都市論

2022.03.30

堀川の桜並木はほぼ満開に


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 2022年3月28日の夕方にいつもリハビリ・ウォーキングをしている堀川浮桟橋が賑やかでした。それは九反田川と農人町・南宝永町側に植えられた桜並木がほぼ科満開になり散策したりお花見している人たちが増えました。
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 いつもは閑散としている堀川浮桟橋と並行している遊歩道ですが、賑わっていますね。

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 70年近く前に九反田と農人町の町内会が桜を植えたと海運会社の代表者の方に聞きました。

「戦前は堀川沿いは海運会社や船具店が店を並び賑やかでした。昭和南海地震で堀川に瓦礫が流入し水深が浅く名f理大きな船が勝入れなくなりました。

 そこで九反田と農人町の町内会は話し合い、県の許可を得て両岸に桜を植えました。」ということです。
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 高知市の桜の名所の1つになりましたね。舟から見ると桜のトンネルですから。最高ですね。

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2022.02.28

激動日本左翼史を読んで

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[激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優・共著・講談社現代新書・2021年12月刊)を読みました。

「いかがわしい」社会評論家と私は池上彰氏と佐藤優氏についてはそう思います。仮に彼らがそうであるとしても今回の著作は、時代考証をキチンとしながら記述されています。

「なぜ、過去の遺物と化した新左翼の思想を今読むのか。それは、自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というものを、現代に生きる読者に反省的に学んでほしいからです。
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 危機の時代には必ず激しい思想が現れます。こういう過去があったということを知るだけで、危険な思想への免疫ができるはうです。」(P43「序章60年代前史」・佐藤優)

 佐藤優氏の言われる「自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というもの」とは一体何かという疑問をわたしは、50年前の高校生時代から考えてきました。

 高校生反戦会議(高1)、高共闘(高2)、高校生評議会(高3)と形と名称を変えながら新左翼に影響された高校生組織づくりに勉強もせずに奔走していました。惨めに敗北し、卒業も出来ず暗澹たる気分でいたところに『連合赤軍事件」が起こりました。信じていた当時の「革命思想」は崩壊しました。

「私たちが学ぶべき左翼の「失敗の本質」が見えてくるでしょう。崇高な理想から始まったのに、次第に暴力に覆われ、分裂を繰り返すうちに暴走して自滅する―。左翼がたどった歴史を反復することがないように、現代の教訓につなげていけたらと思います。」(P43池上彰)

 また歴史小説家と言われていた司馬遼太郎さんも講演集の中でこう言われていました。(引用が長くなります。)

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)

 司馬さん流に言うと、私は中学3年生の事から高校4年間、大学4年間の9年間「極左新左翼イデオロギー」に酔っぱらっていたのでしょう。

 そのあたりは左翼も右翼も関係ないようです。閉ざされた小さな組織や集団では、より過激な意見が優勢になり、状況が見えなくなり、自滅する行動に駆り立てられ破綻していきますね。

 また幕末の頃日本国中で流行していた「尊王攘夷」という思想ですが、薄っぺらな思想であり、討幕運動の原動力になっても、新しい国づくりには全く役立たないものでした。

 そのため明治の初めに政府閣僚の主要メンバーが2年間も欧米に滞在し、先進列強の制度を研究し、アレンジして急ごしらえしたのが明治国家でした。尊王攘夷では国づくりが全く出来かったからでしょう。

 老舗左翼の体たらくと新左翼の登場

 日本の左翼運動で1番の老舗は日本共産党。今年結党100年であるとか。西欧型民主主義国で、共産党と名乗って国政や地方議会で議席を獲得しているのは日本共産党ぐらいでしょう。

 しかしその歴史は決して輝かしいものではありませんでした。戦前は特高警察などに弾圧され、最盛期でも党員数は1500人程度でした。しかも非合法。1928年頃には主要な幹部が検挙され党組織は壊滅しました。

 日中戦争や二次大戦など無謀な戦争を阻止できません江した。

 敗戦後は占領軍により刑務所から幹部が一斉に釈放されました。その時当時の共産党の指導者は致命的な間違いをしました。アメリカ主体の占領軍を「ファシズムから日本人民を解放した解放軍規定」をしてしまいました。

 1949年の中国革命の影響からか、山村工作隊などの武将闘争を展開し、さしたる成果を上げることなく壊滅しました。1955年に再建大会を行い武装闘争を廃棄しました。その後も党内で旧ソ連派と中国派が対立、路線が右往左往していました。

 その後宮本顕治氏が党の実権を掌握し、旧ソ連や中国共産党とも対峙し独自路線で党運営をするようになりました。

 旧社会党は、戦前の労働派の流れを源流に敗戦後結党され。共産党の路線争いに嫌気した人たちや、朝鮮戦争前後のえん戦気分の国民を取り込み党勢を拡大していきました。

 旧社会党の平和革命路線の内実は、旧ソ連の軍事力を背景に社会主義革命を成し遂げるということを提唱していました。

 旧ソ連がアメリカと対峙していた頃は。それなりの説得力がありましたが、旧ソ連が崩壊するとほどなく旧社会党も崩壊してしまいました。一時期は国会の衆参両議院あわせて200人を超える時期もあった日本社会党でしたが、その後は見る影なく衰退し、分裂し党名すらなくなりました。

