に中核派に襲われ恐怖体験もされたようです。マンションの6階の部屋でしたが、襲撃者は屋上から縄梯子で降りてきて、バールなどで窓ガラスを割られ部屋の中に侵入され、鉄パイプや木刀でめった打ちされたとのことでした。

 

 襲われた側なのに警察に逮捕され、留置されたそうです。その時に「もっとコーヒーが飲みたい」とか「いい音楽が聴きたい」とか学生運動とは無縁な欲求を生じ、その後組織を離れると組織の上司に伝えたそうです。

 

 大岩さんは「理屈で説明したら噓になる。」と言われています。

 

「人間ってそんなに筋道を立てて、そのとうりにいきているわけでもないでしょう。

 

 理屈で説明したら嘘になると思うんです。組織を去るのを止める理由をもう自分の中に見つからなかった。」(P266)

 

 大岩さんの以下の言葉には感銘しました。

 

大岩「そうは言っても、その場だけ見れば寛容は不寛容にかなわないわけですよ。絶対的に劣勢です。

 

 しかも残念なことに、この数10年、世の中はどんどん不寛容に向かっています。でもそれを押し返す力が本来、人には備わっているはずです。

 

 僕は人間の本質は寛容だと思っているんです。人類は寛容の方向に進化してきたというのが僕なりの結論です。僕は残された人生で、自分なりの性善説を広めて社会の役に立てばと思っています。」
(「不寛容を押し返す力」P281]

 

 1994年に早稲田大学は奥島孝康総長が就任して事態が変化しました。wikipediaにこう書かれています。

 

「大学側は革マル派の影響力を排除するため、1995年7月に商学部自治会の公認を取り消し、2005年3月には社会科学部自治会の公認を取り消した。

 

 また、革マル派が主導する「早稲田祭実行委員会」が、長年にわたって早稲田祭の収入や助成金を同派系の偽装サークルに1000万円単位で横流しするなどの犯罪行為を行っていたことが判明したことから、大学側は1997年から2001年まで早稲田祭の開催中止を決定し、同派系の偽装サークルの公認も取り消した(この時、公認を失ったサークルの一つに「早稲田大学新聞会」がある)。これにより革マル派は早稲田大学の資金源を失った。

 

 この大学の厳しい処分に対して、革マル派は1997年、「早稲田大学学生部長宅盗聴事件」を起こすという反撃に出て、大学側と革マル派との対立が激しくなったが、大学側は革マル派の関係者を大学から徹底的に排除するなどして、大学側の勝利に終わった。

 

 それ以降、革マル派の残党は、サークル活動などを通して巧妙に学内で一定の活動を展開しようとしているが、かつてのような影響力はほとんど無くなった。」

 

 とのことです。

 

 「不寛容な強い組織」におられた大岩啓之助さんは今では「人間の本質は寛容だ」と言われて行動されていることに希望を持ちたいと思いました。

 

 確かに今の世界を見ても「他社に不寛容な独裁者が跋扈しています。」。ロシアのプ-チン、中国の習金平、ミュンマーの軍事政権、アメリカのトランプ一派、独裁的な傾向は日本でもありますね。

 

 でも焦らずに、「寛容な世界」をこしらえたいと思います。私の場合は小さな地域社会の中ですが。つくりたいものです。

 

 個人的に52年間うじうじ悩んで来た問題は、「半分ぐらい」すっきりしました。大岩さんがいわれるように理論的に整理する総括することが無意味であることも納得しました。

 

 要は意見が異なっても、辛抱強く他社の意見を傾聴して、合意点を見出す努力をし続けることが、無意味な争いを避ける唯一の方法なんでしょう。

 

 全く利害や利権のない小さな地域の防災会や町内会の活動こそが、「合意形成の訓練」をしているのであると改めて納得しました。

 

 そこには経済団体や同業者の団体のような「均質性」などまるでなく、いろんな立場や生い立ちの人達が地域というくくりで繋がっているだけです。でもそれが「原点」であり、1番難しいことであり、1番価値があることであると思いました。

