政治のありかた

2017.06.15

共謀罪反対集会に参加しました

 2017年6月15日は、日本国民は終生忘れてはいけない日です。政府・与党が委員会審議を蹴飛ばして、未明に参議院本会議で「共謀罪」を強行採択した最悪の日です。賛成した与党(自民党・公明党)と維新の議員はこれから全員を「ファシスト議員」と呼ばなければならないでしょう。民主主義の破壊者であり、国会を冒涜しましたので。

 何度も言いますが私は政党や労組には全く無縁な市井の市民の1人です。あんまり腹が立ったんで、高知市中央公園北口前での共謀罪反対集会に私個人の意志で参加しました。
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 集会には政党筋、労組筋を中心に、市民団体等の関係者、宗教関係者など約200人が参加していました。午後6時から集会は始まりました。
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 最初に憲法アクション高知の代表者の人がスピーチされました。
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「最近ロンドンやパリで起きているテロは、単独犯、一匹オオカミの自爆テロです。組織犯罪と言えるものではありません。」

「政府は特定暴力組織犯罪集団を特定し、一般の市民団体は対象外と最初は言っていましたが、金田法務大臣は、一般の市民団体も対象となると言っています。」

「委員会審議をすっ飛ばしたのは、委員会のやりとりがテレビ中継され、政府答弁がしどろもどろになる姿を国民身見せたくはない事。それと強行採決した場面で与野党議員がもみくちゃになる場面を中継されたくなかったからでしょう。都議選の影響があると公明党の判断がはたらいたのではないでしょうか。」

「わすれない。あきらめない。手を結ぶことが何より大事です。」

「最近の各社の世論調査では明らかに安倍内閣の支持率が下がっています。
毎日新聞では、安倍内閣支持が46%、不支持が44%と拮抗しています。」

 日経WEBでは指示が27%です。週刊文春では22%と急降下です。

 一方前川前文科省事務次官の支持率は74%、安倍首相の支持率は23%です」

「わかっている人がまわりに伝えていただきたい。そして決して萎縮しないことです。居酒屋でも安倍内閣批判をやりましょう。」

「安倍内閣は3つの武器を手に入れています。

①1つ目は小選挙区制度によって自民党本部が所属議員の生殺権を握っていることです。安倍総理にはむかう議員がいなくなりました。公明党も自民党の協力なしでは小選挙区では当選出来ませんから、逆らえません。

②マスコミを支配したこと。読売新聞や産経新聞は政府・自民党の機関紙に成り下がりました。

③内閣府による600人の官僚への支配権を強化した。」ことです。」
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 また登壇されましたキリスト教の牧師さんはこう言いました。

「有名な牧師でナチスに対する抵抗した人の詩を朗読します。

マルティン・ニーメラーの詩でした。


「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

 6時半位に44年ぶりに再開する人から電話があり集会の途中で中座させていただきました。

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共謀罪には反対します!!


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珍しく高知新聞「声・ひろば」への投稿文が掲載されました。そしてそれを個人ブログに書きました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-26ed.html

「復古主義では滅びます」(個人ブログの記事)

それを讀んだ県外在住の友人から「讀んだぞ」との一言とともに以下の詩を教えていただきました。


 ドイツの反ナチ闘争で活躍した牧師、マルティン・ニーメラーの詩を友人は紹介してくれました。

「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

 本日午後6時から憲法アクション主催で「共謀罪反対集会」が、高知市中央公園北口で開催されます。わたしは政党筋でもなく、労組筋でもなく、ただの市井の1市民として集会に参加する予定です。

」黙っておれば日本国は「息苦しい全体主義国家」になります。

 声を張り上げて共謀罪に反対しましょう!!

