高知シティFMけんちゃんのどこでもブログ

2023.11.27

気の置けない仲間との懇親は最高

2023年11月21日でしたが、1988年の高知での日本青年会議所全国会員大会に関わった当時の高知青年会議所メンバー有志10人が集まり懇親をしました。最高齢は70歳、若めの人は61歳でした。言われて見れば皆高齢者です。35年前は私は35歳、若めの人は26歳という若者でしたから。

 

 私以外は経済的には裕福な皆さんでした。経済団体の会長や業界組合の会長など、自分の会社以外でも要職に就かれている人が多い。そうかと思えば、家督を子供たちに譲り、リタイヤされた人もおられる。

 

 集まった飲食店は和室でしたが、膝や腰が痛いとのことで2人は椅子に腰かけていました。年齢を感じますね。お酒はビールから始まり、ハイボールを飲む人が多い。日本酒を飲む人は皆無。私はというと目の治療中なので、ノンアルコールビールでお付き合いしました。近況報告では皆それぞれの人生を歩んでいることがわかりました。子供や孫たちが海外へ移住された人も何人かいました。

 

 見かけこそ皆爺さんですが、「熱い心」を皆持っています。心は35年前に戻ります。青年会議所活動は、学校時代とは異なります。互いに経営者。企業の大小は関係なく、委員会ごとに事業計画を立案し、事業予算を立てて事業を遂行します。理事会は真剣勝負の場でしたから。

 

 皆が思い出したように「お前さんが理事会で反論しだすといつまでも審議が終わらない。皆後で飲み時間やマージャンする時間が亡くなるので、談合してお前さんの提案はすべて賛成ということにもなったことがあるよ。」とか言われましたね。

 

 お陰様で1987年にわたしは高知青年会議所入会3年目で初理事委員長になり、夜須町のマリンタウン計画事業に関わり委員会事業で突っ走りました。私はヨットで夜須町で年中冬でも休日には夜須町の海にっヨットで遊んでいました。それを「事業化し」「公共性のある事業」に仕立て上げました。

 

 「高知市の青年会議所が何故夜須町の事業に関わるにか」「南国j青年会議所や安芸青年会議所に任せる事業ではないのか」「全国大会の前年に予算を法外に使う事業はおかしい」と厳しい批判を理事会で受けました。ごもっともな理屈です。

 

 わたしは「夜須町の事業ではなくマリンタウン計画は県政の重要課題である」「JC事業は1年の関りですが、わたしは地元の商工会青年部やマリン関係者と一緒に継続的にかかわりますので事業予算をご承認願いたい。」と申し上げました。徹底的に実例と活動履歴を説明しました。

 

 徹夜理事会となりましたが、理事各位の賛同を得られました。道は険しかったですが、夜須での事業は、ヤッシーパークとして実現し、サマーセミナーIN・YASU(中学生のためのヨット教室)は、2002年の高知国体後の2004年にNPO法人YASU海の駅クラブとして形になり現在も事業は継続しています。もちろん私1人尾力ではありません。夜須町や県の支援や夜須町の住民力のお陰です。

 

https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/yasu4/index.html

 

 

https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/maruoka/maruoka1.html (ヤッシーパークの原点はアメリカ西海岸)

 

 

https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/nakura/s-s-yasu.html
(青少年ヨット教室の原点は高知JCのsummer seminar in yasuでした。)

 

 そして1988年の全国大会では記念事業として野外ロックコンサートを開催することが出来ました。いまでも高知県最大だった野外コンサートです。

 

 
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/okamura/f-tosa1988.html(1988年のふりーじやきにTOSA・ビックロックフェスティバル)

 

 

 極左暴力高校生(留年して4年在学)が、大学へ進学しそこで家内と知り合い50年。家族をつくり、人様から勧められ対極の自民党青年部的な青年会議所に入会しました。当時は思い切り予算を使い、思い切り大きな事業が出来ました。何とか破綻せずにやり遂げました。「お前さんのお陰で年会費を値上げした。」と言われています。左も右も経験しました。

 

