社会思想問題

2016.12.08

韓国歴代大統領の不正と末路・諸悪の根源は朱子学


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 パク・ウネ大統領の即時退陣を求める韓国市民の街頭での抗議活動は物凄い。今のところ警備部隊との暴力的な衝突もなく、整然と行われています。大規模野外コンサートのように、ウエーブが起きたり、大合唱があったりして、週末のソウルの恒例行事になっています。

 これを「民主主義の勝利」と称賛される人達もいます。週刊ポスト12月16日号の「逆説の日本史」を連載している井沢元彦氏は、伝統的な政治イデオロギーであった「朱子学」が韓国社会を蝕み世界観を歪めていたからだと言われています。

「韓国という国家、韓国人という民族ほど朱子学の毒に蝕まれている民族はいない。」(P71)

「朱子学は「亡国の学問」だと確信しているが、朱子学は民族に真実の歴史を忘れさせてしまうという、とんでもない副作用がある。」(P72)

「要するにこれは民主主義社会あるいは法治国家で定められるルールよりも、韓国人を厳しく縛り逆らうことを許さない絶対のルールがあるということだ。

 それは言うまでもなく親に対する。「孝」そして血縁に対する身びいきを、国家や民族という「公」よりも重要視する儒教(朱子学)の影響であることは少し考えればわかる話である。」(P72)

 「朱子学はインテリのヒステリー」と井沢元彦氏は言います。南宋時代に朱子は生まれました。中原の地域を異民族に宗は奪われ、揚子江の南に追いやられた南宋。その際,皇族をはじめ漢民族の女性の多くは連れ去られ、性奴隷とされました。

 そのことで南宋の民は激しく外国を憎むようになりました。軍備を怠り軍事的に敗北した原因を冷静に総括せず、悪いことはすべて外国の「野蛮人」に責任を点火するインテリの負け惜しみ思想が朱子学であるようです。

 司馬遼太郎さんも幕末期に日本で流行した「尊王攘夷」の思想は南宋が元祖で「薄っぺらな思想」と看破していました。

 「この国のかたち」を読んだ読書感想文を2009年11月に個人ブログに書いていました。

「 司馬さんは「尊王攘夷」で幕末維新期は来たものの、明治政府は開国し、文明開化をなしとげ、当時の先進国にキャッチ・アップしようとした。「尊王攘夷」は、中国の宋時代の思想で「たいしたものではない、」と。結局明治政府は新しい国のかたちをもとめ、政府中枢閣僚が2年間も欧州に滞在し、ドイツなどの社会制度を性急に輸入し、プレハブ工法で社会制度をこしらえました。

 ぎりぎりの国力と必死の外交的努力で日清・日露戦争に勝利したことがあだになり、昭和10年以降に無能な政治指導者や軍幹部が日本で台頭、結果明治国家を滅ぼしてしまった昭和10年から20年までの日本史を断罪されていることがよく理解できました。」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6fb0.html

 国家国民のことよりも家族のこと一族郎党の繁栄が何より大事という韓国に定着している朱子学の弊害が、歴代大統領一族の不正の繰り返しを生んでいるのでしょう。

 またなんでもかんでも外国を悪にする思考、とくに韓国の反日運動・従軍慰安婦像を米国に立てる運動なども、いささか冷静さを欠いているように思えますね。

 いずれにしてもパク・クネ大統領は辞任が解任されるでしょうが、再発防止の社会システムと韓国社会の思考システムの変革がない限り、韓国社会に未来はないのではないかと思います。

 北朝鮮という「やっかいな独裁国」と隣接しているだけに、韓国の混乱は、隣国日本にとっても他人事ではありません。

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2016.12.03

「日本会議の研究」を読んで


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 「日本会議の研究」(菅野完・著・扶養桑社・2016年刊)を読みました。安倍内閣の政治姿勢に大きな影響力を発揮していると言う「日本会議」。その実態は不明であり正直不気味な存在であると感じていました。

 日本会議 ウィキペディア

 菅野完氏と言う1974年生まれの42歳の若い執筆者の真摯な調査活動により、実態が判明いたしました。「日本会議」は政府・自民党に強い影響力を今や持っており、著者は「市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、そして極めて民主的な市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」によって、日本の民主主義は殺されるだろう」と記述しています。

 筆者は1年間「日本会議」を調査するために毎日図書館に通い。古書を漁り、人に会い続け調査ノートを作成し、資料を集め取材を続けてこられました。2015年に作業を続けておられたそうですが。「安保法制の国会審議」を横目に見ながらの作業でしたが、何故メディア各社や学者が、今や日本社会に大きな影響力を有している「日本会議」を研究しないのか、調査しないのか常に憤りを持っていたそうです。

「速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また学問の範疇でもないだろう。学問の対象とするには生々しすぎる。

 テレビ・報道がカバーをするには歴史が長すぎ、学問の対象とするには歴史が短すぎる。そういう間(はざま)に「日本会議」は存在している。(P296)

 現実の日本社会に大きな影響力を与えているにも関わらず、正確な実態がそういった事情でわからず不気味でしたが、菅野氏の渾身のレポートでその正体がようやくわかりました。

 日本会議が目指ものは、6項目あるようです。

1・美しい伝統の国柄を明日の日本へ

2・新しい時代にふさわしい新憲法を

3・国の名誉と国民の命を守る政治を

4・日本の感性をはぐくむ教育の創造を

5・国の安全を高め世界への平和貢献を

6・共生共栄の心でむすぶ世界との友好を

 という美辞麗句で,記述されておりよくわかりません。筆者の「解説」は下記にありますが、読んでも曖昧であり、めざすべき彼らの言う「あるべき日本の姿」は今1つわかりません。

「(1)皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが、(2)昭和憲法がその阻害要因になっているために改憲したうえで昭和憲法の副産物である行き過ぎた家族観や権利の主張を抑え、(3)靖国神社参拝等で、国家の名誉を最優先とする政治を遂行し、(4)国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し、(5)国防力を高めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い、(6)もって各国との共存共栄をはかる」(P23)です。

「キーワード的には「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」といったものでしかなく、「日本会議が目指すもの」に示された内容の思想性や政治性に目新しいさは一切ない。」(P24)が実態のようです。