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2017.06.10

復古主義では日本は滅びます

 一体何年ぶりでしょうか?久しぶりに高知新聞「声・広場」欄に私の投稿文が掲載されました。2017年6月9日号です。3年か4年は掲載されませんでしたから。よほど高知新聞に嫌われていましたね。

 https://www.kochinews.co.jp/article/104466/

 今日の「声・ひろば」欄は私以外にも、加計学園問題を厳しく批判する島嶼通が掲載されていました。わたしと同年代の人達の「怒り」の投稿文でした。

 夕方ある地域のレジェンドの人から電話がありました。

「投書読んだよ。ほんまにわしもそう思う。今国民各位が言うべきこと、主張すべきことをきちんとやらないと、気が付いたら物が自由に言えん社会になるぜよ。

 戦前の日本のようにいくら良いことを主張しても「非国民だ!」とレッテルを張られたり「アカだ!」とレッテルを張られて逮捕され、拷問され、収容所へ放り込まれる時代になるぜよ。自民党も骨のある奴はおらんかよ。こんなだらだらした国会審議で国民の生活を息苦しくするようなことになるとは。嘆かわしい。」と長老は言われました。

 意外な人からの反響に驚きました。うちなんぞは家族のだれも気がついていませんから。誰もせわしくて新聞讀んでいませんでした。


 安倍内閣の政策たるや、日本が敗戦後営々と築いてきた「民主主義」「社会的平等」「基本的人権」「国民主権」「平和主義」を破壊することばかりです。国民の医療・介護の負担は上がるばかり。経済は良くなる気配は(いいのは優遇された大企業のみ)ありません。
 
  お酒ばかり飲んで「幕末維新だ」と言っているうちに、このままでは日本は北朝鮮や中国と同じ「全体主義国家」になっていまします。

 わたしは右も左も統制的な全体主義は大嫌いです。とくに共謀罪=治安維持法の制定には断固反対します。

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2017.05.29

ショック!!「疾風の勇人」が打ちきりか?


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 週刊モーニング連載の戦後政治史を描いた政治漫画「所得倍増伝説!!疾風の勇人」(大和田秀樹・作)が、来週第63話で打ち切りになるらしい。
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 無残な敗戦後、闇市から税の取り立てを行っていた大蔵官僚の池田勇人を吉田茂がスカウトし、政治家として育てあげました。佐藤栄作、田中角栄、宮沢喜一、大平正芳、鳩山一郎、河野一郎、三木部吉、岸信介、三木武夫、石橋湛山などが存在感が濃厚に登場しました。

 それが来週で打ち切りとか。やはり安倍内閣からの圧力でしょう。安倍晋三が尊敬するという祖父の岸信介は漫画でも「妖怪」であり、「悪魔的」に描かれています。
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 それに引き替え戦後日本をけん引し、惨めな敗戦国から経済大国に引きあげた「吉田学校」の生徒たちは、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、宮沢喜一もカッコよくいい男で描かれています。
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 おそらく「祖父をこけにした」と安倍晋三が激怒したんでしょう。なんともスケールの小さい奴だと思いますね。「この漫画は史実を基にしたフィクションです」と書いていますのに。なんとも小さい。
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 公職の政治家は「こけにされてなんぼ」の世界ですから。

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2017.05.24

共謀罪は平成の治安維持法ではないのか?


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2017年5月23日政府・与党は衆議院本会議で「共謀罪」を強行採択しました。民主主義の根幹に触れる「危険」な法律を国民的な理解が十分でない状態で採択するとは、おかしな国になったものです。

 共謀罪と戦前の悪法である「治安維持法」比較してみますと大変良く似ています。2つの悪法とも、政府に反対するデモや社会運動、市民運動を規制し、壊滅させるための悪法です。

 政治に関心のない一般市民は関係ないと戦前も言われていました。しかし些細なことで逮捕・拘留され、自白を強要される社会になり、戦争国家日本国は暴走し、全世界を相手に世界大戦を引き起こし無残な敗戦を迎えました。

 その反省から戦後日本は再出発しました。自衛隊は1人の外国人兵士を殺しませんでした。また1人の自衛隊員も外国の軍隊に殺されませんでした。自衛隊は「人殺し」の組織ではなく、「人を助ける立派な」組織として、国内外の災害支援や救援で大活躍してきました。