 今はわたしは零細企業の主であり、2008年からは両親が介護状態になりましたので、青年会議所を卒業したら多くの人達が入会する経済団体へ入会できませんでした。自宅周りの小さな町内会と防災会の世話役しか出来ない15年間でしたから。それも人生です。

 

 普段は逢えない人達と、気の置けない交流が出来ました。いろいろ参集者にはご事情もありますので、写真の公開や名前の公開はしません。主に私の感想だけを今回は書きました。

 

 いまのわたしは小さな地域活動をしています。それも人生です。

 

 

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/ (二葉町防災新聞)

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2022.02.07

牧野富太郎さんの魅力について

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 既にFB上で、多くの皆様が2023年上期のNHKの連続テレビ小説に植物博士牧野富太郎氏がモデルとなったドラマが制作され放映されることが決定されました。

 高知県民の1人としてとても嬉しいです。既にコメントなさった皆さんとは少し異なる視点で述べさせてください。
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 昔話で恐縮ですが、わたしは2000年3月加羅2008年10月まで高知シティFM放送というコミュニュティFM(ラジオ)で番組を制作し、出演し、それを自分でホームページを制作し毎週放送後に局の許可を得てアップロードしていました。

 今は全く更新されていないホームページ「けんちゃんのどこでもコミュニュティ」ですが、同じタイトルで2003年4月加羅2006年2月まで3年間番組制作していました。すべてボランティア活動でした。報酬どころかスポンサーまで獲得していましたから。

 その中で2005年7月に出演していただきました里見和彦さん(高知県立牧野植物園学芸員・展示デザイナー)に牧野富太郎さんの魅力や凄さについて詳しくお話を聞くことが出来ました。

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/gesuto6/satomi.html

 それをテープ起こしをして記述しました。わたしのホームページに掲載している写真や資料は、すべて「牧野植物園の許可を得て掲載しています。
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 里見さんは牧野富太郎さんについてこうお話しされました。

 「植物園にいますと牧野富太郎さんまるで生きているように思います。」

 「是非大河ドラマにしていただきたいですね。牧野博士の生き方そのものがドラマですし。奥様の壽衛(すえ)さんを主人公にしたドラマにしたらいいですね」

 「日本での植物を分類するという明確な目的がありましたから、どんな苦難にも都都逸を唄って克服され、95歳まで生きられました。名誉も地位にも無関心で、今のお金で一時は数億円の借金をものともせず、1日の3時間しか睡眠をとらず業績を上げられた人です」
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 アーカイブのホームページですが、私にしては当時珍しく詳細に里見さんの発言を正確に記述しました。ご本人に原稿を確認いただき承認していただいたうえで掲載しています。

 お時間の余裕のある人は以下のページを読んでいただければ幸いです。(とても濃い内容です。

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/satomi/satomi1.html

 もう17年も前の収録記録ですが、今読み直しても全く古びていません。(5ページあります。)
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2020.04.01

高知シティFM・20年目の課題

 高知県唯一のコミュニュティFM放送局が誕生したのは2000年4月。開局当時から8年半、私はボランティアスタッフとして番組制作、番組出演、広告スポンサー獲得、番組ホームページ作りを、仕事の合間にやっていました。

 関りは全く偶然。高知青年会議所時代に一緒に活動していた社長が「けんちゃん週1回の社会派番組をやってほしい」との要望がありました。ラジオ番組などしたことがなかったですが、面白そうだから乗りました。

 そしたら1988年の青年会議所主催の野外ロックコンサートで大変お世話になった常務さんから「けんちゃんせっかくだから、ドライバーゾーンで毎日15分、週5回の番組をしてほしい。」と言うことになりました。無茶苦茶なお話でした。
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 それでできた番組が「けんちゃんの吠えるウォチング」(2000年4月から2003年3月まで)でした。FM放送というのは、だいたいが音楽などのコンテンツ主体の番組でした。お堅い社会派番組をしました。
 国政・県政。高知市政。社会問題、県境問題、経済問題、娯楽芸能のテーマで、けんちゃん(私)と局のパーソナリティの女性が掛け合いでトークするという番組でした。

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/hoeru/(けんちゃんの吠えるウォッチング)ホームページ

 番組のテーマを1週間分考えてトークする。週に5回話します。放送後は消えるのがもったいないので、自力でホームページを作成するようになりました。それが最大の成果でしょうか。