 内容が陳腐で新規性のないものであったとしても「いまや日本会議は、閣僚の8割以上を支える一大勢力である。現実に、彼等は「なんら新奇性のない古臭い主張を」確実に政策化し、実現化している。」(P24)

 わたしは戦前の思想家大川周明に注目していました。かれは米英諸国の「片手に民主主義」「片手に帝国主義」のダブル・スタンダードを厳しく批判し、英米帝国主義からアジア人民を解放するために日本帝国の役目はある。と主張し、現実に語学学校をこしらえ、塾生を東南アジア各国に派遣(フィリピン・ビルマ・インドネシア・マレーシア・ベトナムなど)し、現地の民族解放運動を担う指導者層に食い込んでいました。

「大川周明 アジア独立への夢」を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-892d.html

 日本会議に大川周明のような、大きな思想はありません。ありませんが何故時の政治権力者に影響力を与えることができたのでしょうか?その検証にこの著作は役だっています。

 「思想による影響力」というよりも、活動方法は「手順を踏んだ民主的な地道な市民運動の手法を執拗に全国展開でやり続行けている」ことではないでしょうか。

「日本会議の特徴は、個別目標の相応した分科会的な別働団体を多数擁している点にある。
 例えば改憲と言う目標。この目標を達成するため、日本会議では冒頭で紹介した「美しい日本の憲法をつくる国民の会](通称1000万人ネットワーク)をはじめとし、「新憲法研究会」や「21世紀の日本と憲法有識者懇談会](通称・民間憲法臨調)など複数の別働団体を擁している。
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 これら各種別働団体は、特段、日本会議であることは名乗らないものの、日本会議系団体であることを隠しもしない。あくまで別働部隊として、個別にシンポジウムを開催したり署名活動を行ったり、街頭演説を行ったりと実に様々なチャンネルで自分たちの主張を繰り返している。」

「また、活発な地方活動も特徴の1つだ。日本会議自体が「日本会議地方議員連盟」なる組織を擁しているのみならず、個別別働団体が、それぞれの地方組織を持っており、それら地方組織が地方議員を支え各自治体の議会での影響力を行使している。」
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 中略

「中央に置いて、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通じ、1000万人の改憲賛成署名を集めることを目標として活動する一方、地方の活動にも抜かりはない。

 日本会議はその地方支部を通じ、あるいは別働団体の地方支部や地方協力団体を通じ、地方議会の議員に働きかけ、次々と早期実現を求める地方議会決議」を行った地方議会は、25府県議会・39市区町村議会にのぼる。」(P26)

 2014年2月の石川県議会で最初に採択されその後、熊本、千葉、愛媛と採択された居ます。高知県議会でも採択されていました。最初の事例となった石川県議会の意見書は、日本会議の案文しのまま。自民党本部から各都道府県支部に、石川県議会に続けと言う通達がされ、2014年から15年かけて意見書採択の動きが広まったようです。

 教科書採択運動やや男女共同参画反対運動などの活発な市民運動を繰り返し、民主主義的な手法を屈指し、改憲運動を全国展開しています。

 地方議会への請願は、地域防災の観点からしたことはあります。各会派を巡回し、主旨を説明し、委員会審議にかけて採決していただくもの。書類の作成や各会派訪問など手間暇のかかることです。

 日本会議は全国規模で、地方議会への請願という民主主義的な地道な方法で執拗に継続し、改憲運動を「草の根」で展開していることがよくわかりました。

 また筆者によれば、その運動のルーツは1969年の長崎大学での民族派学生によるバリケード封鎖解除、学園正常化闘争に起因しているとか。学生自治会も支配し、成功体験をこしらえたとのこと。それ以後47年間地道な民主的な手法で、改憲運動をやり続けてきたようです。

 多くの新左翼党派や運動が1969年をピークに解体し、分裂し、内ゲバで抗争し続け消滅、今や市民層に何らの影響力を持たない体たらくとは対照的に長崎大学のたった1つの成功体験を保持し、半世紀にわたり地道に改憲運動を執拗に民主的なやりかたで継続している日本会議のやりかたに驚きました。

 安藤巌氏と言う表に出ない優秀な組織工作者の存在が大きいのでしょう。

 「むすびにかえて」で菅野完氏はこう述べています。

「事実を積み重ねて行けば、自ずと、日本会議の小ささ、弱さが目に付くようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもないほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」

  中略

「しかしながら、その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。本書で振り返った、70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった「一群の人々」はあの時代から休むことなく運動を続け、様々な挫折や失敗を乗り越えて、今安倍政権をささえながら、悲願達成に王手をかけた。

 この間、かれらはどんな左翼・リベラル勢力よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名活動をしてきた。かれらこそ市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに愚直に市民運動の王道を歩んできた人々だ。

 その地道な市民活動が、今「改憲」と言う結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは。「緊急事態条項」しかり、「家族保護条項」しかり、おおよそ近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく民主的だ。」

「私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食わされているように見える。
やったって意味がない。そんなの子供のやることだ。学生じゃあるまいし・・・。と日本の社会が寄ってたかってさんざん馬鹿にし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ、陳情、署名、抗議集会、勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。

 そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力になった。このままいけば「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか。」

 筆者はにもかかわらず希望をすてないようにしようと言っています。

「だがもし、民主主義を殺すものがが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主主義の市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすほかはない。賢明な市民が連帯し、かれらの運動に習い、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」(P298)

 とても複雑な気持ちになりました。1969年というわたしとほぼ同時代に社会活動をはじめた人たちが、その後も執拗に自分たちの運動を継続し、国政に影響力まで持つようになりました。

 わたしといえば1976年以来社会運動はしていません。「連合赤軍と新自由主義の総括」がここ数年来の私のテーマでした、日本会議の連中は「明治憲法の復活」という懐古思想で彼らなりの回答を社会に主張していました。

 ほぼその思想はかつての生長の家の考え方の踏襲であると思います。中学時代に生長の家の幹部の人に冊子を送っていただき読んでいましたからよくわかります。精読はしましたが、共感することは全くありませんした。

 復古調の荒唐無稽な考え方が。日本国政に大きな影響力をもっていることに危機感を覚えます。かといって今の制約だらけのわたしには何もなす事ができません。それがとてももどかしい。