 

 そうした市民・住民の視点から底上げをしながら合意形成し、政治にも関心を持ち自治体や国に対してもきちんと発言する人間になりたいと思いました。

 

 8月18日の映画「ゲバルトの杜 かれは早稲田で死んだ」も見にいきます。

 

8月18日(日)
高知市立自由民権記念館ホールにて開催いたします。
映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』高知市上映会
代島治彦監督 原案者・樋田毅さんトークイベント
8月18日(日)
高知市立自由民権記念館ホールにて開催!
約50年前の1972年11月8日、早稲田大学キャンパスで一人の若者が殺された。第一文学部二年生だった川口大三郎君。自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派による凄惨なリンチが死因だった。学生運動終焉期にエスカレートした“内ゲバ”の嵐。その死者は100人を超える。理想に燃えた当時の若者たちが、革命という名の下に肯定していった「暴力の論理」を今、解き明かす―。
内田樹、池上彰、佐藤優と当事者たちが“あの時代”を語り、鴻上尚史・演出の短編劇が炙り出す“内ゲバ”の不条理。
死んでいった者たちと生き残った者たちの、悔恨と鎮魂を刻印するミクスチャー・ドキュメンタリー作品です。
本作の監督 代島治彦さんと、原案本『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)の著者 樋田毅さんをゲストにお迎えして、上映&トークイベントを行います。
・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・
■日時:2024年8月18日(日)�※開場 9:30
�<映画上映 >
①10:00~12:14
②14:30~16:44
③18:00~20:14
�<トークイベント>
1回目 12:14~13:00
2回目 17:00~17:45�※ トークイベントは、映画の半券をお持ちの方が、
どちらか一方に参加できます。
■会場:高知市立自由民権記念館ホール�(高知県高知市桟橋通4丁目14-3)
■鑑賞料:
前売1,300円 / 当日一般1,500円 
(シニアも一般と同じ)�小中高生は当日のみ1,000円�※ 未就学児入場不可
■前売券販売所:�高知県立県民文化ホール�高知県立美術館ミュージアムショップ�かるぽーとミュージアムショップ�金高堂書店本店�コープよしだ、コープかもべ�ローソンチケット(Lコード:81665)
※シネマ四国の電話・メール・Facebook
LINEトークでも前売券のご予約ができます。
【主催・お問合せ】シネマ四国�電話:088-855-9481�メール:cinema-shikoku@sweet.ocn.ne.jp
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2024.04.16

4月13日・14日は完全休養日

4月13日・14日は完全休養日にしました。視力調整も微妙な段階です。

こしらえた3つの眼鏡でいいのかいけないのかを見極めないといけないからです。

1月に両目の手術をして人工レンズを埋めこんでいます。自分の体で「自動焦点が出来ない」からだ(目に)になりました。メガネで運転用メガネ、パソコン作業用の眼鏡を調整しないといけない。かつて経験したことのない体験をしています。

昨日は家内とドライブして県立美術館で「大錯覚展」を鑑賞して、夜須まで遠征してYASU海の駅クラブに行き、会費と1年間の艇置き代金を支払いに行き、夜須のハーバーを散策しました。

今日は久しぶりに自宅で映画鑑賞。少し毛色の変わった映画です。「金子文子と朴烈」という韓国映画です。ユーネクストで見ました。

http://www.fumiko-yeol.com/

俳優陣も監督も韓国の人達。皆日本語が上手だし、1923年の関東大震災時の東京近辺の朝鮮人虐殺についても丁寧に描いています

金子文子と朴列はアナーキストで当局側にマークされていました。朝鮮人大量虐殺の事実が諸外国に知れるにつれ、それは朝鮮人の無政府主義者や社会主義者がにひん帝国転覆の内乱を起こすための謀議を働いていたように事件をすり替えていくさまが丹念に描かれています。

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