 局の都合でパーソナリティが時間帯が移動になりました。立場を変え、私がホスト役になり、高知県内でご活躍されている様々な人たちをゲストでスタジオにお呼びして、お話をしていただく「番組を作成しました。
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 それが「けんちゃんのどこでもコミュニュティ」でした。(2003年4月から2006年3月まで)

http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/index.html(けんちゃんのどこでもコミュニュティ)ホームページ

 この番組は、毎週水曜日に1周5回分を収録しました。ゲストにスタジオに来ていただき収録します。それを局の許可を得て収録テープをいただき、1週間分を休日の土日にテープ起こしをして原稿を打ちます。収録風景や写真はそれに挿入し、ホームページに仕上げます。

 テープ起こしに5時間。ホームページ作成に3時間かかりました。それを3年間やり続けました。今思えばクレージーな体験ですね。1銭も報酬なしにやり続けました。ホームページの作り方の勉強にはなりました。それが成果です。

 番組を継続させるためにスポンサーも自分で獲得しました。2006年から番組枠を大西みちるさんと笹岡和泉さんにお譲りし、2008年10月まで週1回番組を続けました。

 父(2018年に99歳で死去)が2008年9月に脳血管障害で倒れ救急搬送。一命は救われましたが、番組制作が出来なくなり、シティFMとは縁がなくなりました。開局当時の2000年から2008年までは「濃い」体験をさせていだきました。

 高知新聞3月28日号に高知シティFM放送に関する記事が掲載されていました。
どうなる高知シティFM放送_NEW
「高知市FM事業甘い計画」

「説明不足を反省」

「5期目岡﨑市政つまずく」とあります。

 記事によりますと烏帽子山にあるあfるテレビ局のテレビ塔に送信アンテナを建てる計画で、市役所が9400万円で市単独予算を計上していたようですが、市側の説明が不十分であり、市議会の同意が得られず採択されなかった経過の記事でした。

 最初から烏帽子山に鉄塔を建てれば良かったのですが、開局当時なぜか局幹部の1部に反対論があり五台山山頂に立てるようになりました。それゆえ高知市西部地域は視聴が難しいエリアになりました。

 私が関わっていた8年間には、高知市側との密な関係ではありませんでした。どちらにしても市議会で納得していただかないといけないでしょう。

 このままこの案件が立ち消えになるのか、また復活折衝されるのかわかりません。なにせ事情がわからないですから。

 今年は高知シティFM放送が誕生して20年目です。8年6か月関わった1人として行く末を心配しますが、今の私にはどうすることもできません。

 経済基盤がしっかりした形での災害時のコミュニュティFM放送局は必要です。生活情報を流す必要があるからです。きちんと誰もが納得できる形で再生していただきたいとは、地域防災をしている立場としては願います。

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2019.02.13

母は介護予防通所リハビリに行きました

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 2019年2月12日ですが、母(93歳)は、午後から介護予防通所リハビリへ行きました。毎週火曜と木曜に通所しています。月曜と水曜と土曜は、1日型のディサービスに通所しています。
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 金曜日は午後から、はりまや橋商店街へ行きます。100歳体操と買い物です。母は日曜日以外はどこかへ出かけるようにしています。日曜日も近所のスーパーへ連れていき、店内カートに押して店内周遊をして歩行練習をしています。
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 晩秋に鉢植えしたチューリップが咲いています。調べますとトルコが原産地とか。オスマントルコ時代の16世紀にオランダへ伝わり広まったそうです。日本は富山と新潟が産地になっています。
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2010.03.11

高知シティFM開局から10年目

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 このブログのタイトルの一部にもなっている「けんちゃんの吠えるウォッチング」が高知シティFMの朝の番組(月曜から金曜午前8時15分から30分)で始まったのが、10年前の2000年の4月2日からでした。

 今頃の3月は、番組の打ち合わせや、事前収録をしていました。こちらは駄文は書くことには苦痛はなくても、しゃべるのは苦手。「吠えるウォッチング」の最初のお相手は池玲香さん。前月までNHKのパーソナリティをされていた人。アナウンス教育を受けてきた人ですのでプロでした。