 1959年からの三井三池闘争と1960年の安保闘争などで、新左翼の活動家たちも社会党と共闘したりしていました。共産党は党組織運営に従わない新左翼を徹底的に排除しましたから、旧社会党は一時期は「新左翼の培養器」のような役目をしていたようですね。今回この本を読んで改めて思いました。
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 ブント(共産主義者同盟)の登場は颯爽としていました。

 当時東京大学の学生であった姫岡玲治氏(本名青木昌彦・スタッフォード大学教授)の小論「民主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における改良主義批判(1959年・ブント機関紙共産主義)は突き抜けていました。

 佐藤優氏は、P188で引用しています。出典は日本経済新聞に1か月単位で連載される「私の履歴書 人生越境ゲーム」の中で青木昌彦・著で書かれたものでした。

「論争の相手は主にソ連を盟主とする共産党正統派(日本共産党主流を含む)、(イタリア共産党の影響を受けた)共産党構造改革的改良派、第4インターであったが、私の重要な論点は次のようなことにあった。

①ソ連は官僚の特権的地位を維持する国家に変質したので、革命運動の指導者の立場にもなければ、擁護の対象にもなりえない。

②日本の資本主義は、戦中・戦前から小農などの古い要素を抱えつつも、それを利用しつつ高度の発展を遂げた。

 したがってそれはアメリカ資本主義に益々従属するというような後進性によっては特徴づけられない。

③強力な独占企業体性は国家の援助によって出現したとはいえ、それは資本主義の独自の運動法則の発展の表現である。(国家独占資本主義)。それは政府の政策の結果として生まれたものでなければ、それによって民主化されうるものでもない。」(42~43頁)

 なおそのすぐ後の箇所には、当時この姫岡国独資論に対して、日本共産党構造改革派の代表格である不破哲三が噛みついてきてきたこととその後の顛末も書かれています。

「このような20歳になったばかりの私の書いた一連のいわゆる「姫岡理論」に対して、後に共産党の党首となる不破哲三は氏は、党機関誌「前衛」1959年6月号誌上で「現代トロキズム批判-平和と社会主義に敵対する「世界革命」論を発表して、論理にならない罵詈雑言を浴びせたすえ、「もはや理論的批判の必要はない」「この反革命的反社会主義的本質を徹底的に暴露して、政治思想的に粉砕しつくすことだけが残っている」と締めくくっていた。

 しかし20年後のソ連崩壊に関して、彼は①に準じたことをいわざるを得なくなったし、②についてはやがて沈黙を守らざるを得なかった。」(43頁)佐藤優)

 池上彰氏は「本来、共産党にとっては取るに足りない弱小勢力の若者の論文に過敏に反応した。それだけ姫岡論文は影響力があったんですね。」(P189)と述べています。

 当時の20歳の大学生姫岡玲治氏の社会的影響力は、現在の将棋界を席巻し五冠を19歳で達成した藤井聡太氏のような存在でしたね。

 その後の「新左翼」の論客は姫岡氏を超えるレベルの人達は出て来ませんでした。’

また革共同革マル派の創業者であり教祖的存在であった黒田寛一氏も独自の理論構築を行い、当時の旧ソ連―日本共産党の理論と対峙できるだけの内容がありました。

「黒田の疎外論の特徴は,今を生きている我々1人1人が疎外された人間であり、真の問題はその自分が疎外されている状況にさえ気づけていないことなのだと指摘したこと。

 そしてその「気づく」ということはすなわち、プロレタリア的な人間になること以外ないと言い切ったことにありました。

 我々はプロレタリア的な人間になり共産主義革命を実現することによって、そこで初めてプロレタリアだの資本家だのといった階級による断絶を受けない、すべての人が手をつなぎ合えるようなような人間のあり方を回復することが出来るだろうという社会観が黒田の思想の根本にはあります。

 黒田のこの疎外論は、ルカーチからの影響を非常に強く受けていると思われますが、マルクスの考えた疎外論をヘーゲルと結び付けて捉えなおしているという点で、本当に考え抜かれたものです。」(佐藤優・174頁 「思想家黒田寛一の凄み」・第3章新左翼の理論家たち)

 革マル派は黒田の理論と旧国鉄の労組員であった松崎明氏との連動で動労という労組に確固とした組織基盤をつくりました。警察側の資料によれば現在も5500人の勢力を持っています。共産党や社会党とも別の運動体になることに成功しています。

 また社青同解放派も一時期ユニークな存在でした。それは新旧左翼を問わず「神格化」されていたロシア革命の象徴であるレーニンを徹底的に批判したことでした。

「解放派の代表的理論家の一人であり第二代議長も務めた滝口弘人(弘人)は、解放派の綱領的文章である「共産主義=革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言(草案)(1961年5月社青同東大班機関紙「解放」NO6掲載 のちの高見出版より刊行)で次のように書いyています。」

「レーニン主義=ボルシェゥビィズムは、プロレタリアートが階級意識=共産主義的意識を生み出すことを否定し、sレと共にこの意識を体現する自分自身の党を生み出すことを否定する。

 プロレタリアートの党は、プロレタリアート自身が生み出すのではなくて、プロレタリアートの外部から与えられる他はないとされている!