 推薦図書の1つです。

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2016.09.24

「完本・情況への発言」を読んで

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 ようやく5年間かかって読み終えました。分厚くて、知らない人たちを罵倒する文章が多くて、正直しんどい所がありますした。読後感は「今は爽やかな」気分です。


 学生時代に入っていたサークル関係者にご縁が深かった吉本隆明さん。4年前の2012年3月16日にご逝去されました。大正13年生まれですので、うちの母より1つ上で、父より5歳年下の人でした。

当時個人ブログに「追悼文」を書いていました。

「吉本隆明氏の逝去を悼む」(2012年3月16日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8f43.html

 5年前に大枚3240円で「完本 情況への発言 吉本隆明」(洋泉社・2011年・刊)を高知市の本屋(金高堂)で見つけ購入していました。当時は吉本隆明氏の死期が近いと思い購入していました。

 購入したものの700Pもあり、1962年から1997年まで発刊されていた「試行」という雑誌に吉本隆明氏が寄稿したものすべてをまとめてありました。

 読むと、今となってはわたしも知らない論敵を罵倒し、こきおろす文章が大半。もはや古典の世界です。この種の文章はリアルタイムでないとわかりません。吉本隆明さんはずっと存在し続けましたが、吉本さんが当時罵倒した相手の人達は、「消えて」いるからです。
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 そのなかに「切れ切れの観想」(1976年9月)に書かれた文章がありました。
「三上治に依頼されて6月18日に「情況の根源から」と題する講演に出掛けた。  

 中略・・・。

 ところで、事は、三上治の属していた政治党派の内部で、十分な決着がついてなかったらしく、講演会は叛旗派の面々の妨害により中断せざるを得ない混乱に終始した。
 わたしは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、檀上に駆け上がって騒いでいる連中には懇談してもらって、じぶんの喋りたい思って用意してきた情況論は、しゃべることにした。

 なぜならば集会の主人公は、身銭を切って講演を聞きに来た公衆であり、それ以外の何物でもないという原則をもっていたからである。」(P257)
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 私の記憶が正しければ、吉本さんの講演は、1976年6月18日に東京・品川公会堂で行われた共産同叛旗派解体集会でした。三上治と、神津陽の一党が対立し、罵倒しあっていました。吉本さんがなだめたという記憶はありました。私は「いくばくかの参加費を支払い」見学に行っておりました。

 それは40年前の出来事。その後共産同叛旗派は解体し、再興されることもなく40年経過しました。あのことの清新な政治理念はどうなったことだろうか?40年経過して現れないものは、今後も未来永劫現れないでしょう。

 今「情況への発言」を読み返しても、「古典」を讀んでいる感じですね。
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 災害列島日本で「何事もなかったかのように」原発を再稼働し、沖縄の声を全く無視し軍事基地づくりを政府は強行しています。

 ヘイトなファシストの声が大きくなるが、きちんとした政治党派は影も形も見えません。やはり40年前に滅んだものは、再興されないまま、風化したんでしょうか?そのことを思いだすたびに、情けない気分になるのはわたしだけでしょうか?
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 巻末に松岡祥男さんが「解説」を書かれています。高校時代の社会運動でご一緒したことがあります。高校生時代の私はアホな毛沢東主義者でしたが。松岡さんは「吉本隆明という人は凄い」とか言われていました。先見性がある人でした。

「試行」という雑誌は、60年安保闘争敗北後の1962年に発刊されています。同人に村上一郎や谷川雁らがいたようです。そのあたりの時代背景を松岡さんは記述されています。

「ブントは分裂し、全学連幹部は日和見と組織エゴに凝り固まった小日共さながらの革共同に屈服転身するものが続出した。
 吉本は、権力の側からも、共産党をはじめとする対立党派やその同伴知識人からも、また行動を共にした転身メンバーからも、標的として集中砲火を浴びることになった。この孤立の中から「試行」は生まれたのだ。」(「試行とはなにか」P688)

 なるほど「孤立無援」ななかで「試行」は創刊されたのですね。だから相手を罵倒する文章が多いわけですね。多くは歴史上消え去った人たちだけに思想的にも社会運動的にも今思えば大したことはないようですが、当時としては幅をきかせていたんでしょう。「事情」は松岡祥男さんの解説で理解できました。

「「情況への発言」は1970年10月(試行第31号)から、論敵たちの言説(批判や攻撃)を引用し、それに反批判を加えるコメント方式をとっている。時代の急激な変容に即応するために、このスタイルが選ばれているといえる。

 吉本隆明は、この時期、「心的現象論」「最後の親鸞」「初期歌謡論」といった体系的な思索と古典に打ち込んでおり、思想的主題の深さに比例して、それは心身の動きを重くする作用が伴うものと思われる。

 吉本にとって、この即興的なスタイルは、寸暇をみつけて身を起こし、その時々の情況に対応しようとするものだ。たとえ、それらが時事的な泡沫で、すぐ時の流れの上に消えてしまうものであったとしても、そのアブクにしか見えない現象の中に、実は永続的な課題が内在していることもありえる。

 生々しい関心の持続、それ自体が思想の生命線の1つなのだ。しかし、このスタイルは、さらなる即時的な反発や憎悪を呼び起こし、荷立たしい様相を呈することも否めない。」(「根源的な志向性」 P691)

 分厚い書籍に中で、論争相手への罵倒と罵詈雑言の類も多くのページに記述されています。当時はワープロなんぞもなく、手書きで原稿を書いていたんでしょう。わたしなどは文章書くことで、相手への怒りは昇華され、案外冷静になりますが、吉本隆明さんの怒りは収まらず、とめどなく記述される理由が判明されましたね。それにしてもしつこいキャラクターですね。

「吉本はこの時期、埴谷雄高らの内ゲバの停止を求める「声明」の呼びかけ人への参加の要請を拒否している。これら知識人や自称オルガナイザーの無原則的な、ろくでもない妥協と密通を否定するとともに、腐敗した新左翼党派の延命に手を貸すことを拒絶したのである。

 これが同時にデマゴギーや匿名攻撃を粉砕する実践的態度であり、「情況への発言」に一貫するリアリティなのだ。」(「根源的な志向性」 P693)

 1973年の大学へ入学した当時は、70年安保闘争敗北後の党派闘争の時代でした。なぜささいな違いで殺し合いまでするのか。その刃は国家権力に向かうことなく対立党派の構成員に向けられていました。