 「けんちゃん話し方が悪い。声が小さいのでやり直し。」と厳しい指導が。このまま指導を受けていれば、放送用の話し言葉は向上していたかもしれません。しかし池さんは激務がたたったか(番組の持ち時間が朝の7時半から9時半まで。取材や編集をいれれば働き詰め)1ヶ月で降板、退社されました。

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 1ヶ月で番組打ち切りかと思いきや、5月からお相手が、同年3月に高知女子大学を卒業されたばかりの細井春菜さんでした。うちの子供と年が変わらない若い人。親子の会話となりました。いろんな社会ネタを考えて対話する番組にしました。社会現象やアートのことや音楽情報は当然こちらがわからないので、細井さんに解説していただき、中高年親父と、若い女性の「ミスマッチ」番組として、2003年3月末まで継続しました。

 番組裏話参考

 その後「けんちゃんのどこでもコミュニティ」が2003年4月から2006年3月まで継続。2006年4月からは、流行のブログの可能性をとらえた番組「けんちゃんのどこでもブログ」を2006年4月から2008年3月までやりました。2008年4月から、新しくまちづくりを実践されているひとをゲストに招いてお話を聞く番組「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」をしました。しかし高知シティFMの事情で2008年11月で番組は打ち切りになりました。
 2000年3月から関わりがありましたから、8年と11ヶ月、ほぼ9年間関わりがありました。

  どこでもコミュニティのゲスト一覧です。

 現在は全く関わりがなくなりました。今頃になるともう10年かと懐かしく思います。

 番組出演者交流会は正真正銘の異業種交流会でありました。

 わたしは自己主張が強く、若い頃は他人の話しを聞くのが苦手でした。でも番組をやらせていただくことで、立場や考え方の異なるひとの話しを聞くことが多くなり、それがとても面白く、高知は田舎でダメだダメだと言われていアm菅、「人材の宝庫」であると確信を持つようになりました。

 また話しぱなしではもったいない。という気持ちが強くなり、番組内容を放送終了後にホームページとして残そうと「無謀な計画」の実行もしました。いろんな各層の立場のひと達の主張を理解することが出来ると思います。

 これは私の私見は質問だけにとどめ、対談相手が話した内容を収録テープから起こして、忠実に再現してホームページに記録しています。一部はネットラジオにもしてあります。
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 今は懐かしい高知シティFMです。

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2009.11.19

高知シティFMと無縁になってから1年

 1年前の今日に8年8ヶ月お付き合いのあった高知シティFMと無縁になりました。最後の収録が行われてもう1年経過しました。高知シティFMとは全く今は関わりがありませんし、関心もありません。1年前の投稿分を再現しました。

「ありがとう高知シティFM」(2008年11月19日投稿)

 11月19日の午後7時から、高知シティFMでの私の番組の最後の収録が行われました。2000年の4月にスタートして以来(収録は3月から)、8年9ヶ月も高知シティFMでの番組を制作し、出演し、個人のホームページやブログなどでまとめてきました。

 「どこでもパーソナリティズ最終出演は、高知シティFMにて11月24日から27日の午前8時から30分の時間帯で放送されます。是非聞いてください。)
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 単なる高知市の1市民でありながら情報発信の機会を与えていただいた高知シティFMには感謝です。思えば2000年からの1年間は放送原稿の作成はポータブル・ワープロでしていました。当時はパソコンが使えませんでした。

(原稿はダンボール箱にびっしりと入っています。)
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 私自身も番組が1年を超えて継続するとは思いませんでした。放送は「1瞬のうちに消え去る」ので、なんとか記録に残したいと言う思いで、懸命にパソコンを習い、ホームぺージの作成を習い、ようやくマスターし、番組対応ホームページをこしらえました。

 けんちゃんの吠えるウォッチング

 局側のパーソナリティさんが夕方の番組に移動したため、番組内容を変更し、2003年4月から「けんちゃんのどこでもコミュニティ」として始めました。この番組は「前向きに活動している人」をスタジオにお招きし、私が聞き手になって、その人たちの世界を大いに話していただくという番組でした。