 従ってレーニンの”前衛党”は、厳密にはプロレタリア党ではない。それは社会主義的中間層の支配する党、完全に”観念とされたプロレタリア”の党である。この党は、全プロレタリアに完全に超越した党である。

 ・・・社会主義理論を純粋に護持する”理論家”がただちにプロレタリアート解放闘争の実践的「前衛」つまり「党」であであることは正しいのか?

 我々はこれには、はっきりと答えなければならない。それは共産主義=革命的マルクス主義への決定的な背反である。」(199頁 佐藤優「社青同解放派「レーニン批判の論理」

「レーニンを否定した解放派が依拠したのが戦前のドイツ共産党の指導者であり、1919年の「スパルタクス団蜂起」(ドイツ共産党がドイツ・ワイマール共和国に対して武装蜂起しベルリン各地の主要施設を占拠したものの鎮圧された事件)で民兵組織に虐殺された女性革命家ローザ・ルクセンブルグの理論でした。

 ロシア革命以前からレーニンの「前衛党」や「民主集中制」論を批判してあくまで労働者階級が主体となった、言い換えれば民衆の力を信ずる革命を志向したローザの理論に立脚することで、解放派は官僚主義的独裁を排した、より民主的な共産主義革命が実現できると考えたんです。」(201頁)

 佐藤優氏によれば、解放派のルーツは労農派の山川均であると。同じ社会主義協会の向坂逸郎氏がレーニンを賛美していましたが、山川均氏は全くしなかったそうですから。

 また「外部収奪論」は説得力がありました。資本家が労働者から収奪するだけでなく、富裕層が貧困層から、日本がアジア諸国から収奪しているということなどが資本主義の最大の悪と主張し、ブントや中核派等にも影響を与えました。

P202には興味深いやりとりがありました。

池上「大阪市立大学准教授の斎藤幸平さんが書いた2020年のベストセラー「人新世の「資本論」(集英社新書)でも外部収奪論は特に強調されている点ですね。

 その点でも解放派の思想は現代に通じる部分もありそうですね。」

佐藤「そのとうりでしょうね。ただ佐藤幸平さんがまさにそうなのですが、彼のようにヨーロッパでマルクス主義を学んでくると、基本的にレーニンは傍流で、ローザが主流なので、自然にそこに注目するようになるんです。

 日本みたいに資本主義国でありながらスターリン主義のマルクス主義が強い国は実はかなり珍しいのです。」(P202)

 連合赤軍などは、外部注入論のレーニン主義を踏襲しているし、党員は党幹部に絶対服従というレーニン主義の民主集中制の権化で暴走し、仲間殺しを行い自壊しました。

 大学時代のサークルの先輩たちが関わっていたブント(共産主義者同盟)叛旗派も「党大衆構造の止揚・変革」などと党幹部を絶対視する党運営とは無縁の様でした。叛旗派と解放派は一時期「仲良し」の時代があり相互影響し合ったかもしれないですね。

 初期のマルクスが提唱していた「疎外論」は、1960年代当時の日本共産党には抜け落ちていて、少数会派に過ぎない指導者たちの知的水準はブントにしろ革マル派にしろ社青同解放派にしろ高かったと思いました。
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 しかし佐藤優氏は、新左翼の弱点も指摘しています。

池上「たしかにあの当時の学生運動のリーダーたちの知的水準は今考えると驚くほど高かったですね。さきほど言ったように60年代末期は大学の大衆化の始まりのじきではありましたが、そうはいっても今とは全然違い、大学生は紛れもなく知的エリートでした。」

佐藤「末端の方は継承できるだけの知力がありませんから次第に殺しの話しかしなくなってしまったかもしれないけれど、それでもやはり運動を始めた人たちは非常に賢かった。ですからなおのこと、これほど多くの知的な人たちが運動を指導した半世紀後の日本がこうなっていることが不思議です。

 もはや社会で交わされる言葉に思想性もなんて欠片もありません。

 だから左翼というのは始まりの時点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこかに内包されていると思います。そしてその仕組みは、リベラルではなく、左翼の思想のどこかにあるはずなのす。」

[私の考えでは、その核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てらっると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけでは割り切ることもできない。

 人間には理屈では割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらをすべて捨象しても社会は構築できると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚出来ないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。」(P209)


 欧米とは異なり政治に何も残せなかった新左翼

 わたしは中学生時代から政治に興味があり、総選挙などでは各政党の選挙事務所を訪問して話を聞いたり、資料をいただいたりしていました。

 人生の多感な時代、1番楽しい時代、いゆゆる青春時代U15からU23までは時代の影響もあり。政治活動や社会運動に打ち込んでいました。しかし成果が出たことは殆どなく、惨めな敗北体験しかありません。

 佐藤優氏は新左翼の政治への影響力については、「まるでなかった。」と突き放しています。

「哲学・思想の面で新左翼に優れたものがあったのは間違いありません。しかし、政治的には全く無意味な運動であったと言わざるを得ないでしょうね。

 革命を成就させられなかっただけでなく、その後の日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけではありませんでした。

 正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれども、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。

