先日ある政党メディア関係者の個人ブログを覗くと「毛沢東主義盲従主義者が文化大革命の真似をしてぷらっとこうちをつぶしたようだ」と漫画のようなことを書いてありました。わざわざ文化大革命の解説までされています。
個人の思想遍歴をあれこれ言うのも自由です。あれこれ言われてもそれは仕方がありません。私は確かに中学生の時に日本語の北京放送を聞いて影響を受けておりました。それはタモリが北京放送の真似をしてデビュー時のお笑いネタにしていたぐらいですから結構当時の日本にはリスナーがいました。
どうして毛沢東思想に一時的に心酔したかと言いますと、自分と同世代の中学生が街頭へ出て活動している躍動感が凄いと思ったからです。同時期メキシコ五輪での釜本選手の活躍に刺激され、サッカーを始めたのも同じような動機でした。サッカー同好会をこしらえ他校と試合までしていましたから。
東大闘争のスローガンは「造反有理」。反乱にも道理があるという理屈ですね。ベトナム戦争が激しくなり、公害もひどくなり日本は高度成長期でしたが社会矛盾が噴出していた時期でした。とてもタイムリーな言葉であると評価していました。
ストイックで潔癖な毛沢東思想に影響を受けていたのは事実。毛沢東語録を暗記し、毛沢東のバッチをつけて学校へ行っていました。毛沢東主義者の京浜安保共闘と、赤軍派が連合し、連合赤軍が誕生し、極端な秘密主義と軍事優先主義、仲間をリンチで殺す事件や浅間山荘事件をひき起こすことで、まずその幻想は打ち砕かれました。社会運動をやりすぎ学業を疎かにしたため高校を卒業できずどうするか悶々としていた春休みに連合赤軍事件のテレビ中継を延々と見ていました。ふんぎりがついてもう一度3年をやり直し(留年し)登校したものでした。
留年し無事卒業、大学へ進学した後もサークルで「毛沢東オタク」に何人か会いましたから。当時は毛沢東やゲバラは一種のヒーローだったのです。
ある政党メディア関係者は人にレッテルを貼るのが趣味であるとか。そういえば高校生時代に私は「〇〇高校の反戦トロツキスト」なるレッテルを高教組に張られたので、抗議に行ったことがありました。「わけのわからない言葉は使わないでほしい。」と言いました。
時代は下り1986年に日本青年会議所の研修で中国へ船で行きました。博多から中国の天津まで船で研修しながら行き、上陸後はバスで北京へ行きました。憧れの天安門広場や人民大会堂へも行きました。3日間中国の北京にいましたが、その貧しさには驚きました。落差に驚いたものでした。文化大革命は全否定されておりすべて4人組が悪いと通訳のガイドさんから聞きました。
*青年会議所時代に訪れた北京。天安門広場と人民大会堂(ここでは党大会が開催されます。先日の共産党大会もここでしました。田中角栄と周恩来が国交回復祝賀会をしたところでもあります。当時中国共産党青年同盟の招きで中国へ行ったものでした。青年団体同士の交流ですね。)
万里の長城で飲んでいた青島ビール1本分の値段が当時中国の勤労者の1日の日当であるとか。北京のホテルからタクシーをチャーターして夜の北京市街へも行きましたが飲食店はなく、外国人相手のホテルやディスコが租界のようにあっただけでした。現在の北京とは大違いです。
なによりショックだったのは1989年の天安門事件です。社会の民主化を叫び天安門広場にあつまっていた青少年を人民には決して銃口を向けないと言う人民解放軍(そう信じていました)が非暴力の市民に発砲し虐殺をしたからです。画像で見て人民大会堂前の革命記念碑にいた青少年の集団に戦車が突っ込んでくるのは驚きでした。
未熟な日本の政治少年の勝手な毛沢東思想への幻想はそれらの出来事で粉々に砕けました。ですので毛沢東思想を一時的に信仰していたことは今や恥ずかしいことでした。実に愚かであると思いました。結局情報不足だったのです。この点は自己批判しないといけないです。
文化大革命から40年を経過して中国でもようやく話ができるようになりました。社会運動を相対化するのには時間がかかるものなのです。また人間はたびたび間違うものなのです。間違いを起こさないということはありえないと思います。思想的な寛容性は必要です。過去の思想的遍歴を執拗に追及するのは特高警察やゲシュタポなどの全体主義者のやることでしょう。スターリンロシアも同じ。そのミニモデルである各国の共産党も同様の異端者狩りを行い、社会犯罪を犯しておりました。
ある政党メディア関係者に忠告します。昔からレッテル貼りは得意でしょうが、現在は多様な時代。1つのレッテルで説明できるものではありますまい。運動も組み合わせもまちまち。
ちなみに8月18日に開催した「県民マニフェスト大会」。窪則光さん、沢山保太郎さん、山崎秀一さんはごりごりの反橋本知事の立場。私はそうでもない立場。西やんは「原発と暴力団は必要悪」と発言する人。会場整理や時間管理のスタッフは自民党青年部の知り合いがやってくれましたし。
窪さんは保守的な政治スタンス。沢山さんと山崎さんは左翼的ですね。西やんは右翼的。と言う風になんでもありで主催したのですから。後の反省会も盛り上がりましたし。1つの方向にまとめるのではなく、「言いたいことを言う」県民大会でしたので、制約は加えませんでした。思想の多様性、社会の多様性が理解できないと主催運営が出来なかったと思いますね。1パターンの運動しかやったことのない人には到底ご理解できなかったのかも知れませんね。
律儀に時代遅れの「科学的社会主義」とやらを信仰したところで、今の時代「?」になりますね。人にレッテルを貼る暇があったら市民運動をされたらいかがでしょう。世の中いろんな人がいて勉強になりますから。
昔なら「トロツキスト」だとか「毛沢東盲従主義者」とか「反革命」というレッテルは「非国民」というレッテルと同様の社会運動を担うものにとっては「死刑宣告」に等しい響きがあったようです。それは旧ソ連型社会がユートピアとされていた時代の神話でした。
今の時代「それがどうした」という程度のもの。ある政党メディア関係者も多様な世界観をもたれると良いと思います。1つの仮説で世界を説明できるほど世の中単純ではないからです。
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