 それが安倍晋三の言うように「恥ずべき歴史」なんでしょうか?わたしは全くそうは思いません。「勇ましい事を」言い立てる人間は、絶対に兵士として徴用され前線へ行かない人間です。

 平成の治安維持法である「共謀罪」に私は反対します。

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2017.05.23

素晴らしいビックコミック・オリジナル

20日発売のビックコミック・オリジナル(6月5日号)。なかなかヘビーな内容ではないか。
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 登場人物が昭和天皇やアメリカの「赤狩り」の様子や、政治家の裏側を見せるまんがや、太宰治原作の「人間失格」まで盛りだくさんです。
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2016.12.23

天皇誕生日の休日に想う


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 今日は明仁天皇陛下の誕生日です。ひたすら戦没者への祈祷を行い、平和な日本を願い続けて来られました。高齢をおしての昨年のパラオの訪問は胸を打たれました。

 日本国憲法で象徴天皇が第1条で制定されています。そして戦争放棄を高らかに提唱した第9条と見事にリンクされています。明仁天皇陛下は護憲・平和を貫いて戦没者の慰霊の旅を国内外で続けられました。
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 この明仁天皇の誕生日である1948年(昭和23年)12月23日に、東条英機以下7人のA級戦犯が戦争犯罪人として東京裁判で裁かれ処刑されました。GHQはわざわざ明仁天皇の誕生日に処刑したのです。これにはどういう意味があるのか私にはわかりません。

 その翌日の12月24日にA級戦犯であった岸信介は何故か無罪放免・釈放されています。安倍晋三現首相の祖父です。アメリカ従属外交を後に首相になって強く推し進めた人物です。


「普通の日本人であった経験がないので、何になりたいと考えたことは1度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。」と言う言葉は衝撃的でした。確かにそうですが、「当事者」の発言だけに重たいです。

 11歳の時に日本の敗戦があり、疎開先の日光から東京へ戻って来られた時一面の焼け野原に衝撃があったと思います。15歳の時に職業選択の自由がないことを良く理解されていたのです。

「25歳で美智子妃と結婚する直前には、
「ぼくは天皇職業制を何とか実現したい。(略)毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務を執る。(略)そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ」

「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。(略)天皇になっても、ぼくは街の中に住む」(P9)

その願望は実現しませんでしたが、美智子妃殿下と一緒に、3人の子供たちを自分で育てることは貫徹しました。強い意志を感じます。

 昭和天皇の誕生日の4月29日(1946年)に東京裁判でA級戦犯が起訴され、明仁天皇の誕生日(15歳)の12月23日(1948年)に処刑されたのは偶然ではありません。

「この裁判と処刑が何を意味するのか、天皇とその後継者は、絶対に忘れてはならない。」との占領軍のメッセージがこめられています。

「日本とは何か、敗戦とは何か、占領軍とは、憲法とは、戦争責任とは、新しい時代の天皇制とは・・・・。

 この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする「思索の旅」の根底に、つねにあったのだと思います。

 そしてその思索にはもちろん、父である昭和天皇の戦争責任についての検証と、そうした問題を自分はいかにして克服し、過ちを繰り返さないようにするべきかと言う、大きな心の葛藤も含まれていたことでしょう。

 その心の旅が長い手探りの時代を終え、ひとつの形を取り始めるきっかけとなったのは、東京からはるか遠く離れた島、沖縄との衝撃的な出会いだったのです。皇太子時代のひめゆりの塔の慰霊の時に、火炎瓶を潜んでいた男に投げつけられたことがありました。明仁天皇(当時は皇太子)はひるまず対処され、その後も沖縄慰霊の旅をされておられます。

 サイパンの慰霊にも出掛けられています。硫黄島にも行かれました。

 そして2015年は、80歳を超えてパラオ諸島へも巡礼の旅に行かれました。

 中国に対する想いと謝罪もされています。

 韓国に対する想いと謝罪もされています。

 象徴天皇制という制約だらけの立場の中で、巡礼の旅を続けられています。国内では大災害の被災者に常に寄り添い、福島第1原子力発電所からの避難生活を続かられている人々への想いを常にされておられます。