 だから彼らと同形態の異議申し立ては今後決して繰り返してはならない、ということに尽きると思います。」

 同時期のフランス5月革命も挫折はしましたが、社会的な成果はたくさんありました。女性の社会参加、男女平等がその後フランス社会では各段に進展したそうですから。

 ドイツなどでも環境保護を唱える「緑の党」などは国政へ進出し今や連立政権で閣僚も輩出しています。かつての英国首相のブレアや米国のクリントン元大統領も学生時代はベトナムは寝ん運動をしていました。日本だけは「なにもない」状況を作り出し、政治に無関心な層を大量に生み出しました。

{日本の新左翼も暴力に走らなければ、あるいは暴力に走ったとしても権力に対する暴力にとどめておれば一定の存在感を残せていた可能性もあったのでしょうが、内部での殺し合いに走ったことが致命的でしたね。
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 あるいは日本の新左翼運動が残したものは、島耕作型のサラリーマンを大量生産したことかもしれません。

 個としての自立にはこだわるけれど、目の前の利益にだけ執着するという生き方です。
島耕作は社内の派閥には属さないけれど仕事はでき、出世のチャンスは逃さないという男でしょう。

 新左翼の連中は信頼していた仲間に裏切られ、党も何も信用できず頼れるのは自分だけ、という局面を程度の差こそあれ経験しているから、運動から身を引いた後にこのタイプのサラリーマンになった人たちは多かったとはずです。

 もうひとつは「最後に信用できるのは家族だけ」という意識から発する生活保守主義です。政治など社会の問題に対して、自分たちと地続きの問題として真剣に捉えず、多摩に話題にすることがあっても居酒屋論議レベルの無責任な議論しかしない。

 「政治」や「社会」と、自分たちの「生活」だけ大事にし、後は自分のキャリアアップの為だけに頑張る。そういう新自由主義の母体をつくったという意味では新左翼運動の影響は大いにあったと思います。」(P248)

 その後「しらけ世代」や「政治に無関心層を大量に生み出してしまったことも新左翼運動の悪しき影響であると思います。
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 また代議民主主義制度を「戦後民主主義の否定」と当時の新左翼党派は主張していました。私なども影響を受けました。では代議制民主主義、議会制民主主義(間接民主主義)を否定すならば、どのような仕組みで民意を集約し、国政を動かすのかという仕組みの提案も結局新左翼は出来ずじまいでした。

 佐藤優氏が70年代後半に同志社大学である教授から言われた以下の言葉が、とても印象に残りました。長いですが引用します。

「佐藤君、政治には「大人の政治」と「子供の政治」がある。私は、君たち学生が学友会(ブントが握る同志社の学生組織)で活動することも、神学部自治会がアナーキズム運動をやることも全くかまわない。君等は怒るかもしれないがそれは「子供の政治」だからだ。

 その「子供の政治」を経験しながら、様々に試行錯誤していくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。

 政治の世界で起きることはパターンとしては全部同じだから、人をまとめるのがどれほど大変で、どんなところから諍いが起きるか小宇宙での体験を通じて知っておけば、卒業後に大きな政治に遭遇したときに、それが保守系であろうが革新系であろうが、あるいは企業内の政治であろうが過度に戸惑わずに済むからだ。

 ただし民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは「大人の政治」、大人が自分たちの組織的目的のために子供たちを利用する政治だ。

 我々は教育的観点で、そうした「大人の政治」から君たちを守る義務がある。というんです。(P258)

 寛容な管理者が多様な価値観を認め「小宇宙空間」をこしらえているところは羨ましいと思いました。卒業後に「小宇宙」を体験したリーダーたちは、民間企業やアカデミズム、ジャーナリスト,教会、政界などで活躍しています。

池上「閉ざされた空間、人間関係の中で同じ理論集団が議論していれば、より過激なことを言うやつが勝つに決まっている。」


 不毛な議論、不毛な仲間同士の殺し合いを防ぐための処方性の1つは、佐藤優氏は「だら幹(堕落した幹部)を作っておき、その現実主義を認めることであるです。(P261)

 仲間殺し際限のない不毛な内ゲバの負のスパイラルになってしまう大きな原因の1つが「戦前共産党の社民打撃論に由来しているようだ」と佐藤優氏は言います。

「革命を成就させるためには、自分たち「真の革命勢力」の周辺にいる革命を装っている連中を殲滅して革命の隊列を1本化しなばいけないと考えた戦前の日本共産党の理論と体質。

 これを新左翼が断ち切ろうとせず、無自覚に継承しまったことによる過ちです。ですから内ゲバの入り口としての社民打撃論を学び、その上でこれを克服することは、現代でも社会変革を目指す人にとっては非常に重要だと思います。」(P261(過激化する新左翼)

 私個人のテーマである『連合赤軍と新自由主義の総括」ですが、今年も総括はできませんでした。連合赤軍事件から今年は50年目。総括こそ出来ませんでしたが、なんらかの足がかりを得たように思います。

 共産主義運動におけるレーニン主義の悪弊は新旧左翼全般に浸透しています。「外部注入論」:「民主集中制による党運営」、「社民打撃論」による独善主義への転落。

 日本の新左翼運動が大量の白け世代を生み出し、政治への無関心層を生み出してしまいました。

 私個人としては53年前の高校1年生の4月に高知大学へ高知県下の30人を超える高校生たちと集まり高校生反戦会議に参加しました。高校生運動や社会運動に関わり、50年前の1972年3月に県立高校を卒業できなくなりました。