 事実、教科書を譲っていただいた別のサークルの先輩学生が、下宿で対立党派に襲われ頭を鉄パイプでかち割られ亡くなりました。所属サークル主催の学生集会の最中に、あるセクトの人達が血相を変えて向かって来ます。「来たぞ来たぞ!!」と叫びながら。見ると鉄パイプをもった数人が後追いしてこちらへ向かってきます。とっさに横へ逃げました。襲う別のセクトの人達は、ちゃんと対象のセクトの人達の人相がわかっているようでした。真底怖かったですね。誤爆されて殺されたら嫌ですから。

 1970年中期から本格化した陰惨な内ゲバは、1972年の連合赤軍事件ともども一時期盛り上がった新左翼運動の衰退要因でした。埴谷雄高たちが「内ゲバ停止宣言」に、吉本隆明氏が拒絶した理由が、今更ながらに理解できました。

 やはり潰えるものは潰えるということですね。当時新旧左翼一般を吉本隆明は批判しています。少し引用が長くなりますが、松岡祥男さんの記述です。

「吉本はこの末期的な症状にとどめを刺すために、対馬忠行の追悼文を入り口にして「アジア的ということ」の連載を開始している。この「アジア的ということ」は圧倒的な意義をもつものだ。

 吉本は、マルクスの「インドにおけるイギリスの支配」の概念から、<コミューン型国家>や<プロレタリア独裁>の概念を厳密に再措定してゆく。そして、そこからレーニンら(ボルシェビキ)に主導されたロシア革命とその権力がいかにマルクスの思想的原理から乖離したものであっいたか。

 レーニンらは、コミューン型国家即ち国家廃絶の原則を現実的に放棄し、<プロレタリア独裁>の概念を「プロレタリア前衛党の独裁」に、<生産手段の社会化>を「生産手段の国有化」に矮小化したことを明らかにする。

 これはロシア。マルクス主義の限界と転倒を指し示すとともに、国内的にいえば、日本共産党から新左翼にいたる全党派の理論的な支柱を完全に打ち砕くものだ。

 この吉本の根源的な指摘を左翼であろうとする限り、誰も回避することはできないといっていい。」(「根源的な志向性」 P694)

 わたしは、知識人でもなく、田舎町の市井の市民にすぎません。

 吉本隆明さんは「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」(吉本隆明著「カール・マルクス」)と書いています。

 市井の大衆を「おだてて」はくれますが、それによってどうなるものではない。市井の大衆は愚かで刹那的で、物事を深く考えす、今の政権を支持し、原子力発電所の再稼働を支持し、自衛隊を海外へ派兵することにも賛同しています。わたしも愚かな大衆の1人です。

 時折学生時代や若い頃に購入していた「試行」。1962年から1997年まで巻頭に書かれていた「情況への発言」を毒気に当たられながらようやくすべて読むことができました。

 正直吉本隆明氏の著作は、買い揃えてはいますが、難解でわかりにくい。晩年の高齢者になったから病床で書いた文章は同じ「戦中派」である両親のことを思い浮かべるとわかりやすい。それだけです。
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 「老いの幸福論を読んで」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8bfc.html

 亡くなる1年ほど前に出版されていたようでした。

「「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(「老いの幸福論」P178)

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 日本社会を「どうするこうする」の大きな志はありませんが、小さな高知市下知地域の住民として、南海地震が来れば、人生も生活も即終りのような、絶望的な状況をなんとかしたい想いだけは、強烈に持ってはいます。

 零細企業の経営と超高齢の両親の在宅介護の合間に少しできる高知市下知地域の地域防災活動。それは日本社会のあらゆる問題点と矛盾が凝縮しています。そのことを考えることは、例えとしてはおこがましいが、かつて吉田松陰が、安政の大獄後、萩の牢獄から世界を見ていたようなものではないでしょうか。

 案外高知の田舎の市井の1市民が、世界の事を考えていることもありかなと思います。物事を考える「トレーニング資材」として、吉本隆明氏の「情況への発言 完本」(洋泉社・2011年刊)は、役に立ちました。

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2016.09.06

平成の「治安維持法」が準備されています。


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 「共謀罪」は廃案になりましたが、安倍内閣は「テロ準備罪法」なる「平成の・治安維持法」を9月の臨時国会に提出するとの記事が、朝日新聞2016年8月26日号1面に掲載されていました。

 あんまり猛暑が続くので、当日あたりは見出しを見過ごしていました。朝日新聞の1面に掲載されていたのに。

 戦前の治安維持法は、言論・結社の自由を極端に制約しました。特高警察と言う政治思想を専門に取り締まり、拷問する秘密警察もつくられました。日本国を無謀な世界大戦に巻き込み、国民を塗炭の苦しみに導いた悪法でした。

 テロ対策を名目に、また平成の治安維持法である「テロ等準備罪」が登場しようとしています。国民を分断し、暗黒日本国をつくらせることには反対します。

 現行法ではなにが不足しているのか。何ゆえに国民生活を束縛する法律を政府は性急につくろうとするのか。災害対策や地元での地域防災活動を全く無視する「緊急事態法」といい、日本国は民主主義国を放棄し、全体主義国家になりつつあります。

 全体主義国家に日本国が変質すれば、災害にも緊急事態にも全く対応できない危機管理の崩壊した国に成り下がることでしょう。

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2016.07.06

スピリッツは日本国憲法特集でした


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 コミック雑誌「スピリッツ」(小学館・刊)の32号を買いました。テーマは「漫画誌初の永久保存版 特別付録日本国憲法全文」です。画期的でユニークな取り組みです。
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 確かに安倍晋三を支持する「改憲勢力」勢力が衆参の国会議員の議席の3分の2以上を占有すると、日本国憲法が改正[改悪)される可能性が現実化します。それでいいのか、悪いのか。この漫画雑誌は「日本国憲法」と正面から向き合っています。
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 連載漫画家たちも、イラストを寄稿し、協賛しています。きちんとした解説もあります。日本国憲法第25条「国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」という生存権を取り上げ解説しています。
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 「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」は日本国憲法の3大基本原理です。自民党案の改正憲法案では、基本的人権、国民主権を弱め、国の権限を強めています。、あた平和主義を完全に破棄し、他国での戦闘行為へも自衛隊の派兵を促しています。
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 このあたりの記述もさりげなく明確に書かれています。昨年はビックコミック。・オリジナルが「戦後70年特集」をやりました。水木茂しげるさんも寄稿されていました。
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 基本的人権と国民主権が制約され、平和主義が破棄された社会では、まっさきに弾圧されるのは漫画雑誌です。編集者の「心意気」を感じました。
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2016.04.08