 ホームページ作成に自信がついたことでしたので、またまた今思えば「無謀で大変な作業」をしました。水曜日に収録したゲストの収録テープを(1週5回分)を自宅に持ち帰り、就労後と休日に「テープ起こし」作業を行い、自分のホームページを作成しました。
 いろんな立場のゲストの皆様に出演いただきました。

 作業は大変で収録テープを聞いてテキストファイルにする作業時間がだいたい5回分で約5~6時間。ホームページに仕上げる時間が約3時間かかりました。月曜日夕方には次の週の収録予定者に質問・やりとり表を送付します。次の週の水曜日には次のゲストの収録があります。(そのあたりの悪戦苦闘ぶりも今は懐かしい日々でした。)

 ホームページ作成の「錯乱」

雛形づくりも結構大変

 その作業(番組対応サイトづくり)は3年間やりました。今思えば「クレージーな3年間」であったと思います。さすがに6年間も週5日番組作成に疲れがでましたので、大西みちるさんと笹岡和泉さんという各方面の市民活動をされている若手に「けんちゃん番組枠」を譲りました。

 MCが若返り独自の番組を制作され大好評でした。2006年3月末で私としては「引退」する予定でしたが、金曜日枠が残りました。週に1回番組で2年間「けんちゃんのどこでもブログ」という番組を制作し、出演させていただきました。

 大西みちるさんの後継でとみやましおりさんが番組を引き継がれ、好評でした。

 しかしながら番組編成がありまして高知シティFMから朝の番組放送枠がなくなりました。それで大西みちるさん、笹岡和泉さん、とみやましおりさん、と私ことけんちゃんが4人で朝の番組枠担当者で最後の収録をした次第です。

 始まりがあれば終わりがある。高知シティFMでの番組制作と出演は私の「生活の1部」でした。世間が広くなり、いろんな人を知り、またパソコンも取得できました。本当に高知シティFMの関係者の皆様、出演者の皆様、リスナーの皆様、ホームページやブログの読者の皆様ありがとうございました。

 番組のおかげで普通は考えられない広い範囲のいろんな分野のネットワークが広がりました。

 新しい出来事、ニュース,トピックス、連絡事項を掲載します。
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2008年9月7日には高知青年会議所主催の「まちづくりシンポジウム」に高知県知事、高知市長と一緒にパネラーで出席しました。そのときの私の肩書きは「高知シティFMけんちゃんの今すぐ実行まちづくり」です。今はもう懐かしいだけです。

 8年8ヶ月させていただきましたラジオ番組での情報発信は終了いたしましたが、今後は市井の1市民として様々な形で情報発信をしていこうと思います。
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2009.07.31

高知シティFMは大丈夫なのか?

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 昨年11月をもって、2000年4月の開局時から関わりのあったコミュニティFM放送局高知シティFM放送とは無関係になりました。無関係になったとは言え、8年8ヶ月も関係してきたラジオ局だけに「その後」の動向は気に成ります。

 最近高知シティFMのホームページを見ましたら、更新していないだけでなく、とうとう見れなくなりました。

 高知シティFMホームページ {現在見れません)


 本当にどうなっているのでしょうか?せっかくこしらえたラジオ局です。どんな形であれ存続していただきたいと思いますね。
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 かつての「関係者」とすれば現状はとても残念な状況であると思いますね。

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2009.07.14

小松英雄さんのご冥福を祈ります

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 小松英雄さんが13日に逝去されました。昔は高知青年会議所で2回ほど同じ委員会になりました。弁護士で多忙であり、委員会へはほとんど来られませんでした。JCを「卒業後」に何度がお会いしました。

 1度だけ夜須で一緒にヨットでセーリングしたことがありました。地域活動のライオンズクラブの会長もされていたようで、「子どもたちを三宅島へ連れて行きイルカを見せてやりたい」と目を輝かせて言われていました。ちょうど噴火と時期が重なり実現出来なかったようですが、「JC時代君が夜須のために熱弁していた気持ちがわかったよ。」と言われていました。

 また2004年6月には当時の高知シティFM放送の番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」に出演いただき「裁判員制度について」などお話いただきました。
 小松英雄さんは熱く真摯な人。こちらの想定質問内容には「お答えできない」箇所があると指摘いただき、その場で質問をやり直し、収録した思い出がありました。通常1時間半で終わる収録が3時間以上かかりました。