 終戦から70年の年(2015年)に、明仁天皇は平和への決意を一層、巡礼と言う形で表現されておられるように感じました。

 安保法制と言う粗雑な「戦争法案」を安倍内閣は「数の力」で国会で採択しました。2013年の参議院選挙でも、2014年の衆議院選挙でもこのような「戦争法案」の話は安倍首相は国民に対して一切していません。国民の進路を決める重大事項こそ、正面から議論し、慎重に粘り強く国民各位の合意形成する努力が必要です。安倍内閣には胆力がありません。

 国政選挙の時はひたすらご当地ネタか、アベノミクスという経済政策を誇らしげに語っていただけでした。選挙で戦争法案は信任されたわけではありません。そこを現在の自民党の幹部は理解していません。
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 明仁天皇が生涯をかけて先の大戦の戦没者の慰霊をされている。その強い意志に驚きました。いったい今の安倍内閣は何をしているのだろうと思う。明仁天皇の平和への想いを平気で踏みじる行為をしています。恥ずかしくはないのだろうかと真底思います。

 あらためて明仁天皇の「平和への強い願望」を感じました
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 きちんと敗戦後の日本の歴史を冷静に検証すべきであると思いました。

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2016.12.20

韓国歴代大統領の不正と末路


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 パク・ウネ大統領の即時退陣を求める韓国市民の街頭での抗議活動は物凄い。今のところ警備部隊との暴力的な衝突もなく、整然と行われています。大規模野外コンサートのように、ウエーブが起きたり、大合唱があったりして、週末のソウルの恒例行事になっています。

 これを「民主主義の勝利」と称賛される人達もいます。週刊ポスト12月16日号の「逆説の日本史」を連載している井沢元彦氏は、伝統的な政治イデオロギーであった「朱子学」が韓国社会を蝕み世界観を歪めていたからだと言われています。

「韓国という国家、韓国人という民族ほど朱子学の毒に蝕まれている民族はいない。」(P71)

「朱子学は「亡国の学問」だと確信しているが、朱子学は民族に真実の歴史を忘れさせてしまうという、とんでもない副作用がある。」(P72)

「要するにこれは民主主義社会あるいは法治国家で定められるルールよりも、韓国人を厳しく縛り逆らうことを許さない絶対のルールがあるということだ。

 それは言うまでもなく親に対する。「孝」そして血縁に対する身びいきを、国家や民族という「公」よりも重要視する儒教(朱子学)の影響であることは少し考えればわかる話である。」(P72)

 「朱子学はインテリのヒステリー」と井沢元彦氏は言います。南宋時代に朱子は生まれました。中原の地域を異民族に宗は奪われ、揚子江の南に追いやられた南宋。その際,皇族をはじめ漢民族の女性の多くは連れ去られ、性奴隷とされました。

 そのことで南宋の民は激しく外国を憎むようになりました。軍備を怠り軍事的に敗北した原因を冷静に総括せず、悪いことはすべて外国の「野蛮人」に責任を点火するインテリの負け惜しみ思想が朱子学であるようです。

 司馬遼太郎さんも幕末期に日本で流行した「尊王攘夷」の思想は南宋が元祖で「薄っぺらな思想」と看破していました。

 「この国のかたち」を読んだ読書感想文を2009年11月に個人ブログに書いていました。

「 司馬さんは「尊王攘夷」で幕末維新期は来たものの、明治政府は開国し、文明開化をなしとげ、当時の先進国にキャッチ・アップしようとした。「尊王攘夷」は、中国の宋時代の思想で「たいしたものではない、」と。結局明治政府は新しい国のかたちをもとめ、政府中枢閣僚が2年間も欧州に滞在し、ドイツなどの社会制度を性急に輸入し、プレハブ工法で社会制度をこしらえました。