社会思想不在の不安な時代

 今の時代は、右翼も左翼も「これだ」という思想がない。裏付けなしに、自分たちは右翼だ、民族主義者だ、国を憂う国士であると自称したり、平和勢力で絶対的に自分たちは正しい。自分たちの勢力だけは進歩勢力で間違いない。という盲信にとらわれています。

 40年前の1976年。日時は忘れましたが、東京の品川公会堂で、共産主義者同盟叛旗派の解体集会が起こなわれていました。自分は構成員でもシンパでもありませんでしたが、関心があったので見学に行きました。

 壇上では幹部であった三上治氏と神津陽氏たちが、何やら言い合いをしていました。「顧問」である評論家の吉本隆明氏もその場にいて、何やら言っていました。激しい言葉の罵り合いでしたが、当時の風物詩のヘルメット姿で鉄パイプで殴り合うこともないようでした。

 党大衆構造の止揚」を唱えていた共産主義者同盟(ブント)叛旗派は解体しました。もうあれから40年も経過してしましました。

 では当時の指導者や構成員やまわりの皆さん方は40年も経過しましたが、どうなっているんでしょうか?吉本隆明さんは、2012年2月にご逝去されました。
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 右も左もきちんとした社会思想がないまま、迷走しているように見えます。不安な時代ですね。

 わたしは市井の市民、無名の大衆、生活者として日々生きています。何もなすこともなく還暦を超え、なんとか生きのびています。

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2016.03.14

「槇村浩が笑っている」を読みました


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 フェイスブックで交流のある藤原義一さんから先日「槇村浩が笑っている」(藤原義一・著・2016年1月刊)を贈呈されました。いろいろ雑用があり読むことができませんでした。
 このたびようやく読み終えました。槇村浩(1912年―1938年)は、天才詩人だったようですが、当時の治安維持法違反で逮捕され、拷問と収容生活で体調を崩され26歳の若さで亡くなられています。

 高知市城西公園に槇村浩の代表作の詩の「間島パルチザンの歌」の一節が刻まれています。1989年に市民有志の手で、桜馬場に建立されました。以下の言葉が刻まれています。
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「思い出は、おれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え、落葉樹の林をこえ
蘆の根の黒く凍る沼のかなた
赤ちゃけた地肌に黒ずんだ小舎の続くところ
高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ
雪解けの小径を踏んで
チゲを背負い、枯れ葉を集めに
姉と登った裏山の楢林よ
山番に追はれて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に
背負(しょい)縄はいかにきびしく食い入ったか
ひゞわれたふたりの足に
吹く風はいかに血ごりを凍らせたか」

と刻まれています。

 横には革命詩人槇村浩と刻まれたプレートもありました。
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 藤原義一さんは、丹念に槇村浩(本名・吉田豊道)の経歴や周辺も取材されておられます。少年時代は神童と言われ、当時の名門土佐中学へ入学。しかしそこでは古今の文学作品や社会評論等を次々と読破。しかし平均的な成績は低下、やがて海南中学へ転校。しかし陸士や海士の予備校的な要素の校風に会わず退学し、岡山の関西中学へ転向し卒業したとか。

 槇村浩の母親は看護師であり、父親は槇村浩が6歳の時に逝去、職業婦人として家計を支えていました。1912年(大正元年)から槇村浩が生きていた1938年(昭和13年)の日本の時代は、日本国が国際社会から孤立し、中国大陸への侵略戦争を拡大させ、反対する国民を強権的に抑圧し、帝国主義戦争に突っ走っていた時代でした。

 幼少時代は神童と言われ、自宅が県立図書館にほど近かったので、古今東西の文学書や社会思想は中学生時代に殆ど読破していたようでした。文学的素養を未成年の時代に身に着けていました。

 社会思想に目覚め、マルクスの資本論なども読み込んでいたそうでしたから、当然中学での軍事教練や偏狭な国家観ににもとづく教育には反感、若くして当時非合法であった共産主義青年団の活動にのめりこんでいったのは、早熟な少年らしい。

 わたしも中学時代から政治思想に関心があり、マルクスやレーニンや毛沢東の著作は読み漁っていて、謄写版で新聞をこしらえ校内外で配布したりしていました。槇村浩と同じ早熟な政治少年でした。私と槇村浩と決定的に異なるのは、私には「文学的才能が全くない」ということでした。

 当時の時代風景や雰囲気を表している事例として。藤原儀一氏は、詩人北原白秋が子供向けに書いた詩をあげられています。

「戦ごっこ

 鉄の兜に、機関銃

 機関銃、

 進め、名誉の聯隊器。

  ツラ、トラ、タッタ、チテタッタ。

 走れ、野砲に装甲車、

 赤い夕日だ、満州だ。

  ツラ、トラ、タッタ、チテタッタ。

 駆けよ、蹴飛ばせ、雪、氷、

 雪、氷、

 零下二十度、こりゃすごい。

  ツラ、トラ、タッタ、チテタッタ。 」

   (以下 略)

 北原白秋 作  

 「子供たちを戦争に誘い込むといえる詩といえるのではないでしょうか。」(P63)

 北原白秋という日本を代表する詩人が、こうした戦争翼賛詩や、戦意高揚のための詩を書いていたとは藤原義一さんの著作で初めて知りました。

 一方、同じ時代に槇村浩は「生きる銃架  満州駐屯軍兵卒に」という詩を書いています。

「 高粱(こうりゃん)の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く

  銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与えるー

  血のような夕日を浴びてお前が黙々と進むとき

  お前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢(はいのう)に隠れ

  お前は思想を持たぬただ一個の生ける銃架だ

  きのふもけふもおれは進んで行く銃架を見た

  列の先頭に立つ日章旗、揚々として肥馬に跨る将軍たち

  色蒼ざめ疲れ果てた兵士の群-

  おお この集団が姿を現すところ、中国と日本の圧制者が、手を握り、

  犠牲の鮮血は22省の土を染めた
  
  そして終りに近く

突如鉛色の地平に鈍い音響が炸裂する

  砂は崩れ、影は歪み、銃架は血を噴いて地上に倒れる

  今ひとりの「忠良な臣民」が、ここに愚劣な生涯を終へた

  だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を後に狙ひ、

  剣を後に構へ

  自らの解放に正しい途を選び、生きる銃架たる事を止めるであろう」(P64)