 翌年だだ1人で留年し、やっとこさ卒業し関東の大学へ進学しました。そこで大学闘争(学費値上げ反対闘争)に関わりました。しかしほどなく凄惨な内ゲバの時代になりました。

 私はどの党派にも属しませんでしたが、本来なら仲間である人達が殺し合いをし、現実に知り合いの先輩が対立党派の襲撃で亡くなりました。なんとも悲しくおぞましい出来事でした。

 2022年になりロシアが兄弟国であるウクライナに対して軍事力で侵攻しています。なにやら日本でも「勇ましい議論」がされています。

 でも頭を冷やしましょう。コロナ感染症対策も満足できない体たらくの日本が戦争へ参加するんぞ出来るはずありません。
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 専制国家中国は短期間で100万人の市民のPCR検査が出来ます。日本は全くできません。すでに国力の差が大きく中国に引き反されています。こと軍事論に関しては「感情的な議論」はすべきではありません。

 今の国政の与野党では、コロナ禍にも、近隣国との適切なお付き合いも難しいと思います。きちんとした活動をしてきちんとした政治を行うためには、国民1人1人が政治に関心を持ち、多様な意見早を言い合い、押し切るのではなく、地道に合意形成を図るべきです。つくづくそう思いました。

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2021.12.30

ふるさとの守り人を目指して

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 2021年12月11日の防災講演会「住民主体に事前復興まちづくり」の第2部は、ZOOMでの参加の浜大吾郎さん(美波のSORA会長)の講話でした。

 高知大学に通学されていたこともあり、最初は土佐弁でご挨拶されました。現在も社会福祉士を目指して勉学中と聞いています。
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 「地域福祉と地域防災は相互にリンクしています。高齢化が急速に進行している地域。福祉の視点はとても大事。」と言われていました。

 私は浜大吾郎さんのような努力家ではありません。現在在宅で認知症の母(96歳。要介護3)を家内と2人で毎日「老・老介護」していますので、その言葉は身に染みてわかります。
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 浜さん曰く、「行政の機能も含め地域リソースが減少しています。減少すると地域は急速に衰退しやがて消滅します。

 そのために現在ある地域リソースを見直し、できることから取り組んでいきます。」

「生活支援事業は、高齢者等の生活支援サービスとフレイル(加齢に伴い心身の機能の低下状態)。フレイルならないように健康寿命を延ばす活動をしてます。」

「行政支援事業も行います。地域資源の減少で行政事業にしわ寄せが来ています。SORAが行政事業を下支えし、行政サービスの維持向上に寄与します。」
(具定例として水道兼新事業やワクチン接種会場の清掃支援などを行っています。)
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「地域づくり支援事業は、地域問題の解決として次世代に防災教育をしたり、ふるさと教育(例えばわかめの養殖体験)をおこない次世代の担い手づくりをおこなっています。」

 地域にある地震や津波碑を確認したり、昭和南海地震の体験談を次世代に語り継ぐことも行っておられます。
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 またTBSの人気ドラマ「日本沈没」のなかで、由岐地区の@事前復興末づくりが評価され、プロモーション企画で,由岐の海岸などに漂着したゴミを使ったアート作品を、現代アート作家の淀川テクニックさんとコラボし一緒に制作されたとのことでした。
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 浜大吾郎さんの多様な実践活動には敬服します。本気度を感じました。素晴らしい実行力ですね。

 浜大吾郎さんは「地域を衰退から守るために1人でも頑張り続ける!!」という決意表明には励まされました。私の方は「孤独な」仕込み作業にほとほと疲れていましたから。
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 地域防災や地域福祉は、やりだした以上は辞めることは難しいですね。浜大吾郎さんは地域活動の中から持続のためのエネルギーを上手に汲み出されていますね。稚拙な私とは違いますね・。
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 まさに標題どうりに「ふるさとの守り人」そのものです。

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2021.09.19

水害対策に「水上都市」

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 日本経済新聞2012年9月12日の記事「水害対策に 水上都市」「浮かぶ家や1階吹き抜け構造」と見出しにあります。

 従来型の防災対策は、堤防護岸だったり、高台移転ということぐらいしかありませんでした。「やる気がない」「予算がない」ことばかり繰り言で言う高知県庁と高知市の市長や防災対策部署。海抜0Mの13万人の命をどう守るのかの回答は東日本大震災から10年と半年経過しましたが、「0回答」です。
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 その点「水害対策に 水上都市」「浮かぶ家や1階吹き抜け構造」は、やる気のない行政(県や高知市)抜きでやりきれる課題であり、実際にモデルハウスもあるようなので実現性は高い。

 また実際に東京の低地の市街地を抱える葛飾区などでは検討されているようです。


 ピロティ工法は100年ほど前に近代建築の巨匠ル・コルビュジェが広めていました。

 「浸水対応型建築物は平常時には水辺を楽しむ公共空間として、浸水時には避難拠点として機能する」とも記事の中にありました。

「画期的なのは家を敷地内に四隅に設置したポールとつなぎ、水位があるレベルを超えると、係留されている船のように水に浮きだすことだ。洪水が引いた後にほぼ元の位置に戻るという。