 ぎりぎりの国力と必死の外交的努力で日清・日露戦争に勝利したことがあだになり、昭和10年以降に無能な政治指導者や軍幹部が日本で台頭、結果明治国家を滅ぼしてしまった昭和10年から20年までの日本史を断罪されていることがよく理解できました。」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6fb0.html

 国家国民のことよりも家族のこと一族郎党の繁栄が何より大事という韓国に定着している朱子学の弊害が、歴代大統領一族の不正の繰り返しを生んでいるのでしょう。

 またなんでもかんでも外国を悪にする思考、とくに韓国の反日運動・従軍慰安婦像を米国に立てる運動なども、いささか冷静さを欠いているように思えますね。

 いずれにしてもパク・クネ大統領は辞任が解任されるでしょうが、再発防止の社会システムと韓国社会の思考システムの変革がない限り、韓国社会に未来はないのではないかと思います。

 北朝鮮という「やっかいな独裁国」と隣接しているだけに、韓国の混乱は、隣国日本にとっても他人事ではありません。

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2016.10.14

両親は期日前投票に行きました。

 16日はいの町長選挙の投票日。明日から北海道から従兄弟夫婦が来ます。高知へよく来ていた叔母が3月に亡くなったので、従兄弟夫婦がゆかりの人を訪ねて来るそうです。そういう訳ですこやかセンターへ両親を連れて行きました。
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 今回の期日前投票所。すこやかセンターの一室ですが、激戦の町長選挙のせいか、込み合っていました。個人的な感想ではあれいますが、最近女性の政治家が増えているので、いの町もそうなったらいいのかなとは思いました。両親がだれに投票したのかはわかりませんが。
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2016.09.24

「完本・情況への発言」を読んで

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 ようやく5年間かかって読み終えました。分厚くて、知らない人たちを罵倒する文章が多くて、正直しんどい所がありますした。読後感は「今は爽やかな」気分です。


 学生時代に入っていたサークル関係者にご縁が深かった吉本隆明さん。4年前の2012年3月16日にご逝去されました。大正13年生まれですので、うちの母より1つ上で、父より5歳年下の人でした。

当時個人ブログに「追悼文」を書いていました。

「吉本隆明氏の逝去を悼む」(2012年3月16日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8f43.html

 5年前に大枚3240円で「完本 情況への発言 吉本隆明」(洋泉社・2011年・刊)を高知市の本屋(金高堂)で見つけ購入していました。当時は吉本隆明氏の死期が近いと思い購入していました。

 購入したものの700Pもあり、1962年から1997年まで発刊されていた「試行」という雑誌に吉本隆明氏が寄稿したものすべてをまとめてありました。

 読むと、今となってはわたしも知らない論敵を罵倒し、こきおろす文章が大半。もはや古典の世界です。この種の文章はリアルタイムでないとわかりません。吉本隆明さんはずっと存在し続けましたが、吉本さんが当時罵倒した相手の人達は、「消えて」いるからです。
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 そのなかに「切れ切れの観想」(1976年9月)に書かれた文章がありました。
「三上治に依頼されて6月18日に「情況の根源から」と題する講演に出掛けた。  

 中略・・・。

 ところで、事は、三上治の属していた政治党派の内部で、十分な決着がついてなかったらしく、講演会は叛旗派の面々の妨害により中断せざるを得ない混乱に終始した。
 わたしは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、檀上に駆け上がって騒いでいる連中には懇談してもらって、じぶんの喋りたい思って用意してきた情況論は、しゃべることにした。

 なぜならば集会の主人公は、身銭を切って講演を聞きに来た公衆であり、それ以外の何物でもないという原則をもっていたからである。」(P257)
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 私の記憶が正しければ、吉本さんの講演は、1976年6月18日に東京・品川公会堂で行われた共産同叛旗派解体集会でした。三上治と、神津陽の一党が対立し、罵倒しあっていました。吉本さんがなだめたという記憶はありました。私は「いくばくかの参加費を支払い」見学に行っておりました。

 それは40年前の出来事。その後共産同叛旗派は解体し、再興されることもなく40年経過しました。あのことの清新な政治理念はどうなったことだろうか?40年経過して現れないものは、今後も未来永劫現れないでしょう。