 確かに北原白秋の詩は。「戦争賛美」としか言いようのない表現となっています。
 それに比べ、槇村浩の詩は「お前は思想を持たぬただ一個の生ける銃架だ」と
 帝国陸軍兵士を意志なきゾンビのような存在であると強烈に批判しています。

 そして

 「 突如鉛色の地平に鈍い音響が炸裂する

  砂は崩れ、影は歪み、銃架は血を噴いて地上に倒れる

  今ひとりの「忠良な臣民」が、ここに愚劣な生涯を終へた」と戦死を美化せず、淡々と
 描くことで、帝国主義戦争に動員される市民大衆の運命を暗示しています。そして力強い反戦の意志を表現しています。

「だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を後に狙ひ、

 剣を後に構へ

 自らの解放に正しい途を選び、生きる銃架たる事を止めるであろう」

 俗にレーニンが言う「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と言う兵士による体制打倒の動きは、日本ではロシアやドイツの様にはなりませんでした。

 槇村浩は、関西中学卒業後は高知へ戻り、高知の中の20人程度の共産主義青年同盟活動と、プロレタリア文学雑誌に詩を投稿したりしていました。朝倉44連隊への命がけの反戦ビラ配りをしていました。

 しかし1936年の「2・26事件」以降の日本は急速に戦時体制に向かい、ナチス・ドイツとの同盟も締結したりしてより全体主義体制の強化に向かいました。20人程度の組織員も一斉検挙され、市民大衆に運動が広まることもなく壊滅してしましました。

 また一方で当時の青年たちが「理想」としていたロシアの共産主義体制も、スターリンの独裁主義が権力を把握し、陰惨な強制収容所国家に変容していく事態でしたが、槇村浩は知る由もない。

 当時の商業新聞の小さな記事から、満州に思いをはせ、日本帝国主義に抵抗している朝鮮と中国国境の間島地区の抵抗運動の詩を書くなど、国際的な詩を書いた人でした。

 あらためて78年前に高知市に、天才的な詩人がいたものであると感心しました。著作を贈呈いただきました藤原義一さんに感謝です。
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2016.02.11

今日は息子の誕生日ですが

 日本国では「建国記念日」と言う祝日。「紀元節」と称しお祝いされる人たちがいると思えば、「紀元節反対集会」を開催する人たちもおられる。きっと全国各地で各種の集会が開催されていることでしょう。

 うちでは息子の誕生日。とくにお祝いはありません。休日にしたので隣町に住んでいる息子は出てこないでしょう。34歳になりますが伴侶をもらう兆候はなく、正直心配してしています。

 男の子なので、私は個人的には、ゼロ戦隼人の「隼人」とか、大和尊の尊(たける)とか名前を考えていました。家内は、マルクスの経済学・哲学草稿のなかにある「疎外された労働」にある「類」という名前をつけました。

「類的存在とは、人間が動物とは違い労働を通じて自己を表現することが出来る生き物であるということ。にも関わらず、現在の我々の労働はただただ苦しいだけ。これは私たちが類として疎外されているからなのである。」という概念。人類の類ということしかわかりませんが、そういう意味です。

研究者のコメントをWEBで見ました。

「人間を「類的存在」(「類的本質」をもった存在)としてとらえるとらえ方は、ヘーゲル
から始まったとされている(3)。しかし、この言葉を特別に重要な意味をもつものとして使ったのはフォイエルバッハであった(4)。フォイエルバッハによれば、人間は本質的に動物とは区別された存在であり、そういう動物とは区別される人間の特別な性格(本性)を、彼は、「人間の類的本質」と呼んだのであった。その人間の類的本質の具体的内容は、「理性・意志・心情(愛)」であった。

しかし、マルクスは、「類的本質」という言葉をフォイエルバッハから受けついだけれども、この言葉の意味を、(「動物と区別される人間の特別な性格」という意味の点ではフォイエルバッハと同じであったが)、フォイエルバッハとは少しちがう内容のものに変えた。

そのマルクスの考え方による「人間の類的本質」とは、①人間が(動物と異なって)意識〔理性・意志・心情等〕をもって実践活動〔生活・生産等を含む生命活動〕をおこなう存在であるということ(5)と、②人間が(個人だけでではなく)社会的に〔共同して〕生産や生活等の活動をおこなう存在である、ということ(6)と、の、2つの内容〔意味〕をもつものになっていた。

このうちの②の意味が、「新しい社会主義」をめぐる諸問題を考える時に、きわめて重要である、と思うので、以下では、「人間の類的本質」をこの②の意味(の面)でとらえて、それらの諸問題について考えたい。」

 とありますが、良く理解できません。哲学的な思考がないので、言葉や語彙になじんでいないことがあるでしょう。研究者のコメントをWEBで見ました。

「人間を「類的存在」(「類的本質」をもった存在)としてとらえるとらえ方は、ヘーゲル
から始まったとされている(3)。しかし、この言葉を特別に重要な意味をもつものとして使ったのはフォイエルバッハであった(4)。フォイエルバッハによれば、人間は本質的に動物とは区別された存在であり、そういう動物とは区別される人間の特別な性格(本性)を、彼は、「人間の類的本質」と呼んだのであった。その人間の類的本質の具体的内容は、「理性・意志・心情(愛)」であった。

しかし、マルクスは、「類的本質」という言葉をフォイエルバッハから受けついだけれども、この言葉の意味を、(「動物と区別される人間の特別な性格」という意味の点ではフォイエルバッハと同じであったが)、フォイエルバッハとは少しちがう内容のものに変えた。