 実験では1階天井の高さ程度の水位3メートルに達しても被害はなかった。」

 高知市の技研製作所本社を訪問した折に、「インプラント・ポットが同じ構想」でした。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-ce16.html

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-9ba0.html

 私たちも形態こそ違え「水に浮かぶ浮体式人工地盤」を提唱していました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ac32.html

 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体の特色について

 考案された小谷鐵穂さんは「仮に壊れても全体が浮力体ですので、それにしがみつけば助かります。閉鎖空間ではなく開放空間なので、流されている人を救助することも可能です。ヒーローが誕生する可能性もあります。

小谷鐵穂さんは長年日本橋梁の技術者をされておられました。技術的な知見は間違いありません。

使用する発砲スチロールは、JSPのスチロダイヤブロックです。EDS-EPS工法として、道路工事や擁壁工事、地盤解消工事や橋梁工事で実績がある素材です。難燃性ですが、火気や溶剤、紫外線には弱い素材です。表面を被覆して使用すれば問題ありません。」と言われました。
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 高知市の下知地域の広域公園である青柳公園の運動場に地下埋設方式にすれば、原則メンテナンスフリーです。露出部には被覆セメントを塗布すれば防火対策と紫外線対策になります。

 若いころ土木工事に関与したという西田政雄氏(防災寺小屋塾頭・二葉町自主防災会顧問)。この工法は他の工法より安価だし、合理性があると高く評価いただきました。

「高知市であれば適用箇所は、浦戸湾が狭まっていて、津波のパワーが減退するであろう孕(はらみ)以北の低地の高知市市街地であろう。下知、高須、潮江地域などが適地である。」

 高知市下知地区や潮江地区などは「水上都市構想」でまちづくりをすべきであると思います。

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2021.06.21

感染症対策(公衆衛生)と集客装置・都市の形成

 私は学識者や研究者ではないので、自分の考え方の「出展元」や「著作の何ページに書かれていた。」という記述をすることが出来ません。ですので昔読んでいた本の内容を自分が取りこんで、自分の言葉で「感染症対策(公衆衛生)と集客装置・都市の形成」という題目で雑文を書いています。


 


 30年ほど前に個人的に「都市再開発問題」に興味を持ち、当時所属していた高知青年会議所で3年間「都市再開発セミナー」という連続講座を開催したりしていました。当時はバブル全盛時代で、アメリカで開発された再開発の商業施設や店舗や「集客装置」に興味を持ち、専門外の1市民が書籍を読んだり、専門家の話を聴講したりしていました。


 


 19世紀の欧州では内乱と階級闘争と革命の最中に疫病も流行し、公衆衛生の概念が成立し(公衆衛生法1848年)都市の衛生環境が劇的に改善されました。


 


 エンゲルスの著作「イギリスにおける労働者階級の状態」のなかで、当時の労働者の藤堂形態は過酷そのもので、住宅の衛生環境も劣悪であった。家族の汚物を道路にまき散らしたりしていたとか。


 


 当時の公衆衛生を記述した本(なんだか忘れました)は、産業資本家は郊外の環境のいい場所に庭のある住宅に住んでいた。工場のある町の工業地区へ行く途中に劣悪な労働者住宅があり、衛生環境も劣悪。いつしか疫病が労働者間で流行し、資本家階級にまで感染する事態になりました。


 


 それで国は公衆衛生法を制定し、労働者住宅の衛生環境の改善、公共下水道の整備や水道の整備など、公衆衛生の改善事業を英国やフランスでも莫大な事業費で行いました。怪盗ルパンが逃げる公共下水道もパリの公衆衛生の改善に大いに役立ちました。


 


 公衆衛生の確立が出来て初めて、今風の都市形成が可能になりました。百貨店や映画館、劇場、サッカースタジアム、商店街、動物園、遊園地、鉄道駅舎、港湾設備などは「集客装置」と呼ばれています。


 


 公衆衛生が確立したから、人々が安心して集まり、密になり、観覧し、買い物し、飲食する楽しい都市空間が誕生しました。19世紀から20世紀にかけて出来上がった都市はたくさんの「集客装置」が集積しています。


 


 都市は「社会サービス・システム」とも言われ、形を変えながら、人々を魅了し、多くの人口を都市部に吸収してきました。


 


 21世紀の疫病である新型コロナウィルス感染症は、19世紀から20世紀をかけて確立してきた都市の「集客装置」を全否定する存在でした。多くの都市では都市閉鎖し、集客装置を閉鎖し、利用禁止にし、人間同士の交流を禁止しました。


 


 解決策は多くの感染症と同様に、予防するためにワクチン開発と特効薬の開発以外はありません。


 


 事態は始まったばかりであり、今後都市がどう変化するのか、疫病は収まるのか。難しい課題は延々と続くことでしょう。


 


 19世紀は公衆衛生事業が解決しました。21世紀はどのような事業が疫病を抑え込むことができるのか?興味深いです。

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2020.12.02

坂本茂雄さん県政かわら版63号

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 下知地域代表の県議会議員坂本茂雄さん。2003年の初当選以来17年間に63回坂本茂雄県政かわら版を発行されています。年平均3・7回ですから年間に4回発行されています。