 当時お話を聞いたとき「裁判員制度は5年後」と遠い話のようでしたが、今年の8月から始まるようですし。裁判員の心構えなども全然出来ていませんね。未だに。

 3年ほど前に倒れられ病気療養中であるとヨット仲間の芝藤敏彦さんから聞いていました。58歳でのご逝去でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

15日には告別式にも参列いたしました。小松さんの人柄で大勢の人たちが参列されていました。ご出棺まで葬儀所にいました。本当に逝去されたのが残念です。58歳ですし。
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 2005年3月5日にはりまや橋商店街わくわく広場で開催されました「けんちゃんのどこでもコミュニティ 第5回番組出演者交流会」へご参加されておられました。たくさんの人たちと交流されておられました。

 ご参加されておられました吉田文彦さんが「土佐備長炭と秋田きりたんぽでオセロ交流をしませんか 」というエッセーを書かれておられました。

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2008.12.31

2008年ー今年の重大ニュースとは?

 自分にかかわりのあることで2008年の重大ニュースとはなんであったのか?振り返ってみたいと思います。わたしはあまり後を振り返るタイプではないし、どんどん先へ行くタイプなので「思い出」は得意ではない。それでも考えてみます。
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1)高知シティFMの番組が、8年8ヶ月目でついに終了。(11月)
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2)1年半ぶりに番組出演者・関係者交流会を実施(12月18日)
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3)ヨットで肋骨にひびが入る。(12月23日)
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4)猛暑の7月にエアコンなし生活をTBSテレビが東京から取材に。(7月17日)

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5)お墓を建立(8月31日)

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6)知事・市長と同席して高知青年会議所のフォーラム出席(9月7日)

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7)地元自主防災会で神戸市長田区鷹取町内会を訪問(8月・10月)

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8)パソコンが相次いで3台クラッシュ。(6月)
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9)地元自主防災会が防災倉庫を設置(2月)防災マップ作成(2月)炊き出し訓練実施(3月)

10)国政を担う福井照衆議院議員、橋本大二郎前高知県知事とラジオ番組で対談。対談内容をサイトに作成(6月から9月)

 福井照さん

 橋本大二郎さん

まだまだありますが、とりあえずはこのへんで。来年もまたよろしくお願いします。

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2008.12.29

朋あり遠方より来る、また楽しからずや

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  今週号の週刊ポストの59ページにいいことを書いていますね。カリスマコンサルタント(?)の宋文洲氏の記事です。表題は「モラルなき経済乱世は「論語」の知恵で乗り切れ。とあります。

 記事では「格差社会の底辺にいた孔子が苦難のなかで磨いた名言に学ぶ」とあります。

 60Pに「人の己を知らざるを患えず、人の知らざるを患う」(人から認めてもらえないことを嘆く必要はない。むしろ他人の真価に気づかない自分の方こそ責めるべきだ。)というのは、心底そう思いますね。

 「こんなに懸命に努力しているのに評価されない」と腐る暇があったら、他人の真価を見極める目を持とうということでしょう。高知シティFMでの8年8ヶ月の番組制作の体験は、このことを実感し実践してきたと思います。高知には素晴らしい人材がいるのに、この危機の時代に活用されていない。それがとても残念であると思いました。

 自分はそうした素晴らしい人たちを「発見」するために、存在していたのではないか。最近そう思うようになりました。
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 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」(心の通う合う友が遠路もいとわず、たずねてくる。なんとも楽しいことではないか。」

 記事では「10年ぐらい遠く離れて暮らし、連絡も取っていなかったのに、会えば、その瞬間からあたかも昨日別れていたかのように無言で酒を飲み交せる関係それが孔子の言う「朋(とも)の意味でしょう。(P62)

  いつも一緒に連れだって、飲んで愚痴を言い合っているのは真の友人ではなく「烏合の衆」とも言い放っています。週刊誌の記事ですがなかなかいいことを言っていると思い取り上げてみました。
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 番組出演者交流会はまさしくそういう数少ない場でした。

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