 今「情況への発言」を読み返しても、「古典」を讀んでいる感じですね。
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 災害列島日本で「何事もなかったかのように」原発を再稼働し、沖縄の声を全く無視し軍事基地づくりを政府は強行しています。

 ヘイトなファシストの声が大きくなるが、きちんとした政治党派は影も形も見えません。やはり40年前に滅んだものは、再興されないまま、風化したんでしょうか?そのことを思いだすたびに、情けない気分になるのはわたしだけでしょうか?
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 巻末に松岡祥男さんが「解説」を書かれています。高校時代の社会運動でご一緒したことがあります。高校生時代の私はアホな毛沢東主義者でしたが。松岡さんは「吉本隆明という人は凄い」とか言われていました。先見性がある人でした。

「試行」という雑誌は、60年安保闘争敗北後の1962年に発刊されています。同人に村上一郎や谷川雁らがいたようです。そのあたりの時代背景を松岡さんは記述されています。

「ブントは分裂し、全学連幹部は日和見と組織エゴに凝り固まった小日共さながらの革共同に屈服転身するものが続出した。
 吉本は、権力の側からも、共産党をはじめとする対立党派やその同伴知識人からも、また行動を共にした転身メンバーからも、標的として集中砲火を浴びることになった。この孤立の中から「試行」は生まれたのだ。」(「試行とはなにか」P688)

 なるほど「孤立無援」ななかで「試行」は創刊されたのですね。だから相手を罵倒する文章が多いわけですね。多くは歴史上消え去った人たちだけに思想的にも社会運動的にも今思えば大したことはないようですが、当時としては幅をきかせていたんでしょう。「事情」は松岡祥男さんの解説で理解できました。

「「情況への発言」は1970年10月(試行第31号)から、論敵たちの言説(批判や攻撃)を引用し、それに反批判を加えるコメント方式をとっている。時代の急激な変容に即応するために、このスタイルが選ばれているといえる。

 吉本隆明は、この時期、「心的現象論」「最後の親鸞」「初期歌謡論」といった体系的な思索と古典に打ち込んでおり、思想的主題の深さに比例して、それは心身の動きを重くする作用が伴うものと思われる。

 吉本にとって、この即興的なスタイルは、寸暇をみつけて身を起こし、その時々の情況に対応しようとするものだ。たとえ、それらが時事的な泡沫で、すぐ時の流れの上に消えてしまうものであったとしても、そのアブクにしか見えない現象の中に、実は永続的な課題が内在していることもありえる。

 生々しい関心の持続、それ自体が思想の生命線の1つなのだ。しかし、このスタイルは、さらなる即時的な反発や憎悪を呼び起こし、荷立たしい様相を呈することも否めない。」(「根源的な志向性」 P691)

 分厚い書籍に中で、論争相手への罵倒と罵詈雑言の類も多くのページに記述されています。当時はワープロなんぞもなく、手書きで原稿を書いていたんでしょう。わたしなどは文章書くことで、相手への怒りは昇華され、案外冷静になりますが、吉本隆明さんの怒りは収まらず、とめどなく記述される理由が判明されましたね。それにしてもしつこいキャラクターですね。

「吉本はこの時期、埴谷雄高らの内ゲバの停止を求める「声明」の呼びかけ人への参加の要請を拒否している。これら知識人や自称オルガナイザーの無原則的な、ろくでもない妥協と密通を否定するとともに、腐敗した新左翼党派の延命に手を貸すことを拒絶したのである。

 これが同時にデマゴギーや匿名攻撃を粉砕する実践的態度であり、「情況への発言」に一貫するリアリティなのだ。」(「根源的な志向性」 P693)

 1973年の大学へ入学した当時は、70年安保闘争敗北後の党派闘争の時代でした。なぜささいな違いで殺し合いまでするのか。その刃は国家権力に向かうことなく対立党派の構成員に向けられていました。