 高知県議会は年間4回定例会があるそうです。そのほかに臨時議会や委員会もあります。今回の63号1面では9月定例会での補正予算の審議の様子が記述されています。

「補正予算 コロナ禍対応など過去2番目の規模」であり、「県民の感染拡大防止と社会経済活動回復へ」の目的の予算変遷なのかどうかを坂本茂雄さんはチェックされています。

 このなかで「感染症指定医療機関」などを含め、医療法人の規模の大小を問わず、県民各位のコロナ禍での「受診控え」の影響は大きく、1割から2割受診者が減少しているので、軒並み経営環境が厳しくなっています。
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 2面から3面にかけては、坂本茂雄さんが「一問一答」形式で「コロナ禍における災害対応の充実を追求」というテーマで知事や担当部局の幹部の答弁を引き出していました。

 坂本茂雄さんは「」コロナ禍の自然災害における避難行動の支援」「避難所の環境整備と充足を」「災害ケースマネジメントと被災者に寄り添う支援を」の3つの観点から県知事や県幹部職員を問いただしています。印象に残ったやりとりを記述します。
県政かわら版63号3_NEW
坂本「南海地震を想定すれば、在宅避難のお宅に、自主防災会やボランティアの方が出向くのは困難。支援策はもっときめ細かく検討すべき」

濵田知事「ボランティアや自主防災組織のみで対応できない場合は、外からの応援を受け入れ、それをどう態勢に組み込むか考えなければならない。
 今後市町村と連携し、避難所運営マニュアルの中にそうした要素も組み込むことを検討したい。」

 実際の話、二葉町において、在宅避難所へのケアは常に話題にはなりますが、支援や安否確認をする仕組みの構築には至ってはいません。地域の公共の指定避難所が下知コミュニュティ・センターのみですから当然収容人数は全く足りません。

 最近国や自治体は豪雨災害時には、指定避難所へ避難するだけでなく、ご近所の3階建て以上の建物への「ご近所避難」を呼び掛けてはいます。しかし「同連絡体制をつくるのか」「支援物資をどう供給するのか」という問題には対応しきれていません。

 今までの災害時における支援体制が、地域の避難所中心になっていて、在宅避難所は無視されるか、なおざりにされてきました。その問題に関する濵田知事の回答は「0回答」に過ぎませんね。

 また避難所整備の問題も県当局の対応はL1想定(100年に1度の昭和南海地震程度)に留まっています。2011年の東日本大震災規模(1000年に1度のL2規模地震)に関しては、県の対応と対策は心もとない限りです。

危機管理部長「現状の避難スペースは、通路も含めて1人当たり3㎡。コロナ対応では4・5㎡。L1地震では、指定避難者数9万2000人に対して、避難スペースは確保できるが、L2地震では8万6000人分の不足になる。」とのこと。

 無為無策というものですね。避難所へ入れない下知のような浸水地域の住民は、津波避難ビルや、防災会指定の地区避難ビル(津波時一時退避場所)のマンションなどの廊下やエレベーターホールの共有スペースで何週間も籠城しなければならないというこいとです。

 東日本大震災から間もなく10年。未だに安全な避難所整備すら出来ない高知県庁危機管理部はまじめに仕事をしているのかと申し上げたい。危機管理部長の答弁からは全くやる気すら感じられません。

 濵田知事や危機管理部長の回答の多くは「事例集をこしらえる」とか「マニュアルの整備をする」程度のことであり、「何百か所避難所を整備し、L2地震でも県民誰もが避難所で安全な避難生活ができます。」というものではまったくありませんから。

 以下の発言には腰を抜かしました。

危機管理部長「地域住民が主体になって避難所を運営している自主防災組織もあり、そうした先進的な取り組みを知っていただくため、今年度改定する自主防災組織の活動事例集に掲載して、市町村や自主防災組織に配布する。」とか。

 この危機管理部長の「基準」では、10月25日(日曜)に実施されました「二葉著総合防災訓練2020年」は、住民主体で役割分担し、コロナ感染症対策も含め避難訓練。避難所開設。運営訓練を実施し、120人の参加がありました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-02ecb9.html

(二葉町総合防災訓練2020 2020年10月25日実施)

 でも私は二葉町自主防災会が「先進的である」と少しも思っていません。いくら先進的であると褒められても、災害の脅威は全く減少していないからです。

 二葉町は町内全域が海抜0Mで海が近く、軟弱地盤で高台はありません。浸水や津波から逃れるためには、もよりの津波避難ビルや地区防災会指定「津波一時退避場所」の階段を歩いて登るしかありません。斜路はありません。災害時に生き延びることがとても難しい地域であることには変わりはありません。
高知市津波ハザードMAP_NEW
 0M地盤が5M隆起したわけではありません。危険性が放置されたまま、単位自主防災会の努力はたかが知れています。公助が本当に下知地域に関しては「弱すぎる」としか言いようがありません。

 坂本茂雄さんが提起した「災害ケースマネジメント」に関しては、濵田知事や危機管理部長の回答は、「一応は前向き」であることは確認できました。

4面は都市計画道路はりまや町―一宮線の件です。当初計画段階から高知市の都市構造が変化しており、今更全く意味をなさない都市計画道路です。新堀川には、シオマネキなどの希少生物が生存しています。暗渠化により絶滅することでしょう。