そのマルクスの考え方による「人間の類的本質」とは、①人間が(動物と異なって)意識〔理性・意志・心情等〕をもって実践活動〔生活・生産等を含む生命活動〕をおこなう存在であるということ(5)と、②人間が(個人だけでではなく)社会的に〔共同して〕生産や生活等の活動をおこなう存在である、ということ(6)と、の、2つの内容〔意味〕をもつものになっていた。

このうちの②の意味が、「新しい社会主義」をめぐる諸問題を考える時に、きわめて重要である、と思うので、以下では、「人間の類的本質」をこの②の意味(の面)でとらえて、それらの諸問題について考えたい。」

 とありますが、良く理解できません。哲学的な思考がないので、言葉や語彙になじんでいないことがあるでしょう。

 1度聞いたら忘れない名前だし、本人も嫌がっていないのでよしとしましょう。さて今日は日本国は移動性高気圧に覆われ、「温厚な天気」になりそうですね。久しぶりに「海の散帆」に出掛けます。
 
  年明けからなんだかせわしく、1月24日から2月7日間まで休日はすべて防災関係の行事でつぶれました。のんびり海に浮かんでおれば最高です。

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2015.12.22

「大世界史 現代を生きぬく最強の教科書」を讀んで


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「大世界史 現代を生きぬく最強の教科書」(池上彰・佐藤優・著・文藝新書・2015年刊)を読みました。とても良い良書であると思います。通読をお薦めします。

 佐藤優氏と池上彰氏の対談集を読んだのは「新・戦争論」以来。現在世相を知るための早わかり本の領域を遥かに超えた教養本であると思いました。それゆえ、この本に事例のために出てくる事例のために高校参考書コーナーで「山川 世界史総合図表」という参考書を購入しましたから。

 「下部構造が上部構造を規定する」とかいうスターリン主義的な単純な「唯物史観」では割り切れないでしょう。はなから吉本隆明氏の「共同幻想論」は今でも完全に理解できないでいますから。
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 「イスラム国」なる集団の残虐性と市民社会を破壊するテロ行為を探るのは、彼らの根拠としている歴史を見て行く作業が必要であると思ったからです。鍵を握っているのはトルコ。エルドアン大統領は明らかにイスラム国と結託しています。


 シリアのアサド大統領を追い詰めようとしています。ロシアはアサド大統領支援のためにシリア国内の空爆を始めました。トルコ軍がロシア軍の爆撃機を撃墜。緊張が高まりました。150年ほど前にはロシアとトルコは戦争してますから。

 オスマントルコは中世の時代広大な領土を有し、西はスペインから東欧南部のハンガリーまで占有していました。20世紀前半まで欧州には脅威を与えていたイスラムの国です。ロシアとは常に対立していました。
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 第1次大戦世界大戦でトルコはドイル側に付いたために、英国とフランスは中東諸国で暗躍、各部族と結託トルコへの反乱と独立の仮約束をし、戦争に敗北したトルコ支配地区を分割し、今の中東諸国の国境線を人工的に引いてしまいました。

 中東地域は東西交通の要でしたが、1938年頃に石油資源が発見されてから世界の利権が集まり、余計事情が複雑になりました。

「アラブの春には民主主義をつぶす機能しかなかった。政治的にイスラムと民主主義はなじまないことがはっきりした。

 アラブの分裂に乗して、非アラブのイランとトルコが、帝国としての自らの影響力を拡大するチャンスと思い始め、拡張主義政策をとっている。」(P49)
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 まるでかつての「ペルシャ帝国」VS「オスマントルコ帝国」。それに「ロシア帝国」も絡んでいる。「大英帝国」と「フランス帝国」も絡み、20世紀の覇者「アメリカ帝国」までは介入しています。中東にはユダヤの国であるイスラエルまでありますから。
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 イスラム国は「預言者ムハンマド」を絶対視していて、当時の全盛期のイスラム帝国の再興を行動原理にしています。当然イランとは対立しますし、トルコともいずれ対決するでしょう。イスラム帝国の社会と西欧市民社会は相容れない。市民生活を狙っているテロにしても、「信念に元づき平然と実行したのではないでしょうか。そうなるととても解決は難しい。
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 移民に寛容な政権政党が衰退し、排外主義的な極右政党が欧州で台頭してきています。かつての「十字軍」的な感覚で「報復」を声高に言っています。そうなると100年以上憎悪の報復合戦は続きます。
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 また「ウエストファリア条約をきっかけに人権と言う概念が出てきた。これは画期的だった。」(P198).新旧両教徒の殺戮と戦争状態で欧州は疲弊したのですから。
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 「過去の帝国の存在が、世界各地で現代にも大きな影響を与えている。」(P171)なのです。
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 習金平の中国帝国は、理想は明帝国。領土拡張主義的であり、鄭和は南シナ海を航路にしたのでそこは中国の領土であると主張しています。南沙諸島をわがものにしようという強引な帝国主義的な政策の根拠は明帝国とすると、とてもわかりやすい。

 最近の韓国政府の反日政策や言動は常軌を逸脱していると思わざるを得ないところがあります。そのあたり韓国の歴史教科書の危険性を指摘しています。

「韓国は反共国家でした。だから唯物史観を認めない。そのため日中の歴史教科書と違って歴史観がんばい。というより世界の教科書のなかでも珍しい「テロリスト史観」によって貫かれています。

 「我が国の先達はここまで追い詰められ、テロをせざるを得なかった」と延々と綴られているのです。
 
  これは、日本にとって脅威と言っても過言ではありません。北朝鮮の歴史教科書よりも過激な内容です。韓国のテロリストと言えば、伊藤博文を暗殺した安重根がまず思い浮かびますが、扱いは意外に小さくて、より大きく扱われているのは,朴烈です。」(P97)

 このような歴史教科書でいくら大学入試の勉強しても国際社会では通用しませんね。
 
 北朝鮮は規模はともかくソ連領内での金日成の抗日運動がありました。韓国はそれが殆どありませんでした。韓国の歴史教科書においても「国をとりもどすために韓国人は日帝に立ち向かって絶えず闘争した。その結果国を取り戻すことが出来た。しかしこれは韓国人の独自の努力で得られたものではなかった。」と冷静に記述はしているようです。