 事実、教科書を譲っていただいた別のサークルの先輩学生が、下宿で対立党派に襲われ頭を鉄パイプでかち割られ亡くなりました。所属サークル主催の学生集会の最中に、あるセクトの人達が血相を変えて向かって来ます。「来たぞ来たぞ!!」と叫びながら。見ると鉄パイプをもった数人が後追いしてこちらへ向かってきます。とっさに横へ逃げました。襲う別のセクトの人達は、ちゃんと対象のセクトの人達の人相がわかっているようでした。真底怖かったですね。誤爆されて殺されたら嫌ですから。

 1970年中期から本格化した陰惨な内ゲバは、1972年の連合赤軍事件ともども一時期盛り上がった新左翼運動の衰退要因でした。埴谷雄高たちが「内ゲバ停止宣言」に、吉本隆明氏が拒絶した理由が、今更ながらに理解できました。

 やはり潰えるものは潰えるということですね。当時新旧左翼一般を吉本隆明は批判しています。少し引用が長くなりますが、松岡祥男さんの記述です。

「吉本はこの末期的な症状にとどめを刺すために、対馬忠行の追悼文を入り口にして「アジア的ということ」の連載を開始している。この「アジア的ということ」は圧倒的な意義をもつものだ。

 吉本は、マルクスの「インドにおけるイギリスの支配」の概念から、<コミューン型国家>や<プロレタリア独裁>の概念を厳密に再措定してゆく。そして、そこからレーニンら(ボルシェビキ)に主導されたロシア革命とその権力がいかにマルクスの思想的原理から乖離したものであっいたか。

 レーニンらは、コミューン型国家即ち国家廃絶の原則を現実的に放棄し、<プロレタリア独裁>の概念を「プロレタリア前衛党の独裁」に、<生産手段の社会化>を「生産手段の国有化」に矮小化したことを明らかにする。

 これはロシア。マルクス主義の限界と転倒を指し示すとともに、国内的にいえば、日本共産党から新左翼にいたる全党派の理論的な支柱を完全に打ち砕くものだ。

 この吉本の根源的な指摘を左翼であろうとする限り、誰も回避することはできないといっていい。」(「根源的な志向性」 P694)

 わたしは、知識人でもなく、田舎町の市井の市民にすぎません。

 吉本隆明さんは「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」(吉本隆明著「カール・マルクス」)と書いています。

 市井の大衆を「おだてて」はくれますが、それによってどうなるものではない。市井の大衆は愚かで刹那的で、物事を深く考えす、今の政権を支持し、原子力発電所の再稼働を支持し、自衛隊を海外へ派兵することにも賛同しています。わたしも愚かな大衆の1人です。

 時折学生時代や若い頃に購入していた「試行」。1962年から1997年まで巻頭に書かれていた「情況への発言」を毒気に当たられながらようやくすべて読むことができました。

 正直吉本隆明氏の著作は、買い揃えてはいますが、難解でわかりにくい。晩年の高齢者になったから病床で書いた文章は同じ「戦中派」である両親のことを思い浮かべるとわかりやすい。それだけです。
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 「老いの幸福論を読んで」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8bfc.html

 亡くなる1年ほど前に出版されていたようでした。

「「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(「老いの幸福論」P178)

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 日本社会を「どうするこうする」の大きな志はありませんが、小さな高知市下知地域の住民として、南海地震が来れば、人生も生活も即終りのような、絶望的な状況をなんとかしたい想いだけは、強烈に持ってはいます。

 零細企業の経営と超高齢の両親の在宅介護の合間に少しできる高知市下知地域の地域防災活動。それは日本社会のあらゆる問題点と矛盾が凝縮しています。そのことを考えることは、例えとしてはおこがましいが、かつて吉田松陰が、安政の大獄後、萩の牢獄から世界を見ていたようなものではないでしょうか。

 案外高知の田舎の市井の1市民が、世界の事を考えていることもありかなと思います。物事を考える「トレーニング資材」として、吉本隆明氏の「情況への発言 完本」(洋泉社・2011年刊)は、役に立ちました。

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