 また江戸時代初期の石垣などもありますが、それも撤去されていまします。歴史資源と希少生物を犠牲にしてまで、道路を拡幅し、新堀川を暗渠にする必要性はもはや不要であると思います。

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2020.11.09

隈研吾展へ行きました。

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 2020年11月8日でしたが、高知県立美術館で開催されていた「隈研吾展」(2020年11月3日~2021年1月3日)へ予約して、母と家内と3人で行きました。家内が梼原町にある隈研吾氏の建築物ツアーに先月行きました。母は歩行運動のために行きました。
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 美術展には珍しく、フラッシュをたかなければ撮影OKなので、展示会の様子を写真を撮りました。

 初めて隈研吾さんの作品展を見ました。東京五輪のメイン会場の国立競技場を設計された設計士です。木造建築に関心をもったきっかけは梼原町での古い木造建築物を見たからだそうです。
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 展示では海外の設計した建物や、国内での建築物の作品の展示もありました。
猫の視点から建築を考えを披露している視点も興味深かったです。

 超高齢者の母も健康のために歩きました。美術館内は平滑面なので危険はありません。
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2020.10.29

よくわからない「大阪都」構想


 11月1日に、大阪維新が提唱する2度目の「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が行われます。三星側の大阪維新は「大阪市を廃止し、4つの特別区に分割し、2重行政を解消する。」とか言うています。

 

 一方の大阪市の自民党と共産党は反対。「140年の伝統ある大阪市をなくす暴挙はゆるされない。」と住人サービス低下を懸念する。

 

 賛成派が勝つと、大阪市は廃止され、大阪府4つの特別区になるだけ。「府」が「都」になるわけではない。一体何のメリットがあるのかよくわからない。

 

 そもそも大阪市は「政令市」。大都市故都道府県並みの権限がありますね。なんでわざわざ「政令市」を廃止し、大阪府の直轄区になるだけであるだけではないか。

 

 大阪市民は賢明なあhんだんをしていただきたいですね。私個人とすれば、伝統ある大阪市の廃止には反対です。

 

 そんな些末な問題より、南海トラフ対策を大阪府・大阪市は真剣にまじめにとりくんでいただきたい。過去の宝永と安政の南海地震では大阪は津波で壊滅的な被害が出ていますから。都市機能を低地の市街地ではなく、生駒などの固い地盤の内陸部に都市づくりをすb壁ではないかと思いますね。

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2020.05.29

高知市長に「提言書」を出しました。

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金融機関の近くのホテルは今月末まで休館しています。
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市役所は二期委員を努めました「高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例第8期見守り委員会」(とても長い名前)の提言書を高知市長に渡し、意見交換しました。
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市長に山﨑委員長が提言書を渡す場面の撮影をスマホでしましたが、写っていませんでした。
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2020.05.16

高知はイタリアと気質が似ているとか

人生フルーツ
 昨今中国武漢市発のの新型コロナウィルス感染症が世界を席巻しています。現在(2020年5月14日)欧米諸国で猛威を振るっています。そのなかでもイタリアの感染者数、死亡者数の多さに驚きました。

3年前に高知県立美術館ホールで「人生フルーツ」という自主上映映画がありました。ご高齢の津端修一さんご夫婦の自然体の生き方が淡々と描かれていました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-0a83.html

(人生フルーツを見て)

 実は28年前に津端修一さんとは高知市でお会いしていました。
当時わたしは高知青年会議所の事業で「都市再開発セミナー」をやっていました。
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http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/city5/index.html
(都市再開発セミナーについて)


その時来られたのが津端修一さんでした。NHKのディレクターのご紹介でした。津端さんは高知の印象をこう言われていました。
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「高知はイタリアに似ていますね。貧富の格差がありブラック業界(暴力団)や共産党勢力も強い。大企業がなく零細企業が多いところもイタリアと同じ」

「イタリアは多くの人は15歳で職人になり30歳で親方になる。家具や装飾品や革細工や靴、ガラス細工や大工など職種は多い。家内業が世界に販売している仕組みがうまく機能しています。スモール・ファミリービジネスです。」

「これからの時代は大企業の時代ではなく、職人が世界とつながる時代。つながる仕組みをこしらえたのは旧イタリア共産党。高知もそれを見習い世界とつながる仕組みをこしらえるべき。」

「イタリアは個人所得は高くはない。でも皆長期休暇をとり優雅に暮らしている。職人同士がうまく仕事をやりくりしています。」

「家やアパートを複数所有し、外国人には高く賃貸している。自分たちの住居費は安い。親戚同士や零細企業同士もフレンドリーで助け合いをしている。」

 フレンドリーな生活習慣がコロナウイルスの感染をより広めたのでしょうか。なんとも痛ましい限りです。
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津端さんは「高知とイタリアは似ている」と言われました。気質も似ているかもしれないです。でもコロナ感染症にはなりたくはありません。フレンドリーな県民性が「悪いほうに」行かないように気を付けたいものですね。

 このところ高知県民も「我慢」を辛抱強くしています。効果は着実に表れています。一気にコロナ感染症が下火になることを祈願しています。

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