 そのことを日本人だけには言われたくはないという感情は韓国人にはあるでしょう。

 池上彰氏と佐藤優氏の対談では、「世界史を知ることが、現代社会を見る参考書になる」ということを思い知らされました。確かに言えるところはありますね。20世紀の世界の覇者であるアメリカ帝国が衰退してくると(とはいえ未だに圧倒的な軍事力はありますか・・)、ロシアだ、イランだ、トルコだ、中国だ、ドイツだという「かつての帝国」が「夢をもう1度の想いで台頭しようとしています。

 その一方でスコットランドの分離独立運動や、スペインのバスク地方の分離独立運動もあります。日本政府と沖縄との深刻な対立から、沖縄独立論も出てくると思いますね。

 地震を予知することはできませんが、過去の地震の履歴(主に淡水池の地質から過去の津波の規模を測定する)から、未来の南海トラフ地震の規模を想定したりしています。

 またご両人は政府や財界の言う「即戦力人材教育」に警鐘を鳴らしています。
「日本では、大学は、社会に出てすぐ役に立つ学問を教えるように要望されています。それに対しアメリカのエリート大学は「すぐに役に立たなくていいこと」を教えるのです。

 それが長い目で見ると本当に役に立つ。「すぐに役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」という慶應義塾大学の小泉信三さんの言葉のとうりです。」(P225)

 英語教育を拡充すると以下、スーパーグローバルとか浅薄なことは辞めろとも言っています。「むやみに英語で授業をしても、自ら英語植民地に退化するようなものです。そもそも大学の授業を母国語で行えることは、世界的に見れば、数少ない国にしか許されていない特権です。その日本の強みを自ら失うのは、これほど愚かなことはありません。」

 教育への公共投資もOECD諸国では日本は最下位。「人文科学系の学部は廃止しろ」「一般教養は無用だ。」という反知性主義的な言動を政府や経済界がしておりますね。なんとも貧相ではないでしょうか。

 池上彰氏は、現在のリベラルアーツとして「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」を上げています。さすがはかつてNHKの現役時代に「スーパー子供ニュース」を担当された知見がありますね。

「1人の人間が人生の中で経験できることには限りあります。しかし歴史を学ぶことによって、自分では実際には経験できないこと代理体験できる。

 こうした代理体験を積むことは、単なる娯楽にとそまりません。より直接的に、人生に役立つのです。論理だけでは推し量れない、現実の社会や人間を理解するための手掛かりになるからです。」

「読書や歴史を学ぶことで得た代理体験は、馬鹿に出来るものではありません。この代理経験は、いわば世の中の理不尽さを経験することでもあります。しかしだからこそ、社会や他人を理解し、ともに生きるための感覚を養ってくれるのです。

 何の問題も生じない円満な家庭や完璧な会社組織などこの世に存在しません。誰もが時にある種の理不尽さに直面します。こういうときこそ、代理体験が物を言う。逆に、こうじた代理体験に乏しければ、どんな成功者やエリートでも、意外に脆いものです。つまり、そういう人は「歴史」を学んでいないわけです。」(P19)

 「60の手習い」でやや遅きになりましたが、すこしづつ世界史を学んでいこうと思います。
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2015.11.27

テロリストの心情

 文学的な教養のない私は、断片的な情報でしか知りません。かつて歌人の石川啄木が、テロロストの心情を詠んだ詩がありました


ココアのひと匙   石川啄木


われは知る、テロリストの 

かなしき心を
 
言葉とおこなひとを分ちがたき 

ただひとつの心を、

奪はれたる言葉のかはりに
 
おこなひをもて語らんとする心を、
                        
われとわがからだを敵に擲げつくる心を
            
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
 
   
   はてしなき議論の後の


   冷めたるココアのひと匙を啜りて、


   そのうすにがき舌触りに


   われは知る、テロリストの


   かなしき、かなしき心を。

 この詩が公表されたのが1911年頃だとのこと。前年の大逆事件や、ハルピン駅で朝鮮総督府長官伊藤博文を暗殺した実行犯安重来の処刑のニュースから、石川啄木が詠んだともされています。
 大逆事件は天皇暗殺の準備段階での予防検束であり、全く実行犯グループとは関係のなかった社会思想家幸徳秋水も連座して処刑されました。

 日本が日露戦争後、アジアとの共存共栄の精神を捨て、中国での辛亥革命にも冷淡で、以後朝鮮国の併合と、中国への侵略戦争に走っていく分岐点となる出来事でした。

 国内外を息苦しい圧政政治が覆いました。思想統制を国民に強要する特高警察の暗躍や、軍部の暴走で、日本国の多様性や自由闊達さは喪失し、批判精神はなくなりました。その結果は燦燦たる敗北を喫した二次大戦へ転がっていく転換点でもありました。決して安倍政権の言う「栄光の歴史」なんぞではなく、惨めな歴史そのものでした。

 フランスのテロをどう考えたらいいのでしょうか?

 フランス・パリの繁華街での同時多発無差別テロ。ISの犯行であると言われています。シリアを拠点とするイスラム過激派組織への空爆への報復であるとか。

 私はテロというものは、権力者を暗殺するものであると思い込んでいました。しかし今回のパリのテロは週末の夜、一般市民が勤務を終えて楽しんでいた集客装置で突然銃が乱射され、爆弾が破裂し、129人が死亡しました。

 サッカー・スタジアムやコンサート会場、レストランなどでした。無差別テロでありました。人々が都市部で集まる楽しい場所が襲撃され、燦燦たる修羅場になりました。これはテロと言われるものでしょうか。

 襲撃されたフランスの市民は権力者ではありません。直接イスラム国を攻撃したり、攻撃を命令する権力者でもなんでもない人たちです。なぜ勤労者をテロリストは攻撃し、自らも殺害され、自爆したのでしょうか?

 実行犯とされた人たちも、多くは移民ですが、フランス国籍やベルギー国籍を持っている20代の青年たちです。欧州で育ちながら、何故欧州の市民社会を破壊し、自らの自爆しなければいけなかったのでしょうか?

 有志連合とされるアメリカやフランス、トルコや、最近ではロシアによるIS支配地区への空爆も、多数のシリアの市民が犠牲になっていると言われています。

 憎悪が憎悪を生み、より多くの人達が犠牲になるテロや報復軍事行動が行われることでしょう。これでは問題は永遠に解決しません。憎しみの連鎖は、より多くの報復を生むだけです。

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